治療体験記 後日編-4 泡宇宙

今日の内容に期待されては困ります。

内容はちょっぴりです。

泡宇宙とはなんだ?

だれか見たことはあるのか?

やけくそのような小見出しで申し訳ありません。

今日はこちらの記事の続編です。

無限大 ∞ という枠

 

というのも、またどなたからか、念が送られてきたような気がしました。

実在する方の念なのか、集合意識的なものからの声なのか、わかりませんが。

 

確かに、「泡宇宙」という言葉は知っていますが、当然私はそれを見た事もないし、実はパラレルワールドを自分勝手にイメージするようには想像したことすらほぼ無い。

 

泡って、ブクブクしてるアレ? いっぱいあるって感じ? と通り一遍な脳内状態でしたし。

 

お分かりになる方を選びますが、往年のドリフターズの番組の中で「志村! うしろうしろ!」と客席のチビッ子たちが舞台上の志村けんさんに背後に忍び寄るドロボウ? 幽霊?を教えるがごとく「ミキさん! 泡宇宙、泡宇宙!」と耳に聴こえた感じがして、泡宇宙について検索せずにはいられない感じになりました(笑)

 

参考

”宇宙は無数の小さな「時空の泡」でできているのかもしれない” -リンク先「Gigazine」

 

TomによるPixabayからの画像

と、言われましても

確かに

銀河のようなものが幾つあるかわからない広大な宇宙 ⊂(含む) マルチバース

というようなイメージ、視点は脳内に湧きましたが、それを即座に「泡宇宙?」と連想するほど親しくない。

 

しかし、あの一瞬脳内映像に浮かんだアレが、=(イコール)「泡宇宙」でも全然構わない。

この違いが分からないですが、泡宇宙ともとれる脳内映像でしたが。

重なってる???

私の中ではこの 無限大入れ子の箱方式宇宙版マルチバース =(イコール) 泡宇宙 だろうというような知識はないのですが、ネットで幾つかの記事を読んだ限りでは、(やっぱり =(イコール) なのかな?)という感じ。

 

特に、Wikipediaの中の「泡宇宙」のページの一文、” 幾重にも積み重なった ”というところはかなり近くて、実は施術を受けている最中に、松原先生に、「銀河が重なっているのが脳内で観えましたが、こんなことあります?」と独り言のような質問のような事を発言しました。

松原先生は特に何もおっしゃらずに、治療を続けた(治療を終えた)という事実は確かにありました。

 

広がるんだよね~

そう、私の脳内の宇宙については、最初は規模が小さかった。一番最初はもう10年以上前になるだろうか? 身体の中に惑星が1つ見えた(脳内映像)ことからスタートした。1つが複数個、複数個が広い宇宙、広い宇宙が・・と広がっていったのですが、私は最初に惑星が1つ脳内というか体内に見えた時に、(昔からある東洋医学論的に「人体は宇宙」「人体には宇宙がある」と言われてきたのは、昔も私が観たような脳内映像を見た方がいたんだろうな~っ)て理解できた。

 

どんどん広がって、脳内に浮かぶ映像が銀河になり、銀河を幾つか含んだ大銀河になりというような広がりは経年の時の流れに伴って変化していったので、それらの大銀河が治療・施術を受けている最中に脳内映像として浮かんでも驚くことはないのですが、でもこの時は「こんなことありますか?」と思わず口に出したくなった。

 

先程も書きましたが、大銀河を含んだ大銀河のようなものが重なっていたから。

重なるってどういう感じ? とちょっと驚いた。

 

 

この部分を、

銀河のようなものが幾つあるかわからない広大な宇宙 ⊂(含む) マルチバース

という表現の マルチバース と捉えたわけですが、

あれを

泡のようなモノ

と言われても、私の中では(そうですか)としか言えない、思えない。

 

正解知らないし。

 

まとめ

いつも通り、正解もわからないし、あくまでも脳内映像の話です。

ただ、今までと違う視点を得たことは確かです。

 

今後も私の中の脳内宇宙が広がっていくのかどうかはわかりません。

もう私のニュアンス理解の域を出そうです。

Wikipediaの「多元宇宙論」のページに、「われわれの宇宙の地平面の向こう」という言葉があったんですが、私のニュアンス理解の向こうに行きかけています。(笑)

 

やっぱり、人間って面白いですね。

 

解禁?

ここまでの話は今まで書かなかった。ずっとボカシてきていました。理由は、変な追い風になるのもイヤだったから。でももう書いたところでたいした影響力もなさそうだし、どんな方が読んで下さっているのかSEO分析もしていないのでわかりませんが、もし、読んで下さっている方も個人研究をしていて、良きにつけ悪しきにつけ何かの参考になることもあるのかな? と思う事にしました。

 

どうやら、私が勝手にリアルマスターヨーダとお呼びしている大竹先生や、仙人みたいと感じた松原先生はこれらがどういうことか?というのをご存知なようなのですが、これらを話題にしてお話したことがないのでご意見は伺っていません。

またお会いするチャンスがあって、お話しする時間がありましたら質問してみたいと今は思って居ます。未来にこれ以上インパクトがある出来事があったらそれに押されて忘れちゃう可能性が有るのが心配ですが。(-_-)

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

治療体験記 後日編-3 顕在意識について

予定を変更して、顕在意識について書きます

泡宇宙について書くと予告したんですが、1つ記事を書くと思考が展開してしまって、予定を変更してこちらの記事を先にアップします。

最初に感謝の気持ちを書きたい

松原先生

そして、私がとっても気にしていることは、治療体験記の「後日編」なので、要するに私が個人的に勝手に感じたり考えている通常モードのスタンスなのですが、タイトルに「後日編」とは書いているものの、「治療体験記」という頭をつけてしまったために松原先生にご迷惑がかかってしまってはイヤだな。と心配している最中です。

私は松原先生の治療で頭蓋骨の中全部透明感、中でも生まれて初めて感じた「目の後ろ解放感」を体験させていただきましたが、CBSの理念とか、治療方法については何も存じ上げないので、(もう治療・施術自体は終わったでしょ? ブログにあんなこと書かれたら困るわ~)とご迷惑でしたら記事を削除しますとはお伝えしているのですが・・・。

本間先生

それは私がキネシオロジーを学んだ本間先生も同じで、基本本間先生は受講生や弟子(HSKは師弟制度はないのですが)のような立場のような方達に圧をかけて叱ることも無ければ、大勢が要る中で「だからあなたはダメなんだ」というような面罵もしない。誰かを馬鹿にするようなことをおっしゃっているのを私は聞いたことが無い。

本間先生のお考えはいろいろあるでしょうが、私がキネシオロジー体験講座を自分でコンテンツを考えて開催していた時も、HSKで習った事を他の施術と融合させたりすることも自由にさせてくれている私にとっては本当に有り難い先生です。 もしこれが、枠に入れ枠に入れ、俺の言う事を聞け、俺がルールブックだというような先生とは私は本当に合わない。いやもう、本当に相性が悪いわけです。本間先生も先生自身のご意見はおっしゃいますが、でも、本間先生だからこそ、私が自由に推考し、もし先生と違う意見をコラムやブログに書いていても(オレ、そんなこと言ってないよな? しょーがねえな。まっいっか)と泳がしておいてくださっている感があって、実際にはほぼお会いしない(先生はLA在住なので)のですが、私が勝手に都合よく解釈して「自由に泳がしていただいている」と感じています。

 

私はいろんな面で恵まれているとしばしば感じます。 色んな方が私に対して、コラ! と言いたい時もあるだろうとは思うんですよ。そこをあえて自由にさせて下さって、私の個人研究を見守ってくださる先生方に恵まれているということにただただ感謝しております。

ありがとうございます。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

心配する事なかれ

潜在意識が仮に煩悩たっぷりだとしても心配する事なかれ

理由その1 ただの一個人の仮定

潜在意識が仮に煩悩たっぷりだとしたら? というのは私のただの仮定の話だからです。

貴方が(そんなのは違う!)と思われるのなら、それを信じればいい。

もし、え!? 今まで信じていたことは何だったの? とグラグラするのでしたら、自分なりの考え方を再構築してまとめたら良いだけですよね(^^)

理由その2 ずっとそれでやってきてる

前回の記事を仮定として展開していくと

潜在意識が本当の自分。というのは逆に正しいというまたまたシュールな気づきがあった。

 

それをおっしゃっている趣旨とは違ってきますが

ヒトには煩悩デフォルトとなると、

潜在意識に煩悩があるのもデフォルト案とピッタリ一致してしまう。そして、どうやら顕在意識ウソ説を唱えている方は、煩悩(欲?)=嘘 という立ち位置なのかな?と気がついた。

 

すると、この考え方では

顕在意識も嘘をつき、潜在意識も嘘をつくというトンデモナイ パンドラの箱オープン案件となる。

 

しかし、なんだかんだこれでやってきてる。これで「うまくいった!」「願いが叶った!」と感じている方も多い。

顕在意識も嘘をつき、潜在意識も嘘をつこうが

顕在意識が本当で、潜在意識も本当でも、

これらの組み合わせが様々でも、

仮定がどうであろうと、結局のところこれでやってきている。なんだかんだおさまっているってことですよね?

 

ただ、自分が受け取りやすい(受け取りたい)考え方をチョイスしているだけで。

多分、これこそ各々が顕在意識や潜在意識でチョイスしているんだと思いますよ。信じたいものを信じるってそういう一面を指していると感じます。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

理由その3 逃げ道もある

しかし、従来からお伝えしている

一応私がしっくりきている

潜在意識と顕在意識は両輪の輪

ということでは、別に全然パンドラの箱案件にはならない。

 

なぜなら、私の場合はストレスケアがメインでして

ストレスを感じやすいのが顕在意識と潜在意識のアンバランスによるとするならば、この2つのバランスを整えるという趣旨だからです。

 

どちらも煩悩まみれだとしても、2つがバランスが整っていたら

生きづらさ

みたいな感覚は少し楽になる。

なんなら、その煩悩を逆にバネ板みたいに利用してジャンプできる。

 

修行思想風味の煩悩撲滅運動には今現在興味がないので、私はこれで良い。

 

運良く与えられた生命を、自分なりに生きていける。周りに流されるのもそれが自分なりかもしれないし、損するほど頑固でもそれも自分なりの人生。幸運のヒロインも悲劇のヒロインも自分なりの感性で創造していける。

教えや法則ありきで、その枠の中に生きるのも人生。その枠の中で優秀と褒め称えられたい渇望があるのも人生。

 

ただ、こう言ったことを考えるのは顕在意識だとは思う。

上野和人先生がFacebookに、「思考は人生です」と書かれているのを拝見して、なるほど!と思った。

そうか、顕在意識って、それを「人生」と変換できるもんだなぁって。

 

自分なりに理解した教えや法則という枠に従った人生もあるし、そう言ったものを自分なりに考えて構築していく人生もある。

 

しかし、顕在意識ウソ説では、人生がウソになってしまう。

これは悲しい。

私は潜在意識が煩悩まみれだと考えても特に悲しくはないが、自分で考えている人生がウソだと言われる方が悲しい。もしそれが不本意だと感じていたとしても、大切な人生には変わりない。不本意ななりに精一杯やってることもある。

 

考えは出会いや時期によって変化していく。

私も変わってきた。

ものすごく考えたりしたけど、今が人生で一番しっくりきてる。

独特の生きづらさ感も今はない。

 

それは1つに、

自分が囚われてる枠(思想や価値観)などについて、顕在意識で考えて、気づいて、顕在意識でストレスケアする箇所を考えて、顕在意識、潜在意識のストレスケアを行なってきたことも大きい。

そして、今の私は、今の私がウソだという寄る辺なさは感じていない。

多分これが潜在意識と顕在意識のバランスがおおむね整っている状態ではないかと思っている。

 

だから、煩悩の有無は気にならなくて、機嫌良く過ごしてる。

 

あってもいいし(有るだろうし)、なくてもいい。という事は、「煩悩」という思想に興味がないという状態なのかもしれません。 (違う意味で煩悩から解き放たれたか?(笑))

 

今書いて気がついたのは、

これは、この状態は、はるか昔の私が渇望して、顕在意識総動員でめちゃくちゃ考えた結果でもあることを。

認知して、考えて、行動修正や考え方を修正していったチリツモ(地理も積もれば)でもあります。その時感じていたストレスをケアしてきたことが、気がつけば花が咲いて実をつけていた感じ。

 

Lucky!

NickによるPixabayからの画像

 

最後に

冒頭で先生方に感謝の気持ちを表したので、今回の最後は自分に感謝したい。

過去の自分よありがとう。

今の自分ありがとう。

未来の自分ありがとう。

 

こんなことが素直に思えるときが来たことが本当に嬉しい。

皆様、ありがとうございます。

 

治療体験記 後日編-2 煩悩で煩悩を制す?

実は、今回は「泡宇宙」ということについて書くつもりでしたが、前回のブログを書いて、寝て、起きて、昨日のブログに関連することなどをなんとなく思い巡らしていたら、頭に文章が浮かんだんですね。それキッカケで変なスイッチが入っちゃったので、予定を変更して忘れないうちに書きます。

煩悩で煩悩を制す?

シュールな気づき

煩悩トラップという仮定をした時に

昨日の記事はこちら

治療体験記 後日編-1 煩悩トラップ

 

煩悩という定義を正しく理解していない、ニュアンス理解の私が書いた記事です。

という私が今日も書いています。

 

昨日も書いたように、ドリーン・バーチュー氏がおっしゃったという、「サタンの声」というキーワードを私はなんとなくずっと考えて居る様なんですね。

会った事もないドリーン・バーチュー氏の思考・感性について興味を持ったんだということです。

で、「引き寄せの法則もサタンの声か~」と思った私も、この情報を目にした時に既に「引き寄せたい」「引き寄せよう」と考えること・意図をもったことはやめていたからこそ、あら?同じ意見の別の方もいらっしゃったのね。というように感じて、はっきり書けないけど「わかるような気がする」という感覚だけがあった。そこを昨日ちょっと紐解けた気がしてスッキリしたんです。

 

これらの考え方が正解か不正解かはわかりませんが、今日はこの考え方をした場合に展開したその他のことを書きたい。

やり方が悪いから引き寄せられないんだ。というさらなるトラップ

これに気がついた時に、あ! と思いましたよ。

「やり方が悪いから引き寄せられない」って言ってる方って多いような気がする。

すると、「何が正解?」「どうすればいいの?」と身をグッと乗り出すのが人情。

ここで一層ガッチリと足首を掴まれるようなシステムというか、仕組みに結果なっちゃっているんだな~って思った。

 

「〇〇」を使うと、「〇〇」に行くと、「〇〇」に会うと、「〇〇」すると、上手く引き寄せられるよ。という新しいルールを創る方もいる。そのルールも煩悩が創っている。

と仮定すると、なんというか・・・・入れ子の箱がまた頭に浮かんだ。

 

朝ご飯食べよ~と台所に立っていた時に。(笑)

 

あくまで、引き寄せの法則を煩悩トラップと仮定した時の話ですが、私にはこれらが

「煩悩を煩悩で制している」ようなとってもシュールな図に見えてしまった。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

が、自分の違和感や疑問が解けた気がしてスッキリはした。

 

潜在意識を見直してみたら

そうなると、私も以前は信じて行っていた「潜在意識に引き寄せたいことを落とし込む」というようなことはどうなるんだろう? とここは開けてはいけないパンドラの箱感がとってもするんだけど考えてみた。

 

そして、自分でも驚きの簡単な答えが頭に浮かんだ。

 

潜在意識が煩悩では? という言葉が浮かんだ時は非常にしっくり来た。今は。

 

そういえば、潜在意識=純粋(煩悩の対比語としてご理解ください)って誰が決めたんだっけ?

私は、潜在意識って身体の反応の1つであるということは非常に納得しています。

それはですね、著作権があるでしょうから図を貼らずにリンクをはりますが、私の好きな自律神経系統図(https://www.zeniryoki.co.jp/?p=2923)を見ると私にはなんだか素直に納得できるんですね。

 

が、潜在意識の理解って、集合意識とか、ミラーニューロンとかも加わっていますでしょ?

そこに煩悩が無い訳ない。みたいに考えると、潜在意識には煩悩が入っててデフォルトでは?みたいな気づきがありました。

 

何度も書きますが、これは私が勝手に「仮定」に基づいて書いているものです。

 

情報を分断して考える? 統合して考える?

と、ここまで書いてきたことが頭に浮かんじゃったもんですから、変なスイッチが入って朝ごはんを食べる前からPCに向かっちゃいました。

 

私自身、前回書いたような脳の傾向があるので、

  • 煩悩は煩悩の話
  • 引き寄せは引き寄せの話
  • 潜在意識は潜在意識の話

みたいに分断してあまり考えない。

 

大袈裟に例えるのなら、

これは、ゴミ問題を町内の話題とするのか?、地球規模の話題にするのか?というようなことかな?違うかな?

 

私のちっぽけな脳の中にアレモコレモなんとなくおさまっていく際に、融合させたり統合させたりしながらコンパクト?に収めていくような行為をしているのかも知れない。しっくりくるとか、腑に落ちないというような違和感が出てくると「見直す」ようなことを勝手にしているみたい。これこそ自動思考だと思う。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

だから時間がかかる。

牛の反芻時間は6~10時間らしいが、私はそれこそ無意識下でこれ以上やってるはずだ。

 

 

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアについて

そんなこんなもあって、私はシンプルな心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアに現在行きついております。セルフケアもアイテムなどは使わないシンプルなやり方を好んでいますし、お伝えしています。

メッセージ云々という「思想」もお好きなら取り入れたら良いが、私が行うセッションには使わない。セルフケアにも私は使わないし、受講生さんにはメッセージやカード類などを使わない方法をお伝えしています。

 

煩悩で煩悩はバランス調整できるのか?

私がどんどんシンプルになっていったのは、今日のようにクッキリと意識に登る前から

煩悩で煩悩はバランス調整できるのか?

と疑問に思って居たような気がしてきた。(後付けか?)

 

私のキネシオロジー仲間はもう5年?もっと前?から、「心理は心理でバランス調整できない。」と言っていた。何年も前に聞いた時も彼女が言わんとしていることが分かったつもりにはなったものの、がしかし、その意味が今日ようやく最大限に理解できた気がする。表現が違うけど、「心理は思想ではバランス調整できない」と意味合いは似ているんじゃないかな。

 

セッションで対話はしますが、煩悩VS煩悩みたくならないように、身体の反応をどんどん整えていくという方法を選択しています。

 

しかし、対話や傾聴で随分とヒトは変わることもやっぱりある。楽になる時もある。だからこれも大切にしています。

人間対人間ということでシンプルにやりたいと思っています。

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

最後に

毎回書きます。

本当に本当に、人生でどんな思想、嗜好をチョイスするのかは様々です。

機嫌よく過ごして頂いたら嬉しいです。

 

私の書く内容で気分を害したり、ガッカリするような事があれば、もう読まないでください。

気分を害するものを読むために時間を使うのは勿体ない。

 

皆様の人生が朗らかでありますように。(^^)

 

次回は予定通り「泡宇宙」について書くつもりですが、内容はほとんどなくて超短いブログの予定です。

治療体験記 後日編-1 煩悩トラップ

混同しがちなところ

本日時間があるので、どんどん書いていきます!

まずはこちら ↓ の記事の補足からスタートです。

治療体験記 首から下編

 

精神性ではなくて、ただの脳の傾向

私の書き方が悪かった

自分でも、ふわっとしない感じが不思議だなぁと思ったのですが、きっと、1回目の通過儀礼は通過したのかな?程度に受け止めました。多分生涯こういった通過儀礼はやってくるでしょうからあと何回有るのか不明ですが、只今のところは根がはれているいるのかな? 第1チャクラが健康な状態なのかな?と受け止める事にしました。

一応、日頃セルフケアしてるんで(^^)

と書きました。

トラップ云々も書きました。

 

が、自分の書いた文章を読み返して、(違うな)と思ったところを補足したいです。

 

というのも、私のような表現をすると、ふわっとするのは精神性や「誘惑」みたいなことに弱いというようなニュアンスに受け取れる。

そういった一面も影響するケースもあるが、私の場合はこういった事への耐性として「強さ」があるということではないことに気がついた。

 

何かしらの鍛錬をした結果、強くなり耐性がついたということではない。

ただの脳の傾向

じゃあ、私の場合は、こういった方面について割とどっぷり浸かったとしても、スッと離れることができたりすることがあるその理由は? (とは言っても、お菓子も食べれば、物欲もある)

簡単です。単なる脳の傾向です。

 

ふわっとする感覚が分からない訳じゃないし、推察する共感性のようなものもあるのでしょうが、多分、私なりに、その事象や知識について脳内の整合性を問う。というような癖があるんだと思う。

 

正解とか不正解ではなくて、「納まり具合」というような感触を内観して確認するような脳の癖があるんだろうと仮定しています。

そして、自分なりに納まるまで、脳内で静かに反芻し続けるようだ。だから、この反芻中に(アレ?)というおかしな部分と感じるところが出てきて、アレ? ナンダカシックリコナイ。ナンダカフニオチナイ。と進行すると、脳内吸収のベルトコンベヤーから外されていくという感じ。

 

それらを信念みたいなところに組み入れるとか、組み入れないとかがその先にあるんだと思う。

jaymethuntによるPixabayからの画像

 

全ての事象や知識の整合性を問うというようなことは当然私の場合はしていませんし、どだいそんなことは私には不可能だと思って居ますが、どこをどの程度組み入れているのかなどはそれこそ無意識下に行っているのでしょう。

 

トラップ?と思われる方も居るかもしれないですが、まぁ分かった風に書くと、煩悩ですかね。選民意識的な事も含んでいるし、虚栄心や承認欲求、優越感みたいなあたりでしょうか。そもそもの第1チャクラ辺りを試されるというような捉えかたもしようと思えばできるというようなジャンルのお話です。(あくまでも、わかった風に書くと)

 

特にこの部分、トラップとか書いたのは良くなかったな~と思って居たところに、ふと別のことに気がつきました。

煩悩トラップ

この煩悩トラップという言葉の語呂があまりに良すぎて、気に入ってしまいました。

 

私は宗教家ではないので、煩悩の正しい定義は存じ上げませんので違っていたら申し訳ありません。と最初に断ります。

もう1つ最初に断っておきたいのは、私は引き寄せの法則というものは好きでも嫌いでもありません。お好きな方はその法則が本当にあるのなら(私は正解を知りません)利用したらいいだろうし、研究されたら良いと思う。

私が興味があるのは、引き寄せの法則という定義?思想?に対する人間の心の動き、精神性、感情への影響ということに興味がある。

 

引き寄せって、まんま煩悩ってことよね?

今の私は、煩悩というものは有って当たり前だし、無くしたり抑えたりできるの?とそもそも懐疑的だし、煩悩との付き合い方次第というか、煩悩も使いよう(怒りという感情も目的達成の原動力に使ったりするように)という受け止め方をしています。または、別に煩悩を使わなくてもいいし。

人間ってそういうものよね。と。

 

だから、ストレスケアについては興味がありますが、とある反応や状態を仏教風味を加えて煩悩と表現するそれ自体については、先ほど引き寄せの法則に対する受け止め方と同じく熱量が湧かないというか、もう枯れたというか。

 

しかし、多種多様な信仰について信心がある方も、引き寄せの法則は使いたいというダブルバインド。

私はこんなところに非常に興味がある。

そして、こんな単純なことがスコトーマみたくなってて、自分の違和感は感じるけど、その理由がわからないという気持ち悪さから本日解放されました。違和感の正体がわかって、また1mm楽になった。

 

ダブルバインドなどは世の中にあふれているし、これについても良いも悪いもないんですが、小さいけど妙に気になる探し物が見つかった感じでちょっと嬉しい(笑)

 

私の引き寄せの法則の解釈に感情は関係ない

下の記事の中に「引き寄せの法則」って磁場のこと? みたいなことを書いた。

もちろん正解は知らない。

少量のメモ書き

ただ、私が あっ! こーゆーこと?? となんとなく腑に落ちた感覚には、よく言われている「わくわく」とかは一切ない。感情関係ない。

 

仕組みというか、チカラの使い方(って拡大解釈しないでね)、働き方にしか意識を向けていない。

これは煩悩トラップを避けた方法なのだろうか? って、引き寄せが完成・完了していないのでただの思考のもて遊びにすぎませんが。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像

何回登場すんねん。ドリーン・バーチュー氏

サタンの声の意味

なんどもご登壇いただくドリーン・バーチュー氏。

ご自分が創られたオラクルカードのみならず、引き寄せの法則についても「サタンの声」というか、信じてはいけません!と現在おっしゃっていると伝聞で知りましたが、それを知った時に(自分で作ったオラクルカードについて意見が変わるのはそれとして、引き寄せの法則もか。思考展開もなんとなくしかわからないけどスピリチュアル系大否定なんだな)と受け止めていた。

しかし、本日私がスターバックスの駐車場で口にした「煩悩トラップ」という視点に立つと、

(なるほど、信仰心のスジを通すと、確かにサタンの声ってことになるんだな~)とドリーン・バーチュー氏の発言(したらしい)の展開が理解できた気がした。

 

キリスト教にも煩悩を意味する言葉か、考え方があって、「サタンの声」というのはその表現の1つなのかな?と。

 

これも(あ! そういうこと?!)とスッキリ感を増した理由だ。

 

〆の言葉はいつも同じ

今回は治療体験記を書くことで、ナンダカフニオチナイ。と思って居たことがクッキリしたことをご報告しました。

ちょっと書き方が悪かったな~ということに端を発しました。

 

煩悩も引き寄せの法則もそれぞれの人生のお好みです。

これだけはいつも書いておきたくなります。

 

 

今はこの写真の頃とは眼鏡も髪形も変わっています。

 

治療体験記 首から上編

頭部に感じたこと

頭部の解説にこちらのイラストを使わせて頂きます

治療体験記 首から下編

こちらの記事の続きです。

本日は首から上、頭部編です。

 

イラストを描いて解説したいが、イラストを描いていないというジレンマはフリー素材屋さんが解消してくれました。

イラストに「大泉門」「小泉門」と書いてあったのですが、私が頭部に感じた変化がこの部位というか名称の指す部分と関係しているから採用したわけではありません。日頃「大泉門」「小泉門」ということを意識していないから、そういう感じ方はしていません。しかし、このイラストは使いやすいため使わせて頂いてます。

 

大泉門と小泉門のイラスト(横から)

 

↓の頭部を上から見たイラストも非常に今回お伝えしたい感覚に使いやすい。

目の後ろもスッキリ♪

最初

前回身体に感じた軽さを最初は後頭部に感じ始めました。

確か、身体が先に「軽いな~」と感じて、その次に頭部に軽さを感じたと記憶しています。

そしてこの時の後頭部感は上から見るとAの部分を指しているわけですが、前回膝から上までが軽いと感じた時と同様(後頭部だけじゃなくて顔、前面まで軽くなったらいいな~)と思うのが人情。

しかし、自分でどうにかできるものではないのでそのまま後頭部Aの軽さと、前面Bの重さを感じていました。

徐々に

あ!軽さがおでこ辺りまで広がってきたぞ!と感覚が変化しました。

で、この時、一番感じた事は周りが軽くなっただけに一層(目の後ろが重いな~。ここがスッキリしたらさぞかし心地よいだろうな~)というものでした。

 

もういっちょう 軽さ広がれ! と思う感じ。

しかし実際の私は黙ったまま施術ベッドに仰向けになって横になっていました。

目の後ろが軽い! そして首から上全部軽い!

軽くなった瞬間があったというより、気がついたら軽かった。

数秒? 数十秒? 数分? の間の変化です。

ついにBの前面、全てが軽くなった(祝) これはとっても気持ちの良い感覚でした。

身体も軽い! 頭も軽い!

 

外側は皮膚だけで、中身は空気みたいな軽さ。

これを書いている今は、この時から数日たっていますが、あの「軽い!」という嬉しさは覚えていますが、あの感覚はもう少し遠ざかってる。

相変わらず軽いのかどうかが分からなくなってる感じ。軽いのが当たり前になってしまったのか、また日々の生活で重さを取り戻しているのか判断がつきません。

 

しかし、あの時の目の後ろの軽さが「嬉しい! 気持ちいい! スッキリの10乗!」というのは脳に刻まれた。多分、生まれて初めての感覚だったんだと思う。強度の近視だし、割と早めに近視が出始めたので、近視独特の目の奥の重さみたいなものってあると思うんですよ。

それは、目が疲れるとか、目の奥が重いとかいう日頃の生活で感じる体感覚の重さの根底にいつもあり続けてきたものだから、表層の目の疲れとか、目の重さがスッキリする事はあっても、その根底の重さみたいなものが軽くなった感覚を得た事がこれまで無かったことに気がつきました。

その位、根こそぎ軽くなった感じがした。

 

ついさっき

” 相変わらず軽いのかどうかが分からなくなってる感じ。軽いのが当たり前になってしまったのか、また日々の生活で重さを取り戻しているのか判断がつきません。 ”

と書きましたが、目の軽さについて書いている今、やっぱりまだ頭の中や目の後ろが軽いと感じます。それに気がつくとまだ身体も軽いことにも気がついた。

 

ありがたや、ありがたや。

松原先生、ありがとうございました。

また治療、施術を受けに伺います。

 

まだ続くよ

感覚については今回で書き終えました。

  • 治療、施術を受けた後考えた事や、
  • 松原先生とほんの少しお話したことで私が勝手に感じたような気がしたこと、
  • 今回の記事を書くことで気がついたことがあるので

また続編を書きます。

 

治療体験記 首から下編

体内感覚について書くよ

またまた長い前置き

治療中の体感覚をブログに書こうと思って居たのですが、前回は脳内映像について備忘録を書きました。

無限大 ∞ という枠

 

今回は、最初から予定していた体感覚について書きます。

治療、施術を受けている最中には、少しだけ言葉にして松原先生に伝えましたが、今回(あぁ これは書いておこう)と思う事に関しては後に出てくる左右差感以外はお伝えしませんでした。

 

私も、心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアを始めたからこそ感じることがあり、それまでの生活での感性とはまた少し違う扉が開いたので、自分の頭の整理目的もあってまた違うブログに不思議体験を書いている時期もありました。が、なんでも慣れるもので、慣れるとまた感性が変わったりするようで、そういった不思議体験の受容体が次なる脳内統合へと進化したのか、また感性が変わってきました。自分では、(ある程度体験したのでそれ以上のものが現れたらまた反応するかもね)という感じなので、きっとあれらの不思議体験は通過儀礼のような意味だったんだろうと今は捉えています。なんらかの脳内シナプスの開通の儀に含まれているというような。

そこを通過したくない方はずっとそこに居て、不思議体験のようなものに執着しなければ通過していくという感じではないだろうか? そう思うと、考えようによってはこれら不思議体験も1つのトラップのようなものかもしれませんね。

トラップ?と思われる方も居るかもしれないですが、まぁ分かった風に書くと、煩悩ですかね。選民意識的な事も含んでいるし、虚栄心や承認欲求、優越感みたいなあたりでしょうか。そもそもの第1チャクラ辺りを試されるというような捉えかたもしようと思えばできるというようなジャンルのお話です。(あくまでも、わかった風に書くと)

そう、何周も回ってきての第1チャクラみたいな感じ。無限大入れ子の箱方式なんで。(笑)

 

本当にお陰様で、

幾つもの銀河を含んだ広大な宇宙全体 ⊂(含む) マルチバース

などという見たことも聞いたこともない視点を得ても(正解とは書いていませんよ。あくまで「視点」です)、既に通過儀礼を通過したせいなのか、生活も思考も通常運行です。

特に何も変わりません。

機嫌よく散歩して、ヒト様とのコミュニケーションを楽しいと感じています。

食事が豪華になることも質素になることもない。

東洋医学的に「平」な感覚です。

自分でも、ふわっとしない感じが不思議だなぁと思ったのですが、きっと、1回目の通過儀礼は通過したのかな?程度に受け止めました。多分生涯こういった通過儀礼はやってくるでしょうからあと何回有るのか不明ですが、只今のところは根がはれているいるのかな? 第1チャクラが健康な状態なのかな?と受け止める事にしました。

一応、日頃セルフケアしてるんで(^^)

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

ここからが本題

身体について

イラストが描けてないから記事をアップするのに時間がかかると報告していましたが、医療系の素材を提供されているサイトを思い出しましたので、そのイラストに上から説明を加筆します。

 

そもそも、沖縄から東京に移動して、土地勘のない場所のホテルに泊まり、そしてまた土地勘のない松原先生の治療室へ移動。そして初めて松原先生にお会いしたわけです。

疲れるんですよね。移動って。

 

今回は、友人のお祝いがそもそもの上京理由で、そこに数年前から「松原先生にご挨拶に伺います」と勝手に宣言していたことが治療の予約が取れることで叶いましたので、前日も疲れが増さないように早めに寝ました。

全体的な調整

私はあまりアレコレ聞かないタイプで、お任せするんですよ。

「今はこれは何をしているんですか?」とかまず聞かない。まな板の上の鯉。施術ベッドの上の武田。

元々私はCBSという団体の門下生ではないので、聞いても上辺の方しかわからないし、それは他で治療や施術を受けたとしても、先生が何をしているのか?には神経を注がず、自分がどう感じるのか?(感じなくてもOK)にしか意識を基本向けていません。

しかし、

先生が何をしているのか?に意識を向けて居なくても、なんとなく伝わってくることや感じる事ってちょっとはありそうなものなのですが、松原先生は透明感がハンパなくて、「感じない」という感じ。

昔気功の先生をしていた友人が「気が細かい」という表現をしているのを聞いたことがあるのですが、あのような透明感というのは「気が細かい」という現れなのだろうか?と後から思いつきました。

ということもあり、全てお任せでしたが、最後に松原先生がおっしゃったのは、「今回は初診でしたので、何かに特化して治療というよりは全体的な調整を行いました」ということでした。

その全体的な調整中に感じた事を書くつもりで今文章をかいていますが、また違う前置きがながくなってますよね!?

これらもすべて含めて私が治療を通して感じた事なのでお付き合い宜しくお願いいたします。

 

首から下の身体で実際に感じた事

治療室で準備して頂いている衣類に着替えて、こんな状態(時にはうつぶせ)で施術ベッドの上に横になりまして治療、施術を受けたのですが、

左右について

ちょっと前後しているかもしれませんけれど、

途中、左が伸び伸びして、右が委縮している感じがしていました。だから身体がねじれているように感じるアノ感覚がありましたが、松原先生が何かされた後に左右がそろって、左右ともノビノビしました。祝

なにをどのようにバランス調整されたのかお聞きしていませんが、それによってリンパが調整されたのかもしれませんが、実際のところはわかりません。

中心から末端へ

最初に、ふと、あ!体の中心みたいなところが軽いな~と気がつきました。

 

少ししたら、軽い部分が広がっていた。太もも(膝上)辺りまで軽い。

 

こうなると、膝下まで軽くなった感覚を得たくなるのですが、妄想でその感覚を創り出してまで得たいものではないのでそのままにしておいた。

 

そして、ふと気がついたら先ほど書いた左右もそろってノビノビしているし、身体の中心から広がった軽さは足の指先1本1本まで行き届いていました。

ラッキー!

 

というところまでが治療体験記 首から下編でした。

 

私が心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの施術者となっているときに、今回私に起きた変化と似たようなことがクライアントさんに起きた時に、その変化に共鳴して、その感覚を脳内で疑似体験しているような気持になるときがあるのですが、あの疑似体験感もあながち遠くないなとも感じました。

断り書き

今回、私が感じた事を書いていますが、別に何にも感じないのもデフォルトです。

感じることが優れているわけでは無くて、感じやすい脳の傾向があるというだけの話。

私は元から内観みたいなことが習慣になっているようなので、その一環です。

 

感じた方が良いのか?と勘違いされて、妄想や憑依みたいなことに進まれることは全力で止めたいけれども、選択は個人の手中にあります。

 

こういったことを書くのも良し悪しだと理解した上で、でも書いているのは、

治療や施術について、受けている側が ??? と思っても、身体は変化しているということをお伝え出来たら良いなぁと思って居ます。

 

理解していない。理解できない。ということは怖いことでもないし、劣っていることでも無いし、「我」みたいなことが薄まった方が良い時もあるし、堅固なときが良い時もある。

そんなこんなもひっくるめて、バランス調整というストレスケアを生活に取り入れて貰えたら生き易くなってくると思っています。

 

次回は「首から上編」です。

大泉門と小泉門のイラスト(横から)

サイトをお知らせします

こちらが松原先生の営まれている松原治療室のサイトのリンクです。予約制です。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~CBA/

 

 

余談

「堅固」と書きたくて、キーボードに「けんこ」と入力して変換したら漢字が出てこない! Windowsはバカだなぁ 日本語には弱いんだな~と思っていたら・・・なんと!

「けんご」だって。本当は。

バカは私でした。(笑)

 

他にも驚きの発見があったので、一応リンク貼っておきます。

https://cancam.jp/archives/683641

 

無限大 ∞ という枠

あらたな気づき

当たり前のことに気がついた

その1つは「宇宙」という概念

先日、松原先生の施術を受けている最中に沸き起こった脳内映像により、また1つ気づきがありました。

 

端折り過ぎかもしれませんが、少々時間がないので(詳細はまた書くかもしれませんが)簡単に書きます。

 

今まで、当たり前のように

マルチバース ⊂(含む) 宇宙全体

だと考えて居た。

 

その理由は、自分を基準に思考していたからです。

私は今、地球で生活しているという情報と、空に見えている空のその先の果てしないらしい「宇宙」という概念。そして、映画や書籍での解説。などなどにより、私に形成された宇宙という概念があった。

不思議体験があったような気がする事も多いし、それらは「考えたことも無かった」数々の出来事ではあるものの、なんとなく

マルチバース ⊂(含む) 宇宙全体

という概念の中におさまっていた。

beate bachmannによるPixabayからの画像

いや、逆説的でもあるんだけど、ふわっと系スピリチュアルとか宇宙云々とかに全然興味のなかった私が心体カウンセリング™ に含まれている施術などで得た感覚があったからこそ

マルチバース ⊂(含む) 宇宙全体

というような従来からある説に同感したわけでもあるんですが。

 

もう1つは無限大 ∞ という概念

いろいろなことを感じて、考えるようになったからこそ

相似形、フラクタル

のその先の無限大∞入れ子の箱方式と書いたり、無限大マトリョーシカ方式とイメージする

無限大

という言葉も使うようになった。

 

だって、私が普通だと感じる生活をしていたら無限大なんて概念はそんなに必要ない。

スピリチュアル系で無限大という概念を重視する貴兄もいらっしゃるようだが、それについて「別に(興味ない)」というスタンスであれば無限大自体を意識することなどなかった。

 

言葉では「脳力は無限大」と話しますし、確かに才能に限りは無いと思って居ますから比喩的に使いますが、実際の無限大ということは無い訳で。(個人の生命の灯が消える時点で無限大じゃないという意味です)

StockSnapによるPixabayからの画像

ところがどっこい

だから、マルチバースが無限大入れ子の箱方式になっている。という予感を得ても、

マルチバース ⊂(含む) 宇宙全体

という土台の上に立っていた自分に気がついた。

 

そう! 私が気がついたことは、無限大と言いながら、ニュアンスでは「無限大感」は得たつもりになっていたけれども、結局のところは銀河というか、広大な宇宙の中の出来事だと、自分では気がつけないほど信じ込んでいた。

 

もう一度、ますます ところがどっこい

ところが、

こんな思い込みの中で人生を送っていた私が(とは言っても、99%のヒトは同じよね? だって今から書くような事を話しているヒト知らないもの)

 

銀河、果てしない宇宙全体 ⊂(含む) マルチバース

 

という視点を得た。

 

無限大入れ子の箱方式のもう一回り大きな入れ子の箱があった

(◎_◎)

マルチバース ⊂(含む) 銀河、果てしない宇宙全体

かつ

銀河、果てしない宇宙全体 ⊂(含む) マルチバース

という、どこまでが入れ子の箱? という広がりを得た。

 

そう、もういっちょう上というか、大きな仕組みがある???!!! という視点に立った時に、

マルチバース ⊂(含む) 銀河、果てしない宇宙全体

という視点では、無限大と言いながら やっぱり枠があった。

だけど気がつけなかった。

 

しかし、

銀河、果てしない宇宙全体 ⊂(含む) マルチバース

となると 無限大に一歩近づいた感じがしたのです。

 

これはびっくりした。

 

目からウロコが1,000枚落ちた(笑)

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

もう一度 書きますが

冒頭に、

” 松原先生の施術を受けている最中に沸き起こった脳内映像により、また1つ気づきがありました。 ”

と書きました。

 

施術を受けている最中に、一瞬、脳内で観えた映像については、その時は

(こんなことある???)

とだけ思った。

 

だって、それまで考えたこともないし、自分の視点に気がついてない訳だから。

 

今回記事に書いたような事は、

(アレって・・・・)

と脳内映像を私のちっぽけな脳で変換して文章化したに過ぎません。

 

生きていると興味深いことが多いのですが、今回のこの体験も非常に興味深い感覚として心のノートと、このブログに書きました。(笑)

 

元々書きたかった治療・施術の体験記については、まだ1つもイラストが描けていないので、しばらく先になります。お待ちくださいませませ。

 

サイトをお知らせします

こちらが松原先生の営まれている松原治療室のサイトのリンクです。予約制です。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~CBA/

 

 

 

 

少量のメモ書き

なぜ わざわざ少量?

しっかり書いてよ!

こちらのブログに

肉体の記憶 その後の変化について

 

” で、いきなりなんですが、この「磁場の働き方」「磁場の実際の感覚」みたいな、具体性と感じたこの感覚について何となく考えを巡らしていたら、ふと

(引き寄せって磁場のことなのかな? 磁場を利用しているということを「波動」というなんだか耳障りのいいニュアンスに変換されているのかな?)

なんて思った。 ”

という一文を書きました。

 

 

” 実際のところ、言葉が違うだけで「波動=磁場」とは思うんですが、でも「波動」と伝えられるとなんだかやっぱり本質とは違うようにしか伝わらないんじゃないかな? なんて思ったりもした。 ”

 

このあと、またなんとなく違いを考えてみた。

 

言葉の解釈はヒトそれぞれだし、イメージもヒトそれぞれなので、じゃあ私はどんな感覚なのかな? と考えていました。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

なぜ電気を帯びると理解しやすいのか?

やはりキーワードは「電気」のようです。それが意味するところは、

  • 方向がある
  • 動きがある

と私は捉えているようです。

Carroll MacDonaldによるPixabayからの画像

 

こんなことが理解できたので、瞑想じゃなくて多分イメージワークになるんだろうことを試しにやってみました。

 

そしたら、今まで「引き寄せ」という言葉や、それらを語っている文章やヒトの言葉からはさっぱり腑に落ちなかったことがあっさりクリアして誰よりも私自身が驚きました。

 

そうですね。

言葉にするなら「あら?! こんなに簡単に?」という感じ。

 

ゼンゼンフチオチナイ、ナンダカフニオチナイの「壁」

え~~~~引き寄せってどうやんの? とか、

ワクワクしても変わんないけど? とか

おまじないみたいなこともした方がいいのかな? とか

特定の儀式みたいなこともやれって言うし・・

みたいな面倒くさい、胡散臭いと私が感じてしまう、どこかのだれかが勝手に加えたテクニックの数々に対する(シンプルにワクワクとかじゃないじゃん)みたいなゼンゼンフチオチナイというその理由が、

結局引き寄せってテクニックなの??

とちょっと眉間にシワより気味で斜に構えていた。

 

いやいや、書籍とか世の中の「引き寄せ広める派」はテクニックの話をしているから凄い量のファンがいることは知ってはいるんだけど、それこそ見えていないスコトーマ(盲点)があるという存在だけは察知しているようななんとも言えない感じがするんですよね。スコトーマだけに認知できないもどかしさも併せて。

 

最初は(へぇ~)と素直に受けていた情報が、補足情報が入れば入るほど(なんか どっかがオカシクナイ?)いう腑の落ちなさにつながったんだけど、そこがあっさりとクリアになりました。

多分思考の壁を1つ超えたんだと思う。

このナンダカフニオチナイ感を、「あら?! こんなに簡単に?」とスッと超えた感覚が面白かった。(笑)

 

勘違いされないようにちゃんと書きますが、「引き寄せ方が分かった」と書いているわけではありません。この文章の趣旨は「各々が、聞いたり読んだりしたことをわかった気持ちになっている時、理解はしていなくても憑依型みたく雰囲気に酔っているから分かった気がするときと、説明には無くても自分なりに理解しやすいルートを脳や心や身体に開通させるのは全然違う」という私の体感を書いています。

 

できたのか? できなかったのか?

で、お読みの方は、結果引き寄せ出来たのか? できなかったのか? だけに興味があるかもしれませんが、

答えは私にはわかりません。

 

それが分かるのが1日後なのか?

1週間後なのか?

10年後なのか?

生きているうちにはわからないのか?

 

また経過観察してみます(^^)

 

追記)

メモ書きだけでアップするつもりが、少量ではなくて、まぁまぁ文章を書いたので良しとします。

上品!

友人の「お祝い」という目的があって上京を計画しました。飛行機を手配した後、そこに、業界の先生にご挨拶する&自分も治療、施術を受けるという目的もプラスしました。

その体験記を書くのですが、図解のイラストも描きたいし、沖縄での予定もあって、アップするまでもう少々お時間頂きます。下書きに入っていた記事を先にアップします。

2023/04/15

お美しい!

所作も!

マダムだなぁ~と思って拝見しました。

 

そりゃあ 確信されるでしょうね(^^)

センスも素敵!

 

肉体の記憶 その後の変化について

最初に書きますが、いつもならとっくに寝ている時間にこれを書いています。劇眠です。ゲキネムと読んでください。エミネムみたいね。

今書かないと、また数日(書かなきゃ)と気になってしまうので、老骨に鞭打って書いています。明日も超早くから活動開始なんです。

頭の中は(眠い)(明日の準備)のこの2つで占められています。

と、ついついボヤいてしまいましたが、手短に書いていきます。

この感覚は?

肉体から離れた?

こちらのブログに書いたり、続編をホームページに書いたりして行ったり来たりして読みづらくて申し訳ありませんが、一旦こちらに概略を書いて、このあと詳細を書くようなことがあるようならまたホームページに書きます。

 

下の記事の続きがあったので覚書も兼ねて書きます。

肉体の記憶も変わる

 

そう、舌の表面が「感情に反応」していることを感じて、その反応する範囲が狭くなり、舌の先っちょだけになった。小さくなったとご報告済みです。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

なんと! ここからまた進化、変化したのである。

ついに肉体から離れた?

そうなんです。

舌の表面から離れたんです。

 

口を閉じているとこんな感じ。

特定の感情が反応するシーン(過去の記憶がフッと頭によぎった瞬間)に瞬間的に連動して身体にも反応が現れているのですが、

その反応が肉体から離れる=無反応(もう反応しない)

になっていないことが非常に興味深いもんだなぁと思っています。

 

えっ!? いつまで反応するの?

しつこいなぁ~ と辟易しながらも、しかし非常に面白い。

 

人間はこのように反応しているんだと思って。

 

磁場?

私の頭に浮かんだのは、「磁場?」というもの。

 

肉体の神経だけが反応しているのなら、「舌」から離れたらもう感じないという可能性が考えられるのに、身体から離れてると感じるこの感覚がオモロイ。

 

よく「オーラ」とかって言うじゃないです。

エーテル体とか、アストラル体という定義もありますし。

 

これらから鑑みて、諸事の反応はやはり本人の身体の周りにも影響しているというか、表出しているというか、そんなことを知識だけじゃなくて、「肉体感覚」として感じたものですから。

 

スピ系の「感覚」というよりも、もっと具体的に感じたのも「ほほぅ」と感じた理由です。

 

引き寄せの感覚?

で、いきなりなんですが、この「磁場の働き方」「磁場の実際の感覚」みたいな、具体性と感じたこの感覚について何となく考えを巡らしていたら、ふと

(引き寄せって磁場のことなのかな? 磁場を利用しているということを「波動」というなんだか耳障りのいいニュアンスに変換されているのかな?)

なんて思った。

 

実際のところ、言葉が違うだけで「波動=磁場」とは思うんですが、でも「波動」と伝えられるとなんだかやっぱり本質とは違うようにしか伝わらないんじゃないかな? なんて思ったりもした。

 

実のところは知らないし、こう思う理由が自分でハッキリわかっているわけじゃないんです。

 

もう少しこの辺りに考えを巡らしてみます。

 

今日の今のところのご報告はここまでです。(^^)