くっきりした境目はあるのか?

最初に「お礼」

Blogやコラムを読んでくださった方が「自分が書いているかのように感じた」と感想を教えてくださったことがありました。嬉しかったです。それは何かそれらしい、良さそうな言葉や話を書いているわけではなくて、心情や感情や想いが表現できていたかな?と感じたからです。

私もなにかを読んだ時に(あぁ 私と同じようなことを感じているヒトがいる)とそれ自体に救いを感じたことがあったし、会ったこともない、それが小説の中の登場人物の言葉だとしても(理解者がこの世の中にいる)とそれもまた救われる思いを抱いたことがあった。

私が書く文章がどなたかのお役に立てるならばそれはとても嬉しいことですが、やっぱりまずは自分のために書いていると思う。書いて思考を整理したり、書いているうちに思いもよらぬ思考展開がおこったり、それこそ閃いたような気がしたり。

私にとっての暖かいご感想をありがございました。

境目ってなんのこと?

イマジナリーフレンドと神

例えばですよ。

信仰を持っておられる方は自分の中で「神と対話」するような感覚があるのかな?と思ったときに、それがイマジナリーフレンドや、神だと思っている怪しげな存在がいたとして、明確な違いってどう判断します?

ご本人から「私のコレは何でしょうか?本当に神でしょうか?」って質問されたりします?神だと信じていたら「本当に神でしょうか?」なんて聞きます? 信じているのに。

 

この部分の簡単な下書きを書いて早2か月?ほど経っているので、この案件に対しての熱量は冷めておりますが、私が何を書きたいのか?というと、「質」「本質」ってなかなかアヤフヤなもんなんだなって思ったんだと思う。(推測)

薄氷の違い? 明確な違い?

薄氷の違い? 明確な違い? どうやって判断してますか?

 

ところで私はそういったものについて、何を頼りにしているだろうか?と考えてみた。正確な答えというよりも、自分がどう感じるのか?というところです。

 

勘・・・勘に頼るって言葉があるもんね。

 

私はこんな時、気配を感じようとする癖があるのは自覚している。聴覚や嗅覚は凄く使うし、「脳裡に言葉を取りに行く」ような感覚もあるし、イルカやコウモリみたいな音波?電波?の跳ね返りみたいなものを感じようとしたり、それにしっくりくる言葉を脳内で探す。改めて考えてみると、目の裏に(脳か?)これらの感覚を集め浮かべて、総合的に判断を下している時がある。

John HainによるPixabayからの画像

 

似たようなことは過去にも書いたことがあるけど、その時の出来事には「言葉を探す」という要素はなかった。「質」「本質」みたいなことになると「言葉」が欠かせないみたいです。

 

いやいや、眠っていた下書きも書き進めてみるもんですね。私が勘を意識して働かせようとするときの感覚器の使い方の1つのパターンを文章化するときがくるとは思っていなかった。

そして、この下書きがまたまた本題の伏線となりそうで自分でビックリしている。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

私がセルフケアに使うのをお休みしたスキルについて

いったん辞めてみた理由

こちらの記事に松果体云々について書きました。

どうもアンバランスが起きていた可能性があるね。と。松果体が過活動、overだった可能性について書いています。

脳汁(な わけないんだけど)

で、自分でそういったoverに関係しそうなこととして、少しの間試しにセルフケアに使っているスキルの影響かな?と推測もした。正確な答えは知らないけど、(ひょっとしてアレの影響かな?)と推測したんです。

 

それが、こちらのブログに書いた、「粒々のモーフィアス」方式。(どんな方式?)

煩悩と楽しみ

 

気配を感じないほどエゴに親和性があるのか?

とあるところにハマっていくと、なにやら怪しくなってくる領域がある。

以前私が(なんか決まりきったようなパターンがあるんだよな~)と記事に書いていたら、多分それを目にしてくださった松原先生が「禅病」という名称があることを遠回しに教えてくださった(と思う)。

そう、なにやら怪しくなってくる領域がある。というのはこういったイメージ。

これらについての私の勝手なイメージを書いてみる。

なにやら怪しくなってくる領域とは?

境目がはっきりしていないが、ヤバイ扉は静かに口をあけている。

mcmurryjulieによるPixabayからの画像

 

そして、気配を消して静かに開いている扉に入ってしまったことにも本人は気が付かない。

それほど境界線がない。

 

なにかしらの「術」のようなものを使えそうな気持にさせるのがトラップなんだと感じている。いろんなエゴが人間にはあるんだけど、そこのエゴは少々厄介が深い。というエリアがあるんだと思えるパターンがある。

 

「エゴとの親和性」と書いたが、書いた自分が天才に感じるほどしっくりくる表現だ。そう、エゴとの親和性がとんでもなく高い案件が実はアチコチに静かに扉を開けているんである。食虫植物みたいに「(人間が)入ってくるのを待つ」という意識や受動性に見せかけた能動性があるのかないのかはわからないけど、信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」というのでしょうか。

 

こういったイメージ。

自分で天才かと悦に入っていますが、読んでくださっている方には伝わっていますか?

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 

 

この領域と松果体

多分、そういったことって松果体に影響するんだと思うから、実験的にやっていたセルフケアも控えめにし始めた。というか、いったん辞めた。(素直なんで。(笑))

 

なんだろうか? あの人間の本能的な危機管理能力をすり抜ける独特の静かさは。

だからハマっていくんだけど。

 

そして、ハマっている自覚が持てないから吸い込まれたら出てきにくい。(ひょっとしてドリーン・バーチュー氏が ハッ(◎_◎) とした感覚ってこういう感じだったのかしら?とまたまた勝手に想像しちゃった。そして、過去記事で書いた4大カリスマ達も???)

磁場は幾つもあるらしい 2

 

と感じることがあるので、今回松原先生に松果体のアンバランスを指摘されてマジ助かった。(先生に対して マジ とか書く失礼をお許しください)

 

興味や研究心よりも、(なんかヤバい可能性ってある? あるかもよ。 あるんじゃない?)と聞こえたような小さな小さな心の声に従うことにした。

立ち止まった今考えていること

扉に吸い込まれかけてというか、自ら足を踏み入れかけて

アレ?

と止まってる。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

その(一度足をとめてみようか)と思えたきっかけはメンテナンスのために受けている施術、治療によるのですが、大いなる幸運でした。

 

私は日々の生活の中でも

あ! 今 護られた!

と ハッとするときがあるのですが(ただの気のせいかもしれません)、今回もまた護られたと理解することにしました。

Jason GohによるPixabayからの画像

 

もう少し詳しく書きたいので、次回に続きます。

 

本日は大枠、プロローグを書きました。