精神保健福祉士・心体カウンセラー™・セラピスト

ヤツは薄っぺらくなりながらも、まだ居る?

ヤツは居た 脳内に(-_-)

気配があったぞ(-_-)

こちらのブログ  ↓ で経過観察すると書きました。

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 体験後個人的感想編

なにを経過観察すると書いたかというと、

で、2023年2月1日今日現在、強くイヤ! とか キライ!とか思う事がないんですけれども、なんだか(あいつまだ脳の中に居るな)という気配が一旦消えた気がする。

「絶対うつりたくない口癖」の発動スイッチが一旦消えた感じがする。

 

と。

しかし! なんと! ちょっと性質を変えて、脳内の居場所をちょっと変えて引き続き生息しているような気がしました。(今日 2023年2月3日現在)

 

怒ってないのに(◎_◎)

そう、別に怒ってなかったけど、食事をした後、流しで食器を洗っている最中に過去の記憶がよみがえった瞬間に、あの「絶対うつりたくない口癖」が すんごく薄く そしてすんごく軽く 頭にフワッとよぎった。

 

えっ!! (◎_◎) と私自身が一番驚いた。

というのも、実はこの前日に、同じく過去の記憶がよぎった際に、「絶対うつりたくない口癖」がうつる前の「自分に元々あった口癖」が出てきたんですよ。

 

あら!♪ お久しぶりだわ! と嬉しくなって喜んだんですよ。

 

Lucky! あの「絶対うつりたくない口癖」が本当に消えたんだ! ってマジで喜んだ。

 

ところが

「絶対うつりたくない口癖」が 薄~~~く、かる~~~く それまでの質量から比べるとペラペラになったかのような感覚ではあるものの、頭によぎった。

 

言葉、言語に「質量」を持ち込んで説明したいと思う程、脳内や口元?ハート?での質感が変わっておりました。

 

ひょっとしたら、

「絶対うつりたくない口癖」は、他者に対して、イヤ! とか キライ! とかそういった感情が強く出た時の10/100% ようするに10回に1回程度 脳裏に浮かぶので、機嫌よく生活してたら頭に出てこないし、そもそもそれほど強くイヤ! とか キライ!とか思う事もほぼ無いんですよ。

というこれまでのルールが変容したかもしれません。

 

おそらく、まだ私の感情の「とある」パターンに、ぎりぎり指先でひっかかってあと一息ぶら下がってる。 紐づいている私の「とある感情」には気がついてはいるんだけど、その感情が無意識に登ってきちゃうと連動しちゃうんだよね。

joergweitzによるPixabayからの画像

 

まぁしょうがないかも。

記憶喪失になれば とっとと消えるんだろうけど。

ボチボチ ケアしていきますわ。

 

無意識の領域だな~って感じたわ

自分で自分の思考(脳内の反応)に「ビックリ (◎_◎) 」したわけなのですが、

今文章を書きながら、(無意識の領域っぽい感覚だわ~)なんて改めて思いました。(笑)

 

「脳にプリントされた」感覚からそれなりに年数がたって、なかなか年季の入った記憶というか、感情というか、ストレスだったので、まぁゆっくり薄らいでいけば上等です。

 

いや しかし それでも、こんなにしつこいと、脳にプリントどころか、脳にタトゥーだな。

FelixによるPixabayからの画像

 

脳にタトゥー感があるものの、コツコツ ストレスケアをしたら薄くなるものですなぁ。(祝)

 

慌てる事ないし、というか、もうすでに慌てる時期は過ぎてるし、ということだし、確実に質量が軽くなっているし、厚みももうペラペラな感じまできているので、まぁ今の状態でも上等。

 

綺麗サッパリ。「0(ゼロ)」を期待するのなら、引き続きストレスケアをやってみますか。

 

これこそ、セルフストレスケアがアプローチできるはずの領域ですわ。

 

日の浅いストレスは綺麗サッパリ バランス調整が完了してる

先日の「一味深いヨモギ蒸し」体験も含めてこの日のアレコレで、日の浅い(出来事から現在までの日数)ストレス、記憶に関してはお掃除完了なのは確かだと思う。祝!

 

「絶対うつりたくない口癖」については、体験時の「年数」もそれなりに長かったし、体験後の年数も長いので、脳の定着度数も高いと言えばそうだろうし。

それでも、今日現在位 軽~~~~く、薄~~~~くなって嬉しいです。だって口癖がうつった当時本当に悲しかったもん。自分の脳にそのプリント(改め 脳にタトゥー)がある感も本当に悲しかった。そして、それが自分の脳に浮かぶことも悲しかった。

なのに、この件にまつわる「感情」がほぼ消えかけている。(祝)

 

嬉しいっす(^^)

近々感じたストレス由来の ヤバイ! という色々が消失したことだけでもう充分ありがたいです。

特になにかを期待したり、予想していたわけでは無いので、より一層ありがた感が増しましです。

 

↓ こんな感じに喜んでます。

PexelsによるPixabayからの画像

 

 

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 体験後個人的感想編

【祝】バランス調整が幾つか終わっていた

一味深い「ヨモギ蒸し」体験した後、経過観察した個人的感想を書くよ

1回の記事で収まらないけど、3回では収まると思っていた。

しかし、出かける時間が来たので延長し、ヨモギ蒸しについて書くのは本日で4記事目。

 

以前なら、出かける時間が来たら下書き保存をして、気の済むところまで書き終えてからアップ(公開)してきましたが、こんな風に途中で区切って平気になりつつあるのはYouTubeの影響ではないかと気がつきました。

YouTubeの動画の中から「この後予定があるので、今日の動画はここまでです。」というセリフを何度か聞いたような気がする。

影響受けてるって本人無自覚ですよ。自覚できるのは、影響を受けて、なにかしらが起きて、それによって気がついた時ですね。

ですから、「自分は影響を受けない。」と頑張っている方の多くは(ほとんどだろう)、「気がつけない」位に影響をうけていると勝手に思ってる。自分も含め。

 

と、いつも通り冒頭から余談を書くという珍事が起きておりますが、この後書く、いろいろな体験後の個人的感想の伏線になっていることに今気がつきました。(天才か?私。(笑))

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 ストレスケア編

本日は上の3記事の続きです。

バランス調整=ストレスケア

バランス調整という言葉は、(一種の)業界用語であって日常語ではありませんね。

ですから、ホントのホントのところの意味の違いがあったとしても今回は大目に見て頂いて、私が「一味深いヨモギ蒸し」も含め、いろいろな体験をした後に感じた事を記録します。

 

というのも、この日体験したことは他にもいろいろありまして、それぞれ非常に貴重な体験で有り難いばかりでした。しかし、「コレをストレスケアしたい」というものでは無くて、その日の私の状態でランダムに「体験」という内容でしたので、

コレが私のこのストレスに影響があった

とピンPointでは感覚が取れない。しかし、帰宅後の変化は感覚があるので、「総合的な出来事の後の自分の変化・感覚」をご報告します。

 

それは、私の「統合心体カウンセリング™ セッション」と同じで、何かしらのスキル・アイテムの「これが良い」ということが目的ではなくて、

クライアント・相談者さんが結果

  • 楽になったり、
  • 暮らしやすくなったり、
  • 笑顔が増えたり、
  • ストレス耐性が上がったり、
  • 悩みが気にならなくなってきたり

ということに繋がれば嬉しいな。というニュアンスと似ていたんじゃないかと思えた。

 

バランス調整の種類・アイテムを沢山やれば良い(使えばいい)ってもんでもない(と思っている。体験的に)ので、図々しいお願いですが、このニュアンスを汲み取って下さると非常に助かります。

これを書くには、また別の長文ブログが必要だと思うから今日はこの辺りで終わり。

マジで余談

私は、何かしらのスキル・アイテムの「これが良い」ということを使っての「深堀ばかり」、「原因探しばかり」がセッションじゃないとも思っており、

過去にある視点を今に戻し、そして未来について可能性を考えてみる。

だけで十分バランス調整が完了することもある。(ケースによる)

 

というのも、会話だけでも、会話がなくても、何かしらの影響で本人の「囚われ」「執着」の糸が プツン と切れたらバランス調整が完了するんだろうと思うケースも本当に多かった。

私にもあったと思う。相手の方は私をバランス調整してやろうともなんとも思っていないけれども、私が勝手に救われて、ストレスケアになったような事が。私が今すぐ思いだせるのは、「わかってくれた」「わかって貰えた」と思えた時。「理解者がいた」と思えた時。

 

だから、バランス調整って、

  • スキルだけじゃない。(大切なのは確かだけど)
  • 知識だけじゃない。(大切なのは確かだけど)
  • 行う側の使命感なんて関係ない。
  • ただ義務感だけの共感なんて関係ない。

というケースも多いような気がする。あくまでも「というケースも多いような気がする。」という事を書いたに過ぎませんが。

 

自分の周辺の出来事を整理整頓して、その出来事やヒトとの距離感を今一度思い出したり、考えたり、決めたりすることでも十分バランス調整が完了することもある。

かえって、原因探しや理由探し、深堀が冷静な視点、俯瞰した視点を忘れる(それこそ)原因になったりするケースだってある。

と考えています。「こうだ!」「正解! 不正解!」と言っているわけではなくて、アプローチは多岐に渡るという事を書きたかった。

何とビックリ。ここからが本題

わたしのコラムやブログに慣れているかたは、ちっとも驚かないかもしれないね。

いつも通りじゃんって思ってる?

私のストレスが変容した(ラッキー)

2021年後半から2022年年末まで、それまでの数年間静かだった私の生活が一変した。

ヒドイ体験もしたし、素敵なヒトもいた。意地悪なヒトもいたし、私を救ってくれた多くのヒトもいた。2022年後半は特に後になればなるほどヤバかったけれど、そんな時にも(天使の遣いか?)と思うようなチビッ子たちの笑顔が私を支えてくれたし、会話は無くてもアイコンタクトで救ってくれた多くの大人もいた。皆 目の奥が笑っていた。今でもその多くの皆さんを思い出す。多分一種支えあっていたんだと思う。

Jason GohによるPixabayからの画像
simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

がしかし、ストレスをひしひしと実感し、背中も丸まってきて、足取りは重く トボトボ という感じになり、(ヒトってみるみる弱っていくんだな~)と思っていた。

 

で、開けて2023年1月からは嘘のように暗雲が去り、背中は真っすぐになり、足は軽くなり、おしゃべりもするようになった。笑う回数も一気に増えた。

NickによるPixabayからの画像

 

が、セルフケアではまだ終わっていなかったストレスの残骸がそれなりにあった。

そう、解放感は感じていたけれど、過去の感覚と記憶、感情がまだPCのセーフモードで動いているような感覚。しかし、もう追いつけ追い越せみたいな急いだストレスケアは一旦終わって、あとはこの残渣たちをゆっくりお掃除したら良いや。って思ってた。

 

というこれらが、特定の目的のない「いろんな体験」の後に、バランス調整が完了していた。

消失。

頭の中の、体の中も、掃除完了という感覚。

 

とんでもなくラッキーだった。

 

フワコヤ88←リンク貼ってあります)さん、ありがとうございました!

 

まさかこのようなラッキー・僥倖を頂けるとは本当に有り難いことでした。

 

この最近のストレスのケアの完了以外に気がついたこと

冒頭の「他者や環境の影響をうける」と関連することを書きます。

 

随分前に書いたのでもうリンクを探さずにいきますが、

私が20年近く前に勤めていた会社で、非常にネガティブな愚痴を延々先輩から聞く役目になってしまったことがありました。数時間コースも何度もあった。時間関係なく電話がかかってきたし、会った時はもちろん直に聞く。

 

で、その結果、この先輩の「絶対にうつりたくない口癖」がうつってしまってとても悲しくなりました。

大変なんだな~とか、先輩だからとか、良かれと思って話を聴いていても、あんなに長時間聴いていたら、もう洗脳のようにうつってしまった感があった。多分、今より「自分」が無かったからだろう。あの先輩のせいにしたかったけれど、今となっては「自分の在り方」がよくわかっていなかったから洗脳かと感じるほど沁みてしまったんだろう。

 

その当時はストレスケアとか、心体カウンセリング™ とか全く知らなかったので、そういった影響の対処の仕方が本や雑誌に書いている通り一遍の知識しか無くて、無抵抗な感じでただ流されるままって感じでした。

 

うつ病が「うつる」というような説がありますが、私もこの説には(そう言う事はあるだろう)と体験的に思っています。私のこの例もその類だと思う。風邪・インフルエンザのような意味の「うつる」ではなくて、「影響を受ける」ということを「うつる」と表現しているという意味で。他者の生体電気の影響を受けますでしょ? そういう意味で。

違いを考察してみた。影響を受けやすいヒトと受けにくいヒトの違いはなんだろう?

 

私の場合は影響を受けた。それまで自分の口癖に無かった言葉が脳にプリントされた感じだったから。「自分」が無いとこんなことありますよ。「自分」があっても影響受けるんだから。

 

ストレスケアというものを知って、セッションというものを知り、セルフケアというものも知って、あの「絶対うつりたくない口癖」をやっぱり何度もバランス調整してきました。

そして、ストレスケアをやったらやっただけ薄らいできたんですが、まだ残渣があるな~って感じていた。ゼロにはなっていない。 しかし、人間の脳の中なんてゼロにならなくてもまぁしょうがないこともあるかもしれないから、この先も「絶対うつりたくない口癖」が頭をよぎったらセルフケアしたら良いや!って思ってた。

そもそも、「絶対うつりたくない口癖」は、他者に対して、イヤ! とか キライ! とかそういった感情が強く出た時の10/100% ようするに10回に1回程度 脳裏に浮かぶので、機嫌よく生活してたら頭に出てこないし、そもそもそれほど強くイヤ! とか キライ!とか思う事もほぼ無いんですよ。

ですから、たま~~~に脳裏に浮かんだ時に「今だ!」とストレスケア、セルフケアしてきました。

 

で、2023年2月1日今日現在、強くイヤ! とか キライ!とか思う事がないんですけれども、なんだか(あいつまだ脳の中に居るな)という気配が一旦消えた気がする。

「絶対うつりたくない口癖」の発動スイッチが一旦消えた感じがする。

 

そうか、そう言えば暴露療法的なことが他にもあったなぁ

今ここまで書いてきて思い出しました。

近々には他にもこんなことがありました。

 

実はそれこそ20年ほどまえにかなり強く イヤ! とか キライ! とか感じた人物に、この2023年1月に会うという長期間空くにもほどがあるような暴露療法的行動を自分がとったんです。

 

会った時には、相手も少し変わっていたし、会う事になったその理由が身内の不幸でもあったので、「絶対うつりたくない口癖」は全く発動しなかった。この件についてもセルフケアをしっかりしてきたので、とっくにストレス反応のスイッチが消失していたとも言えます。

こういうことって、原因と結果までのルートを特定できないんですよね。別に特定できなくても、ラッキー楽になった!となれば満足です。

 

そう考えると、「絶対うつりたくない口癖」はこの出来事の10年ほど後に受けた影響なので、時間軸的には無関係になるかもしれないし、先述した通りに、もう既に完了していた可能性もある。

 

ただ、「脳の中には時間がなくて多次元なんだろう」と以前コラムに書きましたが、この1月の体験を考えると、時系列が影響することもあるケースもそりゃあるよね~って思えた。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

多次元の理解。皆が元々それを体験しているという私風理解。

 

 

コラム集

 

荒々しくまとめる 「意図」について

やけに長くなったので〆ますが、バランス調整(ストレスケア)には「意図」が大切だという一面はある。心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアをする際に、相談者さんが「悩み」「相談事」がある時は、私もお話の聞き方がそのようになる。

ただ無心に聞いているような時も、「無心で聴こう」というような心持があったりする。

それも「意図」と言えば「意図」だろうし、クライアント・相談者さんはご本人の「意図」があったりするんだろうし。

 

今回、キャッキャと無邪気に色んなものや色んなことを体験させてもらいました。

数名でお昼ご飯を食べる時も、キャッキャ キャッキャと言いながら、食欲炸裂してたし。(笑)

 

へぇ~~~~そうなんだ~~~ と言いながら体験していた結果が、特に分かりやすかったのが、ここ最近のバランス調整完了

そして、ふと、他の脳内の残渣、残骸のようなものの一面もお掃除された????!!!! という予感。

 

まだしばらく先を経過観察してみます。

 

ここ最近のバランス調整完了だけでも十分有り難かった。

フワコヤ88←リンク貼ってあります)さん、ありがとうございました。(^^)

 

私がお伝えできる自分で行うストレスケアの方法

ご興味がありましたら、お申込み下さい(^^)

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 ストレスケア編

続々〉上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

 

本日上の2つのブログの続きを書きます。

 

実は私は、ブログのアイコン画像が壊れている(または表示設定がされていない)ことをずっと気にしています。ちゃんと表示されて欲しい。

恐らく、ホームページの方の設定と連携が上手くいっていないか、ホームページの方の画像が壊れたか、なにかしら異変が起こっています。

 

しかし、これを腰を据えて突き止める余裕が2021年後半~2022年終わりまでは無かったので、この先ちょっとまたホームページの修正をするか、ブログの設定を調べる時間を持ちたいと思っています。

 

やっぱりこういう文章を書いたり、サイトを(私の力量の範囲内ではありますが)管理するのは楽しいです。

 

そして、本日は汗をたっぷり書いて、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた【その後】について書いていきます。

同じ状態のものは2つとない!?

毎日同じ。つまんない。って思いながら生活するような時期ってありませんか?

ヒトによってはかなりの長期間こう思いながら暮らしているかもしれない。

 

でも、私たちは都会に暮らしていたとしても、空や雲、風、光、香り、川、体調、他人から影響などなど、同じ瞬間は2つとないんですよね。その違いに気がつくかどうかは人生観や感性に大きな影響があると思う。優劣とかじゃなくて、生き方の好みの話だと思うんだけど。

 

私は海で仕事(ダイビング)をしていたことがあって、海中では生き物が動き、潮が流れ、海面越しに見える太陽や雲、雨という様々なものが織りなす風景に同じ一瞬が無いということを体中で感じる事ができました。それは海の中だけじゃなくて、陸上でも同じなんだということも気がつく事ができました。

 

という、自然(や社会)の中に生きていると当たり前な話を書いたのですが、この「一味深いヨモギ蒸し」も終わったあとの鍋の中の様子も、百人居たら百通りのようです。

これがスタート時?

手で混ぜた コレ ↑ を鍋に投入。

 

すると こんな感じ ↓

このグツグツと煮立った(いや、上に座れるくらいだから煮立っては居ないのか? ごめん、わからん。なんせ蓋した上に座って、ポンチョ着てるから見えないのよね)時は、ヨモギ蒸し後の鍋の中の変化について知識も興味もなかった。

 

知らないってこんなこと。

先入観なしの初体験ってこんなことよね。

たしか、こっちが私だったと思う

なにしろ私は生まれて初めてなので、全てはフワコヤ88←リンク貼ってあります)で体験して、いろいろお話を聞いてみてください。

 

ただ、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた後の鍋の中が「落ち着いている」というか「静か」というか、「ストレス少なめっぽい」らしいです。

 

  • 2022年後半、ストレスに目一杯さらされており、我ながら(ヤバイ)と思う事がありましたので、もちろんセルフケアしておりましたが、なかなか追いつかない時もありましたが、それでも追いつけ追い越せとできる限りのストレスケアをしていたのも良かったみたいだし、
  • 今回、フワコヤ88←リンク貼ってあります)にお邪魔した際に、「一味深いヨモギ蒸し」の前にいろいろ体験させてもらったのも良かっただろうし、
  • 「一味深いヨモギ蒸し」と並行して体験させてもらったバランス調整も良かったという

総合技の結果かな?と思ったりしています。

 

もうお1人、別の方の鍋の中(だったと思う)

ヨモギ蒸しを何度か行っているこの方は、「以前よりヨモギ蒸しの後の鍋の中が大人しくなってきた」とおっしゃっていた。

 

一味深いヨモギ蒸しによる「菌活」が非常によろしいような気がする。とおっしゃっていた。

 

私も、一度体験させて頂いて、「これは非常~~~~~に良いな」と実感しています。

どういう点が「良い!!!」と思ったのかを次に書きます。

 

今回で書き終えるつもりが・・・

すみません、また出かける時間が迫っており今回はここまでです。

今回で体験記を書き終えるつもりでしたが、すんません。

 

ちなみに、わたしが行うセルフケアはホームページでご紹介しています。

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

コロナとか色々な時も、おかげさまで平和に暮らしておりましたので、

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

という時期が我が身に降りかかるとは。と (あーこりゃ大変だ。)って感じでしたが、今日現在(2023年1月末)は平和が戻ってまいりました。

 

大変な最中、兎に角、ストレスケアをしましたよ。

そのお陰で早く抜けれたのか?は分かりませんし、いろいろな方に護って貰ったんだと実感があり、非常に感謝しています。

大変な最中も(救われる~)と思う出来事や人物にも出会いました。

 

ただ、大変な思いをしている方には、ストレスケアをおススメしたいです。

私はこちらのストレスケアのスキルをご提供できます。

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

・・・つづく

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

続〉上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

本日はこの記事の続きです。

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

すっぽんぽん

「すっぽんぽん」とは「裸ん坊」のことです。

そう、ヨモギ蒸しは裸ん坊で行う(らしい)。

 

裸ん坊が嫌なら、ブラトップやパンツは着用していても構わないと聞いた気もするが、乗り掛かった舟なので、言われたとおりすっぽんぽんになった。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

他人様にすっぽんぽんをお見せするのは眼福の反対の「眼害」なので無料サイトから頂いた裸ん坊イラストです。私に似てますか? 不思議と怖い顔してません?このイラスト。

すっぽんぽんの上に羽織るもの

ヨモギを蒸した蒸気が逃げない素材のポンチョをすっぽんぽんの上に羽織ります。

イラストさんはご機嫌です。

こっちも私に似てますか? 人間にはいろいろな側面がありますね。

 

いざ「一味深いヨモギ蒸し」

前回写真でもアップしましたが、裸ん坊onポンチョ姿で穴の開いた四角い椅子に腰かけるんです。

この蒸気が結構熱い。

慣れるらしいですが。生まれて初めての私は、ご多分に漏れず「熱いもんだねぇ」と感じました。

 

で、実はこの「一味深いヨモギ蒸し」を体験する前も、「一味深いヨモギ蒸し」の際中も、いろいろな事があったんですが、この「ヨモギ蒸し」timeが一番長いまとまった時間でした。

暑いっす

顔にも汗、ポンチョの中の身体にも汗が流れました。

 

この汗は岩盤浴などのときに言われるように

  • 拭かない
  • 洗わない

ほうがおススメだそうです。

 

だから、「一味深いヨモギ蒸し」を受けている最中は、汗は流しっぱなしでした。

 

そして、この間は水をチビチビ飲みながら行っておりましたよ。

この「一味深いヨモギ蒸し」の最中に飲ませて頂いたお水も「一味違った水」でして、この日はいろんなことを体験しまくりで楽しかったし、有り難かった。(フワコヤ88←リンク貼ってあります)、ありがとうございました。)

 

一粒で最大限の効果を体験したい強欲さ

充分暑くて汗をかいていたのですが、(フードをかぶったらどの位暑くなるんだろう?)と疑問がわくわけです。

湧いたらやりたいんです。

 

ということで、もちろん途中からフードをかぶりました。

当たり前ですが、もっと暑かった!

 

滝汗!

 

と、「一味深いヨモギ蒸し」を他にも並行して体験したことがありつつ、約45分? 40分?の体験を楽しみました。♪

 

体験後の感想はまた次回に書きますね。

 

・・・つづく

(アイキャッチ画像を裸ん坊のイラストにしようと一度セットしたんですが、ちょっと怖いかな~?と憂慮して、ご機嫌顔の自分で書いた簡単イラストにしました)

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

普通のヨモギ蒸しではなく、一味(ひとあじ)深いようだ

女性の方に「ヨモギ蒸し」が人気なのは知っていたが、私は体験する機会が無かったので2023年1月までは未体験でした。

ですから、「普通」と「ひとあじ違う」の違いを身をもって体験したわけでは無いのですが、女性の方に人気だと聞いていた「ヨモギ蒸し」の解説などを目にしたことが無いので、実際に我が目で見て、話を聴いて、体験してみると

こりゃ~普通(に聞いていた)の「ヨモギ蒸し」と一味違う気がする!

上等だね~~~~♪

と素直に思いました。

 

という事で、今回のブログはフワコヤ88←リンク貼ってあります)さんで体験させて頂いた「ひとあじ違うヨモギ蒸し」体験記です。

そう、沖縄じゃなくて、名古屋で体験させていただきました。

 

私はお皿を用意されたのを見た時に、「ヨモギ蒸し」の前にサラダを食べるのかと思った

は?

どういうこと?

と思われた方は下の写真を見てください。

 

お料理上手な方がいろいろなスパイスを使うので、

(手の込んだサラダ)かと思いました。

 

葉っぱはレタスでは無いようだが・・・・

ケール???

ケールに、色とりどりのスパイスをかけて食べるの?

「ヨモギ蒸し」体験に、サラダのサービス込み?

とマジで思ったんです。

 

そしたら、これが「ヨモギ蒸し」の材料だとのお話。

 

へぇ~~~~~ っと息が続く限り言いましたよ。

 

次に驚いたこと

 

これに ↓ 次なる準備をするために とあることを行いました。

 

それは、

手で混ぜるんです。

このケールにも似た状態の緑の「ヨモギ」(だよね?)とスパイスたちを。

 

元気もりもり もりもり「モリンガ」

そうそう、なにか1つ、ちょっと増量できるけれども何が良いですか?と聞かれましたが、少しでも多く良いものを得ようと強欲炸裂。

美容だの、若さだの、健康だのと気になる言葉がメニューの中で踊っており、1粒で最大限の効果を得たい強欲ババアは、強欲すぎて選べない。(笑)

 

こんな時は手放すんです。

ですから、「何がおススメですか?」と教えを請いました。

 

すると

『元気もりもり もりもり「モリンガ」はどうですか?』と言われ、その語呂の良さにモリンガに即決しました。

 

で、全てを手で混ぜます。

 

するとこうなります。

 

手で混ぜる理由

この普通のとは一味違う「ヨモギ蒸し」は、「菌活」みたいなことが特徴だと聞いた(気がする。でも私ってこーゆー時に結構いい加減。勘違いする時も多い)。

違っているかも知れないので、詳細は先ほどもリンクを貼ったフワコヤ88←リンク貼ってあります)さんで体験する際に特徴を聞いてください。

 

で、手で混ぜる理由として、自分の常在菌と、この「上等ヨモギ蒸し」の成分を馴染ませるために行うと聞いた(気がする)。

ですから、おそらく「温活」とはまた別で、健康を維持していくための「菌活」も同時進行するからこそ「ひと味違うヨモギ蒸し」だと理解しております。(合っているのか どっち? フワコヤ88さん?)

 

セット完了

いつも通りあやふやですが、下はお湯がぐつぐつ沸いているところで

 

次が「ヨモギ蒸し」の材料投入後かな?

 

なんせ初めてで、ただただされるがままでして申し訳ありません。

でも、わたくし、こうった時に非常に素直でして、先入観はあまり取り入れない方針のつもりなので、こういった性質が「吉」になることも多いような気がしています。

 

ブログを書いていたら、イラストも書き加えたくなりました。

 

外出する時間が迫っております故、次回にイラストをアップします。

・・・つづく

 

勝負に勝つことだけが勝負運ではないような気がしてる

勝負運 一考

タイトルを書き、一行目の見出しを書いておいて なんなんですが、実は非常に興味深い「よくあるヨモギ蒸し」とは異なる、私が勝手に「一味、ふた味ことなるヨモギ蒸し」を体験した体験記を書くつもりでした。

 

が、

まぁいつも通り、ただの気まぐれでこちらの「勝負運」について昔からの持論、解釈について先に書く事にしました。

負けてラッキー

負けてラッキーと思うまで その1

ヒトは、目の前に起きている争奪戦、勝負に反応して、「負けてなるものか!」と意地のようなものが湧いてきて、そして執着するという性質がある場合が多い。

 

  • オークションやセリ、オーディション
  • 恋のライバル
  • タレントさん達の言う自分がハマれる「空いている席」の有無
  • 具体的な乗り物などの空いた席に座りたい方達
  • 採用試験
  • 婚活や出会いの場での競争意識
  • 成績順、売上順のアレコレ
  • バーゲン会場 などなど

 

こういった渦にはまり込むと、「実は別にそれほど興味はなかった。」ということをすっかり忘れて競争ゲームに一喜一憂してしまう。

本当に人間の意識とは奥深い。

 

比較や競争が好きでも嫌いでも、これらに意識を奪われると、

ハッ!と気がついたら「競争の洗濯機」に入っていて、グルグルと回っているし、遠心力に逆らえずただ洗濯槽の壁にはりついて起き上がれずにいるという驚きの自分になっている。

 

いっぱしに理由を考えたり、他者を非難したり、自分を正当化しようとするものの、ちょっと引いた目でみたら、「自分も他人もみんな一緒」と気がつく時もある。

この辺りまで気がつくと、「ヒトのことなんて何にも言えないな~」とガッカリしたり、理想の自分じゃない事に腹が立ったり、プライドを守るべくアレもコレもスルーしはじめたりする。

 

人それぞれで、人間社会はこういった彩で華やかですわ。

 

あぁ、以前も書きましたが、「勝ち負け」が目的な事って世の中にありますから、それはそれ。オリンピックで金メダルを決めるとか、高校野球でリーグ戦を戦うとか、それが目的なんだから。

一時が万事という話をしているわけではありませんからね。

 

ヒトの「好み」って多種多様なんです。

 

負けてラッキーと思うまで その2

で、その時の勝負や競争に勝っても負けても、「負けてラッキーだったんだ!」と思うまでの大切な要素は「時間」。

 

例えば、入社試験

入社試験に落ちた。

さてその後、その時に一番入りたかった会社に入社できずに傷心しつつ、違う会社に採用されて(あ! この仕事好き)と思うようなことがあったらどうだろう?

 

時代が変わり、一番入りたかった若かりし頃の憧れの会社が吸収合併されて社名が消失することもある。吸収合併の具合が、強くない立場になる側の方で、なんだか日が陰ったような気持になる場合も全然珍しくない。

 

そう、勝負や競争は「今」「一時」のことでしか無くて、将来はわからない。

小説にもよく取り上げられている(こんなはずじゃなかった)という想いを抱くのは将来なんですよね。

 

「今」「一時」、勝ちだと思えたことが、将来どのように作用するのかはわからないんですよ。

 

だから、勝負運というものを考えた時に、「負けてラッキー」ってことってある。

 

そう、「負けることがその勝負の勝ちだった」「負けることが自分の人生の大幸運だった」ということってあるよね。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

禍福は糾える縄の如し

私は度々、「凶事は吉事」と書くし、言うし、自分の人生ではまさにその通りという体験が多い。だから「凶事は吉事」という現象が本当にあると信じているし、言葉を変えたら「禍福は糾える縄の如し」ということになる。そして、本当にそうだなぁって思っている。

 

簡単に書くと、今日は今まで何度も書いてきた、これらを

「負けることがその勝負の勝ちだった」「負けることが自分の人生の大幸運だった」

と文章を変えて書いているに過ぎません。

 

そう!

私は同じ(ような)事を何度も何度も書いている、成長、発展が極少の人間です。

ちょっと「例」を変えただけ。(笑)

 

そういう意味では、他人様との競争、勝負事の成績は全然良くない私ですが、自分の人生の勝負運は凄く良いような気がしてる。

 

遥か昔、または最近の「負け」みたいなことって、今の私、将来の私のラッキーになっている(だろう)。

 

そういう意味では、「勝負運」という言葉遊びに囚われて一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しいよな~って思ったんですわ。

 

長い目でみると、自分の幸せを感じる感性を自分で育てることができた人が勝ちなのかもしれない。自分の幸せを感じる感性を自分で育てることができた人が「勝ち」とか「負け」とか気にしているとは思えないけど、今日の文章に沿わせて書くのなら「勝ち」ということに一応しておきますか。

 

自分の幸せを感じる感性を自分で育てることに「勝ち負け」なんてないんだけどね。

一応ね。

 

わかったようなことを書いてみる

大したことをわかっていないのに、わかったような事を書いてみる。

 

なにかに勝っても、「わぉ!ラッキー」

なにかに負けても、「わぉ!ラッキー」

じゃあ、何が起こってもラッキーなんじゃん。

 

と思うくらいになったら「楽」なんだろうな~って思ってます。

 

こんなことも「こだわりを捨てる」みたいなことに含まれていそうだなぁ。

 

人生の幸福感には「勝ち」「負け」という知識、認知、価値観は意味が無く、そういった判断をすること自体影響がない様な気がしてる。少なくとも私には。

 

今の私はこんなわかったようなことを書いているけれど、ちょっとした刺激に反応して、また競争の洗濯機にはいってしまうのが人間たる所以でしょうから、

「できる限りこれらを覚えていたい。忘れたくない。」

と思うだけなんだけどね。(笑)

 

 

・・・おそまつ

 

2022年が終わり、2023年こんにちは。

1年は瞬き1回ほどか?

何はともあれ

嬉しい。

ブログを書く時間と、ブログを書く心の余裕がある。

 

しかし、振り返れば1年は瞬き1回ほどか?と感じるわ。

 

それなりにいろいろあったんですよ。いろいろあったんですけどね。振り返ったら一瞬ですわ。

それは2022年に限らず、これまでの人生も同じくですが。

 

まぁ、大晦日にこの位機嫌よくいられているのなら、終わり良ければ総て良しとします。

ありがたいです。

 

前回のブログの続きを少し書く

ネットに繋がらなくなりました。→祝 復旧

 

私たち人間の多くは、不安や恐怖と共に生きているという事を書きましたが、

これらに少し加筆してみたい。

 

禍福は糾える縄の如し

 

という諺が果たして正しい法則なのかは知らない。

しかし、そうだろうな。とすんなり信じてしまうほどのフィット感。

 

そう、真実かどうかもわからないのに、やけに語呂が良かったり、上手く表現されているのを見聞きすると、真実だと思い込んでしまう。こういったことはホームページでも過去のブログでも散々書いてきた。こういった事もスコトーマ(心理的盲点)だろうということもしつこいほどに書いてきた。

 

私の場合は、これらが真実でも全く構わない。というのも、私自身の過去がまさに

  • 凶事は吉事
  • 禍福は糾える縄の如し

を疑う必要などなかったという体験をしたからです。

 

過去はそうでも、未来は福ばかりとなって、法則じゃないということが証明されても全く構わない。どうでもいい。

どうでもいい。と書くと生意気なようですが、こんなことは私が決められやしない類のことだと天にお任せするしかないという意味です。私がなにをこだわっても、信じても、「今」は刻々と変化していく。

 

その「今」に対して、意味づけをして、反応していくだけだろうから。

 

と、こんなことを考えたのち、ただの思い付きの「例」を書いてみたくなりました。

 

自分におこる不幸や不運を避けたいばかりに

哲学的?に書くと、不幸も不運も本人の感じ方次第なのか?

いや、理屈はそうでも、不幸も不運も嘆きたくなる時って誰でもあると思う。

本人の感じ方次第だけかもしれないけど、でもそういった考え方に囚われずにはいられないような環境や状況や心境ってあるよね。

 

で、祓おうとしたり、浄化しようとしたり、云々ということを前回書いたわけですが、

ただの「例」として、

その不幸、不運というようなことを通過せず避けているばかりだと、次に来るはずの幸福や幸運が迎え入れられない。

なんてことが嘘か本当かわからないこの「法則的」には仮説として成り立つのだろうか?となんてことを。

 

ただの机上の空論ですよ。

私の脳内の空論。

 

グルグル回ってる? 輪廻転生?

物事は循環している。という考え方をすると(いや、これも真偽は不明ですので仮説として書き進めます)、不運、不幸を恐れるあまりにそれらを阻止しようとするその考え方や行為は循環を妨げている。というような論説は成り立つのだろうか?

 

となると、

遥か昔に私が一体どうしたら良いのかわからないけれども「恐怖のブレイクスルーを試す。目指した。」

というようなことをホームページのコラムに既に書いていますが

感情と成熟(精神的に大人になる)

私たちの精神・心理と宇宙感ー1

 

「恐怖のブレイクスルー」の極端な言い換えは、

  • 「幸運、幸福を迎え入れる覚悟をした」とも言えるのかもしれない。
  • 循環を円滑にさせる心持というか、自分のチカラの及ばないことについてもうお任せする。というような手放し方

というようなことと表裏一体とも、机上の空論的には考えられるような気がしたんですね。

 

あっ! 相変わらず、真実は知りませんよ。

私はこういった事を考えるのが好きなだけなんで、説の証明については、数式や化学式を証明するには母数が少なすぎる ただの自社データ、Myデータのみなので。

 

表裏一体

でもまぁ、表裏一体みたいなことって多いから(長所が短所、短所が長所的なこととかもそうですかねぇ)幸運と不運もその「表裏」に加えてもいいかもね。

 

ということは、どっちも引き受ける心がけがあるというのは理に叶ってるような気もする。

不運と避けたら、幸運も避けてる。というようなことも、この論調を持ち出すのならあながち外れていないのかなぁ。

 

となると、この「表裏」にもっとも寄り添うとしたら、「何が起きても大丈夫」というような心持なのかもしれない。どうであれフラットでいるというような意味で。

 

そして、これらをまたまた言い換えるのなら、「いまここ」なのかもしれないし、「今を生きる」ということとも言えるのだろうか?

 

表裏一体のものに「幸運」「不運」という判断を下しているのは人間の思考?

「出来事」に意味づけしているのは人間の思考。感性。

私が、転んで負傷して「こりゃあ この先良いことあるぞー」と意味づけしたのは私。

 

外側ではなくて

ブレイクスルー。なんて書いたり、聞いたりすると、まるで何かしら外側のなにかをぶち破るというようなイメージを知らず知らずのうちにしているケースが多いような気がする。

しかし、ブレイクスルーの向かう先は自分の内側。

 

と書いた今、(そうか、外と内ということも表裏一体なのか?)と思った。

 

そう、こういうことは空間や時空をゆがめて考えた方がよく分かる。いや、空間や時空に囚われていないほうがよく分かると書いた方が良いのか?

John HainによるPixabayからの画像

 

しかしまぁ色んなものに囚われて生きていくのが人間だから。などと、わかったようなことを嘯いていきなり終わります。

 

 

皆様に2022年お世話になりましたことを感謝申し上げます。

皆様が2023年、素敵な一年になりますようにお祈りしております。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

 

 

 

ネットに繋がらなくなりました。→祝 復旧

こう言う事は大抵突然起こる

本題と余り関係のない話からスタート

皆様、年末到来の中いかがお過ごしでしょうか?

私は元気です。

いろいろあって、ちょっと大変な時期もありましたが、一旦トンネルを抜けました。

そうなると心体が一気に軽くなりましたので、体感としても「トンネルを抜けたな~。祝」と有り難く感じています。

 

で、以前、すっ転んで痛手を負った時に(これは良いことが起こるぞ。と確信した)とブログにも書きましたが、おそらく本当にその通りだったんだと思います。

負傷

 

なにかあった時に「不運」と思って、やれ浄化だ、やれお参りだ、縁起を担げるモノや行為だ、という考え方をする方は多いと思います。私も過去には不運を嘆くようなことを勿論経験済みなので、

やれ浄化だ、やれお参りだ、縁起を担げるモノや行為だ、

という考え方や行為は理解しておりますし、実際それで良かれと思う方向性へ変化したらそれで結果オーライですよね。

 

私もすっ転んだときや、過去大変な時期に「不運」と言われたこともありました。

 

過去は、そういったことを言われるとそのデリカシーのなさにムカッとして反応しておりましたが、今回はそういったことを言われても心の中で(こりゃあこの先良い事あるぞ。ワクワク)と思っておりましたので、そういった感想を述べられても無反応というか、聞き流していました。

 

自分に嫌だと感じるような事がおきる「恐怖」というのを私たちはおそらく毎日、毎時間、毎分、毎秒それこそ「潜在意識」的な無意識領域で感じているのだと思う。

それが人間の持って生まれた性質なんだと思うんですよね。

ただ、この毎日、毎時間、毎分、毎秒の「恐怖」に対する幅が個々によって違っていて、脳の機能の欠損によってこういった「恐怖」に反応しなくなるケースもあるようだし、生まれつき反応が起きにくい場合もあるようです。その逆に、過剰に反応が起きてしまい心安らかな時間をおくりにくい方がいらっしゃるようです。

強迫症となると、ご本人もなかなかキツイでしょうから。

一瞬 なにかメッセージがでた

いよいよ本題に入ります。

いつも通りボンヤリしながらなにかスマホを触ったんです。

そしたら25時間だか、52時間だか「ナニカが使えない」「繋がらない」というような表示がでたような気がしたんですが、ボンヤリしているものですから、そのメッセージをちゃんと理解する前に「OK」と押してメッセージを消してしまいました。

 

そしたら、あなた、なんとまぁ 本当にな~~~んにもネットが使えなくなっちゃった。

Wi-Fiマークはついているのに、その表示はダミーでして、なんも繋がらない。

機内モードを入り切りしてもダメ、Wi-Fiを入り切りしてもダメ。

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 

まぁ 25時間か、52時間経てば復旧するんだよね???? と、あやふや情報を信じて数時間モバイル通信だけで必要最小限なことを行っておりました。

 

Amazonオーディブルで過去ダウンロードした小説を「聞く」という楽しみを久しぶりに思い出して「今だ!」ともう何か月? いや1年以上ぶりに楽しんだりし始めました。

 

が、だんだん、イラチ(短気)な私が頭をもたげてきて、ルーターを再起動したい。試したい。と居ても立っても居られなくなりまして、

ルーターの初期化→再設定を行いましたら、あっさり復旧しました。

 

NickによるPixabayからの画像

 

この手のことには苦手意識がなくて、ササっと出来るので自分に感謝しています。

 

なせなら、その昔、今に至るまで、この手のことをわからないながらも取扱説明書を読んだり、仕組みを観察してきたおかげです。四苦八苦した時もあったかもしれませんがもう忘れちゃいました。(笑)

 

 

これを努力という方も居るかもしれませんが、私個人的には努力したという感覚はありません。やらなきゃ通過できないからやった。という感じです。

そう言えば、昔から、「私が人並みにナニカが出来るようになるには、ヒト様も2倍~3倍、またはそれ以上の訓練、練習が必要だ。」という冷静な自覚がありまして、

ただ他人を羨ましがるということが少ないことも有り難いと思っています。

 

羨ましく思っても、それは私にはなんの後押しもしない。

私の後押しになるのは、訓練や練習の積み重ねだ。という、そこに感情をあまり持ち込まない癖があるようなのです。

これらは、今となっては非常に私自身に良い作用が起こっています。

 

他人様の才能をただ羨ましがらない。他人様のそれは才能かも知れないけど、私は積み重ね以外にないんだから。というような感じ。

そういう意味では、ちょっとしたことで嫉妬などが起きないようで心の平和に役立っています。

ある意味、他人様は他人様、私は私。というような意味合いもあるのかもしれません。

 

こりゃあまた いい事あるかもね~

Wi-Fiが繋がらなくて、それがルーターの初期化と再設定で復活したくらいでは、あまりにも普通のことなのでナンデスガ、まぁこういった不具合みたいなものも「吉事」の前触れかも知れません。ワクワク。(強欲かしら。(笑))

 

というのも、またまた夢見が良かったんですわ。

 

冒頭にも書いたような、トンネルを抜けた感、独特の身軽さを感じていますので、それと今回の不具合で代金の帳尻が合ったのかも知れないけど。

 

恐怖を避けることに集中する? 恐怖を受け入れる?

  • 凶事は吉事
  • 禍福は糾える縄の如し

というようなことを心底信じていたら、必要以上の恐怖から抜け出せるかも知れません。

 

なんてことをネットが繋がらなくなる前にブログに書こうと思っておりまして、ただボンヤリと復旧を待っている最中も(あぁ ブログ書きたいな~)って思っていて、そしてめでたく復旧したのでやりたこと(スマホのデータ通信中ではなくて、ネットに繋がったPCでブログを書く)が叶いました。

 

しかし、ネットに繋がっていない最中のあの静けさ、時間の豊かさを身体で感じるあの感覚も良かったので、(あのまま待ってて再接続できたとしたらそれも良かったなぁ)とも思いました。

 

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

皆様が素敵な年末を過ごしますように(^^)

祝 全治

ありがたや

順調に治ったよ

lisatenerによるPixabayからの画像

負傷

上にリンクをはったブログに書いたように、

ある夜、すっ転んで、

  • 手のひら
  • 肘あたり

の3か所を見事にアスファルトで肉が削られました。

 

痛かったです。

 

薬局のお姉さんに

「治るのに2〜3週間かかるねー」と言われた通りの日数で全治しました。

 

痛みはあっと言う間にひいていたし、

カサブタも取れ、その下の皮膚も再生済みです。

ただ、傷跡はあります。

 

傷跡がなくなるのは、まだ当分先になるでしょうが、怪我をしたところを守るためのグッズやテーピングなどは無くても大丈夫になりました。

 

結構傷だらけ?

私は子供時代に無茶をするような事があり、その時の怪我の跡が未だに数箇所あります。

当時の怪我も深かったんですよね。

 

今回はどの適度まで傷跡が消えるかわかりませんが、今の状態でも充分御の字です。

 

皆様も足元、頭上の安全確認をお願いいたします。

Jason GohによるPixabayからの画像

ある日のユンタク会

就職祝いだ!

ユンタクに花が咲く

こちらの記事に書いたご本人と、仲間たちでお祝いをしよう! ということで集まりました。

共通の話題に事欠かないので、お互い本音のユンタク会に私自身も救われました。

 

お祝いなんだけど、ユンタク会。

願いが叶っておめでとう!

 

年末には、みんな変化終了

大きな変化から、小さな変化まで、各々、新年は今とは変化させることも話題に登りました。

 

本当に彼、彼女にHappyが降り注ぐことを願い続けています。

ホントに。ホントに。

 

やっぱり、世の中はいろいろなことがあると知っているつもりでも、彼、彼女のような善良で真面目で、誠実な人たちが恵まれると、私が嬉しい。

「あぁ、そうだよ。世の中、良いこともあるもんね! 報われることってあるよね!」って思いたい。彼、彼女が報われて恵まれますように。

 

肝心の、「お祝いに何が良いか?」を本人に直接確認しました。

「お気遣いなく(^^)」という事でしたが、皆にお祝いしてきて彼だけお祝いしないのもなんなんで、「〇〇で良い?」とご本人にご了承いただきました。

次はこの時参加した彼女の番。彼女の就職も喜んでお祝いしたい。その時が楽しみです(^^)

 

お祝いだから、優雅な感じにしたくて

彼、彼女とユンタクできるなら、居酒屋でも何も問題ないんだけど、主人公の彼君がお酒を飲まないし、若いうちは若者同士では中々足を踏み入れない場所を体験して欲しくて

この辺りで一番ハイクラスのホテルのロビーラウンジでお茶しました。

ご飯を食べにいっても勿論良いんだけど、居心地よかったから、初回お祝い会は皆めいめいが好きな紅茶を飲んで喋って終わりました。

2回でも3回でも何度でもお祝いしよう!とこの日参加しなかった仲間とも決めてるので、また後日彼、彼女の顔を見るのが楽しみです。

 

待ってる間に

仲間たちの到着を待っている間に、1年以上?2年ぶり以上?だろうと感じる自撮りにチャレンジ。

年齢も年齢なんで、自撮りをアプリで加工したら、実物より20歳下?30歳下? まさか40歳下?ほど若くなりました。この写真しか見た事が無い人が、ホンモノの私に会うような事があったら

 

別人! (◎_◎) 

 

と腰を抜かすんじゃないかと心配です。そういう意味で、恐ろしい写真になりました。(笑)

 

いつもの眼鏡顔より目がでっかいのは、写真の加工もさるものの、これが伊達メガネで度が入っていないからです。

ド近眼なんで、いつもの度入り眼鏡の時は目がちっちゃくなっています。

 

精神の保養

このユンタク会で私は精神の保養をしました。

同じ釜の飯を食った仲間たち。という御縁ですが、この日会った彼、彼女みたく本当に性格の良い仲間に出会えて幸運でした。

同じ釜の飯を食ったからこそ途切れる縁もある中、有り難いことです。マジで。

 

とっても若い彼、彼女の人生が本人にとって素敵なものになりますように!

RalphによるPixabayからの画像