ファッション 見ていて楽しい

私の知らない世界 ファッション編

ZARAはババログさんの動画で

ファッションについて何も探していなかった過日、コンテンツ一覧に上がってきたので、センス良いな~と思い、時々拝見しています。

お部屋も素敵ですし、動画の編集も音楽もセンスがキラキラと光っておられます。別世界の才能のキラメキを拝見しております。

そして、私はZARAにはほぼ興味がなくて、数年に一度くらいはお店に行くときもありますが、ときめかない。

しかしこんな私が、ZARAのサイトまでつられて見てしまったし、次お店に行く機会があったらもう少し目を凝らして店内を見てみようと心変わりしました。

他にも へぇ~っと思う知らなかったブランドとかも見ていて楽しいです。

じゃあ他の方のZARAの動画を見てみようかと思ったら、ババログさんに慣れてしまうともう見られませんでした。動画のセンスというか、テンポというか、合わせというか。だから、ZARAだけが見られればなんでもいいというわけではないんだ!と自覚しました。

また、財力にも驚嘆しております。結果出しまくりの素晴らしい事業主さんですね。

 

定期的に見てしまう青木美沙子さん ロリータ

しばらく拝見しておりませんでしたが、久しぶりに見てしまった(笑)

私はロリータも着ないし、マロンクリームちゃんにも無関心だし、青木美沙子さんが何を買うのか私には無関係なはずなのに、やっぱりファッションが可愛らしいので見ちゃう。全てが異世界なのに可愛いものは可愛いですね。ブランド名もファッション用語もよくわからないけれども美しいもの、可愛いものをただ眺めているだけでも楽しいものです。

今回気が付いたのは、購入品紹介をしているときの青木美沙子さんの衣装を楽しみにしている自分に気が付きました。いや、すべての動画の衣装が可愛いし、全身が見られるのは他の動画なのになぜだろうか?と不思議なんですが。センスですよね~ あと、これもこんなに似合う!?(似合わせる)のは流石プロだな。なんて思うこともあるんですよ。

 

そして、私は「しまむら」になじみが無くて、最近バイク屋さんがライダー目線で冬のインナーを紹介してくださっているありがたい動画に出会いまして、わたくしも昔一時期中型に乗っておりましたのでライダー目線のその感覚が一番信用できることに気が付き、ユニクロより全然良い!と聴いた「しまむら」のインナーを一度試してみようとお店を訪ねた程度です。

 

青木美沙子さんの動画を拝見していたので、「しまむら」さんとコラボをされているのも存じ上げているのですが、購買の協力もできず、ただただ(へぇ~)と眺めるのみ。

しかしついに、??ナニ? とスルーし続けていた、次でご紹介するYouTuberさん(画家さん?)となぜかまたご縁がありまして、再生してみたら・・・・

新しいセンスのカタマリさんを発見いたしました。青木美沙子さんがプロヂュースされていらしゃるお仕事のその先を予想以上の着こなしで見せてくださいました。そして、私の知らない「しまむら」の世界を知りました。 センスがモノ言うよな~

 

また、青木美沙子さんの財力(とそれを生む能力)にも脱帽と尊敬をしております。

 

見よ! このセンス! しまむら・着物

私が同じものを買っても、着ても、似合わない自信がある。というか、アイテムをよりよく見せる自信は皆無。私なりに他のお洋服は良さげに着られるものはあると思うし、そういうものを私服で選んで機嫌よく過ごすようにしているんですが、富士千代さんのセンスはなにかを超越しておられますな。

そして、今回ご登場いただいた皆様、本当にたくさんお買い物されますね。あっぱれ。

そして、青木美沙子氏の仕事がどのように社会に浸透しているのかの一端を知ることができました。思わぬところで点と点がつながって線になって(こうきたか)と笑えましたし、ロリータをロリータ以外としてこんなに使えるんだ!ということが非常に新鮮でしたし、青木美沙子さんのコラボ商品の需要の高さを実感しました。

 

また、こちらの動画内に、「しまむらパトロール定期報告書」というカテゴリーがありまして、自分はしまむらに馴染みがないくせに(なにをどのように着こなすのかしら?)と興味津々で観ちゃいましたし、コラボするインフルエンサーをどなたも存じ上げませんでしたが異世界の盛り上がりが興味深かった。

 

私はこの富士千代さんの動画の中の「洋服に1枚着物を合わせる」を拝見して、tryしたくなった自分にびっくりです。着物も浴衣すらもっておりませんが、気負わずどうやって着物を買っているのかも動画で拝見して、やってみたくなりまし。というのも、日ごろワンピースって着ないんですよ。超カジュアルなジャンスカどまりです。しかし、一応キチンとしたワンピースが眠っておりますので、そのようなおしゃれをできるチャンスがあったらやってみたくなった。

 

メメントモリ

今回シェアした動画以外で富士千代さんが「メメントモリ」についてお話されているのに共感いたしましたが、その一部には度々ご紹介するこちらも大切だと思いました。

株式会社ハートフルサンク さまの作成された画像

 

上の図に照らし合わせてみてください

着物のルールがあることは存じ上げてます

こちらは浴衣のお話をされているのと、いろんな分野でルールをどんどん作っていく方、味付けする方についてお話されています。他人事は自分事なのでわたしも気づかずやっていることもあると思うけど、できればそのあたりも自覚出来たらしたいと思ってはいます。それもあって、これは私の嗜好の話だと前置きしたり、好き嫌いの話を書いていると説明するようにしているつもりなのですが。

スピリチュアル系、都市伝説系や霊能者系、健康系、信仰系など他にもいろいろな味付けやルール作りがありますが、このお話はファッション、お着物についてのようなので、このようなことが無い業界が無いのかもしれないですし、富士千代さんの知性、知力もとても楽しいお話でした。

 

性善説

あくまでも私個人の話

環境

幼少期は平和でした。小学生高学年にはすでに平和は遠のきつつあり、それ以降は悪化が加速的に進行しました。

不幸な家庭はいろいろあるが、幸せな家庭はたいてい同じ。みたいな言葉を聞いたことがありますが、ウチの場合はバイオレンスあり、各種破壊あり、という感じでした。で、一応長年影響が残っていましたが、いろいろあってそれはそれで苦しんだものの、その苦しみ体験がショック療法みたく働きとなるようなこともあり、運良く随分機能不全家族の影響から解放されました。

 

心体がこんなに軽くなるなんて奇跡だ!と素直に喜んでおります。

生きていることが嬉しいと実感する日が来るなんて僥倖だ!とありがたいと思っています。

 

そんな私が過ぎし日を超客観視したようで、最近、あ!アレに似てたわ。と例えに適した映画がひらめいた。

映画「エクソシスト」である。

簡単に書くと、映画「エクソシスト」の主人公は幼少期は平和、途中悪魔憑き、その後悪魔祓いが叶ったという設定で穏やかさを取り戻したが、本人に暴れていた時の記憶はない。

 

そういえばアレ似てるな~とひらめいた。数日前。(笑)

いや、笑い事じゃなくて、本当に大変だった。暴れっぷりが悪魔級なんだから。

 

緑のゲロは吐かないが、本物は吐き、暴れ、その後始末を子どもがするから地獄絵図だが、この例えはその中のほんの一部。不安定な親の介護(相手)を配偶者は逃げて手を出さず、逃げられない子どもがそれをするような状態が結構長かった。しかし外では(学校)ではそんなことはおくびにも出せず、明るくしていた時もあるし、クサクサと荒れていた時もあれば、不安定だった時もあったが、ウチの実情を他者は知らないわけで、そういう面でサポートしてもらえるようなことはなかった。親戚にも随分お騒がせしたが、やはり実情は知らない。親戚の目に触れる時は悪魔も少々おとなしくなる。だから本当のフリ切った状態を知らない。

しかし、このような体験は全然珍しくない。先述したみたいに、機能不全家庭って予想より多いと思う。だから、逃げられず生き抜いている、逃げられず生き抜いてきたサバイバー達を同志のように感じることがある。

しかし、育った環境の影響で心が痛み過ぎて、現実に耐え切れなくて心の活動が停止してしまうケースもあるだろう。感性・感受性を閉じて失わないと生き延びていけなかった方もいるだろう。だから感情反応も表情も薄い場合がある。

思考は教育で形成されていく一面があると思うが、成長することとか、学び欲とか、それらの喜びに触れる機会損失があるし、自分を大切にするとか、自己愛とかそれがどういうものなのかわからない方も多い。

悩みの本も売れるし、心理学に多くの方が興味をもったりするのも苦しみからの突破口をなんとか見つけたいという希望の表れだと思っている。かく言う私も、とにかく生きづらさの救いの糸口を得たくて本を沢山読んだ。

Susann MielkeによるPixabayからの画像

地獄絵図だと思っても性善説にすがりたい心理

機能不全家族の典型的な例

ちなみに悪魔憑きのようになったのはウチの母だ。そして本人が暴れん坊の時期の記憶が無いのも同じ。記憶が無いばかりか、私は被害者だという立場を死守しておられる。配偶者の父も自分が被害者だと思っていた。子どももそう思ってる。しかし、こういうことも含めて「型」がある。特別ではないのです。

薬物やアルコール依存症や精神疾患の場合にこういったケースが起こったりするので、その家庭を機能不全家族(家庭)と呼び、その環境を生き抜いた子ども達をサバイバーとよんだりする。

家族に薬物依存やアルコール依存症、生活を脅かす各種依存症や精神疾患者がいて機能不全家族になるケースは珍しくはなくて、その影響を受けていろいろ生きづらい、苦しいと感じる方は多い。その瞬間のご本人も苦しいし、家族も苦しい。

また、数年前からこれらの1つのジャンルに「毒親」という名称が現れた。

 

そして割と多いのは、その後ご本人は覚えていなくてケロッとしているが、家族(主に子ども)は相当長く影響から抜けられず苦しむ負のループ。

ご本人にとっての治療やサポートは様々ある。機能不全家族の構成者の治療やサポートも様々ある。これらの支えを利用、活用する方もいらっしゃっるが、なかなかそういう機会に巡り合えない方もいる。なぜそうなったのか?は簡単な話じゃないといつも思うが、治療とサポートを受けるにも継続は力なりだと根気よく続けていくのが一番の近道だと思う。

 

そう、どこかの段階の誰かが、ちゃんと考えて、行動を変えない限り世代間連鎖を起こす。脈々と続いちゃう。これが悲劇。これも悲劇。悲劇の連鎖もフラクタル性がある。

しかし向き合ったり、ちゃんと考えたりするのは結構キツイ。しんどいから途中で放棄してしまう。しかしそれを責められない。どこまで何をやるのかは他人はコントロールできない。

 

わたしもコツコツと自己理解を進めた。自分の暗部も受け入れるのもなかなか体力が必要だった(過去形、慣れてしまえば淡々とできる)。それが実を結んだのは単なる幸運かもしれないが、回避、逃避し続けなくて良かったとは思ったし、そのおかげで自分が好きになった。報われたと感じられた。

自分を愛する? どーゆー感じ?と思っていた過去の私が、その先の将来「自分が愛おしい」と感謝の念がわくとは全く想像できなかった。想像もしていなったことが叶ったわけでラッキーでした。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

良き教えが足を引っ張る?

”家族(主に子ども)は相当長く影響から抜けられず苦しむ負のループ。”と先述した。

※親も誰かの子どもなのだが

その負のループの一端を担うものに、「性善説への固執」があるケースもあるような気がする。良い教えであるだろう「性善説」が呪縛のような働きをしてしまうケース。

いろんな視点をもって現象を理解するのではなくて、性善説という「見たいようにだけ見る。」ことが良き事ということ意味となり、本人の思考の広がりをブロックしてしまうケース。

自分の苦しい体験を「夢だといって、幻だと言って欲しい」「世の中(人間)は良いものだと信じたい」みたいなすがりつき、一縷の望みになるのかもしれないね。少なくとも私は長年「性善説」を信じたかった。実はこれも見ている事実の歪曲でしかないこともある。だって家では映画「エクソシスト」さながらの狂乱が起きているし、ウチの家庭を可哀そうだと遠巻きに見ている親戚はいても護ってくれるくれるヒトはいない。「性善説」はいずこへ? それでもそれを信じたい気持ちと、そんなものは無いと思うと善き人から堕落するのではないか?という恐怖。これは矛盾だし葛藤だ。

 

「良い教え」と「悩み相談の回答」を一緒にしちゃうと、余計に苦しくなる時がある。悩み相談は、良いことも悪いことも現状把握して、何をどう考えて、どう感じたのか?が大切ですよね?悩み相談は裁判じゃないんだから。

 

全てではない。そういうケースもあるという話。

 

でも、エクソシストみたいな狂乱を見ながら「性善説」にすがりたい矛盾を未成熟な状態では消化できていなかった。このようなことも自己理解に含まれると思っている。

負のループは抜けられる

おかげさまで、今は過去最高に幸せだ。若い頃から人生をやり直したい方もいるが、私は全く過去に戻りたくない。もがいて、悩んで、苦しんで、考えて、その時できる精一杯をやってきた。それが講じてどんどん楽に、幸せになっているのにわざわざ今を放棄しない。

将来はわからないが、今は悔いがない。

 

だから機能不全家庭の体験者のお気持ち(苦しみ)は察するに余りある。

しかし、今より生きやすくなるよ。という可能性があることも知っている。ゼロじゃないと思う。

不幸自慢競争からは脱出しよう

世の中で出会う方に、ヒト様の大変な話を聞いて、時として、私の方が不幸だった。とおっしゃる方もいるが、キャパシティーは個々に違うし、他人様の本当の大変さなど簡単にはわからない。他人をすぐに見抜けると自負されている方もいらっしゃるが、自己理解が奥が深いと身をもって実感すると、その自負は引き算してもよいかと思う。

 

私の方が不幸だった。とおっしゃる方があなたの身内でも友人でも距離を置くことをお勧めする。その方はあなたの話を聞くつもりも余裕もない。おそらくあなたを思いやる余裕もない。そのご本人も大変だろうが、あなたを不満のはけ口にしているなら、結果そういう方といるとあなたの自尊心が育ちにくい。ただ負のループに引き込まれてしまうだけだろう。

あなたは相手の過去も変えられないし、その方の今も将来もコントロールできない。

苦しみと向き合う

相談業者に、予約してお越しになる方はいろんな体験と価値をお持ちの方がいらっしゃいます。相談者ご自身でまずできることは何だろう?という作戦会議をするケースもあります。ただただ話を聞いてほしいという方もいらっしゃいますし、施術を受けて身体からストレスにアプローチしたい方もいる。

できることから順にやっていくことをお勧めします。

株式会社ハートフルサンク さまの作成された画像

 

機能不全家族に割と高頻度で登場するアレコレ

神秘体験や不思議体験、見えるもの、聞こえるものは脳的には精神的にもいかようにも生じるということを体験として何度も学んだ。

それらが別に秀でているわけでもないケースも多いし、脳や精神のバグや暴走だということもある。薬や集団催眠、アルコール他の作用でもなんでも見えるし、なんでも聞こえることも私個人は薬物やアルコール依存を体験しなくても想像することは易い。それに意味などないケースも多い。集合意識に触れた?と感じたとしてもそれはそう思いたい願望が創り出した映像と体感だったかもしれない。不思議体験=集合意識 と即座に信じるのも自由だけれど、あまり短絡的なことをしていると精神や脳が少々厄介なことになるケースが多い。多分禅病に含まれていく。

 

現象ではあるが、意味など無いこともある。見たいように見て、聞きたいように聞いて、意味づけしたいように意味づけていることもある。解釈1つで、「霊的に」という意味づけもできる。

 

だからと言ってはなんだけど、私はこの手のことにシブい。

そう感じることはそのまま受け止めるが、真実とか意味づけについてはシブい。

神秘も不思議も無いとは言わない。あるだろうとも思う。が、この手のことって流行ると「自称」さんが一気に増える。それこそが共鳴の法則だ。

その気になるだけで、いろんなものが見えたり聞こえたり、語り手である自分が気持ちよくなるって当たり前に人間にある。

 

しかしですね、これらが「救い」のような役割をすることも多いと思うんですよ。だからこれらを全否定して、戦うつもりなんて全くない。ただ、シブいだけです。

John HainによるPixabayからの画像

それに乗らない。という判断もある

本当に透視できたり、超能力みたく行為ができる方もいるとは思うが、当たり前にいつでも安定してできる方はそれほど多くないと思っている。見たいように、聞きたいように、感じたいように感じる能力を持つ方で、物語を語りだす方はとっても多いし、物語の味付けもどんどん濃くなるし、趣向を凝らしてくることを散見すると個人的には感じる。自己暗示と承認欲求も進行していくのである。

それが人間の脳であり、精神であり、自我の反応だと思っている。

だから私は、それらについて判断したり、真偽を考えたりすることについて「私にはそれほど意味が無い」とした。世の中に私が門外漢な分野って山ほどあるからさ。と分類することにした。

私もヒト様の脳内にリンクするような体験があったが、あるならしょうがないし、無くなってもそれはそれ。執着することではないし、それがなくても十分幸せだ。体験することで現象の1つの理解が進んだことは良かった。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

サタニストと分類する理由

”それでもそれを信じたい気持ちと、そんなものは無いと思うと善き人から堕落するのではないか?という恐怖。これは矛盾だし葛藤だ。”と先述しましたが、こーゆー「何かを知らないと、何かを信じないと、何かの教えを実行しないととある集団から脱落してしまうのではないか?」「善い人間じゃなくなっちゃたら見捨てられるんじゃないか?」「知りたい知りたい。という欲求。」というところを揺さぶる行為をサタニストと分類されたのではないだろうか?

こちら ↓ 投稿を目にして知った言葉「サタニスト」。本を読んでおらず、著者の言いたいことと私が書く内容が全然マッチしていない可能性がありますのでご了承ください。

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Carlos VilladaによるPixabayからの画像

難しいこと

世の中、生きていると、難しいことは沢山あります。

機能不全家庭の影響をクリアにすることもハードルが高いし、自分を労わる方法を間違えないことをそう感じる時があるし、愛の無いものに愛があると思いたがってると認めることも難しい時があります。

難しい時があるし、間違えちゃうこともあるんだけど、試行錯誤しながら自分と環境を冷静にみることや考え続けることも本当に難しい。

 

大変で難しいんだけど、何年が経過した時に楽になってきている自分に気が付ける時がある。「あなたは報われる」と保証はできませんが、継続は力なりだとは思っています。

S KによるPixabayからの画像

 

最適な解説動画があったのに!消えてた(泣)

悲報 動画が見られない

私のお伝えしたいことが凝縮された動画だったのに

動画がもう見られないのだからリンクを貼ってもしょうがないんだけど、無念。

 

https://youtu.be/goQ531GkHh8

「動画を再生できません

この動画に関連付けられていた YouTube アカウントが停止されたため、この動画は再生できません。」

と悲しいお知らせだけが表示されてびっくりした。非常に残念です。_| ̄|○

 

過去は変えられない

正直申し上げて、この動画をシェアしたら一発で伝えたいことの多くが伝わる。奇跡のようにナイスタイミングで目の前に現れてくれてありがとう!私も勉強になりました!あとからまた見よう♪ とすでに期待する将来が手に入っているかのような勘違いをしておりました。

が、2026年1月10日の現実としては動画が再生できない。

 

いつでも見られると思っていたので、以前は内容をなんでも帳に書いて記録していた良き習慣もさぼってしまい、一気におぼろげになってしまった。というのも、恐ろしく画像編集能力があり、理論的で、解説もわかりやすく、行動心理学の恐れ入るほどの正確な知識・用語もあり、(オマエの言いたいことはこれだろ?)と千里眼で見抜いてくれた方が創ってくださった動画かと思うような、私にとっても自己理解が進む素晴らしい動画だった。

私の別人格がすんばらしい能力の持ち主で、自分の記憶はなくても創っちゃってた風味が50%~70%感じるような的の得方をしていた。しかし私にはそのような映画に出てくるようなわかりやすい天才別人格はいないので、ありがたい方が動画を創ってくださった。と感動していたのに。

 

というもう無いものをいくらい書いても共有できる方がいないので、悲しいほどおぼろげになってしまった内容を私がざっと書きます。おぼろげな記憶の私という1つ間にかんでしまうので薄っぺらい伝聞になり正しさがほぼなくなっちゃうのが悔しいですが。

巻(Maki)によるPixabayからの画像

予言と大衆の反応 いや、「予言の創られ方と大衆の反応とその成果」が正しい

見られなくなった動画内で、ここのところ話題にしていた「予言にまつわる現象」について

①よく予言系の情報として登場するシンプソンズが解説につかわれていた。

②行動心理学というか、反応心理学と書きたくなるような「型」について触れられていた

ということが説明されていた。もっともっと有益情報があったのにこの体たらくで申し訳ない。

①よく予言系の情報として登場するシンプソンズが解説につかわれていた。

私は予言系とか、都市伝説とか、それほど興味がありません。うっすら広くなんとなく聞いたことある程度です。ですから、よく予言などでシンプソンズが登場することは知っていても、サムネイル画像を見るだけで、わざわざ再生することってほぼ無い。予言無関係にシンプソンズを見る習慣もない。

ですから、シンプソンズではこのような内容が放送されて、どんどん当たってる!予言的中している!と言われましても、どっちも見ない。みたいな感じ。

しかし、食わず嫌いも何なんで。と、つい最近、その時の3日?6日?前にアップされた投稿されホヤホヤのシンプソンズがサムネイルに使われていた、日本に関連する予言動画云々というキャプションのついていた冒頭に書いたもう見られない動画を再生したんですよ。

そしたら、私が嫌いな人工音声の解説動画でして、通常ならあの人工音声のモノは瞬時に閉じます。内容が素晴らしかろうが何だろうが我慢してまで見たくない。耳障りが悪すぎる。(いまどきは、あの人工音声が落ち着く方も多いそうですが、感性の違いをしみじみ感じます。)

でも、この時は珍しく動画を見続けたんですよ。最初は遠目に観ている感じでしたが、その内容に素晴らしい点が多かったので、これは音声を我慢して見続けてみよう♪と観て(なるほど)と思った点がありました。

それは、番組で流されたシンプソンズの放送回。というその内容自体がウソだった。という点。そんな放送回が無い。というそもそも論。

もともとの番組も、予言についても見ていないから私自身は検証できないのですが、シンプソンズで放送された内容ですよ。ということがフェイク。私以外でも、シンプソンズの元の番組を全部見てないと検証できないよね。

そうだよね。YouTubeで取り上げられているその素材そのものがフェイク素材だということを、「今の時代、こんなにフェイクがあるよ。それを心に念じておきましょうね。」という私たちの脇をスゥーっと通過して、至極当然のように本当のフリをして目の前に立っている感じでしょうか?

そして、それは、「今の時代、こんなにフェイクがあるよ。それを心に念じておきましょうね。覚醒しないと危ないよ。こんな情報もあるよ。」ということを発信しているつもりの都市伝説YouTuber側で起きている。いや別に都市伝説YouTuberじゃなくても全然かまわないけれども。

木乃伊取りが木乃伊になる現象ですか?

そう、私もいつも思う。他人事は自分事。私は過去、明らかなウソ情報をシェアしたことがあって、ありがたいことに知人が教えてくれました。

 

昔から言っているのは、私は陰謀論とか都市伝説と言われるようなことをウソだと言ったことはない。多分ない。なぜなら、いろんなことがあるだろうと思っているから。でも、陰謀論とか都市伝説と言われるようなことがウソじゃない一面もあると思うけれども、それが最終的な真実とも思っていない。

 

あ!一応、”番組で流されたシンプソンズの放送回が本当にあって、そんな放送回が無い。という方がフェイク”という可能性のありますけれども。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

ネットの時代だからこそ暴かれる真実。とおっしゃる意見も拝聴しますが、漏れてくる情報は漏れてもまぁいいか。と判断された情報ではないか?とも思ったりする。ここまで蔵出しするか、そうすると信じるからさ。とわざと一部を小出ししている可能性ってこと。

どんなに調べても、どんなに交流ネットワークを広げても、結構何かしらの深部に近づいたと思っても、限度がある。浅ーーーいところで「ネットの時代だからこそ暴かれる真実。」と思っている可能性がある確率を考えちゃう。答えは知らないけれども、そういうことも考えちゃう。仮定とか仮説ってそういうことだから。

しかし、「ネットの時代だからこそ暴かれる真実。」というものが、そう伝わることを意図されている可能性や、そういう喰い付き方を先読みされて策略に利用されていたり、拡散されることをあらかじめ盛り込んで想定通りに大衆が反応するように計算されていることもありそうだ。世の中上には上がいて、この手の情報コントロールに天才性を発揮する方って過去も居たし、今もいるはずだと思っている。人間の心理を深く深く理解し、それを操作することに異常な親和性を持つ存在。

 

私は一般人の集合体に属している自覚がある。

社会生活を送っているので、所詮は抜けられない。いろんな影響を受けて生まれてから今まで生きているので、その中で自分の嗜好や思考や行動、選択をする以外にない。

 

「ネットの時代だからこそ暴かれる真実。」というものも確かに中にはあるでしょう。

その割合、蔵出しの混合具合、配合具合は、あなたや私が想像、想定しているものと全然違うかもしれない。という可能性について書いています。

 

これらも含めて、映画「マトリックス」を例にあげて、大きな意味でこの手のことを「実は飼育カプセルの中で見ている夢」「虚構の世界」みたく表現される方がいます。私の場合は、内容をほぼ忘れてしまったが映画のラストが(いやぁこれはブラックですな。表現が秀逸だな。この虚ろさが怖いわ。)と強烈に脳に焼き付いているこちらをお勧めしたい。

映画「セル」

セル:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画

映画の評価は低いようですが、映画のラストシーンは何年も私の脳に生き続けておりますよ。 あぁ これは普通に起きている大衆心理だな。と超わかりやすく図解された気分だった。

今日の話でいえば、YouTuberも完全にこの集合体の属者であるという意味です。

良いとか悪いとかじゃなくて、相手が誰とか、どういう存在とかいうことじゃなくて、それこそが社会構造だと今は理解している。

Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

②行動心理学というか、反応心理学と書きたくなるような「型」について触れられていた

以前は、社会や人間行動の中のマトリョーシカ現象と書き、その後フラクタルと呼ぶようになったこのニュアンスを動画の中では「型」と表現されていたように記憶しています。

以前、ホームページのコラムか、この消えゆくだろうブログか忘れたけれども、に瞑想とか、ヨガとか、不思議と似たような行動や発言をしだしたあとに、これまた不思議なほど決まったルートを歩き始める方がある。あれはなんだ? そこへ吸い込まれる特殊な「ルート」「型」がありますよね?なんなの?と書いたところ、他流派の施術業界の大先生が遠巻きにヒントを出してくださった(と今でも思っている)。

私が世の中を見ていて気が付いた「型」については既に名称があり、それには禅病という名前が既についていた。そう、だから情報に執着しなくても現象は察知できるし、他者の統計を利用しなくても、その先どう転んでいくのか自社データ(当社比)内の確率である程度予測できるケースがあるし、いろんな知識があっても自分だけは大丈夫だと思いながら「禅病という沼(とあえて今回書きますが)」に吸い込まれていくケースが後を絶たない。

それが前回書いた

”いやかえってその扉の広い広い周辺はその領域に入ったことすら気が付けないかすかな傾斜になって吸い込まれる以外に無い蟻地獄のようなものがアチコチにびっくりする位大きく開いているのはないか?”

というイメージなんです。

禅病に限らず、「型」ってありますね。それをフラクタル性というのですが。

Susann MielkeによるPixabayからの画像

 

どんな道も、どんな沼も、どんな空も各自の好き好きだし、選択の自由だし、「ただの体験、経験」かもしれないが、私の中では「ある程度のパターン、型というのはある。」ということにはなっている。私以外にもはるか昔に「禅病」という名称を創った方も同じ感性を持っていたと思う。

 

ですから、人間が必ず何かしらの影響をうけて生活し、生きているとしたときの「反応心理学」、「事象と心理学」の理解に自分の少し特殊な視点、感性が生きているような気がしてきた。

進んだ自己理解①

そう! 「型」!

私がマトリョーシカと表現したり、フラクタルと納得したりするそれらの別名は「型」ですね。過去に「型」と書いたような気もするが、今回超新鮮に「型」という言葉が輝いた。

で、ふと思った。

お気づきの方もいらっしゃるかと思うが、私は偏屈です。「可愛げのある素直な女性」という言葉でいえば、可愛げのあるときだってたまにはあるといいなというのは希望程度だし、素直で言えば素直さが逆に(直球で?)働いた結果の偏屈な気もするし、女性は女性ですけれど。

こんな私が見えている世界、世界の捉え方、簡単に言えば「視点」になるかと思いますが、ちょっと特殊なのかも。という気が最近しました。

世の中のあちこちにフラクタル図形がある。幾重にも相似形を成している。というモノの見え方が超一般的というわけではないのかもね。と思うようになった。体験に関する事象を母数とし、それらを分母と分子に振り分けたり、自社データ、当社比という確率的な分類をしている自覚がちょっとあるので暗算名人とは異なる数学的な脳の働きをしているのかもしれないということや、数学の「集合と要素」というような考え方をしているような気がするとは以前も書いた。また空間認識力の一部なのかもしれないが「図形」みたいなものを視野から拾っているような気もするが、「図形」というと解説しやすいから言葉を選んでいるような気もしてきた。

事象が含む「エッセンス、要素」という表現がより一層にしっくりくる。

これらは、人間、ヒトの精神や心理、感情というものを理解する際のベースにもなっている(使っている、利用している)みたいだという自己理解が2、3日前に進んだ。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

 

だから、私の書くものが良い意味、悪い意味で響く場合は、その「集合と要素」「パターン」「型」に該当したのかもしれないというだけのことで、個人攻撃ではないつもりもある。

具体的な事例を挙げる際には私の中のデータの集合体の中からその要素を表現しやすい仮のAaさんが登場する。相談者さんの内容でななくて、生きている間に見聞きした、体験した際の人物のAさんの具体的なエピソードはきっかけであって、私が書きたいことは人間、ヒトの精神や心理、感情というものなので、それを理解するために役立つであろうその要素を含む母数の中から生まれた表現しやすい仮のAaさんですが。相似形の一部になってもらう仮説Aaさんという意味です。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

興味のあることが違う。生息域が違う。

’私は予言系とか、都市伝説とか、それほど興味がありません。うっすら広くなんとなく聞いたことある程度です。’と書きました。全く見ないわけじゃないけど、内容への喰い付きが悪い。

だた、それを発信するヒト、それを受け取るヒトには興味がある。

個人に興味があるというより、その心理、反応に興味がある。そんな風に絞っていくと、それに該当する対象が増えるというパラドックスにも興味がある。

こんなことが、ここ最近ブログを書いてクッキリしてきているんですが、そんなときに次なるラッキーがきた。

自己理解②

いろんな体験をして、私も変化して、下記のとても分かりやすい図(Facebookで流れてきた画像です)を実践するとはどういうことか?どんな感覚か?を少しずつ理解してきました。

感覚として以前より血肉になってきた感じがしています。

ですから、都市伝説や陰謀論や、文化、エンタメということとは生息域、興味の対象が逆なのだろうと気が付きました。ざっくりいうと、円の外か中かで違う。瞑想は一見円の中のようだけど、その動機、目的、きっかけなど根底が円の外ならその瞑想は円の中には入らない例もあるのではないかと勝手に推測している。

他人事は自分事だか、それは境界を失くすという意味ではない

私はストレス、悩みについての相談業をしており、ヒトの側の反応や影響に興味をもって掘り下げています。それらをストレスを軽減するために利用したいし、悩みが軽くなるきっかけになったらいうことない。

他人事は自分事なんですよね。

 

こちらの図は、

株式会社ハートフルサンク様が発信された画像ではないかと調べましたが、著作権侵害になりましたら即刻画像を削除いたします。3月末にはおそらくこのブログの運営サイトが消失しますので、最長でも3月末に消えます。

株式会社ハートフルサンク さまの作成された画像

 

 

最後に

伝わるように書けたのかどうかもよくわからないですわ。

この文章の続きがまだあるので、また書きます。

 

あと、エゴサーチなどいちいちしなくても、そういえばGoogleに登録しておくと、キーワードに引っかかったものがお知らせに上がってくるという機能があったな~と思い出しました。

この手の機能を使ってないから忘れてた。

isuzu1202によるPixabayからの画像

 

今日現在のまとめ

2026年3月末で終了よね?!

残ったら残ったでOK。消滅したら消滅したでOK。

ところでこのブログが消える日の確かな日っていつだったっけ?と確認しました。

———

平素は「シンブログ」をご利用いただき、誠にありがとうございます。
このたび当サービスは2026年3月31日をもちまして、サービス提供を終了させていただきます。

現在ご運用中のブログにつきましては、無料でご利用いただける「シンフリーサーバー」
より高性能で充実した「シンフリーサーバープラス」「シンレンタルサーバー」(有料)などの
当社サービスへの移行をご検討くださいますよう、お願い申し上げます。

———

そうか3月31日だったか。と思ったものの、??? と思った点が1つ。

それは

「シンレンタルサーバー」(有料)などの
当社サービスへの移行をご検討くださいますよう、お願い申し上げます。

この部分。

私はHPを有料サーバーで管理しているので「シンレンタルサーバー」(有料)だと思うんだけど。

 

ですから、ひょっとしたらHPももろとも消える可能性もあるな。と思っていましたが、HPは残って、有料HPサーバーに付随していたこちらのブログのサイトは消えるのかな?それともブログも残るのかな?

よくわからんですが、なるようになると思って、一応2026年3月31日消滅のつもりで走り抜けたいと思います。

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一旦まとめます

昨年2025年末あたりから今年2026年頭にかけて書いたことをまとめます。

朝起きぬけに書く文章が頭に浮かんでいましたが、今はもう午後なのでだいぶ忘れているかもしれませんが。

書いては考え、考えては書き

私はずっと昔から「なんでも帳」にいろんなことを書きまくっており、考察あり、予想あり、体感記録あり、図形あり、イラストあり、ととにかく何でも書いてきて、ノートも結構な数溜まったので、数年前に半分以上処分しました。

捨てる前にその記録をパラパラっと見た時に、(すごい!私こんなこと書いてたんだ!)とか、(すげーこと気づいたな。)とか一端の研究者風な記載もあったりして、読み返して自分が驚くようなこともありましたし、読み返して驚くということはそれを忘れていた自分がいるってことなので、知識の定着や考察が血肉になるのって時間がかかるのね。と実感しましたわ。確かに自分にとってはお宝ノート、自社データ、当社調べの集大成ではありましたがズバッと処分しました。

読み返さないし、ノートに書いてアウトプットしたときに次なる思考展開へつながったことにしました。ですから、自分にとってはお宝かもしれないけど、過去データは自分の細胞の一部になったことにしました。

で、こんな考察とかを歴代のブログや現HPのコラムに書いたりしてきて、これはこれで書いている(タイピング)している時に領域展開じゃないけど、思考展開が起きて、自分にとってはなかなかいい働きをします。

また、ヒト様と対話すると、これはこれで別の思考展開があったりして楽しいです。読書しても、最近ならヒト様の動画を見た時とかも、脳ってビュンビュン動いているんだな~って感じる時がある。それとは別に、目に映像は移っているけれど、無になっていて何にも見てない、考えていない時もある。

 

だから、一連の減らず口は昨日今日の話じゃなくて、手を変え品を変えずっと書いてる。そして、少しずつ進化みたいな変化をしている。

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テレビを見てコラムを書いていた天才著名人

私はほんの時々YouTuberさんについて書く時がある。昨日気が付いたんですが、そういえば残念過ぎるほど残念なテレビを見てコラムを書いていた故天才コラムニストさんがいらっしゃいましたね。

時代が変わって、テレビだけだったところにYouTubeが加わったんだな~って思いました。

私は特にYouTube界にも詳しくないので、実はヒカキンさんやひろゆき氏、その超有名な方の動画も見ないし、他の方もよく知らない。以前ファミリーサポートという有償ボランティアをしていた際に可愛らしいちびっこ達に流行っているYouTuber(えーーーっと、名前が思い出せないので 追いかけっこ と調べましたら「シルクロード」「フィッシャーズ」と出てきました。そうそうこのグループ)について教えてもらったり、利用の仕方を見せてもらったり、超流行っているアーティスト(YOASOBIやAdoやblackpink)について教えてもらったりしてとても楽しかった。

もう今どきは文字を読まないんだな~というのもよく理解したものだから、自分が終わったコンテンツの「ブログ」や「Facebook」しかやっていないからこそ、前回も書いたような(アレ?ご本人がこのブログを読んだ可能性ってあるの?)ということを私の方が驚く。

思い出した他の例としては、無学、無知な私が政治のことを勉強しようとしたときに確かにFacebookではおみそんさんの投稿を以前はよくシェアしていたけれども、しかしこのブログでは触れていないはずなんですよね。違ったかな?

でも、あるとき(アレ?ご本人がこのブログを読んだ可能性ってあるの?)と思うような時もあったんですよ。他の例も含めて アンタ自意識過剰すぎるでしょ という可能性もあるので今まで何も書かなかったけど、まぁブログ消滅するなら アンタ自意識過剰すぎるでしょ も消滅するわけなので書きました。

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不思議系の体験と考察集ブログを消した

世の中を見たり、セッションをしたりしたり、日常生活をおくっている際の神秘体験と言ってもいいような、不思議体験と言ってもいいようなことをHPや通常のブログとはまた別に記録ブログとして数年間、数年前まで公開していましたが消しました。

明確な理由がありまして、「妙な、変な影響を与えてしまう可能性、実際にそれを感じた」から辞めました。

なんでしょうね、とある皆さんの脳にヒュッと入りやすかったのかもしれないですが、不健康に感じたのでやめました。ただの記録というか、体験記のつもりで書いていましたが、自分がどんなつもりで発信(ブログに書くということは発信ですから)しても、広まった先が不健康な様になったように感じたのはモヤモヤして、自分が気持ち悪くなった。

私の脳なのか、感性なのかは、これを文化とかエンタメとかで処理できなかった。

 

で、消したその数年先の昨年に「サタニスト」という言葉を目にして

サタニストという観念 – 武田美紀のブログ

「う~む、あのサイトを閉じておいてよかった」ことになったし、自分が感じたモヤモヤや不健康感とはこーゆー理由もあったのかもね。と書いている今思った。

 

別に今の私がその手の領域に居ないとは決して言わないし、三上編集長のご活躍もサムネイルで拝見しますが、

  • なにも壁がなく、
  • 良いもののフリをしていることもある
  • 好奇心からどんどん人々が吸い込まれていく扉(だからお金、ビジネスにもなりやすいのかもね、って今思った)、
  • いやかえってその扉の広い広い周辺はその領域に入ったことすら気が付けないかすかな傾斜になって吸い込まれる以外に無い蟻地獄のようなものがアチコチにびっくりする位大きく開いているのはないか?

と勝手に感じている。(笑)

 

本来の意味とは全然異なる、「どこでもドア」みたいな感じ。

 

で、自分がその一端を担っていないか? なにかしらの手先みたく役割をしてないか?というような逡巡がわいたんですよね。

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その手の領域に入らない方が難しいのかもしれない。いや、入ったのち、出てくるのが一番難しいのかもしれない。

それは、それらがウソだということではなくて、サタニスト的な要素ではない精神性というか、ある意味の強さというか、柔軟性というか、それを持っている(持続?)のが難しいというようなイメージだろうか?

才能のあるスポーツマンは柔軟性がある。みたいな感じかな? 違う? う~む、難しい。

 

表現が難しいですが、ある意味の「純粋さ」を生きながら維持するのが難しいというか、清濁併せ吞んだうえで「純粋さ」を維持するのが難しいというか。精神性とか脳の傾向とか、それこそ人間の欲とかそんなこんなで神秘系、不思議系以外にも無限の

”その領域に入ったことすら気が付けないかすかな傾斜になって吸い込まれる以外に無い蟻地獄のようなものがアチコチにびっくりする位大きく開いているのはないか?”

というような話です。

個人的なイメージであり、仮説であり、作り話です。(笑)

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こんなことを考えたりすると、自分を大切にする。という言葉も深いなぁと思うんですよね。好奇心という本能に従わないことを選択することが結果自分を大切にするような事例もありますかね?という意味です。

 

いろいろあって、一生懸命考えて、滑って、転んで、立ち上がれたような気がしたり、体験して、体感があって、生き方が下手だなぁと自覚したり、いろいろあって、手を切ったりした方がしっくりくる分野もあり、自分の感性を掘り下げたり、

で、おかげさまで最高に幸せだと感じる時間が増えている。大きく占めている。

 

もうこれは本当に奇跡、僥倖だと感謝している。

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私を救った知人の言葉

”いろいろあって、一生懸命考えて、滑って、転んで、立ち上がれたような気がしたり、体験して、体感があって、生き方が下手だなぁと自覚したり、いろいろあって、手を切ったりした方がしっくりくる分野もあり、自分の感性を掘り下げたり、”

というときに迷うこととか当然ありますよね。

 

そして、

”私の脳なのか、感性なのかは、これを文化とかエンタメとかで処理できなかった。”

と書くと、自分の考えを否定されたかのように感じる方もいらっしゃるかと思います。

が、もう少しお付き合いください。

 

世間では「良い」とか「法則」(この時は引き寄せの法則についてではなかったと思うが)とか言われていることを受け入れるのに非常に抵抗がある。というような何か事例を挙げてその友人に話したときだったと思うが、そのような私の反応について意見を述べた友人の考え方が私を救った。楽にしてくれた。

彼が言った意見は「俺はその考え方は採用していない」だった。

 

なんとも明快。天才! 当たり前の考え方なのかどうかわからないけど、私に伝わる言葉としては最高! 天才!

 

そう、だから個々の選択、採用によって各々が幸せに過ごされたそれが一番だと思うことも確かなんですよ。幸せは他人が決めることじゃない。嗜好は持って生まれた性質。嗜好が変わるのも持って生まれた性質。

 

私が好きじゃなくたって、それを好きで採用する方もいるなんて当たり前中の当たり前のこと。

 

ただ、サタニストという言葉を私が創ったわけではないが、それがエンタメだろうと文化だろうと、その視点からこのカテゴリーに分類される思想、エンタメ、文化はあるということですね。

しかし、どの分類で、どのようにカテゴリー分けされようが、「俺は(私は)その考え方を採用しない」で済む話ってことになります。怒ることない、悲しむことない、採用していないんだから。

 

しいて付け加えるのなら、いろんなことをエンタメや文化として発信しているのなら、反対意見もエンタメや文化になりますかね?

これらの線引きって誰の胸先三寸なのでしょうか? と言い出すときりがないので、「俺は(私は)その考え方を採用しない」という私の友人の天才的な魔法の言葉をケースバイケースで採用するってとっても素晴らしい考え方なんじゃないかと思っています。

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あと1つ、何か書こうと思っていたことがあったんだけど、忘れました。

文章を書いている間にチラッと思い出したんだけど今は出てこない。

 

思い出したら書きます。

予言はカルチャーの一種

最終回の予定

あぁ2025/07/05についてラストって意味です

2025年7月5日の大災害の予言については無事に済んだし、私は誰がどう拡散したのか全員を知っているわけじゃない。角さんというリンクを貼った方もそうだったんですね。そういえばそうだったっけ?という記憶しかありませんし、ノストラダムスの大予言だって外れてもご本人は知らん顔だし。ということで書きたいことは書いたから終わったこと Done案件でしたが、こちらの動画が目に入って再生してしまった。そして動画の冒頭辺りの角氏の発言「予言はカルチャーの一種」という言葉を2度聞きした。今なんとおっしゃいましたか?という意味の2度聞き。

私凡夫なんで「不倫は文化」という本当はご本人がおっしゃっていないけれどもマスコミが創った言葉を思い出した。しかし「予言はカルチャーの一種」という言葉は確かにご本人がおっしゃっていた。

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なるほど

「予言はカルチャーの一種」と聴いて、(なるほど)と思った。

私は、個人を糾弾したいわけじゃなくて、現象として経過を見ていた際に両方の反応、影響の成り立ちについて書きたかった。発信側の表情、目の輝き、それが伝播してきた側の表情、眼の輝き、その内容。それもパトロールしたわけじゃなくて、私がたまたま目にした数個の動画で感じたことでしかない。が、この時は「共鳴の法則」と書きたくなるような反応と感じましたし、それらをざっくりと「カルチャー」と表現されたのを見て(なるほど)と思った。とういことは、私はカルチャーについて感じたことを書いたんだな。エンタメについて感じたことを書いたんだな。と気が付いた。

潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口 – 武田美紀のブログ

 

ご本人談ですが、自分で喋っているうちにその気になってきた。とのことでしたが、自己洗脳というか、思考が言語になるわけで、信念が築かれていくこともあるから正直な感覚だろうと思って動画の冒頭部分を拝見した。配信内容がカルチャー、エンタメなら謝る必要などない!と言い切る方もいらっしゃるだろうし、謝ることなのかどうかもわからない(ノストラダムス含め予言者は謝っていないが、広める側、広められる側の話だろう)ですし、そもそも知らん顔している方もいるけれども、「外れましたね」と振り返って触れたりされたこと(他にもあの当時早々に振り返りをされた方はいた)には私個人は好感を持つし、ちょっと違う視点をもったり、一旦止まってみる。みたいな効果があるような気がした。結果そういうことも影響しあう気もする。

メインの後半の予言についてはわたくしは知りません。信頼度も正確性も知りません。個々の判断・好みでお願いします。

私は冒頭の語りの部分について書いているだけです。

 

他にも都市伝説(今回の件も含めて)などについて「エンタメ」と表現されている方もいますね。

 

一旦止まる?

いろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験があっても、自分をなにかに乗っ取られたり、いろんな影響にあまりに侵食されるのなら、そのいろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験は禅病の領域ではないだろうか?と考えたりする。

まぁ 魔境的な意味ということになります。

正解は知らないけれど、健康的には感じにくいし、こういったものに正解と不正解があるのかどうかもなんとも書きづらい。とどのつまり精神性、精神論みたいなことになって、(なんじゃその説明、結果は)となってしまう。となるし、魂とか書いちゃうとますますこじれそうだから私には回答を出せない。魂自体に個々の解釈があるからそれも加わって収拾が付かなくなりそうだ。

 

ただ、個人的にこの手の体験になにか正解があるのなら「点」であり、唯一の一点ではないかと思っている。

その周辺の無限に広がる「それらしいこと」とその一点は薄皮of薄皮の差であり、唯一の一点以外はすべて禅病、魔境なんじゃないかと勝手に想像している。

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そして、それは薬や修行で自分発でコントロールしたり、得たりするものではなくて、ポトンと落ちてくる僥倖だろうと推測している。目的が悟りではなくて、真摯に生きていたら結果的にありがたいことに究極の到達点で悟った、体験したというようなイメージです。千載一遇より確率の低いイメージです。

神経構造的でも脳構造的でもいろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験があるのは存じ上げていますが、それらはそれらのカテゴリーの中の体験。薬などの影響があるのならそれはそれらのカテゴリーの体験。

体験がウソと言うわけじゃなくて、発信源、カテゴリーが先ほど書いた「一点」とは異なるように感じていて、周辺の無限に広がっているそれらしいところ発ではないかと勝手に推測している。

 

そして、「一点」以外がダメってことじゃない。それは「そのように在る」という状態だろうと思っていますが、ただそういうことで「選民感」みたいなものを持つと、おそらくその「一点」の僥倖と遭遇する確率は低くなりそうな気がする。が、「そのように在る」状態の濃度は増していく。

それが、目や表情や行動や態度や発言に漏れ出てくる。

 

だから神秘体験とは諸刃の刃であって、なにかしらのリトマス試験紙みたいなものなの?と思うときがある。一旦立ち止まることの大切さってあるな~なんて思ったりする。

皮肉なのか摂理なのか、はたまた私個人の勘違いなのか。と、わかったようなことを書いていますが、私は当然?残念?ながら正解を知りません。

良い表現が見つかった

先述した

”個人的にこの手のなにか正解があるのなら「点」であり、唯一の一点ではないかと思っている。

その周辺の無限に広がる「それらしいこと」とその一点は薄皮of薄皮の差であり、唯一の一点以外はすべて禅病、魔境なんじゃないかと勝手に想像している。”

 

の、この1点を他にどう表現しようか?と思ったら浮かんだ。合っているかどうかすらわからないくせに思いついた自分を天才かと自己陶酔しそうになったわ(笑) それを

立体、球体の全方位のなかの、全方位中の「陰陽の完全に拮抗した唯一の一点」と書くとイメージしやすいだろうか?

 

だから、そこには「導く」とか「雷に打たれたようだ」とか「全能感」「感動」「ビジネスにする」「この感覚を発信したい」というエネルギーなど無いと思う。そのような影響は発生しないような気がするという意味です。

完全に拮抗していたらゼロ地場的な「ゼロ」じゃないのかな?なんて思うから。

「すべてが無な状態が『在る』」だけじゃないのかな?

 

今ちょっと頭が良くなった気がしている凡夫が元旦からせっせと書いておりますが、楽しいです。私のこういった理屈や理論がどこかで(反論としてでも)使われても、それを私が気に入らなくても、いつかの過去の私のように「パクられた」とか思わないだろうということも今はわかっている。

それは、私が今書いたものが誰かのナニカの参考になっても、私自身の思考、推敲は割とずっと進化してきていて、将来の私は今より生きた分もっとMy統計が増え、自社データ調べが増えると思うんですよ。その少し先の私から見ると、よしんば2026年元旦の今何かをパクられたと感じるようなことがあっても「私の古いものをパクっている」ということにしかならないと腹の底で理解できたときに「ケセラセラ」となった。今日より先の今より思考が進んでいる私にはなんの不利益もない。ということですね。

多分、過去の私がなにかをパクられたと感じた際に、

  • 感情的に面白くなかった。
  • 自分が利用されたような気がして軽んじられたと脳内変換した。
  • 私の案を利用して相手が得したことが面白くない
  • 存在価値を無視されたことが悲しかったなど

が反応点でしたが、実際に「損」がどのくらいあったか?は計りようがないよな~とは思いましたね。損得よりも「面白くない」が勝ってたりしてね(笑)

 

パクる、パクられるって人間関係のいざこざがありますよね。多分、YouTubeの世界の中でもあるんだろうと思うんですよ。どうぞどうぞ、私はTakerですから。と心底思っている方もいるかもしれないし、なにをどう発信しようと、どんな反応があろうと気にしません。という方もいるかもしれないし、切り抜きご自由にという方もいるし、動画使用を一切禁止にする場合もある。業界の常識とかもあるんだろうな~と遠くの世界を眺めている。

マスコミの影響も、SNSの影響も文化やエンタメ、報道という意味では「いろいろある」んだと再認識しました。2025/07/05騒動みたいなことってSNSが無い昔からあるし。じゃあマスコミが謝ったか?申し訳ないと思ったか?というのも疑問だし。

そういう意味では、マスコミもSNSも一緒のやり方したら結果一緒なんだな~って今ようやく過去最高腑に落ちた。私はマスコミよりSNSに触れることがほとんどだけど、発信者の価値観と人間性みたいなものがいかに大切かと本日元旦一層思った。大なり小なりその方の影響を受けるわけなんでね。そしていま改めて、シェアした角氏の動画を拝見して、数分の語りで私が感じることのできる範囲では優しさを感じました。知らん顔することも、逆ギレすることも、揚げ足取り返しみたいなこともどんな方法もある中で、わざわざとっくの昔に終わった件について触れてちゃんと終わらせた感じがして私は好感をもちました。主義主張は違っても、会うことは一生無くても、私の存在など知る日が来なくても、これも共生だなぁなどと思いましたわ。

最後に

わたしは影響力の無い一個人で、世界の片隅で独り言を書いていて、減らず口も書いている者ですが、たまに、アレ?ご本人が私のブログを読んだのかな? そんなことある? 真相は不明。 みたいなことがあるんですよ。

何年か前、ニクヨさんにそれを感じた一瞬があった。使う言葉とかまぁそんなところで。真相は不明なのですが、ミルクティー飲みたいさんもなんかシンクロしたな。とか、もしご本人がエゴサーチしても相当深いところまでいかないと私のブログなど出てこないような気もするし、そもそもエゴサーチしているか知らないし、調べたって私のブログなど出てこない可能性だってあると思っている。

が、今回角氏の動画を見て、アレ?今この話題?とは思ったんですよね。私のipadちゃんが今回シェアした動画を表示したから再生してしまったわけですが、もしこのブログがご本人の目に触れる 1/1000000000000000000 の可能性があるのなら書いておきたいことがあります。

それは角氏が引き寄せについて出版されて売れ行きが良いらしい(おめでとうございます)とどこかで見たからなおのこと書いておきたい。

私は引き寄せについて否定していません。 いや アンタ完全に否定しとるやろ。と言われることも秒で想像できるけれども、違うんです。引き寄せなど無い。という証明は悪魔の証明となり私には証明できません。

それを信じて人生Happyならそれが一番だと思っている。じゃあなぜ否定的としか思えない内容を書くのか? それは、私が私の脳内で整合性が取れてない違和感を言語化して確認しただけ、と言えば近いのかもしれない。そう、世界の片隅で脳内処理案件について書いては思考し、考えては書き、自分の中で整合性が取れていないと感じる部分を精査しているだけにすぎません。

だから、減らず口を書く。というのは非常に正直に表現できていると思う。

 

過去も何度もお願いしていますが、世界中にいる何億もの人間の中の一人、権威もないただの個人なので、読んでくださっている皆様におかれましては、気にしないでください。ましてや凹んだり傷ついたりしないでください。どうぞご自分の信じる道を進んでください。私に言われなくてもお進みになるでしょうが。

 

ただ、私はこのように生きてきて、春日武彦先生の著作に出会い、それまで自分が感じていることをマトリョーシカ現象と表現していたことに「フラクタル」という名前があることを知り、・・・・というような例もあるように、体験と感覚と名称が合致したりして、ジワジワと知識や思考を結合、成長させてきたつもりでおりまして、脳内のおさまりが悪いものに対して喰い付いて、考えて、書いて、考えて、が始まっちゃうんですよね。

だから、今回、角氏については何も考えてなかった。考えているのは自分のことだけだった(笑)

だから、世界の片隅からとはいえ、個人攻撃しているように思える可能性など微塵も考えてなかった。そもそも、私の引き寄せの法則云々は出会いが相当古いから、そこに角氏はいないんですよね。7/5の件も角氏も拡散側だったことすら記憶が無かったし。

 

優しい方のようにお見受けしたので、1/1000000000000000000 でも凹んでしまった可能性があったなら、説明文を書いておかなきゃと思ったということです。自分ができることはできる時にやっておこう方式で。

 

生きていたらいろんなことがありますでしょ?その起きる「いろんなこと」をすべて引き寄せたとみるのか、ある程度は自分がコントロールできない影響もあるとするのかでも価値観も変わってきますし。

 

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

訂正

潜在意識を考えてみた その2 – 武田美紀のブログ

上の記事内で 占いの皆さんが必ず言う「統計ですから」のその溜まりに溜まっているはずの統計(資料)を目にしたことが無い。と「統計」という言葉の使われ方についての疑問を書いたけれども、何年か前に「ゲッターズ飯田氏は実際にノートに記録し続けていて今もそのノートがある。」と聴いたし、ラジオだったかもしれないがそのノートを実際にみた相手の方が「わぁ すごいですね」と言っていたのを聴いたことがある。

 

だから、統計を実際に個人で記録されている方もいました。

それをお持ちだと私が認知できたゲッターズ飯田氏には訂正してお詫びします。

巻(Maki)によるPixabayからの画像

 

ゆく年くる年 新年あけましておめでとうございます。

健康で平和で安全、笑顔のある生活と、ますますの発展の扉が開いた朝。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます

2026年 あけましておめでとうございます。

 

今年もお世話になります。

よろしくお願いいたします。

 

皆々さまにおかれましては、健康と平和と安全、笑い声のある生活をおくられますよう祈願いたします。

もちろん私自身についても祈っております。

 

やれるなら、やれるうちに

社会の物差しや、他者の価値観・評価を優先にして自分の「やりたいこと」を決めていることが多いのだと気が付く時があります。

 

  • あんなことをしても無駄だ
  • お金にならない
  • 評価されない
  • 賢い選択ではない
  • 占いではダメだと言われた 他

いろいろ頭をよぎったり、実際に言われることもあります。

 

確かに他者のアドバイスが実際のところ的を得ていることもある。

ケースバイケースだから「やりたいことをやれ!」などと言い切ることなどできないのですが、やりたいこと、本当は価値基準的に一番魅力を感じていることを後回しにする癖を数多くの方はお持ちだと思う。

心の底で、(いつでもできる。将来やりたいと思ったときにできる。)と考えている節がある。

将来やればいい。やろうと思えばできる。と思ったら

私のMy統計、自社データ的には、「やれるときにやらないと、もうその先できるチャンスも来なくなる。」なんていう事例も多い。

私個人的に、それが叶うタイミングだった。と結果的にそう言える出来事があった中で、「それが実現化するための出発点に立てるチャンスの扉の閉まりかけにギリギリ滑りこんだ」と感じたケースもあった。

アドベンチャー映画、重い扉が上から降りてきていて、扉が落ちる最後の数十センチの隙間に滑り込むインディジョーンズのようなイメージだ。

別のルートがあるのか、無いのかはわからないが、そのルート以外無い。やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかったから結果その先の人生でチャンスもこなかった。ということもあるだろう。

チャンスは何度でもある。という案件もあるだろうし、チャンスは一度、チャンスは2度、という案件もあるような気もする。

正解はしらないが、私のMy統計、自社データ的にはそんな感じがしている。

 

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。それを「後回しにした」ともできますが、人間の心理には心理的矛盾とか、葛藤というものがある。

 

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。どころか、叶わないための選択(行動)をする。ということのなんと多いことか。

もちろんこのような行動様式をするご本人にはちゃんと理由がある。自分に言い聞かせることができる理由がある。

 

ただ、ここがのちのち後悔する最大の理由。

なにをどう後悔するのかというと、「やろうと思えばやれたのに」ということであり、そこをもう少し深掘ると「現実にはそれを手にしなかったのに、まるで手にしていたものを失った、逃したようなある種の損失感」に似ているからではないだろうか?

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

潜在意識の影響か?

現実にはそれを手にしなかったのに、まるで手にしていたものを失った、逃したような感覚がなぜするのか?

そこにこそ「潜在意識は現実と仮想の見分け、区別がつかない」を適応してもらいたいと思っている。

そう、逆引き思考のようなものは視点の1つとして非常に面白い時がある。

 

だって、

  1. 後回しにしたって
  2. まるで叶わないための行動をしたって

すっかり叶えられる(どっちみち将来は叶ってますから)つもりになっているその様は、引き寄せの法則と唱える方の「潜在意識は現実と仮想の見分け、区別がつかない」的には「叶ってる」と言えますよね。

 

でも、やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。ということは違う法則「行動と結果の法則」的には叶わない。

 

人間を知るということは、深いなぁ といつも思う。

ご都合主義ならオールOK。ご都合主義だって主義は主義だ。個々の好みだ。

自分の思考だけ、判断だけ、規則、物語、価値観だけに固執していると「人間」が見えない。

日々勉強って思うけれども、自分の半径10メートル以内でも学ぶことは沢山あり、以前も書いたけど、「遠くの事象は近くの事象に含まれている」「世界の事象は自分の半径10メートル以内でも起きているから学べる」というフラクタル性はいつでも存在しているなぁと思うことが増えた。

フラクタル性

社会の中にはエッシャーの隠し絵のごとくフラクタル性、フラクタル図形が無限に隠れていて、なんちゃって客観視やなんちゃってメタ認知ではなくて、冷静な客観性、嗜好・感情を一旦脇へ置いてのメタ認知に熟練すればするほどフラクタル性、フラクタル図形の分布というか、集合する様が浮き上がってくる。

と、私は勝手に考えている。

 

この時に、私が書いた「影響の法則」とどの程度距離を置けるのか?

潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口 – 武田美紀のブログ

 

いや、生きている限りは影響の無いヒトなどいないから距離を置くとかという表現もイマイチなのだろう。

「生きている限りは影響の無いヒトなどいない」については、遺伝子を持っている時点で、いや、この世に生まれた時点で影響の結果なんで。という意味も含んでいます。

 

「私は他者の影響を受けません」と狭い範囲、小さな意味で言いたい(頑張りたい)気持ちもわかる。が、そう発言した、そう思考した今のあなたが影響の結果の存在なんで。とも言えるし、フラクタル性を小さく(ズーム?)していくと、「私は他者の影響を受けません」と狭い範囲、小さな意味で言いたい(そのスタンスを誇示したい)気持ちになったそこにもなにかしらの影響があり、そう主張したくなるような影響があったということでしょうから。

 

今思った。

こういったことは、書くより喋ったほうが早いよね。ニュアンスも伝わる。

音声コンテンツを将来考えてみようかと、ようやく思えた。

しかし

いや、私はタイピングして文章を書くことを大層好んでいますが、これをやめて音声に切り替えたらボケやしないかとちょっと心配ですわ。ほら、指先を使うとボケにくいって聞くでしょ?

もうね、自分の老いも視野に入れんといかんのですわ。私超富裕層じゃないから永遠の命ってないし、老いるし、生命の保証もないし。凡夫は自分のボケも視野に入れておかないとね。

 

元旦の熱量(笑)

新年のご挨拶をアップするだけの数行のブログのつもりで、「やれるなら、やれるうちに」とサラッと書いたら、自分のその書いた文字に影響されて予想外に長くなったし、ここのところなんだか頭が良くなってる気がして今日もまた(うまいこと書くな~)と悦に入りました。(笑)

元旦から楽しいっす。

皆様はとっくにお気づきだろうが、今また潜在意識について喰い付きシーズンが来ている。

そう、一方的にこれは真実だと型通りの説明をされる潜在意識(正しくは、引き寄せの法則の際に説明される潜在意識です)について、ちょっと角度を変えてもそれが法則なら成り立たないとおかしくね?という減らず口を書いているわけです。

 

まぁ、ちょっと賢い方に ツン とつつかれたら大きな風穴があくかもしれませんが、ここが凡夫の悲しい性で、なんだか自分が頭がキレているんじゃないかと自己陶酔するという。

面白いのは、こりゃ良い視点だとか、この論理展開はうまいこと書いたな、とか思うときの脳の状態ってちょっと違うんですよ。昔も書いたけど、一段階ギアが上がって、スルスル~と軽くなるんです。で、あぁ今ギアチェンジしたな~って体感があるんですよね。

多分、思考の際に発する電磁波?生体電気状態?の質が変わるのを体感として感じているんではないだろうか?

または快ホルモンの体感なのかもしれない。

 

そして、今、次のブログの内容も脳内で決まっておりますので、また書きますね。

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どうぞ どうぞ 2026年も引き続き 健康で笑い声のある生活をおおくりください。

お互いに、ですが。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口

減らず口 + 思考

反応の元を考える

減らず口を言う時のその反応の元はいろいろあるみたい。

感情的な反応を正当化したい場合も多い。感情っていろいろあるから。

 

そして、感情的な反応で終わるのか、自分のその反応の奥を探ろうとするのか、反応したことすら忘れるのかでその先は分かれていくように思う。

 

そういう意味では、自分に素直というか、ありのままの自分を見る効果というのはこういうところでも生きてくるんだと感じる。

で、相も変わらず今日も私の減らず口 探求心について書く。

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法則とは、テクニックを教えてもらうものなのか?

都市伝説などで、実は重力も地球上とは言えいつでもどこでも働いているわけじゃない。というような話を聞いたような聞いていないような感じですが、これについては脇に置かしてもらいます。この脇への置き方は、人間じゃないものが人間社会に混ざっているという説を重要視して多様性について話をする際に「いや、でも、ヒトならざる者のことも考えないと不平等です」と重要視する必要は(今はまだ?)ないでしょ?という意味です。

特殊な例を持ち出して反論したい方はご自由に。

 

万有引力の法則

他に法則の例はないのか?というご意見の方がいますか?

フレミングの左手の法則でもいいですよ。

 

「法則とは?」についてのネットの回答は「いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」とあった。

 

ですから、万有引力の法則も、フレミング左手の法則でも、その法則の計算式というか、説明はイマイチわからなくても、いつもあるし、使おうとしなくてもそれらはすでに生活に活用されているし、条件は変わらない。

  • 当たり前。
  • 深堀しなくても法則を使っている、使える。
  • わかろうとしなくてもわかってる。

 

こういうのって、自国の言語習得と似ているでしょうか?

言語の質にこだわればテクニックについて学ぶのが必要だろうけど、言語自体は使うことにテクニック云々とは言われない。

 

ところが、引き寄せの法則やほかの思想系の法則は「いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」という法則の定義が曖昧に感じる。曖昧過ぎるから「引き寄せの法則を学ぶ」みたいなセミナーな講座に多くの参加者がいるし、情報を得たがる。その曖昧さにビジネスが成り立つ空白がある。

法則なら情報を得ようとせずとも知っていたり、当たり前に身の回りにある。コツやテクニック云々の話じゃない。

 

そして、「引き寄せの法則を学ぶ」みたいなセミナー講座の講師側も、情報発信する側もその確率は100%なの? 叶ったこともあったし、叶わないこともあったならそれは法則じゃない。

いや、「叶うことも、叶わないこともある法則」と言って欲しいもんだ。

Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

「説」じゃね?

じゃあ、「引き寄せの」として伝えればいいし、引き寄せの確率を上げるためには?という伝え方をしたらいい。

そこで初めて、引き寄せの確率が上がらないのは、

  1. そもそもの「説」が間違っている
  2. 伝える側の力量不足
  3. 伝えられる側の理解不足

これらのコンビネーションか? という視点ができる。

そうしたら固執して「妙な沼」に入らず、その説による引き寄せられない理由を冷静に分析できそうだ。

法則ではなくて「説」として。

「周波数」「波動」と決めつけるのは好きじゃないが

ただの好みの問題なのですが、この好みが出来上がってきたのにも一応理由があって、それらしいことは既に書きました。

潜在意識を考えてみた その2 – 武田美紀のブログ

 

共鳴の法則

世の中にすでにありそうなネーミングですね。

でも、共鳴の法則なら(それは法則だね)と受け入れやすい。共鳴というか、「影響の法則」と表現した方が正しく伝わりそうだ。

 

目の前にあること以外にも影響の元は無限にあるし、影響の大きさ小ささなどもどうであれ法則に反しない。引き寄せるぞ!という思想や感情や欲望や観念とはまた別で、影響しあっている今、自分、環境がただ「在る」という現実認識、認知となる。

なんなら、引き寄せたい!という自分の影響だって含むことができる。

 

遡れば、

  • 当たり前。
  • 深堀しなくても法則を使っている、使える。
  • わかろうとしなくてもわかってる。

ということにも沿っている。

 

こんなことを書く自分が天才かと思うが、当たり前のことを書いているに過ぎない。(笑)

(うまいこと書くな~ うまいこと説明したな~)と悦に入ったわ。www

 

ということは、「欲」か

いろいろ書いてきて、とどのつまり違いは「欲」か。と思うと、引き寄せの法則とは「欲」を刺激する法則であると言える。

 

ある種の「幸せ感」って欲とかが「無」になり、「ただ在る」ときに感じたりするものだけど、引き寄せの法則をテクニック重視と認識している間はこの境地にはならないのかもしれない。

良くも悪くもないが、引き寄せの法則によって手に入れました!という幸せ感は条件が重視されるケースが多いので、欲とかが「無」になり、「ただ在る」ときに感じたりするものとは違う幸せ感なのかもしれないね。

別にご本人が幸せなら甲も乙もない。

 

ただ、私が(あぁ 幸せ)と感じる時に、私自身がいま幸せを感じられる周波数に合わせることができている。という表現もできるんだろうと思えた。

それは何かしらのテクニックではなくて、「ただ在る」ときに感じるような認識がある。

私はその状態に感謝するのみで、それによって他の(次なる)2次的な何かを得ようとはしないが、そもそもその2次的な何かを得ようとするのが引き寄せの法則なのかもしれないとも今気が付いた。

 

他の(次なる)2次的な何かを得ようする際に「波動が」とか「周波数が」という言葉、思想を使うようだけど、こういった一面に気が付くと、「Good feeling、幸せに『在る』という状態」を2次的に使うというテクニックに波動や周波数という思想?観念?を使うのなら、その根っこは「欲望」となり、Good feeling、幸せの伝播ではなくて、欲望の伝播となる。なんて説明もできませんかね?

S KによるPixabayからの画像

自分の機嫌を取っておけばよい

Good feeling、幸せの伝播ではなくて、欲望の伝播となる。なんて説明ができるのなら、引き寄せのことなど考えずに、期待せずに、ただ機嫌よくいたらいいはずだ。

「ヒトや物事、環境に影響を受ける法則」の中、様々な出来事がある中、無い中、自分の機嫌を取っておく、その状態をKEEPしておくことこそがその原理になるだろうと思うんだけど、

それができたって起こることは起こるし、嫌だなぁって思うことにも遭遇するだろう。だって「影響の法則」の中に生きているんだから。

Facebookに流れてきた投稿の画像

そこでだ、オワコン化しているFacebookに下のような画像投稿が流れてきたのでシェアさせていただきます。

 

あぁいいなぁ と思ったのは引き寄せの法則云々ではなくて、主語が「引き寄せる人」となっていたところです。引き寄せるぞ!という「欲」のクローズアップじゃなくて、なんだか健康的な感じがした。

Facebookで流れていた画像です

引き寄せるヒト

いや、欲があるのが人間の健康的なデフォルトなのですが、軸足の置き方が健康的な感じがした。私個人は、欲を失くすことが人生の目的じゃないし、欲にも健康的な欲も不健康な欲もありそうだし、生きる活力を生む欲もあると思っている。

 

そして、共鳴の法則的、影響の法則的にも、画像の中のこういう「ヒト」が共鳴する、影響する状態とはなんだか良さげな感じがしませんか?

 

テクニックに走るんじゃなくて、生き方、人間性ありき。って感じがして。

 

綺麗ごとかもしれないけど。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

上手く書けた、上手く説明できたような気がして悦に入るときに限って読み返すとわけが分からないケースってあるんですよ。

今回はどうだろう?

 

伝わるように書けていると良いけど。

 

メリークリスマス! 2025年

Eak K.によるPixabayからの画像

潜在意識を考えてみた その3

何度も書いて核心に近づく

自分を掘って、掘って中心へ

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

フラクタル性

フラクタルとは、同じパターン、図形の連鎖もエッセンに含むと思っているが

影響、影響力と言って拡散するフラクタルもあるし

中心へ向かうフラクタルもある。

横へスライドすることもあし、過去や未来にも影響するので、フラクタルも全方位の立体なんだろうと思う。

 

今日書きたいのはコレ

何度も似たようなことを書いて、ちょっとずつ自分の違和感の核心へ近づいていくのですが、ようやくちょっといい境地にたどり着いた。踊り場か?

 

それはこの ↓ 記事と関係する。

法則の使い方が悪い? どーゆーこと? – 武田美紀のブログ

 

問題は潜在意識の使い方?

上のリンクの中では「引き寄せの法則」として「法則」とおっしゃるのなら、せめて万有引力の法則程度の確率は保持して欲しい。という個人的な好みを書いた。

 

まさに私の違和感はここだった。

潜在意識の使い方が悪いのではなく

潜在意識の使い方が悪いから引き寄せられないというような解説を聴くことがある。

叶わないのは、願う際の言葉の使い方が云々、潜在意識は「無い」が無いとか、否定がわからないとか、その時の感情が云々とか、いろんなルールをどこかの誰かが決めた。

正しいのかもしれないが、私はこれらを具体的に証明はできない。

 

で、ふと、そもそも、引き寄せという法則云々と、潜在意識を=(イコール)と設定したのは正しいのか?という疑問。

naobimによるPixabayからの画像

 

潜在意識が願いを叶えるのではなくて、実は違うことが願いを叶えるのではないか?

そもそも、潜在意識がうまく使えなくて願いが叶わないといわれている人数と、それが叶うと言われている人数はそれぞれどの程度なのか?

一人当たりいくつ願い事があって、その一人の中でも叶う(叶わない)確立を知りたいものだし、それが100人いたとすると、それぞれの確率も知りたい。

そのルールは本当か?

そして、もっともっとそもそも論なんだけど、潜在意識が叶わないのは、願う際の言葉の使い方が云々、潜在意識は「無い」が無いとか、否定がわからないとか、その時の感情が云々というルールは無関係だという可能性はあるの? ないの?

 

私は、「願いが叶う」も「潜在意識」も「在る・有る」と思っている派ですが、「願いが叶う」と「潜在意識」を連結させる必要はないんじゃないか?という可能性も否定しない。

 

そもそもルータイスの「望めば、叶う。」という本をはるか昔に読んで、当時はこういう考え方好きだなぁと思った。今はもう内容を覚えていないが、今ふと、「願う」のと「望む」のはちょっと違うんじゃないか?などと思った。

願うから叶わないんじゃない? 望めば叶うかもね。なんて。

今思っただけだからこれについてこれ以上深堀できないが、私は「〇〇できたら楽しいだろうけど、まぁ無理だろうな」「これは生きているうちには叶わないな」と過去思った(他者に言った)ことがそののち割と現実になった。叶っている。

その無理だと思った理由は、昔のその時から想像する未来であって、滑って転んで一生懸命生きている間に環境も状況も変わっていって、昔の自分の想像外へ飛び出ちゃったからである。

あれ?そういえば昔無理だと思ったのに叶ってる!ラッキー!と何度も思った。

だから、体験として、言葉の使い方がそれほど神経質になるほど重要とは思っていない。しかし、本心では(叶うもんなら叶うといいな)と望んでいたとは言えるだろうね。

lil_foot_によるPixabayからの画像

皆が意識することは起きない。という説

皆が意識することは起きない。という説を7月5日の予言回避の術としておっしゃる方もいた。

集合意識的に、皆が「災害が来るんじゃないの?」と思えば思うほどそれは「起きない」という解説を聞いたことがある。

最初に聞いたときは、(なんじゃそれ? 根底からいろいろひっくりかえっちゃわない?)と思ったものの、なにが本当か私は知らないので1つの説として記憶した。

叶うの?叶わないの?

じゃあ、引き寄せが叶うんじゃないの?と皆が思えば思うほど引き寄せられないという説明にもなりますよね?

 

〇月〇日、願いが叶う。ぜひ拡散してください。みんなの集合意識が作用して叶うから。という話も山ほどあるけれど、こうなると、すでに集合無意識的には拡散されればされるほど叶う説と、叶わない説が両立することになりますわな。

で、どっちなん?

ってか、そもそもこの手の話は本当なの?

潜在意識とか、集合無意識とか、そうやって使うものなの?

「本当は違う意味、意図で存在しているのでは説」はそんなに不自然ですか?

Tide HeによるPixabayからの画像

 

そしてここで最初に戻ります。

 

叶うヒトと叶わないヒトの割合はどうなっているんですか?

それらしく伝わっている「潜在意識」パワーとその解説。叶っても叶わなくても非常に都合よく解説できる魔法の言葉だと最近しみじみ思う。その都合よく使われる様が怪しいなぁと、ちょっと距離をおいても悪くないなぁと思わせる理由でもある。

一本筋が通っていないような感じ。

 

だから、使い方、伝え方、使う側によって、健康的にもなるし、思想コントロールにもなるし、情報に翻弄されることにもなるし、ハーメルンの笛吹き男のように多数をあらぬところに先導することにもなるかもしれない。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

と、こんなことを書きたかった。

たびたび、自分で読み返して、(意味が分からん。文章がわからない)と思うことがあるので、今回はそうならないといいなぁ と思っていますが、もし加筆の必要があれば続編書きます。

 

書けたら書きます。

潜在意識を考えてみた その2

引き続き潜在意識を考えてみた

無いとは言ってないです

前回の記事の続きを書きます。

潜在意識を考えてみた – 武田美紀のブログ

 

こちらのブログもいよいよ2026年の消滅の時期が近付いております。

最後まで走りぬきましょう。(笑)

Oladapo OlusolaによるPixabayからの画像

シンクロか?

「ミルクティー飲みたい」という名前のユーチューバーさんにこちら ↓ の記事で登場頂きましたが、ブログを書いたのち、ご自身のコンテンツで(世の中はどこへ進んでいくのか?)という内容を発信されていました。あら?このタイミングは良すぎるな。と思ったもののご本人がたとえエゴサーチされててもウチのブログは出てこないだろうから単なる偶然だろうという結果としました。

2025年7月5日の件について – 武田美紀のブログ

 

潜在意識が理由ならALL OK?

理由や答えを「潜在意識」だと説明したり、理論展開したりする方は星の数ほどいる。

潜在意識という言葉が世の中を席巻する前はそれらの理由を「運命」とか「宿命」と表現されることが多かったのではないだろうか?

 

それを言っちゃあお終いよ。とは言わないが、それから先の議論や説明をむりやり断ち切られてしまうパワーワードではある。真理なのかもしれないが、それが正しいのかどうかを私は知らない。

が、それが正答だと信じ込んでしまうケースは多い。

それを聴いて(そうか! 潜在意識か! それなら納得!)とあっさり納得してしまう。

 

その潜在意識の定義は正しいかどうかはわからない。いろんなシーンで潜在意識が登場し過ぎているし、根拠だと決めつけられ過ぎているように思う。それは、占いなどの(統計ですから)という鉄板の理由の根拠の過去何千年だか何百年だかの統計について言葉だけで実物・現物が無いように思えることとかとニュアンスが似ている。

Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

無意識という状態は日常生活を送っていても「ある」という実感がある。「潜在意識」も私個人はそう表現される状態はあるだろうと思ってはいるが、だがしかし、「世の中や人間、日本人を導く側ですから」と思っておられそうな方々の定義、というより、それが意味するところの使われ方や説明が本当に合っているのか?と思うことも多くなってきた。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

 

それは多分、「潜在意識」の説明のされ方というより、「世の中や人間、日本人を導く側ですから」という方への私個人が感じる疑問、疑惑だと気が付いた。

「潜在意識」というツールを使っている側の「使い方への疑問」ということです。

 

なんでもそうだけど、言葉も思想も使う側のニュアンスひとつであろうと思うが、「世の中や人間、日本人を導く側ですから」というようなスタンスを意識的にも無意識的にも取っている方の場合は、自分の知っていること、思いついたことを正解だとして疑わない。

そして、これは良否分かれると思っているのだけれど、「世の中や人間、日本人を導く側ですから」という皆さんがいろいろ味付け・加筆をするんである。その味付けを「私なりの説です」「私の味付けです」とは言わずに「これが真実だ」「はるか昔からあるマコトだ」とおっしゃる。(このように私が感じるというのが正しい)

自分が味付けしたことを世の中の理(ことわり)級に昇格させてしまうんである。

 

いや、本当に理(ことわり)級のケースもあるだろうと思うのですが、「世の中や人間、日本人を導く側ですから」というようなスタンスを意識的にも無意識的にも取っている方々にそういった深淵なる香りが漂っていることはあんまりないような気がする。(自社データ調べ)

 

何度も補足するが、正解なのかもしれないし、ただの思い込みなのかもしれないが、そのあたりについて私が真実を知っているわけじゃない。

ただ、例を挙げたい。

導く側。 言葉を変えたらグル(導師)

オウム真理教の元グル・故松本氏は最初は自称グル(導師)だったのかもしれないが、そののち団体の中で明確な他称・公称グルに昇格しましたよね。ハルマゲドンという世界規模の予言もしていたという報道でした。

 

影響力の大きい、小さいは問わずに「自称・私は導く側です」的なスタンスだったり、発信だったりをしている方って多分探せば(探さなくても)山ほどいる。

そういった方々を見るにつけ、(あぁ 似ているなぁ)(不思議なほど同じパターンを描くなぁ)(世の中に隠れているフラクタル図形がここにもあるなぁ)と個人的に思う。

Barbara A LaneによるPixabayからの画像

彼が創った物語

ハルマゲドンとはキリスト教の「ヨハネの黙示録」に登場するとネットが教えてくれたが、故麻原氏がヨガをしていたかと思えばキリスト教の予言を話し、それを信じた多くのヒトがいた。信じるあまり他者の存在を消したり、苦しめることを正当化した。

 

あれについては「彼が創った物語」に乗っかった一定数の人間がいたのです。

 

7月5日についても乗っかった一定数の人間がいた。乗っかり方も、実はもっと早くから知っていたという今となれば妙な優位を示す乗っかり方もあった。

 

ノストラダムスの大予言もそう、アセンションとかいうブームもそう、マヤ歴もそう。他にも枚挙にいとまがない。

 

2025年7月5日の件について

以前も書いたので前とは違うことを書きたい。

いろんな方が2025年7月について情報を伝播する側に回った。この時に、「私はもっと前からこの7月の件を知っていた?予言していた?」という方も現れた。

一層の優位性を主張ということでしょう。

 

「みんなで安全な場所?に」とイベントをした方、出演した側の方、イベントに集まった方は主催した「彼が創った物語」に乗っかったわけですね。作家さんはあくまで第一段階で、イベントやもっと早くから知っていたとそれぞれのYouTubeで発信したとなるとそれはもう「彼が創った物語」「また別の方の創った物語」だろうと感じます。

 

で、何もなかった。

 

しかし、存在や名前が有名になりビジネス面で良い影響のあった方もいた。

 

なにもなかったことや、2025年7月について予感を外したことなどにその後触れずにいたり、「いやぁ皆の集合意識が事態を回避して云々」みたくポジティブ解説することはお茶を濁されているかも?誤魔化しかも?とは考えないのだろうか? という面が、何もなくて良かった面と同じくらい目に見えてしまう。

 

他人事は自分事なので、このようなことを書く私もフラクタル図形の住人として同じことをしているだろうから糾弾しようもんなら即ブーメランが戻ってきますが、一応、自分が以前と考え方や価値観が変わった時は「以前とは違う」と書くようにはしているつもりです。

 

私が知らん顔しているとしたら、それは以前の自分の発言を忘れている可能性があります。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

小見出しをもう一度書くと、「潜在意識(集合意識)が理由ならALL OK?」なの?

正解なのか、ご都合主義なのかよくわかりませんわ。(笑)

 

ただ、とある「自称・私は導く側です」系はここに疑問を抱かない。

目や表情も似ている。

そして、そういった皆さんはヒトを信じさせるチカラのようなものを時として発揮する。と、自社データにはある。

多分、人間の恐怖や不安に スルッと入ることができる天賦の才なのかもしれない。悪魔的ともいえるかもしれないし、サタニストというようなカテゴリーに入るのかもしれない。

が、受け取った側は偽物の安心感を得られる。

偽物と書くのは、本物の安心感を得られるなら卒業していく可能性が高いのでは?と思うからです。次から次へ現れる「その方の物語」を知らないことが不安になり、翻弄され続ける。

良いも悪いもない

本物でも偽物でもその一瞬の安心感を得られるのならOKという歌の歌詞がありましたかね?

ウソの愛でも愛は愛。みたいな歌詞とかありましたっけ?

 

そうね、良いも悪いもないのよね。

はるか昔から続く物語のパターンではあると思うけれども。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

ツールではなくて、ツールを使う側の問題か?

これはどんなメソッドも一緒。

同じメソッドを伝えていたとしても、「自称・私は導く側です」にあっという間になる方と、そうはならない方もいる。

https://takedamiki.wpxblog.jp/20240129/
ElisaによるPixabayからの画像

 

違いは何?違いはどこ?

本当に理(ことわり)級のケースの場合、先述した「目や表情も似ている。」と感じる独特の類似性が感じられないのであろうと個人的には推測している。ただの個人的な思考です。

 

というか、本当の理(ことわり)級にはまた違う意味で似た雰囲気はあるのかもしれない。

Alisa DysonによるPixabayからの画像

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

 

伝わるように書けているだろうか?

私はこのご時世になっても動画発信するつもりが無い。今のところは。

私というヒトをイメージできた方が安心するかな?と自己紹介動画をホームページに載せていたがそれも数か月前に削除した。講座の冒頭をイメージ映像として載せていたのも削除した。

2025年12月中旬の今は、動画完全撤退しています。ショート動画も無し。

そういえば例の音声だけのルームが一瞬流行りましたね。クラブハウスってコンテンツでしたか? 今調べたらいくつもあるみたいだけど、クラブハウスは私が一度も参加することなくオワコンしたみたい。

 

歯列矯正してるからラジオからも撤退しましたし。

 

そして、このブログもサイト側の運営都合により間もなく消滅します。代替のサイトには引っ越ししません。

 

書くことが好きなんですね。考えて、書いて、読み返して意味が分からなくて、また考えて、書いて、の繰り返し。飽きもせず。(笑)

 

今回、一旦アップします。

アップする前に読み返していますが、一度アップしたあとに変なところは訂正します。

そして、書きたいことが書けてなければこの続きをまた書きます。

——

と、一度締めてから、そうだ!肝心のことを書き漏らしている!

次回は「検証はしないのか?」について書きたい。

 

isuzu1202によるPixabayからの画像

 

潜在意識を考えてみた

潜在意識について

広まった定説

私が潜在意識という単語を知ったのはキネシオロジーに出会ったのちです。

そして、私が理解したその潜在意識に関する定説をキネシオロジー体験講座でご紹介したし、その「定説」を基本として私も取り入れた。潜在意識に「思想」が加味されたものもこの業界では定説となっていた。

lil_foot_によるPixabayからの画像

潜在意識という観念だけでオールOK???

潜在意識という言葉はかなりのパワーワードで、かつ、非常に便利に使われている。都合よく使われているとも言える。

 

引き寄せの法則などをはじめ、潜在意識といえば伝家の宝刀だ。それ以上の説明は伴わない。伝家の宝刀の一振り、これこそが理由になり、まるで結論のように扱われている。

 

私はここにここ数年疑問というか、例の(それってホント?)病が起きそうになっている。

鵜飼の鵜が、鵜呑みにしていた魚を オエッと戻すように、飲み込んでいた「潜在意識とは?」という大前提を オエッ と一旦体外に出した感じだ。

 

それまでの知識が100%間違っているという感じではなくて、(なんでもかんでもに説明を省きすぎたまま都合よく使われ過ぎじゃね?あてはめ過ぎじゃね?)という感じ。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

なんというか、「潜在意識」というだけでその先の思考停止になり、疑いすら抱かない独特な感じに疑問がわいてきている。スピ嫌いの方は「潜在意識?馬鹿じゃないの?そんなの信じて」という絶対に信じないのも自由だが、思考停止になり、疑いすら抱かない独特な感じも要するに同じですよね。

そうか、波動という言葉にも似た違和感があるんだった

そう! なんでも「波動」で説明されちゃうのと同じ違和感です。いや、ヒトによってはなんでも「波動」かもしれないし、本当にすべては波動なのかもしれないが、もっとあるでしょ?と思う私がいる。

波形を形成する要素って粒子や電子や磁気やもっと丁寧に説明する方法があるんじゃない?とか、シンプルと乱暴は違うよね?とか、減らず口魂が反応しちゃうんです(笑)

すんません。

考え方に余地はないのか?

中間地点って無いの?というようなそれまで無かった視点がわいてきたようなイメージでしょうか?

 

思想に傾きすぎるのもアレなので、初期の頃から、「潜在意識を利用しよう!」という書籍をご紹介するのと合わせて、自律神経系統図を割と意識的に、重点的にご紹介してきた。

私の好みは健康法としてのキネシオロジーであり、思想に傾きすぎるのは好きじゃない。ということを世間を見て、それについて色々感じる自分に気が付いて、多くの方とコミュニケーションをして、キネシオロジーに携わることで自己理解が進んだ。価値観が精査されてきた。

失敗から学ぶ

潜在意識を超能力みたいに勘違いして「〇〇という実験をやって当たるか見せてほしい」という受講生さんもいらして、10年以上前の当時は私も今ほど体験と思考が無かったのでそういったことに振り回されてしまったことがあったが、今となると良い経験です。

 

それらの質問と、その時の体験から私自身が多くを学んだ。そののち、「伝え方」も変わったので今ではそういった試すようなリクエストをされることもないが、リクエストされた時の私の対応姿勢も決まってきた。

 

それは私自身が軸足を潜在意識云々というよりも、ストレスケアに置くことが自分には非常にしっくりくるということがわかってきたからです。それは観念、思考だけじゃなくて私なりの経験、体験による。

xxolaxxによるPixabayからの画像

キネシオロジーはお金にならない

実は以前、キネシオロジーのとある集まりで「(その方のその時の仕事ほど)キネシオロジーはお金にならない」と半笑いされたことがある。今思えば半笑いの対象がその方曰く「お金にならないキネシオロジー」の講座をしたりして仕事にしている私に向けられたものかと長年の時を経てよくやく気が付いたが、その時は急にそんな話をされたので (?何の話?) と思った。

嫌味や侮蔑に気が付かない状態と似ていたのかもしれない。(笑)

おめでたいですわ、わたくし。(笑)

 

キネシオロジーに興味があったり、キネシオロジーを学んだ方が集まっていた会だったので、遅れて参加されたその方からお金の話が急に出てきて キョトン としてしまった。

その方以外は、「ただただキネシオロジーが好き」という集まりだったものですから。

 

私はキネシオロジーがお金にならなくても好きだし、キネシオロジーが好きな方達とキャッキャと楽しく話をしていたところに遅れて参加したその方からお金の話が急に出てきて キョトン としてしまった。キネシオロジーの話じゃなくて(いきなり最初からお金の話?)みたいな感じで。

キネシオロジーを学んだら必ずそれを仕事にしなきゃいけないルールなど無いし、キネシオロジーでお金を沢山生む、儲けるということが目的の方もいらっしゃるだろうし、仕事にするならプロとしてたくさんの利益を出さないとプロと言えないという価値観の方もいらっしゃる。

人生で何に出会って、何をどの割合で人生に組み込むのか、価値観と選択、信念も様々です。

 

キネシオロジーを学んだ。という共通点はあっても、選択や価値観は様々なのでこのケースでは誰も悪くないのですが、ただ、趣味嗜好が共通している方がお喋りしていても楽しいかもね。という事例にはなるかな。趣味嗜好が真逆でも楽しい相性もあるでしょうが。

 

潜在意識の話にむりやり繋げるのなら、あの方の潜在意識の中でのキネシオロジーの立ち位置はどのような状態だったのでしょうね。もう何年も前の話ですが。

Thomas WolterによるPixabayからの画像

潜在意識に聴かなくも自分を冷静に見つめたらわかることだって多い

サタニストという言葉に喰い付いてblogを数回書いており、それらサタニストと少し似たところがあると感じていますが、そういった行為や潜在意識に聴く以外にも「自分の状態を冷静に見る」という行為で自己理解が進むことがある。

 

例えば、とある考え方では、スピ系や能力者だと特別視していることもサタニストというジャンルに分類されるケースがでてきますが、そういったことの根本に「不安」「恐れ」があったりしますでしょ?

「不安」「恐れ」って1つには何かを知らないと思うことを埋めたい衝動かと思うことが多いんですよ。いわゆる「空白を埋めたい衝動」というものです。

将来を知りたいというのも、将来がわからない不安を埋めたいわけだし。

将来は今の延長線上にあると仮定したら(点の連続なら決して延長線上とは言えないでしょ?)今の自分自身をわからないことが不安で、その先に未来の自分の不安があるとも言い換えられますでしょ?

ということは、今の自分を知る(感情や価値観や思想、信念etc)ことは、将来のむやみな不安を掻き立てるのを納める役に立つんじゃないかな。

 

例の、自分がやれることを知ること、自分じゃどうにもできないことをあきらめる勇気という例の話です。ここの判断ができるようになるとやみくもな不安は減らすことができそうですね。

 

机上の空論かもしれないし、綺麗ごとかもしれないけれど。

Tide HeによるPixabayからの画像

 

話が横道に

書き出しの「潜在意識を考えてみる」という話から主旨がずれていますかね?

 

すんません。

 

また次回に続きを書くかもしれないです。