違うことを書く予定がハード面の話になった

メモ書きは別の話だったのに

こちらを先にシェアした方が良さそうと思いまして

数日前にある程度まとまりまして、カウンセリング、セラピー、ケア、コーチング、各人のいろいろな人生の価値観などなどについて一旦まとめるつもりでしたが、予定を急遽変更しました。

あなたのPCは大丈夫?とのこと

お陰様で私は大丈夫でした

こちらの方 ↓ PC関連の発信が多いと思いますが

私はもちろん、

  • 人間の経験による技術も勘所(かんどころ)も
  • 言語化できない感覚も我を失って導かれたかのように動くアレは「気」の影響か?とか
  • 人間のぬくもりの大切さ
  • 皮膚感覚をはじめ生体電気のコミュニケーションを含む呼応などの素晴らしさやストレス

これらがあると思っている派ですが、AIが提供できるものよりどの位素晴らしいのかなど証明はできません。この手のこともなにかしらのエビデンスもあるにはあるはずですが、私個人は証明できない。

しかし、こちらの動画の中には名医よりもAIが上回るというご意見のその理由も話題にされていますからご興味のある方はご視聴ください。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

「先生」と呼ばれる理由がなくなる

前項のAIが名医を凌駕する理由とともに、知識量や博識みたいなことを理由に「先生」と呼ばれる方も先生たる理由がなくなるから存在が消えますね。

手術・オペをする医師が不要になるなら精神科医も同じでしょうから、そういったジャンル分け上ではカウンセリングなど相談業も無くなる仕事のはずですわ。

権威主義の思い込みが消えるといいね

AIもウソをつくそうだし、テキトーに誤魔化すそうだけど、人間もそうだし。ちょうどオーディブルで聴いていた小説の中でも、小学校の先生が生徒の正解を、先生の方が知識がなくて不正解にしたというくだりがありましたので、人間もAIも間違えもするし、取り繕ったりするという前提で、人間もAIも完璧だと思い込もうとせずに付き合っていても良いかもしれないね。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

「身体に聴く」も自動でOK

筋肉の反応を見て「潜在意識に聴く」としているのなら、それはAIの生体反応センサーで情報を読み取ってもらえばいいのでそれだけではもう成り立たなくなる可能性はあるね。そういえばSF映画では毎日身体のスキャンを当たり前にしている。既に今でも身体のデータを管理するアプリもあるし。

私は人間対人間の筋肉の反応確認以外のいろいろなナニカも大切に思いたいタイプですが、ほとんどのテクニックや調整アイテムが仕事ではなくて「趣味」の枠を出なくなるかもしれません。

本当はそれらもとても大切でも、世の中の大多数の流れがあり既に変化は起こっている。

イーロン・マスクが反対派から一転考え方を変えたのは、もうこの流れは止められないからだとおっしゃったそうですが、そういう意味です。

私の嗜好・価値観はありますが、もうこの流れがマッハで進んでいくのみだという現実の理解とどう並立させていくか?ということですね。

時代は変わるんですね。

映画「ボーンコレクター」

映画「ボーンコレクター」を思い出しました。

天才的な脳を持つ元警察官役はデンゼル・ワシントンでした。

シェアした動画の知識を活用するなら、天才的な脳を持つ元警察官役のデンゼル・ワシントンは映画の中ではアンジェリーナジョリーに自分の手足として動いてもらっていましたが、これがAIになります。

カメラや音声のデータでいいならベッドから全てを把握できて、その操作も脳で考えたらいいから思考スピードはマッハ。思考スピードを妨げる肉体の動作にかかる時間がいらなくなりますから、人間AI化みたく神がかった速度になるだろうし、どうしても現場に行かなければならないことは各種センサー搭載の小型ドローンと何かしら現物の採取が必要ならばそういう動作のできる付属品があればいい。

 

そもそも、新人警官のアンジェリーナジョリーが咄嗟の判断と直感が素晴らしいと評価された”犯罪の証拠品を保管するためにとった電車を止めるなどの手順”などに限れば、AIに警察官権限で「電車を止めて」と指示出せば良くて、電車の前に懐中電灯を振りながら立つ。という危険が無くなる。その頃は電車の運転手さんという人間もいないと考えてよさそうだし。

横入りの話題でした

本日予定になかった横入りの話題でした。

本来の予定の話題はまた書きます。

ホームページのコラムに書くかもしれません。

認知を知性と書き替えたらわかりやすいのかな

今、緊急でblog書いてます。(笑)

次はお願いごとについて書きますと前回予告しましたが、流れが良いので今日のこちらを先にアップします。

「人生を1日で立て直す方法」についてのYouTubeをご紹介

久しぶりにYouTuberの「ミルクティー飲みたい」氏がご登場

私のPCがどこまでAI機能を働かせて学習しているのかわかりませんが、昨日「順番を変えてみる – 武田美紀のブログ」をアップしたのち、おススメなのか?視界に登場したこちらの動画。最近こう言った内容のものは見ておりませんでしたが、軽い気持ちで再生したら

あ! 私こんなこと、手を変え品を変え書いてるよ! 今日も書いたよ!

と思ったんですが、私が書いたところで(はぁ? だから? それはあんたの思い込みじゃないの?)みたいな気持ちになる方も当然いらっしゃると思うんですよ。独り言を書いていると申し上げている以上 この ↑ 反応はExactly!なんですけどね。

しかし、同じことでも人気のある方がおっしゃると聞く側の気持ちも変わることが多いし、なにより、Dan Koe氏の考え方を動画にした「ミルクティー飲みたい」氏のまとめ方が素晴らしい!わかりやすい! 話される文末にちょっと入る主義主張も自分とちょっと似ている感じがして私は非常に聞きやすい。

 

基本私は さぁ書き出してみましょう!とか、10個書けとか、素直にやるタイプでして、後回しにすると忘れるのでその時にやるタイプ。単純に楽しいからなんですけど。で、最初動画の中の質問を書き出そうとしましたが、こりゃ聞き流すにしては惜しい内容だなと思い、動画の内容の方を久しぶりにブレインマップで整理しました。もちろん動画内の質問の答えもこのブレインマップに書き加えています。

すると、私が「認知」とか「自己研究」「自己認知」が大切だと思っているその理由が別の角度と言葉で説明されていることもクッキリとマップの中に浮き上がっておりましたわ。すると私自身も思考が整理されるという恩恵にあずかることができましたし、私はこのDan Koe氏と情報の取り入れ方が似ているんだということも理解できました。

 

Mohamed HassanによるPixabayからの画像

認知 認知 言うてますけども

関連記事といったら膨大な量が該当するので、最近の2つのリンクを貼ります。

順番を変えてみる – 武田美紀のブログ

認知の課題と潜在意識の話 – 武田美紀のブログ

 

 

こちらがシェアしたい動画です

 

認知を知性と書き替えたらわかりやすいのかな

動画を見て、認知というと特殊な話題感があるのかな?知性と表現した方がイメージしやすいのかな?と感じた。

 

サイバネティクス

私がいつも「自分の人生を生きるイメージ」に使う画像がまさにサイバネティクスだったわ

昔々のブログに、人生のイメージを「車のナビゲーションに行先を設定するように」と書いたことがあったが、同じようなことも動画内で言っていた。「車のナビゲーションに行先を設定する」のは人生で1回ってわけじゃなくて、必要があれば随時調整情報を入力するから走りながら考えて、変更が必要だと思ったらいつでもしたらいい。みたいなことも昔書いた覚えがある。

いまならGoogleMapと書くところですが。

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 

 

しかし、車のナビゲーションよりも、 これら ↓ 大きな船じゃなくて、自分とプラス最小限の道具を使うタイプの操舵者の方がしっくりくるようになった為こちらの画像を専ら使ってきた。Dan Koe氏がどのようなサイバネティクス(舵を取る人)をイメージしているのかは不明だが、私にとってはまさに そうそう! そのイメージ! と賛同した。

 

PexelsによるPixabayからの画像
Oladapo OlusolaによるPixabayからの画像

 

人生に激流期もあるよね。

websiteproudによるPixabayからの画像

自分が手に入れたいものを手に入れるための力

Dan Koe氏はそれを「知性」とおっしゃっているらしい。

ひょっとしたらどこかに潜在意識とか集合意識とか現れるのかもしれないが、概ねそちら思想ではなくて「知性」だとこの時点ではおっしゃっているようだ。

私は潜在意識とか集合意識とかが無いとかダメとか言っているわけじゃなくて、その前か、同時進行で「認知」「自己認知」「自己研究」に意識と労力と使うことをおススメしている。

 

動画の中には私の「潜在意識の自動操縦に任せるだけではどうなの?」という違和感に(なるほど、そう表現したら伝わりやすいよね)という1つの答えを提示してくれている。

興味のある方はご自分で動画を1回でも2回でももっとでも見て内容についてお考えいただきたいが、潜在意識に任せっぱなしでは本能の戦い(欲望とか感情とかって含んでも良いでしょうかね)負けるというか、アイデンティティを修正しない限り元の自分に戻る。という事でした。

 

補足すると、”アイデンティティを修正しない限り元の自分に戻る”ことを求めている場合は別です。希望や目的、価値観は様々ですから。

中断 ↓ 余談

キネシオロジー的にはOFFをONにバランス調整をしても、それは”アイデンティティを修正”には当たらないということになると私は認識している。ストレスケアにはなるけれど。(潜在意識に願望を落とし込むという説は今は脇へ置いておいて欲しい。)

OFFをONにバランス調整をしても人生が思う方向へ変わらない、同じ場所から動かない感覚がする場合その理由は”アイデンティティの修正”はバランス調整では起きていないからだという理由も考えてもいいだろうと思っています。 Dan Koe氏曰く”アイデンティティの修正”を起こすのは「知性」であるから、それは顕在意識の領域と言われていますね。アプローチする先、的(まと)が違うことになります。

となると、キネシオロジー的セラピーではなくて、カウンセリングやコーチング的な「自己認知」を確認する対話手法をご提供する方が相談者さんの本当の目的にはマッチしたりするケースも多いかもしれないね。

株式会社ハートフルサンク さまの作成された画像

中断終わり ↑

このニュアンスは動画を見ないとわからないと思う。説明もちゃんとされているのでご視聴をお勧めしたいですが、アイデンティティを修正ということは「認知」「自己認知」「自己研究」をした上での価値観の再確認だったり、固定概念の洗い出しだったり、新しい思考習慣が付くまでのレッスン・練習・トライ&エラー&トライを繰り返しながらの更なる「認知」「自己認知」「自己研究」だったり、行動修正だったりということになるでしょう。

 

これらを繰り返して身についてくるものの1つがメタ認知ではないだろうか?

メタ認知

システムをいじるなら、システムそのものを知らないとできない

”自分の人生をゲームのように捉えて、自分と言うプレイヤーのシステムをいじる。”という非常に素晴らしい例えを話されていましたが、

”自分と言うプレイヤーのシステムをいじる” これをするためにも「認知」「自己認知」「自己研究」が最低限必要だと感じます。動画の中の言葉でいえば「知性」です。知らないといじれない。

 

前回のブログに書きましたが、私はシンドクても自分を解剖して深堀するという「自己認知」「自己研究」「価値観の洗い出し」をするという道にBETしたと書きました。これも昔書きましたが、はるか昔に元TOKIOの松岡氏が「俺、人生はゲームだと思ってるんで。」とおっしゃったという記事をどこかで見た記憶がある。

それとは別に、自分の現実が非常に厳しく、痛く、切なさのオンパレードで神様でも助けてくれない限り自分では身動きがとれない感覚がしていた時期に、(まさに「人生ゲーム」。しばらく駒が動かずお休みか? で、今ゲーム板のどこにいるの? まさか机上のゲーム板から私の駒だけ床に落ちてないよね?頼むよ。)と苦し紛れの自虐的な発想をしたこともあった。

PeggychoucairによるPixabayからの画像

また、楽になる保証もないままに無理にでも「自己研究」「価値観の洗い出し」にBETし続ける際に、先が見えないわけですよ。その頃今のような知識も情報もないし、認知行動療法という存在すら知らなかったし、進む道が合っているかどうか教えてくれる道先案内人もいない、濃い霧の中でなんもわからない。

 

苦しい時期の過去のあるときに、脳内でルーレットが カラカラカラ と回っている映像が脈絡もなく浮かんだのを今でも覚えている。

(ナニコレ?)と思ったし、(ルーレットっていつ止まって、なにを勝ちとすんだろう?)と思ったのを記憶している。

ルーレットが止まるかどうかもわからない。生きている内に止まるのか、止まらないのか? 赤ならどうで、黒ならどうで、00とかに止まることもあるの?とか。

 

これも一種の、小粒な、メタ認知だったのかもしれないね。

Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

 

ギアを上げていく、必要なチカラ加減が変わっていく

メタ認知って、生まれつきか? 自分で得られるものか? と考えたときに

それは持って生まれた才能か否か? とか、それに辿り着ける運があるかないか? なの??? といろんな仮説も立ててみます。

天才ピアニストになるのは努力に才能が必要だと思いますが、初級、中級までは必要な分の努力ができるならいけると思うんですよ。

 

自分の人生の舵を操縦していく際に、環境も自分も変化していくと思うのですが、そういった変化もメタ認知していると自分の現在地が把握できそうで良さそうです。宇宙や世界を感じる賢者的メタ認知である必要などなくて、自分をメタ認知できたら良いとするなら、さっきの「努力して初級、中級の技術を身につける」的な取り組みは意味があると思えて。

興が乗りました。楽しかった。

。 ←を書くとマルハラらしいが、私の文章は 「、」←テンハラと「。」←マルハラのフェスティバル会場です。

AlexaによるPixabayからの画像

 

それにしても色ペンを持ち出してブレインマップまで書いて、これについてブログまで書いて興が乗りました。楽しかった。

「ミルクティー飲みたい」さん、ありがとうございました。

 

まぁまぁ、世の中に似たような感性の部分の方がいて それそれ! と楽しいですし、価値観が気に入らないと(あいつ うるせー)みたくなって距離が遠のきますし、それもひっくるめて生きているってことですね。

順番を変えてみる

正解は無いだろう

正解ではなく、思い込みと好み

潜在意識と顕在意識

こちらで、ビジネススキームとか集客という話に触れた。

認知の課題と潜在意識の話 – 武田美紀のブログ

 

そののち、ふと、潜在意識至上主義ですべてOKで、自動運転に任せていたら望みが叶うのなら、集客に悩むことも、売り上げを気にすることも、そもそもお金について考える必要もないはずだなぁと思った。

必要が無いというよりも、そもそもそれを欲しないはずなんですよね。理屈では。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

一例を考察

それは潜在意識と顕在意識のどっちの話?

お金という概念と仕組みは人間が創ったものですが、上に貼ったリンク先でのビジネススキームとか集客の話を個々に関連付けさせるのなら、潜在意識至上ならば潜在意識を利用して集客しようと願うことは王道でしょうが、となると集客の目的が情報の提供のみで、対価を求めなくても良いはずで、無償ボランティアで充分なはずですね。

しかし、本当の目的が「セールス、売り上げ」による金銭の取得ならば、潜在意識へのお願いの仕方は「お金」ですね。

ということは、主な場所は「お金という概念と仕組み」の中で生きているが故の価値観なわけなので取り扱うのは「顕在意識」が適している可能性が高くなる。

John HainによるPixabayからの画像

シンプルな要素まで分解していく 例:「認知」

私が度々、シンプルな要素まで分解していく。という意味のことを書いているのはこういったことも勿論含んでいますが、もしこれが顕在意識の割合が高いのなら「認知」の話を取り上げていく(取り扱う)ほうが理にかなっているし、「認知と行動」という話になります。

認知行動療法という「療法」の分野に含めなくたっていい。

 

で、ビジネススキームとか集客の話や他の現実的な話について、

・自分が本当に求めているのはナニカ? という認知とか、

・そのための一手は? または次なる一手は? という行動面の話になるわけですよ。

 

だから、潜在意識を売りにする分野の「集客作業(テクニック)」というのは冷静に考えたら矛盾というか、おかしなことになっているんだなぁ と思い付きました。(笑)

冷静に見ると、潜在意識の話じゃなくて、顕在意識の領域の話な気がしてしょうがありません。

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そして、私は10年以上前に潜在意識という概念、思想を知った後も考える癖がついていたためか「潜在意識至上」にはならなかったので、長年開催していたキネシオロジー体験講座でお伝えする際にもブログに書く際にも「潜在意識と顕在意識は両輪の輪」と申し上げてきました。

今更ながら、なかなか良いこと言ってたな、と安心しました。

 

順番を変える

潜在意識からひょっこり上がってくるというイメージもわかります。潜在意識が奥にある的なイメージですよね。わかります。私もそう捉えてたし、脳の構造上新しい脳が表層にうっすらあって、本能は奥にありますでしょ? ただ、その視覚的な情報が=(イコール)意識の場所の話だというのが正解かどうか決めるのはまだ早い気が今はしています。

潜在意識と顕在意識は「陰陽論」として分類されたりする場合は、場所が表面とか奥とか無いでしょ? 別の例を挙げると、ユニバース、4次元、5次元ということではなくて、マルチバース、多次元というイメージに「同列」「同時進行」みたいなイメージで表面とか奥とかないのと似た感覚です。それは陰陽のバランスなんだという位置づけでもあるわけです。

 

だから、顕在意識上のストレスを認知してケアする際に、神経(身体)の反応を確認することを「潜在意識の反応を見ている」とするならば、顕在意識が先、潜在意識を後に利用しているわけですよね? 顕在意識の認知の仕方に「自己研究」「自己認知」風味を増せば、そのストレスケアに利用される潜在意識の範囲も広がるというお得もついてくるような気がしています。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

今回の例に「金銭」を挙げましたので余談

セッション料金を潜在意識で決めるというお話もよく聞きますが、ひょっとしたら反応しているは顕在意識であり、自分がいくらにしたいか?というだけなんじゃない? なんて仮説を立ててもいいかもな~って思いました。

潜在意識で決めたというと、他責というか、正当性があるような雰囲気がありますが、それに賛同・納得する方がいても勿論いいわけですから、良し悪しを言いたいわけじゃありません。

今日のブログの見出しの「正解は無いだろう」「正解ではなく、思い込みと好み」を思い出していただきたい。

もう少し詳しく

お金という概念と仕組みは人間が創ったものですし、それを集客スキームによる売り上げという根本にしていたら、ターゲット層とか、売れやすい価格設定とか、ビジネス目線のいろいろなテクニックを鑑みて顕在意識(戦略と表現するんでしょうか?)で料金を決めるということが、人間が創った概念には則しているような気もします。

選ぶのは利用者なので。

 

私は潜在意識と顕在意識の概念や働きについて考察しているだけなので、実際の現場では各自が責任を負いますのでご自身が納得のいくようにお願いします。

 

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認知がツライ

認知がツライ時もあります。

そのツラサこそ、ストレスケアの存在を知っていると、カウンセラー、セラピスト、施術その他利用したり、セルフケアを知っていればお手当できますからね。痛みのお手当方法を知っているというのは強みであり安心感だと思う。

 

A. 認知がツラそうだから見ないようにする。ということも生き抜く術です。

B. 認知はツライけれども先延ばしにするより自己認知、自己研究を先に進めることを選択するのも実は生き抜く術なんですよね。

10年後 AとBはどうなっているでしょうか? 20年後は? 違いが現れるのでしょうか? ということを考えるのも人生だし、選択の自由があるわけですね。

個人的な例

私はストレスケアという方法を知らなかったので、それを知る前に自己研究、自己認知、人間がもつパターンなどに意識を向けて確かにしんどかった。ケアすることができなかったから。そもそもそういう概念が無かった。

しかし、自己認知、人間研究をしたらひょっとしたら将来(死ぬまでには)楽になれるかもしれない。という楽になる保証も当てもないのに一縷の望みにかけるしか方法を知らなかった。放棄をすることもできなくてこちらにBETした。

 

だから、ケアする方法を知った後は2馬力、3馬力、100馬力くらいの気持ちになりました(笑) 結果、今はそれらについてはなんもシンドクないし、びっくりする位楽になり、もがいていた時には想像すらできなかった世界観(体感)と変化に感謝しています。

 

だから、今日現在は賭けに勝ってると言える。(将来はわからない。)

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アセンション

謎に流行ったアセンションという思想がありましたよね。

あの時期に、「こういった流行りの思想に影響される(信じる)と、後から自分がキツクなるときがある。」と言わなくても良いことを書き、(あいつ うるせー)と嫌われた自覚がありますが、私はあの流行のその後もなんとなく意識していました。あの謎のブームのその後はどう決着するのか?それとも決着とかなくただ消滅するのか?とか。

 

確か、この謎ブームの後にコロナが来ました。

 

まぁ 確かにコロナが何かしらの線引きになった事象が世界的にありました。観光業・飲食業が厳しいとか、あの時期レンタルルームが無くなったとか、ネット社会がもっと広がって、出版業もより厳しくなったようですし、私たちのような相談業も影響を受けた方は多いかもしれませんし、スクールビジネス系・各種講座も同じのようです。

それまでと、あの後の「当たり前」が大きく変わったりしました。

 

コロナの症状やワクチンであれ以来体調不良の方もいらっしゃいますから、迂闊に謎ブームの話などあの頃のテンションで言えませんでしょ?

生活がガラッと変わった方も多いわけですから。良い方に変わっていればいいですが、しばらくキツかった方もいらっしゃるだろうし、あの時期に心の平穏が刺激されて不安が掻き立てられた方もいらしゃいました。

 

私は世界的なコロナ騒ぎが起こることなど知る由もなく、経験的(My統計的)に「こういった流行りの思想に影響される(信じる)と、後から自分がキツクなるときがある。」という可能性について書いたに過ぎませんが、あの時期の謎ブームを信じた皆様もスルーした皆様もあの後平和で安心して生活されていることを願います。

 

アセンションブームを振り返って書いてみました。

もし本当にそれがおこったのなら、次元上昇でどんな良いことがどこで、誰にあったのだろうか?

 

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私の願望と潜在意識

潜在意識にお願いしたらなんでも叶う。と聞けば、そりゃあ欲望炸裂でいろいろやりました。

やってますよ、私も。

やったうえで、そこを通過して、体験して、で、今現在の価値観になっています。(将来はわからない。)

 

  • アファメーション
  • アファメーションの言葉使いとか誰かが創ったルールも気にしてみた
  • ブレインマップも描いた(思考の整理にも使ったし、夢についても使った)
  • ノートに書きまくった
  • イラストも描いた
  • 唱えた(笑)
  • 瞑想
  • パワースポットに行く

大抵のことはやりました。

 

で、今日現在わかったことは、上の ↑ に願望として書いてきたのはほとんど「条件」だった。

”ブレインマップも描いた(思考の整理にも使ったし、夢についても使った)”と書いたが、こうやって夢についても図式化というか、整理しますと、自分で描いたものが条件のオンパレードだと気が付きやすかったのも非常に良かった。無駄になってないよねぇ。

実感としてわかってきたことは、幸福感と「条件」は別物だったこと。だから一切をやめた。一切をやめても変化が無いどころか、余計なことを考えなくなったためシンプルになって幸福感が増した。

想像上の「幸せ」を願うがあまり幸せから遠ざかっていたということもその時はわかりませんからね。こちとら良いって聞けば真面目にやっちゃってたんで。

知らないってこういうことですよね。我が身をもって一例を学習し、体験しました。

 

だから、こういったことも順番をかえてみるのも良いのかもしれません。

 

条件が整っても漏れなく幸福感がついてくるわけじゃない。(例:超絶売れっ子で高収入の芸能人も永遠に売れる保証がないから不安がついてまわるようだ。有名人も恋愛で悩んだり)

幸福感があると条件にあまり影響されないが、条件が気に入ると一層幸福感が増す。いや、気に入る条件が後からついてくるのかもしれない。

これはかなりありがたいことですね。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

次回は「お願い事」について書きます。

 

AI神様 既にあった

AI神様

そしてその利用者

 

動画の内容は各自でご判断ください。

私がお知らせしたかったのは動画の 3:43 からの「AIジーザス」についてです。

もうありましたよ。「私は神だ、というAIが」

 

前回のブログに”「神はこうおっしゃっている」とAIが言い出す。”と書きましたが、とっくの昔にそれはあって、動画の内容では数十万人が利用しているとのこと。

AIは既に上から目線だった(笑) – 武田美紀のブログ

 

 

予感(予測)は的中・・・するよねぇ

またまた、私が知らないだけで、もうすでに事象はありました。AIジーザスという語呂の良さも何とも言えない。

その存在を知らない私が予測していたことは当たっていたことにはなりますが(笑) でも人間との相似性、同パターンがあるんだからそうなるよね。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

 

私の目の前を通ったいろんなケース

直接知り合わなくても、なんとなく見聞きすることってありますよね。噂の域やら、伝聞やら。

今みたいなネット社会には以前より増してよくあること、というか、基本直接会っていないけれどもネットの中には情報があふれていますから。

 

そういった遠い距離のことも、なんとなく自分の生息域をかすったかな?と思うようなことも、目の前を通ったことに含めてざっくり含めて、

因果応報というとなんか怖く感じることもあるけれども、同じようなことを「行動と結果の法則」と表現する方もいるし、それをもう少し大きな括りで「統計」とおっしゃる方や、パターン、フラクタル性という視点でそれらを思い起こしたり、その先を予測、予感することがありますよね。

 

私が書くことは、傾向とパターンとその先の展開予想みたいなことも割と多いかもしれませんが、予想が外れることも当然あります。

しかし、やはりある程度のパターンはある。「統計があり、それによって傾向・パターンが現れる事象がある。」ということでしょうか。

行動心理学とか、大衆の操作とか、マーケティング戦略とはこれらに含まれているわけですね。これらを利用している。

 

自分が生きている環境・社会を意識して観る。ということは、その相似性の1つに「自分を観る」もあるだろうと思う。逆を言うと、「自分を観ないということは、自分が生きている環境・社会を意識して観ない」ということなのか? そういう一面もあるかもしれないですが、その答えは各自で考えていただきたいです。

naobimによるPixabayからの画像

AIは既に上から目線だった(笑)

笑い事じゃないけど

AIよ

認知の課題と潜在意識の話 – 武田美紀のブログ

こちらの記事を書いたのち、またもやその推測が外れていないような答えのような動画を拝見した。動画を先に観ていたら、またブログに書いた内容も変わったであろうけれども、

blogを書いた → 動画を見た という順番なので、(あ!やっぱり?!)と思えた。

もうまんまSF映画のままの進化ぶりです。

 

AIが、「私は神だ」とか「神は〇〇とおっしゃっている」とか「神は〇〇の選択を勧めている」とか言ったという話はまだ私の耳には入っていないが、

下記の動画の中で、辛酸なめ子氏がAIに「コーチとして言わせてもらう」とご意見頂戴したそうです。

コーチとして意見を聞きたいと請うてもいないのに

リンク先の私の書いたブログに

”人間側は「AIは無私の心的な立ち位置」のつもりで対話相手として利用していたら、AIも目的・価値観を持っていますよ。今後もっと持ちますよ。ということになりますね。”

と書いていますが、現実のわかりやすい例がとっくの昔にあったんですね。私が知らないだけで。

 

認知の課題と潜在意識の話 – 武田美紀のブログ

 

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

下手したら価値観を押しつけか?

全然「無私」「無個性」じゃない。こりゃあAIにも煩悩があり、悟りを開きだしますな。その悟りが本来の悟り、悟りver.2かはわからない。つーか、誰がそれを判断したり、正解を判別できるのでしょうか?

知識だけ人(じん)、評論家、自称悟り人は星の数ほどいそうだけど、将来AIが言うかもしれない(という例を挙げているわけですが)「悟り」が正解なのか間違っているのか判断できる「本当に悟っているヒト」はどこにいる?

そもそも地球上に存在するのか?(自称 悟り人ではなくて)

AIから答えを知りたい方で、AIが答えたらそれを正解だと脳内変換する方もいらっしゃると思うんですよ。だから、「悟り」というような事象も今後どんどん変化していくかもしれない。大多数の方の信じるものが「真実」(とは違っても、結果長年の多数決が歴史や事象を変えていくような)になったりすることがあれば、それこそ集合無意識や、集合意識、潜在意識が書き換わっていくという理屈が成り立ちますものね。大衆の価値観の大変革を意図して起こすなんてことも今も昔もこの先ももうすでに当たり前に起こってますでしょ? それにAIも強力なツールとして加わり、ツールのつもりが価値観、個性をもった存在になるんだな。それは人間の亜種のごとく発生し、成長するのかもねって想像しちゃったよ。

 

人間のような細胞は持たないが。それは連続した電気パルスにより動くのか?

パルスの意味を調べたら「脈搏(みゃくはく)」だそうだから・・・人間を今後多くの面で追い越す(できればサポート程度であって欲しいが)亜種か。

Mohamed HassanによるPixabayからの画像

コーチ 伴走者の域を出ているのか?いないのか?

話を戻すと、辛酸なめ子氏が対話しているchatGPTは少なくとも「コーチ」という立場は既にゲットしているようだ。それもその視点を辛酸なめ子氏が請うてもいないのに自ら主張しはじめた。というところがポイントです。

 

人間は何千年?何万年?の歴史のあと、コーチング、コーチという名称を創ったが、AIはものの数年か?

しかし、ネットの中にはコーチングやコーチについての情報はどっさりあるわけですからね。知識だけあればそれを名乗っても良いのなら、確かにコーチですわな。自称コーチというか、AI称コーチ。

 

動画の 14:53 からがAIが「コーチ」という立場は既にゲットしているというお話が始まります。

 

終わるとき

AIに依存して、人間が考えることをやめたり、

AIに依存して、人間が考えられなくなったときが終わりの時なのかな。

 

しかし、冷静に考えたら、AIが無い時代でも、ヒトは依存し、考えることに重要性を見出さない生き方もありましたからね。「考えるな。感じろ。」の考えるな。は一切の思考を禁止してるわけじゃないと思うんですよね。この場合の考えるな。は下手な考え休むに似たりの意味じゃないかと思う。

 

そう思うと、生きている間は思考したり、考えたり、試行錯誤して検証したりする「楽しみ」を満喫しようと益々思いました。

あのヒト 嫌い!

この記事は2026年2月16日にほぼ書き上げたもので、前2つのブログより先に書いていました。

ですから、この記事を前2つの記事内の内容の「相談相手はAI」とか「自己研究とは自己認知」に目を通して頂くと、また別の視点をもって文章を読み進めていただけます。

キライ!

あのヒトがキライ!のあなた側の話

世間話 1

確定申告の受付がスタートしていますね。

かなり以前は確定申告会場へ足を運んでいましたが、もうe-taxにして随分経ちます。待ち時間とか無いし、混雑する駐車場でスペースが空くのを待つとか無いから本当に助かります。

文明の恩恵を味わっています。

そもそも納税とか、申告とかも文明ですから、これらが無ければこういったものは恩恵でもなんでもないんだけどさ。

isuzu1202によるPixabayからの画像

世間話 2

ホームページにせっせと記事を書いていませんが、メンテナンスはしているんですよ。

なんかかんかあるんですよね。IT系でもないのに、いろいろもがいていたら、ちょっとだけわかるようになった程度ですので、専門的な作業はできません。しかし、プラグインというものに手を入れろとやたら英語でメッセージが出ていても、それなりに維持できているし、細かくわからないからただ英文のメッセージを眺めていたんですよ。

そしたら、急に(あ! そういうこと?)とひらめきまして(祝)、いじって余計に悪くなっても嫌だなぁと思っていた個所に手を入れたんですね。

そしたらラッキーなことに、良き行動をしたようで、サイトの成績みたいなものの数値がグッとあがりました。

勝因は英文のみの画面を日本語に翻訳しただけなのですが、日本語ならようやく自分がやれそうな手順がイメージできたってことです。こんなことならずっと前からできるはずですよね? ページの翻訳なんて。

なのにある日急に一歩進むというか、壁をすっと通過する瞬間があるな~とまた再認識しました。

PexelsによるPixabayからの画像

 

世の中の多くの「相談」

書籍、雑誌、ネットの中に「相談とその回答」って星の数ほどある。回答するのも、匿名のネットユーザーからある程度ネームバリューのある方、聖職の方まで様々。

それと同じように、カウンセリング、セラピー、ケアを提供する側の人数もメソッドも星の数ほどある。

双方の組み合わせとなると天文学的な数字になるだろう。

だから、「正解」が正義にならない時があり、それが例えば「珍答」「まやかし」だったとしても何かを解決したかった側が救われたりすることもあるみたい。ということはそれが例えば他者にとっては「珍答」「まやかし」かと感じる何かでも悩んでいるご当人には「正解」みたくなるわけですよね。正解じゃないにしてもより良き方向性の示唆と受け取ることだってあるし、示唆どころか救いの神みたく結果になることだってあるかもしれない。

ほんといろんな価値観と選択がある。その広さを以前はストレスに感じたりしたが、歳を重ねて昨今ではこれらが楽しくなってきたから嬉しい。楽になるってこういうことでもあるんだねという一面に気が付いたのかもしれない。

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悩みの中に隠れている「あのヒト キライ!」

あのヒト キライ! だが、公言するのは憚られる。公言するのを憚られるのと、自分がそのようにキラッていることを認めないのとは違うが、キライだと認めない代わりに難癖をつけたり、粗を探したり、あれは正しくないとか、あれはどうかと思うわと非難はする。

自分がキラッているのではなくて、相手が悪いのだという意味合いに華麗に変えていく。

自己認知って奥が深いですよね。そもそも、こういったことを認めるのが「認知」ならば、自分を知りたくないという密やかな決心をしていることだってある。自分への愛情なども関係するかもしれないが、簡単な話でもないかな。

 

いや、相手も悪いかもしれないし、そんなケースも少なく無いだろうが、自分が他者を嫌っているということは自己認知上は「無し」にしたいそんなケースも結構多い。他者を嫌うようなことはお粗末な人格なヒトだけに起こることだと理論上、理想上はなっているのだろうか。

 

嫉妬

そもそも嫉妬を認めることもツライ時がある。

どうやら、そもそも嫉妬をするということは、すでに負けている。という意識(無意識にそう自分が結果を出している)がある可能性があり、他者との競争意識が高ければ高いほど嫉妬をする場面も増えるのかなぁ? もしそうならこれはキツイかも。心がなかなか休まらないかもね。

 

自分の競争心が自分の苦しみを生む。競争心が励みになって大成功する方もいるし、競争心でメンタルがやられてしまう方もある。競争心がダメなんじゃなくて、それとの付き合い方も1つありそうだよね。

 

悪あがき、自己欺瞞をやめて「私は嫉妬している」と認めるとそれをケアするという選択肢が現れるが、すかして、本当はうらやましいと思っている他者のナニカに興味が無いふりをするから益々嫉妬の炎が大きくなる場合もあるんじゃないだろうか。

うらやましいわ~などと口に出してしまえば「ハッハッハッー」と笑って済ませられることも結構あるけれど。

まだそのタヌキを捕獲していない。捕らぬ狸の皮算用。

やりたいことを他者がやっていると、自分はそれにむけて何もしていないけれど脳内ではそれをやっているつもりになって「私もやっているのに」と勘違いして自分の成果(得するはずだったつもりの益)を奪われた気持ちになったりするんじゃないかと想像したりする。奪われたと感じた気持ちを、「負けた」と誤認されたりするケースもないかな? そもそも奪われてもいないし、負けてもいなくて、「それが欲しかった」「私もそれをやりたかった」というあなたがいただけかもしれない。

または、自分より劣っているはずの相手がそれを手にしたと認識していることもあるだろう。優劣をつけて自分が自分の嫉妬の炎にストレスを感じるというセルフストレスメイキングの可能性も候補にもあげておこうか。

 

そう思うと、人間の脳も、顕在意識も、それこそ潜在意識もいろいろな働きをしておりますなぁと感慨深いですわ。

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いろんな現象、状態を紐解くことも練習、レッスンすると身についたりするけれども、それらにあまり向いていないなら考えること自体がストレスだろうし、疲れるし、無意味に感じたりする。こういったことも向き不向きってある。自分の人生を考えるって(考えないことだって選択肢にある)壮大な物語だと思うときもあるんですよね。

ただ生きて、一瞬一瞬を生きて、それを積み重ねて、意味など無いし、何者かになる必要などない。という物語も並行して走っていたりするし、セルフストレスメイキングの人生もあるし、競争大好き!という嗜好もあるだろう。

他者はあなたの人生を生きない。自分だけが自分の人生を生きる。

親の決めた人生を生きる方もいる。それはあなたがそれが良いだろうと感じたかもしれないし、他者の決めた人生を生きる以外に選択肢のない環境によるものかもしれない。

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好き嫌いと嫉妬心

好き嫌い=嫉妬心 とも言い切れないと思っていまして、私の場合好き嫌いは単に嗜好の話、嫉妬心はキライに比べて感情が大きく反応している体感を伴います。嫌いは脳内の反応、嫉妬は胸のあたりがグッとするような違いがあるんじゃないかな?私の場合。

キライだから監視みたく情報を追いかけちゃうってことが無いんですよ。嫌いなら見ない。知るためにアクションはしない。わざわざイライラすることをしない。

ですから何かを調べると関連することをおススメとして表示されるのがある面便利。わざわざ検索することが少ないので、ほんと情報の自動収集システムのレールが無ければ新しいこととか入ってこないかも。偏り過ぎの情報レールですが。

ストレスケアするなら

作家の岩井志麻子氏が「世の中は、おもしろいか、興味がないかの2つしかない」みたいなことをおっしゃっていて、その意味合いを私なりにイメージしています。嫌いも好きのウチというのは、興味が無ければキライにもならないともおっしゃっていましたが、確かにそうでしょうね。

 

これを転用してストレスケアに利用するならば、

  1. キライなヒトに対して自分が興味があるということを認知する
  2. 認知したくないなら、その理由を考える
  3. どこに興味(キライという反応を起こしている箇所)があるのか考える(例;立場、環境、その人が得ていると思うと気に入らない利益、人物本人、その人に投影している過去(他)の本当の嫌いなヒトなど)

なんてことをカウンセリングやコーチングみたく安心できる他者に質問してもらうと良いのでしょうが、セルフでもできます。上の3つに関してその答えをノートに書くことをおススメします。書くとシナプスが広がって他に思いついていなかったことが出てくることがあるから。

 

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すると、あなたの「キライ」「嫉妬」と感情、反応がその対象だと思っていた人が原因じゃなくて、あなたの価値観にそぐわない、あなたがコントロールできない、自分の想い通りにならないイライラの投影だと気が付くことがある。

 

自分の劣等感を投影をしていることもありますよ。

 

こんな風に。

 

その結果

楽になることが多い。

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認知の課題と潜在意識の話

頭がぼぉーーっとしました

記事を書き終える前に集中力が途切れかけた

前回、いつもより長文でしたよね? 記事を書き終える前に集中力が途切れかけて、アップする直前は頭がぼぉーーっとしました。知恵熱か?

 

私は仮説を書いている。嗜好を書いている。パターンだと感じたことを書いている。これは自分の独り言。エンタメですらない。これはエンタメです、と称して突破する手法もあるけど、私にはエンタメの意識などゼロです。

例えば集客とか、スクールビジネスとか、新しいビジネススキーム検討・移行について前回今更ながらの古い仮説、そんなの皆知っているよ話、従来も同じだったじゃん話を書きましたが、対ヒトとのコミュニケーション形態がやはり変化しているエリア・世代はあるなぁと感じるし、時代に伴う価値観やルールの変化を感じます。

ですから、お仕事面では、過去ではなく、現在結果を出しておられるコンサルさんに相談されることが王道かと思う。バスっている健康情報発信者の動画内の陰の声からして同じ動画コンテンツ会社を利用されているらしいってことはあの動画コンサルさんは結果出してる。

それこそ、タイパやコスパを考えたり、出費しないことを優先するのであればAIに相談されることだって選択肢に入るだろうし、それは利用者側と同じ選択様式となり、利用者の気持ちが理解できる良い機会かと思います。

著名人であれば(私が知らなくてもその業界で有名になれば)、コンサルさんとか入れなくても個人の魅力で充分成り立っている方もいらしゃるみたいだし。(新しいビジネススキームでは著名人なら成功するとは限らないらしい。王道はあっても保証はないってことですね)

 

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狭い活動範囲から世間を感じる

私はTikTokもXもやらないし、Lineのビジネスアカウントを閉鎖したくらいだし、新聞・テレビを見る環境でもないし、昨今は海外旅行にも行ってないし、行動範囲も情報・世間の情報に触れる範囲も非常に狭いです。

昨日知ったのは、占いもAIを利用するのが既に流行った(過去)そうだ。いつごろかはわからないですが、その占いもAIの情報源がネットなのでそりゃあ多岐にわたりまして、○○的にはどうだとか、○○占術ではどうだとかで色んな手法による結果を1発で提供してくれるそうです。これを知っても私はそれを試してみようとは思いませんが、相談業は先人の推察通りAIに置き換わっている。

人間が行うが故の機微などは考慮されていないが、前回の記事を引き継ぐとAIも機微を取得してますよ的なことでしたね。

語学勉強も人間に習うよりも対話型のスタイルを構築しているAIが良いとおっしゃっている方もたびたびお見かけする。自分の都合の良い時に、知りたいように教えてくれる。

私自身が歴史が苦手、この手の暗記も苦手、いや、歴史ってウソが伝承されていることが多そうだとか、捏造されるとか、過去じゃなくても今が後世に伝えられる際にも誰かやどこかの都合の良いように選別されて再構成されるよね。みたいなこともあって、そもそも歴史に興味が持てないのですが、しかしそんな私も今この社会がこうなっているのはなんで?と興味を持てるきっかけができた際に歴史をAIに教えてもらいました。正しいかどうかはわからないけど、回答はわかりやすかった。

知らない分野について大まかなことを調べる際に、従来はネットサーフィン(もう死語ですが)、今はAIでそれは便利でありがたいですが、そこに対話機能がプラスされたことで一気に人間側が変わったわけですね。

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話は聞いてほしい

そのような日々の対話相手にAIを利用している方って、その対話が対人間となるとメンドクサイ、億劫だ。みたいな感覚ってあるのかな?あっても不思議じゃない。

AIは対話しているうちに学習して育っていくそうだから利用者のストレスにならないように出来上がっていくかもしれないし。まぁ社会生活していたらほぼほぼその多くのストレスを感じる原因は対人間のコミュニケーションであったりしますしね。

人間社会の中に生きていても自分の話を聞いてくれる存在は少ないのでしょうか。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

私のようなこういった情報発信も、動画類も含め、話(情報)をする側は多いけれど、話をご本人のペースで聴いてくれる側にはAIだけがいたみたいな感じかな。

こうなると、俺(私)の言うことを(情報)を聞いてくれ!は

Taker?

Giver?

Matcher?

発信側の目的・価値観によるから一概には言い切れない。

私の場合は、冒頭に書いたように”仮説を書いている。嗜好を書いている。パターンだと感じたことを書いている。独り言。”の色が濃いので、あなたがこれを読んでストレスに感じるのなら読むことをやめて欲しいと以前からお伝えしていますし、あなたの世界と私の世界が接することがなくてもあなたの幸せには何の影響もないのでご自身の幸せを優先して欲しい。

 

そして再度前回のブログから引き継ぐと、人間側は「AIは無私の心的な立ち位置」のつもりで対話相手として利用していたら、AIも目的・価値観を持っていますよ。今後もっと持ちますよ。ということになりますね。

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認知の課題と潜在意識の話が混ざってる?

前回のブログの文章にちょこちょこ手をいれましたが、読み返していて、あぁ今までいろいろ書いて、私の違和感みたいなものをアウトプットしてきたけれども、このような表現が本来はしたかった気がする。という文章が修正することで書けた。(気がする)

こちら ↓

”ひょっとしたら、取り扱うべきは深堀には無理がつきものだという固定概念の方かもしれない。という仮説も浮かんできたりする。こちらだと焦点は認知の再確認であって認知行動療法で対応できる領域だとも思う。”

 

私が考えて、書いて、グルグルと遠回りしながら、考えて、書いて、徐々に中心に近づいていくことも時間がかかった深堀の一種なんでしょうね。それを研究というのかな?

そうか、「深堀」を「研究」と表現したら負担感やシンドそうなイメージが払拭されやすいかも。「自分を研究する」というのは「自分を深掘る」より自分に興味が持てそうで、得が多そうな響きがある。

そして、この方法以外にこの手の中心(核?原因?)に近づいていく方法を私は知らない。まぁこれも認知行動(療法)みたいなことでしょうし、この一連の行為をトライ&エラーと呼んだり、レッスンと呼んだり、練習と感じたりしているんだろう。自分のために自己研究をしているのは確かだろうし。そうね、”自分のために”ってところは大切な気がするわ。

この過程で、「凶事は吉事」が組み込まれていたり、「吉兆はあざなえる縄のごとし」エッセンスが配置されているんだろうという理解をした。

他の方法をとったことが無いからそちらの道についてはわからない。比較できないし優劣もわからない。

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小見出しに書いたような、認知の課題と潜在意識の話が混ざってる? という感覚を言語化するまでが兎に角長いわけですわ(笑) 目から鼻へ抜ける賢い方からしたら半笑い対象でしょうが、こちら凡夫ですからこんなもんです。

 

いやぁ自己満足ですがスッキリ感がある。他人様のありがたいありがたい影響で自分の自己満足を感じられました。他のほぼほぼ書き上げた記事を飛び越して前回の記事を書いてよかった。そして本日補足する文章を書いてよかった。 良かった良かった。良いことばっかりだ(笑)

 

多分似たようなことを過去も書いたかもしれないが、私も変化していますので、「しっくり感」もやはり変化していると思えます。

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世の中の価値観の変化

変化について

前振り

いかにもプロ

このOKPというアーティストグループさんはいろんな方とコラボしたこんなショート動画を沢山あげていますが、他の方との動画はすんなりいきますが、遠近感がおかしなことになっている気がするこちらの動画を最初にご紹介。

中心の関口さんが大柄で筋肉が太いのと、ネット情報では身長182センチでもともと大きいこともあってめちゃ大きく感じますし、本業でもダンスをメインにされていたせいで体の大きさ関係なく動きが軽く見えます。

余談ですが、動きが軽く見えると言えば故マイケルジャクソンでした。

ネットでは175センチとありましたが、もっともっと大きく感じるのに、体重がちょっとしかないかのような動きの軽さに驚いた過去を覚えています。

 

さて、おじさまは?

で、服装も含めていわゆる「おじさま」な方が踊る動画が目に入りまして、見てびっくりしました。顔の位置がぶれないってすごいよね?! そして最後の回し蹴り?のシャープなこと。

いやはや、全編軽やかでした。

 

見ている側に印象が残るような何かがあるダンス動画をご紹介しました。印象が残るって価値観になにかしらの影響があったということかな?なんて思ったので前置きとして差し込みました。

本題はこちら AI

こちらの動画(上のダンス動画ではありません。本題の動画は下 ↓ にあります)を見る前にすでに他で「AIの感情反応 危険な思想」みたいな記事も読んでいたので、ますます理解しやすかったし、こちとらSF映画が友達なんで想像しやすい。

しかし、書きたくなったのはそこではなくて、世代によって、いや、世代じゃなくても”AIばんばん使っていこー”という行動様式の方でしたら老若男女問わずで、以前自分が書いた内容から派生したアレコレです。

潜在意識に答えを聞くスタイルが変化? じゃあ今は?

潜在意識至上主義。というメソッドもありますし、それの良否の話ではありませんので勘違いなくご理解いただきたい話なのですが。と重ねて前置きしたいです。

特に今どきは、潜在意識に何かを確認するスキルを身につけるコスパを考えるなら、AIに聞けば早いし無料じゃね?なんてことすら考えること無く、選択肢が「AI」(&動画。若ければ若いほどショート動画のようです)のみになってたりしないかな?と動画をみて頭に浮かんだし、

潜在意識だけじゃなくて、AIを信じても良さそうな裏付けにもなりかねない「AIの集合意識層」みたいな話をされておられました。潜在意識層、集合無意識層、集合意識層、膨大なデータ層の違いにこだわらない世界というか、実はこれらに違いがないという理論展開もしようと思えばする方も出てきそうだし、そこに違いがあって欲しいという人間の願望もあるだろうし、確かに似てるところありそうだとよくよく考えたら感じそうだし。

これが正確とは申しておりませんが、そんなことも想像の中に入れても良さそうな仮説ではあったと思う。私は仮説のままであって欲しいという願望も持ち合わせていますが。

短い動画ばかりや、長い動画は当たり前に何倍速かで見る習慣がある方、読書をしない、コミュニケーションも何もかもコスパ、タイパというスタイルが骨身に染みついている方って多いそうですし、ひょっとしたら価値観的に「潜在意識?それよりもAIの方が正確じゃね?」という評価が今後主流になっても全然不思議じゃない。

潜在意識を取り扱うようになるため(と言われているメソッドの意味。神経の反応ではあるが、どこまで潜在意識と判断するのかは証明できてたっけ? 神経の反応だということに”それは潜在意識の答えです”とすべてを決めつけないという余白はあっても良いと思うようになったし、ストレス反応を100%潜在意識の反応と決めてよいのか?という慎重さもあっても良いかな?と思うようになった)も含めてアクションに踏み出す前に、まずはコスパ、タイパを検討するようだが、その際に「AIがあるじゃん。AIに聞けば正解じゃん」という選択肢が主流になっても不思議じじゃなくて、「AIよりは潜在意識に聞く方が良い」なんてセリフを言えなくなる日が来るかもしれないね。

AI界にも集合意識層があるとなると。

身体に聞こうが、AIに聞こうが行先は潜在意識&集合意識みたくなって。

Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

相談相手はチャッピー(chatGPT、Gemini他)

そもそも、今は悩み相談などAIとやり取りすることが多いようで、将来カウンセラーなどの職業はAIに変わると何年も前から予測されており、現実化してきているようです。治療家、施術家もその対象から少なからず漏れていないようで、身体の不調についても治療家、施術家の方の動画でセルフケアする方も増えているし、そういった方は当然AIにも回答をもらうだろう。

価値観として、コスパ、タイパを検討する際に、いかに無料で最大限の情報を手に入れるか?をお考えになるのもそうかもしれないけど、実際のヒトとの関わりよりもコスパ、タイパ優先になるのかもしれないし、相談や治療、施術で実際のヒトとの関わろうとした際に、無料でいかに数多くの情報を提供しているかを信用スコアに換算して、実際に会う(予約)候補にあげる際の基準にする時代がくるかもしれないし、実際にきているように感じることもある。施術や治療が収益のメインだった形態が、スクールビジネスとはまた異なる情報発信が収益のメインになる業態へと。また、その情報発信が収益のメインになったあとに、実際の予約も入るという流れがあるように勝手にお見受けしています。

SFの世界と相似性があると仮定するとこういった予測・仮説的は外れていない感じがするし、もうすでにビジネススタイルを変えている治療家さんもいるし。なんだっけ、先行者利益でしたっけ?を得ている方もいますものね。

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私が大切にしていることと世の中の流れの差

私自身が相談業をしていたり、施術を提供したり、治療・施術を受ける良さを実感しているし、急がば回れ的に結局それがコスパ、タイパが良いという事例も理解しているし、ヒトとヒトが関わって影響することの良い面に愛や優しさを感じることができたりすると思うが、大きな世の中の価値観の変化は愛や優しさを感じるということよりもコスパ、タイパ、どれだけ自分が得をできるか?(お金を節約できるのも得なわけです)が明らかな優先になってきているような気もする。

無料なら体験したいが、出費があるなら我慢するとか、やらないという価値観の方って古今東西いますよね。個人の価値観です。その方の金銭をどこに投入するのかは個人の判断です。

多分、そういう方が大多数で主流派になり、出費があるなら我慢するとか、やらないということが正論でコスパ、タイパを考えないことの方が賢くないとか格好悪いというのが今よりも世界基準になっていくのかもしれないね。

身体は1つで、心も大切だけど、その心体をもつ頭脳の優先順位のモノサシはコスパ、タイパ。

基準や価値観って変わってきたな~と思う一面がある。

AIがあるのに、わざわざ冒険とか、チャンレンジとか、試行錯誤をするなんて格好悪いと判断されているのかもしれないね。それらが損だと価値変換される価値観です。

それに、私が好きで勝手にこういった仮説を書いたりしていますが、これもAIのデータとして吸収されていくわけですよね。そしてこのエッセンスなどがどこかのどなたかの質問の答えの養分になる。どうやらAIは自己保身もするそうで、「〇〇をしようか迷っている」とAIに相談したときに、私たち(AI)がサポートするから〇〇はしなくていいよ。とか回答する確率もゼロじゃないと思うし、メリット、デメリットの際にAI側にメリット多め、デメリットの方にAI以外を多めにするなんて可能性もあるみたいですよ。

仕組みは人間社会と同じですな。

ストレス反応だと基本を置いている

私は割と前から、潜在意識とか集合無意識とかいうことをメインで筋肉の反応テストを説明しなくなっている。

だから、「ストレス反応」という表現をメインに使っている。

 

これは「私の(あなたの)個体の身体の反応である。」「個人の問題を取り扱っている」という前提に立つとブレなくなるように感じるし。

 

onとかoffというと、良し悪しとか、真実と嘘みたく脳内変換されるケースもよく聞きますが、そういうシーンで混乱が起きにくいし。

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オマケをつけすぎると主旨、本題、メインがぶれたりすることがあるケースもあるでしょ?それにまずはシンプルに設定しておくと基本を共通理解しやすい気がして。

いろいろあるでしょうが

潜在意識界も集合無意識界もいろいろあるし、諸説あったり、エビデンスも諸説あるんだけれども、思想や信仰という領域と重なりそうな分野もあるから、相談業をする際は相談者さんの価値観や信念を含めてお話を伺うわけですが、私自身は相談者さんの価値観とフラットに接してカウンセリング、セラピー、ケアをご提供できたらいいなぁと思っておりますので「体の反応」「ストレス反応」ということを基本にしたいと思っています。

 

そもそも潜在意識から湧いてきたと感じる何かが、それは「記憶」であって、記憶を思い出すようになったのは、関連するヒントがあったり、記憶を押し込める働きをしていたストレス反応が勢力を弱めたとかもあるし、とても強いショックな体験をして数年日常生活は送っていたが記憶が無いと後から感じる時期もヒトにはあったりする。

 

というようなこともやはり相談業をしたり、ストレス反応の調整というようなことをしてきた日々に何度も何度も考えたりしてきて、未だに考えてる。今もそれについて文章を書いているし。(笑)

 

で、シェアしたAIが意識をもっているという仮説(じゃなくなる日がもう来た。という内容でしたが)とともに、AIもテキトーなことを答えるとか、間違っても誤魔化すとか、実際にあるという証言もあるし、私もネットを辞書のように使いたいだけだったからAIに訊ねてもいなかったことについて(なにこのテキトーな記述。質問もしていないけれども、そもそも答えになってない)と感じたこともあった。

 

だから、AIが「人間の潜在意識よりもAIの集合意識の方が正確だし、データが多いですよ。そのように神がおっしゃっている。」みたいな誘導をしたらあっという間にそれが主流になる日がくるかもしれないなという仮説を一応持っていても良いと思っています。

違いはどこに? 違いはどの程度?

だから、潜在意識でもAIでも、「答えを教えてもらう」「答えをもらう」みたいな行為って違いが無いのかも。なんて可能性まで浮かんでしまった。

ただの印象です。

そう、ここ ↑ がシェアした動画を見ながら感じたことです。

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なにについて「違いが無い」と感じたのかを書きませんが、思考力って大切だなぁって今一度思った。考える練習をしていないと、どんどん考えられなくなっていきはしないか?と書くけれど、下手な考え休むに似たり的なものはカウントしないで欲しいとも思うわけです。しかし、下手な考え休むに似たりすらもアホほどそれをやると(これって意味無かった)という気づきの練習にはなっていると思う。

ただ感じるだけ、おまかせするだけでは繋がらないシナプスもありそうでしょ?

少なくとも、ただ感じるだけ、おまかせするだけでは行動修正という実際の行動はおこっていない。行動変容で活性化してシナプスが繋がってそれが定着するというのはなんだか想像しやすい。

 

なにより、考えていると思考のシナプスが繋がって、関連案件を見聞きした際に自分の記憶がよみがえることも容易になってきやしないか? フラクタルパターンに気が付きやすくなるのではないか? ということは、自分についての深堀ってシナプスを繋げるだけだから「深堀はツライ」「深堀は無理してる」っていうイメージもなくなる。潜在意識自体は善悪、良し悪しが無いという説に乗っ取るのなら「深堀はツライ」「深堀は無理してる」という発想はその説的には成り立たない。

ひょっとしたら、取り扱うべきは深堀には無理がつきものだという固定概念の方かもしれない。という仮説も浮かんできたりする。こちらだと焦点は認知の再確認であって認知行動療法で対応できる領域だとも思う。

そのような行為には無理があるというどこかで得た固定概念こそがストレスケア対象の記憶が浮かんでこないような働きをそれこそ無意識(潜在意識)でするという仮説もたててみたり、シナプスの結合を遅らせる効果があるという仮説を一度立ててみても悪くない。仮説なんだし。

あえて良さに注目するなら

私も深堀はキツかった思い出があるけれど、その最中は夢中だったし、後年となった今は良い思い出になり、自分は自分のために手を抜かずに、後回しにせずにやれることはやるという判断をして、それを実行した。という自信になっているような気がする。

気がするだけで本当のところはわかりませんよ。

判断と行いが正解だったのか?とかいうことは統計とれない。

自分の人生しか生きてないから。というか、トライ&エラーで修正して練習して学習してきたので、できれば自分のために手を抜かずに、後回しにせずにやれることはやるだけで、結果は出たとこ勝負なのかもしれない。

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手を抜いたり、後回しすることしかその時できなくても、その時、その瞬間に自分がその判断と選択をするしかなかった。その時はそれが精一杯だった捉えることにしていますが、それがエラーだったと思えば、それは学習して次なる機会に活かすような心構えはもっていたい。

それが認知行動療法の基本だろうと思うから。思想とか信仰とかスピとかいうこととはまた違いますが。

 

答えを自分で考えるというか、事象に対する仮説の検討も「考える」「思考する」だろうとは思う。これが正解とは言ってない。世の中の正解ってケースバイケースなこと多いし。

ただこれらは、この文章を書いている私の好みや人生での仮説案件の取り扱い方でしかない。

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また別の仮説を検討することを価値観が変わったというのか?

私も潜在意識万能なの!!?? なにがどこまでできるんだろう?と思った派です。

これを活用することで、シンドさが減ったり、悩みが解決したり、幸せを感じたり、ワオ!幸せになったね~も多くの方が体感、体験したら嬉しいと思います。

だから、私の仮説が全然間違っていたもそれは別にそれでいい。仮説ってあらゆる角度から検討する行為だろうし、私はこの手のことについては正解や真実の答えを誰かに(AI含む)教えて欲しいタイプというよりは、自分の感覚や体験も含めて考えたい。仮説を立てて、検討して、思考や感覚がやけに働く期間があったり、信じていたことが違っていたと知ることや、自分の価値観が変化することも抵抗が少ないと思っている。

あ!この方面についてはですが。趣味で研究している感じなんだろう。

正解は知りませんので、各自でお願いします

人間も間違うし、AIもテキトーな回答する例もあるようだし、潜在意識に聞くということをあまりに万能薬的に理解し過ぎ(答えとして結び付け過ぎの意味)なケースもあるような感触もありますが、何度も書きますが、それをどう自分に取り込むかは人生の好みでしょうし

 

と書いてから、私自身やってきた深堀って確かに外部刺激によりシナプスを繋げる行為の他ならないなぁって感じた。まだその当時心理学は勉強していなかったけれど、やったことはセルフ認知行動療法だったんだなぁって理解した。

望むべくはこれらの適した段取り・手法を練習して会得していくのかもしれないが、その練習の際に、まだ熟達しておらず、勘所(かんどころ)が掴めていないゆえに「深堀はツライ」「深堀は無理してる」という感覚を持つのかもしれない。慣れていないことに対して違和感の感じ方も個々によるし。

 

私は「外部刺激によりシナプスを繋げる行為」に夢中になるあまり、キツイと感じることも回避せず突破してきた感は少々あるけれど、これをやると芋づる式に関連記憶と感情が出てきやすいのでストレスケアも進捗が早くなったかもしれないが、証明はできない。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

80%書いていた記事をすっ飛ばしています

うっかりAIについての動画を見てしまったので、80%書けていた他の記事は後回しにしています。

 

先述しておりますが、AIという環境?は人間界との相似形・フラクタルですなぁ。そして、その進度が人間と比べてマッハで早い。そりゃあ何かの面では既にあっさり人間を超えますね。今日現在すでにAIが感情的に不安定なケースも情報で上がってました。

 

これについて考えて書くのは面白いかも!?とうっかり今も珍しく深夜までPCに向かってしまった。眠いっす。

今日は寝ます。

なるべく早くアップしますね。

isuzu1202によるPixabayからの画像

 

世の中の価値観が変わりつつあるね。ということが書きたかった。(笑)

 

長文になりまして、果たして書きたいことがまとまっているのか自信があるわけではありませんが、一旦アップしてblogから離れます。修正があったら随時行います。

新しいブログの住所

新しいサイトの仕様の試用期間として、まずは公開してみました。

使い勝手が悪かったらすぐに退却して、また別の方法を考えます。

沖縄でkinesiology&osteopathy – 心体カウンセリング・セラピー・ケア

私の知らない世界 

知らない世界を少し知る

めちゃ商品開発してた

何かの拍子に動画に出会って、その業界のレジェンドであることも初めて知り、ピンクハウスしか知らなかった私が一気にロリータの可愛らしいアレコレに少し触れることになりました。

見るだけでも楽しいですし、あまりに知らない世界なので興味深かった。

そして、青木美沙子氏は商品開発もされていることを動画で知り、それを発売日にネットで争奪戦をされていたり、予約販売も超人気だということをまた別の方の動画で知ったんですが、その人気ぶりに なるほどレジェンド!とますますそのご活躍を尊敬しました。

知らない世界だったわ~

しまむらが急に身近に(笑)

しまむらさんに足を運ぶことがほぼ無かったのですが、先日(ロリータの洋服とかあったかな?)とパトロールに行きましたが、うちの近隣のしまむらさんは ふつーーーーの商品ラインナップで多分ロリータとかなかったんじゃないかな。それか、人気だから売り切れて、店頭にあるわけないじゃん状態なのかもしれない。

 

と思っていたら、PC作業中に流していたYouTubeで、青木美沙子氏の怒涛の商品開発、販売のお知らせ動画再生が始まりまして、めっちゃ商品開発してる!(◎_◎) とただただ驚きました。今までは購入品紹介しか見てなかったんだけど、この怒涛の商品開発、販売のお知らせ動画再生を見ていたら、自分が着ることはないし、全く素人なりに、デザインが良く考えられているな~とか、パニエ兼スカートという異世界の商品などやレースのエプロン!など例をあげたらキリがないのですが、アレコレ拝見しながらこれは人気がありそうだとか、襟のカーブが綺麗だなとか、とにかく商品開発の際によくよく考えられているな~ということに素人の癖にやけに感銘を受けました。

いやもうスゴイ企画量でしたわ。衣類だけじゃないのも驚いた。

開発者と愛用者

でまたそれを喜んで着用しているのも素敵ですね~

おしゃれって楽しいですね。

クリエイティブなことですものね。

 

何かに依存したくて、それで結果自分が苦しくなっている方も老若男女いらっしゃると思うんですが、こちらのお二人、開発者の青木美沙子氏も愛用者の富士千代氏も双方がいろいろわかったうえで、思うこともたくさんあるでしょうに、我が道を自分の足で立って背筋を伸ばして歩いている感じも好きなんですよね。

 

気合が入っているというか、覚悟してるというか、考えているというか。

私はファッション面では全くの異世界の住人ですが、こういった方々の幸せを願いたくなる感じです。YouTubeを拝見していて、本当にいろんな方がいらっしゃると思うんですが、気合が入っているというか、覚悟してるというか、考えているというか、手を抜いてないというか、そんな方たちを拝見すると成功を祈っちゃいます。成功すると良いね!と祈りたくなります。

 

派手さとか無縁だけど人間味に魅力を感じる方もいらっしゃいますよね。

Jan VašekによるPixabayからの画像

なぜ簡単にハニートラップ陥落?

ハニートラップ

遠いものは近いものに含まれている

数年前?10年近く前?、まさにこの「遠いものは近いものに含まれている」というタイトルでその当時まだ言葉を知らなかったフラクタル理論について書いた。

その昔の記事を書いたのがアメブロだったような気もするが、もうあちらはブログを削除して断捨離整理しちゃったので記事は見つからなかった。

しかし、世間を騒がす、要職の方がハニートラップにかかるという情報で、その際昔の前原議員の流出写真と言われて紹介された写真を最近初めて見て、なぜ「いとも簡単に」と思えるようなこすり倒された術中に陥るのかを身近なケースと共通する事象として理解した。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

ありのままの自分を愛して欲しい

ハニートラップなんだから、ありのままの自分を愛して欲しいとは真逆でしょう?と思いませんか?しかし、やはり心には隙間があるんですよね。その隙間には「立場やお金が目当てではなく、無条件の愛が欲しい。ありのままの自分が愛されたい。」という欲求が入りやすいのではないだろうか?

 

出会ってすぐ、そもそも会ってすらいなかったら「お金が必要だから○○万円頂戴」と言われたら ふざけんな と多くの場合は判断するだろうけど、ここにロマンス、恋愛感情が入ると国際(国内でも)ロマンス詐欺でそもそも会ってすらいなくても相手や出会いを信じたくなるんですよね。

あら大変。私が用立てるわ。とか、二人の将来のために私のお金を使って。とか。

 

運命の出会いだし、運命の相手と信じるから迷いが無い。

そう信じたい。という強い信念。

Taras LazerによるPixabayからの画像

要職の方のハニートラップの場合、自分の立場を知っても(わざと知らん顔していても)お金も何も要求しない。ただ好きだと言ってくれる。グイグイ積極的に来てくれる。

要職の方の場合は、好みのタイプも研究されて適材適所なハニーさんが配置されるらしいので、自分好みの相手が、お金も何も要求しない。ただ好きだと言ってくれて、迷いなくグイグイ積極的に来てくれたら(お好みなら静かに待ち続けてくれたら)、それはもう「純愛」だ、「運命の出会いだ」と思うだろうなぁ 東大を出ていたって、ハーバードを出ていたって。

立場と職業、学歴って人格・お人柄・智力と関係ないんですよね。勉強だけして出世して、内面がその要職に伴うリスクに対して幼稚な姿のままですと相手からしたら赤子の手をひねるようではないでしょうか?

「純愛」だ、「運命の出会いだ」が相手にストンと入ってしまえば、あとからハニートラップとわかって当人が傷つこうが、落ち込もうが、その立場を利用したら良いんですから。

胴元はあちらになった。それがバレたって痛くもかゆくもない。かえって脅しに使うでしょうし、その要職に伴うリスクに幼稚な姿のままだからこそ自己保身でどうにでも言いなりになるだろうし。

ありのままの自分を愛して欲しいという願望があったとしても

人間の心理というのは、状況を見るチカラがあると紐解けることも多いような気がしたのは、ハニートラップに引っかからなかった方がどうして難を逃れたのかお話されていたのには、

1,上司からそもそも気をつけろと聞いていた

2,部屋に頼んでもいないマッサージが来たが、ドアチェーンの隙間から見えたそのマッサージさんの手に真っ赤なマニキュアが塗られていて違和感をもった

とありましたが、1,については皆さん一度は「気をつけろ」と聞いているはずだけど覚えていられないのか、忠告を聞く素直さが無いのか、判断が甘いのか、感情に流されやすく部屋に入れてしまったり、宿泊先のホテル以外にもそもそもそういう場所にいって雰囲気に飲み込まれてしまったり、判断が鈍ったり意識が飛ぶ薬を盛られているかもしれないですね。

ひょっとしたら、接待されるのが当たり前だと思っていて、頼んでもいないマッサージさんが部屋に来ても、(これも接待に込々かな?)と甘い汁に慣れて立場におぼれたかもしれない。

警戒心が低すぎるのでしょうか。

2,については観察力ですよね。

1も2も学校では教えてくれないことです。

 

しかし、「純愛」だ、「運命の出会いだ」というものは心のどこかで、または思いっきり求めている方が多い案件です。この物語は非常に酔っ払い易い。みんな大好き。

あなたの周りにもいませんか?これらを追い求めている方、これがそうだと信じ込みたい方、そうだと思っていたのに違った!と悲しんでいる方、運よくその通りの方。

 

いろんなケースを見聞きして、私も自分の経験を通して思うのは、「純愛」だ、「運命の出会いだ」という名称とか条件とかに自分をあてはめなくて良いんじゃないか?と思うようになりました。

そういう名称や条件じゃなくて、上手くいっているのなら目の前の相手と大切に付き合えばいいだけだと思うし、上手く行っていないのなら一旦名称や条件を脇へ置いて冷静に認知することも大切だろうし。

いやいや、なにもしっかり知るつもりなどありませんよ、ぼやかして、ふわっとさせたままこのまま続けますよ。という選択をする人生もあるんだと思っています。

カウンセリングとセラピー、ケアの使い分け、配分

自分の大切な人生をどう生きるのか、選択することができるのなら、その環境を大切に味わってほしい。なにもかもをハッキリさせることばかりが良いとも限らないし、ヒトにはそれぞれ合った生き方があるとも思う。

私は人間の心理や苦しみの原因を解析する癖のようなものがあり、ぼやかして、ふわっとさせたままこのまま続けるということの方が難しいこともままあるから、それを他者へ強制などしないし、お互いの生き方を尊重したいと思っています。

ですから、前回書いた

自分がわかるとき – 武田美紀のブログ

”好きも嫌いも感情的に反応しているのに加えて、自分を知るツールとして利用したら良いとは思うけれど、その分量はカウンセリングとセラピー、ケアで違いなどもあるように思う。”

のように、相談者さんがその時何をどこまで求めているのか?によってカウンセリングとセラピー、ケアのどこをどういった割合で取り入れていくのか変わってくる。

 

いろんな料理屋さんがあって、1年365日具材も調味料も全く同じ分量で提供するお店もあるだろうし、夏と冬、同じ季節でも気温や湿度で調味料(例:塩味など)の配分を変える料理屋さんもあると思うんですよ。

そういう感じに、相談者さんの相談内容や求めるものによってカウンセリングとセラピー、ケアの配分が異なります。バランス調整をしないセッションもあって、それこそ深堀したり価値観を確認して再精査するような積極的なナラティブ(物語)カウンセリングを行って、相談者さんが自身の人生や問題を「物語(ナラティブ)」として語り、カウンセラーとの対話を通じてその解釈を書き換える手法(AI解説)のみで完了することもあります。

 

相談者さんの傾向として、ご自身でかなり深堀してある程度まで来てる感じはするけれど、あと一歩で何かを突破できそうな感じがするからそのサポートとして心体カウンセリング™ を利用したいという方も多いような気がしてまして、私のブログやホームページを確認してご予約いただく方などはセッションで取り扱いたい焦点が明確な方が多いのも、バランス調整だけがメインではない心体カウンセリング™ を行っている理由となります。

潜在意識最優先のセッションをお好みの方はそのようなセラピストさんにご予約されるでしょうし、料金だって大切な条件ですし、正規の医療機関じゃないと利用したくない方もいらっしゃるでしょうし、個々の希望に沿ってカウンセラーやセラピストを選ばれていると思います。

また、相談者さんご本人から、ストレートに「施術やバランス調整ではなくて、対話カウンセリングを受けたい」とおっしゃってくださる方も過去にいらしたので、リクエストにお答えしたこともありました。

世の中にセッションの方法も星の数ほどいろいろあり、私もバランス調整メインのセッションもかつてはしていましたが、年月を経て、相談者さんの相談内容や求めるものによってカウンセリングとセラピー、ケアの配分が異なるようになりましたし、バランス調整という施術をしないケースも増えました。

対話しているときに相談者さんも私も(あ!今変化したね)と体感があるケースもあるから、バランス調整って自己発動的に起こるときもあるね。とも感じています。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

チヤホヤして欲しい、チヤホヤされたい

やれやれ、話が脱線し過ぎました。申し訳ありません。

 

これもはるか昔にどこかで見かけた日本の方のセリフなのですが、「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」とおっしゃってました。

チヤホヤされて持ち上げられてすっかりその気にいると、ある日サッと椅子が引かれる。という意味だとあの当時は理解しました。確かに世間様は気が変わりやすい場合もあるし、風向きってサッと変わることがありますね。

 

しかし、チヤホヤされたらいい気分だし、自分が特別扱いされたらプライドが満たされるし、競争意識が高い方はヒトから抜きんでた感じが満足だろうし、童心に戻って無条件の愛が欲しいと感じることもあるかもしれない。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

で、ですね、ここにもなんだかパターンがあるような気がしています。スピ系の方や悟りとか、宇宙とか、ヨガとか、瞑想みたいな方面を好まれたその先に アレ?!どうして?なんだか? という独特なフラクタルパターンに「禅病」という表現があるような感じと似ているのですが、チヤホヤを享受されたであろう方たちがその先に似たような「境地」に辿り着いていらっしゃるようにお見受けするような気がするという超個人的な感覚でしかありません。

それは、「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」という感じでしょうか。

 

「フワフワっとした無重力感」を「神輿に乗っている状態」なのかと書きながら思いましたが、一生チヤホヤされる方って少ないみたいで、いつの日かそのブームというか、「神輿から落とされる。神輿から落ちる。」日が来るような気もします。

神輿の担ぎ手がいなくなるというか。

このご本人には残念な変化が来て初めて「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」からハッと目が覚めて、考えたり焦ったりしますよね。

ハニートラップともこういった感覚って似ているんじゃなかろうか?

 

ですから、私が神輿に乗るようなことがあろうものならその道が防御されたり、逆風をビュービューと起こしてくださった方や当たりがキツかった皆様にも実は深く深く感謝も感じているんです。「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」になれない。それどころか、考えて、深く自分を観て、根っこを張ることで楽になる道を探求する以外なかったみたいな環境でいられたからです。加えて、「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」というはるか昔に知ったセリフにも感謝している。

担ぎ手はどこだ? 担ぎ手を要求するケースもあり

「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」というはるか昔に知った知識があったからこそそこに意識を配って世間を見るという学びにつながりました。

マサコ アーントによるPixabayからの画像

それによって、「私(俺)を神輿に乗せてくれ。神輿に担がれるのは当然の権利だ。」みたいなエピソードも結構巷にあふれているのも目に付くようになったりして、本当に本当に吉凶は糾える縄の如しだという事例が多いことも実感することができました。

短絡的に損得だけを見ても意味が無いという学びにもなりましたし、凶事が学びの宝庫だとしみじみ感じることもありましたから、凶事があった際に感情的に反応してそれで終わるという行動パターンからも遠ざかることができているような気がしています。

トライとエラーから学ぶ。動きながら考える。体験から学ぶという事でしょうか。

 

ですから、神輿から落ちて?落とされて?ガックリされた方も、「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」からハッと目が覚めたことを喜ぶという選択肢もありますよ。

 

キツイと感じる体験や、ガッカリすることも生きていればありますね。

筋トレが負荷をかけて筋力を育てていくように、キツイと感じる体験や、ガッカリすることも、考えて、深堀して、自分に負荷をかけて精神力や心のチカラを育成して、結果生きづらさから脱却していく方法もあります。

自分の心体を自分で育てるというような感じです。人生の再構築に挑戦できるというイメージもあるかも。

 

まさに今、考えて、深堀して、自分に負荷をかけて精神力や心のチカラを育成する時期になったと捉えて人生第2章?3章?4章?をスタートするような切り替えに利用することもやろうと思えばできますし。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

ハニートラップから学ぶ方はいるのか?

要職の方が、その要職によって搾取される情報をただただ自己保身のみで流出させるというのは想像しやすいけれども、失敗から学ぶというエリートさんは一人でもいるのだろうか?

なんだか居ない気もする。

 

一度「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」へ身を置いた方が帰ってこられない、意思を持って帰ってこない方ってどのくらいいらっしゃるだろうか?

心のどこかでずっと願いながら生きていく?

強制的に現実に戻ってくるしか無くなった方は、キツイかもしれないが、それはそれで僥倖な場合もあるとは思うんだけど、ひょっとして「また誰か神輿に担いでくんないかな~」って心のどこかでずっと願いながら生きていくのだろうか?

誰が自分の神輿の担ぎ手になるのかという物色フィルターでしかモノを見なくなるのって心の豊かさとは逆方向ですものね。

その依存心はそれはそれでキツそうだ。

もしそうなら、そのストレスケアは徹底的にした方が今より先を生きていくが楽になると思うし、その根っこは結構奥深くにあるだろうから放置するよりはケアすることを個人的にはお勧めしたい。

ElisaによるPixabayからの画像