動画配信、アーカイブお休みについて

いやいや お久しぶりで

パスワードを忘れるぶりでした

ログインパスワードを忘れるほどブログを書いていませんでしたが、私は元気です。

ということと、ラジオ番組の「沖縄カウンセリングラジオ」の変更点(タイトルに書きましたが)についてホームページにアップしました。

ラジオ番組について

ねぇ いったいナニやってたの?

rubyliaによるPixabayからの画像

 

いろいろ考えることや思うことはあり、感受性も発動しつつ生活しておりましたよ。

最近で言えば、美容院に行ってさっぱりしたし。

2024年の最初に、昨年から車を買い替える買い替えると言いながら先延ばしになっていることの期限を決めたんですね。6月末までには買う車を契約しているか、既に乗っているかという状態になる!と。

自分なりに、最低でもコレ、最高ならコレ。と想定している車があるのですが、そろそろまた活動を再開しますかね。いやもう今の車の劣化ぶりがこれ以上になる前に乗り換えたいものですから。

 

出会いと別れ

出会いと別れと、親しみと寂しさと、人生ならではの体験もてんこ盛りで、これまでもこの先も出会いも別れもあるんですが、ますます目の前にいる方を大切にしようと思うようになりました。

一期一会で本当に1回しか会わない方も居るし、ヒトとして素晴らしい方だなぁと親しみを感じていた方も転勤で沖縄を離れることが決まり、おそらくもう今回の人生で再会することは難しそうな方も居たりします。

別れを寂しく感じる関係性の方も多くいますが、彼、彼女のこの先の人生の幸せを願っています。なにを彼、彼女が幸せと感じるのかはわかりませんが、ご本人の人生を応援したい。

そして何より、別れが寂しいね。と思うような出会いがあったことが幸運だとも思っています。

出会えないと別れもないから。

 

1つだけ メモしていたことを書く

このメモが机の上にずっと乗っておりました。文章にされるまで最低でも2,3か月経ちました。

折角なのでこの機会に日の目を浴びさせます。

 

法則を利用するってどんな感じ?

都市伝説か、証明済みかは不明ですが、「法則」という名前が付けられている思想についてはこれまでも書いてきましたし、これから書くことは過去にも書いた。ちょっとだけ引用文を変えて文章にしてみます。

 

与えたら返ってくるという事象を「法則」と呼ぶ方もいる。そういうこともあるだろうし、そういう因果関係を創ろうと思えば際限なく作れる。創れる。観念として。

そういった思想に良いも悪いもないし、なんなら私も生きていて(これは(良いにつけ、悪いにつけ)やったことが返ってきたみたい)と感じることがあるし、思うこともある。

それを「法則」という言葉を具体的につかって他者に話すことは余り無いとしても。

 

というようなことはしつこいくらい書いてきた。

「論」が良いみたい

 

で、ならば「法則」を逆引き利用して、先に与えて、リターンを待つという意図をもって「与える」方もいる。

で、私はこの辺りに違和感を感じて、わかったようなことを過去にも書いた。

Blogだったか、ホームページのコラムだったかは忘れてしまいましたが。

 

で、数か月前に先述のメモにとったと書いたマザーテレサの言葉が私の違和感の解説に非常に良いのです。それはこちら。

 

” 大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛を込めたかです。 ”

 

「法則」として返ってくるものはナニ?

またまた先程書いた、

”「法則」を逆引き利用して、先に与えて、リターンを待つという意図をもって「与える」”

場合に、法則として返ってくるものは何だろう?

愛? ちょっと違う気がする。

欲? ひょっとしたらそうかも。

自分のリターンを想定して与えることは「愛」?

 

そう、私は考えてもしょーーーーが無いかもしれない? いやこういったことが大切? ということもそれぞれの好き好きなこんなことを考える癖があるんですよね。

 

どっちみち返ってくるから! というようなさっぱり感であって、リターンの想定ではなく気持ちよく与えているのなら「愛」?

 

これならマザーテレサの「どれだけの愛を込めたか?」というところに話のポイントはうつりますかね? どうなんでしょうね?

 

知識や情報を得れば得るほど、愛からは遠のくような事象が有るのかもしれないな。というような話になりましたかね?

 

愛もいろいろありますからね。

いつも通り答えのない話を書きました。

 

2024年 明日から4月です。

時が経つのは早いです。

大切に生きていきたいです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

「論」が良いみたい

なーーーるほど

数ミリ進んだ自己理解

今日は前回の記事の続きです。

時代が追い付いてきたか? 違うか(笑)

私は1つのことをしつこく考える時があります。

いつもではないんですが、なんか気になるフックが脳に引っかかる案件が時折現れます。

ありがたいことに、なんとなく収まってくる展開になることが多くて、ひとまず、今のところはこれで。と沈静化する。

沈静化して暫く経つと、 オヤ?そういえばあれってさ。 とまたちょっと腑に落ちる思考展開があったりしてスッキリ化がすすんだりします。

そんなこんなで人生ここまで来てます。相変わらずやってます。

今日もそれ。

 

「法則から漏れる」と書いたそのニュアンスについて自分のつたない言葉で準備したんです。いったん。ところが、神様が(あなたの言葉だけよりも、こちらを添えることで他人様にもっと理解しやすくなるのでは?)と配剤してくださいましかね?

たびたび感じる、あまりにも絶妙なタイミング、シンクロニシティ、セレンディピティがありました。

David MarkによるPixabayからの画像

そうそう! 再現性!

前置きも注文も多くて申し訳ありませんが、ご紹介しているリンク先の記事を読んでみてほしいです。

 

TED登場「パワーポージング効果」をまだ信じてはいませんか? あなたが知らない科学の真実

https://diamond.jp/articles/amp/337926

 

「傾向」と「再現性」は違うものですもんね。

 

書き進める前にお決まりの前提共有

そう!本当にあくまでも個人的な話なのですが、私の中での「法則」という言葉の理解に引っかかる事例というか、解説、紹介がある程度蓄積してきたような気もしますが、私の個人的な「法則」感との違和感を自己探求するような展開となりました。

 

いやいや、私だって、鬼でもないのに「鬼ヤバイ」とか、超でもないのに「超眠い」とか言いますから、本当に個人的な独り言を書いているに過ぎません。

どうぞ皆様は皆様の世界観、価値観、信念で人生を満喫してください。

以前も書きましたが、ブログというのは、所詮は独り言なんで。偉そうに書いても、したり顔で書いても、独り言は独り言。独り言を世界に向けて発信するという厚かましいことをしているわけですけれども、これはこれでなかなか自己理解が進んだりする良いツールとなる時があるんですね~。

John HainによるPixabayからの画像

万有引力の法則感との違い

本題に戻ります。

そもそも私は自分の言葉で何を書く予定にしていたのかと言うと、既に書いた

黄色が気になると世の中の黄色に気が付くようになったり、やたら黄色が目に飛び込んできたりってありますよね。好きも嫌いも両方向にこういった関心を向けたものが脳の感知能力を刺激しやすくするというか、認知しやすくするというか。

そういう基からあったものへの「理由付け」とか「意味づけ」とか「深読み」ということを人間の脳ってやりがちというか、好きなんでしょうね。物語性とか。

(今日はこの辺はサラッと通ります。)

 

また、確かに傾向として感じるものがあったとして、それを100%に近いような再現性のイメージのある「法則」に安易に昇華しすぎるような まぁニュアンスですね。

 

そうなっていないものも目の前にあるのに、それはちょっと脇へ置いておいて、起きたことだけを(「虚」「実」「平」という視点を持った時に)「平」ではなくてどちらかに大きく傾けて取り上げてる感というか。

例えばそれは私が冒頭で書いた、”あまりにも絶妙なタイミング、シンクロニシティ、セレンディピティ” というようなことも含めて。こういう抽出の仕方を「コールドリーディング風味」と感じることがあります。

 

信念や価値観をより強固にさせてくれること以外はスルー。

 

でも、捉えようによっては全てのことを”あまりにも絶妙なタイミング、シンクロニシティ、セレンディピティ”と言えますよね。毎分、毎秒。

起きていること全てに言おうと思えば言える。

しかし、分け隔てなくそういうニュアンスで「〇〇の法則」という言葉の使い方をされているのなら私個人は納得できる。私がもう本当に個人的に引っかかるのは、「それを利用しよう」「成功しよう」みたいな思想的なことを法則と言い換えてるような捉え方を私がした時に反応するみたい。

 

それは「〇〇思想」ですよね? 法則じゃなくて。

ということを書こうとしていました。

 

だから、自分のためにも今後「〇〇の法則」と見聞きして、違和感を感じたら、超個人的に瞬時に「〇〇論」と脳内変換したら済むだけの話なんですよね。(笑)

簡単に言えば、他の方の思想に私の思想が反応しているんですね。通常の世の中の出来事と同じで。

 

因果関係もあるとは思いますよ。だから因果「論」というのは脳に収まりやすい。が、「因果の法則」という表現になって、人間が紐づけた関連性が100%というような論調や、テクニックとか使いこなし方とかって話になっちゃうと

  • 良し悪しという判断が入ってる
  • 都合よく良し悪しの因果関係を区切る
  • 因果という解釈自体近代の人間の基準ですかね? どうなんですかね?

という、もう本当に面倒くさい、タチの悪い、重箱の隅を楊枝でほじくる的のような、でもしかし全体の話をしているようなことになっておりましたがご安心下さい。

ある意味、ここがポイントなんでしょうね。万有引力の法則との感覚の違いって。

 

【波動云々があるという観測とか数値に現れるものがある】

のと、

【それを個人的に思想風味に感じる「法則」という観念】

が必ず関連しているというあたりの根拠?にただただ私が むむむ??? っと反応しただけです。

 

そして、私は自分のためにもわかりやすい落としどころを準備できました。

Arek SochaによるPixabayからの画像

「論」が良いみたい

それが今回のタイトルにもなっている「論」であり、少し前に書いた「論」です。

 

もう少し丁寧に書きます。

 

陰陽「論」とも言いますよね。

私がこの表現を好むのは、「あそび」があるから。この「論」から漏れることがあったって全然ありかもしれませんよ~という余裕と言うか、優しさと言うか、決めつけない成熟性みたいなイメージですかね。

 

美輪さんも「正負の法則」とおっしゃっておられますが、美輪さんは美輪さんの経験と世界観があおりでしょうから、信念が確立されたんでしょうね。そして、美輪さんが「法則」とおっしゃっる際にその言葉をどういうニュアンスで使用されているのは今の私にはわかりません。

ただ、あなたの行いが子孫に影響しますよ。正負の法則がありますからね。みたいな考え方ってありますでしょ? 私もいろんな因果関係が無いとは言わないけれども(バタフライエフェクト的に)、自分が検証・証明・確認できないことが多いですから。それを「漏れることも確認できない」「漏れないことも確認できない」と言う意味全般を「漏れが多すぎる」と捉えていることが整理出来ました。

 

解釈次第。というような意味もある。

陰陽を「陰陽は法則」という前提で話をするのか、「陰陽論という説」という考え方を好むのか?ということなんだな。と書いている自分が一番理解出来ました。(笑)

Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

それでいいんだけど

こんな私の個人的な違和感・独り言を書いてきて、〆の言葉はいつも同じ。

法則と言う言葉の使い方も、捉え方も、解釈の仕方も、因果関係の結び付け方も個々が裁量・選択していくことですよね。という確認です。

 

私は時々、他の何かに隠れた「思想」に(え?)とか(ハ?)とか反応する癖があるんですよ。

厄介ですね~。

厄介ではあるんですけど、結局その後自己理解が進むと、反応したのは自分なんだって再確認できますし、なんらかの思考訓練というか、感情訓練にはなっていそうです。

反応や反応したその後が以前よりも変化してきた気がするから。

 

ホームページのコラムにも書いたんですが、そういった思想の混ざりぶり(『他者の脳内リミックス』と以前は書きましたが)って、自分で脳内リミックスする自由がありますでしょ?

でも法則という仮面に昇華させた(と、勝手に感じる)『他者の脳内リミックス』を正義だと言われたような気持に私個人が勝手になってしまったりする時があるんです。

「心の治療の真実はどこにあるのか?」について お1人の意見

 

救いを求める時。救われたいと切に願う時。

 

しかししかし、正義だと言われたような気持に私個人が勝手になってしまったりする時があろうが、どうだろうが、

  • そういったことも私の生きている世界には「有るもの」、
  • いろんな考え方が有って共存している、

そして、マルチバース、パラレルワールド、泡宇宙というような概念とフラクタルが形成されているという説を採用すると収まりが良くなってきたのでこの辺りで終わります。

 

もっと身近な言葉ですと「多様性」ですかね。

数日前、友達が発した言葉です。言葉だけわかった気になりますが、多様性を体感、実感、納得?すればするほど世界は広がるんでしょうね(笑)

 

TomによるPixabayからの画像

 

おそまつ

時代が追い付いてきたか? 違うか(笑)

  1. ついに時代が追い付いてきたか?

という勘違いも そりゃしそうになるわな(笑)

サイトに関するなにかAIだろうものが、私の目に見えるところに下記の動画を配置しました。

ひょっとして? いや、どうやら今アツイ方のようです。

書籍も出版したプロモーションもアレコレあるんでしょうね。

 

で、実は私、この記事を書いている今、リンクを貼った下記の動画しか見ておりませんので、この動画以外のこの先生の主張やお考えは一切知らないという段階でブログを書いています。

そこのところはしっかりご了承ください。

 

というのも、私がこの先生を特におススメしているわけじゃなくて(おススメするならもう少し情報を得たいです。今日現在は得ていないし、それらを率先して行う予定も今はありませんが)

この動画の中でお話されていることと、過去私がブログやホームページのコラムに書いたことが非常に非常に似ていたので動画のシェアをしています。

 

私がアレコレ書いても(何言ってんだか)と思うかもしれませんが、やはりハロー効果のある方の威力は強いだろうから。

この動画しか見ておりませんが、こちらの先生迫力ありますよね!

 

 

そうそう! それそれ! フラクタル!

動画も一度見たっきりなので細かくは書けないかもしれないけど、興味のある方は各自動画を見てください。

 

人間に宇宙がある云々は、昔からの東洋医学の考え方にもあるよね。というブログも過去に書いている。

「共鳴」と「時間」

治療体験記 後日編-4 泡宇宙

 

ホームページのコラムもある。

「宇宙の地平」と私達の認識の相似形について私風見解

 

どちらもこの周辺記事を読んで下さった方は(確かに書いてたよね)とお分かりいただけそうです。

 

この動画内ではフラクタルという言葉は使われていませんが、おそらく意味合いは「フラクタル」ということだと理解できます。

 

 

もっと砕けたタイトルの記事もありますが(このタイトル気に入ってます)、今確認したら過去に使っていたサイトを閉鎖したのでリンクが切れまくりでした。

読みづらいですが一応ご紹介しておきます。

遠くのものも、近くの出来事に含まれてる

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

視点

視点についても、

自分を整えていると自分を客観視できるのか?

変わりたいのか? 変わりたくないのか?

ついつい自分を忘れちゃう。ついつい飲み込まれちゃう。それはメタ認知と関係が?

 

視点というのは、後天的に身に着けるものと、誰に習わずとも身に着けられるケースがあるんだろうけれど、誰に習わずとも、理解の際に言語を使っている時点で誰かには影響を受けていると思える節がある。もし私にメタ認知のブログを書ける程度の認知があるのなら、それは読書の習慣がそれを育てるのに一役買った気もするが、私より読書が好きな方がメタ認知風味が無いケースだってあるみたい。こういったことって感情も大きく影響しますしね。

性質というか、特性みたいなものもやっぱり関係しそうですよね。

経験値と視点ってリンクする部分もあるし。

なんてことを考えた。

 

受験勉強が得意、暗記が得意な方も居るし、習うことより考えることが好きな方も居る、受験勉強は苦手だけど興味のある1つの分野のことだけはするすると記憶できる方もいる。

ですから、自分の特性を知るって大切だなぁって思うようになりました。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

日本人だから習うことは上手で、考えることが苦手なのか?

動画の中の先生が海外で「自分で考えないのは日本人だからか?」(正しくは動画でご確認ください)というようなことを言われて、カチンときた。人種差別か!? と思ったとおっしゃっていますが、国民性みたいなものってやっぱり関係する部分も多いと思うことがあります。

 

良い子が良い。

  • 上のヒトにはYESというのが良い人。
  • 自分の考えを持たない聞き分けの良い子が良い人。
  • 肩書大切! 肩書によって話は鵜のみ!

みたいなことってありますもんね。

多分海外にもこんなことがある国ってあるんだろうと勝手に推測していますが、まぁそんなことよりも、

・俺、私の話をありがたく聞け

みたいなことや

・相手を値踏みして、自分より下と思ったら話を聞こうとしない

なんてことがありますもんね。

子供の話を聞こうとする人もいるし、子供と決めつけて話を聞かない人もいる。みたいなこととか。

 

・自分より下と思えば叩く、下と思っていたら足もと救われて驚く

みたいなこともありますよ。日本も、多分世界も。

 

上に書いたような傾向が多い方たちは「対等」って難しいんでしょうね。

(その背景を深読み・推測することは今日はしません。)

https://takedamiki.wpxblog.jp/20240129/

小さな紳士

余談ですが、以前、ちっちゃいちっちゃい外国人の男の子がお父さんと小学高学年に思えるお姉さんとファストフード店に来たんですよね。もちろん注文や注文したものの受け取りはお父さんやお姉さんが行いました。

しばらくしたらファストフード店のカウンターより背が小さいその男の子が一人でカウンターに来ました。店員さんはかわいい男の子がただ遊びに来たとおもって、可愛いね~と言ってカウンターから離れたんです。よくある風景ですよね。確かに。食べることに興味が薄れたちびっこが店内を歩いて探検するって。

でも、自分の背より高いカウンター前からなかなか離れないので、その小さな男の子の背の高さに顔を近づけたんですよ。そしたら英語で「水用のカップを下さい」って言ってました。小さな声で。

大人は皆耳を傾けてくれない、話を聞こうともしれくれない、自分を見て可愛いとは言うけれど、自分の言いたいことは聞いてくれない。けれども彼は諦めなかった。

 

私はあの時にしみじみ相手を値踏みするのって怖いな。って思いました。そして、その呪縛のようなものをあの瞬間は破れて良かったなって。お水のカップを渡したら、なんと彼は英語で「ありがとう」と言ったんです。顔は笑ってました。私は泣けそうでした。あのちっちゃいちっちゃい外国人の男の子の方が紳士でした。

私はあのちっちゃいちっちゃい外国人の男の子のちっちゃい子どもらしい小さな声が耳にこびりつきました。本当にありがたいものが耳にこびりついて幸せです。あの笑顔も目に焼き付きました。眼福ありがとう!

 

そして、自分が良いことをしたな~って思ったのは、多分小さな彼の記憶には残らないだろうけど、「自分の正当な要求を子供だからといって無視されず欲しいものを手に入れた。大切にされた」というかすかな良い体験のお役に立てたかもしれないから。もし可能ならば彼の人生の成功体験みたいなものが発芽する1つの土粒のようなことになったらマジ嬉しいです。一期一会でもう会えないだろうし、万が一会ってももう背も伸びて顔も違うから私にはわからない。けれど、できる限り長く覚えていたい出来事でした。

 

年齢って関係ないですよ。国籍も関係ない。ありがとうを言わない人は言わない。ありがとうを言う人は言う。誰に対しても。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

ユニバースで生きているか? マルチバースで生きているか?

まだ進化してる?

以前書いた ↑ このブログに似た風なことも動画のなかでおっしゃっていたような気がします。

 

 

これはもう一度見返さないとわかんないけど ↓

節目の連続 これが人生?

私の法則と言う言葉への反応も、まぁこれはこれで有りだなって思えました。

 

疑うっていうか、体験済みのものからチェック☑をつけていくというか、実感のあまりないものはまだチェック☑しないというか。

 

で、私がこの上↑のBlog内で「法則から漏れる」と表現したことについてもう少し整理できたので、また次回その辺りを書きます。

 

え~~~最後にもう一度。

わたくしこの先生の動画を1度しか見ておりませんので、先生の発言が正しいとか何も言っておりませんし、書籍も読んでおりませんので書籍もオススメしておりません。

が、勝手に、(時代が追い付いてきたか?)と本当に勝手に悦に入っただけです。

 

いや、なんなら、人体宇宙論は東洋論だし! ということなんですが、体験と言うか、実感やら日常生活に落とし込んだ文章を書いてきて、なんとなく追い風が吹いたような気がしただけです。

 

この先生の説の全体像を知らないくせに。

と言うところもポイントです。

 

おそまつ。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

命の危機!? のその後

トラウマって言いたくなるような体の記憶

強いストレスとその記憶

当時私が乗っていたダイハツ車がどえらいことになって、マジで大騒ぎになりました。

が、私の車だけがその役目を終え、他の車にも、近隣の建物にも、そして他人様にも被害が及ばなかったことは本当に僥倖でした。

 

昨日書いたことの続きを今日書きます。

節目の連続 これが人生?

トラウマと言われるようなことは「無い」説もあるが

書籍にも「トラウマなど無い」というようなものがありましたね。

なんだっけ?と検索したらアドラー心理学では「トラウマ」という概念を否定している。というような記事を見ましたが、我が家に今その書籍がないのではっきりとした確信がありません。申し訳ありません。

書籍がお手元にある方はぜひご確認お願い致します。

 

で、私の場合は、どえらいことになった経緯とか、現場とか、沈静化していく様をずっとそばで見ておりましたので、出来事の始まりから終わりまでしっかり体験した。途中、(このどえらいことが、もっとどえらいことになったらどうしよう)と本当に心配した。

たいていのことはそれなりに立ち会えるタイプですが、この時は命の危機が来た時の独特のドキドキや、個人では沈静化できない無力感を味わった。で、手が震えるとか、足が震えるとか、腰が抜けるとかは無かったんですが、骨の芯みたいなところに恐怖が入り込んだ感じがした。

大事故の発端主になる可能性があるってなかなかです。結果大事故にならなかったから本当に助かりました!

lisatenerによるPixabayからの画像

心体の記憶

東洋医学では風邪って「邪気」が入り込むと解説されていますでしょ? そんな感じで恐怖が入り込んだ感じがしたんですよね、体感的に。

 

で、この感覚が消えるまで、しつこくしつこくセルフケアしました。

今はもうストレス反応はおきていないと思う。(とりあえずここ1年以内に施術を受けた際に「邪気が無い」と言って頂いて、そのような「無い状態」が一瞬でもあったので、あのアクシデントの際に体に入り込んだような感覚があったものは少なくともその施術を受けた際はなかったんだろうとこれを書きながら解釈しました。)

 

あのアクシデントで味わった感覚を「トラウマ」と名付けられたら、(そうだろう)と思える。

あの感覚というのは「心体感覚」です。心体の記憶。なんだか自分の中心(または中心近く)に影響があったようなあの感覚。

 

ですが、別に名称にはこだわらなくてもいいので、「トラウマ」という作用?影響?は人間にはない。という学説があっても別にOK。ただ、心体が外的影響を受けた際のレベルによってはより深部に潜り込む感じを感じる人間が少なからずいるというイメージはある。

 

私はインナーチャイルドという言葉は使いませんが、子供時代の心体の記憶が成人になっても影響するとは思っているし。

PexelsによるPixabayからの画像

業界の方に話を聞いてもらって、その答えでスッキリ

車業界のことは素人ですが、(絶対アレっておかしいよね)と思った記憶はある。

知人に車業界の方がいて、事が終わった数年後?にお会いした際「業界の方にすみません、こんなことがあったんですがどう思います?」と話した。

お話しやすい方だったので正直に私の持つ疑問点を聞いていただいた。

 

で、業界の方から私の知らない常識などをお聞きして、自分の中ではALL完了した。小説「空飛ぶタイヤ」を読んでいただけに「車業界」と一括りに捉えていたけど、働いている皆様一人一人に顔があり、心があるということに救われたような気がする。

 

そんなこんなで、自己完了していたけれども、もう一段階完了した。

昨日の記事をアップする前に、(あぁ シルクドソレイユ 良かったよな~ あれが観られたものプレゼンツしてくださる企業ありきだもんな~)としみじみしたし。

 

という後日談でした。

 

皆様に健康と笑い声のある生活がありますように(^^)

節目の連続 これが人生?

節目感

節目の連続が人生なら、それは既に節目がないことになる(笑)

こちらの記事の下書きを書いたのは1か月ちょっと前だったような気がする。

ですが、また下書き庫から記事を明るみに出してみたいと思います。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

 

— ここから —

明日が本締めというか、色々切り替わる日なのですが、本日その前日(まえび)ですが良い日となりました。

なんか、

  • 日々のコツコツが何かしらの実をつけるのかしら❓どうなの❓
  • コツコツが身を結ぶとかっていうのは願望❓
  • 願望を信じるしかないというのはやせ我慢の自己満❓

と、思うことも過去ありましたが、そう思ってもコツコツやるしかなくて。

でも、ふと我が人生を俯瞰したつもりになった時に右肩上りっぽく感じることが増えると、その時、その一瞬は「融通の効かない自分」「もっと上手にやってる他人を横目に見て、でもコツコツしかできない」のような愚直さも(そう言えば他界した我が父も生前コツコツやってたなぁ)と思う時があって、(これは遺伝か?)とあきらめるような、嬉しいような気がしました。

 

— ここまで — この先は ↓ 今回書き進めた内容です。

 

以前は遺伝的なものを呪うような気持もあったのに、嬉しいような気がした自分に、(本当にすっかり色々と変わったな~)と感じましたよ。大激変です。ありがたい大激変。

これも節目にカウントしました。

NickによるPixabayからの画像

これも節目にカウントしました

あんなことは人生に1度でお願いしたいんですが、

以前ダイハツ車に乗っていた時に、とんでもないことが起きました。

リコールが起きていないなんて絶対におかしいと思ったし、そのあとのメーカーの対応もおざなりだった。

車業界ド素人の私は、会社ぐるみというか、ALL車メーカーつるんでの隠蔽体質か?とも思ったし、泣き寝入りしかないんだろうと思った。

泣き寝入りして、でももう終わったこととして終わらせて忘れていけたのは、被害が最小限で終わったし、私は健康でピンピンしているし、私以外の誰も被害者が出なかったし、事が起きた時に多くの方に助けてもらったし、(世の中良いことある)と思えたから。

自体がこれで終われてラッキーだったと思えたから。

 

で、数年後 コレ↓ 。

隠蔽体質って、記事になる前から知ってましたよ。

現場の消費者の立場でも十分わかりました。体験しましたから。

 

でもね、アレグリア、シルクドソレイユを日本に呼んでくださったのもダイハツさんなんですよね。

なんというか・・・なんか胸をよぎるものがありますね。

残念感かな。

 

そして思ったこと

先述の

  • 日々のコツコツが何かしらの実をつけるのかしら❓どうなの❓
  • コツコツが身を結ぶとかっていうのは願望❓
  • 願望を信じるしかないというのはやせ我慢の自己満❓

と関係してきますが、車メーカーの隠蔽に限らず、もう隠蔽しなくても誰にも気が付かれないこととか世の中に山ほどあると思うんですよ。知らぬが仏的なこともね。

車メーカーについてや、自分が体験したダイハツの対応なども、私が小説「空飛ぶタイヤ」を読んでいるので、(あぁ これね)という私個人の関連付けもあったし。

 

でも、そんな中から、もう隠蔽ボックスから飛び出ちゃう「蓄積ぶり」ってあるんでしょうね。

 

私たちの心体も我慢しすぎ、無理しすぎで調子を崩すように。遊びのある「幅」、猶予みたいなことを超えちゃう事が。

 

と思った時に、良い意味合いの「コツコツ」の効果って「時間」が関係して、以前ホームページのコラムに書いた複利曲線みたく「効いてくる」ってことってあるよね。と頭に浮かんだ。

今回のダイハツや、他の長年の隠蔽体質がどえらいことになる他の事例や、「終末時計」に反映されているアレコレもそういう意味での複利曲線かと思えてしまう。

名より実を取る。損して得取れ。

 

これを「法則」というのは、言うのは簡単だけど、どえらいことにならないケースや、関係者は知っているけれど、もう絶対に世間には漏れないことも知らないだけでありそうだから、それを法則と呼ぶには、そこから漏れるものが多すぎるという見解で私は法則とは呼ばない。

「そーゆーことが 有る時あるよね」という呼び方をします。

私個人が後追い検証できないものが多すぎるというイメージです。コールドリーディングみたいな抽出の仕方をしたら当てはまるものがあることはわかるんですけどね。

 

これは言葉の理解や解釈や使い方の好みの話で、真理の話をしているわけではありません。私たちは個々に嗜好、ルールがありますからね。

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

で、そんな体験をした私の現在

あんなことは人生に1度でお願いしたいし、その1回はもう完了していることにしてほしいのですが、

今の私は元気です。

 

そう、そして、結構などえらいことを体験した後、まだ胸の奥がザワザワしているときにも、頭のどこかで(こんなどえらいことがあったということは、この先大ラッキーがくるな)とも浮かんでた。 やせ我慢? 無理やりなポジティブ? という可能性ももちろん検討したんですよね。自分の思考について。

 

がしかし、本当にあった。

大ラッキーが。

あのどえらいことがあった数か月?1年?後に。

自分でクリエイトできない。ただそのラッキーを迎えるというか、受け取るだけしかできない類の大ラッキーが。

それによって私の「境地」がもう全く変わった。

 

ダイハツの車をこの先買うことは無いと思います。なんせ身の危険、命の危機を感じた瞬間もありましたから。そして今はトヨタ車に乗っています。そして、だいぶヨレヨレになってきたのでそろそろ車は変えます。が、今の車の車検は通しました。まだ乗れるし。

 

色々ありながらも、ここ最近も本当にお陰様で、機嫌よく生活しています。これには感謝の気持ちがあふれてきますので、なんと、寝る前と起きた時にお礼言ってます。

 

因果関係というのは、そのつもりになればどこからでも引っ張ってこられます。その因果関係中毒みたいな思考になる方もいる。とはいってもそれも悪くもないし、良くもなく、人生の生き方の好みの話だと思っています。今は。

 

と、そんなこんなで、引き続きコツコツやっていきますよ。

こんな生き方が向いてるみたいだし、コツコツやりながら、ありがたいことに楽しいことも多いし、ハハハ~~って笑うことも多いし、気持ちが良い方にご縁があることも多いし。

あぁ満足だな~って感じる日がこんなにくるなんて昔は想像できなかったことが現実に起きてるし。

 

焦る気持ちもお察ししますが、複利曲線は「時間」がKEYなんで、大切に今を生きていくことの連続が「時間」となりますからね。

そんなことを今現在は体験できているような気持になっている私からの発信Blogでした。

 

皆様に健康と笑い声のある生活がありますように。

 

あとがき

そして、あくまでも私の場合ですが、他人様が心の中で思ったり、実際にこのセリフを言われたこともあるんですが、なにかあった時に「なんか(あなた)不運よね」と言われるような体験の後に、それ(他人様が不運認定するようなこと)がきっかけになったかのようにラッキーの方へグググッと強制的に磁力で引っ張られるようなことが多かった。強い風が吹いて船の進路が変わるとか、方位磁石の捉えている磁場が急に変わるとか、こんな表現でも良いかも。

 

引っ張られるというか、「神の見えざる手に引っ張ってもらえるような」とでも書きたくなるような印象です。

 

振り返ると、こんなこと多かった。

こんなことに気が付いたら、他人さまに不運認定されてもへっちゃらだし、(もーーー嫌だなぁ)と凹む体験中にも(ってことはまたラッキーがあるかもね)と凹みつつ、浸りきらずどっか冷静でいる。

 

となると、先述の

”色々ありながらも、ここ最近も本当にお陰様で、機嫌よく生活しています。これには感謝の気持ちがあふれてきますので、なんと、寝る前と起きた時にお礼言ってます。”

になるわけです。

 

悩むことはしっかり悩んで、考えることはちゃんと考えて、考えてもしょうがないことはそこそこで思考を外して、やれるときはやれることをやって、コツコツしてるとひょっとして「神の見えざる手に引っ張ってもらえるような」ことが発動するのかもしれない。

 

こんな感じで今回は〆ます。

 

先のことはわからないね

肉乃小路ニクヨさんのことを以前書いた。

そのあと、一層ご活躍されて、どんどん売れっ子になっていかれている(現在進行形)。

ご繁栄 嬉しいです

(当時外部blogに記事を書いて、それを本Blogに流し込みしたので記事内のリンクは切れているものがあります。)

 

Blogに書かせていただいたのちに沖縄に来られたり、私が笑った名古屋のYouTuberのたかしママとコラボされたりして、あら!こんな日が来たのね! と勝手に感慨深く、かつ、喜んでいる。

たかしママとのコラボの動画は笑った。

 

ニクヨさん大丈夫? イメージ大丈夫? と勝手にファン気分になってしまった。(笑)

 

心配しながらも面白い動画でした!

まじめな方なんだな~って良い意味で伝わってきたような気がしました。

 

ほんと、先のことはわからないね(^^)

ホームページに投稿しました。

ホームページに投稿しました

また1つ スッキリ

サイト「こすも」がお陰様で非表示になりました。

シンプル化が進んでスッキリしました。

スッキリ化を進めました

整理整頓されていて、ゴチャゴチャしていないと、私は機嫌よくしていられます。

あーーー良かった良かった。

まだ進化してる?

Blog投稿久しぶりです。

ふと、(あら、私って こーゆーことを考えるのから離れたかと思っていたけれども、三つ子の魂百まで風に脳の底の方では考えているんだね)なんて思ったことを書きます。

 

タイトルを一度「信念と価値観」と書きましたが、堅苦しいのでやめました。

「法則」について

中二か?

中二病とか言われますでしょ? モラトリアムみたいなことを言ってると。

ところで、改めてモラトリアムの意味を検索したら、元々は経済用語が転じて心理学用語として使われるようになったそうだ。今日現在の私がこれを検索したことと、その意味もまた妙なシンクロ性があって不思議なんだけど、そんなことはさておき、心理学的には「アイデンティティの確立を先延ばしにする心理的な猶予期間」ということらしい。

しかし、私はある程度出来上がってしまった感がありますんで、一応「自己研究」「自主研究」ということでやらせてもらってます。夏休みの自由研究的な意味合いのある「人生の自由研究」。

それに、世の中おかしくない?みたいな中二風味な怒りややるせなさ、無力感という、これらおそらく一種の正義感から発生するような感情も、経年によるあきらめのような諦観のような、感性の摩耗のような状態の影響で、いろいろなことが「有るもの」「しょうがないこと」と納めたいから納めているわけじゃないんだろうけど、納めるしかないというような感じもあったりします。

しかし、以前のような不満や被害者感や不幸感などはお陰様で今日現在は無い。昔はありました。いまここ、今この瞬間はそれらに囚われていないというだけです。未来はわからない。

 

そしてしばらくブログを書いていなかった今も、考えてもしょうがないことかもしれない、こういったこと(何時も書くようなこと)をなんとなく脳内在中させておくという価値観というか、習慣は健在だった。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

違和感の理由を考える

過去のブログのサイトを閉鎖したので、以前そのサイトから現サイトに流し込み(引っ越し)できたものはしたような気がしますが、なにしろ過去記事内のリンク先がなくなったわけです。ホームページの過去の記事やこのブログの過去記事を読んでいただく際にいろいろ不都合があると思いますがご了解ください。

 

そして、サイト「こすも」はアメブロと連携させていたのに、アメブロを先に抹消してしまったためサイト自体を抹消できずにいます。サイト運営者に抹消を依頼しておりますが返信がありません。(訂正:私の勘違いでした。返信を読み落としていました。あらぬ疑いをかけて申し訳ありませんでした。サイト削除申請希望ですが、非表示にすることしか出来ないかもしれません。)

もう一度抹消依頼をする予定なので、伏線回収じゃないけどなにかと猶予期間が付いて回りますわ。時間がかかっても結果希望通りに事が運べば良いのです。時間の作用って現実には影響ありますね。

 

そして本題ですが、私はかねてより、「法則」という概念に違和感を感じる時があります。すべての「法則」について違和感を感じるというわけではなく、例えば「万有引力の法則」をはるか昔習った時に「へぇ~」と思った時以来今だにその法則はあるという前提におります。今のところ違和感がない。

しかし、思想的なジャンルの「法則」と言われる場になると、確かにそう言えることもある、しかし、万有引力の法則ほどは納得できないように感じるんだけど・・・という、この「・・・」が自己認知している違和感と感じる反応。

 

という、相も変わらず自分以外の誰の役にも立たないかもしれないことを考えてる。私個人には役に立つと思う。別に役に立たなくても、ただこーゆーことを考えるのが好きだからそれで充分ではある。

 

この誰かが「法則」といったものを、物理的に科学的に、エビデンスがあるからというような理由付けで「正しい」とするのも1つの価値観や感受性だし、「正しい」と聞いてしまうとすべてのものがそれに従っている、含まれていると「感じていると信じる」という脳の作用もあるとは思うし、誰かが「法則」といったものでも体感的に(それホント?)と違和感を感じることもある。

こういったことも価値観だったり、信念だったりする。

というようなことは過去に何度もしつこく書いてきた。

 

不思議なことに、今日家の掃除をしていたら、そこ(上述の内容)に違った方面から融合してきた観念があった。

それが、マルチバースとユニバース。

 

Alexander AntropovによるPixabayからの画像

 

なんでも優劣をつけようとしなくていいのに

例えば、ユニバースとマルチバースだったら、マルチバースの方が凄いと無意識的に優劣や序列をつけるようなそれこそ概念が働いたりしませんか?

これはあくまでも人間の概念であって、優劣をつけるものではないんだということで書き進めます。(優劣をつけたい方はお好きにどうぞ。もうこういったことは脳内反応だと思うんですよね。それまでのご本人が培った信念というか、取り入れた価値観。)

 

で、(あ! こう考えたら私が自分の違和感を脳内に収まりやすくなるじゃん)と思った内容は、そのご本人がユニバースに生きているか? マルチバースに生きているか? というものだった。

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 

絶対的な「法則」が多ければ、生きている世界はユニバース?

優劣じゃなくて

魚派ですか?肉派ですか?ベジタリアンですか?というようなイメージをしてみてください。

優劣じゃないですよね? 価値観や好み、体質というようなことでどうです?

 

雑食な方は多ジャンルな味を体感しているというか、知っている。

でもこれは「知っている味」の話であって、他の多くのことはまた別でしょ?

 

自分の世界が広かろうが、狭かろうが、ご本人が人生に満足していたらそれが何よりかもしれない。かもしれないというより、それを一度でも体感したことがあるか無いかでまた人生って変わってくるし、その「人生の満足」も種類が変わることがある。

 

ユニバースだろうが、マルチバースだろうが。

 

他人が他者のユニバースを馬鹿にすることもないし、意味もないし、他者に自分のマルチバースを自慢したってそれにも意味がないし、うらやましがられたくて、自慢したくてマルチバースに生きている勘違いを生む・創り出す必要もない。

ようなことが家を掃除中に頭に浮かんだので久しぶりにブログに書き留めました。

 

いつも通りの独り言でございますが。

法則が絶対的であればあるほど、法則が多ければ多いほど、それはユニバース的な世界観なのかもしれない。という信念の違いの理解の1つの方法、私個人的な脳の納め方です。保証もないし、根拠もない。ただただ個人的な「反応」の薄め方というか、減らし方というか、そーゆーものです。

 

これで収まるか?

そう、こういった脳内の独り言により、「法則」という言葉を聞くと時々ふわっと香る違和感反応が収まるような気がしています。

ちなみに、昔何度も書いた「うつりたくない口癖」についてですが、しつこいバランス調整、ストレスケアによりすっかり消失いたしました。祝。

これは自分の人生のストレスが減った。脳内に条件反射のように浮かんでくる言葉にストレスを感じておりましたが、その脳は皮膚や内臓・臓器や神経と相互関係にあるのでバランス調整の取り掛かり口としてフル活用しました。

私はこの場合のセルフバランス調整にアイテムや道具類は使っておりませんが、アイテムや道具類を使いたい方はそれを選択されたらいいでしょうね。

 

生きているといろいろありますし、いろいろな反応をしますよね。

私も人間なので当たり前に反応します。

が、昔は反応する自分を否定していたというか、優劣をつけていました。反応しないのが優れているんだと大勘違いもしたけれど、そののち「反応は有るもの」「反射もあるもの」という当たり前のことを理解したし、新しい習慣を自分で練習して身に着けていくというチャレンジをしてみたら良いんだということも理解できた気がするし、ストレスケアを知ってからは怖がっていたり不安に囚われたらまずはストレスケアしてみるというスキルに助けられた。

 

凹む思考や感情に囚われる時間が短くなった。とっても短くなった。

こういう体験から、個々のタイミングで凹む思考や感情の囚われから脱すれば良いんじゃないか?とも思うようになった。

 

脳の反応の仕方が以前とは変化したような気もするけれど、どうでしょうね。

価値観や信念は割と変化したのは確かだと思う。

そして、人生のQOLは良くなってる。人生というか、心と体のQOLでもしっくりくるけど。

加えて、私は「時間」にも感謝している。練習を重ねる時間だったり、新しい習慣が身に付く時間だったり、思考を重ねたり進めたりして今がある。行ったり来たりしながら変化してきた記憶と実感がある。

 

という久しぶりの投稿でした。(^^)

 

今日現在沖縄のダムの貯水率が低くなっています。どうぞ貯水率が回復しますように。

皆様に健康と笑い声のある生活がありますように。

ホームページの内容が変わりました

ホームページの内容が変わりました

ホームページの修正もそうだけど、人生の変化について

本日、ホームページの修正を行っていました。

ホームページの修正の前は、掃除や、お花も含めた正月飾りも準備しました。

いろいろ片付いてスッキリしています。(^^)

 

ホームページの内容が変わりました

 

みなさま よいお年をお迎えください。(^^)

NickによるPixabayからの画像

落ちゲーと呼ばれていた

他の落ちゲー効果?

訂正と加筆

最初に前回のブログの訂正、追記をいたします。

ゲームについて

私がテトリス系のゲームと書いたのは、「落ちゲー」と呼ばれているジャンルでして、超メジャー級ですと、ツムツムとかぷよぷよもありますね。

そして、Apple APPで調べたら、「これ正規品?」と思うようなそっくりというか、同じに見えるものが表示されました。前回ネットで調べた時みたいな、あきらかなパチモンは私でもわかりますが、APPストアにあったコレは???? また調べてみます。

 

まだ生きているサイトについて

そして、そして、私が記事を書いてきたサイトでまだ生きているのがもう1つありました。昨日散歩していたら(あ! そういえばサイト「こすも」があるなぁ)と思い出しました。

記事をアップしなくなって暫く経つし、連動させているHPも最近は記事をアップしていないのですっかり記憶から漏れておりました。

不思議に思ったことを書いていたんですが、HPやメインのBlogとはまた別にサイトを設けた理由は、その当時、お悩みや人生の生きづらさをお手軽スピリチュアルと混同したくなくて別にしたんです。不思議体験=能力が高いみたく変な価値観を喚起するのもイヤだった。不思議や宇宙やスピ系の専門用語みたいなことに感化されて浮かれていく様を見るのが当時は嫌だった。

今は不思議系なことにも慣れが出てきてわざわざ書かなくてもいいか。と思うようになったので記事を書いておりませんし、他人様が何について能力が高いと思おうが、何かに感化されて浮かれているように見えようが、個々の自由だと当時より腑に落ちています。私も同じだし。

今日現在(2023/11/24)はまだサイトは残っていますが、こちらもこの先抹消します。

HPにリンクが貼ってある箇所があるので、1つ1つリンク解除するという作業が発生するため、もう少し時間がかかりそうです。年内に作業が終わったら上出来かな。

 

それにしても、アレコレとまぁ続けて書いてきたものですよ。ラジオも10年ほど続いているし。

続けられる相性のものだったんですね。根性論とかではなくて。だってこの2つについては、頑張ってるつもりとかないから。多分頑張ったら続けられないんでしょうね、私は。疲れちゃったり、重苦しく感じてきて。

 

あぁ、もうただただ今日現在がありがたいです。生きやすい。というか、生きづらさを感じない。

もーーーーーありがたい!!!

ElisaによるPixabayからの画像

 

現実化にビックリ

一億円

過去Facebookや他のどこかにも書いていますが、ずっと昔、「あーあ、一億円あったら喜んでもらうけど」みたいなよくある「一億円あったら話」をしていたんですよね。

そしたら、本当に一億円をもらったんです。その話をしていたことを知らない方から「はい、武田さん、飴あげる」と渡された飴玉の個包装のビニールに「一億円」と書いてありました。

確かFacebookか何かに、その飴の写メも載せた。

 

「あーあ、一億円あったら喜んでもらうけど」みたいなよくある「一億円あったら話」をした翌日に現実化しました。これを現実化と言うならば。

 

ロードスター

昨日、車種の例えにたまたま「ロードスター」と書きました。そしたら今朝メールボックスに「えっ! これってロードスターって読むの?」という英語の差出人名を発見。

私は有料のメールソフトを使用しているのですが、そこからのPro版にアップグレードしませんか?というお知らせで、決してAIが私のBlogから「ロードスター」という文字を拾って広告を入れてきたわけではなかったのが余計に驚いた。

私はカタカナで書いていて、英語は(これってロードスターって読むの?)という微妙な揺れがあるあたりが面白い。というか、最初はちょっと驚いた。

 

ロードスターの前にこれが起きたんだけど、書く順番が後になりました。

勉強し直したいことがあって、勉強しながらたくさん書きたいから裏紙でもなんでも良いから「紙」が欲しいなぁと思ったら、めちゃ上等な大きめの白紙が大量に手に入りました。

 

私が紙が欲しいと思っていることなど1ミリも知らない方から、「捨てるのもなんだし、皆欲しがらないけど、Mikiさん欲しい?」って言われて、即答でYESと言いました。

小躍りしました。

もらいます!とぴょんぴょん跳ねました。

 

なんですか? 今ってゾーンにでも入っているんですかね?

ゾーンが具体的に何か知りませんが、皆さんこんな時によく使うでしょ?「ゾーン」

私も真似して使ってみました。(笑)

 

これも「ゾーン」の一種ならば

私が過去に「これってゾーンなの?」みたいな記事を書いた時のゾーン感とまたちょっと違っているような気がします。

違っているような気がするけど、あっけらかんとした軽さは似てるのかな?

 

別に変性意識に入って云々というゾーンじゃないし、しっかり意識はあってただ普通の生活をしているだけなんだけど、このブログの流れでいくと「確変中」という感じなのかな?

  • その確変が起こるために私がわざわざ行ったことは無い。確変は意図して起こせない。(意図して起こす方法があるのかどうかも知らない。)
  • よし!ゾーン状態を起こすぞ! という特殊能力も持ってない。
  • 「ゾーンに入るぞ」という行為もしていない。もし「ゾーンに入るための瞑想」というような行為があるとしたらその手のことは一切やってない。そもそも、裏紙でも良いし、今自宅にある裏紙を先に使って足りなくなったらまた考えようと思っていた程度。それに「紙」が欲しくて「紙を手に入れるためにゾーンに入る瞑想」って遠回りじゃないですか? そんなことは面倒に感じるタイプです。

こんな私に確変が起きているのならば(別にそういったことは起きていない。なにかを感じたかもしれないけど現象とだけとらえて意味づけをしなければただの現象という考え方もあるけれど、それをも踏まえて)あくまでも個人的な体験から推測した個人的な仮定の話を書くならば、

いつもと同じことを書きますが、ぜひ皆様にもストレスケアをおススメしたい。

 

単純なことの積み重ねの上に「ゾーン状態」なる何かがあるのかもしれない。

落ちゲーのような単純なことの積み重ねの集大成があるからこそ確変が起きるのかもしれない。

この単純なことというのは、ストレスケアではないか? 少なくとも私は特殊なことや凝ったことはしておらず、コツコツと今やることをやり、コツコツとストレスケアを行ってきました。こんな実体験をもとに仮説を立てるとこうなります。

 

多分、エゴが炸裂したり、全能感によって何かが大きく狂っても、「ゾーン」みたいなものは体感するような気がしていますが、健康感が大きく異なるのではないか?と推測しています。

陰陽の対局に位置するところにそれぞれの「ゾーン」があるようなイメージです。似てるけど違うという感じ?

だからご本人も現在地に気が付きにくいのでは無いか?とまた余計なことを書いてしまった。

Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

 

という今回のBlogでした。

 

またお目にかかります。