今回も近況報告です
外国語・・・わたしには難しい
外国語・語学の才能がある人はその言葉で歌われてる音楽を聞いたり、海外の映画やドラマを見ていて習得できる。
実際知人がそうだった。
学生の頃、英語のTOEICは満点近かったらしく、タイや近隣の国の言葉も大人になってネットでドラマを見てたら【自然に】覚わったって。
自然にねぇ・・・へぇー(-_-)
絶対にこの方は語学習得が特技だと思う。
会話ができるほどになるもんだから、アジアに長期滞在して現地の言葉でコミュニケーションしてた。
私も、私以外の多くの皆さんも、英語の歌や映画を山ほど見聞きしてるけどね。
それに外国語を習ってる人も多いじゃん。
日常会話がスムーズになるほど上達してます? 街中のネイティブスピーカー同士の外国語での会話は聞き取れます?
日本人同士の会話は聞き取れますが、外国語の会話を日本語の会話を聞いているように理解できる人って凄いよね。
高校の英語の先生が、「地下鉄に乗っていたら、英語で子供たちが日本人の悪口を言いまくっていて、バカにしまくっていて、(コイツら。怒)と思ったよ」と言っていたが、きっと私も他の多くの乗客と同じで何を話しているのかわからないだろう。
聞こえても無視するしかなかった
しかし、かれこれ7-8年前には親子の会話が聞き取れたことがあった。
私が真横に立っていたけれども、子どもが「I hate japanese.」と言ったし、そのお母さんが「Japanese are stupid.」と答えたのがしっかり聞こえたことはあった。
お母さんの方は、私の英会話能力が低いことを知っていましたし、私の隣で我が子のその発言をたしなめもしないスタンスの方でしたけど。
他意はない
ネイティブ同士の会話を聞き取れたという事例を書きたかっただけです。この程度の英単語は聞き取れました。
反論できないけど。
英語を話すレベルが低すぎて。
でも、これが日本語での出来事だとしても反論することって無い。実際、私の周りにいた日本人が自分(武田)の悪口、影口を話しているのが聞こえちゃった経験も持ち合わせておりますが、聞こえないふりしてその場を去りましたから。
相手にしてもしょうがない。みたいなことです。
紳士、淑女もいらっしゃれば、そうじゃない方も勿論いらっしゃいます。日本人も同じです。
私はお陰様で日本語以外が母国語の多くの紳士、淑女にお会いするチャンスに恵まれたので良かったです。
今日ここまで書いてきて、
言葉ができてもできなくても、お付き合いしたい方、親睦を深めたい方と親しくしたら良いと思いましたわ。
なんて英語力関連の話を書きました。
好きこそものの上手なれ
英語ネイティブのお友達でもいたら、話がしたいから英語が上達するって言いますよね。
しかし、外国の方が日本語を習得するスピードって早いことが多いから、自分が英語が上達する前に相手が日本語を覚えてしまって日本語で会話すようになるという状態を非常によく見聞きします。
英語がペラペラだった方が、彼がみるみる日本語を覚えてしまって、ご本人は英語を忘れていくという体験談も聞いたことがあります。
これらも踏まえて、好きこそものの上手なれって感じなんでしょうかね。
好きと言えば
私、子供の頃もスイカを食べてはいましたけど、特にスイカが好きだったことなどなかったんです。ところが最近以前より好きになってきてる。沖縄にいるせいだろうか?
で、小玉よりちょっと大きい今帰仁スイカをスーパーで見かけて、一人で一玉マッハで完食しました。
食べたいときに思いっきり食べたので そりゃあ美味しかった。
年齢を重ねると、趣味嗜好や味の好みもどんどん変わることって新鮮です。
思い込みとか、変な頑固さが増すこともあれば、どんどんこだわりが消えていくこともある。
本当に、変化って面白いです。
あれ? いつの間に? みたいな変化ってあるんですよね。
そうそう変化と言えば
変化と言うか、気が付いたことがありまして、
以前も、陰謀論について、「そんなことあるわけ無いって一度も言ってない。かえって、ナニを聞いても(あるかもね。あっても不思議じゃない)と思うタイプだけども、それに執着したり、のめりこんだりするのが気が向かない」というような価値観を書いたことがありました。
で、なぜ私はこのような価値観をもったのだろうか?というところに気がつきました。
それは映画や本の影響です。SFやホラーやサスペンスというジャンルのこれらで既に学習ずみというか、(あぁ そういうことあるよね。)という背景には「映画や本で見たことあるよ。」という既知感によるものなのかもしれません。
そして、それはそもそも、それら陰謀論というものに含まれている「映画や書籍などによるプロバカンダ」という考え方があるようで、まさに私は映画や本を通じて、(あぁ そういうこともあるだろう)という印象を受けているんだということでした。ですから、陰謀論というものに揺さぶられないという感じでしょうか。
事実は小説より奇なりということを実感しているという感じです。
そういった既に(世の中なんでもあるなぁ)という前提で、個人的に予防や対策ができるものはして、もう個人ではなんともならないことは悩んでもしょうがない。みたいなことでしょうか?
遠くの陰謀より、身近なストレスケア
世の中がフラクタル、相似性である程度成り立っているのなら、自分が心地よい状態にすることも遠くの陰謀に影響する可能性もあるかもしれない。
陰謀に腹を立てたり、怒り、理不尽への反撃に没頭している方たちは、個人的にはお幸せなのだろうか? 自分の日々の生活の不満を陰謀論にのっけているというようなことはあるだろうか?
これらが悪いわけじゃない。生き方は様々だし、過去の活動家の皆様の情熱が今現在の私の幸せを支えてくださっていることだってあるだろうし、私も腹を立てることも理不尽に反撃したい気持ちもある。怒りを感じる体験もする。が、基本幸せであって、実感している。ありがたいと思っているし、自分の人生を愛している。自分も愛してる。
ただ、陰謀論に飲み込まれたり、ナニカに流されたり、責任転嫁したり、本当のところを見ずに自分の人生や不満への改善は無視で、全て外部へ原因をすり替えたりというようなことがもしもあるのなら、そういった思考や無私のスタイルをとっている自分について自覚をしていた方が良いような気がするだけです。
自分の大切な部分に向き合わずに、逃げて逃げて逃げて、一生の最後まで逃げるという選択もあるのも知っている。最後まで逃げ切れるのかどうかは知らないし、逃げることがご本人の思う幸せってこともあるだろう。ご本人はそれが幸せだと思っても、じゃあ日々幸せを感じたり、あぁこの人生で良いよね!と実感がわくのかどうかはまた別だし。
わかったうえでやっていることと、自分を失ったままやることは違うような気がしているだけなんですよね。正解とか良し悪しなどの話ではなくて。
きれいごとや理想論がベストとは限らない。
だから、陰謀論を、きれいごとや理想とは違うと糾弾するのがベストとは限らないかもしれないという見方もできると思うんですよ。
愚民と呼んでいたけれど
一般の方をずっと「愚民」と表現されていた方が、選挙に立候補されたときには「愚民」と言わなかった。選挙が終わった今はどうだか知らないが、陰謀を暴く、世の中に知らせる方法もいろいろあるな~と思ったりしました。
この方が街頭演説することで、初めてこの方を知って、いろんな影響を受けた方もいらっしゃると思うんですよ。私も勿論知らないことが多くて、お話されていることを聞いて(こりゃ大変だ)と思ったし、その世界の利を得ようとする人たちって(なんでもありだな~)とも思った。(なんでもやっちゃうんだな~)って。
理不尽とか、常識って生きている世界が違うと同じ国に住んでいてもほんと違う。保身とか利得ってすごいパワーだなって。マジで事実は小説や映画より奇なりです。
私はあの街頭演説されている姿を動画で拝見して、(あの方は逃げるのをやめて、向き合うことにしたのかな?)って誠に失礼ですが勝手に感じたんですよね。
方法を変えたんだなって。
また元通りになるのも良くも悪くもないんだろうけれども、あの期間は「愚民」と思っていた群衆を斜め上から見るのをやめたんだなっていう姿勢はそのまま拝見した。
斜めから見ていて批判していた方が楽だと思うんですが、斜めから見ていたその世界に新しい立場で接することにしたんだな~って。
ヒトはいろんな思考や価値観があります。取り巻く環境も様々です。
私個人は、怒りや恐怖、不安を喚起することよりも、ストレスケアを推奨したい。私が選挙に出るのなら方針を変えるだろうけれど、立候補をすることはないのでストレスケアの推奨という今のスタイルを選ぶ。これが自分には合っている。
個々が幸せ、生きやすいというところを基盤と考えたいし、遠くのことは私の手には余るけれども、目の前の生活を快適に、「健康と笑い声のある生活をサポート」という姿勢でいたい。今の「ありがたいこと」に意識を向けるのを忘れたくない。
またまたこんなことを感じた今日でした。
皆様に幸せが降り積もりますように(^^)