知性だだ漏れ

やはり

知性が駄々洩れでは?

昨日ロリータファッション業界をけん引されている方々のうちのお一人らしい青木美沙子さんについて記事を書いた。

↓ ↓

気合が入っている 尊敬! – 武田美紀のブログ

 

初見の情報だったけれども、今日も引き続き脳内にインストールするがごとくいくつかの動画を拝聴した。

 

実際にか、意識的な話なのかは分からないけど、青木さんには事業家さんのイメージをもったのですが、世界を股にかけて活動されているそうだし、購買層の需要、好みにアンテナを張っているさまや、いやらしくない商品紹介などを目にして、勝手に尊敬の念を増した。

 

同調圧力

一女性としての語り動画をシェアしますが、もう青木さんの知性が駄々洩れている。

やはり! もう相当に賢い方なのですよね。

 

見積もりが間違ってる?

会ったこともない方について、いくつかの動画を拝聴しただけで分かるわけもないんだけど、勝手に想像したことをちょっと書きたい。

 

相手を自分の枠にはめて見積もっている

昨日のブログにも書いたように、100人いたら100人のマイルールがある。社会通念というか、情報操作系にすぐ飲み込まれるストレオタイプだと判断され「とある方曰く 愚民」と呼ばれたとしても、100人いたら100人のコピー人間のようではなくて、やはり個々の価値観はある。情報操作系にすぐ飲み込まれたとしても色の好みも香りの好みも、気分の上下のさまも まんまコピーということはないし、アニメの中のキャラクターの好みも違ったりすることもある。

 

過去。とある方が愚民という言葉を使ったのは、自分の側に同調しないからだという側面もあるだろう。その方の正解、正義に同調しない、理解しないのは「愚民」だということでしょう。(最近「愚民」発言を目にしていないので、【過去は】と書き添えます。)

構造としてはその方が批判していた「同調圧力」という仕組みである点は一緒なんだけども。

 

その方がおっしゃっていることは正解で、正義なのかもしれないが、「嫌われている医者」というよりも「多くの国民を(企業や他者でも良い)嫌っている医者」と言わないあたりは正解なのか?正義なのか?

もし、好きなのに「愚民」という表現を用いていたのならそれは心理的逆転や矛盾ということなのかもしれない。

 

話はそれましたが、

そんなこんなも過去頭をよぎったりしたものですから、青木美沙子さんが動画内で「いろんな視線や意見と戦ってきた」とおっしゃっているのを聞くと、表現のトリックみたいなものが無いように感じて誠実さのようなイメージを受けとった。

ご本人を全く存じ上げないし、お会いしたら なにか驚くようなことがあるのかもしれないが。

 

しかし、こういったファッションとか、芸術とか、実業家というような分野で気合が入っている方に、自分のマイルールに従わせようとか、「普通」というような言葉や同調圧力で押しつぶそうとすることがそもそもナンセンス。

 

他者に迷惑をかけていなくて、自分で腹をくくって生きているのならなおのこと。

 

どんなにヒトが良さそうに見えても、可愛らしく見えても、おとなしくても、年が若くても、もう意識やセンスが別世界の住人だと思ったほうがいい。そして、こだわりの分野では特に納得できない同調をしないだろうと思う。

 

ただの例え話ですが、宇宙人に玄関で靴を脱げ。日本ではそれが常識だと説教するようなものだし、宇宙人に1日3食食べた後は歯を磨け、それがあなたのためだと諭している滑稽さとも似ているのかもしれない。

 

そのくらい相手の見積もり方が違っているというようなことが書きたかった。

Daniela RealpeによるPixabayからの画像

 

常識とか、規範が大切な分野もあると考えています。「普通」という言葉が使いやすい言葉であるとも思います。

同調圧力と感性のシェアの境目はぼんやりしていることもありますよね。

同調圧力が安心で、同調圧力に添っていく生き方が合っている方もいらっしゃるだろうし、いろんな選択について他者に決めてもらうことを好む方もいるし、同調から外れると不安や恐怖を感じる方もいらっしゃる。本当に生き方や好みは様々なんですよね。

 

他者に迷惑をかけていなくて、自分で腹をくくって生きているのなら、その生き方を認めたり、応援したり、受容したり、共存するという選択肢もありますよね?

 

批判することがそもそも見当違いになるようなこともあるだろうし、目を覚ませと言っている側も目を覚ます必要があるケースだってるかもしれない。

 

ということで今回は終わります。

Oladapo OlusolaによるPixabayからの画像

 

気合が入っている 尊敬!

新しい世界が広がった

ロリータファッション

ファッションブランドの「ピンクハウス」は知っています。

もう着ないのでもらってくださる方にプレゼント済みですが、ピンクハウスのロゴが1つ入っている程度の地味なジャンスカを1着数年前まで持っていた。今はピンクハウスのアロハを1着持っていて、この夏も着た。

しかし、それはロリータファッションに興味があったわけじゃなくて、質のいいジャンスカやアロハが欲しかったのと、人生で一度はピンクハウスの服を着てみようと思ったから。

 

そんな私の目の前になぜかロリータファッション情報が現れまして、ロリータファッションもさることながら、この青木美沙子さんに非常に興味を惹かれました。

 

年齢とか、アンチのコメントとか、世間の反応とか、いろいろ思うことはあるらしいことももちろん初めて動画で知った。が、私が興味を持ったのはそんなところじゃない。

暴力に相当するようなひどいアンチコメントとか、他者を深くえぐるのが得意なヒトっているんですよ。他者がただただ機嫌よくしているのが癪に触る方もいます。

そのような、ロリータファッションや、この青木美沙子さんへの他者の評価は私には全く関係なくて、この方の気合の入り方に非常に尊敬を感じています。

 

 

気合の一部をご紹介したい

 

私は一昨日まで青木美沙子さんのことを存じ上げなかったのですが、スピード学習のごとく気合の入った購入品の数々とその説明とファッションコーデをとりつかれたように拝聴しております。

Aurel ChamによるPixabayからの画像

 

これらを拝聴して勝手にいろいろ想像しちゃったんですよね。

  • 本当に賢い方なんだろうな
  • 仕事をすることに向いている方なんだろうな
  • さすがモデルさん、センスが光ってる
  • 看護師さんと兼業というか、大手企業さんとのコラボも多いし、モデルもして、実際にファンとの交流もして、「現実社会を生きている!」「それもいろんな才能、能力を発揮して現実をコントロールしている」

というようなことを【勝手に】想像しちゃった。

 

ロリータファッションは現実逃避とかじゃないくて、現実を楽しむことなんだ!ということを勝手に理解したつもりになった。当たり前のことなんだろうけど、「夢の世界に逃避している」というようなニュアンスじゃあなかった。多分青木美沙子さんは逃避じゃないんだろうと思わせるものがあった。好き!も当然あるだろうけど、事業主感もちゃんと感じた。

外見と、トータルコーディネートと、声や話し方、イチゴ!とか クマさん! とか レース! フリル! いう単語だけをうのみにしてたらアカンですね。と思わせてくれて魅力的。

 

購入品を拝見していても、これだけ経済的に基盤があって、いろんな色、形のものをファッション小物を含めて(似合わないね~)というものが無いのはすごい。

突き抜けてる

似合わなんじゃない?と思わせるものも、似合うように仕上げていく力量もプロならではだな~って思うし、ブランド名も、アイテムの名前も、私には宇宙語くらい ???? という世界なのに、動画にとりつかれてしまう吸引力!

 

突き抜けてる!

それはそれでいろいろあると思いますけどね。気合入ってますよね。

業界問わず、ちょっと目立つと妬みや嫉妬もあるだろうし、この方くらいになるとちょっと目立つの域は抜けて業界をけん引という領域も体験されているでしょうね。(今でもそうなのかな?)

尊敬しますわ。

 

衣装が1000着なら、ポーチは3000個?

私などお恥ずかしいくらい小さな人間で、ポーチが20個を超えようもんなら凹みがち。(もうあるじゃん。今 全部使ってないじゃん。押し入れの肥やしが増えるじゃん。)と感じて凹むわけですが、青木さんは「好き! かわいい!」と楽しそう。毎月の購入品紹介に最低2~3個のポーチがあるような気がした。(笑)

洋服より多いよね?!

 

また、別のコスメオタクの方がお気に入り香水紹介の動画で机の上に10本程度の香水を並べていて、「ほんの一部です」とおっしゃったときにも私は(おぉ)と感銘を受けた。

香水に関する仕事をしているならまだしも、好きな香水はせめて2~3本で、たくさんあるのは買い物依存だ。みたいな固定概念が少々あったからだ。

なんだろう? ミニマリストが賢いとか、持ち物が少ないほうが頭脳明晰とかいう刷り込みがあるんでしょうか? と気が付いたときに、私がそういった「ものすごくモノを溜めていく」ということを一面的にとらえる傾向があると自己認知した。

 

私のこれまでの人生で、どんどんどんどんモノを増やして、空間を埋め尽くしていく様を快く思わなかったけれどもそれをやめさせることもできなかったという個人的経験も反映されているようだ。

記憶が反応している。というか、体験にも反応していた。

 

養老孟子氏が昆虫採集をされているのはOKなのにね。

rubyliaによるPixabayからの画像

増えすぎるとストレス

私個人が目に入る範囲にモノが増えすぎてゴチャゴチャするとストレスを感じるんですね。ですから、香水瓶ならば5本でも十分多い。

洋服もこれ以上増えるとストレスに感じるという量があるみたい。

 

という自己理解により、ミニマリストが賢いと思っているわけではなくて、ただ単に自分の生活スペースがごちゃついているとストレスを感じるという話でした。物欲炸裂してモノが増えるとそれもまたストレス。

 

欲しい、興味ある < 物がとある量以上増えると居心地悪い

 

だから、私もMYブームでやけに集めたり、買ったり、執着するグッズなどもあらわれますが、突き抜けるほど集められないんですよね。あまり物が増えるのは嫌だから。

よほど、よっぽど好きじゃないと、管理するものが増えるのは嫌なんです。その程度のキャパシティというか、人間の小ささというか。脳の傾向というか。

 

モノがないと不安

だから、

片づけられない = 何かしらの欠陥がある

という1つのルールがあるわけじゃなくて

片づけられない = 散らかっていても気にならない。平気。

というもともとの性質も考えられるし

片づけない = 空間がモノで埋まっていないと不安になる。空間がモノで埋まっていると安心だ。

と脳が認識するという傾向・状態についてもあるということですよね。

 

精神状態が不安定な時は、いっぱいの「モノ」で心の不安を埋めたい。という衝動が発動するケースもあるでしょうし、モノの多さが自己存在の証明だと無意識的に変換しているケースもあるだろう。

 

生まれ持った空間認識能力によっては、「片づける」という必要性やルールが全然しっくりこないこともあると思うんですよね。

 

世の中は、マイルールを持った人間で構成されているだとつくづく思います。私も私の増えても大丈夫なモノと増えたらストレスになるという区別、マイルールがあるし。

 

ですから、他者のマイルールを理解すると、自分ルールに従わせようと躍起になってイライラするのが無駄な時があるというケースに気がついて、結果自分が楽になるってこともある。

LeejoannによるPixabayからの画像

 

他者理解って、他者のルールを認識することでもありますね。

オンラインセッションをお休みします

ホームページの手直しも完了

理由は、オンライン、リモートがお休みなのです

詳しくはホームページのお知らせに書きました。

↓ ↓

オンライン、リモートセッション 一旦お休みです | 心体カウンセラー 武田美紀|沖縄の心理カウンセラーによるカウンセリング相談

 

やることを溜めてた

書類の記入とか、経理作業とか、ホームページの修正とか溜めてましたよ。

高性能PCがとりあえず稼働開始して、旧PC周りもちょっと片付いて、事務作業も終えましたので 秋風とともに私の心も爽やかになりました。

 

年末にいろんなものがぐちゃぐちゃするのが嫌なので、今日現在すっきりしてよかったです。

 

xxolaxxによるPixabayからの画像

なんだかんだ手間かかる

腰も重くなろうってもんだよ

一息ついた

Windows11になり、今まで使い勝手が良いように手を加えてきたものがすぐには反映されなくて面倒でした。こーゆー面倒さがあるからPCの買い替えは頻繁にしたくない。

クラウドに上げておけば全てOKなことばかりじゃない。それでOKなのはデータでしょ?

私がやりたいのは使い勝手、設定の話だから。こっちのせいでPCを変えるのには腰が重くなるんですよね。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

ということで、バックアップからの復元をWindows11ですんなりやっていいのかどうか心配だったので時間がかかっても確認しながらやったりして面倒でした。

変なバグが起きて、にっちもさっちもいかなくなったらもっと面倒だから。

が、これまでもこういう面倒が後々のPC使いこなしに生きてきましたので背中を丸めてコツコツやってます。

PexelsによるPixabayからの画像

Copilot

Copilotとか本当に使い物になるの??? と完全になめておりましたが、PCのセットアップの際に的確に質問に答えてくれまして、ネットで調べるよりよほど早かったのには感動した。やはりAIは私より数千倍、数万倍賢かった。

で、使い勝手が良いもんだから、質問したいのに途中アプリが立ち上がらなくなったときは焦った。この時はedgeも一緒に立ち上がらなくなって、(ウソ!? ここまで来て しょ しょ 初期化???)と焦った。

新PC導入の際に、Windowsが早く動くように裏側をアレコレいじったんですよ。裏側というか、中身を。

あの仕様変更の何かがトリガーになっている場合「初期化」も眼中に入れなきゃいけないでしょ?

助かった

ほかのことをして再起動が要求された際に、ありがたいことについでに直った。

焦った~~~ もうやめてよね。

ユーザー辞書の引っ越し

Copilot先生に教えてもらったことは既に幾つかあるんですが、そのうち1つは「ユーザー辞書の引っ越し」についてでした。

PCデータ引っ越し!っつってパパパーと流し込んじゃえば早いんでしょうが、理屈と手順が分かれば自分でできるもんですわ。

 

メモ帳の引っ越しもしましたよ。その際には何十年振りがわからない「隠しファイル」なる言葉を目にしました。

懐かし~~~~

 

以前のその時は、隠しファイルを表示させてPCをクリーンアップしたような気がしますが、もう忘れた。

 

ちなみに今回は、バックアップ先のUSBのSSDや、元のPCのCドライブとか、見まくりましたよ。

疲れたわ。(笑)

Jan VašekによるPixabayからの画像

 

デュアルSIM化

PCの引っ越しの少し前にはデュアルSIMも無事稼働させてます。

 

そもそも何年か前にデュアルSIM化計画のもとiphoneをそれ用に購入したのに、ずーーーーっと手付かずでした。しかし、今回のPC購入を先延ばしにしている最中にシステムのバグが世界的に大問題になってあり、運良くそれを避けて機器を購入できたし、デュアルSIM化計画を先延ばしにしている間にeSIMがどんどん当たり前になったり、Q&Aも豊富になったり、回線使用料が後発各社特色が出てきて安くなったりして、結果良かったのかもしれない。

 

私が時代を先に行き過ぎていたことにする。と、自分をこれ以上ないほど持ち上げてみた。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

 

新PCの使い勝手は目鼻が付きました。

一山超えましたわ。ありがたいことに。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

ワイヤードマウスがなくてもできるもん

祝 新PC

楽しいったらありゃしない

ミニPCがセットアップ完了である。

なんだかんだで取り掛かるのが遅くて、本番は明日以降ですが

まずは祝設定完了記念としてブログを書いている。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

完璧に終わりかけの前のPC(まだ所定の位置にあり)は画面も見える部分が減ってきていたので、

画面が黒やら白やらグレーやらの帯状のもので隠れることなく大画面で全画面がみられる当たり前の幸せをかみしめています。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

神様、メーカー様、PC様ありがとう。

 

で、設定の時がアナログ頼りだという件について書いておきたい。

 

キャッシュレス、ワイヤレスのなにかとレス時代に

ミニPCをいろんな目的をもって購入すると思うが

ワイヤレスにできるものはそちらに移行してミニマムというか、配線などをなるべく無くしたいという好みをお持ちの方もいると思う。

ノートPCだって、タワー型だって、ワイヤレス全盛期ですよね?

 

ところが、ミニPCの最初のセットアップの時はワイヤードのキーボードとマウスが必要だとおっしゃるではないか。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

ワイヤードのキーボートは押し入れの奥で眠らせていた。もう使っていないし、変色もしているが使える。丈夫なのよ。古いタイプのものは。

が、マウスがない。

 

でもまぁとりあえずセットアップを始めてみた。

ウチにあったモニターはタッチ機能はない。

だから当然作業がとん挫した。

 

(あーあ ワイヤードのマウスを明日にでも買ってくるか)といったんPCの電源を落とした。

小1時間? 2時間? 違うことをしていたらふと気が付いた。

 

(TABキーでいけるんじゃね?)

 

天才だ。自分に酔いそうになったけど、果たしてできるかわからない からやってみた。

 

できた

マウスがなくてもTABキーと矢印キーで乗り切って、Bluetoothでマウスとキーボート、電卓も繋ぎ終わりました。

Jill WellingtonによるPixabayからの画像

 

今日中にセットアップが完了した。

 

また楽しい道具が手に入って、そして高性能。

部屋のレイアウトもすでに少し変わった。この先使い勝手を考えてレイアウトを決めていくのも楽しみの1つです。

 

ひょっとして、モニターではなくて、ipadがメインモニターになる可能性もあるかもしれない。

 

ワクワクする。

あれこれ試して楽しむつもりです。

 

という喜びのご報告でした。

コツか?努力か?興味か?才能か?

今回も近況報告です

外国語・・・わたしには難しい

外国語・語学の才能がある人はその言葉で歌われてる音楽を聞いたり、海外の映画やドラマを見ていて習得できる。
実際知人がそうだった。

学生の頃、英語のTOEICは満点近かったらしく、タイや近隣の国の言葉も大人になってネットでドラマを見てたら【自然に】覚わったって。

自然にねぇ・・・へぇー(-_-)

絶対にこの方は語学習得が特技だと思う。

 

会話ができるほどになるもんだから、アジアに長期滞在して現地の言葉でコミュニケーションしてた。

私も、私以外の多くの皆さんも、英語の歌や映画を山ほど見聞きしてるけどね。

それに外国語を習ってる人も多いじゃん。

 

日常会話がスムーズになるほど上達してます? 街中のネイティブスピーカー同士の外国語での会話は聞き取れます?

 

日本人同士の会話は聞き取れますが、外国語の会話を日本語の会話を聞いているように理解できる人って凄いよね。

高校の英語の先生が、「地下鉄に乗っていたら、英語で子供たちが日本人の悪口を言いまくっていて、バカにしまくっていて、(コイツら。怒)と思ったよ」と言っていたが、きっと私も他の多くの乗客と同じで何を話しているのかわからないだろう。

聞こえても無視するしかなかった

しかし、かれこれ7-8年前には親子の会話が聞き取れたことがあった。

私が真横に立っていたけれども、子どもが「I hate japanese.」と言ったし、そのお母さんが「Japanese  are stupid.」と答えたのがしっかり聞こえたことはあった。

お母さんの方は、私の英会話能力が低いことを知っていましたし、私の隣で我が子のその発言をたしなめもしないスタンスの方でしたけど。

他意はない

ネイティブ同士の会話を聞き取れたという事例を書きたかっただけです。この程度の英単語は聞き取れました。

 

反論できないけど。

英語を話すレベルが低すぎて。

 

でも、これが日本語での出来事だとしても反論することって無い。実際、私の周りにいた日本人が自分(武田)の悪口、影口を話しているのが聞こえちゃった経験も持ち合わせておりますが、聞こえないふりしてその場を去りましたから。

相手にしてもしょうがない。みたいなことです。

 

紳士、淑女もいらっしゃれば、そうじゃない方も勿論いらっしゃいます。日本人も同じです。

私はお陰様で日本語以外が母国語の多くの紳士、淑女にお会いするチャンスに恵まれたので良かったです。

 

今日ここまで書いてきて、

言葉ができてもできなくても、お付き合いしたい方、親睦を深めたい方と親しくしたら良いと思いましたわ。

 

なんて英語力関連の話を書きました。

 

好きこそものの上手なれ

英語ネイティブのお友達でもいたら、話がしたいから英語が上達するって言いますよね。

しかし、外国の方が日本語を習得するスピードって早いことが多いから、自分が英語が上達する前に相手が日本語を覚えてしまって日本語で会話すようになるという状態を非常によく見聞きします。

英語がペラペラだった方が、彼がみるみる日本語を覚えてしまって、ご本人は英語を忘れていくという体験談も聞いたことがあります。

 

これらも踏まえて、好きこそものの上手なれって感じなんでしょうかね。

 

好きと言えば

私、子供の頃もスイカを食べてはいましたけど、特にスイカが好きだったことなどなかったんです。ところが最近以前より好きになってきてる。沖縄にいるせいだろうか?

 

で、小玉よりちょっと大きい今帰仁スイカをスーパーで見かけて、一人で一玉マッハで完食しました。

食べたいときに思いっきり食べたので そりゃあ美味しかった。

NGUYỄN THỊ THYによるPixabayからの画像

 

年齢を重ねると、趣味嗜好や味の好みもどんどん変わることって新鮮です。

思い込みとか、変な頑固さが増すこともあれば、どんどんこだわりが消えていくこともある。

 

本当に、変化って面白いです。

あれ? いつの間に? みたいな変化ってあるんですよね。

そうそう変化と言えば

変化と言うか、気が付いたことがありまして、

以前も、陰謀論について、「そんなことあるわけ無いって一度も言ってない。かえって、ナニを聞いても(あるかもね。あっても不思議じゃない)と思うタイプだけども、それに執着したり、のめりこんだりするのが気が向かない」というような価値観を書いたことがありました。

 

で、なぜ私はこのような価値観をもったのだろうか?というところに気がつきました。

 

それは映画や本の影響です。SFやホラーやサスペンスというジャンルのこれらで既に学習ずみというか、(あぁ そういうことあるよね。)という背景には「映画や本で見たことあるよ。」という既知感によるものなのかもしれません。

 

そして、それはそもそも、それら陰謀論というものに含まれている「映画や書籍などによるプロバカンダ」という考え方があるようで、まさに私は映画や本を通じて、(あぁ そういうこともあるだろう)という印象を受けているんだということでした。ですから、陰謀論というものに揺さぶられないという感じでしょうか。

 

事実は小説より奇なりということを実感しているという感じです。

 

そういった既に(世の中なんでもあるなぁ)という前提で、個人的に予防や対策ができるものはして、もう個人ではなんともならないことは悩んでもしょうがない。みたいなことでしょうか?

遠くの陰謀より、身近なストレスケア

世の中がフラクタル、相似性である程度成り立っているのなら、自分が心地よい状態にすることも遠くの陰謀に影響する可能性もあるかもしれない。

 

陰謀に腹を立てたり、怒り、理不尽への反撃に没頭している方たちは、個人的にはお幸せなのだろうか? 自分の日々の生活の不満を陰謀論にのっけているというようなことはあるだろうか?

 

これらが悪いわけじゃない。生き方は様々だし、過去の活動家の皆様の情熱が今現在の私の幸せを支えてくださっていることだってあるだろうし、私も腹を立てることも理不尽に反撃したい気持ちもある。怒りを感じる体験もする。が、基本幸せであって、実感している。ありがたいと思っているし、自分の人生を愛している。自分も愛してる。

 

ただ、陰謀論に飲み込まれたり、ナニカに流されたり、責任転嫁したり、本当のところを見ずに自分の人生や不満への改善は無視で、全て外部へ原因をすり替えたりというようなことがもしもあるのなら、そういった思考や無私のスタイルをとっている自分について自覚をしていた方が良いような気がするだけです。

 

自分の大切な部分に向き合わずに、逃げて逃げて逃げて、一生の最後まで逃げるという選択もあるのも知っている。最後まで逃げ切れるのかどうかは知らないし、逃げることがご本人の思う幸せってこともあるだろう。ご本人はそれが幸せだと思っても、じゃあ日々幸せを感じたり、あぁこの人生で良いよね!と実感がわくのかどうかはまた別だし。

 

わかったうえでやっていることと、自分を失ったままやることは違うような気がしているだけなんですよね。正解とか良し悪しなどの話ではなくて。

 

きれいごとや理想論がベストとは限らない。

 

だから、陰謀論を、きれいごとや理想とは違うと糾弾するのがベストとは限らないかもしれないという見方もできると思うんですよ。

rubyliaによるPixabayからの画像

愚民と呼んでいたけれど

一般の方をずっと「愚民」と表現されていた方が、選挙に立候補されたときには「愚民」と言わなかった。選挙が終わった今はどうだか知らないが、陰謀を暴く、世の中に知らせる方法もいろいろあるな~と思ったりしました。

この方が街頭演説することで、初めてこの方を知って、いろんな影響を受けた方もいらっしゃると思うんですよ。私も勿論知らないことが多くて、お話されていることを聞いて(こりゃ大変だ)と思ったし、その世界の利を得ようとする人たちって(なんでもありだな~)とも思った。(なんでもやっちゃうんだな~)って。

理不尽とか、常識って生きている世界が違うと同じ国に住んでいてもほんと違う。保身とか利得ってすごいパワーだなって。マジで事実は小説や映画より奇なりです。

 

私はあの街頭演説されている姿を動画で拝見して、(あの方は逃げるのをやめて、向き合うことにしたのかな?)って誠に失礼ですが勝手に感じたんですよね。

方法を変えたんだなって。

また元通りになるのも良くも悪くもないんだろうけれども、あの期間は「愚民」と思っていた群衆を斜め上から見るのをやめたんだなっていう姿勢はそのまま拝見した。

 

斜めから見ていて批判していた方が楽だと思うんですが、斜めから見ていたその世界に新しい立場で接することにしたんだな~って。

 

ヒトはいろんな思考や価値観があります。取り巻く環境も様々です。

私個人は、怒りや恐怖、不安を喚起することよりも、ストレスケアを推奨したい。私が選挙に出るのなら方針を変えるだろうけれど、立候補をすることはないのでストレスケアの推奨という今のスタイルを選ぶ。これが自分には合っている。

個々が幸せ、生きやすいというところを基盤と考えたいし、遠くのことは私の手には余るけれども、目の前の生活を快適に、「健康と笑い声のある生活をサポート」という姿勢でいたい。今の「ありがたいこと」に意識を向けるのを忘れたくない。

 

またまたこんなことを感じた今日でした。

 

皆様に幸せが降り積もりますように(^^)

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

時代の流れ

時代が変わるね

古来よりこれの繰り返し「時代は変わる」

バイク

以前、原付やビッグスクーターのような手元だけでの操作性の2輪車は怖くて、両手両足で操作して、ニュートラルがある操作性のバイクが好きだと書きました。

しかし・・・・

ついに原付・ビッグスクーター以外でも手元だけの操作性のバイクが普通になる時代が来るんですね。

この調子では、私がこれを運転する日は来ないと思いますが、時代は変わります。

PC

発売される前からずっと欲しかった。

こんなのが。

今は家でしょうがないからノートPCを使っていますが、あまり好きじゃない。

B5サイズの小さめならまだしも、大きめのノートPCはキータッチやキーボードの距離感のしっくり感がない。場所とるし。

 

で、私がやりたいことはMacがとっくの昔から製品化していたんだけど、今更Macユーザーに戻るといろいろ面倒なんですよね。昔MacからWindowsに変わるときに(意味が分からん)(めんどくせー)と思ったのに、これだけ使い倒してしまうと慣れちゃう。慣れきっております。

そして、いろいろPCの中身を引っ越す際にストレスのないWindows。

 

で、結果ミニPCにしたら(もうすぐ届くよ)、ipadがモニターにできたり、今ある大画面モニターが使えたり(そもそもこれがしたかった)、別に予定はないけどiPhoneすらモニターにできる。

そんなこんなで、机の上が広く使えるようになったりするはずで、ニセMac mini風味ユーザーになります。

そう! タワー型なんてもう一生家に置きたくない! PCに関してはとにかく省スペースでサクサク動いて欲しい! タッチ感の好きなキーボードとマウスだけが有ればいい!

 

という時代の進化の恩恵を受けます。

楽しみです。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

親と子 盲目的に義務感を感じなくてもOKな選択肢

「良い子」が苦しむその理由に、

  • 社会的な教えや、「善き」という思想に従わなきゃとか、守らなきゃとか、
  • 自分はそれをするのが苦しいのは自分が悪いからだとか、
  • できない自分は強烈に何かが劣っているからだとか、
  • 自分のなにかしらの欠陥によるとか、
  • 修行が足りないとか

理想の家庭、理想の家族、理想の親子関係を築けないのは自分の責任だろうと思うことによる罪悪感、自信の欠如、苦しみ、寄る辺なさも多いと思っている。

 

子どもの方もそういうことが多いし、親の側も自分がこれらを子供時代から持ち続けて プラス 今度は親になっている という課題というか、未解決の葛藤があったりすることも多い。

 

で、そんな苦しみを抱えている方に下記でシェアしている動画は「救い」になるケースもあるんじゃないかな?と思ったんです。

 

親子の美談という思想をスッパリとあきらめるということが最善で、かつ、最短に自己の幸せにつながるということも世の中にはあるんですよね。

悲しいかもしれないし、無力感を感じるかもしれないし、寂しいかもしれないけれども、

他人は変えられなくて、親子でも自分以外は変えられない。自分ですら変えるのにえらく苦労することだってあるし、そう簡単にいかないこともあるのに、ましてや他人は無理だとあきらめる勇気というか、潔さも時として人生には必要なことがある。

 

親子の美談という思想にしがみついちゃうかもしれないけれども、経験や体験から学んで、ある種の本質を理解するということも大切な時もあると思います。お互いのために。自分のために。相手のために。

 

私もこれらの感情などに揺さぶられ、ストレスケアをし、また揺さぶられ、ストレスケアをして、というような繰り返しをしてきましたが、結果今は幸せです。

親子の美談とは程遠いけれども、それ以外の幸せってあるよね って実感してる。

 

きれいごと。みたいな評価であなたを悲しい気持ちにさせるヒトがいるかもしれないが、ありがたいことに時代は変わって 自分で幸せになっていくというある程度の自由が得られたり、選べたりする。

それを尊重してくれるヒトもはるか昔よりは余程多い。

 

時代は変わった。ありがたいことに。

 

いろいろと苦しいかたが、少しでも楽になりますように。

皆様の生活に健康と笑い声がありますように。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

ガンジーにも救われる

善きことはカタツムリの速度ですすむ

いい言葉だなぁ

何度もブログに登場するし、実際の会話にも登場しますが、私の支えになっている言葉に

「大きく育つ木はゆっくり育つ」

がありますが、ガンジーがおっしゃったらしいこの「善きことはカタツムリの速度ですすむ」も好きです。

 

ついついいろんなことを焦りますが、ゆっくりしか進まないってことは「善い」という判断もできる可能性があるんだな。と一呼吸つくことができそうです。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

ここからは近況報告 雑談とも言いますか?

PC

もうとっくに買い替えしていてもいいはずのPCを異常な粘り腰でまだ使っていますが、もうどんどん劣化が進んでおります。また増えた黒帯で画面がどんどん見えなくなってきています。

土俵際で粘ってもいないです。完全に土俵から落ちております。

 

買うつもりだったミニPCがどうやら不良品だったらしい(システムバグ????)という動画を見て、購入の先延ばしもたまには幸運を呼ぶな。などと思いましたが、もう買わないといけない。

確定申告の時期もあっという間にやってきますから、PCがないのはやばい。

心体カウンセリングについての諸作業はアホほど効率が悪くてもギリiPadやスマホで代替えできても経理作業は無理。というか、私がそれをしたくない。

 

買いますか。

そうなったらサッサと買わないとね。

今のは、とにかく動かないし、動いても遅すぎて効率なんて意味ないじゃんって感じですから。

 

帰省

体験1

他にも、東京経由で名古屋に帰省しました。

Facebookに投稿したんですが、なかなか新幹線に乗る機会がないし、もう切符を買うとかせずにSuicaでピッと新幹線改札も通れるらしいし、まぁ飛行機に乗る感じと同じみたいなんで練習がてら、いつもの指定席をグリーン席にして東京から名古屋に移動したんですわ。

慣れない、珍しいことを重ねてやってみよう!ということで。

 

で、 私が乗ったグリーン車の車両がほとんどが外国の方でして、数ヶ月前から頭の片隅にあり続ける、1年の多くを海外で過ごすYouTuberさんのおっしゃっていた「日本がアルゼンチン化する気がしてる」を連想してしまった。

 

海外の街中の両替所で日本円が両替可能通貨リストから外れてる。というYouTuberさんの言葉も思い出されました。

 

日本はすごく強くて、日本ヤバい説とかに踊らされるのはバカだ。日本は鉄壁で本当に安心していい。

というご意見も聞いたことがあるんですよね。

 

時間がたてば、何がどうなっていくのか? どうなっていかないのか? も分かります。こんなことを考えたりしました。

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体験2

実家といえば、私のストレスケアの宝庫でありまして、実家や親戚や環境のお陰で私は「ヒト」とか心理とか言葉とか行動とか、精神とかいろんなことを考えるに至ったんですよね。

ものすごく幸せだったら絶対に考えなかった数多くの事柄、事象。

 

で、まぁ今回も歴史を擦るようなことがありましたけれども、姪っ子と話をする機会があったり、まだ自分が理想や希望にこだわっていたんだと気が付かされたり、そしてそれらの引きずりをあっという間に手放したりと、

あぁ 今まで悩み、苦しみ、傷んだあれこれから逃げずにストレスケアしてきてマジで良かったとまたまた感謝の念が沸きました。

 

自分の人生なんだなって。

大人になって良かったなって。

 

何を選んで、どんな人生を送ろうが本当にご本人の自由なのですが、

  • 考えることを放棄したくなることや
  • 逃げたくなることや
  • 自分をこんな被害者にしたのは貴方だと相手を責めたくても

それも人の心理には実際にあることだし、

気が付かないうちにあんなに嫌っていた反面教師と同じ選択をしてしまっていることだってあるし。

 

軌道修正というのか、人生を創造していくっていうのは、多分しっかり、ある意味ちゃんと考えたり、試行錯誤していくことのその先にあるような気がします。

  • なぜその結果を過去、または今 得たのか?
  • 自分のパターンによるものなのか、1回限りの偶然なのか?
  • なぜ自分はそこから逃げたのか? (逃げたって良いんだけど、自分が納得してた方がいいような気がする。自分を誤魔化し続けると後々シンドクなったり同じ事を繰り返す傾向があるような気がします)

という事も考えたらなかなかシンドイ案件もあると思うんですよ。でもそこを避けずに、逃げずに考えてみることが大切な時もあるかなぁ と。

 

そういう意味では、強さのようなものが大切な事もありそうですね。

 

体験3

今回の東京、名古屋で先輩、知人、友人と何名の方とユンタクしました。それぞれ結構ちゃんとした時間でした。

 

で、またまた急なんですけど

前回でしたっけ? 運命の人とか、偽運命の人とか、スピ業界にはいろんなカテゴリーがあり、それも個々がラベルを貼って分類していたりしますでしょ? という類の話を書きました。

 

ビビッと感じるという表現の方もいるし、ロマンチックな感情とか、運命の人ストーリーに乗っかるとか、郷愁を感じたとか、出会い方とか始まり方は色々あるんでしょうけど、

バカみたいなことを書くと、仲良く続いた人がロマンチックな運命の人だったという結果論で良いんじゃね?と思ったりしてるんですよ。

いや別に短期間でもそれでご自身が満足、納得されていたら良いんでしょうから、そういう意味でも結果論だったということで良いかなって。

 

全然ピンと来ないけど、なんだか付き合い始めて、お互い老人になって、結果あぁこの人でよかったんだなって添い遂げちゃったんなら運命の人ですよね? 全然ピンときたことないけど! でも信頼してるっていうんなら素晴らしい相性だと思いますけど。

 

というこれはあくまで一例ですけど、始まりとかスタート時に浮かれたり熱病みたくなるのは、別に普通のことのような気がしますし、別に運命の人というタイトルやストーリーがなくても仲良くしたら良いじゃんって。

 

偽運命の人と思えるような人とどえらいシンドイ出来事があっても、その体験を自分の人生により良くなるような反映のさせ方をしたら、偽とかなんとかって冠がなくたって、「苦くてキツくて嫌な体験、経験の一つだったけれども、あの出来事で自分のことが良くわかったわ。」として忘れていけば良いじゃんって。

同じことを繰り返さなきゃ良いし、もし繰り返しちゃったら、その次にもう同じことをしない工夫をしたら良いじゃんって。

 

そんなことを書きたくなりました。

 

とりとめのない話でしたが、ちょっと書いておこうと思いました。

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疑わない

捉え方

疑うのか? 物事良いように捉えるのか?

疑うのか? 物事良いように捉えるのか? という小見出しを書いてすぐになんですが、2つに1つってわけじゃない。

 

「疑う」ということについて書いたBlogの続編というか、そもそも今日ご紹介する動画について書こうとしていたのが先だったんですけどね。

「神秘的」 疑い方の1つ

 

こちらの動画内のとある話題

前へならえ

個々の好みで視聴できるかどうか分かれそうですが、この動画の中の「前へならえ」についてが非常にわかりやすい。というか、ここ大事だよなぁって思ったし、何年も前に中国出身の方が「日本人は中国が社会主義で支配的って思ってるけど、日本の方が余程支配されていて社会主義よ」とおっしゃっているのを聞いたことがあります。

例えばどんなところか?といういい例が動画の中の「前へならえ」の話題にあって、日本人がそれを疑問に思わないというか、言うことを聞く良い子、支配される側に安心を感じるというか、良しとされる感性が刷り込まれていく1つの過程・環境に(そうねぇ そうなるねぇ)と思ったりしました。

 

疑うとか、違和感を感じるとか、(アレっておかしくない?)みたいなこととかを「良し」とされないというか、これらの物差しをクルンと回すと、今度は陰謀論に一気にいっちゃうというか。

これはこれで支配的だったりする一面もあるんですよね。

余談 常識と歴史

余談ですが、陰謀論って、自分が知らないってだけで、その道では常識だったりする一面があって、政治家の常識、製薬会社の常識、超超超セレブ層の常識、科学者の常識、多くの国民の常識がある。それぞれがはるか昔からあって、それぞれの常識も今に始まったことじゃないんですよね?

常識も変わることがあるし。

 

そして、それぞれ成り立とうとすると利害が一致しない。これまでも一致してこなかったことも多いようだし、この先も難しいかもしれない。

下手したら地球の得にも宇宙の得にもならない。(というか、地球の得になってることって何かあるのかな?)

 

私個人はこれらを良しと思ってるわけじゃない。良い方向へ変われるなら変えたいし変わってほしい。しかし、「他人は変えられない、自分が変わろう」方式でいうなら何ができるのか?

 

私は陰謀論と言われること全て嘘だと言ったことはない。たいていのことは(ありそうだ)と思うけれども、陰謀論を軽いスピを扱うみたいに無責任に流布する側に回るのは好きじゃない。(書き方は難しいけれど、陰謀論とされる側がやっていることとやり方が一緒になるケースもあると思うから。)

 

あんたは変わらない!と糾弾しても今まで変わらなかったんなら、同じことを繰り返してもそれはアインシュタイン的には狂気であるとしたら、じゃあどうする?

 

難しいです。簡単な答えに気が付くのが難しい。

 

「まずは自分が幸せになることで、その波動を広げましょう」という言葉を聞いたことがあるが、果たして本当なのかもわからない。なぜならそれがなかなか現実化しないみたいだし、他者を責める方が楽だし。

こういったことを波動論で語る方なら

そもそも糾弾することに幸せを感じるのなら、平和の波動が伝わるんじゃなくて、糾弾の波動が広がることになるんですよね? 言い換えて、争いの波動としてもいいですよ。

 

波動の話じゃなくてもですね、難しいですね。

本当はとっても簡単なのかな? わからない。

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余談 2

これまでの人生で時折目の前に現れる「カタカムナ」という単語。

私はこれについて全く知識を持っておらず、なにかちょっと聞いても頭に入ってこないし、当面特に研究する予定もないのですが、こんな100%素人の私的にビックリ情報を得たのでシェアします。

 

それはなんと、カタカムナって相似性を表しているというご意見。(◎_◎)

めっちゃ驚いた。

 

じゃあ、やたら「フラクタル」「相似性」「相似形」と書いてきた私はカタカムナ一派ですか?

 

久々のびっくり案件でした。

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もとい。動画シェアの意図

動画は、事象、出来事を「疑う」とするのか、「物事の良い面を見る」のかって意味でシェアしました。

もちろん他の考え方もあるだろうけれど。

 

余談 予定変更

今日、ヒトと合う予定でしたが予定変更になりまして、時間が空いたわけです。

ドタキャンで予定が変更になっても全然腹も立たなくて、じゃあ折角だからと暫く溜まっていた経理作業をしました。

溜めておいて確定申告の時に一気にやるのがストレスなんで今日処理できたのは非常によかった。

and ブログを書けました。

今日ご紹介した動画は、もう随分と下書きに眠っておりましたので今日ようやく仕上がりました。

 

こういった時は物事の良い面を見ると自分が楽ですね。

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素敵な人とは?

素敵なヒト

男とか女とか関係ない

とある女優さんが「素敵な人」はどんな人?

という質問に

「自分で自分を幸せにできる人」

と答えていました。

 

20歳を少し超えたおきれいな女優さんのこの答えに、

賢くて凄い!

と恐れ入りました。

 

そして、この回答は私の心にしっかり入った。

 

自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。

 

しかし、こういったことも双方の選択によって成り立つので、これらが成り立つということはある意味それを双方が自分のために選択していることになる。

自分の人生を好きに生きているとも言える時があるので、それを良いとか悪いとか決められない。

 

ただ、私個人が「自分で自分を幸せにできる人」という価値観が好きなだけです。

 

ElisaによるPixabayからの画像

MOMOさんもそんな価値観ではないだろうか?

こちらの ↓ ブログでご紹介したダンサーさんも似た感性をお持ちだと感じました。

運がよくなる。運を良くする。

 

賢さって?

いろんな賢さがあるなぁ と思う。

 

でも賢さってわかりやすい指標がないから、勉強とか知識とか情報とかの量みたいなもので判断したくなるんでしょうね。そうすると自分が安心する。

どこに属している?とか、ナニをやっているか?とか、ナニを知っているか?とか、ナニを支配しているのか?とか。

 

こういうことって、知識と知性って違うって類の話かもしれない。

そして、知性とお人柄って連動の仕方が似てるような気がしません?

随分前に他界した祖父はこういったことを「教養」と表現したのを思い出した。

 

あーでもない、こーでもないと考えたら賢くなるわけじゃなさそうで、以前私は「下手な考え休むに似たり」としみじみ己を振り返ったこともあるし、自分の「的外れの努力」に脱力したこともあるし、思想とか教えとかを無考えに取り入れてその後(なんか違和感が・・・・)とハタと気が付いたことがあるし、今は思い出せないけどいろいろあったと思う。

 

激流だ! 激流に飲み込まれた! と感じたこともあったが、あの感覚はもうありありとした体感として思い出せないです。ありがたいことに。

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言葉はわかるけど、実はわかってない

20歳少し超えの頃に

「自分で自分を幸せにできる人」

という言葉はわかるし、想像もできるけど、「幸せってなんだ?」みたいなことってシンプル過ぎて体感としてわかってなかった。

 

ホント、いろんなものを探し求めて本を読み、映画もみた。

会話もした。

 

年月が経ち、「自分で自分を幸せにできる人」というところに今はいる。

 

先はわからない。

過去のアレコレは「自分で自分を幸せにできる人」への助走になった。

今日現在の結果として。

 

もちろんこの先はわからない。

 

じゃあ私が素敵なヒトか?と言えばどうか?

素敵かどうかはわからないけど、自分の人生を愛しているとはいえる。将来自分が「自分の人生を愛している」と感じるようになるとは想像できなかった。

 

今はこれで充分かなって思うし、多分自分の人生を愛せることを年月かかって手探りで求めていたのかもしれない。

 

 

「幸せってなんだ?」というのと同じで、「自分の人生を愛するってどんな感覚?」という未知の世界だったから。実はもともと自分の人生を愛していたけれどもそれすらわかっていなかっただけかもしれないんだけど。

そう、だから、先に書いた

”自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。”

というのも、今はこれらがその方が感じる「自分の幸せだ!」という価値観だってことだな~って思ったりもする。社会生活していたら、自分の価値観よりも他者の価値観に全乗っかりで良し!と判断する方も居るかもしれないし。

人生で知りたいこと、体験したいことの好みの多様性

ただ、私は別にナニモノにもなってないけど、もう全然ナニモノかになりたいなんて思ってないし、あぁ自分でいるっていいなって思ってる。

 

ただただ、今のこの心境がありがたいです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

私がなにをしたか?

いろいろあったんですが、自分のストレスケアをしました。

 

  • 例えばヒーリンググッズを身に着けたり
  • パワースポットに行ったり
  • 占ったり
  • 霊的なナニカを気にしたり、
  • 思想とか信仰とかを気にしすぎたり etc

というこれらよりは私は自分のストレスケアが良かった。

 

この方法が万人に合うかはわかりません。私には良かったですが。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

ロゴにホームページへのリンクを貼りました。