時代の流れ

時代が変わるね

古来よりこれの繰り返し「時代は変わる」

バイク

以前、原付やビッグスクーターのような手元だけでの操作性の2輪車は怖くて、両手両足で操作して、ニュートラルがある操作性のバイクが好きだと書きました。

しかし・・・・

ついに原付・ビッグスクーター以外でも手元だけの操作性のバイクが普通になる時代が来るんですね。

この調子では、私がこれを運転する日は来ないと思いますが、時代は変わります。

PC

発売される前からずっと欲しかった。

こんなのが。

今は家でしょうがないからノートPCを使っていますが、あまり好きじゃない。

B5サイズの小さめならまだしも、大きめのノートPCはキータッチやキーボードの距離感のしっくり感がない。場所とるし。

 

で、私がやりたいことはMacがとっくの昔から製品化していたんだけど、今更Macユーザーに戻るといろいろ面倒なんですよね。昔MacからWindowsに変わるときに(意味が分からん)(めんどくせー)と思ったのに、これだけ使い倒してしまうと慣れちゃう。慣れきっております。

そして、いろいろPCの中身を引っ越す際にストレスのないWindows。

 

で、結果ミニPCにしたら(もうすぐ届くよ)、ipadがモニターにできたり、今ある大画面モニターが使えたり(そもそもこれがしたかった)、別に予定はないけどiPhoneすらモニターにできる。

そんなこんなで、机の上が広く使えるようになったりするはずで、ニセMac mini風味ユーザーになります。

そう! タワー型なんてもう一生家に置きたくない! PCに関してはとにかく省スペースでサクサク動いて欲しい! タッチ感の好きなキーボードとマウスだけが有ればいい!

 

という時代の進化の恩恵を受けます。

楽しみです。

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親と子 盲目的に義務感を感じなくてもOKな選択肢

「良い子」が苦しむその理由に、

  • 社会的な教えや、「善き」という思想に従わなきゃとか、守らなきゃとか、
  • 自分はそれをするのが苦しいのは自分が悪いからだとか、
  • できない自分は強烈に何かが劣っているからだとか、
  • 自分のなにかしらの欠陥によるとか、
  • 修行が足りないとか

理想の家庭、理想の家族、理想の親子関係を築けないのは自分の責任だろうと思うことによる罪悪感、自信の欠如、苦しみ、寄る辺なさも多いと思っている。

 

子どもの方もそういうことが多いし、親の側も自分がこれらを子供時代から持ち続けて プラス 今度は親になっている という課題というか、未解決の葛藤があったりすることも多い。

 

で、そんな苦しみを抱えている方に下記でシェアしている動画は「救い」になるケースもあるんじゃないかな?と思ったんです。

 

親子の美談という思想をスッパリとあきらめるということが最善で、かつ、最短に自己の幸せにつながるということも世の中にはあるんですよね。

悲しいかもしれないし、無力感を感じるかもしれないし、寂しいかもしれないけれども、

他人は変えられなくて、親子でも自分以外は変えられない。自分ですら変えるのにえらく苦労することだってあるし、そう簡単にいかないこともあるのに、ましてや他人は無理だとあきらめる勇気というか、潔さも時として人生には必要なことがある。

 

親子の美談という思想にしがみついちゃうかもしれないけれども、経験や体験から学んで、ある種の本質を理解するということも大切な時もあると思います。お互いのために。自分のために。相手のために。

 

私もこれらの感情などに揺さぶられ、ストレスケアをし、また揺さぶられ、ストレスケアをして、というような繰り返しをしてきましたが、結果今は幸せです。

親子の美談とは程遠いけれども、それ以外の幸せってあるよね って実感してる。

 

きれいごと。みたいな評価であなたを悲しい気持ちにさせるヒトがいるかもしれないが、ありがたいことに時代は変わって 自分で幸せになっていくというある程度の自由が得られたり、選べたりする。

それを尊重してくれるヒトもはるか昔よりは余程多い。

 

時代は変わった。ありがたいことに。

 

いろいろと苦しいかたが、少しでも楽になりますように。

皆様の生活に健康と笑い声がありますように。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

ガンジーにも救われる

善きことはカタツムリの速度ですすむ

いい言葉だなぁ

何度もブログに登場するし、実際の会話にも登場しますが、私の支えになっている言葉に

「大きく育つ木はゆっくり育つ」

がありますが、ガンジーがおっしゃったらしいこの「善きことはカタツムリの速度ですすむ」も好きです。

 

ついついいろんなことを焦りますが、ゆっくりしか進まないってことは「善い」という判断もできる可能性があるんだな。と一呼吸つくことができそうです。

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ここからは近況報告 雑談とも言いますか?

PC

もうとっくに買い替えしていてもいいはずのPCを異常な粘り腰でまだ使っていますが、もうどんどん劣化が進んでおります。また増えた黒帯で画面がどんどん見えなくなってきています。

土俵際で粘ってもいないです。完全に土俵から落ちております。

 

買うつもりだったミニPCがどうやら不良品だったらしい(システムバグ????)という動画を見て、購入の先延ばしもたまには幸運を呼ぶな。などと思いましたが、もう買わないといけない。

確定申告の時期もあっという間にやってきますから、PCがないのはやばい。

心体カウンセリングについての諸作業はアホほど効率が悪くてもギリiPadやスマホで代替えできても経理作業は無理。というか、私がそれをしたくない。

 

買いますか。

そうなったらサッサと買わないとね。

今のは、とにかく動かないし、動いても遅すぎて効率なんて意味ないじゃんって感じですから。

 

帰省

体験1

他にも、東京経由で名古屋に帰省しました。

Facebookに投稿したんですが、なかなか新幹線に乗る機会がないし、もう切符を買うとかせずにSuicaでピッと新幹線改札も通れるらしいし、まぁ飛行機に乗る感じと同じみたいなんで練習がてら、いつもの指定席をグリーン席にして東京から名古屋に移動したんですわ。

慣れない、珍しいことを重ねてやってみよう!ということで。

 

で、 私が乗ったグリーン車の車両がほとんどが外国の方でして、数ヶ月前から頭の片隅にあり続ける、1年の多くを海外で過ごすYouTuberさんのおっしゃっていた「日本がアルゼンチン化する気がしてる」を連想してしまった。

 

海外の街中の両替所で日本円が両替可能通貨リストから外れてる。というYouTuberさんの言葉も思い出されました。

 

日本はすごく強くて、日本ヤバい説とかに踊らされるのはバカだ。日本は鉄壁で本当に安心していい。

というご意見も聞いたことがあるんですよね。

 

時間がたてば、何がどうなっていくのか? どうなっていかないのか? も分かります。こんなことを考えたりしました。

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体験2

実家といえば、私のストレスケアの宝庫でありまして、実家や親戚や環境のお陰で私は「ヒト」とか心理とか言葉とか行動とか、精神とかいろんなことを考えるに至ったんですよね。

ものすごく幸せだったら絶対に考えなかった数多くの事柄、事象。

 

で、まぁ今回も歴史を擦るようなことがありましたけれども、姪っ子と話をする機会があったり、まだ自分が理想や希望にこだわっていたんだと気が付かされたり、そしてそれらの引きずりをあっという間に手放したりと、

あぁ 今まで悩み、苦しみ、傷んだあれこれから逃げずにストレスケアしてきてマジで良かったとまたまた感謝の念が沸きました。

 

自分の人生なんだなって。

大人になって良かったなって。

 

何を選んで、どんな人生を送ろうが本当にご本人の自由なのですが、

  • 考えることを放棄したくなることや
  • 逃げたくなることや
  • 自分をこんな被害者にしたのは貴方だと相手を責めたくても

それも人の心理には実際にあることだし、

気が付かないうちにあんなに嫌っていた反面教師と同じ選択をしてしまっていることだってあるし。

 

軌道修正というのか、人生を創造していくっていうのは、多分しっかり、ある意味ちゃんと考えたり、試行錯誤していくことのその先にあるような気がします。

  • なぜその結果を過去、または今 得たのか?
  • 自分のパターンによるものなのか、1回限りの偶然なのか?
  • なぜ自分はそこから逃げたのか? (逃げたって良いんだけど、自分が納得してた方がいいような気がする。自分を誤魔化し続けると後々シンドクなったり同じ事を繰り返す傾向があるような気がします)

という事も考えたらなかなかシンドイ案件もあると思うんですよ。でもそこを避けずに、逃げずに考えてみることが大切な時もあるかなぁ と。

 

そういう意味では、強さのようなものが大切な事もありそうですね。

 

体験3

今回の東京、名古屋で先輩、知人、友人と何名の方とユンタクしました。それぞれ結構ちゃんとした時間でした。

 

で、またまた急なんですけど

前回でしたっけ? 運命の人とか、偽運命の人とか、スピ業界にはいろんなカテゴリーがあり、それも個々がラベルを貼って分類していたりしますでしょ? という類の話を書きました。

 

ビビッと感じるという表現の方もいるし、ロマンチックな感情とか、運命の人ストーリーに乗っかるとか、郷愁を感じたとか、出会い方とか始まり方は色々あるんでしょうけど、

バカみたいなことを書くと、仲良く続いた人がロマンチックな運命の人だったという結果論で良いんじゃね?と思ったりしてるんですよ。

いや別に短期間でもそれでご自身が満足、納得されていたら良いんでしょうから、そういう意味でも結果論だったということで良いかなって。

 

全然ピンと来ないけど、なんだか付き合い始めて、お互い老人になって、結果あぁこの人でよかったんだなって添い遂げちゃったんなら運命の人ですよね? 全然ピンときたことないけど! でも信頼してるっていうんなら素晴らしい相性だと思いますけど。

 

というこれはあくまで一例ですけど、始まりとかスタート時に浮かれたり熱病みたくなるのは、別に普通のことのような気がしますし、別に運命の人というタイトルやストーリーがなくても仲良くしたら良いじゃんって。

 

偽運命の人と思えるような人とどえらいシンドイ出来事があっても、その体験を自分の人生により良くなるような反映のさせ方をしたら、偽とかなんとかって冠がなくたって、「苦くてキツくて嫌な体験、経験の一つだったけれども、あの出来事で自分のことが良くわかったわ。」として忘れていけば良いじゃんって。

同じことを繰り返さなきゃ良いし、もし繰り返しちゃったら、その次にもう同じことをしない工夫をしたら良いじゃんって。

 

そんなことを書きたくなりました。

 

とりとめのない話でしたが、ちょっと書いておこうと思いました。

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疑わない

捉え方

疑うのか? 物事良いように捉えるのか?

疑うのか? 物事良いように捉えるのか? という小見出しを書いてすぐになんですが、2つに1つってわけじゃない。

 

「疑う」ということについて書いたBlogの続編というか、そもそも今日ご紹介する動画について書こうとしていたのが先だったんですけどね。

「神秘的」 疑い方の1つ

 

こちらの動画内のとある話題

前へならえ

個々の好みで視聴できるかどうか分かれそうですが、この動画の中の「前へならえ」についてが非常にわかりやすい。というか、ここ大事だよなぁって思ったし、何年も前に中国出身の方が「日本人は中国が社会主義で支配的って思ってるけど、日本の方が余程支配されていて社会主義よ」とおっしゃっているのを聞いたことがあります。

例えばどんなところか?といういい例が動画の中の「前へならえ」の話題にあって、日本人がそれを疑問に思わないというか、言うことを聞く良い子、支配される側に安心を感じるというか、良しとされる感性が刷り込まれていく1つの過程・環境に(そうねぇ そうなるねぇ)と思ったりしました。

 

疑うとか、違和感を感じるとか、(アレっておかしくない?)みたいなこととかを「良し」とされないというか、これらの物差しをクルンと回すと、今度は陰謀論に一気にいっちゃうというか。

これはこれで支配的だったりする一面もあるんですよね。

余談 常識と歴史

余談ですが、陰謀論って、自分が知らないってだけで、その道では常識だったりする一面があって、政治家の常識、製薬会社の常識、超超超セレブ層の常識、科学者の常識、多くの国民の常識がある。それぞれがはるか昔からあって、それぞれの常識も今に始まったことじゃないんですよね?

常識も変わることがあるし。

 

そして、それぞれ成り立とうとすると利害が一致しない。これまでも一致してこなかったことも多いようだし、この先も難しいかもしれない。

下手したら地球の得にも宇宙の得にもならない。(というか、地球の得になってることって何かあるのかな?)

 

私個人はこれらを良しと思ってるわけじゃない。良い方向へ変われるなら変えたいし変わってほしい。しかし、「他人は変えられない、自分が変わろう」方式でいうなら何ができるのか?

 

私は陰謀論と言われること全て嘘だと言ったことはない。たいていのことは(ありそうだ)と思うけれども、陰謀論を軽いスピを扱うみたいに無責任に流布する側に回るのは好きじゃない。(書き方は難しいけれど、陰謀論とされる側がやっていることとやり方が一緒になるケースもあると思うから。)

 

あんたは変わらない!と糾弾しても今まで変わらなかったんなら、同じことを繰り返してもそれはアインシュタイン的には狂気であるとしたら、じゃあどうする?

 

難しいです。簡単な答えに気が付くのが難しい。

 

「まずは自分が幸せになることで、その波動を広げましょう」という言葉を聞いたことがあるが、果たして本当なのかもわからない。なぜならそれがなかなか現実化しないみたいだし、他者を責める方が楽だし。

こういったことを波動論で語る方なら

そもそも糾弾することに幸せを感じるのなら、平和の波動が伝わるんじゃなくて、糾弾の波動が広がることになるんですよね? 言い換えて、争いの波動としてもいいですよ。

 

波動の話じゃなくてもですね、難しいですね。

本当はとっても簡単なのかな? わからない。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

余談 2

これまでの人生で時折目の前に現れる「カタカムナ」という単語。

私はこれについて全く知識を持っておらず、なにかちょっと聞いても頭に入ってこないし、当面特に研究する予定もないのですが、こんな100%素人の私的にビックリ情報を得たのでシェアします。

 

それはなんと、カタカムナって相似性を表しているというご意見。(◎_◎)

めっちゃ驚いた。

 

じゃあ、やたら「フラクタル」「相似性」「相似形」と書いてきた私はカタカムナ一派ですか?

 

久々のびっくり案件でした。

S KによるPixabayからの画像

もとい。動画シェアの意図

動画は、事象、出来事を「疑う」とするのか、「物事の良い面を見る」のかって意味でシェアしました。

もちろん他の考え方もあるだろうけれど。

 

余談 予定変更

今日、ヒトと合う予定でしたが予定変更になりまして、時間が空いたわけです。

ドタキャンで予定が変更になっても全然腹も立たなくて、じゃあ折角だからと暫く溜まっていた経理作業をしました。

溜めておいて確定申告の時に一気にやるのがストレスなんで今日処理できたのは非常によかった。

and ブログを書けました。

今日ご紹介した動画は、もう随分と下書きに眠っておりましたので今日ようやく仕上がりました。

 

こういった時は物事の良い面を見ると自分が楽ですね。

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素敵な人とは?

素敵なヒト

男とか女とか関係ない

とある女優さんが「素敵な人」はどんな人?

という質問に

「自分で自分を幸せにできる人」

と答えていました。

 

20歳を少し超えたおきれいな女優さんのこの答えに、

賢くて凄い!

と恐れ入りました。

 

そして、この回答は私の心にしっかり入った。

 

自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。

 

しかし、こういったことも双方の選択によって成り立つので、これらが成り立つということはある意味それを双方が自分のために選択していることになる。

自分の人生を好きに生きているとも言える時があるので、それを良いとか悪いとか決められない。

 

ただ、私個人が「自分で自分を幸せにできる人」という価値観が好きなだけです。

 

ElisaによるPixabayからの画像

MOMOさんもそんな価値観ではないだろうか?

こちらの ↓ ブログでご紹介したダンサーさんも似た感性をお持ちだと感じました。

運がよくなる。運を良くする。

 

賢さって?

いろんな賢さがあるなぁ と思う。

 

でも賢さってわかりやすい指標がないから、勉強とか知識とか情報とかの量みたいなもので判断したくなるんでしょうね。そうすると自分が安心する。

どこに属している?とか、ナニをやっているか?とか、ナニを知っているか?とか、ナニを支配しているのか?とか。

 

こういうことって、知識と知性って違うって類の話かもしれない。

そして、知性とお人柄って連動の仕方が似てるような気がしません?

随分前に他界した祖父はこういったことを「教養」と表現したのを思い出した。

 

あーでもない、こーでもないと考えたら賢くなるわけじゃなさそうで、以前私は「下手な考え休むに似たり」としみじみ己を振り返ったこともあるし、自分の「的外れの努力」に脱力したこともあるし、思想とか教えとかを無考えに取り入れてその後(なんか違和感が・・・・)とハタと気が付いたことがあるし、今は思い出せないけどいろいろあったと思う。

 

激流だ! 激流に飲み込まれた! と感じたこともあったが、あの感覚はもうありありとした体感として思い出せないです。ありがたいことに。

websiteproudによるPixabayからの画像

言葉はわかるけど、実はわかってない

20歳少し超えの頃に

「自分で自分を幸せにできる人」

という言葉はわかるし、想像もできるけど、「幸せってなんだ?」みたいなことってシンプル過ぎて体感としてわかってなかった。

 

ホント、いろんなものを探し求めて本を読み、映画もみた。

会話もした。

 

年月が経ち、「自分で自分を幸せにできる人」というところに今はいる。

 

先はわからない。

過去のアレコレは「自分で自分を幸せにできる人」への助走になった。

今日現在の結果として。

 

もちろんこの先はわからない。

 

じゃあ私が素敵なヒトか?と言えばどうか?

素敵かどうかはわからないけど、自分の人生を愛しているとはいえる。将来自分が「自分の人生を愛している」と感じるようになるとは想像できなかった。

 

今はこれで充分かなって思うし、多分自分の人生を愛せることを年月かかって手探りで求めていたのかもしれない。

 

 

「幸せってなんだ?」というのと同じで、「自分の人生を愛するってどんな感覚?」という未知の世界だったから。実はもともと自分の人生を愛していたけれどもそれすらわかっていなかっただけかもしれないんだけど。

そう、だから、先に書いた

”自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。”

というのも、今はこれらがその方が感じる「自分の幸せだ!」という価値観だってことだな~って思ったりもする。社会生活していたら、自分の価値観よりも他者の価値観に全乗っかりで良し!と判断する方も居るかもしれないし。

人生で知りたいこと、体験したいことの好みの多様性

ただ、私は別にナニモノにもなってないけど、もう全然ナニモノかになりたいなんて思ってないし、あぁ自分でいるっていいなって思ってる。

 

ただただ、今のこの心境がありがたいです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

私がなにをしたか?

いろいろあったんですが、自分のストレスケアをしました。

 

  • 例えばヒーリンググッズを身に着けたり
  • パワースポットに行ったり
  • 占ったり
  • 霊的なナニカを気にしたり、
  • 思想とか信仰とかを気にしすぎたり etc

というこれらよりは私は自分のストレスケアが良かった。

 

この方法が万人に合うかはわかりません。私には良かったですが。

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ロゴにホームページへのリンクを貼りました。

 

 

運がよくなる。運を良くする。

シルクドソレイユで働いている方

狭き門を通る

  • 私はシルクドソレイユの公演を見たいです。
  • ラスベガスにも見に行きたい! まだ日本でしか見たことない。
  • 同じ演目でも何度も見たい。

というファンです。

 

Eikoちゃんとも東京で公演をみた。幸せでした。

 

シルクドソレイユで働いている方。MOMOさん。

日本人で、担当はダンサーさんです。

やはりシルクドソレイユで働くということは狭き狭き門らしく(それはそうでしょうね。私の想像を超えてるはずです)、その門に入って現役で演者をされています。

 

で、この方のお話を聞いていると、運は自分で創って掴むって聞くことあるけど、こういう方がそうなんだな~って思えた。

自分の保ち方、自分の維持、継続への意識の向け方。

そんなことを感じたんですよね。

 

そして、観念や言葉だけじゃなくて、運を大切にするということを体感として理解しているから慢心しないというか、胡坐をかかないというか、甘く見ないというような気もしました。

多分こういったことも含めて、運を育てていくんだと勝手に感じた。

 

自分の機嫌は自分でとる

自分の機嫌を自分でとる。という言葉が広く流通して数年経ちましたが、そういう言葉を知る前から、概念を教わる前からやる人はやっている。

当たり前だから。

 

ということを実践している方が運をつかむような気がする。運以外なら「幸せな暮らし」を送りやすいような気がする。実践しても運がなかなかつかめないと感じる方がいらっしゃるかもしれないが、心がけている方の方がそれをしていないかたよりも運を掴みやすくて、運との距離感が近いような気がする。

 

運って、掴むことも大切だけど、その状態を継続することも大切だと思うし。

 

ということを実践されている方の動画で、20分未満なのでどうぞ見てみてください。

地に足がついたお話です。

 

本当に、お人柄って年齢関係ないな~って思う。

知識量とか、学歴とか、資格とか、年収とか、知名度とか、そういうこと関係なしに、お人柄の良い方とお付き合いしたいです。

幸せを感じるから。私が。

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「神秘的」 疑い方の1つ

神秘的なら「善きもの」?

まえがき

ヒトにはいろんな価値観があって、そのいろんな価値観がご本人を支えている。

例えば、憑依体質な方が何かしらのメッセージ(天啓やヒラメキetc)を感じた時に

  • 神秘=善きもの
  • 神秘=善きメッセージ
  • 神秘=正しい道しるべ

と信じたり、思い込むのもわかる。

 

何度も登場したとあるケースをまた持ち出して申し訳ないけど、とある人物がたった今聞いた他人の話を「(私は)ヒラメイタ!」と言った現場にいたこともあるし、この例に限ったことじゃなく意識的にも無意識的にも両方あるが、他者の何かをそっくりそのまま真似をしていても、当人が「自分のヒラメキ」と感じることもある。

認知とか脳も、発想ということも境界線があやふやです。

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すぐに天啓だから「善きもの」と信じ込まないケース

他に例をあげるのならば、

瞑想中とか、何気ない時でも、「光」が見えたとしましょうか。「光=善きもの」というルールって別に法則級のルールじゃないよね? なんて思っちゃうんですよね。

すぐさま、メッセージらしく感じたものを「善きもの」とするその純粋さが私にはないのかもしれない。が、私の場合の脳内処理としては「光らしきものを感じた=答えはない。」「光らしきものを感じた=そう感じたという体験があった」ということです。

そういう意味では「一呼吸置く」みたいなことでしょうか?

時として、現象と感情が癒着していないというような傾向があるのかもしれませんが、どうでしょう。

 

これは私が、映画とか小説とかでこれでもかと情報を得た「悪いもの(映画の中などはこれが悪魔なんですけどね)は善きもののフリをする」というお決まりのパターンを用いているんですが、これらを通して何かしらを「学習」したような気がする。「結論を急ぐな」という学習だろうか?

 

という私と似たような「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というケースに遭遇したのでご紹介したい。聖テレジアさんでした。

 

あ!私はこの動画内と同じ体験をしたわけではなくて、「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というこの動画の序盤のほんの一部分だけを指しています。

悪魔ですか?神様ですか?と問う大切さ

なにかと勉強になるこちらの動画をシェアします。

 

価値観があなたの「眼」と「認知」

良いとか悪いとかいう話ではなくて、あなたはあなた、私は私の価値観で環境、周囲、情報を見ている。聞いている。

 

文頭の話に戻ると、「神秘」みたいに感じることをすぐさま善きものと思うケースもあるだろうし、(いや、ちょっと待てよ。これは何かな?)と思うケースもあるだろうし。

 

お姫様とか、王子様とか、ちやほやと面倒を見てもらう立場を「愛されている証拠・量・質」とするとか、そういう価値観を広めたディズニーのプリンセス思考を「良くない」とする方もいる。フェミニズムというものの定義を恥ずかしながら理解していませんが、女性が庇護されることに「価値」や「愛」という条件というか、決めつけみたいなものを生んだことが罪深いと感じる価値観も世の中にはある。

 

下のイラストを差し込むと、それが「悪い」と書いていると捉えられそうですが、良いとか悪いとかじゃなくて、もうこの世の中の他のいろんなこともこの挿絵みたいな現象で成り立っている。

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しかし、子供の頃のその価値観を三つ子の魂百まで的に人生の価値観として一生を生きていく方もいるだろうし、価値観の変化が起こる方もいるかもしれない。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

価値観があなたの眼のフィルターを形成し、認知となる

「高次」という言葉で表現されるナニカが尊重されたり、価値があると表現されているようですが、高いとか低いとかで価値を決めている時点で、すでに「高次」とは違うと思うんですよ。

相変わらず、生意気なこと言いますが。

 

ですが、私が書くのは観念論なのでわかりづらいですよね、きっと。

と思っておりましたら、医師の方が「高次のエネルギー」というそれ自体を高波動とした場合、高波動というのは破壊力がある。だから、スピリチュアル系の方の言う「高次元」というのはその思想を科学的?に置き換えると、破壊がおこるエリアではないか?というようなことをおっしゃっていました。(危険と表現していたのかどうかは記憶がアヤフヤです。)

 

たしかに、高周波数でガラスが割れるみたいな実験あったな~って思いました。

 

これも思想のトリックというか、高い=良い みたいな固定観念で、高ければ高いほど優れているというような「高」という漢字だけで出来上がる価値観・認知なんですかね?

 

でも、この価値観により「魔境」に吸い込まれていく方が多いように見受けられるので、疑問にも思わない単純な思い込みって結構実生活に影響力あると思う。ポジティブな面もあるし、ネガティブにも作用するようにも思うけれど、人生は経験だ!と捉えるとポジティブもネガティブもない。

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予告と全く違う内容ですんません

ちょっと! 運が良くなるって話を書くって前回予告したよね?

あれはどうなったんじゃい?

 

と私も思っていますが、こっちが先に仕上がったんで先にアップします。

運が良くなるについては、ちゃんと下書きがありますんで仕上げてアップしますね。

 

最後にこれも神秘に加えてみた

そうそう! 補足しますと

  • ビビッときた! とか
  • 感じたことがない感覚があった とか

そういった感覚で愛の炎的なものが湧いたり、強烈な吸引力でくっ付いたりするケースってありますでしょ? スピード婚とか。

始まりや出会いがそんな感じで、そして永遠にHappyな方も居るとは思う。しかし、そうじゃない方もいる。

運命の人論信仰の方にご存じの方も居るかと思うが、「ニセ運命の人」みたいな位置づけの存在があるという思想もあるんですよ。

 

「運命の人!」と盛り上がった後、数か月なのか数年後なのかわかりませんが、えらい苦労したり、修羅場があったりして、「違った! この人はニセ運命の人だった!」と認知・解釈が変わる方も少なくないらしい。(伝聞)

 

神秘体験もいろいろだなぁ~というお話でした。

 

グルテンフリー

グルテンフリー

無理だと思ってた

以前も書いたけど、数年前までパン食メインでした。米は特に食べなくてもこの先一生いけそうだと思うほど米食の欲求が低かった。

 

ところが、医師の方が動画の中で

「診察の際食生活を聞くと、病気の方のほとんどがパン食らしく、余りに多いので看護師さんがパンを食べなくなった」って話してたのを聞いて

それまでも散々似たようなことを見聞きしてても(それでもやめられないから)と食べてたのが ピタッととまった。という事もすでに書いている。

 

この話の医師自身もこの話は伝聞っぽくて、ご自身の体験談ではないかもしれないのに。

 

あの時に脳にスコンと入ってきた。

 

食べないことはないけど、滅多に食べなくなった。

 

パンのようなものを食べたい

で、グルテンフリーとか気にしてる人口割合もジリジリと増加してそうな感じで、おかげで米粉パンとか米粉シフォンケーキとかの作り方も見つけやすいこのご時世。

お菓子作りの道具もなにもないわたしができることは、炊飯器を使った調理。炊飯器を使って米粉パン(またはシフォンケーキ)にトライした。

オール目分量。

1時間後、膨らんではいないが一応それっぽいものができた。

 

この一瞬は、意識高い系民に慣れた気がした。

気をよくしたのでまた作る。が、こうすればパンに似たものが食べられるとわかったのでやっぱりパン熱は再燃しなかった。

 

その他の雑記

我が家のPCの最後の時がまた一歩進んだ。

それとはまた別に、電源が入る事なく眠り続けていたモニターの機種が古いのか?私のやり方が悪いのか、スマホのミラーリングでやりたいことが全てできていない。が、この作業の途中で得た本命ではない方法で案外各種コンテンツが楽しめているので良しとしています。

という経験のもと、あれこれ検討したけどMINI  PC導入に決めた。

 

色々あって、引越ししたい!と切に願っているんですが、引っ越しするその時まで今のPCが持てばいいと思い込んでたけど、そんなの関係なくさっさと切り替えたらストレスフリーになるのにね。

引っ越しの時も荷物が少ないし。セットアップも早いし。

OkaynowによるPixabayからの画像

 

と、思いつつiPadを持ち出してお気に入りのキーボードとマウスを繋いで今これを書いている。土俵際の粘りを無駄に見せています。

便利な世の中になりました。ありがたいですね。

 

読書より、書籍案内の方が良かった珍しい体験

世の中のあちらこちらで映画も書籍も紹介されていますでしょ。私もする。

こんな私は中村うさぎさんが紹介されていた本も数冊読んだ。

その中の1つに「霧笛」という小説がありましたが、中村うさぎさんが「霧笛」を語る方が実際に小説を読むより良かった。

 

「霧笛」

https://dic.pixiv.net/a/霧笛%28レイ・ブラッドベリ%29

 

また、紹介されたものをどんどん忘れてしまうため、読むものリスト、観るものリストを作っています。その中から

「ブルージャイアント」を選び観てみました。アニメだったんですね。コミックがアニメ映画になったのも知りませんでした。

凄かった。

評価が高くて当たり前。

「ブルージャイアント」

https://bluegiant-movie.jp/#modal

 

 

小説を読んで音が見えたような気がした名作を思い出しました。

「蜜蜂と遠雷」

 

 

ちなみに中村うさぎさんが名作とおっしゃったのはこちらもあります。

読みました。

 

ということで今回は雑記になりました。

次回はテーマのある話題を書きます。

次回は

「運の強い人の特徴」 いや、「運が良くなる習慣とは?」について書こうかと思っています。

法則の使い方が悪い? どーゆーこと?

しつこい

皆さんもご存じの通り、私にはしつこい案件がある

そう! 私はこだわり脳やしつこさがめきめきと出てくる案件がある。

(あんたもしつこいな。もうええわ)と思うだろう。それもわかる。

しかし書く。

理由は、私がスッキリするから。脳内のアウトプットをすると自分がスッキリするから。

(こいつ しつこいな)という他者評価よりも、自分のスッキリを優先して書きます。今日も。

Oladapo OlusolaによるPixabayからの画像

法則なのに、「引き寄せられん。」とは?

手引書や広報マンの言う通りにしても引き寄せられん。

こりゃ法則の使い方が間違ってるんだな。

 

ってよく聞いた。

昔。

 

私も今ほど性格がねじ曲がっていない頃に、

  • 上手に引き寄せるコツは? とか
  • 瞬時に現実化する引き寄せマスターになりたい。 とか
  • 超早現実化の秘密のルールとかあるの? とか思ったよ。

 

だから、一応私も経験者の端くれではある。

だって楽できるならラクしたいじゃん。

瞬時にそうなってほしいじゃん。

強欲でもなんでも、そういう(どういう?)日本人が心の奥底で気にしてしまうことが案外多い修行的・修行思想的なことに抵触しないっていうルールっぽいからそりゃあ叶うんなら叶いたいじゃん。

 

というところが「引き寄せの法則」ループほいほいの扉に吸い込まれるヒトが後を絶たないことと関係してそうだけども。

 

さて、そろそろTakeda号がアクセルを踏みますよ。(笑)

PexelsによるPixabayからの画像

私のアクセルってこんな感じでしょうかね。(笑)

今日も今日とて、せっせと何やら考えてブログを書いておりますが、その後ろ姿ってこんな感じかも。

 

リンゴの落とし方が悪くてリンゴが落ちない?!

万有引力の法則が上手く使えないから、きっと法則の使い方が悪いんだ。

なんて言います?

そして出来ます? 逆に。万有引力の法則を使えないって(使わないって)。

 

トリック? 洗脳?

法則というネーミングのトリックのようなものがあるんですよね。(正しくは、「あるような気がします」です。)

 

できるはず! できるのがこの世の中のデフォルトだから。とその思想に執着させるトリックのような働きが。(この世の中のデフォルトだったらすんません。それなら私の書くことなど全部ピントがずれてる)

それを別名、洗脳って言います?

 

洗脳自体に良いも悪いもないのかはそれぞれの価値観によりますが、信仰だって洗脳ですよね?

救われもするし、嫌いにもなるし。

喜びも生むし、もめ事を生むこともある。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

法則って思想とか紐づかないのかもね

ただある。

理由は科学的というか物理的な「反応」「反射」で成り立っていて、そこと思想的なものを紐づけしすぎなのかもしれない。無意識のうちに。

 

リンゴが上から下に落ちるのに、「あなたの行いが云々」とか「因果応報」とか「鏡の法則」とか「波動がどう」とか「引き寄せ」とか関係ないよね? ある?

 

だから、引き寄せの法則を別の表現すると

「人間の思想・思考は意味・理由を作り出す」法則の一部だと言えるような気がした。これなら結構な状態を網羅できていると思う。

 

引き寄せの法則 < 「人間の思想・思考は意味・理由を作り出す」法則

 

こんな感じ。

 

法則の使い方が悪い云々 という思想や理由付けも含めて。

 

 

で、人間って、それらに(または ナニカに)「従いたい」という欲求もあるんですよね。

この辺りのパズルのピースの合致の仕方が非常に相性が良いのだろうと思います。

 

わたしだって意識的にも無意識のうちにも「従っている」し。

 

古今東西いろんな作品がこういった考え方を啓蒙しておりますが、古い映画でいえば「マトリックス」とか。

 

というところで、そろそろ法則云々の話も書き納めしたい。

今日は、

”リンゴの落とし方が悪くてリンゴが落ちない?!”

というセリフが思いついてしまったゆえに文章にしたくなったわけです。

 

よっぽどトンチの効いた表現を思いつくまではこの手の話はしばらくお休みしたいもんです。

が、先のことはわかりませんね。

S KによるPixabayからの画像

プチ旅 

離島にて

サイコー

いったいいつの話を書いとるんじゃい。という感じがするちょっと前の話。

 

沖縄本島から久しぶりのフェリーに乗って離島へ行きました。

薦めていただいた島へ。

 

行きかえりのフェリーはクーラーなどなくてももちろん室外の席が一番しっくりきた。

私の好きな乗り物は、1番は船、列車と飛行機は同列2位。と長年思っていたんだけど、買い替えたMy CAR が非常に快適で、My CARに乗ると今までの車の不快適さがあった分ものすごく幸せを感じてます。

 

苦しさの後に幸せが数倍に感じるという例の効果で。

Melk HagelslagによるPixabayからの画像

 

My CARは ↑ コレではないけどね。

 

知ってはいたが行く気はなかった

かつて、キネシオロジーの先輩のトーマさんがご存命中に多くの情報発信をされてらっしゃった中にもこの離島のことや歴史のことなどがありましたが、歴史音痴、スピ系なのかナニ系なのか、不思議系の話ももうほぼ興味がないので、これらの情報を見聞きすることはあっても、わざわざ足を向けない感じになっていたこともあり、故・トーマさんの情報類も目に入れば(へぇ~)という上澄みだけを眺めておりました。

トーマさんのファンの皆さんは歴史や地理やいろんなことにお詳しい方が多くて、もう全然話についていけないし、話に入りたいからと勉強する気も起きない私との距離がどんどん開いていくのを実感していました。

 

が、どころがどっこい

そんな私が1泊2日で離島へ行ってきました。事前情報ほぼ皆無。

フェリーの往復と宿だけ予約して、あとは全部現地で! と。

しかし、海に入れたら入りたいとだけ思いましたので、押し入れの奥からラッシュガードを引っ張り出し、これも海の仕事をしていた時に履いていた(何年前だよ! まだ押し入れに入れてるって凄くないですか?)ウエットスーツ生地のハーフパンツ、もっと年季の入っている水着だけはいそいそとリュックにいれて行きました。水着もハーフパンツも加水分解していないのが奇跡に感じるほど歳月が流れておりましたわ。

 

この離島で「〇〇へ行くと良いよ」と勧められた場所よりも、この海に入ることを超楽しみにしていた。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

バカほど楽しい

バカほど楽しいってこんなこと。

とにかく楽しかった。

薦めていただいて、行かないのもなんだし・・・という気持ちもあったんだけど、薦めてくださったリアルマスターヨーダに非常に感謝しましたし、

トーマさんが生前盛り上がっていたよな~

まさか私がこの離島にお邪魔するとはな~

なんていう他人事のような感覚でいたせいか喜び倍増。1000倍増。

Jill WellingtonによるPixabayからの画像

 

まさか今回の人生でまだこれがあるとは!

日頃の私なら離島内は歩いた。

もしくは1時間に1本の島内バスを併用したと思う。

しかし、島についてビックリ! 暑すぎた。

沖縄本島より暑いとは予測していなかった。

 

一緒に島についた他の旅行客は事前情報収集もおこたらないのでレンタカー屋さんにどっと集まっていたけれども、私はその風景もまだ意味が分かっていなかった。

徒歩圏内の宿にまずは荷物を預かってもらおうと歩いたのだけど暑すぎる。

ヤバイ。

 

で、なんだかんだとのんびりしちゃったんだけど、レンタカー屋さんが閉まるギリギリに間に合って(ということも後からわかった)レンタサイクルを借りようとした結果、レンタ原付バイクを借りたんです!

私は普通の自動二輪車はツーリングもしたくらいなんで乗れるんですが、原付バイクは1度乗って怖かったので人生で怖い思いをしたあの時1度しか乗ったことが無い。クラッチが切れないバイクは心の底から怖いから嫌い。

なのに

100年の時を超えて原付バイク。

レンタカーより風を感じることができる。そして、離島あるあるなんだけど、ほぼ車は走っていない。

 

借りたよ。

 

100年の時を超えて原付バイクに乗ったよ。

 

バカほど楽しかった。運転しながら顔がずっと笑ってた。一人なのに。

対向車の方は一人で笑って運転している私を見て怖かったかもしれない。

 

自動二輪車もましてや原付バイクも一生運転することはないだろうと思っていましたよ。

(もうないな~)って。

 

あったね。

 

私は今の人生の中で、(生きているうちは無いだろうな)と思っていたことが度々実現してきましたけれども、まさかまさかの現実化でした。

 

二輪車独特の風の感じ方や、空気の層の温度の違いとか、いろいろあるんですよ。楽しみが。

それを再び体験出来て幸せでした。

 

早朝いそいそと原付にまたがり、誰もいない海にも入りましたよ。

宿の朝ごはんに間に合うように、びしょ濡れでまた原付で宿に帰ってきてシャワーを浴びてクーラーの効いた部屋で朝ごはんをいただきました。

 

こんなこともバカほど楽しかった。

xxolaxxによるPixabayからの画像

写真はない

これらの写真はありません。

充電器とか念入りに準備したわりにはコードを忘れまして、帰りのフェリーがQRコード認識でバッテリー切れが何より怖いのでバッテリー温存のためスマホの電源切ってました。

 

薦められた場所は

で、オススメしたいただいた場所はですね・・・

サイコーでした。

 

リアルマスターヨーダに私が感じたことをまたご報告しに行きます。

私の感覚も変化してきたので

勝手な想像ですが、10年前に同じ場所にいても今回のようなことは感じなかったと思う。

5年前はう~~んどうだろう?

・・・・2024年の今が一番良かったように感じます。

 

七夕のお願い

七夕

短冊

自分が日本人だなぁと思うのは、七夕とか、短冊という言葉にロマンを感じるこの反応です。

星空とか、織姫と彦星とか、笹の葉さらさらという歌がありましたよね。

こういった季節事ってやっぱり好きです。たとえ自分は何もしなくても、参加しなくても。

そして本日は丁度ラジオの放送日に当たりましたので、そんなことも少しお話しました。

 

旅行で来沖中のご夫妻(12泊13日で来沖とのことでした)が放送中にお顔を見せてくださったので、良ければご出演ください!と放送でお話頂きました。まだ那覇も楽しんで、そして離島の阿嘉島でもスノーケルの予定とのことで羨ましい!

海で泳ぐのが好き、でもダイビングはなぁ・・・と思う方はぜひ離島でスノーケルしてみてください。素晴らしい世界が待っています。ただ、水中に潜るダイビングよりも、水面にいるスノーケルの方が事故が多いのでくれぐれも安全にお願いしますね。(元ダイビングインストラクターとしては海は必ず安全最優先でお願いしたいです。)

冒険、enjoy、チャレンジ安全ですからね。旅行なんで。安全に家に帰って旅行終了ですからね。

Jan VašekによるPixabayからの画像

 

難しい話

季節のお話などではなくて、私が過去に書いてきた「統計」「My統計」「自社調べ」ということについて、非常に賢い方が私の代わりに私が言葉にできなかったことを既に解説してくださっていました。

私が、なにかを見たり、感じたりしても、必ずそれが実現化するとか、未来が正しくみえるとか、思い込めない、言い切れないことについてです。メタ推理的といっても、これも統計ですよね。その統計の母数や、どういった事象を見て、どういったことをデータとして脳内に蓄積していくのかもあくまでも個人的なことですし。

ただ、結構な割合で当たるというか、当たるというよりも確率が高い結果を推測できるときがある場合も多いのかもしれないと感じたりしますが、でもやっぱり「そうならない」というケースもあるので変に予見力とか透視?とか予知のようなものができると思い込まずに済んでます。結果も確率的なものとして、(今回は違う。)と淡々とデータ集積している感じ。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

すると、私個人のメタ推理の当たる確率のようなものも把握できるような気がしますでしょ?

あくまでも、個人的に世の中にある相似形の図形やパターンが浮き上がってきたものを「ただ見る」という物言わぬ静かな世界の話ではあるんですが。フラクタル。物凄い数の入れ子の箱、マトリョーシカ人形が、エッシャーの隠し絵のようになって無限に繰り広げられて世の中は構成されているような気持になっております。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

 

予言

有名どころではノストラダムス、その前もその後も、スピ界も陰謀論界も予言がいつの時代も盛り上がっておりますね。で、こういった将来予知とか、特殊能力についてスティーブンキング先生の書籍があるんですわ。

私はスティーブンキングの小説に出てくる人物の背負っている悲しみとか、我慢、喜びや愛が好きでして、SFを書いているんですがとっても等身大、日常なんですよね。

そして、古い作品には私の心に刻まれたセリフが多く登場してきましたし、今回は私が感じる「実現しない、しなかった確率」について大きな回答を得ることができました。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

ベルヌーイ分布

それは「ベルヌーイ分布」です。

小説「異能機関」下巻 P342(ハードカバー)

 

エビデンスを例にあげますと、何かと言うとエビデンスの有無だけを論理の根拠にするケースもあるんですが、多くのエビデンスとは統計であって、確率論ということになります。(1つの事例をエビデンスと表現する場合も「あった」という確率になるのかな?)

よく医療などで使われる際のエビデンスは優位性を示した多くの値を切り取るわけですが、エビデンスとして用いたい値から外れる確率というものがあるんですよね。(どうやら私のこの記述の仕方は、ベルヌーイ分布と二項分布がこちゃまぜになっているみたいなので正しい概念は各自お調べ下さい。)

 

ですから、私は自分のメタ推理や予見が外れる確率も念頭に置いているというこの癖は確率論的には良い線いってるというか、(こんなん社会に出たら必要ないし!)と思っていた数学が案外脳内の思考癖には根を張っているようで驚いた次第です。

 

そう、そしてこの確率の変動(当たるか?外れるか?)に関わり合っているのが「時間」だということでした。

 

そうですよね。

 

原因と結果とか簡単に言うけど、いつのどこを結果として切り取るかで解釈が変わってきますしね。

yogesh moreによるPixabayからの画像

変数

これについてはますます数学的視点からはズレているのかもしれませんが、

先述した

”ただ、結構な割合で当たるというか、当たるというよりも確率が高い結果を推測できるときがある場合も多いのかもしれないと感じたりしますが、でもやっぱり「そうならない」というケースもあるので変に予見力とか透視?とか予知のようなものができると思い込まずに済んでます。結果も確率的なものとして、(今回は違う。)と淡々とデータ集積している感じ。”

という時にも、経過や結果という段階には「時間」が関係しています。

淡々とデータ集積している。ということにも「時間」が関係しています。

StockSnapによるPixabayからの画像

 

今日の結論

小説の中に、「変数を無視したり、考慮していないのは科学じゃない、ただの迷信だ」というようなセリフがあったはずですが、これらも含めて、ヒトは見たいように見て、聞きたいように聞くということだなぁと思いました。

 

というか、ヒトは見たいように見て、聞きたいように聞くという確率はかなり高いということになりそうですが、〆方としては大丈夫でしょうか?

 

皆様の生活と、私の生活がHAPPYでありますように(^^)

 

というか、そもそも私は書きたいことを読んでくださった方に伝わるように書けているんだろうか?心配です。心配ですが今日現在のベストは尽くしました。