トラウマって言いたくなるような体の記憶

強いストレスとその記憶

当時私が乗っていたダイハツ車がどえらいことになって、マジで大騒ぎになりました。

が、私の車だけがその役目を終え、他の車にも、近隣の建物にも、そして他人様にも被害が及ばなかったことは本当に僥倖でした。

 

昨日書いたことの続きを今日書きます。

節目の連続 これが人生?

トラウマと言われるようなことは「無い」説もあるが

書籍にも「トラウマなど無い」というようなものがありましたね。

なんだっけ?と検索したらアドラー心理学では「トラウマ」という概念を否定している。というような記事を見ましたが、我が家に今その書籍がないのではっきりとした確信がありません。申し訳ありません。

書籍がお手元にある方はぜひご確認お願い致します。

 

で、私の場合は、どえらいことになった経緯とか、現場とか、沈静化していく様をずっとそばで見ておりましたので、出来事の始まりから終わりまでしっかり体験した。途中、(このどえらいことが、もっとどえらいことになったらどうしよう)と本当に心配した。

たいていのことはそれなりに立ち会えるタイプですが、この時は命の危機が来た時の独特のドキドキや、個人では沈静化できない無力感を味わった。で、手が震えるとか、足が震えるとか、腰が抜けるとかは無かったんですが、骨の芯みたいなところに恐怖が入り込んだ感じがした。

大事故の発端主になる可能性があるってなかなかです。結果大事故にならなかったから本当に助かりました!

lisatenerによるPixabayからの画像

心体の記憶

東洋医学では風邪って「邪気」が入り込むと解説されていますでしょ? そんな感じで恐怖が入り込んだ感じがしたんですよね、体感的に。

 

で、この感覚が消えるまで、しつこくしつこくセルフケアしました。

今はもうストレス反応はおきていないと思う。(とりあえずここ1年以内に施術を受けた際に「邪気が無い」と言って頂いて、そのような「無い状態」が一瞬でもあったので、あのアクシデントの際に体に入り込んだような感覚があったものは少なくともその施術を受けた際はなかったんだろうとこれを書きながら解釈しました。)

 

あのアクシデントで味わった感覚を「トラウマ」と名付けられたら、(そうだろう)と思える。

あの感覚というのは「心体感覚」です。心体の記憶。なんだか自分の中心(または中心近く)に影響があったようなあの感覚。

 

ですが、別に名称にはこだわらなくてもいいので、「トラウマ」という作用?影響?は人間にはない。という学説があっても別にOK。ただ、心体が外的影響を受けた際のレベルによってはより深部に潜り込む感じを感じる人間が少なからずいるというイメージはある。

 

私はインナーチャイルドという言葉は使いませんが、子供時代の心体の記憶が成人になっても影響するとは思っているし。

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業界の方に話を聞いてもらって、その答えでスッキリ

車業界のことは素人ですが、(絶対アレっておかしいよね)と思った記憶はある。

知人に車業界の方がいて、事が終わった数年後?にお会いした際「業界の方にすみません、こんなことがあったんですがどう思います?」と話した。

お話しやすい方だったので正直に私の持つ疑問点を聞いていただいた。

 

で、業界の方から私の知らない常識などをお聞きして、自分の中ではALL完了した。小説「空飛ぶタイヤ」を読んでいただけに「車業界」と一括りに捉えていたけど、働いている皆様一人一人に顔があり、心があるということに救われたような気がする。

 

そんなこんなで、自己完了していたけれども、もう一段階完了した。

昨日の記事をアップする前に、(あぁ シルクドソレイユ 良かったよな~ あれが観られたものプレゼンツしてくださる企業ありきだもんな~)としみじみしたし。

 

という後日談でした。

 

皆様に健康と笑い声のある生活がありますように(^^)