予定を変更して、顕在意識について書きます

泡宇宙について書くと予告したんですが、1つ記事を書くと思考が展開してしまって、予定を変更してこちらの記事を先にアップします。

最初に感謝の気持ちを書きたい

松原先生

そして、私がとっても気にしていることは、治療体験記の「後日編」なので、要するに私が個人的に勝手に感じたり考えている通常モードのスタンスなのですが、タイトルに「後日編」とは書いているものの、「治療体験記」という頭をつけてしまったために松原先生にご迷惑がかかってしまってはイヤだな。と心配している最中です。

私は松原先生の治療で頭蓋骨の中全部透明感、中でも生まれて初めて感じた「目の後ろ解放感」を体験させていただきましたが、CBSの理念とか、治療方法については何も存じ上げないので、(もう治療・施術自体は終わったでしょ? ブログにあんなこと書かれたら困るわ~)とご迷惑でしたら記事を削除しますとはお伝えしているのですが・・・。

本間先生

それは私がキネシオロジーを学んだ本間先生も同じで、基本本間先生は受講生や弟子(HSKは師弟制度はないのですが)のような立場のような方達に圧をかけて叱ることも無ければ、大勢が要る中で「だからあなたはダメなんだ」というような面罵もしない。誰かを馬鹿にするようなことをおっしゃっているのを私は聞いたことが無い。

本間先生のお考えはいろいろあるでしょうが、私がキネシオロジー体験講座を自分でコンテンツを考えて開催していた時も、HSKで習った事を他の施術と融合させたりすることも自由にさせてくれている私にとっては本当に有り難い先生です。 もしこれが、枠に入れ枠に入れ、俺の言う事を聞け、俺がルールブックだというような先生とは私は本当に合わない。いやもう、本当に相性が悪いわけです。本間先生も先生自身のご意見はおっしゃいますが、でも、本間先生だからこそ、私が自由に推考し、もし先生と違う意見をコラムやブログに書いていても(オレ、そんなこと言ってないよな? しょーがねえな。まっいっか)と泳がしておいてくださっている感があって、実際にはほぼお会いしない(先生はLA在住なので)のですが、私が勝手に都合よく解釈して「自由に泳がしていただいている」と感じています。

 

私はいろんな面で恵まれているとしばしば感じます。 色んな方が私に対して、コラ! と言いたい時もあるだろうとは思うんですよ。そこをあえて自由にさせて下さって、私の個人研究を見守ってくださる先生方に恵まれているということにただただ感謝しております。

ありがとうございます。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

心配する事なかれ

潜在意識が仮に煩悩たっぷりだとしても心配する事なかれ

理由その1 ただの一個人の仮定

潜在意識が仮に煩悩たっぷりだとしたら? というのは私のただの仮定の話だからです。

貴方が(そんなのは違う!)と思われるのなら、それを信じればいい。

もし、え!? 今まで信じていたことは何だったの? とグラグラするのでしたら、自分なりの考え方を再構築してまとめたら良いだけですよね(^^)

理由その2 ずっとそれでやってきてる

前回の記事を仮定として展開していくと

潜在意識が本当の自分。というのは逆に正しいというまたまたシュールな気づきがあった。

 

それをおっしゃっている趣旨とは違ってきますが

ヒトには煩悩デフォルトとなると、

潜在意識に煩悩があるのもデフォルト案とピッタリ一致してしまう。そして、どうやら顕在意識ウソ説を唱えている方は、煩悩(欲?)=嘘 という立ち位置なのかな?と気がついた。

 

すると、この考え方では

顕在意識も嘘をつき、潜在意識も嘘をつくというトンデモナイ パンドラの箱オープン案件となる。

 

しかし、なんだかんだこれでやってきてる。これで「うまくいった!」「願いが叶った!」と感じている方も多い。

顕在意識も嘘をつき、潜在意識も嘘をつこうが

顕在意識が本当で、潜在意識も本当でも、

これらの組み合わせが様々でも、

仮定がどうであろうと、結局のところこれでやってきている。なんだかんだおさまっているってことですよね?

 

ただ、自分が受け取りやすい(受け取りたい)考え方をチョイスしているだけで。

多分、これこそ各々が顕在意識や潜在意識でチョイスしているんだと思いますよ。信じたいものを信じるってそういう一面を指していると感じます。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

理由その3 逃げ道もある

しかし、従来からお伝えしている

一応私がしっくりきている

潜在意識と顕在意識は両輪の輪

ということでは、別に全然パンドラの箱案件にはならない。

 

なぜなら、私の場合はストレスケアがメインでして

ストレスを感じやすいのが顕在意識と潜在意識のアンバランスによるとするならば、この2つのバランスを整えるという趣旨だからです。

 

どちらも煩悩まみれだとしても、2つがバランスが整っていたら

生きづらさ

みたいな感覚は少し楽になる。

なんなら、その煩悩を逆にバネ板みたいに利用してジャンプできる。

 

修行思想風味の煩悩撲滅運動には今現在興味がないので、私はこれで良い。

 

運良く与えられた生命を、自分なりに生きていける。周りに流されるのもそれが自分なりかもしれないし、損するほど頑固でもそれも自分なりの人生。幸運のヒロインも悲劇のヒロインも自分なりの感性で創造していける。

教えや法則ありきで、その枠の中に生きるのも人生。その枠の中で優秀と褒め称えられたい渇望があるのも人生。

 

ただ、こう言ったことを考えるのは顕在意識だとは思う。

上野和人先生がFacebookに、「思考は人生です」と書かれているのを拝見して、なるほど!と思った。

そうか、顕在意識って、それを「人生」と変換できるもんだなぁって。

 

自分なりに理解した教えや法則という枠に従った人生もあるし、そう言ったものを自分なりに考えて構築していく人生もある。

 

しかし、顕在意識ウソ説では、人生がウソになってしまう。

これは悲しい。

私は潜在意識が煩悩まみれだと考えても特に悲しくはないが、自分で考えている人生がウソだと言われる方が悲しい。もしそれが不本意だと感じていたとしても、大切な人生には変わりない。不本意ななりに精一杯やってることもある。

 

考えは出会いや時期によって変化していく。

私も変わってきた。

ものすごく考えたりしたけど、今が人生で一番しっくりきてる。

独特の生きづらさ感も今はない。

 

それは1つに、

自分が囚われてる枠(思想や価値観)などについて、顕在意識で考えて、気づいて、顕在意識でストレスケアする箇所を考えて、顕在意識、潜在意識のストレスケアを行なってきたことも大きい。

そして、今の私は、今の私がウソだという寄る辺なさは感じていない。

多分これが潜在意識と顕在意識のバランスがおおむね整っている状態ではないかと思っている。

 

だから、煩悩の有無は気にならなくて、機嫌良く過ごしてる。

 

あってもいいし(有るだろうし)、なくてもいい。という事は、「煩悩」という思想に興味がないという状態なのかもしれません。 (違う意味で煩悩から解き放たれたか?(笑))

 

今書いて気がついたのは、

これは、この状態は、はるか昔の私が渇望して、顕在意識総動員でめちゃくちゃ考えた結果でもあることを。

認知して、考えて、行動修正や考え方を修正していったチリツモ(地理も積もれば)でもあります。その時感じていたストレスをケアしてきたことが、気がつけば花が咲いて実をつけていた感じ。

 

Lucky!

NickによるPixabayからの画像

 

最後に

冒頭で先生方に感謝の気持ちを表したので、今回の最後は自分に感謝したい。

過去の自分よありがとう。

今の自分ありがとう。

未来の自分ありがとう。

 

こんなことが素直に思えるときが来たことが本当に嬉しい。

皆様、ありがとうございます。