信じているもの、信じていたものは変わる

第一人者だって変わるんだよ

いさぎいい(潔い)

スピリチュアルや、ニューエイジについてさして詳しくない私ですら

ニューエイジを牽引した人物というとこのお二人が直ぐに頭に浮かぶほど著名人。

奇しくも海外と国内1名ずつ。他にも著名な方は多いと思うが、私の脳内にはこのお二人が巨頭としてインプットされた以降情報更新されていません。

  • ドリーン・バーチュー氏 カウンセリング心理学博士
  • 船井幸雄氏 船井総合研究所(船井総研グループ)創業者

 

ニューエイジとは?というそもそもの正しい意味を知らないままに使っている言葉です。なので自分が感じているニュアンスで使ってしまっています。

 

そして、まさにこのお二人は「とある思想、ニューエイジ界を牽引してた」と個人的には思ってる。というか、この2人が発信したからこそ多くの人たちが疑わずに受け入れたし、信じた。

そして、こういった流れから派生した様々な思想や法則(と伝え聞いたモノゴト)は多岐に渡り、亜流、伏流、支流と元々の所(出所)がもうわからなくなってしまっている。それはニューエイジに限らず、歴史ってそういうことよね。と個人的には分類しています。

 

そして、このような「ニューエイジ界を牽引」されたようなイメージがあったお二人ですが、故船井幸雄氏は没する前には「スピリチュアルとかそういった事に現を抜かしていてはいけない。しっかりしなくてはいけない。」とおっしゃったというあくまでも伝聞を目にした。

そして、ドリーン・バーチュー氏も今まで薦めていた思想や観念を現在現役で「違う」とおっしゃっているそうだ。(こちらも伝聞というか、情報)

不思議なのは、ドリーン・バーチュー氏については、「信仰上の理由で」考え方を変えたとアチコチで紹介されているようだけど、その書かれ方に「思考が不安定になった。」「おかしくなった。」「自分を見失ったと言わずに信仰上の理由と書いてみよう」とでも思ってる?と勝手に受け止めそうなニュアンスを感じたりもしたけど、簡単に書けば

  • ヒトは変わる
  • 信じていることが変わることがある
  • 信じてきた事が変わることがある
  • 本当だ、正しいと思っていても、違っていたと変化した自分を認めることもある。

というだけなんだけれど、著名人がゆえ、影響力が大きかっただけにそう簡単にはいかないこともあるのかな?

 

yogesh moreによるPixabayからの画像

 

ドリーン・バーチュー氏が自分で生みだしたものを「嘘だった」と言っているのに、信じたい側は「嘘だと言うのが嘘だ」「嘘だと言いだしたのは精神が不安定だから」みたいに反応して、信じていたものを放棄するのを嫌がるという現象もなんだかシュールなような気もするが、これらに本当とかウソってあるんですかね?

どう思われてもいい。自分の信念を発信する。

しかし、理由や、本当のところは分からないが、

  • 船井幸雄氏
  • ドリーン・バーチュー氏

は、言葉を濁さずに、それを潔い(いさぎよい)と感じるほどに長年の前言を撤回したようです。

 

科学も用いていたけれど

私が、(あくまでも個人的に)「メッセージ云々を得て、なんになるんだろう?」と針が振り切ったことと似ているのだろうか? 今の私の答えは、「ナニになるのか?」という自問には「それはヒトによる」と当たり前のところに着地しています。

それで元気になるヒトもいるだろうし、依存するヒトもいるだろうし、心の安心を得るヒトもいれば、不安が増す方もいるだろうからヒトそれぞれですよね。

 

私のつたない理解では、船井幸雄氏はスピリチュアル的な現象や思想、ニューエイジに類するアレコレについて科学的根拠の証明などもおこなっていたように思う。

「だから本当なんだ」という主張であったろうと思いますが、船井幸雄氏も針が振り切ったんでしょうかね? 最後には「そういうことを大切にしていると、もっと大切な事を忘れる。見失う。」と言いたかったのかな?と思えてしまった。その本意が、終末時計的な意味なのか、はたまた他の理由なのかは私には不明です。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQ

ちょっとした人数でも牽引するって、IQやEQや様々な能力(SQ・AQ・CQなど)が高いかと思うんですよね。そういった「牽引する」ことに価値を置くケースって珍しくないというか、多いと思うんですが、そういった能力が高ければ、全てを最初から見通せて間違えない訳でもないんでしょうね。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQと「人間性」が連動するという思い込みは危険ですが、やっぱりバイアスがかかっちゃうことが多いみたい。

 

それに、自分が信じてきた事に違和感がわいてきたとしてもその変化に素直に従うのも難しいのかな。違和感が湧く事すら感じる事を拒否することもあるようだし、アレ?!と思ったらその不安を打ち消したくて信じていることが正しい!という理由が欲しくなりますしね。

なんでも最後まで貫くのが偉人。というわけでもないんでしょうね。 自分が価値を置いていたものを間違いだと認めたり、公表したりすることって勇気が必要? メンツが潰れると思うと恐怖を感じる方もいらっしゃるようですし。

 

お腹いっぱい

私は、ドリーン・バーチュー氏や船井幸雄氏と比較にならないほど早くこういった事にお腹いっぱいになる傾向のようで、針が振り切るのが早いみたい。

しかし、私はこういったことにお腹いっぱいになるのが早くても、

  • 目の前のこと、
  • 自分がいる環境で起きている事

についてデータ収集かのように脳に収めてしまうことに対しては全然お腹いっぱいになってない。

それは「人間について考えること」が好きだからだと気がつきました。

 

それがいったいナニになるの?

  • そんなこと考えてどうなるの? ナニになるの?
  • ストレスケアに意味なんてあるの?

と言われたこともあるし、「考えてどうなるのか?」は確かにそうなんですよ。

 

傍から見たら単なる「こじらせ」でしょうね。(笑)

 

好きだから、やらずにいられないからやってしまう。という事であれば、私が数回前に書いた記事「教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣」に書いたこれら

 

そして、古来より

  • 貝殻を投げてそこから吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 炎の変化から吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 天候
  • 水紋
  • カード
  • 花びら
  • 天体 などなど

ずっとこの手のことを行っているわけですよね。メッセージを得たいから。

も同じでしょ?

 

そう、結局のところ、意識していようが、してなかろうが、

  • どう生きていきたいか?
  • どんな価値観で生活するのか?

というだけなんですよね。

 

「考えたから幸せになるのか?」なんてことは私にはわかりません。

かえって、アレコレ考えない方が幸せかとも思うんですが、元々って本当に元々で、もう子どもの頃からの私の個人的な「研究」みたいなことですので、ただ単にそれが、メッセージ云々を得るとか、誰かついていくヒトを設定するというようなことじゃないだけなんですね。

もうすでにあると設定されている答え(例えばよく使われる「真実」とか)を知りたいんじゃなくて、自分の答えみたいなものを考えていくという感じなんです。だから、その私個人の体験や経過が「すでに答えがある」と言われたことと一致することもあったし、「すでに答えがある」という物事のその先もあるような気がする事も多い。

 

だから、まだお腹いっぱいになっていないのかもしれない。

真実を知りたいわけじゃないから、お腹いっぱいにならない限り終わりが無い。

 

勉強して何かを習ったり、学んだりということも私なりにしてきましたが、それはそれ。

自分なりの検証とは、目の前にあると感じるアレコレをMyデータ、自社データとして納めていくからできるような気がしてる。

ということを何度も既に書いています。

 

脳に収めたデータの発露方法として、「相似形」「フラクタル」という表現を用いました。

 

世界が「色」で見える方や「曲」や「数字」で見える方がいるという書籍などもあるが、私の場合は「図形(立体図形が一層好み)」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向もあるということを大人になって理解した。

フラクタル理論は物理か? 化学か?

 

野性性が発動しているのか?

David MarkによるPixabayからの画像

 

虫は苦手だが。

 

機械的な脳? 反応?

人間観察っていう言葉がありますよね。

私に

「図形」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向

があるというのがあながち間違っていないとしたら、そこには「観察してみよう」という意図、意識は邪魔な気がする。

体験データとして様々な「人間性」を脳内にストックしていっているのなら、そのストックしていく際に「先入観」って無くて良い。そして、自分の意識がしっかりしていないと目の前の出来事も見えない。見えてこない。聞こえない。入ってこない。場合によっては自分が何を基準に行動する(したい)のかもわからない。

 

ある面では、私は非常に機械的に脳を使っているような気がするときがあります。

 

私もとっても変化した

私もいろいろ変わりました。

好みもどんどん変わります。変わらないこともありますが、歳をとって楽になってきて助かっています。

今後も変わることもあるに違いない。

新発見も初体験もあるでしょう。

 

みんな一緒ですね。

続>教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

主旨を忘れちゃいけないよ

続>教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣 助走

久しぶりにブログの更新頻度が上がっております。

本日は この↓ 記事の続編です。

 

教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

時間が空いた間に主旨を忘れちゃう危険性を感じそうです。ただですね、この続編を書く間の時間にしみじみと感じたのは、私自身の変化です。ふと、昔の自分にはなかった感覚が今はそれがデフォルトになっているなぁ。根底が違うなぁ と有り難くて胸がいっぱいになりました。

伝わりやすい表現を探した時に、「報われた気がする」という言葉が浮かびますが、これも100%しっくりきていません。報われたって書くと「過去との対比」とか「過去の自分の苦労」みたいなことの上に成り立っている感じがしませんか? 今の私のこの感覚には、そういう過去の自分に対する意識は関係なくて、「ただただ今が有難い」という感じなんです。

過去はどうでもいい、未来もわからない。「ただただ今が有難い」。

という本日のブログの助走でした。

正しく生きたい。とか、修行とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたい

多くの場合の

”教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣”

の根底にあるものは、正しく生きたい。とか、修行(したい、しなきゃいけない)とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたいというような欲求や反応、反射がゆえとも言えないだろうか?

 

だから、

  • 間違いたくない。
  • 格好悪いことはイヤだ。
  • 失敗したくない。
  • 出来が良いと認めてもらいたい。

からこそ、

”教えてもらいたい!安心したい!”

 

そりゃそうですよね。私だってそうですよ。

 

でもね、”教えてもらいたい!安心したい!”ばかりですとこんなことになりかねない。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

これって、良さそうなものも、ヤバそうなものも、構造は一緒。

一見良さそうなら、フィーリングや無考えでついて行ってもOKってことでもないし、いかにも良さそうでも何も考えずにいてもOKってことでもないみたい(だと私が感じるだけですが)。

当たり前ですが、私達は見たいように見て、聞きたいように聞きますから、「安心したい!」と熱望すると、いろんなものを「安心させてくれるもの」として認知してそれらに「教えて教えて!」と手を伸ばすだろうし、信じたいから信じるし、酔っぱらいたければ酔っぱらう。心酔する。

 

良さそうなものも、ヤバそうなものも、構造は一緒なので、多分人間とはこのような反応や反射をして生きていく生物なのだろうと思っている。

 

「判断」という反射

なにかを見たり聞いたりしたら、瞬時に判断し始めてる。

この判断が、

  • 反射タイプの方と、
  • 反応タイプのケースと、
  • 意識してそれらを遅らせることができていると信じているタイプと、

いろいろなケースがあると思う。もっともっと他にも書けるのかもしれない。

ここに例えば先述した

  • 間違いたくない。
  • 格好悪いことはイヤだ。
  • 失敗したくない。
  • 出来が良いと認めてもらいたい。

という要素が掛け合わさると、脳内の反射も反応も無限大だ。無限大なんだけど

”正しく生きたい。とか、修行とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたい”

みたいな欲求に グルン っと回って戻ってくる辺りは非常にシンプルなようにも感じるし、

それが

”教えて!安心したい!”

を叶えるために行っているつもりの習慣にも繋がるのですね?

 

そして、それらの行動がまた不安や依存や中毒という次なる思考、行動に繋がることも全然少なくないというまさにマッチポンプ。

 

これは困ったものだ。と思ってみたり、私達人間の基本習性だと思ってみたり、愚かさだと思ってみたり、愛おしさだと思ってみたり様々です。

わたくしもこのような中で滑ったり転んだり起き上がったり、笑ったり泣いたり喜んだりしております。(笑)

 

寄る辺なさ

基本自分を明け渡したい願望があるのか?

依存願望みたいなものがあるんでしょうね。

「寄る辺ない」という言葉があるように。

修行系って正しいナニカの教えに沿って「ナニカ」になりたいのかな?とも思うし、

メッセージ云々も、「ナニカ」に従うというか、従いたいというか、「ナニカ」に決めて欲しい、自分は楽なまま良き方向へ導いてもらいたいというか、そういう一面もありますか?どうですか? (モノや数字、カードなどからメッセージ云々を得ることはラクにできる?から欲しいもの(安心?)は手に入る。そのあとの行動となるとカロリー(熱量)が必要ですか? いや、チャネリングって体力使うのよとおっしゃる方も居そうだ。そういう意味での「ラク」や「熱量」ではないつもりなんだけど。)

 

または、そのメッセージを発していると想定している側の一員になりたいというか。(神か? 天使か? 龍か? 大いなるものか?) メッセージを発している側と繋がっているという安心感が得たいとか。(チャネリングってそういう要素ありますか?どんな感じですか?)

 

小項目のタイトルに、「基本自分を明け渡したい願望があるのか?」と書いたのはこれらを考えたからです。

 

善いとか悪いとかじゃなくて、人間の行動様式を検証してみると?というだけです。

 

セッションや体験講座(今は行っていませんが)では利用していません

こんなこともちょっと気になったりしたので、数年前から私はカード類やメッセージ云々というものを私のセッションや体験講座(今は行っていませんが)では利用していません。

ストレスケアをしよう!と言っているのに、自分を明け渡して安心を得るという要素って少なくともセッションや講座では要らないなって思った。

 

メッセージ云々を楽しいと感じるその感覚もわかるので、その辺りは個人で楽しまれるだろうから、あえて私が後押しする必要もないかなって考えました。

 

どこを「結果」とするのか?

終末時計という考え方があります。

最初にこの言葉を知ったのはいつだっただろう? 思い出せません。

終末時計の考え方や計算式が正確じゃないことを願いますけれど、未来のことは私にはわかりません。

 

ただ、私達人間の思考、行動様式の結果の1つの現れが「終末時計」でもある?

太古よりメッセージ云々を得てきた事と、その結果が「終末時計」で表現されている事柄ように書くのも先導、扇動、洗脳にもなりますから、私のブログも内容がどうであれ、このような意味を含んでいる。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

ということをちゃんと書いておきたいのですが、

「良くなるように」とメッセージ云々を得てきた結果というか、それらはナニを良くしているのか? 悪くしているのか? 「終末時計」的なことも「あるがまま」ではあるんだろうけれども。

 

こんな難しいことを書き始めたところで、結論を出せないので申し訳ないし、「モノは使いよう」と書くと差し障りがなさそうですが、我ながら全然しっくりこないです。

 

というこの辺りまでが、「今のところの結論?」と眠りながら考えていたことに文章で肉付けした内容です。

 

人生を満喫

いろんなことがありますよ。

ツラいこともある。

心が温まる瞬間もある。

 

人生を楽しもう!と聞くと、(こんなにシンドイのに楽しめないし、楽しくない)とイラッとするような時期があったりする。

酸いも甘いも体験するしかない。と思えればどんなにラクだろうか? そこまで開き直れたらラクだよね。こういうことを「胆力」と言いますか?

胆経をバランス調整したら胆力がつきますか? 鍛えられますか?

 

人生を満喫した結果が「胆力」になるんでしょうか?

 

「胆力」はメッセージ云々で鍛えられますか?

 

答えはないですが、わたし個人は、酸いも甘いも体験して(するしかなくて)、自分なりに一生懸命考えたつもりになって、それが栄養になって胆力になるような気がしています。

わかんないです。正解は知らないです。自分なりに答えを出していくというような感じかも知れない。

昔は、答えや正解を知りたい!ということが先だった。今は正解はともかく、自分なりに答えや傾向を考えていくというように変わった(ような気がする)。

 

それが、今を生きている。ということなのかな???? という感じです。(答えは知らない)

教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

年中閉店セールのような内容です

立ち上がるんだ!ジョー

昨日、なかなかの量の文章を書いて、ここのところ、ブログアプリが優秀なせいかバックグラウンドで自動保存機能が働いており(消えた!(泣))とショックを受けても、あ!そうだ!ひょっとしてセーフティーネットが働いているかも!と確認すると、大抵残っていたものですから、昨日はセーフティーネットが無くて墜落したような感覚を久しぶりに味わいました。

 

こんなに綺麗サッパリ消えるかね?というほどな~~~んにも残ってなかった。

白紙でしたわ(苦笑)

lisatenerによるPixabayからの画像

 

そして、矢吹ジョーのように立ち上がりました。わたくし。

今日も出かけるので、書けるところまで書く!

年中閉店セールのような内容

私の書く内容は、いつも同じような事ばかりでして、ちょっとずつ例題が変化したり、ちょっとずつ私なりの理解がすすんでいるため、前よりは(ほんのちょっと歩がすすんだ。ほんのちょっとなんだけど)という体たらくです。

そして、今日はこちらのブログの続きです。

変化をどこで感じていたのか?

特に、この中で触れている「メッセージ云々」という内容だけをもう少し書き進めます。

 

もう書かない。もう書くのを終わる。詐欺

ですから、過去にホームページのコラムにも、過去の様々なブログでも

”「メッセージ云々」については散々書いてきたからもう書くのを終わる。”

としょっちゅう書いてる。これはもう年中閉店セールをやっているお店と同じです。

”もう書かない。もう書くのを終わる。詐欺”

と言われても言い返せません。なので急に開き直りましたので、

「今後も何度も何度も書くぜ!」と宣言しておくことにした。

 

そして本日書くのは、過去に考えた事と、最近書いたことの線が繋がったことについて。

ドリーン・バーチュー氏について触れた過去記事からスタートします。

外からのメッセージ? 自分の考え?

考えるチカラ。考え抜くチカラ。

考えるって、ヒトによっては難しいし、メンドウだし、考え抜くなんてシンドイし。

考えているつもりでも、ただ同じ思考が小さくグルグル回っているってこともある。「考え抜くってどんなこと?」という質問をされたら、それを質問している側にわかりやすく説明できる方っているんだろうか?

だから、正解とかそういったことは私には何も言えなくて、私が感じるニュアンスのことしか書けないし、感じられない。

 

ただ、以前(2019年)に上のコラム「外からのメッセージ? 自分の考え?」を書いた時に、ドリーン・バーチュー氏が、

”「今はあれらメッセージはサタンの声でした」”

と言ったとか言わないとかについて触れましたが、自分がブログ「変化をどこで感じていたのか?」の中の メッセージ依存 という項を書いた後(あぁ あれってこんなことかな?)と思ったことがありました。

寝ながら考えてる?

寝る時はしっかり寝たら良いと思うんだけど、寝てる最中に思考が進んでおり、寝ている最中にこのブログに書く事と今のところの結論まで決まった。睡眠障害か? 潜在意識に敏感なのか? 気のせいか?(笑)

 

寝ている時に、(あぁ そうか。)とその瞬間意識が浅く戻ってきた事は、

今はあれらメッセージはサタンの声でした=(イコール)考えるチカラを失う。

という意味だったのかな? でした。

 

この一瞬のあとはまた眠りましたが。

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

なんでも使いよう

なんでも使い方次第かとは思います。

自分の人生の構成物を好きに選んでいるんだから。

 

そして、古来より

  • 貝殻を投げてそこから吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 炎の変化から吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 天候
  • 水紋
  • カード
  • 花びら
  • 天体 などなど

ずっとこの手のことを行っているわけですよね。メッセージを得たいから。

 

で、また寝ている最中にふっと意識が覚めた時に頭に浮かんだのが

”当たっても、外れても、それが一体なにになるんだろう?”

でした。

 

これはブログ「変化をどこで感じていたのか?」の中の、「これがナニになるの?」「これを知ってどうなるの?」と書いた意味です。背景というか経緯と言うか。

時間軸は前後しておりますので、寝ながらもう一度最初から考えて居たんでしょうかね?

 

余談)

こんな現象も、脳内に時間が無いと考えるとめっちゃ面白いですけどね。今日はその面白さを表現しきれないので書きませんが。

 

それが一体なにになるんだろう?と考えた理由

私も自分で、『意識のチカラで「断ち切る」』と決めて実行する前は、占いの本を数冊覚えるくらいスラスラと頭に入っていましたし覚えていましたし(今でも頭の中の倉庫に入っているけどあえて出さないようにしている)、1年に1度か数度、その年の「感じ」を聞きに占いを利用したりしていたし、オラクルカードも持ってた。こんな性格だから、オラクルカードはあっと言う間に押し入れに入れっぱなしになったけど。

キネシオロジーの体験講座の際に「面白い」から使ったりしていた時期もありましたが、やっぱりそれもやめていった。

カードとかメッセージ類の一切を辞めた理由をしいて書くのなら、私の考えているキネシオロジーを利用したストレスケアと「カードのメッセージを得る、見る」ということが矛盾してると思うようになったから。既に書いたけど、「これがナニになるの?」「これを知ってどうなるの?」と頭に浮かんじゃったから。

あくまでも個人的にですが、メタファーとコレは違うよね。と考えたみたい。じっくり考えたわけじゃなくて、自分の違和感に素直に従っただけなんです。

だから、あくまでも「個人的」にそうしただけ。

”メタファーとコレは違うよね”

と考えたポイントは? と自問自答してみると・・・

 

そうですねぇ・・・質量でしょうか?

出所(でどころ)・由来みたいなものとか。

電気の質というか、構成している素粒子の質というか。

 

健康的かどうか?と書くとまたちょっと説明が難しくなるんですが。

 

やっぱり感覚的なものでしかないんですけれども。

 

オラクルカードなどは、絵柄や図柄も写真?も綺麗ですし、メッセージと称される言葉も優しいし受け止めやすい。他にも可愛いカードも多種あるし、有り難い系なども含めて沢山あるんですよね。見た目も言葉も一見申し分ない。

私はへそ曲がりなので、それらの底流になにか引っかかるものがあるようなんです。底流、構成エッセンス、それらを取り入れている人々のその後の変化とか。

 

そう、メッセージ類を得たその時の高揚感というか、安心感というか、一瞬はONにはなるけど。(一瞬のONで良いのなら何もメッセージじゃなくても良いし。というか、一瞬のONで良いのなら、意味づけのないシンプルなモノの方がかえってコジラセなくて済みそうってことはある?)

そのONは、OFFの中のONだとしたら、どうやって解決していこうか?

 

 

私は素直な時はバカほど素直なのに、こんな時にはヤケに頑張っちゃう。押しても引いても動かない馬、牛、犬みたいに。(笑)

だから、あくまでも武田個人の好みの話です。個人の感覚の話。

幸せの感じ方や、どう生きていきたいかは個人の好みだし、私の記事に影響力がなくて、メッセージ云々をお仕事にされている方のご迷惑にならないと良いな。(まぁ そんな影響力などありはしないが)

 

次回へ

すんません。

時間切れです。

 

一旦アップします。

文章や文字などが間違っているところは、追って訂正します。

初めて機内販売グッズを買いました

泣いた。

久しぶりに、なかなかの量を書き進めていた記事が消えた(T_T)

そろそろ下書き保存をしておこうと思い下書き保存ボタンを押したら・・・できなくて(号泣)、(いや、自動保存機能があるから!)と号泣したい気分から立ち直って記事一覧を見たら・・・・無かった(本格的な号泣 _| ̄|○ )

 

もう今は書く気が失せたので、下書き保存していた他の記事(この記事)を先にアップします。

生まれて初めてはまだまだある

コードシェア便

過日、名古屋と沖縄を往復した。

沖縄へ戻る時はソラシドエアとのコードシェア便だった。

 

ANAを予約して、コードシェア便になるとちょっと残念な気持ちになる。

だからピーチ航空とのコードシェア便は避けた。

しかし、過日のこの日は、時間的に都合が良くて予約した便が、ソラシドエアとのコードシェア便だったことを忘れていた。

 

ソラシドエアは過去の搭乗の際は良い体験記憶と結びついていたけれど、ANAが搭乗する便によっては映画が見られることを知った後は、(あーあ 映画は無理だな)と思っていた。

 

搭乗したら、その時を楽しむ

私の単純さが非常に善い方に作用すると、(あーあ 映画は無理だな)と思った瞬間に見事にあきらめて、映画のこと(無理な事)をさっさと忘れてしまえることです。

 

そう! 執着とかある出来事もあることはあるんでしょうが、ほぼ

あ! そう!

とこだわらずに次へ行ける。

今、目の前のことに意識を向けられるというか。

 

一種「今を生きる」系と言えばそうだけど、あくまでも「一種」だけどね。

 

で、実際にソラシドエアに乗ったら、CAさんも親切だし、機内で自己満足しながら過ごしていた。

 

機内販売

機内販売では何も買いません。

荷物も増えるし。

 

ただ、昔、ピーチ航空に乗った際、飲み物のクーポンがついていて、軽食セットをクーポンで買ったというか、貰ったというか、そんな経験はある。

 

そもそも、飛行機の中で財布を開くことがない。機内はお金は使わない場所として脳内セットされていました。

 

が、遂にカード払いで機内販売でモノを買いました。

 

コレ 馬油

サイズ感とかまったくわからないままに、すんなり買っちゃった。

小さかったらそれはそれで良いし。

香り付きの馬油を使った事がなかったので、一度使って見ようと思って。

 

冬だから、ハンドクリームとして使おっかな~って。

顔にも塗って良いし。

 

一人では使い終わらないので、実家の母にもあげました。

 

いや、加齢と共に乾燥するんですわ。クリーム類は必需品です。

 

使い心地

今、使っています。

 

いいよ。GOODです。

 

暑くなってきたら冷蔵庫で保管します。(^^)

 

変化をどこで感じていたのか?

「魔境」の正しい状態は知らなかったけれど

2年前、がっつり長文を書いていたんだなぁ

以前、頭が非常に軽やかに高速回転していた時期に長文を沢山書いていた。

時間もたっぷりあったし、「ゾーン」のようなものに入っていたような気がするほど考えるチカラがハイパワーだった(気のせい?)。たっぷりじっくりなことを高速で考えて、過去の体験とその当時の思考、データの紐づけ・関連性の類がサクサクと脳内で整理され、その思考と体験のシナプス結合も怒涛の如く進むようなシンクロニシティ(かと感じた)も多く、

ゾーンに入って神がかる

みたいな感じだった(気のせいか? しかし今日現在よりは頭が良く働いていた)。

その時は、脳の調子が良いな~ 軽いな~ という感じでしたが、生きている間にこのような体験と実感を味わえたことは僥倖でございました。

そのONは、OFFの中のONだとしたら、どうやって解決していこうか?

上の記事の他にも色々とコラムを書いているので、興味を持っていただいた方はご一読くださいませませ。

コラム集

 

正直、(このヒトいったい何が言いたいの?)という意味不明な文章も多いので、申し訳ありません。

で、昨日運転中に浮かんだ言葉

最近は、これといって決まったテーマがあるわけではないので、特定のテーマをつきつめて深く考えていませんが、しかし無意識にもなにかは考えているんですよね。誰でもそうで、思考が止まらないと自覚している方もいらっしゃる。

 

浮かんだ言葉は

目から知性の輝きが失われている

です。

 

運転中に考えていた事

渋滞していたんですよ。で、その時に考えていたことは、私が「酔っぱらっている」とか「魔境に入りそう(既に入っている?)」とか、感じるのはどこだろう? どうしてだろう? です。

渋滞してる最中に思考がアチラコチラ、過去や未来?に彷徨ったんでしょうね。

多次元と素粒子とミラーニューロン その他もろもろ みな一緒

 

過去のコラムに書いたように、多分、「気」の質のようなものとか、生体電気のようなモノと言った全体的なものを私なりに感じているのは確かだと思いますが、そこには、波動という言葉が好きな方は波動の質のようなことも含んでいるようです。

しかし、大きく占めているのは、「目・眼」だな。ということで

目から知性の輝きが失われている

と感じるみたい。私が。

 

面白いことに、「酔っぱらっている」とか「魔境に入りそう(既に入っている?)」方も目が輝いている、光っているように感じる方も居るんです。

 

ですから、私の中での輝きのポイントは、表面的にキラキラとしたものではなくて(表面的なキラキラもそれはそれで結構ヤバイのかもしれないと思うケースが実はあった)、その奥の静かで深淵さを感じるような輝きを知性と感じるみたい。

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

 

そう、ウットリしている時って結構目の中ってキラキラしてたりするようで、魔境の中で夢を見てウットリしているときも目がキラキラしてるかもね。キラキラというか、焦点があってないというか、焦点がぼやけてるというか・・・

 

禅病という状態も「眼」にそれは現れているんだろうと思う。(というか、私がそう感じた事があったという話ですが)

 

解脱や悟りが「目的」になるとヤバイ?

この手の話題については、私から新たな視点や見解や意見が出てくることは当分ない様な気がする。当分どころか、今生の理解はここまで。ここが終点って可能性もあるかもしれない。

 

ですから、今から書くことも過去に書いたことの刷り直しでしかないってことはご理解頂きたい。

 

目的とは?

解脱や悟りが「目的」になるとヤバイ? とは見出しに書いたものの、実はヤバいもヤバくないも無くて、人生の生き方は自由。(と益々思うようになった。)

それこそ、魔境に入ろうが、入らなかろうがその人の大切な人生。

人生に目的があろうが、なかろうが好き好きなんだと思うんですよね。

 

私も変わったわ

以前はここまで開き直ったような感じじゃなかったし、フワフワしちゃうことや、酔っぱらったようになることに警鐘を鳴らすというようなニュアンス強かった。が、私もちょっとずつ変わるもんである。

マジで。

 

ただ検証しているだけ

目・眼の輝きがどうとかって先述しておりますが、今はもう、良いも悪いも個人の好み、好き好きだけれども、私はそれが子どもの頃からの習性のため、引き続き変化や状態を淡々と検証?(ただのMyデータとして蓄積していく)して、私なりのその時々の検証結果を脳内に収めていくだけなのかもしれません。

 

いや、またこの先に、主義主張が変わるかもしれませんが、今のところ、ここのところは、その手のこだわりというか、情熱というかが治まっているみたい。

 

「時間」の作用でしょうか。

 

メッセージ依存

そう、なにかと「メッセージ」を欲しがったり、「メッセージ」を得られるものに依存していくという事に対しても、この文章を書き始める前は思うところがあったし、今も私なりに「メッセージを得られるものに依存していると考えるチカラ(考え抜くチカラ)が減退する(育たない)」というようなイメージはあるものの、私がイメージしている「考えるチカラ」というようなモノに価値を感じない感性もあるし、生き方の好みってあるし。

 

私も「とことんナニカからの、ナニカを利用したメッセージ」を聞いてみようじゃないか!と、これでもか!と触れてみました。

そしてこれでもか!と随分見聞きしてみて、ふと頭に浮かんだ言葉が「これがナニになるの?」でした。(笑)

「これを知ってどうなるの?」というような意味です。

 

いや、ヒトによってはいかようにもなるんでしょう。

私には、依存性、中毒性のその先の「もう飽きた」まで針が振り切っただけなのかもしれません。というか、私はもう随分前に一度針が振り切ったために「メッセージもの」から健康的に離脱したようなつもりでおりましたが、離脱した(つもり)からと言って評論やジャッジするのもなんだな~とも思ったわけです。

じゃあもう一度湯船に肩までつかってみるか!という感じで改めて「メッセージ」というものを見聞きしてみましたら、「これを知ってどうなるの?」と疑問が湧きました。お腹いっぱいになるのが早かったのかな?

 

メッセージがあると安心するんだよね~というのは理解できるつもりですが、1回目の離脱の時は意識のチカラで「断つ」という感じでしたが、今回はお腹いっぱいになった。その理由として私には巷の「メッセージ」類よりも安心を感じる体験とその記憶があるので、まぁ「メッセージ」類はなくていいや。と思えたんですよね。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

かなり有り難いことだと思います。

 

強さといえば、確かに一種の強さではあると思う。

自分で鍛えたわけじゃないので、棚ぼたラッキーでしかないのですが、

”実父ではなくて、なぜか本当のお父さんと脳内が感じた不思議体験はサイト「こすも」に書いています。https://cosmos358.amebaownd.com/posts/11647278 )”

↑ このような感覚が私を内側からも外側からも丸っと支えてくれている。

 

John HainによるPixabayからの画像

 

あるがまま

今回のブログは論点も主旨もブレブレ

いつも通りですが、話がどんどんズレてきて、着地出来なくなってきました。

 

そうですね、まとめるのならば、「あるがまま」でしょうか。

今あるように、あるがままを認識する。自分もことも他人様のことも。

 

取り入れるとか、参考にするとかは別の話。取り入れない、参考にしないってこともある。

 

 

今は今でしかない。

未来はわからない。 といういつも同じ事ばかり書いていますが。

 

自炊

自炊というタイトルってどうなの?

マメじゃない

流石の私も、どこかにマメな一面もあるはずですが(それが何かは今は直ぐに出てこない)、自炊に関してはマメの真逆。不精です。

内地で会社員をしていたときには、OLっぽくお弁当を作って出社していたこともあったように記憶していますし、沖縄に来てもおにぎりやサンドイッチを作って仕事場に持っていくくらいのことはしますが、最近は土砂崩れのように 不精に加速度がついている。

 

夕食などは、一体毎日何食べてるの?と自分でも不思議なほどこだわりのない食事をとっています。

 

こんな私も急に料理をやり始める時がある

一人分ってお肉も野菜も魚も、一度買い始めるとダメにしないために工夫しますでしょ?

私もしますよ。

しかし、冷蔵庫もそれほど大きくないので、何種類も食材を買っても管理するのが大変だったりします。いや、食材を買った時に一気に下処理をして料理時に使うばかりにしておけばいいんだけど、腰が重くてできない。

 

こんな私も自然の恵みをありがたい!ありがたい!といつもに比べて一層本腰をいれて料理することがあります。

 

それはお野菜などを頂いた時。

 

今回、ありがたいことに多種のお野菜、柑橘類を頂いたので、マメにせっせと料理しています。

 

上の写真は頂いた食材のほんの一部です。

1つ1つの食材にメモをつけて下さって、カブにみえた大根は本当に火の通りが早くて、同送してくれた名古屋ならではのお味噌につけて食べました。

 

ちょっと 味噌おでん風な感じで。

美味しかった~~

 

 

名古屋の親戚は、広いご自宅の広いお庭に畑があり、お野菜の作り方もプロで、薬剤とか使わずにネットなどをこれまたとっても美しくかけたりして、形も綺麗なお野菜を作っています。

野菜って作るヒトによってはこんなに綺麗になるんだ!(◎_◎) といつも感動します。

 

スーパーにならんでいる、農薬や薬剤によって美しく仕上がっているお野菜より綺麗に感じる。

でも、キャベツなどの幾重にも重なった葉の中に土が入っていたりすると、(そうなんだよね~)と思ったりします。親戚のお宅にある畑の風景が目に浮かびます。

うま味・美味しさに影響を及ぼすもの

栄養士さんがおっしゃっていた。

食材も調味料も全く同じ分量(病院などは調味料や食材の計量も厳しく行われています。飲食店でも大手チェーン店などのお店によっては厳しいでしょうね)で調理しても、作り手によって味は違ってくるって。

 

  • 食材自体をつくる方の影響
  • 調理をする方の影響
  • 盛り付けする方の影響

ってうま味にとっても大きく作用するようです。

 

親戚のお野菜は、いつもハートを感じます。

お野菜という生物を育てる行為が好きだからかな? って思ったりします。

沖縄でもお野菜を頂ける機会があった時にも、お野菜という生物を育てる行為が好きなんだろうな~ と感じました。

大好物の冬瓜スープ(沖縄では シブイ汁 と言います)もおいしくできました。

 

見えないコトの影響って、感じる事はできますね。

 

余談

手相かなにかに、「この人が料理をすると、味に深みがでる」とか「なぜか美味しい」みたいな意味づけがある相があったような気がしますが、栄養士さんの話を伺った時にこの話が頭をよぎりましたね。それがどんな「相」だったのか、はたまた手相じゃなくて他の占いだったのか忘れました。

 

ちょっとしたセンスの有無。みたいなこと?

栄養士さんはそうおっしゃっていたような覚えがあるけど。

 

こういったブログを書くほど日頃は無頓着

日頃マメに料理している方には当たり前のことでしょうが、私は急にマメに料理し始めますので記事を書きたくなりました。

 

お野菜を送ってくれた親戚に、「自炊さぼっているから、お野菜頂いたので自炊しま~す」と伝えたら、

 

  • 白菜はお鍋
  • キャベツはお肉と炒めて

と言われて、その通りにしましたが、非常に美味しかった。

一人用の土鍋、小さな土鍋(大きなものはもちろん持っていない)を私は持っていないので、普通にフライパンに蓋をして作りましたらこれまたおいしくできまして、なかなかの量を一気に一人で食べました。

頂いたネギも、ちょびちょび使って最後痛んでしまうより、美味しい時に美味しく食べよう!とすべて鍋に投入してあっという間に完食しました。

 

ほんと美味しかった。

ネギもスーパーで並んでいるものはお値段が高いので、頂いて沢山の量と味を満喫して贅沢だったし美味しかった。

 

あの量をあっという間食べきる自分にも驚きました(笑)

 

恵みをありがとうございました!

送料も安くないはずなので感謝しきりです。

 

まだ白菜、キャベツ、小さい蕪みたいな大根、柑橘類(甘い!)がありますので、ムシャムシャ食べさせて頂きます。

 

John HainによるPixabayからの画像

 

 

脳にタトゥーが入ったかのようにストレスを記憶している

そもそも脳の仕組みって

キレのない思考もご愛敬

前回の記事を書いたあと、私の頭の中では何かを考え続けていました。

ヤツは薄っぺらくなりながらも、まだ居る?

 

私は以前、一時、頭の良い時期があったのですが、それはその時「ゾーン」に入ってるときの脳の状態だったのではないか? と自己分析済みで、それもブログに既に書いています。

その当時(頭が冴えていた時期)書いたコラムを今読み返しても、(わーーすごいなーー)と他人事のように感じます。キレッキレだったなーーーと過去を回想し遠い目になりました。

そして、その「ゾーン状態」(と、ただ推測しているだけですが)を経て、通常運転に戻ってしばらく経ちます。ですから、思考スピードは凡人中の凡人に戻っております。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

感情に紐づいちゃうんだよね

感情のストレスケアが(も)大切だと考えていますが、自分の体験を改めて見直してみて、(やっぱりそうだよね)と考えました。

 

私の場合 直近には、 過去に (ムカッ (-“-) ) としたことが頭に浮かぶと、その(ムカッ (-“-) ) につられて【うつりたくなかった先輩の口癖】が出てきました。

私は敏感な性質なのかもしれませんし、ここに注目していることもあって、頭の中(思考や記憶)と感情がガッチリ繋がっている様を体感するんですよ。

 

感情が出る。感情が動く。感情に振り回される。というストレスや悩みが多いですが、意志のチカラでコントロールできる範囲と、意志が動く(作用する)前に既に感情が発動・炸裂する領域があると思う。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

ですから、脳にタトゥー級に奥底に入ったアレコレは瞬間的に連動するので、表面上は抑えられても、心の中、頭の中では薄まることなく、その出来事が起きた時と形を変える事なく保持しているようなイメージだと思う。

 

自分のメンタルなどが弱っている時などは、やっぱり影響の受け方が大きいんですよね。

そう考えると、生育環境の影響が「脳にタトゥー」級でもそりゃそうですよね。まだ、「自分」が確立する前だし、成長過程の自我の生育もそれによって遅くなる可能性も考えらえる。

幼少期の環境によっては、大人になっても自分で意識しないと、なんでもかんでも人の感情に左右され続けてしまいかねないし、どの程度自分がヒトに影響(左右される)を受けがちなのかもわからない。認識できない。

 

そうすると、後になって不満を抱いた時に、自分には原因も理由もない「相手だけが悪い」と思いがちになるみたい。恨んだり、怒ったり、憎んだり。

そうなってくると心の平和。平安とは遠ざかりがちになる。

自分の思考や感情に被害者意識を持ち込んで一層それらを感情で包むより、自分の思考や感情を観察して更に感情を持ち出すことなく冷静にというか、的確にお手当(ストレスケア)することを私は薦めたいです。

 

先程は幼少期という時代を例に挙げましたが、大人になってからでも私の場合はマネしたくない口癖が頭に入り込みました。

「チッ!」という舌打ちや、貧乏ゆすりは「絶対にうつりたくない!」とうつるのを防げたのに、この絶対にうつりたくない口癖は脳にタトゥー級にはいった。

 

あの時の先輩の不満、不安、怒りを伴った強い感情に私の脳がリンク・共鳴(影響を受けた)したんでしょう。

素直と無防備とはちょっと違うんだろうな~ とか、優しさのつもりでも、それはただの境界線の曖昧さってこともあるよな~ ってあの当時いろいろ考えました。そしてそれがその後の自分に役立った。

 

私のある分野での記憶力の良さが裏目に出ているのかもしれないが、未だにその時の影響(脳の反応)は「0(ゼロ)」にはなっていないけれど、今でも十分有り難い。少なくとも、あの会社を辞めているし、あの先輩とも付き合いが無いので、アレ(愚痴・不満・怒り)をもう聞かなくて良くなって随分経った。それだけでもありがたいし、あの時の影響の質量が雲泥の差ほど脳内では薄くなった。

 

時間が経つことが有難いってことがありますね。

 

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

歌や匂いと連動している記憶

特定の歌を聞いた時に動く(反応する)感情があったり、匂いを嗅いだ時に時間を超えてその当時の記憶に浸ったりすることがありますが、あれも「脳にタトゥー」級のものがありますでしょ?

 

普段忘れていてもあの歌を聴くとホッコリするとか、

特定の匂いを嗅ぐと思い出が蘇るとか、脳の中で連動する組み合わせは数限りなくあるのでしょうね。

 

思い出のヒトに「似た人」になにかしらの反応することもありますよね。

「好き」を投影したり、「嫌い」を投影したり。

投影していることに気がつかないことが多いし。

 

今回書いてきたように、私の場合の「この脳のタトゥー」は困ったな。という体験を書いていますが、それがイヤだなぁと思うからこそクローズアップしました(しています)が、良いように作用していることもそれこそ気がつけないほどあるんですよ。

 

楽しいエピソード記憶に助けられることもある。私が特にキツイと感じた2022年11月、12月は、度々ちびっ子達とのコミュニケーションで得た喜びや幸せを支えにしたし、私を救ってくれた大人たちの顔や言動を思い起こして支えにしていた。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

正直なのは良いように作用するのか?

怒り、怒ることも感情の1つだから大切なのに、怒りや怒る事を非難したり、人間として至らないような捉え方をする(される)と、素直に怒りを感じたり、発露することをを捻じ曲げて、

  • 怒っていないフリをしたり
  • 怒っている自分に気がつかないことにしたり
  • 他社に全ての責任を転嫁したり
  • 自分で選んでいることを忘れたり
  • 自分は周りの人とは違う(上だ)と思い込む
  • 他者を卑下する

というような現象が起こったりするみたい。

 

これらのように 1回? 2回? 複雑に? 捻じ曲がると、妙なパワーが出る(増す)のだろうか?

どんどんこじれてくることも珍しくない。

 

「自分に正直」って奥が深いもんだなぁって思ったりします。

 

追伸

昨日、ユニコーンのイラスが書いてるTシャツを着ている小さな女の子と会いました。

私がTシャツを指さして、「ユニコーンだね (^^) 」と言ったら、声に出して返事はしないんだけど、上に羽織っていたパーカーの前をガバッと開いてユニコーンを丸出しにしてくれました。

 

自慢のTシャツだったんだと思う。

 

隣のお母さんが「この娘は今日誕生日なの」と教えてくれました。

 

小さな彼女は一言も喋らなかったけど、もう超可愛くて、こんな幸せコミュニケーションがまた私の脳に深く刻まれました。

 

幸せだよね。

ありがとう!

ヤツは薄っぺらくなりながらも、まだ居る?

ヤツは居た 脳内に(-_-)

気配があったぞ(-_-)

こちらのブログ  ↓ で経過観察すると書きました。

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 体験後個人的感想編

なにを経過観察すると書いたかというと、

で、2023年2月1日今日現在、強くイヤ! とか キライ!とか思う事がないんですけれども、なんだか(あいつまだ脳の中に居るな)という気配が一旦消えた気がする。

「絶対うつりたくない口癖」の発動スイッチが一旦消えた感じがする。

 

と。

しかし! なんと! ちょっと性質を変えて、脳内の居場所をちょっと変えて引き続き生息しているような気がしました。(今日 2023年2月3日現在)

 

怒ってないのに(◎_◎)

そう、別に怒ってなかったけど、食事をした後、流しで食器を洗っている最中に過去の記憶がよみがえった瞬間に、あの「絶対うつりたくない口癖」が すんごく薄く そしてすんごく軽く 頭にフワッとよぎった。

 

えっ!! (◎_◎) と私自身が一番驚いた。

というのも、実はこの前日に、同じく過去の記憶がよぎった際に、「絶対うつりたくない口癖」がうつる前の「自分に元々あった口癖」が出てきたんですよ。

 

あら!♪ お久しぶりだわ! と嬉しくなって喜んだんですよ。

 

Lucky! あの「絶対うつりたくない口癖」が本当に消えたんだ! ってマジで喜んだ。

 

ところが

「絶対うつりたくない口癖」が 薄~~~く、かる~~~く それまでの質量から比べるとペラペラになったかのような感覚ではあるものの、頭によぎった。

 

言葉、言語に「質量」を持ち込んで説明したいと思う程、脳内や口元?ハート?での質感が変わっておりました。

 

ひょっとしたら、

「絶対うつりたくない口癖」は、他者に対して、イヤ! とか キライ! とかそういった感情が強く出た時の10/100% ようするに10回に1回程度 脳裏に浮かぶので、機嫌よく生活してたら頭に出てこないし、そもそもそれほど強くイヤ! とか キライ!とか思う事もほぼ無いんですよ。

というこれまでのルールが変容したかもしれません。

 

おそらく、まだ私の感情の「とある」パターンに、ぎりぎり指先でひっかかってあと一息ぶら下がってる。 紐づいている私の「とある感情」には気がついてはいるんだけど、その感情が無意識に登ってきちゃうと連動しちゃうんだよね。

joergweitzによるPixabayからの画像

 

まぁしょうがないかも。

記憶喪失になれば とっとと消えるんだろうけど。

ボチボチ ケアしていきますわ。

 

無意識の領域だな~って感じたわ

自分で自分の思考(脳内の反応)に「ビックリ (◎_◎) 」したわけなのですが、

今文章を書きながら、(無意識の領域っぽい感覚だわ~)なんて改めて思いました。(笑)

 

「脳にプリントされた」感覚からそれなりに年数がたって、なかなか年季の入った記憶というか、感情というか、ストレスだったので、まぁゆっくり薄らいでいけば上等です。

 

いや しかし それでも、こんなにしつこいと、脳にプリントどころか、脳にタトゥーだな。

FelixによるPixabayからの画像

 

脳にタトゥー感があるものの、コツコツ ストレスケアをしたら薄くなるものですなぁ。(祝)

 

慌てる事ないし、というか、もうすでに慌てる時期は過ぎてるし、ということだし、確実に質量が軽くなっているし、厚みももうペラペラな感じまできているので、まぁ今の状態でも上等。

 

綺麗サッパリ。「0(ゼロ)」を期待するのなら、引き続きストレスケアをやってみますか。

 

これこそ、セルフストレスケアがアプローチできるはずの領域ですわ。

 

日の浅いストレスは綺麗サッパリ バランス調整が完了してる

先日の「一味深いヨモギ蒸し」体験も含めてこの日のアレコレで、日の浅い(出来事から現在までの日数)ストレス、記憶に関してはお掃除完了なのは確かだと思う。祝!

 

「絶対うつりたくない口癖」については、体験時の「年数」もそれなりに長かったし、体験後の年数も長いので、脳の定着度数も高いと言えばそうだろうし。

それでも、今日現在位 軽~~~~く、薄~~~~くなって嬉しいです。だって口癖がうつった当時本当に悲しかったもん。自分の脳にそのプリント(改め 脳にタトゥー)がある感も本当に悲しかった。そして、それが自分の脳に浮かぶことも悲しかった。

なのに、この件にまつわる「感情」がほぼ消えかけている。(祝)

 

嬉しいっす(^^)

近々感じたストレス由来の ヤバイ! という色々が消失したことだけでもう充分ありがたいです。

特になにかを期待したり、予想していたわけでは無いので、より一層ありがた感が増しましです。

 

↓ こんな感じに喜んでます。

PexelsによるPixabayからの画像

 

 

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 体験後個人的感想編

【祝】バランス調整が幾つか終わっていた

一味深い「ヨモギ蒸し」体験した後、経過観察した個人的感想を書くよ

1回の記事で収まらないけど、3回では収まると思っていた。

しかし、出かける時間が来たので延長し、ヨモギ蒸しについて書くのは本日で4記事目。

 

以前なら、出かける時間が来たら下書き保存をして、気の済むところまで書き終えてからアップ(公開)してきましたが、こんな風に途中で区切って平気になりつつあるのはYouTubeの影響ではないかと気がつきました。

YouTubeの動画の中から「この後予定があるので、今日の動画はここまでです。」というセリフを何度か聞いたような気がする。

影響受けてるって本人無自覚ですよ。自覚できるのは、影響を受けて、なにかしらが起きて、それによって気がついた時ですね。

ですから、「自分は影響を受けない。」と頑張っている方の多くは(ほとんどだろう)、「気がつけない」位に影響をうけていると勝手に思ってる。自分も含め。

 

と、いつも通り冒頭から余談を書くという珍事が起きておりますが、この後書く、いろいろな体験後の個人的感想の伏線になっていることに今気がつきました。(天才か?私。(笑))

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 ストレスケア編

本日は上の3記事の続きです。

バランス調整=ストレスケア

バランス調整という言葉は、(一種の)業界用語であって日常語ではありませんね。

ですから、ホントのホントのところの意味の違いがあったとしても今回は大目に見て頂いて、私が「一味深いヨモギ蒸し」も含め、いろいろな体験をした後に感じた事を記録します。

 

というのも、この日体験したことは他にもいろいろありまして、それぞれ非常に貴重な体験で有り難いばかりでした。しかし、「コレをストレスケアしたい」というものでは無くて、その日の私の状態でランダムに「体験」という内容でしたので、

コレが私のこのストレスに影響があった

とピンPointでは感覚が取れない。しかし、帰宅後の変化は感覚があるので、「総合的な出来事の後の自分の変化・感覚」をご報告します。

 

それは、私の「統合心体カウンセリング™ セッション」と同じで、何かしらのスキル・アイテムの「これが良い」ということが目的ではなくて、

クライアント・相談者さんが結果

  • 楽になったり、
  • 暮らしやすくなったり、
  • 笑顔が増えたり、
  • ストレス耐性が上がったり、
  • 悩みが気にならなくなってきたり

ということに繋がれば嬉しいな。というニュアンスと似ていたんじゃないかと思えた。

 

バランス調整の種類・アイテムを沢山やれば良い(使えばいい)ってもんでもない(と思っている。体験的に)ので、図々しいお願いですが、このニュアンスを汲み取って下さると非常に助かります。

これを書くには、また別の長文ブログが必要だと思うから今日はこの辺りで終わり。

マジで余談

私は、何かしらのスキル・アイテムの「これが良い」ということを使っての「深堀ばかり」、「原因探しばかり」がセッションじゃないとも思っており、

過去にある視点を今に戻し、そして未来について可能性を考えてみる。

だけで十分バランス調整が完了することもある。(ケースによる)

 

というのも、会話だけでも、会話がなくても、何かしらの影響で本人の「囚われ」「執着」の糸が プツン と切れたらバランス調整が完了するんだろうと思うケースも本当に多かった。

私にもあったと思う。相手の方は私をバランス調整してやろうともなんとも思っていないけれども、私が勝手に救われて、ストレスケアになったような事が。私が今すぐ思いだせるのは、「わかってくれた」「わかって貰えた」と思えた時。「理解者がいた」と思えた時。

 

だから、バランス調整って、

  • スキルだけじゃない。(大切なのは確かだけど)
  • 知識だけじゃない。(大切なのは確かだけど)
  • 行う側の使命感なんて関係ない。
  • ただ義務感だけの共感なんて関係ない。

というケースも多いような気がする。あくまでも「というケースも多いような気がする。」という事を書いたに過ぎませんが。

 

自分の周辺の出来事を整理整頓して、その出来事やヒトとの距離感を今一度思い出したり、考えたり、決めたりすることでも十分バランス調整が完了することもある。

かえって、原因探しや理由探し、深堀が冷静な視点、俯瞰した視点を忘れる(それこそ)原因になったりするケースだってある。

と考えています。「こうだ!」「正解! 不正解!」と言っているわけではなくて、アプローチは多岐に渡るという事を書きたかった。

何とビックリ。ここからが本題

わたしのコラムやブログに慣れているかたは、ちっとも驚かないかもしれないね。

いつも通りじゃんって思ってる?

私のストレスが変容した(ラッキー)

2021年後半から2022年年末まで、それまでの数年間静かだった私の生活が一変した。

ヒドイ体験もしたし、素敵なヒトもいた。意地悪なヒトもいたし、私を救ってくれた多くのヒトもいた。2022年後半は特に後になればなるほどヤバかったけれど、そんな時にも(天使の遣いか?)と思うようなチビッ子たちの笑顔が私を支えてくれたし、会話は無くてもアイコンタクトで救ってくれた多くの大人もいた。皆 目の奥が笑っていた。今でもその多くの皆さんを思い出す。多分一種支えあっていたんだと思う。

Jason GohによるPixabayからの画像
simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

がしかし、ストレスをひしひしと実感し、背中も丸まってきて、足取りは重く トボトボ という感じになり、(ヒトってみるみる弱っていくんだな~)と思っていた。

 

で、開けて2023年1月からは嘘のように暗雲が去り、背中は真っすぐになり、足は軽くなり、おしゃべりもするようになった。笑う回数も一気に増えた。

NickによるPixabayからの画像

 

が、セルフケアではまだ終わっていなかったストレスの残骸がそれなりにあった。

そう、解放感は感じていたけれど、過去の感覚と記憶、感情がまだPCのセーフモードで動いているような感覚。しかし、もう追いつけ追い越せみたいな急いだストレスケアは一旦終わって、あとはこの残渣たちをゆっくりお掃除したら良いや。って思ってた。

 

というこれらが、特定の目的のない「いろんな体験」の後に、バランス調整が完了していた。

消失。

頭の中の、体の中も、掃除完了という感覚。

 

とんでもなくラッキーだった。

 

フワコヤ88←リンク貼ってあります)さん、ありがとうございました!

 

まさかこのようなラッキー・僥倖を頂けるとは本当に有り難いことでした。

 

この最近のストレスのケアの完了以外に気がついたこと

冒頭の「他者や環境の影響をうける」と関連することを書きます。

 

随分前に書いたのでもうリンクを探さずにいきますが、

私が20年近く前に勤めていた会社で、非常にネガティブな愚痴を延々先輩から聞く役目になってしまったことがありました。数時間コースも何度もあった。時間関係なく電話がかかってきたし、会った時はもちろん直に聞く。

 

で、その結果、この先輩の「絶対にうつりたくない口癖」がうつってしまってとても悲しくなりました。

大変なんだな~とか、先輩だからとか、良かれと思って話を聴いていても、あんなに長時間聴いていたら、もう洗脳のようにうつってしまった感があった。多分、今より「自分」が無かったからだろう。あの先輩のせいにしたかったけれど、今となっては「自分の在り方」がよくわかっていなかったから洗脳かと感じるほど沁みてしまったんだろう。

 

その当時はストレスケアとか、心体カウンセリング™ とか全く知らなかったので、そういった影響の対処の仕方が本や雑誌に書いている通り一遍の知識しか無くて、無抵抗な感じでただ流されるままって感じでした。

 

うつ病が「うつる」というような説がありますが、私もこの説には(そう言う事はあるだろう)と体験的に思っています。私のこの例もその類だと思う。風邪・インフルエンザのような意味の「うつる」ではなくて、「影響を受ける」ということを「うつる」と表現しているという意味で。他者の生体電気の影響を受けますでしょ? そういう意味で。

違いを考察してみた。影響を受けやすいヒトと受けにくいヒトの違いはなんだろう?

 

私の場合は影響を受けた。それまで自分の口癖に無かった言葉が脳にプリントされた感じだったから。「自分」が無いとこんなことありますよ。「自分」があっても影響受けるんだから。

 

ストレスケアというものを知って、セッションというものを知り、セルフケアというものも知って、あの「絶対うつりたくない口癖」をやっぱり何度もバランス調整してきました。

そして、ストレスケアをやったらやっただけ薄らいできたんですが、まだ残渣があるな~って感じていた。ゼロにはなっていない。 しかし、人間の脳の中なんてゼロにならなくてもまぁしょうがないこともあるかもしれないから、この先も「絶対うつりたくない口癖」が頭をよぎったらセルフケアしたら良いや!って思ってた。

そもそも、「絶対うつりたくない口癖」は、他者に対して、イヤ! とか キライ! とかそういった感情が強く出た時の10/100% ようするに10回に1回程度 脳裏に浮かぶので、機嫌よく生活してたら頭に出てこないし、そもそもそれほど強くイヤ! とか キライ!とか思う事もほぼ無いんですよ。

ですから、たま~~~に脳裏に浮かんだ時に「今だ!」とストレスケア、セルフケアしてきました。

 

で、2023年2月1日今日現在、強くイヤ! とか キライ!とか思う事がないんですけれども、なんだか(あいつまだ脳の中に居るな)という気配が一旦消えた気がする。

「絶対うつりたくない口癖」の発動スイッチが一旦消えた感じがする。

 

そうか、そう言えば暴露療法的なことが他にもあったなぁ

今ここまで書いてきて思い出しました。

近々には他にもこんなことがありました。

 

実はそれこそ20年ほどまえにかなり強く イヤ! とか キライ! とか感じた人物に、この2023年1月に会うという長期間空くにもほどがあるような暴露療法的行動を自分がとったんです。

 

会った時には、相手も少し変わっていたし、会う事になったその理由が身内の不幸でもあったので、「絶対うつりたくない口癖」は全く発動しなかった。この件についてもセルフケアをしっかりしてきたので、とっくにストレス反応のスイッチが消失していたとも言えます。

こういうことって、原因と結果までのルートを特定できないんですよね。別に特定できなくても、ラッキー楽になった!となれば満足です。

 

そう考えると、「絶対うつりたくない口癖」はこの出来事の10年ほど後に受けた影響なので、時間軸的には無関係になるかもしれないし、先述した通りに、もう既に完了していた可能性もある。

 

ただ、「脳の中には時間がなくて多次元なんだろう」と以前コラムに書きましたが、この1月の体験を考えると、時系列が影響することもあるケースもそりゃあるよね~って思えた。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

多次元の理解。皆が元々それを体験しているという私風理解。

 

 

コラム集

 

荒々しくまとめる 「意図」について

やけに長くなったので〆ますが、バランス調整(ストレスケア)には「意図」が大切だという一面はある。心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアをする際に、相談者さんが「悩み」「相談事」がある時は、私もお話の聞き方がそのようになる。

ただ無心に聞いているような時も、「無心で聴こう」というような心持があったりする。

それも「意図」と言えば「意図」だろうし、クライアント・相談者さんはご本人の「意図」があったりするんだろうし。

 

今回、キャッキャと無邪気に色んなものや色んなことを体験させてもらいました。

数名でお昼ご飯を食べる時も、キャッキャ キャッキャと言いながら、食欲炸裂してたし。(笑)

 

へぇ~~~~そうなんだ~~~ と言いながら体験していた結果が、特に分かりやすかったのが、ここ最近のバランス調整完了

そして、ふと、他の脳内の残渣、残骸のようなものの一面もお掃除された????!!!! という予感。

 

まだしばらく先を経過観察してみます。

 

ここ最近のバランス調整完了だけでも十分有り難かった。

フワコヤ88←リンク貼ってあります)さん、ありがとうございました。(^^)

 

私がお伝えできる自分で行うストレスケアの方法

ご興味がありましたら、お申込み下さい(^^)

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 ストレスケア編

続々〉上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

 

本日上の2つのブログの続きを書きます。

 

実は私は、ブログのアイコン画像が壊れている(または表示設定がされていない)ことをずっと気にしています。ちゃんと表示されて欲しい。

恐らく、ホームページの方の設定と連携が上手くいっていないか、ホームページの方の画像が壊れたか、なにかしら異変が起こっています。

 

しかし、これを腰を据えて突き止める余裕が2021年後半~2022年終わりまでは無かったので、この先ちょっとまたホームページの修正をするか、ブログの設定を調べる時間を持ちたいと思っています。

 

やっぱりこういう文章を書いたり、サイトを(私の力量の範囲内ではありますが)管理するのは楽しいです。

 

そして、本日は汗をたっぷり書いて、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた【その後】について書いていきます。

同じ状態のものは2つとない!?

毎日同じ。つまんない。って思いながら生活するような時期ってありませんか?

ヒトによってはかなりの長期間こう思いながら暮らしているかもしれない。

 

でも、私たちは都会に暮らしていたとしても、空や雲、風、光、香り、川、体調、他人から影響などなど、同じ瞬間は2つとないんですよね。その違いに気がつくかどうかは人生観や感性に大きな影響があると思う。優劣とかじゃなくて、生き方の好みの話だと思うんだけど。

 

私は海で仕事(ダイビング)をしていたことがあって、海中では生き物が動き、潮が流れ、海面越しに見える太陽や雲、雨という様々なものが織りなす風景に同じ一瞬が無いということを体中で感じる事ができました。それは海の中だけじゃなくて、陸上でも同じなんだということも気がつく事ができました。

 

という、自然(や社会)の中に生きていると当たり前な話を書いたのですが、この「一味深いヨモギ蒸し」も終わったあとの鍋の中の様子も、百人居たら百通りのようです。

これがスタート時?

手で混ぜた コレ ↑ を鍋に投入。

 

すると こんな感じ ↓

このグツグツと煮立った(いや、上に座れるくらいだから煮立っては居ないのか? ごめん、わからん。なんせ蓋した上に座って、ポンチョ着てるから見えないのよね)時は、ヨモギ蒸し後の鍋の中の変化について知識も興味もなかった。

 

知らないってこんなこと。

先入観なしの初体験ってこんなことよね。

たしか、こっちが私だったと思う

なにしろ私は生まれて初めてなので、全てはフワコヤ88←リンク貼ってあります)で体験して、いろいろお話を聞いてみてください。

 

ただ、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた後の鍋の中が「落ち着いている」というか「静か」というか、「ストレス少なめっぽい」らしいです。

 

  • 2022年後半、ストレスに目一杯さらされており、我ながら(ヤバイ)と思う事がありましたので、もちろんセルフケアしておりましたが、なかなか追いつかない時もありましたが、それでも追いつけ追い越せとできる限りのストレスケアをしていたのも良かったみたいだし、
  • 今回、フワコヤ88←リンク貼ってあります)にお邪魔した際に、「一味深いヨモギ蒸し」の前にいろいろ体験させてもらったのも良かっただろうし、
  • 「一味深いヨモギ蒸し」と並行して体験させてもらったバランス調整も良かったという

総合技の結果かな?と思ったりしています。

 

もうお1人、別の方の鍋の中(だったと思う)

ヨモギ蒸しを何度か行っているこの方は、「以前よりヨモギ蒸しの後の鍋の中が大人しくなってきた」とおっしゃっていた。

 

一味深いヨモギ蒸しによる「菌活」が非常によろしいような気がする。とおっしゃっていた。

 

私も、一度体験させて頂いて、「これは非常~~~~~に良いな」と実感しています。

どういう点が「良い!!!」と思ったのかを次に書きます。

 

今回で書き終えるつもりが・・・

すみません、また出かける時間が迫っており今回はここまでです。

今回で体験記を書き終えるつもりでしたが、すんません。

 

ちなみに、わたしが行うセルフケアはホームページでご紹介しています。

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

コロナとか色々な時も、おかげさまで平和に暮らしておりましたので、

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

という時期が我が身に降りかかるとは。と (あーこりゃ大変だ。)って感じでしたが、今日現在(2023年1月末)は平和が戻ってまいりました。

 

大変な最中、兎に角、ストレスケアをしましたよ。

そのお陰で早く抜けれたのか?は分かりませんし、いろいろな方に護って貰ったんだと実感があり、非常に感謝しています。

大変な最中も(救われる~)と思う出来事や人物にも出会いました。

 

ただ、大変な思いをしている方には、ストレスケアをおススメしたいです。

私はこちらのストレスケアのスキルをご提供できます。

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

・・・つづく