ある日のユンタク会

就職祝いだ!

ユンタクに花が咲く

こちらの記事に書いたご本人と、仲間たちでお祝いをしよう! ということで集まりました。

共通の話題に事欠かないので、お互い本音のユンタク会に私自身も救われました。

 

お祝いなんだけど、ユンタク会。

願いが叶っておめでとう!

 

年末には、みんな変化終了

大きな変化から、小さな変化まで、各々、新年は今とは変化させることも話題に登りました。

 

本当に彼、彼女にHappyが降り注ぐことを願い続けています。

ホントに。ホントに。

 

やっぱり、世の中はいろいろなことがあると知っているつもりでも、彼、彼女のような善良で真面目で、誠実な人たちが恵まれると、私が嬉しい。

「あぁ、そうだよ。世の中、良いこともあるもんね! 報われることってあるよね!」って思いたい。彼、彼女が報われて恵まれますように。

 

肝心の、「お祝いに何が良いか?」を本人に直接確認しました。

「お気遣いなく(^^)」という事でしたが、皆にお祝いしてきて彼だけお祝いしないのもなんなんで、「〇〇で良い?」とご本人にご了承いただきました。

次はこの時参加した彼女の番。彼女の就職も喜んでお祝いしたい。その時が楽しみです(^^)

 

お祝いだから、優雅な感じにしたくて

彼、彼女とユンタクできるなら、居酒屋でも何も問題ないんだけど、主人公の彼君がお酒を飲まないし、若いうちは若者同士では中々足を踏み入れない場所を体験して欲しくて

この辺りで一番ハイクラスのホテルのロビーラウンジでお茶しました。

ご飯を食べにいっても勿論良いんだけど、居心地よかったから、初回お祝い会は皆めいめいが好きな紅茶を飲んで喋って終わりました。

2回でも3回でも何度でもお祝いしよう!とこの日参加しなかった仲間とも決めてるので、また後日彼、彼女の顔を見るのが楽しみです。

 

待ってる間に

仲間たちの到着を待っている間に、1年以上?2年ぶり以上?だろうと感じる自撮りにチャレンジ。

年齢も年齢なんで、自撮りをアプリで加工したら、実物より20歳下?30歳下? まさか40歳下?ほど若くなりました。この写真しか見た事が無い人が、ホンモノの私に会うような事があったら

 

別人! (◎_◎) 

 

と腰を抜かすんじゃないかと心配です。そういう意味で、恐ろしい写真になりました。(笑)

 

いつもの眼鏡顔より目がでっかいのは、写真の加工もさるものの、これが伊達メガネで度が入っていないからです。

ド近眼なんで、いつもの度入り眼鏡の時は目がちっちゃくなっています。

 

精神の保養

このユンタク会で私は精神の保養をしました。

同じ釜の飯を食った仲間たち。という御縁ですが、この日会った彼、彼女みたく本当に性格の良い仲間に出会えて幸運でした。

同じ釜の飯を食ったからこそ途切れる縁もある中、有り難いことです。マジで。

 

とっても若い彼、彼女の人生が本人にとって素敵なものになりますように!

RalphによるPixabayからの画像

負傷

痛い(現在進行形)

スッ転んだよ

donteraseによるPixabayからの画像

夜、暗がりで、枯れた木か、木の根っこが見えておらず、それに足を引っ掛けて見事にすっ転びました。

転んだのは何年ぶりでしょうか?

コロナ騒動になる前、数年前の冬の内地で、足元が凍ってて、足が滑って尻餅をつきそうになったのを踏ん張って堪えた事がありましたが、今回は見事に足を引っかけて前のめりにすっ転びました。

咄嗟に手をついたので、手のお肉がアスファルトで削れてしまいました。
肘あたりと膝も負傷しましたが、まぁ手に平に比べたらまだ軽症です。
薬局のお姉さんには「手の傷は深いから2〜3週間かかるねぇ」と言われました。

そうでしょうね。

火傷した際に買った、化膿止め薬を持っておりまして、それは運良く怪我の化膿止めとしても使えると書いてありましたので、せっせと塗布しております。

そして、確かに患部は痛んでおりますが、白血球が猛然と働き、もうすでに回復に向かって皮膚の再生が始まっているのを、有り難く観察しております。

他にもここの所(うーむ (-_-) )と思う事が多かったのですが、今回すっ転んで怪我をして確信しました。

おそらく、この先、近々かどうかはわかりませんが、良い事があるな。ということを。

禍福は糾える縄の如し

○禍福は糾える縄の如し

と言うのは、私の場合は正にその通りなので、何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。と、再生しつつある患部に化膿止めを塗布したり、何かの拍子に患部になにかが触れて(イタッ)と思うたびに確信しております。

やはり

何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。と、思っていたら、物事の捉え方は合ってますよ!と言わんばかりに、負傷した晩の夢見がとても良かったのです。

 

患部をかばって眠っているので、例えば変な姿勢だった場合、夢見が悪そうなものだし、もしそうでも、(あぁ ケガしているし、ちゃんと眠れていないもんなー)と思うだけですが、逆に夢見が良いという面白現象がありました。

 

養生して、患部の再生に感謝しながら、2〜3週間先の完治を待つことにしました。

皆様も暗がりの足元にはお気をつけ下さいませね。(^^)

lisatenerによるPixabayからの画像

”ゆし豆腐”をすすめられました

薬局のお姉さまに、「タンパク質を取ると良いよ」と言われました。

私は少し前から、それまであえて避けていたというか、あえて選択してこなかったプロテインを飲んでいます。

最初はグルテンフリーのプロテイン。次は同じくグルテンフリーのプロテインの最初とは違うフレーバー。そして今は超一般的なザバス。を順番に試しています。

 

薬局のお姉さまに

「タンパク質はプロテイン飲んでます」「今は卵も家にあるので、卵からも摂取出来ます」と答えましたら

「ゆし豆腐がミネラルも入っているのでお薦めよ」と言われました。

 

確か、プロテインにも、ビタミンやミネラルが入っているものがありますけれど、私はこんな時は非常に素直にアドバイスを聞くので、薬局の帰りにスーパーでゆし豆腐を買って帰りました。

 

そして、夕食は、ゆし豆腐に卵を落として食べました。明日の朝も、昼も、ゆし豆腐を食べる予定です。食べやすい食材なので、当分食べ続けてみます。(そのままでも良し、卵を落としても良し、出汁で味付けしても良し、味噌を溶かしても良し、色々な味のバリエーションがあります。)

 

後は私の身体の治癒力にお任せする以外無いのですが、回復を阻害するようなことに対しては対処するつもりで、いくつか患部保護が必要な時用のアイテムを購入しました。

 

余談ですが

現在までの比較では、ザバスが一番水に溶けやすいです。ダマにもなりません。製品によってこんなに違いがあるのね!?と勉強になっています。味は、最初のグルテンフリーのプロテインは〇。2番目の異なるフレーバーは×でした。ザバスは〇。

 

くだらない考え方かもしれませんが

何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。というような考え方をいつもする訳でもなく、ケースバイケースです。

 

後になった今、結構大変だった色んなことも、あれはラッキーの前兆というか、対価の前払いだったんだろうな。と思えることばかりでしたので、

  • 体験してわかることって多いな~
  • 体験したうえで判断していけばいいや

という現在のところの私個人のパターンを思い浮かべています。

 

それでは今回はこれにて終了です。

願いが叶っておめでとう!

めでたし!

私は社会人になってもうかなりの年月が経ちましたけれども

年の若い善き友人達には社会人年月がフレッシャーズも多く可愛らしいです。

私に息子や娘がいたら、この年代かな~って思う。

 

その中の善き友人の一人の願いが叶いました。

 

希望の仕事に就く

今回の善き友人は「彼」なのですが、彼の願いが叶って嬉しかった。

自分の事のように、いや、自分のこと以上に嬉しかった。

 

彼が就きたいと思っていた仕事に採用されました。

NickによるPixabayからの画像

 

お祝いの花火を上げたいよ。

 

彼も自分のことだから神様に願ったと思いますが、私もずっと、「受かるよ」「採用されるよ」「私も神様にお願いするね」と言い続けて、私も彼がその仕事に就いたイメージトレーニングしてました。(笑)

 

別人のその仕事に就いている男性を見るたびに、それが友人の彼だと思ってイメージトレーニングして見てました。その甲斐あって? ある日、本当に彼がそこに居るように見えた感じがしたもの。

(未来を見たってことにしておこう。ということは絶対合格だな)と、心の中で独りで呟いてた。

 

願いは変化する

私も、その時やってみたい仕事に就いたことがありますが、実際にその仕事に就いてみてわかることがあって、そして、転職が頭に浮かぶ時期がきて、またその時の願望に基づいて転職して。

というようなことを数回やりましたので、他者の転職を全力で止める価値観は持ち合わせておりません。

 

変化に伴うこと

ただ、(あぁ転職しなきゃよかったな)と思う方も中にはいらっしゃるので、こういったことは自己責任である。ということは念頭に置いておいて欲しいと思っています。

 

ただ、(あぁ転職しなきゃよかったな)も(〇〇しなきゃよかった)も、(私はどうして〇〇してしまったんだろう?)も、やったから分かったことなのですべては人生経験です。

 

「人生経験」という概念に「良否」というモノサシを持ち出すと少々厄介な時がありますが、それもひっくるめて人生経験。という禅問答のようなことを書いてみます。

 

よく言われますが、これ大きいね~

理想の職には就いたけれど、人間関係が苦しい時があります。

働く環境(仕事じゃなくても学校でも家庭でもそうでしょうが)の人間関係って大きい。

人間関係に問題が無い方が余程生産性も上がると思うけど、そこに参加している方達がどの位そういった意識があるか? そういったことを心がけようとしているか? っていう社風のような体質のようなものが影響する。

 

やってみたかったことを試せる幸運

今回、願いが叶って、就いてみたかった職に採用された彼が、実際働きだしたら何をどう感じて、居心地はどうなのか?は先にならないとわからない。

職場って構成メンバーや環境、状況の変化も伴うので、ちょっとしたことで感じ方も変わるし。

 

だけども、やってみたかったことを試せる幸運ってある。

「いつでもできる」と先延ばしにすることもヒトにはあるけれど、「いつでもできる」と思っていたら「もうできなくなった」なんて時も予想外に訪れたりする。

 

チャンスの扉みたいに感じる事象について「開けっぴろげだから、いつでも自分のタイミングでOK」と思っていたら、(数秒、隙間位しか開かないってこと(◎_◎)) なんて感じる出来事もあったりする。

 

先述の話にかぶせると、こういったことも人生という概念に良否を持ち込まなければ、ただの人生経験です。

 

 

善き友、彼のこの先の人生の幸せを願っています。

RalphによるPixabayからの画像

 

 

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初回を受講した、受講生さんのご感想も掲載しています

内容はホームページ内の記事で書いています。

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泣くかと思っていたら笑っていた(そうです)

楽しいです。

興味のある事を学ぶのは楽しい。

その学んだ内容が「出来る!」と感触を得るのも楽しい。

楽しいから、もっともっと興味が出る。

 

あなたはどこにフォーカスしたいですか?

自分の悲しい体験だけにフォーカスしたら、そのように。

自分のセルフケアの習得にフォーカスしたら、そのように。

毎日続けることにフォーカスしたら、そのように。

 

今回のような「セルフケアの受講」の際にどういった箇所にフォーカスするのかも大切ですね。

 

意識の向けどころ

あ! これは楽になる!

と思ったら、自然にストレスケア後の自分が楽しみになりませんか?

 

その意識の変化が自然に起きるっていうところが私個人は好きです。

セルフケアですから、帰宅後は「一人」「独り」で行う事が前提ですので、継続については個々の力量にかかってきます。

 

是非続けて欲しいです。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

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運命ってなに?

 

今日は、半年?1年?以上前に知人と交わした会話に一瞬登場したキーワードをちょっと再生してみます。

運命なら絶対でしょ?!

運命ってなんだっけ?

半年?1年?以上前に知人と交わした会話ということは、その時の私の中では既に(こういうことかな?)と答えというか、自社データから考えられる統計のようなものが有ったことになります。

こういったその時その時の答えのようなモノは、経験を積むことで変化してきましたし、これからも考え方にもっともっとバリエーションが増えていくかもしれないし、減っていくのかもしれません。

 

という背景をご紹介したうえで書き進めていきます。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

信じ込むことの賛否

キャッチ―なので「賛否」と書いておりますが、前回のブログに足並みを揃えるのなら「好み」ということになりましょう。

運命という概念をどの位信じ込むのかが人それぞれの好みという至極当たり前のことを書いているわけです。

 

その「運命」と感じる根拠が、

  • 占い類
  • 他人の意見
    • それって運命じゃない?というような他人の意見とか
    • 本やブログや動画で見たのと同じ!と思ったり
    • 上と同じ理由で、他者と同じ体験を自分がしていると思う・感じる
  • 直感(と、本人が感じる感覚であり、良否や正しい、間違っているなどの話は別)
    • 運命と思いたい!という願望を、これは「直感」だと感じる場合もあるでしょう。

こういった例があるかな~?と私が感じております。

 

運命という概念が正しいとか間違っているとか答えが無いのだとしたら、なにをどう感じようと正解も不正解もないということになるので、この先私が何をどう書き進めても一個人の意見です。

 

きっと、その瞬間、その瞬間のそれぞれの好みの考え方を信じているのだろう。

 

運命ってことにしておくと楽?

  • 願望・希望だと信じたい時も
  • シンドイことを諦めて受け入れる時も
  • 特別感、優越感を主張したいときも

運命という概念を持ってきたい時があるというか、運命だと思いたいというか、運命だという概念を持ってくると何とも言えず「楽」だというような感覚ってありませんか?

 

何とも言えない、手っ取り早さみたいなものがあるような気がします。

 

しかし、私自身も(なんだこの感じ!?)(今まで生きてきてこんな感覚無かった! これが運命的と信じたくなる感覚か!?)と感じた事がこれまでの人生で数回ありました。

そう、それが人生で初めてならば、運命的なものって唯一無二なのかと思うのが当たり前なのかも知れません。しかし、あくまでも私個人の感覚ではありますが、なんと過去数回ありました。

ヒトや出来事やそういったジャンルも様々でございます。

 

じゃあ私が、超ロマンチストで「運命大好きっ娘(表現が古いですね。笑)」かと言えば、中学生や高校生の時ならいざ知らず、社会に出てからはそういう傾向は薄れていき、今は・・・

(なんだこの感じ!?)(今まで生きてきてこんな感覚無かった! これが運命的な感覚か!?)と感じた事がこれまでの人生で数回あったお陰なせいか、フラットです。

運命だと思い込みたいケースと(なんだこれ?)と感じるこの2つの感覚が全然違いましたので、こんなことは自分でコントロールできる事じゃない。と完全に傍観者な感覚です。

なんでしょうか? とんでもなく恵まれているのかもしれませんが、体験回数のようなものが複数回あったおかげで、

うわーーーー 運命だーーーーー!

と浮足立つことが無いような気がします。でも、とっても有り難いという感謝は溢れます。

そう、有り難い余りにフラットな感じになるという面白さ。

 

こうなったのも理由があるんです。

 

出会い、ファーストインパクト「を」運命と捉えている

そうなんです。

確かに人や出来事の出会い、ファーストインパクトに運命という概念を持ち込みたい感覚はあると思います。というか、今文章を書いていて、(それに限るのかも。)とも頭に浮かびました。

出会い、ファーストインパクトが起こるまでが運命ならば

ということは、その出会いや出来事がその先どうなっていくのか?はある意味自分次第という割合が多いように思う。自分でコントロールできない領域も当然あると考えていますが、自社データ調べで最も多いのは

「運命だから」

とあぐらをかくこと。

 

そう、察しの良い方は私が「あぐら」という言葉をチョイスしたあとに続く論調を先読みされているかと思います。

 

そののち、あぐら? 油断? 甘え? 雑に扱う?

「運命だから」何をやっても大丈夫。なにをやっても許される。何をやっても将来も関わっていける。というような一種の目の前にそれらが登場したことや、その出来事に遭遇できた僥倖を「軽んずる」ということをその出会いや出来事、ファーストインパクトに関する事に行っていると、その先に

あらまぁ(◎_◎)  運命と感じた幸福感がスルスルと手元から離れていくわ

というような将来を招くケースを散見する(自社データ調べ)と感じるのは私だけだろうか?

 

私個人は、雑に扱わずとも、運命と感じなくても、生きていたら

あらまぁ(◎_◎)  スルスルと手元から離れていくわ

というような事って多々あるんで、その時できる誠実さを大切にすることを学びました。

 

手元にあるように感じるその瞬間を有り難く感じて、大切にする。って感じ。

 

私の考える誠実さのようなものが伝わるがどうかわからないし、それが最善なのかもわからないし、逆を打っていることだってあるでしょうが、自分なりに学んだことはあったので、未来永劫続いて欲しいと欲しても、それがどの位の時間体験できるかわからないので、今体験出来ている時を大切にしようと思うようになりました。

 

別に甘えちゃいけないってわけじゃないけど、甘えて自分の都合だけに会わせて相手(環境)を扱うってことは、多分その先、それらの影響が自分に還ってくるような気もしてる。

ケースバイケースだから上手く書けないし、私がこれらが出来ているわけではないんですが。

 

その時の「精一杯」のようなことは行うように心がけてはいきたい。と心がけることを覚えていたい。それは、実体のない「運命」を上手く乗りこなしたいとかそういうことじゃなくて、その先どうなろうと「出来ることはやった」「出来ることと真摯に向き合った結果がこれだった」と自分が諦められるからです。諦めるってネガティブな意味じゃなくて、納得できるという意味です。

「明らかに見る」のほうの意味合いです。そう思えたら後悔することが非常に少ない。すると自分の中でどんどん完了させて行けて、時間の流れと共に過去になっていく。

時間のない脳内記憶を健康に扱いやすくなるようなイメージです。

 

時間の無い「脳内」について以前書いたのコラムです

多次元の理解。皆が元々それを体験しているという私風理解。

 

私が今は過去に余り執着せずに粛々と心平和に生きているような気持でいるような気分で居るのは、こんなことも大きいし、その生き方に、出来事に対するストレスケアを継続していることは非常に大きな役割を担っています。

 

以前どこかの文章に「女性の『後悔したくない』ということに対する情熱は凄い」というような内容がありましたが、そういう意味では私は女性特有の性質があるのかもしれません。

 

今を生きる。との関わり

「運命だ!」とあぐらをかいた時点で、

  • まだ来ていない未来を手に入れたと勘違いしちゃってるのかも知れないし、
  • 目の前のことが見えなくなっていることもあるし
  • 今、この瞬間を忘れて浮足立ってしまうような強烈な影響があるケースが多いのかも知れない。

 

もうなんだか将来が自分の思い通りにいくような優越感というか、驕りというか、そんな感覚に包まれてしまう。と書いたらマイナスイメージだけど、一方、ふと思うわけです。引き寄せ的にはそんなに高揚感や(もう絶対そうなる感)があったらその未来が到来するはずですよね。

 

なんでしょうね? この差は。

興味のある方は、どうぞ考えてみてください。

 

地に足がついているってことは大きな影響力があると思えますが、あぐら? 油断? 甘え? 雑に扱う? 傲慢?とも思えなくないこれらは、人間だからこそだなぁ とも思っています。

 

愛すべき人間の特性というような。

 

だから、あまり同じことを繰り返したくない ≠ 後悔したくない ≒ 出来事から出来れば学習してその先に活かしたい。というような意識が良いとかでもないと思っています。私はこういった事が好みだと自覚していたり、心がけたいと思っているだけです。

潜在意識的に変化したくない。これらを成長と思わない。これが成長だという概念ならばそもそもその概念・成長に興味が無い。繰り返す人生が好みだ。ということだってある。

 

類似している他のケース

”「運命だ!」とあぐらをかいた時点”

と類似したケースには、権威になった、権力を得た、名声を得た、カリスマになった。というようなことも似ているような気がします。

 

こういった時にも、愛すべき人間の特性というようなことがニョキっと姿を現したりすることも多いみたい。

 

以前書いたホームページのコラムをご紹介

下にリンクを貼りましたが、コラムでご紹介している書籍「不幸になりたがる人たち」というタイトルが頭に浮かんだのですが、不幸とか幸福とか他人が決める事じゃないし、なんであれ、どうであれ、生き方・価値観は好みです。

これらを変化させるのも好み。

変化を好みつつ(変わんねぇかな~)とただ待つのも好み。(変わんねぇかな~)とひたすらその時を期待するのも好み。変化に向けて一歩を踏み出すのも好みです。

 

生き急いでしまう

与えなさい。の罠?

映画の中の「細胞の話」

 

どこまで運命?

運命ってナニ? 運命ってどこまで? については、これこそ個々の好みでしょう。

私個人、この答えは知りません。しかし好みはあります。

あなたのお好みはどういったものでしょうか? 大きなお世話ですが幾つか察してみます。

Alisa DysonによるPixabayからの画像

 

運命と感じる概念にバリエーションがありまして、既にブログに書いたように「卵が先か?鶏が先か?」という意味では

  • あらまぁ(◎_◎)  運命と感じた幸福感がスルスルと手元から離れていくわ。というところまでが運命と感じてみたり
  • 出会いや、ファーストインパクトまでが運命。その先は不確定で自分で運命を創っていく、育てていく、開いていくのはまた別の意味合いの運命だと感じたり
  • 特別感はなにもなくても、日々の暮らしに奇跡的な有り難い運命を感じたり

など、他にもいろいろな「運命」という概念があると思います。

後悔しない人生ってなんだ? 2

運命と宿命

運命と宿命は違うんだ。という内容の書籍を読んだことがあります。

もう内容はほとんど忘れてしまっています。

私個人の歴史的には、こういった運命とか宿命とかに興味があった過去もあるし、その後どんどんこういった事に関心が無くなってきました。

 

そういう細かいことじゃないだな。というのが今日現在の私の捉え方です。

いや、これらの概念や、2つの概念の違いを「細かい」と書くのは酷く乱暴なのでしょうが、こだわりというか、執着というか、これらの言葉や概念以外にもっと大切な事を知ったような気がしているという感じです。

 

その1つに、前回のブログに書いたような「能動性と受動性」を含んでいます。

 

 

歳を重ねて、経験を重ねて、随分と価値観やMy概念、好みが変わったな~と自覚しています。

個人的には過ごしやすくなった。

生き易くなった。

 

それは、顕在意識、潜在意識という精神や心理的な事以外に、現実的な環境や生活や経済というような総合的なバランスも土台になっていて、今の自分を支えています(創っています)。

重ねて書くと、「能動性と受動性」もしかり。

 

と、

後悔しない人生ってなんだ?

こちらのブログをアップした後、久しぶりに続けて記事を書いた流れで知人との会話を題材にまた記事を書いてみました。

 

 

皆様の、そして、あなたの幸せを願っています。

 

幸せにも不幸にも縛られない。そんな価値観もあると思います。

 

今日が佳い日でありますように。

 

 

 

・・・あぁ~ 旅行に行きたいな(^^)

急に出会って、笑わせてくれました

出会いは突然に

過去のアメブロ時代やはてなブログ時代にも何度も書いていると思いますが、私はメイクなどに興味が無く、メイクをちゃんとしようとすると限りなく増えていく「モノ」も敬遠しておりました。

ファンデーションを塗った時の皮膚呼吸しにくい感じも苦手。

あと、致命的にそういったことが「面倒くさい」という不精さがあるんです。

 

そんな時にマスク時代が到来し、

「眼鏡して、マスクしてたら、誰も私の顔などを意識して見ない」と断言し、益々何にもやらなくなりました。そう、色づきリップすら塗らなくなりました。

 

メイク・・・

が、加齢に伴い顔にもどんどん変化がおきているため、

え??? 

いまさら????

とYouTubeでメイク動画を見たりするようになりました。

 

フルメイクをしたいがために動画を見ているのではなくて、皆さんの加齢による変化を共有させていただき、それは自分の顔に起きていることだと再認識しております。

そして、(なんとか誤魔化せないものか?)(どうやって誤魔化しているんだろう?)と勉強しており、かつ、メイク面倒&メイクグッズを沢山持ちたくない私ができる事は何だろう?と怠け者の浅知恵目線で拝見していたりしたんです。

 

しかし、勉強には投資がつきものでして、少額商品を購入して試しては時々失敗しつつ、最小最小最小限(どんだけグッズを増やしたくないんだか)でやりくりできる体制を将来的に構築しようとしている最中です。

 

そうすると不思議なもので、必要かと思って買ったものは失敗したり、元から持っていたものを(もう使わないから処分した方が良いのかな)と思っていたら別の用途でとんでもなく活躍してそれで十分だったりと新しい発見があって、今はまだ面倒というより「研究中」という感じです。

 

すごいねぇ メイクって

だから不精な私が研究している方向性とは逆で、

  • 綺麗になるためのメイク動画や、
  • メイクアイテムを紹介する動画など
  • もはや芸術の詐欺メイク類などなど

男女年齢問わずYouTubeの中には沢山いらっしゃることも最近知りました。ここ2~3か月のことです。

 

そして、YouTubeのAIシステムが見知らぬ関連動画を教えて下さったゆえに出会いは今日、先ほど、突然やってきました。

 

ちょっと凹みかけていた私も元気になりました

このヒロさんの違う動画を先に見て、お喋りに超引き込まれて(メイクもプロなんだけども、トークが聞きたくてまた次の動画も見てしまった)再生した次なる動画に笑った。

 

いや、最初にみた動画も笑ったんだけど、これ最高。

いや、まだ3動画ほどしか見てないから、もっともっとツボにはまる動画があるのかもしれませんが、これは楽しかった。

 

動画を見る前、その日私が初めてやったこととは言え、上手に出来なかったことがあって、

(あ~ぁ)と少々凹みそうになっていました。

が、そんな私の目の前にヒロさん登場。

 

救われました。

笑いました。

 

もし私がこのモデルさんの席に座っていたら、大口開けて、ギャハハ と何度も笑ってます。

ヒロさんに「下品に笑わないで」と言われるでしょうが、もう我慢できない。

 

「ねるねるねるね~」に続く件も笑いました。

 

も・ち・ろ・ん プロの手際や芸術性が伴っているということが大きな要素です。こんな風にメイクする事が無い私や、(コメント欄にあったように)メイクをしない男性も、「ついつい見てしまう」という吸引力がありますね。

 

YouTubeの中には、メイクに関するプロもアマチュアも沢山いらっしゃるのですが、プロよりメイク好きなアマチュアさんの方が人気があったりするのも面白いですね。

 

私は何をYouTubeで発信したいか?

好きこそものの上手なれ的なお宝もぎっしりと詰まったYouTube。

私には何があるかな?と考えてみたんです。

そして思ったのは、今は「沖縄カウンセリングラジオ」というラジオ番組のアーカイブがYouTubeには割と多く存在するなぁ、ということでした。

私自身で録画・編集しておらず、放送時のアーカイブではあるんですが、その時の自分の言葉で話をしているので「アリ」としました。

 

昨日のブログです。

日曜日に放送日がお引越しです

 

 

 

日曜日に放送日がお引越しです

FMよみたん「沖縄カウンセリングラジオ」

もう何年になるでしょうか?

FMよみたんさんでラジオ番組を持たせて頂いています。

過去の放送曜日も様々あれど、2022年10月から毎週日曜日 10:00~の放送にお引越ししました。

 

2022年10月9日 放送分

YouTubeでの動画もありますのでリンクを貼ります。

 

悩みはさまざま

弱いから悩むとは限らない。

弱いとか強いとか関係なく、どう生きていきたいか?を真剣に考えているからこそ悩んだりもする。

 

しっかり考えて悩んだことは、その先の将来の自分を支える場合があると思います。

少なくとも、私個人はしっかり悩んだ過去が今の自分の幸せを支えていると感じます。

 

誰かとの対話もお薦めします

誰かに話を聴いてほしいとか、誰かに話をしたいと思った時には、リモートでも対応しておりますのでお気軽にお問合せ、お申込ください。

今はこの写真の頃とは眼鏡も髪形も変わっています。

 

ご予約

予約カレンダーのリンクを貼りますが、受付の時間が限られています。

そして、今日現在(2022/10/10先々まで予約カレンダーに受付時間を設定出来ておりませんので予約カレンダーが使いにくいと思いますが、ご了承ください。

 

 

後悔しない人生ってなんだ? 2

自己選択か? 天命か?

後悔しない人生ってなんだ? 2

今回は、前回の続きで、「後悔しない人生ってなんだ? 2」として書いていきます。

後悔しない人生ってなんだ?

前回の予告通り

まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。

自己選択というのか、天命と言うのか。

について。

 

論理の飛躍かも知れませんが

論理の飛躍かも知れませんが、私のブログに自分で書く事なのでご了承いただきたい。

 

まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。

自己選択というのか、天命と言うのか。

というこの辺りについて、能動性と受動性という視点を加えると理解しやすいように思っています。

 

Aさんが「行動」と思っていることを、Bさんは「行動とは言えない。それは受動的だ。」と感じる価値観があったりするなぁ と考えたりしています。

良い悪いでは無くて、これが感性や価値観の違いなんだろうと思います。

 

例題】お財布を振る

お財布を振る? ナニソレ? と思う方に簡単に説明しますが、「満月の時に月に向かってお財布を振るとお金が入ってくる」という考え方があるんですね。

「おまじない系」と書きたいのですが、「いや、おまじないなどでは無くて、引き寄せ手法の1つです」とおっしゃる方がいらしても不思議じゃない。

「おまじない」と「引き寄せ」が明確に区別できるのかどうかわからないし、「いや、一緒っすよ。ネーミングの違いです」という認識なのかもわからない。

いつも通り、わからないことが多いままに書き進めます。

「能動的」と「受動的」の解釈が違う?

Aさんは月に向かって財布を振ることが「行動」「能動的な行動」と認識しているとしましょう。仮定です。

BさんはAさんの行動を見て、「お金を手に入れる具体的な行動ではなく、ナニカをあてにした受動的な態度」と認識するかも知れない。

 

で、結果は?

で、結果は?

 

そう、どこが結果なのか、どれとどれが因果関係で結ばれているのか? どれとどれを因果関係と認識するのか? が多岐に渡るんである。

 

人生って深く感じようとしたらキリがない。

意味づけしようとしてもキリがない。

もうこの辺は「お好み」であると思っている。

 

だから、「結果」などと胸を張って言える真実というか、唯一無二の答えは無いんじゃないかと思っている。

いや、これが正しい答えだという意味での「結果」って、「そう思いたい」「そう信じたい」以外にどうやって認識・判定するんだろう?

財布を振るとお金は入ってくるのか? 結果は?

あんた(武田)の「わからん、わからん」は読み飽きた(聞き飽きた)。

で、財布を振るとお金は入ってくるのかこないのか? ハッキリ答えだけが知りたいのが人情だろう。

私の場合

事実1>私も昔、数回の満月の際にお財布を振ったことがある。

事実2>今日現在お金は足りている。

 

じゃあ、結果は「月に向かってお財布を振ればお金は入ってくる」で良いんじゃないか?と思ってもらっても良いんだけど、

でも、でも、でも、大切なまた別の事実もある。

事実3>財布を振るというおまじない(?)を知るずっとずっと前から「お金は足りていた」

 

そう、因果関係を発生させる根拠が弱いと言えば弱い。無いと言えば無い。しかし、おまじないを信じる要素はある

これを「行動と結果」と言って良いのか?

 

科学的という表現が合っているのかわからないが、私の場合はこの「財布を振る」については科学的な証明ができる案件にはならないと思っているし、

そもそも、「行動と結果」という話をする際に、「月に向かって財布を振る」という行為を「行動」の事例として挙げて良いのか?と感じている。

 

しかし、財布を振るという話を知る前も、知って振った(1年位?)後も、振らなくなって数年?10年?10数年?経った今も、生活するためのお金は足りています。

 

財布を振るのをやめても(しかし、振ったという行為の後に辞めてるわけです)、お陰様で生活するお金は足りています。

今生活のお金が足りているのを、過去にお財布を振ったことと関係がないという証明も出来ない訳です。

では、なぜそういった行為をしたのか?

足りては居たけど、多分「もっと楽にお金が入るならラッキー」みたいな感じで、例の独特な欲・執着みたいなものが私に財布を振らせた。

と書くと受動的、被害者的ですが、財布を振るという行為をしたのは能動的。

 

この辺が人間の面白い所だと思う。

 

結果!

お財布を振るとお金が入るのかどうかはわかりませんが、ここまで文章を書いてきて、今日現在の結果として、

「行動」と「行為」について、なんだか根底のニュアンスを違えて受け止めている自分がいました。国語辞典に書いてある意味以外に、私個人が勝手にニュアンスを形成しているみたい。

これが感性や価値観というものでしょうね。

 

使い分けの妙?

そして、「能動的」と「受動的」というものを多くは無意識に、気づいている人は自己選択的に使い分けているんだろう。

 

そして、人生がシンドイ。上手くいかない。と感じる時期は、何を「能動的」にして、何を「受動的」にするか?という選択が逆転しているという可能性もあるかもしれない。(そこに、正解のように感じる順行があるのなら。だけど)

心理的逆転って多分、これらも含んでいるような気がしています。

 

「潜在意識と顕在意識」というような言い換えも出来るかもしれない。

 

結果のようなものをもう一丁

なにを潜在意識と捉えたり、感じたり

なにを顕在意識と捉えたり、感じたりするのかも、かなりの個人差、グラデーションがあるように感じています。

 

これらに対して、能動的と受動的という要素が掛け合わさっているようなイメージが今現在の私にはあるんですよね。

 

それを天命と位置付けたり、自己選択と感じたりしてるんじゃないかな?

 

こんなことを考えていると、卵が先か鶏が先かみたいなことになっちゃうんだけど。という話で今回は〆ます。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像
Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

 

後悔しない人生ってなんだ?

後悔しない人生ってなんだ?

度々目にするタイプの内容と思いますが、改めてシェア

Facebookでシェアされていたこの記事を読んで、

後悔しない人生を送るコツは「今を生きること」って知ってた? 7選

 

次の文章を自分のFacebookのウォールに投稿しました。

— ここから —

その昔、「もうトシだから」と思って見送った事を、その5〜6年後にやっぱりやった。

その時思ったことは、

🟡どうせやるならあの時やればもっと早く出来たのに。

🟡あの時は踏み出せなかったが、その数年後には踏み出せた事でAll  OK👌

という事でした。

 

またまた懲りもせず、約15年前に、

「もうトシだから」と言ったら、年上のお姉様から

「まだそんな歳なら、まだまだよ。これからなんでもできるよ」と言われた。

 

なんでも。かどうかはわからないけど、その時予測もしなかった色々な事をその後手がけて人生の色合いが大きく❓全く❓変わった㊗️

 

あらかた落ち着いて、これでもう大きな変化など無いだろうとタカを括っていたら、またビックリ変化が起きて、その後にまた新しい扉が開いた🚪😳

🟢今まで通りの相談業、ケア、サポートと並行して

🟢只今その新しい環境の中で一生懸命新しい事を覚えてる。

 

もう変化しなくても良いや。と思うのが老化なのかどうかは知らないが、現状に満足していても変化ってあるね(当たり前か。実は毎日新しい扉が開いているわけだから)

 

まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。

自己選択というのか、天命と言うのか。

 

遅いと感じようがなんだろうが、一度トライしてみて、またその後決めたら良いような気がする。

 

やりたきゃ勝手に続くことってある。

続けたくても続けられない事もある。

— ここまで —

 

感じ方は変わるんだなぁ

冒頭の、「その昔」と書いたその時は20代だった。

今現在の私からみれば、20代の若者が「もうトシだから」と言っていたら「は?なに言ってんの?大丈夫よ!」と思う。そう感じる感性は分かる。私も通った道だから。しかし、実際にはそう感じるゾーンを遥か昔に通過した者として「は?なに言ってんの?大丈夫よ!」と言ってる。

 

また、15年ほど前の私が当時何歳だったのかは書かないが、これはもう何歳でも同じ事。

シェアした記事の中では90歳の女性の例が紹介されていたから。

 

年齢ごとに「もう〇歳だから」と感じる事や、立場や環境について「もう〇〇だから」とその時は感じるかもしれない。しかし、私たちには「時間」が作用するために、時間によって「感じ方」「感性」が変化することもある。

 

おそらく「後悔」とはそういった作用の一部分だろうと、この文章を書きながら改めて再認識しました。

 

以前ホームページのコラムで、複利について度々言われている「時間を味方につける」というようなことは私たちの人生を考える時に頭に入れておいても良い感性なのかもしれません。

 

過去のコラムをご紹介

名より実を取る。損して得取れ。

感情をコントロールすることを覚えていく。覚え直す。

生き急いでしまう

バランスについて

自分を整えていると自分を客観視できるのか?

 

次回予告

次回は

冒頭にご紹介したFacebookの投稿の中の

まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。

自己選択というのか、天命と言うのか。

について書いてみたいと思います。

PexelsによるPixabayからの画像

まさかの未来到来

まさかの未来到来

ある日の夕暮れ

写真はある日の夕暮れです。

この写真を撮った後、私の未来に登場するとは1年少し前には全くわからなかった皆さんとユンタクしたんです。

この後、好きな皆さんとユンタクしました

 

今日も日が暮れる

生活の変化

1年前ともう少し前

生活の変化に伴いブログなどの更新をお休みする様になりました。

 

この間に出会って、多くの時間を過ごした皆と先日再会し、ユンタクしました。

とても楽しかった。

 

そして、今2022年9月

思わぬ未来が到来しましたが(どこまで行くのかわからないけど、しばらくやってみよう)と、またまた新しい生活を送っています。

 

よく、「人生のプランニング」とか「夢・計画」など見聞きしますね。

私もこれまでは無意識的にも、意識的にもそんな事を大切にしてきたような気がします。

 

ところが、

  • 私の内的変化と、
  • その後の世界的なコロナの影響と
  • 自分の人生設計に遥か昔に選択肢の1つとして加えたことが10年単位で近寄ってくる彗星のように2021年に再登場したこと

などが重なって

「短期間、初めての事に関わってみようかな」と驚くほど気軽に、無計画に、無頓着に、将棋に詳しくない素人が、とりあえず「歩」を1コマ動かす程度の感覚で関わった事が

  • 非常に大変だったり
  • 懐かしい孤独を思い出したり
  • 思わぬ自分の適性が見つかったり
  • また新しい「ヒトに救われる」体験をしたり
  • 初めての「悦び」を感じたり

などを生産する事につながりました。

 

まさかまさか、自分の未来にこれらが起こるとは全く予測してなかった。

 

いや、人生の先のことなど、予測できてるつもりでも、当てが外れることなんて山ほどあるんだけどさ。

 

で、今

これがまた、それまで置かれていた環境に影響を受けてみる事にした結果、また一段階生活スタイルが変わりました。

 

またまた今まで体験した事が無い「人生初」を一生懸命覚えています。

 

今の前の約1年で思い出したり、再確認したのは、

「ある程度慣れてから、その後自分の適性がより深くわかってくる」ということでした。

 

ある程度慣れてくるまでには、壁があったり、衝突があったり、自分に対するガッカリがあったり、他人に対するガッカリがあったりしませんか?

あくまでも私の場合ですが、「壁」のように感じるシンドさはついてくることが多い。

 

今回も、軽い気持ちで始めた余りの自分への縛りの無さに(なんで私はこれをやっているんだろう?)(嫌なら無理せず辞めれば良いじゃん)という自分でも不思議なせめぎ合いもありました。なぜ踏みとどまったのかと言うと、その時自分がやっていることに楽しさを感じている自覚があったから。

人間関係がイヤで苦しくても、環境が理想とは程遠くても、それに染まらず、自分が「楽しさ」を感じていることの方を大切にした結果、今のこの益々予測していなかった世界に繋がりました。だから、苦しさから逃げることも自分を大切にすることではある場合もあるけれど、苦しさに洗脳されず自分の本当に感じている内的感覚を感じる事も自分を大切にする場合もあると思う。

 

世の中にはこれが逆転していて(正解はありませんから、私の最近の感覚と逆という意味でお読みください)

  • 実は興味があるけれど、理想とは異なる部分を優先して手放す。
  • 自分を大切にすると言うのは、辛さや苦しさを避けることだけを意味する。
  • 興味も楽しさも喜びも無いが、「条件」という価値観を優先して手放さない。しかし結果なんだか非常に苦しい。(自分が苦しい頃や喜びを感じないことに気がつかない)

なんてことも多いような気がします。

ケースバイケースですが、ある意味心理的逆転みたいなことって全然珍しくない。

 

思考、刷り込み、感性などなど関わってくるんだろう。

 

話題は「適職論」へ飛びます

FMよみたんの「沖縄カウンセリングラジオ」でもお話ししましたし、Facebookか何かに書いたのですが、今の私は

好きでも嫌いでも、なんとも思わなくても、「出来る」「こなせる」ならば「適職」とカウントしていいんじゃないかと思ってます。

 

その位、「適職」という言葉のハードルを低く設定しています。

 

それを仕事にする期間の長短は別問題にして下さい。「こなせても」興味が持てない事もあるでしょうし。興味が持てない事を長期間できない方もいるでしょうし。(興味が持てなくても長期間できる方もいらっしゃる。それも、できる事自体が適職ではないかと私は今は考えています。)

 

だから適職が沢山ある方って多いんじゃないかな。

 

補足

ラジオ番組(アーカイブと言いますか?)はYouTubeの検索で「沖縄カウンセリングラジオ」と入れてください。

「武田美紀」では出てこないし、「心体カウンセリング、心体カウンセラー、セラピー、ケア」でもラジオ番組は出てこないです。

著作権の関係で、音楽とコマーシャルは流れず無音になってます。

 

カウンセリングは行なっています

心体カウンセリング、セラピー、ケアは行なっています。

ただ、もうしばらく、予約枠のお知らせが長期でお知らせできません。

ご予約頂ける枠をギリギリにならないとお知らせが出来てなくてご迷惑をおかけしています。

 

お電話で「いつが空いてますか?」「〇月〇日はセッションしてますか?」など、お気軽にお問い合わせください。そういったお問い合わせも多いです。

料金も大切です。初回は90分コースをお薦めしています。

料金・お問合せ

 

もし、アレコレ自分で考えてみたい方でしたら、過去のコラムがお役に立てたら嬉しいです。

コラム集

 

本日のまとめ

わかったつもりの自分の未来、他人の未来は、わかったつもりという勘違いでしかないことって多い。多いどころか、当たる方が極少なのかもしれない。

未来と書かずに、自分のことも他人のこともわかったつもりという勘違いで脳内は構成されているとも言えるような気がする。

 

と思うと、

「喜び」「悦び」を感じられる幸運が有難い。

人生で出会う他人様とのユンタク(お喋り)に「喜び」「悦び」を感じられる幸運って有難い。

冒頭の皆さんと初めてマスクを外した顔を合わせたし、時間に追われずゆっくり食事をしたし、心置きなく笑った。

 

人生の愉しい愉しい時間でした。

ありがとう。

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