あぶねえ

続きをすぐに書けませんでした。もったいぶっていたわけではありません。大阪に数日滞在したのですが、その準備とか、ただぼーっとしていたりでPCに向かえずにいました。落ち着きましたので前回の続きを書きます。

大阪滞在について少し書くと、ホテル良し、シルクドソレイユの内容も良し、東京公演と内容が違ったのも新鮮だったし、観劇した席も正面4列目で非常に感激したのと、じゃあユニバーサルスタジオに行けるねって後から決めたのに丁度ハロウィンで日頃体験できないイベント有り、SINGを見た時に通路を歩くゴリラ君が私の伸ばした手にタッチしてくれた優しい感触も良かったし、沖縄に戻る飛行機が鬼滅の刃号なのもなかなかでしたが、帰りの機内でユニバーサルスタジオジャパンで非常に親近感がわいたマリオブラザーズの映画を見るというちょっとなんだか神がかった展開でした。

楽しかった。書ききれないです。生きていて良かった。腹が立つこともあるけど、凹むこともあるけど、ひっくるめて生きていて嬉しい。

 

あとですね、私は海外を含め凄い数のアタックにもびくともしなかった安心できる有料のサーバー契約を現在していますが、時々ビジー状態になるようです。容量が少ないのか? 容量の割にたまたまアクセスが集中したのか? それともそれなりに月日が経っているので容量をくっているのか不明ですが、もう少し様子を見て引き続き不具合が起きるようなら容量をアップを検討します。

私のホームページやこのブログを訪れてくださっている皆様にご迷惑をおかけしていましたら申し訳ありません。

あぶないところだった。のか?

本日はこの記事の続きです。

上手く書けるかな? 書けるといいな。

薄氷の違い? 同じ?

最新のマトリックスの中のセリフだった(はず)

仮想空間の解説を「全てと無の狭間」と表現されていた。私もたびたび「アッチとコッチの隙間」と書いてきましたが感覚的な表現だったので(自分がアッチとかコッチとかって感じるコレは何だろう?)と考えた時に現在のところまでは「顕在意識と無意識・潜在意識の隙間」という仮説を採用しています。

そしたらば、映画「マトリックス レザレクションズ」では「全てと無の狭間」なんて表現を見たものだから、なんか似ているな~って思いました。

いや、ひょっとしたら別の映画(「レミニセンス」)だったかな?

こんなことも、私が書きたい事の伏線というか、内容の一部のような気がします。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

一旦簡単に流れを確認

自己メンテナンスで施術、治療を受けました。

松果体がなにか反応していた。が、それをはっきりoverしていたとかそういうことは言われていません。その時松原先生がおっしゃったセリフを聞いて私が勝手にoverではないか?と推測したにすぎません。が、overにしてもunderにしてもアンバランスだったということではあると思う。

私がこの数日前から試験的に取り入れていたセルフケアというかイメージワーク(粒々モーフィアス方式、量子論方式とも言えるのか?)に松果体のアンバランスを引き起こす要素があるのでは?と思ったので(あくまでも自分で勝手に考えたことです)その方法をやめました。これにこだわらなくても従来の健康的なセルフケア方法もイメージワーク方法もあるから。

時系列的にはこの施術を受けた後に数日試験的に行っていたイメージワークをやめたのですが、並行宇宙的というか、並行時間的には結果を即座に(同時進行)で感じられるという説を基に考えると、少し先の未来にそのイメージワークをやめることが決まった時点で「天上天下唯我独尊」という感覚につながったのかもしれない。と今日現在(2023/10/中旬)推測いたしました。

SF映画好きですと、こんな文章を書くことはなんら違和感はありませんが、一般的、社会常識的には(このヒト イッチャンテンナー)的という認識はあります。今のところは。

Wolfgang EckertによるPixabayからの画像

 

そう、

” やめることが「天上天下唯我独尊」という感覚につながったのかもしれない。 ”

というところが今回書きたいことです。

 

それと冒頭にリンクをはっている前回のブログに書いた

” なんだろうか? あの人間の本能的な危機管理能力をすり抜ける独特の静かさは。 ”

との関連性。

 

そう、私はこういう類のことを考えるのが好きなんですね。特殊能力を得ることや、特殊能力を使えるようになることや、なにやら別世界に行くことや、教えを広めることなどではなくて。

だから、人生は好き好きで、スピリチュアル界方面的な特殊能力を得ることや、スピリチュアル界方面的な特殊能力を使えるようになることや、なにやら別世界に行くことや、教えを広めることが好きな方は誰に何を言われてもその道を進まれると思うんですよね。良いとか悪いとか、正解とか不正解とか、嘘とかホントとか、正解とか良いとかホントだと思っていたことも時間が経てばそれらの体験もまた逆になることがあるし。体験を経て、その先にまた新しい世界観が現れることがありますものね。

Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

 

忍び寄ってくるのではなくて、逆にそれがデフォルトでは?

前回、

” なにかしらの「術」のようなものを使えそうな気持にさせるのがトラップなんだと感じている。いろんなエゴが人間にはあるんだけど、そこのエゴは少々厄介が深い。というエリアがあるんだと思えるパターンがある。”

 

” なんだろうか? あの人間の本能的な危機管理能力をすり抜ける独特の静かさは。 ”

 

”「エゴとの親和性」”

 

と感じたことを書いて、そのあと、(忍び寄ってくるのではなくて、元々人間のデフォルトな状態では?)と思うに至りました。

ですから、こういったことを回避というか、そもそもそれが(危ない匂いがするぞ)と感じる感性というか、なんと書いたらよいのか迷いますが「人間の業」のようなものに対する興味や、自分だけは大丈夫と思うこと自体も「業」「エゴ肥大」ではないか?というような視点というか、そういった思考が無いとこういったことに興味を持った時点でそもそもハマる可能性が非常に高いのかもしれないし、こういったことに興味がわく、わかないという分かれ目も深い意味での「運」みたいなことも関係するような気がします。

 

「運」なんて書くと、(それを言っちゃあおしまいよ)という感じがするから余り好きじゃないんですが、表現力が感性に伴わないもどかしさがあります。ちょっと悔しい。

(※ 「人間の業」というタイトルの書籍があるようですが、私は未読ですし、未読なので推薦もしていません。)

 

「そもそもそれが(危ない匂いがするぞ)と感じる感性」と前述しましたが、危ないとかどうとかいうことも人によっては価値観が違います。前回のブログに ” 信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」というのでしょうか。” と書いたのは、一応価値観の線引きを提示したに過ぎません。

正解でもないし、不正解でもありません。

 

「運」と同じく、「業」と書いたら、その時点で(それを言っちゃあおしまいよ)とは思うんですが、やっぱりピッタリくるんですよね。

昔は否定的で嫌っていた業のような類の事象は、もちろん今でもそれらに反応して感情は動きますし、当然のごとく自分にもある。しかし年月を経て、自分のケアをしてきて、いろいろ考えてきて、変えていきたいことや、それについてできる行動はして、変化してきて、「業」と言われるようなことを時には人間ならではだと愛おしく感じる瞬間も現れるという奇跡みたいな一瞬も増えてきた。

 

私の中にも「超越したい」という欲求があり、それは特殊能力を得ることを指すわけではなく、ただ「楽になりたい」「生きづらさをなんとかできるならしたい」とことに端を発していたと思う。私の中の「超越したい」は比較対象が他者とか社会ではなくて、自分の「苦しみ」「生きづらさ」を超越したいという一人称だったのも良かったような気がする。

だから、特殊能力を得るとか、抜きんでるということでは、私が求める「楽」にはならないし、返ってこじれていくということを研究していたことが良かったような気がする。

しかし、多分この「超越したい」という欲求はある程度の割合で人間にデフォルト設定されているんだろうと思うんですよね。認められたいとか、カリスマになりたいとか、尊敬されたいとか、その名を轟かせたいとかもそこに含まれていて。

 

そこが「エゴとの親和性」が高いという要素の1つでもあるだろうし、なにかしらの「術」のようなものを使いたくなるという欲求、エゴということになるんだろうな~って思いました。誰もがチカラがあるんですよ。と言いながら心中(自分の方が上だ)と思っていたりとかするのは競争社会が前提になっていやしませんかね? なんてことも含めて。

 

セルフケアでストレスを「抜く」のではなくて、イメージワーク的なやり方で「量子」「粒子」を操作したら思い通りになるんじゃね?という能動性というか。

もう少し書くなら、それはストレスケアではないし、目的のための行動でもない

 

ちょこちょこっと脳内で「術」的なものを使って結果を得たいという欲求でしかない。という視点もあるな~ これがヤバイ入り口の1つかもな~ という1つの仮説に立ちました。

 

天上天下唯我独尊とのつながり

で、こういった「ちょこちょこっと脳内で「術」的なものを使って結果を得たいという欲求でしかない。」という自分の思い通りに周囲を動かしたいという、量子とか粒子とか電子とかなんとなく格好よさげで理論的風を装った「エゴ」みたいなものが私にも表れかけていた。

mcmurryjulieによるPixabayからの画像

 

できそう。って思わせるんですね~ 怖いですね~

 

いや、できるかもしれませんが、健康的にこの辺りをクリアしている方を私は実際には存じ上げない。その逆に、このトラップみたいなものにハマった方は多く見ています。だから(アッチは危ないな)と思っていたのにこの体たらく。(笑)

 

ということは、多分クリアするハードルはなかなか高いような気がするし、私が勝手に想像したのは、ナニカを超えたというか、ちょっと超越しているように感じる方はこういった類のことをしない。していないように感じます。

理論と、それを人間が扱おうとする際のギャップみたいなものがあるのかもしれませんね。原爆を作った方もそうだったかもしれないし、最初は便利な発明だったプラスティックも今では地球を脅かさんばかりというような意味で。

ですから、理論は知っているし使おうと思えば使えるのかもしれないけれども、実際にこの辺りの領域にハマらず人生を過ごされている方は、そもそもエゴというものをよく知っているというか、人間の業をよくご存じと言うか、自分だけは大丈夫という特別扱いしないというか、そんな感じがします。

 

そういったものを(術? イメージワーク? 願望?)を使わなくても、もう自分には存在意義があるという自己肯定なのかもしれませんね。

またまたもう少し書くと、こういったことをしようと思う時点で無自覚な不満とか、欠乏感とか、コントロール欲、支配欲がそっと? 思いっきり? 発動しているような気もしますね。

 

これらが悪いってわけでもなくて、個々の人生観によっては「術的なものが使えるようになるのが人生の目的」という方もいらっしゃいそうなので、人生については各々で考えて選択して行動していかれるんだと思う。

 

 

まとめると、今回の出来事を通して、無意識にしている他者や自分にしている条件付け、評価。

そんなことに思いをはせました。

 

そのままの自分。裸ん坊の自分を受容しているつもりでも出来ない。していない。

他人様には言えても、自分には適用しない。

そんなことありますよね。

 

思い通りの環境とのギャップ、現実を理想と違うと感じた時の人間の行動や選択、思考についてまた1つ考えました。

 

rubyliaによるPixabayからの画像

 

現在のところで書きたかったことが全て書けていないような気もしますが、今日は一旦〆ます。

続きがありましたらまた書きます。

 

おやすみなさい。2023年10月15日 夜。

薄氷の違い? 同じ?

くっきりした境目はあるのか?

最初に「お礼」

Blogやコラムを読んでくださった方が「自分が書いているかのように感じた」と感想を教えてくださったことがありました。嬉しかったです。それは何かそれらしい、良さそうな言葉や話を書いているわけではなくて、心情や感情や想いが表現できていたかな?と感じたからです。

私もなにかを読んだ時に(あぁ 私と同じようなことを感じているヒトがいる)とそれ自体に救いを感じたことがあったし、会ったこともない、それが小説の中の登場人物の言葉だとしても(理解者がこの世の中にいる)とそれもまた救われる思いを抱いたことがあった。

私が書く文章がどなたかのお役に立てるならばそれはとても嬉しいことですが、やっぱりまずは自分のために書いていると思う。書いて思考を整理したり、書いているうちに思いもよらぬ思考展開がおこったり、それこそ閃いたような気がしたり。

私にとっての暖かいご感想をありがございました。

境目ってなんのこと?

イマジナリーフレンドと神

例えばですよ。

信仰を持っておられる方は自分の中で「神と対話」するような感覚があるのかな?と思ったときに、それがイマジナリーフレンドや、神だと思っている怪しげな存在がいたとして、明確な違いってどう判断します?

ご本人から「私のコレは何でしょうか?本当に神でしょうか?」って質問されたりします?神だと信じていたら「本当に神でしょうか?」なんて聞きます? 信じているのに。

 

この部分の簡単な下書きを書いて早2か月?ほど経っているので、この案件に対しての熱量は冷めておりますが、私が何を書きたいのか?というと、「質」「本質」ってなかなかアヤフヤなもんなんだなって思ったんだと思う。(推測)

薄氷の違い? 明確な違い?

薄氷の違い? 明確な違い? どうやって判断してますか?

 

ところで私はそういったものについて、何を頼りにしているだろうか?と考えてみた。正確な答えというよりも、自分がどう感じるのか?というところです。

 

勘・・・勘に頼るって言葉があるもんね。

 

私はこんな時、気配を感じようとする癖があるのは自覚している。聴覚や嗅覚は凄く使うし、「脳裡に言葉を取りに行く」ような感覚もあるし、イルカやコウモリみたいな音波?電波?の跳ね返りみたいなものを感じようとしたり、それにしっくりくる言葉を脳内で探す。改めて考えてみると、目の裏に(脳か?)これらの感覚を集め浮かべて、総合的に判断を下している時がある。

John HainによるPixabayからの画像

 

似たようなことは過去にも書いたことがあるけど、その時の出来事には「言葉を探す」という要素はなかった。「質」「本質」みたいなことになると「言葉」が欠かせないみたいです。

 

いやいや、眠っていた下書きも書き進めてみるもんですね。私が勘を意識して働かせようとするときの感覚器の使い方の1つのパターンを文章化するときがくるとは思っていなかった。

そして、この下書きがまたまた本題の伏線となりそうで自分でビックリしている。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

私がセルフケアに使うのをお休みしたスキルについて

いったん辞めてみた理由

こちらの記事に松果体云々について書きました。

どうもアンバランスが起きていた可能性があるね。と。松果体が過活動、overだった可能性について書いています。

脳汁(な わけないんだけど)

で、自分でそういったoverに関係しそうなこととして、少しの間試しにセルフケアに使っているスキルの影響かな?と推測もした。正確な答えは知らないけど、(ひょっとしてアレの影響かな?)と推測したんです。

 

それが、こちらのブログに書いた、「粒々のモーフィアス」方式。(どんな方式?)

煩悩と楽しみ

 

気配を感じないほどエゴに親和性があるのか?

とあるところにハマっていくと、なにやら怪しくなってくる領域がある。

以前私が(なんか決まりきったようなパターンがあるんだよな~)と記事に書いていたら、多分それを目にしてくださった松原先生が「禅病」という名称があることを遠回しに教えてくださった(と思う)。

そう、なにやら怪しくなってくる領域がある。というのはこういったイメージ。

これらについての私の勝手なイメージを書いてみる。

なにやら怪しくなってくる領域とは?

境目がはっきりしていないが、ヤバイ扉は静かに口をあけている。

mcmurryjulieによるPixabayからの画像

 

そして、気配を消して静かに開いている扉に入ってしまったことにも本人は気が付かない。

それほど境界線がない。

 

なにかしらの「術」のようなものを使えそうな気持にさせるのがトラップなんだと感じている。いろんなエゴが人間にはあるんだけど、そこのエゴは少々厄介が深い。というエリアがあるんだと思えるパターンがある。

 

「エゴとの親和性」と書いたが、書いた自分が天才に感じるほどしっくりくる表現だ。そう、エゴとの親和性がとんでもなく高い案件が実はアチコチに静かに扉を開けているんである。食虫植物みたいに「(人間が)入ってくるのを待つ」という意識や受動性に見せかけた能動性があるのかないのかはわからないけど、信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」というのでしょうか。

 

こういったイメージ。

自分で天才かと悦に入っていますが、読んでくださっている方には伝わっていますか?

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 

 

この領域と松果体

多分、そういったことって松果体に影響するんだと思うから、実験的にやっていたセルフケアも控えめにし始めた。というか、いったん辞めた。(素直なんで。(笑))

 

なんだろうか? あの人間の本能的な危機管理能力をすり抜ける独特の静かさは。

だからハマっていくんだけど。

 

そして、ハマっている自覚が持てないから吸い込まれたら出てきにくい。(ひょっとしてドリーン・バーチュー氏が ハッ(◎_◎) とした感覚ってこういう感じだったのかしら?とまたまた勝手に想像しちゃった。そして、過去記事で書いた4大カリスマ達も???)

磁場は幾つもあるらしい 2

 

と感じることがあるので、今回松原先生に松果体のアンバランスを指摘されてマジ助かった。(先生に対して マジ とか書く失礼をお許しください)

 

興味や研究心よりも、(なんかヤバい可能性ってある? あるかもよ。 あるんじゃない?)と聞こえたような小さな小さな心の声に従うことにした。

立ち止まった今考えていること

扉に吸い込まれかけてというか、自ら足を踏み入れかけて

アレ?

と止まってる。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

その(一度足をとめてみようか)と思えたきっかけはメンテナンスのために受けている施術、治療によるのですが、大いなる幸運でした。

 

私は日々の生活の中でも

あ! 今 護られた!

と ハッとするときがあるのですが(ただの気のせいかもしれません)、今回もまた護られたと理解することにしました。

Jason GohによるPixabayからの画像

 

もう少し詳しく書きたいので、次回に続きます。

 

本日は大枠、プロローグを書きました。

変わっていく 良くも悪くもなく「ただ変化」もあるよね

変化の振り返り

市場で「ししとう」を見たので久しぶりに焼いて食べました。

やっぱり美味しいもんですね。

日頃毎日3食きちんと食べるとかじゃなくて、ろくでもない食生活を送っているので、ししとうを焼いて食べただけでも非常においしく食事をしました。

また、私が内地に行ったときにイチジクをもぎって食べるというようなことはありませんが、先日読谷村の市場でイチジクが売られているのを見かけて嬉しくて買ったもののイチジクがイチゴ級に足が速いことを知りませんで2個ほどダメにしてしまった。今度こそ!と今日もイチジクを見かけたので買いました。前回、「イチジクの食べ方」をネットの民に教えていただきました。教えてもらわないと食べ方すらわからないという体たらくです。

脳汁?の話じゃなくて

今日は最初に、既にアップしているこちらの記事 ↓ の加筆と言うか、訂正します。

脳汁(な わけないんだけど)

第3の目云々と書いたのですが、私はあのときの自分の体感覚を忘れていました。セッションや施術を受けた時に何をされているのか?とか、何を感じるのか?とか意識を向けすぎると交感神経が優位のままでゆるまらない気がするのでいろいろ感じはするんですが気は緩めています。無理に自分を観察しようとか、感覚を覚えていようとかしないんです。

だから、施術後覚えていられたこと(思い出したこと)はササっとメモをしますが、メモしたらまた忘れちゃう。   そう、見事に忘れてました。

で、ひょっこりとメモを見返したら、眉間当たりが明るくなって、そのあと頭部が明るく軽くなったと記録してありました。

ブレインマップに「頭空っぽ」と記録してありましたが、(それはいつもか?!)と思いつつ、いつもの空っぽ感とは違っていたんですよね。

 

喉の奥に流れ込んだように感じたものがなんだったのかはわかりませんが、頭部で滞っていたナニカかもしれないという可能性はあるかな?と思っています。(そしてこの考察をしていて、ふと、大切なことに気が付いたかもしれない!ということを書きたくて今回の記事を楽しみにスタートして、さっそくシシトウやらイチジクの話を書いてる。)

そして、そのあと、数日して自宅で眠っていたら施術を受けていた最中眉間に円形状に明るさというか、軽さを感じてそれが頭部に広がったのと似た感じで胸を中心にフワ~~~っと軽さが広がった。

あら?急にどうして? 寝てただけだけど。(眠っていたのが良かったのかもね。睡眠大事。寝ている間にアチコチ修復されたり、回復する)

 

セルフケアや施術を受けるとか、どの行為がどんな結果を招いているとか線引きはできず、総合技だと思っています。原因や理由は数学的のようには分類できませんが、やっぱりメンテナンスは日頃行う習慣をつけていると良いなぁと感じました。セルフケアでも他人様のチカラをお借りするにしても。

理想は両方を併用することだと今は感じています。

仮説

で、本日散歩中にあの頭と胸の変化の感覚は(磁場の変化か?)という仮説が浮かんだ。

例の、脳と心臓の2大磁場説に当てはめて考えることもできるのか?なんて感じで。

磁場は幾つもあるらしい 2

 

真偽は不明ですけれど。

 

しかし、この仮説が頭に浮かんだ後、松果体あたりのアンバランスと線がつながった。

いや、こんな線、仮説ってあるのかな?という考えが浮かんだということです。

 

次回私なりに一生懸命書いたものをご紹介できたらいいなぁと思っていますので、これについては少々お時間ください。

私は元々、疲れたり、エネルギー不足感を感じると目がしょぼしょぼする(ように感じます)。特に右目。こういったことを改めて松原先生にメンテナンスを受ける際にお伝えしたら、「眼」のバランス調整をしてくださったのですが、その施術、治療を受けている際の体感覚が面白かったです。

バランス調整って一気にゴール(変化、結果)に到達するんじゃなくて、段階があるということを今回も感じた。

以前も書きましたが、今回も同じくでした。

治療体験記 首から上編

 

現在までのところ、あのしょぼしょぼ感は感じていません。

やっぱり凄いな~って思いました。先程書いた胸の明るさ、軽さの広がりについて原因と結果みたいなことは特定しにくいですが、目のしょぼしょぼ感の現在までの「無さ」は施術、治療と直結しているよね~って感じるから。

ありがたいです!

身体

ちなみにメモには、「体は透明になって消えた」とも書いてありました。

読み返して、そうそうそうだった。と思い出しましたが、以前リアルマスターヨーダこと大竹先生はこういった「体が透明になった」と感じる現象について「(周囲と)同化した」と解説してくださったことがありました。

 

こういった「透明化」と感じる体験は過去にも時々あって、とんと更新していない不思議系のブログにも書いたような覚えがありますが、理論というか、どういった解説があるのか?については良く分かっておりません。

リアルマスターヨーダこと大竹先生に直接お会いした時に私が覚えていられたら質問したいことの1つではあります。

 

そう、私はこういったことをあまり深く追求していかないのですが、時期が来たらそういったことに答えを持っている方に出会うことが多い気がしています。

 

そして、この時の施術を受けている最中にリアルマスターヨーダこと大竹先生が以前おっしゃっていた「言葉」で、私が次にお会いしたら「あれはどういう意味ですか?」と質問したいと思っていることがあるのですが、(なるほど こういうこと?)と感じた気がしたんですよね。

数年前には「それにはどういう意味が????」と思っていたことを、施術を受けている最中に(なるほど こういうこと?)と体感が先に来たような気がして、変化や時間を感じました。

でも「意味」はわかっていないから、やっぱり質問はしたい。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

ヤバイ。まじ このヒト ヤバイ。と思われる

これを書くのは勇気がいる。

今までも(こいつヤベーやつじゃん)と思われるであろうとことを書いたこともある。それが東洋思想的には「あり」だったけれども、まぁ一般的には(こいつヤベーやつじゃん)と分類されるだろうな。という俯瞰力は一応あるつもり・・・だったが

今回のこれはヤバイ。(笑)

 

 

施術を受けている最中に、これが頭に浮かんだ私が

こ、こ、これは・・・・ (-_-)

と思ったもん。(笑)

 

こ、こ、これは・・・・ (-_-) とは頭によぎるけど、「無」になっているので感情は動かないんだよね。 だから(-_-) ←本当はこんな顔にもなっていないし、気持ちも揺らいでいない。

 

そして、(笑)とか書いているけど、笑い事じゃないかもしれない。

 

が、もうヤケクソでただの脳内映像と脳内に浮かんだ言葉です。という断り書き一本で皆様に強制了解をいただいて書く。

 

それは、文章にしにくい独特の風景が脳内に浮かんで、次に「天上天下唯我独尊」という言葉が浮かんだという脳内イメージについてです。

天上天下唯我独尊???

上手に書けなくて(表現できなくて)申し訳ないのですが、

(天上天下唯我独尊ってこんな感覚なんだ)と感じたというのが近いのかもしれない。いや、天上天下唯我独尊という状態だとこのように景色が見えるというか、世の中を感じるというか。(表現するのが難しいです。)

 

↓ こういった脳内映像とも違うのですが、ニュアンスが似てる・・・かな?

Arek SochaによるPixabayからの画像

 

実はわたくし天上天下唯我独尊という8文字熟語(熟語なの?)は知っていますが、正確な意味が分かっていなくて、(天上天下唯我独尊とか感じたってエゴ炸裂でヤバくない?)と思ったりしたし、だから (ヤベーじゃん まじで。 そこまで行っちゃったの? )とも思った。

 

がしかし、このヤバイ話をここに書き始めて、その意味をネット検索したら(遅いよね)別に悪くなかったというか、特別ヤバくなかった(ような気がする)。

 

” 釈尊は、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられている。この言葉の意味するところは、唯だ“私だけが尊い”という意味をあらわしているのではない。
 「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味であり、それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いということの発見である。しかも、釈尊は生誕と同時にこの言葉を語られたと伝えられている。これは、釈尊の教えを聞いた人々が「釈尊は、生涯このことを明らかにせんとして歩まれた方である」という感動を表現したものである。 ” ―大谷大学のサイトより

 

なんというか、健康的な自己肯定感のような気がするし、自分と同じように他者を肯定できているような気もする。(気のせいか?)

 

いやぁ、ビビりました。

エゴ炸裂かと思って。

いっちゃったか? と冷静に見たよ自分を。(-_-)

変わったよ

なんというか・・・・私も変わりました。

穏やかになりましたね~

 

今でも怒りますし、別に怒りを感じることが悪いとかも思わないですが、なんだか「芯」が穏やかになりました。ありがたやありがたや。

 

他にもいろいろ脳内映像はあったけれど

他の脳内映像はより一層個人的な映像だったり、不思議系、ありがた系でした。

これらは省略させていただきます。

 

生きているといろいろとありがたいことがあります。

ただただ感謝申し上げたい。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

煩悩と楽しみ

今日のメインの話題を決めていません。が、あれも書いておこう、これも書いておこうという小ネタが少々溜まった感があるので、アウトプットしていきます。

冒頭からなんですが、大したことを書きませんので(いつもか?!)お忙しい方はスルーしてください。

煩悩と楽しみ

それっぽいタイトルですが、雑文になる予定です。思わせぶりなわけじゃないのでご了解ください。

1 あんこ・ゆであずき

この「あんこ」の話を書きたかったといっても過言ではない。私が夏風邪を引いた時の話なので1か月以上前の話でしょうか?

そうそう、↓ この時です。

カマされてしまっても良いし、影響を受けなくたって良い

 

この時 ↑ に、植物油脂や人工甘味料について「できれば避けましょう」と啓蒙されている管理栄養士さんが蜂蜜についてお話されていたことに影響をうけたと書きましたが、この方が「セブンイレブンの〇〇は良い!」ともおっしゃっていまして

  • それが鯖缶だったり(内容物がシンプル)
  • 扱っているとあるプロテインバーだったり(内容が他社よりよろしい)

をお勧めされていた他に

「セブンイレブンのゆであずき缶はあれこれ入っていなくてシンプルで良い」とお話されていた。

植物油脂って、商品の裏書をみたらなんでも入っていて、(これでは植物油脂を食べるために食事をしたり、おやつを食べているようなもんだな)と思うほどです。

素直なんで散歩の途中にセブンイレブンに立ち寄っておすすめ商品を見に行ったんですが、管理栄養士のお話していた通りでして、それ以来「ゆであずき」を1~2缶ストックするようになりました。

で、夏風邪のときに、キネシオロジーテストをしたら、ゆで卵がOFFのときもゆであずきはONで、本当に助かりました。

みなさまのご興味がありましたら、セブンイレブンmadeのゆであずき缶の原材料名欄を確認してみてくださいませね。(管理栄養士さんは他にも「ちゃんとバターが使われているお菓子」なども紹介されていました。)

糖分摂取反対派の方も多いとは思いますし、体質とか内臓のタイプとか、量とか、いろんな組み合わせがあって、今回の夏風邪の時は私はこれで助かったというか、拒否反応が出なかったにすぎませんが。

 

ただ、私は世の中が鯖(サバ)缶ブームの時も手を出さず食べていなかったのですが、それは原材料云々よりも「缶」のアルミ?スズ?が溶け出している? 缶詰ってそういうもの? というところが昔から気になりまして、トウモロコシ缶なども現在は紙パックのものがありますので紙パックの方を買ったりします。

が、ゆであずきは「缶」です。

アンド、管理栄養士がお勧めされていたサバ缶も「缶」でした。(買ってみた。食べてみた。美味しかった。)

 

それに缶より紙パックが良いとも限らないと思っています。人間の心臓にも細かいプラスティックが入り込んでいるこの社会で、紙パックなら安全とも信じているわけではありませんが(製造工程にビニール類が使われていたらそれはすでにアウト? ペットボトルを利用していたらアウト? そんな段階はもうとっくに通り過ぎてる?)、個人的には「缶よりは」という好みでしかないんですけどね。

2 生きている時の楽しさも煩悩由来?

過去に「煩悩撲滅運動には興味がない」とクソ生意気なことを書きました。クソ生意気だと自覚はあるけど本音です。

いろいろな変遷があっての今なのですが。

治療体験記 後日編-3 顕在意識について

 

しかし、検索とかせずともYouTubeの中には趣味の人がたくさんいらっしゃることが目に飛び込んできます。

私は少々自分の快・不快を理解しやすい傾向にあると思っていたけど、私の快・不快など赤ん坊で甘ちゃんだと思わせてくれる方がYouTubeの中で活き活きと発信されている。

煩悩というのか、こだわり脳というのか、それを発揮して楽しそう。(笑)

どんなふうに「生きる」のか?

煩悩がなくて、昔のヨガのとあるマスター?がおっしゃったという「死んでいるように生きるようになるのが目的」みたいなことってそれを求めたい方は追及したらいいとは思うんですが、それとはまた別の追及をする自由だって人生だよね?とも思っている。

 

そんなに楽しいことに出会えて良かったね。って。

そんなに好きなことに出会えて良かったね。そんなに好きになる人に出会って良かったね。という感じ。

 

そんなこんなで、2023年10月になった現在に至るまでに(もう何年も前から)、煩悩撲滅運動には興味がなくなった。

はるか昔はそういったことに興味があって、楽になるには煩悩を撲滅・矯正した方が良いのか?と思っていた私も居たんですが今は違う。私も変わりました。価値観がまるで変った。生き方、人生観も変わった。

死んだように生きているよりも(なんにも(欲求?煩悩?)感じなくなったときに、なるほど、こんなになんにも感じないと確かに「死んだように生きている」という表現は的確だな、と思いました)、笑って生きてる方が私は好き。私はそうしたい。

 

会話などは特に無くても、(出会えて嬉しいな~良かったな~)と思う方も多い。ただの勘違いかもしれないけど、年齢も性別も国籍も関係なく相性が良くて顔を見たらお互いニコニコしちゃう方にも出会えてる。

ありがたいことです。

 

PexelsによるPixabayからの画像

 

月を眺めて、心がシーーーンとしているよりも、(あぁ キレイね~)と感情や心が反応するのも好き。

 

煩悩っていろいろだと思う。

人間にデフォルトに設定されている。

デフォルトで設定されている感情を無くすとなんだか健康的な感じがしないのと一緒かも。

意味なんて考えなくてもいいけれど、「人間でいる意味」みたいな視点も持とうと思えば持てる。

 

マトリックス 一番新しい作品

私は映画を小難しく考えない。感銘は受けても、深堀しない。理屈などを語るのには向いてない。

他のことはそんなようなことをするのに、映画は娯楽だから。みたいな捉え方をするみたい。

 

だから、映画「マトリックス」の1作目からの難しい分析は苦手だしよくわかってない。

そして最新作「マトリックス レザレクションズ」をつい最近みて、初見では全くついていけなかった。

ながら見だから余計にそう。

気合をいれてみてないから何とも言えないんだけど、モーフィアスが粒々になってたのが、私の最近セルフケアの際に使うイメージ映像と似ているので笑った。

映画を観ながら(そうそう、コレコレ。このイメージよ)と思った。うまいこと創ってくれてるよね~って。

 

口(言葉)で説明しきれないイメージ映像を伝えたい時に「映画『マトリックス』の中の粒々のモーフィアス」と言えばいいんだから。

 

そうか、映画「マトリックス」は昔から解説?裏読み?が難しいんだよな~って感じていたけれど、粒々のモーフィアスは粒子?量子?という意味だろうから、ようやくちょっと追いつけてきたのかもしれない。(笑)

 

私が映画を好きなのは、イメージを映像化する天才達の功績を楽しめるということも大きいんだよね~ 私に生まれ変わりがあって、次の人生があるのなら、イメージを映像化する最前線の仕事もしてみたいですね。生まれ変わりって今の時計の時間的に将来とは限らないよね? 今より過去に生まれ変わるってあるでしょ? 理論的に。

と、分かった風なことを書いて今回の雑文を終わります。

 

満月の影響か、少々頭痛を感じたけれども今はもう大丈夫。

よかったよかった。

 

 

脳汁(な わけないんだけど)

脳汁? 副鼻腔汁?

最初に余談

ロジクール pop keys

いきなり余談!

いつも通りで申し訳ありません。

人生初の10,000円超えのキーボードを買ったとご報告済みですが、購入する際に(これ絶対に気になる(ストレスになるの意)よな)と思いつつ買った。 そしてまんまその通りだった。

エンターキーの横にテンキーがあるのが嫌なのは、キーボード全体とセンター・中心で向きあいたい、そのセンター感が肌感と合うということもあるんです。シンメトリーみたいな感じ。 ましてやEnterlキーの右側のキーなどがあった場合はうっかり触って誤入力するのが本当に時間の無駄に思えて嫌なのです。が、今回購入したキーボードには絵文字が入るという私には一切無関係なキーがある。が全体が可愛いかったし、キーの打ち心地も非常に良かった。キーが丸い製品もそんなには無いのでこれも非常に気に入った。

 

が、しかし、enterキーやbackspaceキー、deleteキーを押す際に絵文字キーを触ってしまうという想定通りのミスタイプが頻発しておりました。 チェッ とか チッ という口癖はありませんが、気分はそんな感じになりそう。

 

しかし、商品名は「pop keys」であって、この絵文字キーがウリなんである。私がいくら邪魔でも。

神様は私に味方してくれました。いや、ロジクールが味方してくれた。

絵文字キーに好きな指示を割り当てられるという神設定があることを買った後に気が付いた。神様、ロジクールさまありがとう!

うっかり触ってしまって絵文字入力されちゃうのを防げるのである!

で、神なのは割り当てられる指示に「何もしない」という選択肢がデフォルトで設定されていること。

「何もしない」を割り当てたら、ミスタイプというか、絵文字が入力されてしまうストレスがゼロになった。祝

そして、数時間後ヒラメイタ。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

deleteキーの横の絵文字にdeleteを割り当て、

backspaceキーの横の絵文字にbackspaceを割り当て、

enterキーの横の絵文字にenterを割り当てたら

ストレスゼロどころか、災い転じてもっと使いやすくなることを!

 

あまりに嬉しかったのでスクショまで撮って解説してしまった。

以上余談終了です。

お付き合いありがとうございました。

 

本題 メンテナンスを受けました

自分も受けるよ

セルフケアもやりますが、もう最近はセルフケアもササっと秒で終わるものだから、それ以上のことは他人様のお力を借りるというパターンを只今継続中です。

丸ごとチェックしていただいて、横になっている間に必要なバランス調整まで完了。

メンテナンスに関して、「話をじっくり聞いて欲しい」という欲求が今は無いので、目を開いて横になっていても良いし、目を閉じて横になっていても良い。

直近のメンテナンスを受けていた際は、そのまま寝るかもしれないし、寝ても良いし。と思っていたが眠りはしなかった。が、脳内映像を見ていた時はレム睡眠状態で眼球運動が起こっていたかもしれないが眼球運動の自覚はなかった。が、今回も不思議映像は脳内に浮かんだ。

私が、「アッチとコッチの隙間」と呼んでいる状態にいた時もあったと思う。

 

が、今回は不思議映像の話ではなくて、最初に(脳汁でも流れているのか?)と小学生のようなことが頭に浮かんだ感覚について書きたい。

 

身体に触れるセラピストが「脳汁」とか書くこと自体ダメダメなのですが、体感を表現しようとすると非常に使い勝手がいい。「脳汁」(笑)

副鼻腔汁か?

脳は膜で包まれているため、メンテナンスを受けた程度ではそのような膜は破れないし、もちろん液体も出てこない。そんなことはわかっているんだけど、鼻も詰まってないし、鼻炎でもない、鼻水はたれておらずかえって乾いてる。なのに、施術を受け始めてしばらくしたら液体が喉へと流れ続けた感じがした。

割と長い時間。

馬鹿みたいに最初(脳汁)などというキーワードが頭に浮かんだんだけど、(んなわけないし 半笑)という脳内対話をし、次は(これは副鼻腔汁だろうか?)などと頭によぎった。

 

詰まってたの???

そんな感覚は無かったけれども、何かしらの液体は喉へと流れ込んでいる感触がある。

 

今これを書いていたら ふと 思いついたは、やはり脳内(松果体がなにか反応したとお聞きしたんですが)からナニカが排出されたのかもしれない。それは具体的な「液体」「汁」ではなくて「気」だったのかもしれない。

 

脳汁ではなくて、脳から排出された「気」。

こんな可能性ってあるのかな? という可能性も残しておきます。

 

アレ? ここが明るくなっちゃって大丈夫?

ここは?

そう、松果体がなにか反応していたようなのですが。いつも通り松原先生に全然詳しく尋ねないのでどういった反応だったのか知らないままです。が、過活動というようなニュアンスを受け取りました。

 

が、そのあと?かなぁ

 

目を閉じて仰向けに寝ている最中に、眉間に丸く明るい映像が見えたんですよ。外じゃなくて頭蓋骨内か頭蓋骨沿い辺り。

(第3の目とか開いちゃったわけじゃないよね?)と頭によぎるようなまん丸く明るくなった。

ただそれだけです。

 

松果体のバランスが崩れていたんだとしたら、バランス調整後「第3の目が開いちゃっていたのが閉じた。」というのが健康的なイメージですが、バランス調整したら「第3の目が開いたの?」というようなことは・・・・ どうなんですかね? わかんないです。 施術を受けた後、別に特別なものが見えてませんしね。そもそも正しい「第3の目」作用を知らないんですが。

 

こんな感覚があったので、あの「脳汁?」と感じたのが「気」のようなものだと、勝手な推測の辻褄があうようなこじつけも想像しちゃった。(副鼻腔に炎症などはなかったと思うだけど)

あの「喉の奥に流れ込んでいった感覚」のものは眉間に溜まっていた「気」なんていうのは、想像力を働かせすぎですかね。

 

over?

松果体あたりがoverだったとしたら、overしている物質が眉間当たりの透明感を阻害していたということも考えられそうです。

overで曇っていた状態がバランス調整されることによって明るさを感じるようになったという可能性もあるな~って先程お風呂に入っている時に頭に浮かびました。

 

 

あれこれ想像力を膨らましているよりも、松原先生に尋ねたら1秒で済むんですけどね。

さんざん文章を書いておいてなんですが、松原先生に尋ねたら「それは鼻水だよ」と言われる可能性もあるんですけどね。(-_-)

セルフケア講座に入れていないセルフケア方法があって

セルフケア講座の際に、講座のレジュメには載せていないことも結構講座の中でお伝えしたりします。基本のことは当然お伝えして、コンテンツの応用の仕方とか、ちょっと別バージョンなどが現れた時には口頭でお伝えしたりするセルフケア方法もあったりするんです。

イメージワークも得意不得意などあるので、レジュメに載せていないアレコレはご本人にフィットしたらご活用くださいというタイプのものもあります。

で、ここ最近、まずは自分から試しにやっているセルフケア方法があるんですが、ひょっとしたらこのセルフケア方法が松果体に負担をかけているとか、松果体を使いすぎるとかあるのかもしれない。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

ですから、こういった類のことはまずは自分で試してみて、健康的に末永く使えるのならお伝えしますが、ちょっと変な方向へ行く可能性があるかも?と思えばお伝えしない。

 

それらも程度問題なので、「〇〇がイメージしきれないのなら採用せず、基本のケア方法でセルフケアをお願いします。」というようなこともある。こういったお話ができる方は無理をしない方が健康的だと理解されている方なので「全然大丈夫。OK」という受講生もいらっしゃったし、「私はこの方法は当面やめておきます。基本のやり方の方がしっくりくる」という方もいらっしゃった。

で、なにがどうであれバランス調整をしていただいておりますのでそれでOK

人体の不思議というか、絶妙なバランスというか、日々刻々と変化するというようなこともあるのでいったん施術、治療を受けてバランス調整したということで私はOKです。

完璧というものはない。(だろうと捉えています)

完璧にしても、また変化していくから。

その日受けられるバランス調整を受けて、また粛々と日々を過ごしていく。それでOK。そしてまた次回、その時の私の状態のバランス調整をお願いします。

 

松原先生ありがとうございました。

 

急にまた話題を変えますが

プロセス重視

先程、ポーラの社長さんの信条のなかに「プロセス重視」という言葉を聞いた。

他にも信条があり、その中の1つとして「結果を重視するよりも、プロセスを大切にする方が幸福度が高いというデータが出ています。」というような説明をされていたように思うが、それを聞きながら

(そうだなぁ 私もプロセスタイプかもな~ 結果はついてきたものを結果とするというような感じかもね~)と思った。どの時点で区切った状態を「結果」とするのか?という視点もあるから。

脳のタイプ的に「結果主義」というものがフィットしにくくてかえってストレスに感じやすいという傾向があるので、自分が機嫌よくしているためにも「プロセス重視」というような選択になっていると思う。

 

先日施術を受けた後も、その翌日も全然予定を決め込まず、ふわっとさせていた。私には別に珍しくなくて、よくあるというか、当たり前な感じなのです。

で、結局は駅ビルを非常に楽しんで、一人静かに盛り上がった。

 

1つ、施術を受けるという予定は完了したので、あとのことはその場を楽しむ。

予定や目標を決め込まず、その時のその環境を楽しむということをよくやる。多分こういったことも私の生き方にはフィットしやすいみたい。

 

ヒトにはそれぞれタイプがあるので、結果主義だとチカラが沸いてくる方もいる。

目標を提示されて(して)、それに応えて結果を出す!ということが励みになるし、やる気が出ると自覚されている方も何名も知っている。結果主義は嫌いだと良いながら結果を出していく方もいた。

ご本人は認めたがらなかったけど、かなり適職だったんだと思う。

好きが適職とは限らず、嫌いでもできるって適職じゃないでしょうか?なんて思ってる。上手にできるなら天職かもね。

 

ただ、スポーツ選手が適職や天職としても、一生スポーツ選手でいられる方ってなかなかいない?という意味では、適職や天職も「年数」「適する年数」という分類の仕方があるような気がする。

 

私はダイビングの仕事をしていましたが、一生はできないということは始める前からわかっていたけど、あの仕事を数年できたということは適職だった期間があったんだと思っています。腕力や体力、精神力の資質によってダイビングを仕事にできなかった方も知っているので、好きならできるとも限らない。嫌いでもできることもあれば、好きでもできないこともあるじゃないかと思う時がある。

 

と最後は全然別の話をして終わりました。

 

おそまつ

 

自己理解の進む過程にあったもの

私の人生に「皿うどん」という言葉はある。自分で作る気などさらさら無いので、皿うどんは外で食べるものであり、数年に1度食べられる条件がそろうと食べている。コロナの前、長崎に旅行に行ったときは中華料理屋さんで皿うどんを食べた。美味しかった記憶がうっすらある(ホント?)。いい記念だった。

なぜこんな私の皿うどん事情など知りたくも無いあなたに教えるのか?

それは数年ぶりに皿うどんを食べて美味しかったから。全国チェーン店の「長崎ちゃんぽんリンガーハット」の皿うどんを食べた。ちなみに長崎ちゃんぽんは食べない。好きじゃない。皿うどん一択。私は細麺好きなので。(ふと気が付いた。そうめんみたいな細麺なのに「うどん」なんですね)

というマクラはさておき、今日も本題をスタートします。

今は採用していないけれども

私も一緒だった

本日はこちらの続きです。

自己理解の進み方

アレヤコレヤ書いている私を「あなたはそうでしょうけど、私は違いますから風味を漂わせている嫌なヤツ」だと感じている方がいらっしゃっても全く不思議じゃない。書き方が嫌味なんだよね~と思う方も居るでしょう。こんな私も大抵の駅には下車しています。

駅???

熊本のえいこちゃんと東京の新大久保の韓国居酒屋さんで夕食を食べた時に話したことを整理して書いていきます。

占い駅

過去にあちこちで書いていますが、随分昔、私は占いの本を数冊丸暗記しました。母親の本棚にあった本を読んだのがきっかけで、(へぇ~)と思って読んだ。新しい本が本棚に入ってこないので、同じ本を何度も何度も読んだら覚えた。活字中毒だからなんでも読んだうちの1ジャンルだった。そのとき読んだ占いの本の1冊に(それは手相の本だった)「自分の可能性を信じたり、自分の可能性を願って手をじっと見始めた時からあなたの運命(手相)は変わる」と書いてあった。その著者は人間の機微というか、人間の悲しみも喜びも清濁併せもった視点や、著者が運命と書いた不思議や不条理も言外に伝えるような書き方をしていた。スピ系というよりも、小説風味に。

こんな風に、占い駅には私も下車したことがある。

私はその駅からまた列車に乗って次へ移動したけれど、その占い駅に生涯、ずっといる方も居る。

人生の選択として、私は占い駅から移動した。

 

そして、最初に母親の本棚で手相の本を見て、自分の手相を見たあの時と今の手相は違う。

(こんな線があると良いんだ。そうなったら苦しみが去って幸せになれるのかな?)と確かに私も自分の可能性を願って手をじっと見たわけです。あの時本で見た「良い線」があの後自分の手のシワとなって現れた。

だから、誰でもハマる時期があることも知っているし、一生それに左右される方がいることも知っているつもりです。

左右されるというか、信念になるというか。

 

かつて美輪明宏さんが、「占い? そんなもの!」と軽んじていたけれど、何かしら心当たりがそのあとできて、「満更馬鹿にしたものじゃないと思ったわ」と話していた。私も完全否定などはしていないのですが、

ではなぜ?私は占い駅を後にしたのか?

それは、多くのケースで(健康的な思考とはなんだか違うな~)って感じることがあったから。骨の髄までは影響されなかったから。

当たっていることよりも、自分で考えたり決める方を私は選びたかったし、こちらの方が単純に私に向いていた。なんというか、依存心というか、体質というか、自立できない感じがしたんです。あくまでは私個人の感覚と好みの話ですが。

占いがどう出ようと、自分の人生の責任は自分にかかってくるというか、占いは責任を取ってくれないとか。(笑)

 

占い駅を後にした後でも、なんとなく年に一度くらいは「どんな感じかな?」って占いを利用していましたが、何年も前からそれも辞めた。おみくじも引かない。

 

私が過去「楽になりたい」って思った、ただぼんやりした具体的な案のない「楽になる」というイメージでしかありませんでしたが、今のこの状態はその状態になったんですかね? もしそうだとしたら、ただただひたすらにありがたい話です。

 

しかし、2023年9月の今日に至るまで、底なしに厳しい環境になっていくような、(楽にならない。自分が強くなる分、どんどん逆風も強くなる。これいつまで続くの?)と遠い目になりましたが、振り返れば、ストレスケアを覚えてからは最強のパートナーを得たように回復曲線が右肩上がりでした。

 

ですから、ストレスケアを知っていて、何年も変わらないとか、ゆっくりと言うよりもはや進んでいないのならば、

そのストレスケアはストレスケアになっていない

か、

ストレスケアというナニカに対して新たな依存みたくなっている

とか、

変わりたくないことを認めたくない

というような可能性も考えられる。

 

ストレスケアという言葉を「占い」に変えても似たようなことが言えそうだ。

 

ストレスケアをやっている、占いでいい結果などがでたらOK。というところで完結しているのかもしれない。

ストレスケアをやっている。という行動はしていても、焦点が外れている。すると行動の結果と言われるような現実のあなたに変化は起きていない。

 

優しくない表現になるかもしれないけれど、多分、「ストレスケアをやっている自分」が好きなのであって、特に変化は求めていないという本来の目的は果たしているのかもしれないから、選択したものは得ている。成功している。達成している。

私はやめることを選んだけど、「占っている自分が好き」という結果を得ている方もいらっしゃる。

だから、他人様の本当の願望を、私がどうこう言うことじゃないなって思うようになったんです。

 

ヒトの価値観は様々。本当にそう思う。

ElisaによるPixabayからの画像

本当の願望、Top of 無意識

変わることを結果(願望)とするとは限らない。「ストレスケアをする」という状態を結果とする価値観・選択だってあるんだな~って思えるようになった。

「ストレスケアをやっている自分が好き」(他人に行うことも、自分に行うことも)だから、特に自分が変わることには興味がない。そして、(現在のところは)満足している。

そんな価値観を「それってどうなの?」一本やりじゃなくて、その方のその願いを受容しようと思うようになった。

悩んでいるとストレスケアができる。悩みがなくなったり、楽になったら楽しみがなくなっちゃう。目的と結果を両方失ってしまうという方がいるかもしれない。

 

以前、”悩みや苦しみを手放したら「生きている感覚」を得られない”。逆を言うなら、”悩んだり苦しんだりするから「生きている感じがする」”という無意識of無意識

Top of 無意識

みたいなことに気が付いたような気がした時があった。

 

過去ホームページのコラムに書きました。

なんにもない。怒りも喜びもこだわりも欲求も。

 

なんにもなくなっちゃった後 只今のところ(解脱説をどう考える?)

 

悩んだり苦しんだりして「生きている感じを味わいたい」「生きている実感として体感したい」という心底の願望。Top of 無意識。幸せを感じなければいけないという強迫観念もあるかもしれない。ステレオタイプの幸せを感じないと不完全であり、失敗であるといつかどこかで(子供の頃に読んだ絵本が繰り返しあなたに言い聞かせたかもしれない)思い込んでしまう環境もあったかもしれない。ステレオタイプの幸せとは、他者の価値観に阿たり、他者からそのように判断されることを良しとするというようなイメージだろうか。

 

成人以上の皆様にこういった「本能」のようなものがあると仮定してみたら、もうね、認知と受容だけが残るような気がしてる。受容。私が壊れたレコードみたいにシンプル、シンプルとばかり書くそのシンプルって何を指しているんだろう?と思った時に「在るがまま」というか「在る様を受容」ということなのかもしれない。

だから、理由とか解説(法則や教えなどなど)を用いた瞬間に「一枚かませた」「1枚挟んだ」と感じるのかもしれないですね。

悪くなってることが・・・無い!

自己理解の進み方

 

そうか、それは「なんにもない」と感じる感覚を一度でも感じるとあれ以上のシンプルってないのかも知れず(少なくとも私に人生の最高のシンプル感覚だった。なんせなんにもないんだから)、それが価値観として脳内の底辺に上書きされた(または生まれ直して新たに構成された)のかもしれません。すべては推測でしかありませんが。

 

そうなって楽になっていくこと

自分と他人は違う。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

そういうことを忘れない方が私自身が楽だということも知ったような気がする。何度も何度も知ったような気がするし、この先も相も変わらず知っていくんだろう。

リンクを貼った過去のコラムに「生まれ直し感か?」と書きましたが、何度も生まれ直さないとなかなか自分以外の価値観を受容する(受容しているつもりとは違います)ことによって自分が楽にはなりにくいのかな? いやいやそもそも私が非常に脳の変化、シナプス結合が遅いんだろうと思うんですが。(笑)

 

他の駅たち

  • 教えの駅
  • 悟りの駅
  • 解脱の駅
  • 金言の駅
  • ヨガの駅
  • 高次崇拝の駅
  • エネルギーの駅
  • 波動の駅
  • 成功哲学の駅
  • 潜在意識を使おうの駅
  • おろすとか、伝授するとか、繋がるとかの駅
  • 龍関連の駅
  • 神社仏閣の駅
  • 先祖関連の駅
  • 過去世とかカルマの駅
  • ハイヤーセルフの駅
  • メッセージの駅
  • 信仰とは異なる天使云々の駅
  • 霊云々の駅
  • 魔女・魔法使いの駅
  • 引き寄せの駅
  • 因果応報の駅
  • 運命、宿命の駅
  • 天職、適職の駅
  • ソウルメイト、ツイン何とか、何とか星人の駅
  • 信仰の駅
  • 目標、願望類が大事駅
  • 使命の駅
  • キネシオロジーなど、セラピーの駅とかも
  • パワー〇〇の駅(石とか、場所とか)
  • 新月、満月の儀式系
  • 浄化とか祓うとかの駅
  • アセンション、次元上昇の駅
  • ホロスコープ、星読みの駅
  • チャクラの駅
  • サイキック云々の駅
  • 量子学の駅
  • 物理学の駅
  • エビデンスの駅
  • 風水の駅
  • 陰陽師関連とか
  • 意味のある記号とか数字とか
  • 覚醒の駅
  • 陰謀論、結社の駅
  • 真理の駅
  • 霊能力の駅
  • アカシックレコードの駅、アガスティアの葉なども

 

もっとあるんだろうけど、すぐに思い出せないから思い出したら追記します。(コツコツ追記しています)

 

私もそれぞれの駅に停車して、下車して街に滞在したこともあれば、ホームには降り立ったものの周りをざっと見渡してすぐさま電車に戻って次の駅へ進んだこともあるし、ボタンを押さないと開かないならボタンを押すほどの興味もわかずスルーしたこともある。

へぇ~こんな駅があるんだ。誰が創ったの?と駅名だけを車窓から眺めたこともある気がする。

 

駅の掛け持ちとか、行ったり来たりしたり。

この電車の駅は、人生ゲームのマスにも言い換えできるし、並行してダブルゲーム、トリプルゲームを行っている時もありそうだ。

 

正解でも不正解でもないのかあるのか、アレヤコレヤが各自のルールにのっとって脳内リミックスされています。私は全否定もしていないし、見えないものも(あるだろうな)と信じていることがある。目には見えないけど、脳内映像で見えたりすると(ほほぅ)と思うこともあるし、ひょとして、他人様よりいろいろ信じていることが多いかもしれない。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

自己理解

私がこれらの駅をあとにした際にあったものが「自己理解」でした。

  • なぜ私はこの駅で降りたのか?
  • 私がこの駅を去りがたいのは何故か?
  • ここでなにを得たいと思っているのか?

などなど、コーチングという言葉を知る前から自問自答していた。

 

Top of 無意識。みたいなところに、キネシオロジーテストという類のものを知る前から思考+感性でアプローチを試みていたのかもしれません。

ですから、キネシオロジーテストの際に利用される「無意識」という概念にも深浅や幅があるようだということを自分なりの統計(自社データ。当社調べみたいな感じ)から1つ頭に置いていたり、「本当」「正確さ」みたいなところを追及するセッションよりもストレスケアを大切にしたいという方針を選ぶようになった。

 

顕在意識と潜在意識は両輪の輪。

この考え方も大切にしている。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 

占いなど上に書いたようないろんなものを経て、自分の輪郭の手探りをちょっとずつ進めて、考えて、ストレスケアをして、と少しずつ自己理解を深めている。

 

自己理解と、なにかの教えに忠実に生きることは私の場合はイコールじゃない。

それらが別々だと認識することが私の場合は自己理解に近い。

そのあとに、自分で選んでなにかの教えに忠実に生きたければそうする。

 

ながながと書いてしまいましたが、果たして読んでいる方に内容が伝わるのだろうか?

 

余談

勝手に占われて聞かされた結果や、自分が調べたこともあるが、

  • 文才がある
  • お金に困らない

と言われたことがある。

 

文才はどうですか? それは私の書いたものを読んでくださってる方が決めることですよね。

 

お金に困らないというのは、私はこれまで質素な生活をしておりまして、今日食べ物を買うお金がないということは無かった。そうならないように収入を得る仕事をしてきたし、やりくりしておりますので、計画がその通り実を結んでありがたいです。

が、私が若かりし頃から贅沢三昧をしていたらどうだったのか?というのはやっていないからわからない。今日食べ物を買うお金がないということが無い皆様も占いで同じように「お金に困らない」と言われるのではないでしょうか?

 

大器晩成と書いてあるのを読んだことは前のブログにも書きましたが、

(頼むよ)

と心底願いましたよ。

ここから救って!とすがる思いのような。

 

別に大物にはなっておりませんが、あのすがるような思いは今はない。

だって、ラクだから。

占いは当たったかもね。マジで感謝。

 

大器晩成画像がすぐ出てこなかったのでこちらにしました。(笑)

 

というところで今回は終わります。

 

長文におつきあいいただいてありがとうございました。(^^)

See you!

 

(2023/09/17以降も文章を手直ししたり、コツコツ加筆しています)

自己理解の進み方

我が家もちょっとずつ変化していて、キーボードもマウスも新調しまして、オモチャみたいなピンク色になりました。またワイヤードテンキーをわざわざ使っていましたが、それも新調してワイヤレステンキー薄型白色になりました。他にも気に入り過ぎて使い倒してお湯が沸きにくくなった電気ケトルもようやく新調。

動きが遅くなりすぎているPCもいろいろだましだまし使っていますが、いよいよミニPCかiMacかなにかを購入検討中です。 使えるうちは大切に使いたいと思っていますが、快適さも大切だな~って思いましたね。気分が違う。

 

さて、今日は前回の記事を書いた続編、補足になるかもしれません。

悪くなってることが・・・無い!

ストレスケアの基本としていること

シンプルの底流

前回、私がシンプルとはとらえていない、「1枚挟んでいる。」「一枚かませてる」と感じている感覚について書きました。これれは正解とか不正解とかそういう話ではなくて、ポリシー(方針)のようなものでしょうか?

そうですね、「方針」と書くと他者にも理解しやすいし、他者を理解しやすいような言葉ですね。Goodチョイスな感じがします。

 

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

イメージ

私は現象や価値観、信念を形成した背景などをある意味深堀、ある意味分解していくことをしています。行動や感情の深堀、分解と書くと伝わるでしょうか?

ですから、あくまで私の感覚の話ですが、法則や金言やとあるスピリチュアル系解説や教えというようなものは事象、現象の表層に位置しているものだととらえている。

 

そっちを理由付けとされるケースが多いことは知っている。そっちが基だと思う価値観だということも理解が進んだ。それを受容してなお、私はそれらを「1枚挟んでいる。」「一枚かませてる」と感じている。

 

また、私たちの体のように目視できる物質としては存在していない思考や価値観、感情も立体としてとらえている。顕在意識と潜在意識の氷山の一角云々みたいなあのような単純な三角形の平面構成とは違って、ミルフィーユケーキのような層、地層のような層が繊細に関係しあっていたり、はたまたその層のような状態を縦や斜めに貫いたりするような作用があったり、それを遠目に見たら球体のようなときもあるし、実は形のないモヤのようなものだったりというイメージがあります。

Andrew MartinによるPixabayからの画像

 

複雑に構成されているけれど、ご本人のストレスや悩みについて分解したり、深堀するとシンプルなコアが現れることがある。こういったコアはたった1つとも言い切れない。ヒトにはそれぞれの人生の物語があるし、それらを平面とは感じない。

 

ですから、それぞれのヒト(物語)に主を置きたい。なにか法則や教え、金言、信仰に私が当てはめることは避けて、シンプルにご本人のストレス・悩みに向き合いたいと思っている。

悩みやストレスについてレッテルを貼ったり、分類するのがストレスケアではないから、私はその先のストレスケアに主を置きたい。私が「ストレスケア」と表現しているその内容はどうやら多岐にわたっているようだけど、自分を「楽」にしたのは1枚かませたり、1枚挟んだりするのを辞めたあとだったという自覚がはっきりとある。断捨離みたくシンプルな視点を持てば持つほどどんどん楽になっていった。

 

こういった私の方針があるから、法則や教え、金言、信仰を基にする考え方を見聞きすると、「1枚挟んでいる。」「一枚かませてる」と感じるわけです。自分の体験を基にしているとも言えます。

それこそ、こういったことを「価値観」「価値観の違い」と言いますね。

 

法則や教え、金言、信仰を基にする考え方すらももっと分解したり、深堀したりするということでもあります。それがストレスや悩みに関係しているならば。

人生の選択は様々なので、ご本人が機嫌よく暮らしているなら何よりだし、そこを私がおせっかいに深堀することは控えたい。が、なにか私が引っかかってしまったり、考えちゃったりすると記事に書いちゃうときがある。そうすることで、自分が他者の価値観をイメージして、(なるほど!)と腑に落ちやすくなる傾向にある。

表層と深層

これらが表層なら深層はなんだと考えているのか?という問いには、

  • 「感情」や、
  • 感情を生み出す「反応」や、
  • ある時は「反射」、
  • 信念や価値観を生成した思考、体験、環境
  • 性質、特性、脳・思考の傾向

などを挙げてみたい。

ElisaによるPixabayからの画像

 

これらは「心理学」と言われる範囲ではないだろうか?

確かに、いろいろ知識や情報や体験が以前よりは増えたかもしれないが、基本に忠実と言えばそんな気がするし、ブレてないと言えばそうかもしれない。

 

量子学みたいな話が人間についての理解の一面として登場したこともあるし、不思議っぽく感じることや、東洋思想に「なるほど!」と思ったこともコラムやブログに書いたりしても、軸足はブレたくないなということをポリシーとしていきたい。

 

心理学を出発点に、いろんな方向へ進んでいく方は多い。各方面との境界線って見えないし、境界線もあるんだかないんだか・・だし。そのあたりのハンドリングは自分でする必要はあるだろうけど。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

自分の価値観が浮き彫りになってくる

ですから、心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの基本には

  • 心の動き
  • 感情の動き・変化
  • 感性、特性

と、

  • 脳、心、体の記憶

などのストレスケアがある。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

こういったことが最初から明確になっていたわけじゃなくて、前回も書いたし、今までもたくさん書いてきたように、社会に接して、他人様と接して、社会の価値判断を見聞きして、他人様の言動・行動を見聞きして、その時の自分の反応を認知して、そして自分が浮き彫りになってきた。

この先も同じことの繰り返しだと思う。

 

続きます

まだ続きますが、長くなるので今回はここで〆ます。

 

皆さんも、自分を知りたい、自己理解を進めたいと思ったら、価値観をおさらいしてみるのもオススメです。

他人の価値観に乗っかっているだけの時もあるし、他人の価値観と合致するならそれはあなたの価値観ですし、他人と違っても自分の価値観は価値観として認知したら良いだけですし。

良いとか、悪いとか、判断するのとは違って、「知る」ということを意識してみることが「シンプル」かと思いますが、どうでしょうか?

 

 

悪くなってることが・・・無い!

今は2023年8月最後の日。昨晩も美しく輝く月を見ました。今晩も強風に流れる雲の合間に大きな月が見えました。

またまた台風の影響が始まっています。

 

昨日か一昨日、運転中だったのかな? 過去のアレコレを思い出して、(嫌な事とか、嫌な人とかいたな~ でもみんなどっかいっちゃったな~ 今はもう誰もいないな~)と思って(今はマジ幸せだし、楽しいことが多いよな~ ありがたいな~)と思った時に気がついた。

 

悪くなってることが・・・無い!

こりゃあ 大層ありがたい

なんだかんだ日々の細かいことがあるときもあるし、日々の細かいことすらない時もあるんですが、

悪くなってることってなんもないんじゃない?

って気がついた。

今幸せなのは気が付いていたけど、悪くなっていることがないってことに気がついて ハッ とした。  これは大変!  めっちゃありがたい!

2023年1月の時点よりも9月になろうとしている今の方が超楽しい。2021年9月に日常生活の環境変化があって、久しぶり、数年ぶりにシンドイことがギュッと集中したんですが、今日現在ぜーーーーんぶ終わったし、なくなっちゃった。

すべて去っていった(◎_◎)

 

そう、悪くなっていることがない! 全方位でそう。

いやいや、ありがたいです。

 

お陰様で幸せにやれてるな~って日々思っているし、ブログにもそう書きますが、それは本当なんです。神様ありがとうございます!っていつもお礼を言いたいから言ってます。心の中で。独り言が大丈夫な環境だったら独り言を言う時もある。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

人生の前半と後半

人生、前半が苦しいのと、後半が苦しいのとどっちがいい?と考えたことありますか?

PexelsによるPixabayからの画像

 

私は子供の頃というか、成人する前から(ということは人生の前半にいる最中。成長期の最中。)考えていまして

「今は苦しいが、前半苦しい方がぜんぜん良い。大器晩成で後半は楽に過ごしたい!」

と何度も考えました。(二者択一とは決まってないけど、成長期の私が想像する長い人生って、前半や後半というザックリしたイメージしか持てなかった。)

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

願ったというか。

 

そして願いが叶ったんでしょうか? 全く嫌なことがなくなるわけじゃないとしても、昔と比較したらなんのことはない。

 

楽勝。

 

そして、忘れるチカラというか。過去のことを過去として脳内処理していく能力が上がったことにより、シンドイ最中や、イヤだな~~~~って思っている最中も、そのダークモードに完全に浸りきらずに頭と心の片隅で(これもそのうち忘れるし)と思っている自分へと成長(?)している。今現在は。

ささやかな実例

本日も運転中、ちょっとした不快に思いそうなことがあったんですが、全然心中ザワザワしないので アレ? と思いつつ自分を観察した。感情に感情で反応しないなぁ って。そう、感情に巻き込まれたり、影響を受けないとまぁまぁ楽ではあるんですが、この時は無意識に自分を押し殺して無感情なふうを装っているわけでもなかった。

自分のよく見られる脳の傾向として、(あの感情的で強気な態度をとった女性のことを忘れるだろうな)と思ってなんとなく自分を観察して数分後、・・・忘れてました(笑)

途中、運転中なのでイメージワークで1~2秒のストレスケアを行いましたが、ひょっとしてあのストレスケアをしなくても忘れたかもしれない。

 

ボケが始まった可能性もちゃんと頭に置いてあります。そういう冷静さは今はまだあります。

 

ストレスケアを続けてきて「脳」が変わった?

いや、年齢による変化か?

多分、私は自分に合うストレスケアを見つけることができたのかもしれない。と今思った。

世間的に、一般的に、ストレスケアと言われるアレヤコレヤは多いけれど、私の場合はストレスケアの研究が趣味みたいなところもあったし、自分への影響を観察してきたら、よりシンプルに、アイテムなどを使わず身1つで、みたいなスタイルが非常に自分に合っていることが発見できた。

思想でストレスケアをするということもしなかったのも個人的にはとても相性がよかった。(いや、思想でなんとかできると思ったんだけど、それがなにやら複雑さを生んでいるような気がして、それらをやめたことが良かった)

 

不思議体験とかまぁあるような気がしていますが、ストレスケアに関してはとても現実主義というか。「不思議」と「ストレスケア」、これらをごちゃ混ぜにしないという脳の傾向が自分には良かった。現象と作業を区別していたとでも言えるのか? もっと適した表現があると思うけど残念ながら今は出てこない。

 

なんでしたっけ? 行動と結果という言葉がありますが、「結果」の捉え方というか、なにを「結果」とするのか?も私なりにルールがあるみたいで、スピ寄りじゃないような気もするし、そのあたりに「法則」類を持ち出さずに、事実を見るみたいな姿勢を持ちたいと決めたのも個人的には良かったのかもしれない。

目の前の一次情報を大切にするというか、理由付けやそれを何かのルールを基にして解釈する癖を控えるというか。

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

 

余談

話の筋は大きく変わります。

いきなりですが、散歩していた時に気が付いたことがあったので書きます。

 

なぜ自分が「法則」とか「波動」とかに ちょっとした抵抗感があるのかについては既に過去記事に書いているんですが、今回気が付いたのは、私の抵抗感についてではなくて、

私と、「法則」とか「波動」とかを推奨している方はどこが違うんだろう? ということです。

 

私は以前も書いたでしょうが、私の考える「シンプル」には、「思想」「法則」とか「波動」とか持ち出さないことを指す。というようなざっくりとしたニュアンス・意味がありまして、「法則」とか「波動」というようなことについて(目の前の出来事について、そのまま認知するのではなくて、1枚重ねて、1枚挟んで思考しているのでは?)というような感覚がついて回っておりました。

しかし、「法則」とか「波動」というようなことを推奨されている方は、こっちが根っこだと感じておられるんだな。と思い当たった時に そうか! すっきりしたよ! と思いました。

 

そう、前提が違うことを今までで最高に理解できた気がしたんです。

読んでいる方は、(それって当たり前の話でしょ?)と思うかもしれませんが、価値観の違いという理解を私は私の価値観を基に考えているというアホほど基本的なことを体感として感じたような気がしたんです。

 

ヒトはそれぞれの価値観で生きていることはわかっているつもりでしたが、その「それぞれの価値観」についてもう一段階理解できた気がした。

世の中にはいろいろな価値観があるね。と言うのは簡単だし、わかっているつもりになるのは簡単だけど、自分に無い価値観について想像するのってそれに興味がないと難しい。自分の想像力を基に他者を理解しているつもりになるけれど、なんだか今回はこれまでの私の想像力の範囲がほんのちょっと広がった気がした。

 

例え

この そうか! というそれまでの理解よりも一段階進んだ気がしたのは。幻聴や幻影が「本当のこと」として脳が認知しているということを映画の1シーンを見て理解できたような気がした時と似ています。

私たちは勝手に「幻聴」「幻影」「幻視」みたいに「幻を本当なんだと訴えている」というレッテルと貼ったり、判断を下すけれども、ご本人の脳では本当だと訴えているわけではなくて「事実」なんだということを、それこそ「盲点」に気が付くかのような ちょっとした衝撃があった。

 

そして私はまた楽になった

こうやって自分以外の方の脳の癖や、価値観や信念を自分なりに理解できるようになると、そういうことに由来するストレスが減る。他者理解とまでは言わないけれど、認知や受容というようなことには関連するような気がしてる。

するとちょっと前に書いたこちらの記事の、ご本人が今聞いた話や、見聞きしたちょっと良いな~と思ったことや、感銘を受けたことを「ヒラメイタ」と変換することも

そうだった そうだった、ヒトにはいろんな脳のタイプがあるんだった。ただ単にそれだけの話だった。その辺りを(それってどうなの?)と思うこと自体がナンセンス。

と思うことが易くなるし、

それが心理的な作用からくる行動だとしても、それだって他人には変えられない。

 

出所が他者でも、自分発信みたいにマルっとパクったり真似したりということの敷居が低くなるだろうけれど、そんなことを言い始めたら今の世の中誰一人オリジナルを発信している方はいないような気がするし、そもそも私だって他者からの情報の集大成+感性、感覚で出来上がっている。

カマされてしまっても良いし、影響を受けなくたって良い

そう、みんながみんな古来からずーーーっと影響し合っているわけですよね。

 

泡宇宙みたいに。

だから それがナニカ? と言われましても

 

私はこうやって、何度も何度も行ったり来たりしながら ほんのちょっとずつ理解が進んでる気がしてる。

 

遅いんです。

本当に進みが遅い。

 

行ったり来たり、ゆらゆら揺れながら人生が進んでる。

そんな感じがしています。

Esi GrünhagenによるPixabayからの画像

 

今日、今を大切にするとは?

読み方によっては、前後の記事とのバランスってどうなん??? と感じて、(この記事を書いた方ってちょっと不安定なのかしら?)と思われるかもしれませんが、こちらの記事は台風の気配もまだない普通に外出していたある日の下書きに肉付けしたものです。

今日現在考えていることではありませんので、最初に一応補足をしておきます。だから前後の記事との連続性は特にありません。

ふと、目の前からいなくなる

人生劇場

私の人生劇場にある日現れて、そして消えていく物、事、ヒト。

 

昔、港にいた時に、ベンチに腰掛けて頭空っぽで景色を見ていたことがあるんです。(1度や2度ではありませんが。)

船がついて、ヒトが乗り降りして、また別の船が着いて。という繰り返しを見ていて

これは、まるっきり人生だな〜って思った。

 

港じゃなくても、駅でも同じことが比喩として使えますが、港のベンチの「あの解放感+頭真っ白ぶり」がホント人生をしみじみ感じた。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

思っている以上に出会っていて、別れている

今回は空港にいて

私が空港で働いていたら

  • 私の人生劇場にほんの一瞬登場する人の存在とか、
  • 今日を生きるとか、今を生きるとか、
  • 目の前のヒトとの交流が永遠には続かないとか

言葉ではわかってるつもりになれても、実際にはわかりづらいこれらを身をもって理解できるよね〜

なんて思った。

 

いつも顔を見ていた人達が、なんの前触れもなく(私にはわからなかっただけで、本人達は本人の都合や予定はわかっていたんだろうけど)見えなくなって

再登場する方もいれば

それっきりの方もいる。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

変わらない毎日とか思っていても、世の中は動いているし、あなたもその中にいたりする

さっきの「空港で働いていたら」と仮定するとイメージしやすいけれど

とても感じの良い素敵なお客様も

その逆に感じるお客様も

お得意様であっても、

相手都合、自分都合で目の前の世界、人生劇場はクルクルと場面が変わる。

 

人生劇場にずっといて欲しくても、

人生劇場から退場していただきたい方も

私の都合や希望とは無関係に出入りするが、自分でそれらを構築できる場合もある。

 

私のこれまでの人生には

その一瞬だけだったけど、とても心の交流があり、温かく、お互い思いやりあって、その温かい記憶が何年かに一度ふんわり脳や心に浮上してくる方達がいる。

そして、もう二度と会うことのない方達。

 

相手は私のことなど思い出すことは無くても全然不思議じゃない。

でも、私はそういった、「あの一瞬」「あのひととき」のおかげで人生の「喜び」を感じた。記憶という過去の喜びを感じる。

 

言葉が通じない、けれど目を見たら意思が伝わり合う方も多かった。

 

今日、今、を大切にしていると、ぐるんと回って自分に温かさが巡ってる様な気がしてる。

 

私は今回(この下書きを書いたのは間もなく3か月ほど経とうとしている2023年6月です)、羽田空港から二俣川駅まで直行のリムジンバスを利用しましたが、案内所で券売機について教えてくれたお兄さんも、バス停で運行を切り盛りしてるお兄さんも、二度は会わない方かも知れない。その逆にまた会う可能性だってあるし、ひょっとして将来お馴染みさんになる可能性も否定できないけれど。

つんけんするのも、朗らかにしているのも私次第。相手も同じ。

 

利得とか、損得勘定とか、メリットとか、目標とか、達成とか、精神修行とか、人生修行とか、知識とか、そんなこととは全然違う世界の話。

 

そう思うと、付き合って気持ちのいいヒト、良い方と(だけ)付き合っていければ もういっか。と思ったよ。

それは相手の立場からしても同じ。

もう随分会っていないけれども、会えば気持ち良く付き合える方だっている。下手したらこういう感じにお付き合いしている方の方が私には多い。

 

そう思うと、

双方感覚が一致して、または違いが楽しめたり気にならない相性で

それなりに長く付き合えるのって随分な僥倖なんですね。

 

長い付き合いじゃなくて、一瞬だったとしても、そんな方達に出会えて、温かくて、幸せを感じて、顔がニコニコするってありがたいな〜って。

 

過去の良い思い出、過去のシブイ思い出

将来変わりたくないこと、将来変えたい事

いろいろあるんだけど、頭を過去や未来で占領しちゃうのはちょっと勿体無い気がする。

 

過去にとらわれていたら将来のラッキーやハッピーを見逃すこともあるだろうし、

未来にとらわれ過ぎていたら、過去のホッコリ体験や他者からの愛を忘れることがあるだろうし、

未来にも過去にもとらわれ過ぎていたら、今目の前にある愛や好意に気が付けない。

自分にしか意識が向かない傾向にあるみたい。自分のことで目一杯になっちゃって。

 

すると他者とのコミュニケーションに注意を払えないこともある。目の前のヒトが何を言っているのか?どんな価値観をもっているのか? 聞いているつもり、理解しているつもりにはなるけど実際は何も聞いてないことがある。自分以外に全然意識が向かない。

 

それはそれで人生観ではあるんだけど、意識を今にしっかりもっていると現れてくる世界、見えてくる現実があるんだよね。と、こんなことをこの文章を書きながら考えました。

 

私もこんなことを感じる時期が来たんだね。こういった人生のありがたさの感じ方もあるんだね。

Alisa DysonによるPixabayからの画像

 

 

台風記

去った台風の際に体験したことを書きます。時間が経ったのでいろいろ忘れてます。でも書く。書くと約束したから。

 

今、この文章をタイピングしているキーボードはおNEWでして、今までのキーボード投資額を大きく更新した人生初の10,000円超えのキーボードです。オモチャみたいなピンク色のキーボード。

軽いタッチなのに、キーを押した感触がしっかりしていて、文章をタイピングするのが楽しいです。

 

台風が来るよ!

なになに、台風が直撃だって?

沖縄は台風銀座でして、住んでいたら流石に慣れてきます。

私はお陰様で水道をひねっても水が出てこなくてショック!という体験はありませんが、ずいぶん前に計画断水というお知らせが当時住んでいたマンションのエレベーターに貼られていたことがありました。そう、断水があらかじめ知らされていた経験がありますが、断水したことに変わりはありません。

ですから、水の確保は大切だということが身に染みています。

それならスーパーなどでペットボトルを買わなくちゃ!買いだめしなくちゃ!と思う方が多いようですが、それはちょっとした飲み水分にしかなりません。

停電になると集合住宅などは屋上の水タンクへの水の補給がとまりますので、停電してすぐではなく、ある程度時間が経ってから屋上の水タンクが空になり、トイレも流れなくなるし、風呂もシャワーも使えなくなるというようなことは忘れられがちみたい。ですから、ペットボトル数本分というような数リットルの水では間に合いません。

「ザ・汲み置き」という頭に切り替えないといけません。

風呂桶にトイレ用と水浴びか沐浴用の水を溜めて置いたりすることが大切。

私は風呂桶にも水を溜めますが、簡易バケツや、水が溜められるプラスティック製のバケツ状の入れ物などにも水を溜めます。空きペットボトルもこんな時用にいつもストックしているので、全てに水道水を汲み置きます。一度も台風前にわざわざ混んだスーパーなどにペットボトルの水を買いに行ったことはありません。

例えば、有事だからラーメンを食べるとします。鍋にラーメンをゆでる用の水もいるし、それを器に入れて食べたら食器を洗う水も必要。箸も洗うならその分の水も必要。たっぷりの洗剤で洗えば泡が切れるまでの大量の水が必要になります。数本のペットボトル分の水ではまさに焼け石に水。

現在のところ、これまでの私が体験した台風の影響で水の不足を感じるのは大変ありがたいことにほんの数日。水があるだけでありがたいし、買ってきたペットボトルの水がそれほど上質とも考えていないので自宅にある、停電になっても使える浄水ポットで水道の水を濾して飲んだ方が良いとすら考えています。

時間や手間を省エネしたいのです。

もっと早く買えばよかったんだけど、飲み水用の折り畳み式のスイカンも1年ほど前に買いました。そのスイカンに自宅の浄水器(停電になったら使えないタイプ)の飲み水を汲んでおきましたので、機能的に水ライフ(?)を過ごすことができました。

私は今回は大丈夫でしたが、実際に台風が来てすぐに断水した方も居たそうなので、洗い物が出ない工夫も必要ですね。洗い物って食器もそうだし、調理するなら調理水も必要だし、衣類なども台風明けに洗えば良いような段取りにしておく方がいいと思います。

 

で、今回の台風の話を書きますと、実際はお陰様で停電5日ほど経っても水道から水は出続けましたので、トイレは問題なし。お湯は停電ででなくなったので、水を汲んで、ガスで沸かしたお湯で快適なお湯を作ってお湯浴び(ざっくくしたシャワー状態)をしたり、沐浴したりしていました。

 

汲み置き水はありがたいことにたくさん余りました。余った水は、台風後の掃除につかって無駄なく消費しました。

 

こういった事前準備は結局のところストレス対策になるんですよね。

ホント、ストレスはたいしてなくて、停電生活をエンジョイして昼間は読まずに溜まっていた本を読んだり、暗くなったらしっかり寝て、のんびりしまくっていました。もともとよく眠るたちなのですが、ほんと良く寝ました。めっちゃ健康でしたわ。

 

考え事とかしてみようと思っても、たいして考えることもなかったので、空想、妄想も存分に楽しみました。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

食べ物

お子さんのいらっしゃるご家庭は大変だと思いますが、私は自分一人分をなんとかしたらOKなのでその点は楽です。

IHコンロの方はコンロでは停電時は煮炊きできませんし、レンジも使えないし(我が家にレンジは無い)、冷蔵庫も電気が止まりますので代わりの加熱機器も必要なら備えないといけないし、買いだめして冷蔵庫に入れたらOKというわけでもない。冷凍ものも同じ。

ですから、ゴミはたくさん出ますが、カップラーメンみたいなものがやはりお湯を注ぐだけなので有事には威力を発揮しますし、パン類も良いですね。袋ラーメンは先述したとおり洗い物がでるから。

プロテインバーとか簡単に食べられるものは大切ですね。台風が激しい時は外に出られないので、買い物に行くことができませんから。

ウチはガスコンロで、台風の時に火が使えなくなったことは一度もありません。これはお湯を沸かすことが常にできるので食事にしても、入浴(の代わり)にしても大変助かっています。オール電化が嫌いというわけではなくて、元々ガスで調理するのが好き。という感じです。

 

この時、台風用の食べ物の買いだめはほとんどしませんでした。家にあったもので食いつなげばいいやって思っていたので、缶詰やそうめんやお菓子とか、そんなこんなで無事巣ごもり期間が終われました。たまたま、台風のちょっと前に通常の買い出しに行っていたので、停電後溶けた冷凍野菜とか、溶けた冷凍果物とかもあり、なんだかんだ持ちました。

 

良い案だと思ったら

ゆで卵

ゆで卵を台風が来た時に作りました。冷蔵庫の中に入っていた5個くらいを全部ゆでた。そして停電になり、(そうそう、こうなってもいいようにゆで卵を作っておいたんだよね~)と悦にはいっていたんですが、私はそのゆで卵を保存食感覚で作りましたが、2日目?3日目?に卵を食べようとしたときに異変を感じました。

 

腐ってる????

 

ゆで卵からあんな感じがしたのは生まれて初めて。

停電中、スマホのバッテリー残量を気にしながらゆで卵の保存期間をしらべましたら、あらビックリ。めっちゃ早い(笑) 全然保存食にならない。

卵を1つダメにしました。なんだか悔しかった。最後の1個はどうかな?と思ったらそっちは運良く大丈夫でした。

 

2023年に私が学んだことに、「茹でたら卵は長持ちしないからすぐに食べること」があります。1つ利口になりました。

 

おにぎり

そうそう思い出しました。これを書いているのがかなり日にちが経った後なので何かと忘れがちですが、台風が本格的になる直前におにぎりをたくさん準備したことを。

ゆで卵は傷みましたが、おにぎりは息が長かった。美味しく食べました。

 

ティータイムを楽しむ時間は贅沢なほどありました。長い夜、長い昼という感覚は新鮮だった。

洗濯物

台風で家に缶詰なので服は汚れない。お陰様で台風中は涼しくて何度も着替えなくてOKでした。台風ってちょっと弱くなる時があるんです。そしてまた強くなる。ですから、ちょっと弱くなった時にコインランドリーで洗濯乾燥しました。

洗濯機は停電で使えませんでしたし、手洗いしてもいいんだけど、もうどうせコインランドリーに行くから全部外で済ませました。

皆が一気に押し寄せるからすごく混むんだけど、タイミングの妙で余り長く待たずに用がたせて本当にラッキーでした。

他に準備しておくもの

  • スマホなどのバッテリーは満タンに。
  • 充電器もフル充電。
  • 懐中電灯 と電池類
  • ロウソク
  • 電気がなくてもできるもの(パズルが好きならパズル、編み物が好きならその準備など)。私は日頃手を付けていなかった洋服のちょっとしたお直しをしました。他にはブログのネタの整理など。

 

試しに「生まれて初めて」をやってみた

江戸時代?体験

ロウソクの灯を頼りに字を書いてみました。なんもやることないから妄想、空想マインドマップを書いた。今の私はなんでも叶ならどんな欲求が満たされたら嬉しいかな?という懐かしさすら感じるネタでも描いた。

欲望を自由に書く! ロウソクの灯を頼りに。という非常にシュールなことをしてみた。

楽しかった。

でも、なんだかよく見えにくいからいまいち乗りきれないということがやってみたらわかった。しかし、乗り切れなくても、なんでも叶うなら書いておこうと欲がメキメキと沸き起こってきて書くという、本当に「人間ここにあり」ということをした。

瞑想とは?

詳しい方にお聞きしたいのですが、瞑想とかって、正解は無になって何も考えないことですか? それならば私は瞑想できてました。(笑) 頭の中真っ白。なんもない。だからすぐにやめちゃった。やめようが、それをやろうとしようが、結局一緒だということもやってみたらわかった。

特に楽しくもないし、台風の間中たくさん寝ていたから瞑想中に眠気も襲ってこないし。

 

停電になる前にしていたこと

映画とか見てました。映画見ながら寝落ちばっかりしてた。

停電する前は、外は大荒れしていながらも、家の中ではとにかく平和にゆったりと過ごしていました。

David MarkによるPixabayからの画像

写真みたいな雷は今回見ていないような気がするけど、わすれちゃった。

 

もともとコロナ騒ぎになってからの巣ごもりも私個人は非常に満喫しておりましたので、(あら!またこんなにゆったり過ごせるなんてラッキーだわ)という感じでした。もうね、本来出不精なので巣ごもりは得意なんです。

得意なことをやっているのでストレスはあんまり?ほとんど?感じないんですね。まさかこんな得意技がめちゃんこ活きてくる環境が世界的な社会生活に起こるとは想像したことがなかったけど。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像

現在のところの結果

台風時の妄想・空想で、車と引っ越しについて花が咲きました。で、実際に台風明けに車屋さんに欲しい車を見に行きました。相場や程度も見たかったから。

家についてはネットでちょっと見た程度。そのお陰で家賃見当を狭めることができて、この先本格的に物件を探す際に絞り込めそうです。

 

そう、この車の買い替えと引っ越しについて2023年内に両方終わるとは決めていませんが、自分の思い込みや設定した枠について気が付くことができました。

この自分の価値観に気が付いたことは非常に大きなラッキーでした。それは過去の私の価値観で、それはそれで今に至るまではOKでしたが、今はもう状況が異なるので無くてもOK。そんなことに ハッ! と気が付きました。

 

台風で巣ごもりを強いられた私でしたが、時間を贅沢に使った感がありました。これはとっても「豊かさ」体験だな~なんて思ったりしました。

災い転じて福となす。の一例な気がした。

 

台風の時も、夏風邪の時も、無事回復してありがたいです。

日々の生活って本当にありがたいことの集大成ですね。

 

John HainによるPixabayからの画像