純度とは?

「純度」再び

以前よくホームページのコラムに書いていた「純度」に一周回って帰ってきた感があります。

生きていると面白い現象が起きますね。おかげさまで楽しいっす。

 

実はこちらのブログ ↓ からすでにこのシリーズは始まっていたんですなぁ。しかし、今回はここまで内容が到達できないかもしれない。ですからまた1つ続編を書きそうです。

薄氷の違い? 同じ?

 

しかし、 下記のように ↓ 書きたい順に書いていったら我ながら無意識なのに非常に良い内容展開となり、今回に至ります。

あぶねえ

その領域には手を出すな??

 

最初に結論

忘れないうちに(忘れるもんかね? 結論を。一応の今回のブログの目玉を。)結論を書きますと、

私が「純度」と感じる人間の大切なナニカは個(ヒト一人の意味)の全体(内外含めた全身)が関わっているのはもちろんだけれども、「松果体の状態」と深い関わりがあるのでは?

という仮説を立てました。というのが結論です。

そして、それは

人間個体の大切な磁場とも深い関わりがあるのでは? 

 

かねがね自分の中の「純度」という感覚についてもう少し輪郭?対象?がはっきりしないかな?と思っていたんですよね。

私が良く使う別の「酔っぱらう」「うっとり」という表現も、以前それについて「それはどういう感覚(意味合い)ですか?」と質問されたこともあり、やっぱり感覚的なことって個々の感性の違いがあるからねぇと思うものの、感覚は伝えられなくとも、もう少しなんとかならないか?と思っているわけです。

 

で、文頭のような「純度」について仮説を立てました。これが結論。

 

私が良く使う別の「酔っぱらう」「うっとり」という表現も「本人が意識していない割と大きめに磁場が乱れる影響を受けている最中」「磁場が大きめに乱れる状態を好んで選択している状態」ってことですね。

そうか、こう書いたら自分で非常にしっくり来た。輪郭をはっきりさせられた気がした。

Wolfgang EckertによるPixabayからの画像

 

そう言えば有名なチャクラの本に

そう言えば有名なチャクラの本に、第7チャクラの不安定の原因として、「スピリチュアルエリート気取り」という辛辣な和訳が書かれていたのを読んで笑った記憶があるんですが、これは言いえて妙どころか芯を食ってる。バットで玉のシンを捉えたきれいな打球。お見事。

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 

多分こういうことなんでしょうね。

エゴの正体に近いものとして。

量子力学

しかし私は他にも、「量子力学を利用しようとする願望実現系」も似た作用が起こってないか?とにらんでいる。量子力学を理解しようとしているうちは厄介なことが起こらないようだけど、すでにブログに書いたように(俺、私にも使えそう)と思った時が運命の分かれ道。

 

私はセルフケアのつもりで試しに数日こんなことをやってみただけで厄介な入り口に足を踏み入れかけたのでは?と仮説を立てているのですが、私が足をすくわれたのは「セルフケアのつもり」だったところです。セルフケアのつもりでやっていることは願望実現系だった。

それまでの従来の方法はセルフケアで止まっていた。しかし(現実を変えられるんじゃね?脳内の量子操作で。)みたいなことを試験的にではあっても結果的に足を踏み入れていたんですね。スピリチュアル感とかそういう感覚じゃなくて、なんだか脳の使い方系、イメージワークの一環系に感じていたんですが、どうだろう、行為としては「スピリチュアルエリート気取り」みたいな分類になったのかもしれない。

 

あぶねぇ あぶねぇ

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

 

私の学び

ここ最近書いていることはあくまでも仮説にすぎませんが、これがまさに「厄介を引き起こす体験」として良い線いっていたら(自分の体験を通して)また1つお利口さんになった部分がある。それは何度も書いているし、他のことでは体感・感覚があるような気がしていた次の4つのようなことです。

  1. 境界線が有るようで無いようで、でも有りそう。でもそれは境界線として存在しない不思議な空間のような感じ。
  2. この辺りを上手に使いこなせる方もいらっしゃるのかもしれないが、上手に使いこなす=健康的とは限らない
  3. 陰陽の拮抗しているような「場」があるとして、厄介が起きるのは1.のような拮抗状態の「場」を通り越してどちらかに傾いた時なんだけど、その厄介(今回書いているようなケース)は思いのほか人間の深部に到達する?
  4. 生きていると様々な厄介があり、心がひねくれたり、精神が痛んだり、性根が腐ってしまいたいような深いダメージを受ける時がある。それらもダメージによって「純度」に大きく作用するし、ヒトによっては自分の「純度」だけは死守したいと頑張る方も居る。それとは逆の方向のように感じる「スピリチュアルエリート気取り」風な行為もまた「純度」に大きな影響を及ぼす。というか、こういう行為が厄介を引き起こす。

ざっとこんなこと。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

何度も書きますが、私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。ただ私なりの信仰心のようなものはあるんですよね。だから、こういったことを書いてきてもやはり内容が宗教的というか、〇〇道的、◯◯教的みたいなことになっているのかも知れません。特定の宗教を信仰しておられる方は、私が書いているような内容の「答え」に該当することは多分「教え」の中に既にあると思います。

ですが私は自分で考えたり、仮説を立ててみたりはするものの「答え」は無いんです。すべて「仮説」。2023年10月の段階の個人的な仮説です。そして、私はどうしたいか? なにを好むのか?があるだけ。

 

しかし、もう少し他のことも考えていたりするので続きを書きます。

 

視野が狭い? 近視眼的?

運転中に次なる展開が頭に浮かぶことが多いのですが、昨日運転中に

  • 量子や粒子論は一部を切り取っているだけ。
  • 量子力学が全体とか、根本とか思い込みすぎる。
  • 社会、世界、人生との関わり方については盲点、スコトーマがある。

という言葉が浮かびました。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

なんでしょうか? 私はひょっとしたらまた頭が冴えてるバイオリズムでも来たんですかね?

 

1つのキモはこんなところかな?とまたまた仮説を進めましたよ。

 

そして、唐突ですが寝る時間になりましたので今日はこれで〆ます。

脳内に浮かんだ仮説やその事例などを忘れないように既にメモしました。次回以降はそのメモを見ながら書き進める予定です。

 

おやすみなさい。

ではまた。