「人生はゲーム」という名台詞を思い出すと今まではボードゲーム版「人生ゲーム」を連想していましたが、人生でおきる出来事の連鎖のようなものがビリヤードっぽいと今このブログを書こうとしたときに気が付いたし、随分前から人気があったスイカゲームの原型はテトリスかと思ったときに、何かがそろうと パッと消えたり、違うものに形を変えたりするのも私たち人間の認知や心の状態でもあるな~なんていう人生ゲームというイメージに幅が広がりました。私の中では新発見でした。

人生って発見の連続だ。これで6マス進んだかしら(笑)

rubyliaによるPixabayからの画像

人生の発見や気づき

欲しいもの と 本当に欲しいもの

現物が目の前に現れた

本日予定通り用足しに出かけました。

そしたら、

1,こんなのがアレば良いけど、無いからそれに近いもので済ませるかな〜?とネット検索とかしていた以上の「コレコレ!! これです!! こんな所にあったのね!」を初めて店内に入ったお店で発見。それまでの選択肢は数多くのネット検索で表示されたものだったわけですが、それらの斜め上というよりも「これ!」という芯を捉えたものが現実として現れました。

 

2,沖縄では実物が無いからサイズ感とか装着感とかわかんないから怖くてネットでいきなりは買えないな。だから(これもまた)代わりに買うならコレかな? でもそれもサイズ感とか装着感とかを見に行ってみようか。とお店に行ったら取り扱いが終了していました。 あらま。
しかしなんとそのお店にネットで見かけて(いいな~)と思っていたけれども(沖縄では実物見られないし)とあきらめていた商品の色違いがあって試着できたと言うオチがあり、サイズも確認できて正規店でネット購入しました。
土地の経済をまず応援したくて、ネットで買わずに取り寄せできるものは取り寄せて店頭で購入する方法をお願いするんですが、今回は「シーズンが終わった商品なので取り寄せできません」とお店の方のお返事でした。

 

「欲しい」の程度も様々あれど

なんというか、
【本当はコレが欲しいんだけど】を【でも◯◯だから】【◯◯があるから】【これで用は足せるから、足りるから】と違うもので補うって事に慣れすぎている事に今年に入ってクッキリ気がついたんですよね。沖縄だと内地ほど実物を見られる場が少ないっていう環境要因もあるし。別にそれでもなんも悪くない。それが頂き物とか、おさがりとかで、嫌いでもないし勿体無いとかあるし。そこまでこだわりが無かったと言えばそうだろうし。これもありがたいしって思うし。自分が感じる2ランク上のモノが本当は欲しいけど、予算が・・・ということもある。例えば私が車好きで本当はフェラーリが欲しいけど、実際はロードスターに乗っているというようなイメージです。(例です。私はロードスターには乗っておりません)

その時その時の身の丈感、自分の経済力と相談し、商品・金銭の価値観や支出に対するMyルールによって現在の生活の基盤とある程度の余裕を生んだわけだし。経済力に余裕があったとしても「これでことは足りる」という価値観を優先して「そこそこで手を打つ」こともしてきたし、それはその分のおさえた支出分を将来に備えるという分野に回したり。自分の価値観によって「え!? それにその額の出費する?」ということもあったし、「ここは倹約しておこう」ということもあった。

多分多くの方はこうやってやりくりされていますよね?

 

今自分の範囲内にあるもので選択しますよね。

知っているものの中から選んだり、その時選択できるのものという条件だったり。

 

Myルールも変えながら生きてきてる

でも、敢えて【本当に欲しいもの】以外のその場しのぎは減らしていこうと試しにやり始めました。
お試しに。
こだわりが薄いけれども、しかしそれでも我慢を減らす傾向にしていると言えばそうかも。

 

2023/11/06のfacebookにはシェアしたリンクに添えて、

「私も小さなところから質を上げて行く作戦を実行中です。」と書いたんですが、こーゆー事も含めてます。

 

”今自分の範囲内にあるもので選択しますよね。知っているものの中から選んだり、その時選択できるのものという条件だったり。” と先程書きましたが、知っていても現実的に選べない事もある。フェラーリを知っていても私はそもそも価格を知りません。

目標設定より積み上げ方式が自分に合っていると思うのは

価格を知らない時点で、「本当に欲しい」とは思っていないだろうなぁと自覚しますが、過去、(いいなぁ)とは思ったけど、(まぁ無理だろうな)とそもそも詳しく知らないこともふと(あれ!無理かと思ったのにそうなってんじゃん (◎_◎) )と現実になっている(願ったわけでもないから、叶っていると書くのも変ですが)ことに気が付いたことも多くて、それらは気が付いたら私の人生劇場に登場していました。それに向けて努力したわけじゃないけど、その時その時の価値観によって努力や行動はした。そうしたらビリヤードみたくアッチやコッチが反応し合って「気が付いたら思わぬものが現実になっていた」という球が我が人生ビリヤード台に登場した。

スイカゲームが下手なプレーヤーが、目の前の果物に気を取られていた先に偶然スイカが幾つかできて驚いているという感じ。

ということは、将来私がフェラーリに乗っていることもあり得るかもしれないですね。乗っても乗らなくてもどっちでも良いし、フェラーリに乗るならもっと他の車の方が良いんだけど。(←これが本当に欲しい車になるのかな?(笑))

 

そう、私が生きやすくなった1つに、目標設定方式よりも日々積み上げ方式が合っているという自己理解ができたことは大きい。

そんな私だって、試験や受験は合格を目指すという目標設定をします。がこれらは小さい積み上げの1つでしかない。整理整頓や断捨離、快適な暮らしのためにアレコレ、自分を機嫌よくしておくように心がけるとかも小さな積み重ねの集合体の要因です。

ということは、自分なりにしっくりくる「目標設定方式と日々積み上げ方式の使い分け」があるんだろうという自己理解が進んだことが良かった。

 

ちょっと話がズレましたがこーゆー感じ。

目標設定方式に重みを感じて嫌だと感じる方タイプの方もいらっしゃると思います。営業さんとか自分で売り上げを上げていく方は目標設定と結果を出していくのは必須かと思いますが、人生というロングスパンの視点に立つと選択肢が広がることもありますね。

あくまでも私の場合は、結果的に日々積み上げ方式を選択しているんですが、またその今のところの結果として概ねいい感じになっておりまして、今日現在は非常にありがたい状態でおります。今のこの状態をイメージしていたかと言えば、こういう状態になっていない時にリアルな想像はしていなかったし未体験だからありありと想像できていないわけです。

昔見た、引き寄せの動画にあったような商品や物質をありありとイメージするのとは違う。少なくとも私にとっては違う。私が叶った(イメージできない範囲のことだから映像系ではなくて分類としては願った状態でしょうか)とういうか、叶えたい具体像もわからないまま暗中模索を続けて自己理解を進めてきて今、(あら? なんだか叶ってる。 願っていたような、何を願っていたのかわからないような不思議な感じだけど、今の状態は願っていた状態だと言えそうだ)という感じになっています。

そう、目標設定が叶ったというわけではないけど、ありがたいことに願っていた状態にはなっている。

目標設定となるとストレスを感じたり重みを感じたりしますが、日々積み上げ方式は私にとっては非常に軽やかで生きやすい。

 

人生ゲーム的には、様々な人生パターンがありますからアレコレ試してみてください。

人生って自分で想定している以外にも、ルートは無限大な気がします。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

私がはるか昔ブロック崩しというか、テトリス系の何かが連鎖して消えるというゲームをしていた時に画面で見ていたような変化が起こったのかもしれない。

下手なゲーマーだった私が、人生劇場に登場した出来事などに私なりに取り組んでいたら不思議にわだかまりやこだわりや苦しく感じることが パッ と消える瞬間がきたり、価値観が ガラッ と変わる瞬間が来たり。

一気に連鎖が起きる大確変みたいな当たりがあったり。

NickによるPixabayからの画像

 

やってみて 感じてみる

話が大きく脱線しましたが、「これで用は足りる」から「本当に欲しい」に切り替えたら何がどう変わるでしょうね。

満足感の変化があったり、機嫌良く居る時間の何かしら変化があるのか?
それとも特には何も無いのか?

お試しを始めた今のところは、やっぱりその品物を見ると(Myルールを変えて、コレを選んで良かった♡)と満足感を再確認するんですよね。すると、(次も本当に欲しいものを買おう)と思う。

しかし、ついうっかり忘れて、(コレで良しとするか)みたいな事に今日もなりかけてたw

 

それを思い出させてくれた2つの出来事でした。

 

身に染み付いた習慣を意識して剥がしていくみたいな事ですかね。

John HainによるPixabayからの画像

 

 

続きは次回以降アップします。

長くなりそうなので一旦〆ます。