一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 ストレスケア編

続々〉上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

 

本日上の2つのブログの続きを書きます。

 

実は私は、ブログのアイコン画像が壊れている(または表示設定がされていない)ことをずっと気にしています。ちゃんと表示されて欲しい。

恐らく、ホームページの方の設定と連携が上手くいっていないか、ホームページの方の画像が壊れたか、なにかしら異変が起こっています。

 

しかし、これを腰を据えて突き止める余裕が2021年後半~2022年終わりまでは無かったので、この先ちょっとまたホームページの修正をするか、ブログの設定を調べる時間を持ちたいと思っています。

 

やっぱりこういう文章を書いたり、サイトを(私の力量の範囲内ではありますが)管理するのは楽しいです。

 

そして、本日は汗をたっぷり書いて、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた【その後】について書いていきます。

同じ状態のものは2つとない!?

毎日同じ。つまんない。って思いながら生活するような時期ってありませんか?

ヒトによってはかなりの長期間こう思いながら暮らしているかもしれない。

 

でも、私たちは都会に暮らしていたとしても、空や雲、風、光、香り、川、体調、他人から影響などなど、同じ瞬間は2つとないんですよね。その違いに気がつくかどうかは人生観や感性に大きな影響があると思う。優劣とかじゃなくて、生き方の好みの話だと思うんだけど。

 

私は海で仕事(ダイビング)をしていたことがあって、海中では生き物が動き、潮が流れ、海面越しに見える太陽や雲、雨という様々なものが織りなす風景に同じ一瞬が無いということを体中で感じる事ができました。それは海の中だけじゃなくて、陸上でも同じなんだということも気がつく事ができました。

 

という、自然(や社会)の中に生きていると当たり前な話を書いたのですが、この「一味深いヨモギ蒸し」も終わったあとの鍋の中の様子も、百人居たら百通りのようです。

これがスタート時?

手で混ぜた コレ ↑ を鍋に投入。

 

すると こんな感じ ↓

このグツグツと煮立った(いや、上に座れるくらいだから煮立っては居ないのか? ごめん、わからん。なんせ蓋した上に座って、ポンチョ着てるから見えないのよね)時は、ヨモギ蒸し後の鍋の中の変化について知識も興味もなかった。

 

知らないってこんなこと。

先入観なしの初体験ってこんなことよね。

たしか、こっちが私だったと思う

なにしろ私は生まれて初めてなので、全てはフワコヤ88←リンク貼ってあります)で体験して、いろいろお話を聞いてみてください。

 

ただ、「一味深いヨモギ蒸し」を受けた後の鍋の中が「落ち着いている」というか「静か」というか、「ストレス少なめっぽい」らしいです。

 

  • 2022年後半、ストレスに目一杯さらされており、我ながら(ヤバイ)と思う事がありましたので、もちろんセルフケアしておりましたが、なかなか追いつかない時もありましたが、それでも追いつけ追い越せとできる限りのストレスケアをしていたのも良かったみたいだし、
  • 今回、フワコヤ88←リンク貼ってあります)にお邪魔した際に、「一味深いヨモギ蒸し」の前にいろいろ体験させてもらったのも良かっただろうし、
  • 「一味深いヨモギ蒸し」と並行して体験させてもらったバランス調整も良かったという

総合技の結果かな?と思ったりしています。

 

もうお1人、別の方の鍋の中(だったと思う)

ヨモギ蒸しを何度か行っているこの方は、「以前よりヨモギ蒸しの後の鍋の中が大人しくなってきた」とおっしゃっていた。

 

一味深いヨモギ蒸しによる「菌活」が非常によろしいような気がする。とおっしゃっていた。

 

私も、一度体験させて頂いて、「これは非常~~~~~に良いな」と実感しています。

どういう点が「良い!!!」と思ったのかを次に書きます。

 

今回で書き終えるつもりが・・・

すみません、また出かける時間が迫っており今回はここまでです。

今回で体験記を書き終えるつもりでしたが、すんません。

 

ちなみに、わたしが行うセルフケアはホームページでご紹介しています。

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

コロナとか色々な時も、おかげさまで平和に暮らしておりましたので、

キ、キ、キツイ・・・ ヤバイ・・・

という時期が我が身に降りかかるとは。と (あーこりゃ大変だ。)って感じでしたが、今日現在(2023年1月末)は平和が戻ってまいりました。

 

大変な最中、兎に角、ストレスケアをしましたよ。

そのお陰で早く抜けれたのか?は分かりませんし、いろいろな方に護って貰ったんだと実感があり、非常に感謝しています。

大変な最中も(救われる~)と思う出来事や人物にも出会いました。

 

ただ、大変な思いをしている方には、ストレスケアをおススメしたいです。

私はこちらのストレスケアのスキルをご提供できます。

セルフケア講座 自分で怒りや不安をストレスケア! アイテム不要! 

 

・・・つづく

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 汗かき編

続〉上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

本日はこの記事の続きです。

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

すっぽんぽん

「すっぽんぽん」とは「裸ん坊」のことです。

そう、ヨモギ蒸しは裸ん坊で行う(らしい)。

 

裸ん坊が嫌なら、ブラトップやパンツは着用していても構わないと聞いた気もするが、乗り掛かった舟なので、言われたとおりすっぽんぽんになった。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

他人様にすっぽんぽんをお見せするのは眼福の反対の「眼害」なので無料サイトから頂いた裸ん坊イラストです。私に似てますか? 不思議と怖い顔してません?このイラスト。

すっぽんぽんの上に羽織るもの

ヨモギを蒸した蒸気が逃げない素材のポンチョをすっぽんぽんの上に羽織ります。

イラストさんはご機嫌です。

こっちも私に似てますか? 人間にはいろいろな側面がありますね。

 

いざ「一味深いヨモギ蒸し」

前回写真でもアップしましたが、裸ん坊onポンチョ姿で穴の開いた四角い椅子に腰かけるんです。

この蒸気が結構熱い。

慣れるらしいですが。生まれて初めての私は、ご多分に漏れず「熱いもんだねぇ」と感じました。

 

で、実はこの「一味深いヨモギ蒸し」を体験する前も、「一味深いヨモギ蒸し」の際中も、いろいろな事があったんですが、この「ヨモギ蒸し」timeが一番長いまとまった時間でした。

暑いっす

顔にも汗、ポンチョの中の身体にも汗が流れました。

 

この汗は岩盤浴などのときに言われるように

  • 拭かない
  • 洗わない

ほうがおススメだそうです。

 

だから、「一味深いヨモギ蒸し」を受けている最中は、汗は流しっぱなしでした。

 

そして、この間は水をチビチビ飲みながら行っておりましたよ。

この「一味深いヨモギ蒸し」の最中に飲ませて頂いたお水も「一味違った水」でして、この日はいろんなことを体験しまくりで楽しかったし、有り難かった。(フワコヤ88←リンク貼ってあります)、ありがとうございました。)

 

一粒で最大限の効果を体験したい強欲さ

充分暑くて汗をかいていたのですが、(フードをかぶったらどの位暑くなるんだろう?)と疑問がわくわけです。

湧いたらやりたいんです。

 

ということで、もちろん途中からフードをかぶりました。

当たり前ですが、もっと暑かった!

 

滝汗!

 

と、「一味深いヨモギ蒸し」を他にも並行して体験したことがありつつ、約45分? 40分?の体験を楽しみました。♪

 

体験後の感想はまた次回に書きますね。

 

・・・つづく

(アイキャッチ画像を裸ん坊のイラストにしようと一度セットしたんですが、ちょっと怖いかな~?と憂慮して、ご機嫌顔の自分で書いた簡単イラストにしました)

一味深い「ヨモギ蒸し」体験記 準備編

上等(じょーとー) ヨモギ蒸し体験記

普通のヨモギ蒸しではなく、一味(ひとあじ)深いようだ

女性の方に「ヨモギ蒸し」が人気なのは知っていたが、私は体験する機会が無かったので2023年1月までは未体験でした。

ですから、「普通」と「ひとあじ違う」の違いを身をもって体験したわけでは無いのですが、女性の方に人気だと聞いていた「ヨモギ蒸し」の解説などを目にしたことが無いので、実際に我が目で見て、話を聴いて、体験してみると

こりゃ~普通(に聞いていた)の「ヨモギ蒸し」と一味違う気がする!

上等だね~~~~♪

と素直に思いました。

 

という事で、今回のブログはフワコヤ88←リンク貼ってあります)さんで体験させて頂いた「ひとあじ違うヨモギ蒸し」体験記です。

そう、沖縄じゃなくて、名古屋で体験させていただきました。

 

私はお皿を用意されたのを見た時に、「ヨモギ蒸し」の前にサラダを食べるのかと思った

は?

どういうこと?

と思われた方は下の写真を見てください。

 

お料理上手な方がいろいろなスパイスを使うので、

(手の込んだサラダ)かと思いました。

 

葉っぱはレタスでは無いようだが・・・・

ケール???

ケールに、色とりどりのスパイスをかけて食べるの?

「ヨモギ蒸し」体験に、サラダのサービス込み?

とマジで思ったんです。

 

そしたら、これが「ヨモギ蒸し」の材料だとのお話。

 

へぇ~~~~~ っと息が続く限り言いましたよ。

 

次に驚いたこと

 

これに ↓ 次なる準備をするために とあることを行いました。

 

それは、

手で混ぜるんです。

このケールにも似た状態の緑の「ヨモギ」(だよね?)とスパイスたちを。

 

元気もりもり もりもり「モリンガ」

そうそう、なにか1つ、ちょっと増量できるけれども何が良いですか?と聞かれましたが、少しでも多く良いものを得ようと強欲炸裂。

美容だの、若さだの、健康だのと気になる言葉がメニューの中で踊っており、1粒で最大限の効果を得たい強欲ババアは、強欲すぎて選べない。(笑)

 

こんな時は手放すんです。

ですから、「何がおススメですか?」と教えを請いました。

 

すると

『元気もりもり もりもり「モリンガ」はどうですか?』と言われ、その語呂の良さにモリンガに即決しました。

 

で、全てを手で混ぜます。

 

するとこうなります。

 

手で混ぜる理由

この普通のとは一味違う「ヨモギ蒸し」は、「菌活」みたいなことが特徴だと聞いた(気がする。でも私ってこーゆー時に結構いい加減。勘違いする時も多い)。

違っているかも知れないので、詳細は先ほどもリンクを貼ったフワコヤ88←リンク貼ってあります)さんで体験する際に特徴を聞いてください。

 

で、手で混ぜる理由として、自分の常在菌と、この「上等ヨモギ蒸し」の成分を馴染ませるために行うと聞いた(気がする)。

ですから、おそらく「温活」とはまた別で、健康を維持していくための「菌活」も同時進行するからこそ「ひと味違うヨモギ蒸し」だと理解しております。(合っているのか どっち? フワコヤ88さん?)

 

セット完了

いつも通りあやふやですが、下はお湯がぐつぐつ沸いているところで

 

次が「ヨモギ蒸し」の材料投入後かな?

 

なんせ初めてで、ただただされるがままでして申し訳ありません。

でも、わたくし、こうった時に非常に素直でして、先入観はあまり取り入れない方針のつもりなので、こういった性質が「吉」になることも多いような気がしています。

 

ブログを書いていたら、イラストも書き加えたくなりました。

 

外出する時間が迫っております故、次回にイラストをアップします。

・・・つづく

 

勝負に勝つことだけが勝負運ではないような気がしてる

勝負運 一考

タイトルを書き、一行目の見出しを書いておいて なんなんですが、実は非常に興味深い「よくあるヨモギ蒸し」とは異なる、私が勝手に「一味、ふた味ことなるヨモギ蒸し」を体験した体験記を書くつもりでした。

 

が、

まぁいつも通り、ただの気まぐれでこちらの「勝負運」について昔からの持論、解釈について先に書く事にしました。

負けてラッキー

負けてラッキーと思うまで その1

ヒトは、目の前に起きている争奪戦、勝負に反応して、「負けてなるものか!」と意地のようなものが湧いてきて、そして執着するという性質がある場合が多い。

 

  • オークションやセリ、オーディション
  • 恋のライバル
  • タレントさん達の言う自分がハマれる「空いている席」の有無
  • 具体的な乗り物などの空いた席に座りたい方達
  • 採用試験
  • 婚活や出会いの場での競争意識
  • 成績順、売上順のアレコレ
  • バーゲン会場 などなど

 

こういった渦にはまり込むと、「実は別にそれほど興味はなかった。」ということをすっかり忘れて競争ゲームに一喜一憂してしまう。

本当に人間の意識とは奥深い。

 

比較や競争が好きでも嫌いでも、これらに意識を奪われると、

ハッ!と気がついたら「競争の洗濯機」に入っていて、グルグルと回っているし、遠心力に逆らえずただ洗濯槽の壁にはりついて起き上がれずにいるという驚きの自分になっている。

 

いっぱしに理由を考えたり、他者を非難したり、自分を正当化しようとするものの、ちょっと引いた目でみたら、「自分も他人もみんな一緒」と気がつく時もある。

この辺りまで気がつくと、「ヒトのことなんて何にも言えないな~」とガッカリしたり、理想の自分じゃない事に腹が立ったり、プライドを守るべくアレもコレもスルーしはじめたりする。

 

人それぞれで、人間社会はこういった彩で華やかですわ。

 

あぁ、以前も書きましたが、「勝ち負け」が目的な事って世の中にありますから、それはそれ。オリンピックで金メダルを決めるとか、高校野球でリーグ戦を戦うとか、それが目的なんだから。

一時が万事という話をしているわけではありませんからね。

 

ヒトの「好み」って多種多様なんです。

 

負けてラッキーと思うまで その2

で、その時の勝負や競争に勝っても負けても、「負けてラッキーだったんだ!」と思うまでの大切な要素は「時間」。

 

例えば、入社試験

入社試験に落ちた。

さてその後、その時に一番入りたかった会社に入社できずに傷心しつつ、違う会社に採用されて(あ! この仕事好き)と思うようなことがあったらどうだろう?

 

時代が変わり、一番入りたかった若かりし頃の憧れの会社が吸収合併されて社名が消失することもある。吸収合併の具合が、強くない立場になる側の方で、なんだか日が陰ったような気持になる場合も全然珍しくない。

 

そう、勝負や競争は「今」「一時」のことでしか無くて、将来はわからない。

小説にもよく取り上げられている(こんなはずじゃなかった)という想いを抱くのは将来なんですよね。

 

「今」「一時」、勝ちだと思えたことが、将来どのように作用するのかはわからないんですよ。

 

だから、勝負運というものを考えた時に、「負けてラッキー」ってことってある。

 

そう、「負けることがその勝負の勝ちだった」「負けることが自分の人生の大幸運だった」ということってあるよね。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

禍福は糾える縄の如し

私は度々、「凶事は吉事」と書くし、言うし、自分の人生ではまさにその通りという体験が多い。だから「凶事は吉事」という現象が本当にあると信じているし、言葉を変えたら「禍福は糾える縄の如し」ということになる。そして、本当にそうだなぁって思っている。

 

簡単に書くと、今日は今まで何度も書いてきた、これらを

「負けることがその勝負の勝ちだった」「負けることが自分の人生の大幸運だった」

と文章を変えて書いているに過ぎません。

 

そう!

私は同じ(ような)事を何度も何度も書いている、成長、発展が極少の人間です。

ちょっと「例」を変えただけ。(笑)

 

そういう意味では、他人様との競争、勝負事の成績は全然良くない私ですが、自分の人生の勝負運は凄く良いような気がしてる。

 

遥か昔、または最近の「負け」みたいなことって、今の私、将来の私のラッキーになっている(だろう)。

 

そういう意味では、「勝負運」という言葉遊びに囚われて一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しいよな~って思ったんですわ。

 

長い目でみると、自分の幸せを感じる感性を自分で育てることができた人が勝ちなのかもしれない。自分の幸せを感じる感性を自分で育てることができた人が「勝ち」とか「負け」とか気にしているとは思えないけど、今日の文章に沿わせて書くのなら「勝ち」ということに一応しておきますか。

 

自分の幸せを感じる感性を自分で育てることに「勝ち負け」なんてないんだけどね。

一応ね。

 

わかったようなことを書いてみる

大したことをわかっていないのに、わかったような事を書いてみる。

 

なにかに勝っても、「わぉ!ラッキー」

なにかに負けても、「わぉ!ラッキー」

じゃあ、何が起こってもラッキーなんじゃん。

 

と思うくらいになったら「楽」なんだろうな~って思ってます。

 

こんなことも「こだわりを捨てる」みたいなことに含まれていそうだなぁ。

 

人生の幸福感には「勝ち」「負け」という知識、認知、価値観は意味が無く、そういった判断をすること自体影響がない様な気がしてる。少なくとも私には。

 

今の私はこんなわかったようなことを書いているけれど、ちょっとした刺激に反応して、また競争の洗濯機にはいってしまうのが人間たる所以でしょうから、

「できる限りこれらを覚えていたい。忘れたくない。」

と思うだけなんだけどね。(笑)

 

 

・・・おそまつ

 

2022年が終わり、2023年こんにちは。

1年は瞬き1回ほどか?

何はともあれ

嬉しい。

ブログを書く時間と、ブログを書く心の余裕がある。

 

しかし、振り返れば1年は瞬き1回ほどか?と感じるわ。

 

それなりにいろいろあったんですよ。いろいろあったんですけどね。振り返ったら一瞬ですわ。

それは2022年に限らず、これまでの人生も同じくですが。

 

まぁ、大晦日にこの位機嫌よくいられているのなら、終わり良ければ総て良しとします。

ありがたいです。

 

前回のブログの続きを少し書く

ネットに繋がらなくなりました。→祝 復旧

 

私たち人間の多くは、不安や恐怖と共に生きているという事を書きましたが、

これらに少し加筆してみたい。

 

禍福は糾える縄の如し

 

という諺が果たして正しい法則なのかは知らない。

しかし、そうだろうな。とすんなり信じてしまうほどのフィット感。

 

そう、真実かどうかもわからないのに、やけに語呂が良かったり、上手く表現されているのを見聞きすると、真実だと思い込んでしまう。こういったことはホームページでも過去のブログでも散々書いてきた。こういった事もスコトーマ(心理的盲点)だろうということもしつこいほどに書いてきた。

 

私の場合は、これらが真実でも全く構わない。というのも、私自身の過去がまさに

  • 凶事は吉事
  • 禍福は糾える縄の如し

を疑う必要などなかったという体験をしたからです。

 

過去はそうでも、未来は福ばかりとなって、法則じゃないということが証明されても全く構わない。どうでもいい。

どうでもいい。と書くと生意気なようですが、こんなことは私が決められやしない類のことだと天にお任せするしかないという意味です。私がなにをこだわっても、信じても、「今」は刻々と変化していく。

 

その「今」に対して、意味づけをして、反応していくだけだろうから。

 

と、こんなことを考えたのち、ただの思い付きの「例」を書いてみたくなりました。

 

自分におこる不幸や不運を避けたいばかりに

哲学的?に書くと、不幸も不運も本人の感じ方次第なのか?

いや、理屈はそうでも、不幸も不運も嘆きたくなる時って誰でもあると思う。

本人の感じ方次第だけかもしれないけど、でもそういった考え方に囚われずにはいられないような環境や状況や心境ってあるよね。

 

で、祓おうとしたり、浄化しようとしたり、云々ということを前回書いたわけですが、

ただの「例」として、

その不幸、不運というようなことを通過せず避けているばかりだと、次に来るはずの幸福や幸運が迎え入れられない。

なんてことが嘘か本当かわからないこの「法則的」には仮説として成り立つのだろうか?となんてことを。

 

ただの机上の空論ですよ。

私の脳内の空論。

 

グルグル回ってる? 輪廻転生?

物事は循環している。という考え方をすると(いや、これも真偽は不明ですので仮説として書き進めます)、不運、不幸を恐れるあまりにそれらを阻止しようとするその考え方や行為は循環を妨げている。というような論説は成り立つのだろうか?

 

となると、

遥か昔に私が一体どうしたら良いのかわからないけれども「恐怖のブレイクスルーを試す。目指した。」

というようなことをホームページのコラムに既に書いていますが

感情と成熟(精神的に大人になる)

私たちの精神・心理と宇宙感ー1

 

「恐怖のブレイクスルー」の極端な言い換えは、

  • 「幸運、幸福を迎え入れる覚悟をした」とも言えるのかもしれない。
  • 循環を円滑にさせる心持というか、自分のチカラの及ばないことについてもうお任せする。というような手放し方

というようなことと表裏一体とも、机上の空論的には考えられるような気がしたんですね。

 

あっ! 相変わらず、真実は知りませんよ。

私はこういった事を考えるのが好きなだけなんで、説の証明については、数式や化学式を証明するには母数が少なすぎる ただの自社データ、Myデータのみなので。

 

表裏一体

でもまぁ、表裏一体みたいなことって多いから(長所が短所、短所が長所的なこととかもそうですかねぇ)幸運と不運もその「表裏」に加えてもいいかもね。

 

ということは、どっちも引き受ける心がけがあるというのは理に叶ってるような気もする。

不運と避けたら、幸運も避けてる。というようなことも、この論調を持ち出すのならあながち外れていないのかなぁ。

 

となると、この「表裏」にもっとも寄り添うとしたら、「何が起きても大丈夫」というような心持なのかもしれない。どうであれフラットでいるというような意味で。

 

そして、これらをまたまた言い換えるのなら、「いまここ」なのかもしれないし、「今を生きる」ということとも言えるのだろうか?

 

表裏一体のものに「幸運」「不運」という判断を下しているのは人間の思考?

「出来事」に意味づけしているのは人間の思考。感性。

私が、転んで負傷して「こりゃあ この先良いことあるぞー」と意味づけしたのは私。

 

外側ではなくて

ブレイクスルー。なんて書いたり、聞いたりすると、まるで何かしら外側のなにかをぶち破るというようなイメージを知らず知らずのうちにしているケースが多いような気がする。

しかし、ブレイクスルーの向かう先は自分の内側。

 

と書いた今、(そうか、外と内ということも表裏一体なのか?)と思った。

 

そう、こういうことは空間や時空をゆがめて考えた方がよく分かる。いや、空間や時空に囚われていないほうがよく分かると書いた方が良いのか?

John HainによるPixabayからの画像

 

しかしまぁ色んなものに囚われて生きていくのが人間だから。などと、わかったようなことを嘯いていきなり終わります。

 

 

皆様に2022年お世話になりましたことを感謝申し上げます。

皆様が2023年、素敵な一年になりますようにお祈りしております。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

 

 

 

ネットに繋がらなくなりました。→祝 復旧

こう言う事は大抵突然起こる

本題と余り関係のない話からスタート

皆様、年末到来の中いかがお過ごしでしょうか?

私は元気です。

いろいろあって、ちょっと大変な時期もありましたが、一旦トンネルを抜けました。

そうなると心体が一気に軽くなりましたので、体感としても「トンネルを抜けたな~。祝」と有り難く感じています。

 

で、以前、すっ転んで痛手を負った時に(これは良いことが起こるぞ。と確信した)とブログにも書きましたが、おそらく本当にその通りだったんだと思います。

負傷

 

なにかあった時に「不運」と思って、やれ浄化だ、やれお参りだ、縁起を担げるモノや行為だ、という考え方をする方は多いと思います。私も過去には不運を嘆くようなことを勿論経験済みなので、

やれ浄化だ、やれお参りだ、縁起を担げるモノや行為だ、

という考え方や行為は理解しておりますし、実際それで良かれと思う方向性へ変化したらそれで結果オーライですよね。

 

私もすっ転んだときや、過去大変な時期に「不運」と言われたこともありました。

 

過去は、そういったことを言われるとそのデリカシーのなさにムカッとして反応しておりましたが、今回はそういったことを言われても心の中で(こりゃあこの先良い事あるぞ。ワクワク)と思っておりましたので、そういった感想を述べられても無反応というか、聞き流していました。

 

自分に嫌だと感じるような事がおきる「恐怖」というのを私たちはおそらく毎日、毎時間、毎分、毎秒それこそ「潜在意識」的な無意識領域で感じているのだと思う。

それが人間の持って生まれた性質なんだと思うんですよね。

ただ、この毎日、毎時間、毎分、毎秒の「恐怖」に対する幅が個々によって違っていて、脳の機能の欠損によってこういった「恐怖」に反応しなくなるケースもあるようだし、生まれつき反応が起きにくい場合もあるようです。その逆に、過剰に反応が起きてしまい心安らかな時間をおくりにくい方がいらっしゃるようです。

強迫症となると、ご本人もなかなかキツイでしょうから。

一瞬 なにかメッセージがでた

いよいよ本題に入ります。

いつも通りボンヤリしながらなにかスマホを触ったんです。

そしたら25時間だか、52時間だか「ナニカが使えない」「繋がらない」というような表示がでたような気がしたんですが、ボンヤリしているものですから、そのメッセージをちゃんと理解する前に「OK」と押してメッセージを消してしまいました。

 

そしたら、あなた、なんとまぁ 本当にな~~~んにもネットが使えなくなっちゃった。

Wi-Fiマークはついているのに、その表示はダミーでして、なんも繋がらない。

機内モードを入り切りしてもダメ、Wi-Fiを入り切りしてもダメ。

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

 

まぁ 25時間か、52時間経てば復旧するんだよね???? と、あやふや情報を信じて数時間モバイル通信だけで必要最小限なことを行っておりました。

 

Amazonオーディブルで過去ダウンロードした小説を「聞く」という楽しみを久しぶりに思い出して「今だ!」ともう何か月? いや1年以上ぶりに楽しんだりし始めました。

 

が、だんだん、イラチ(短気)な私が頭をもたげてきて、ルーターを再起動したい。試したい。と居ても立っても居られなくなりまして、

ルーターの初期化→再設定を行いましたら、あっさり復旧しました。

 

NickによるPixabayからの画像

 

この手のことには苦手意識がなくて、ササっと出来るので自分に感謝しています。

 

なせなら、その昔、今に至るまで、この手のことをわからないながらも取扱説明書を読んだり、仕組みを観察してきたおかげです。四苦八苦した時もあったかもしれませんがもう忘れちゃいました。(笑)

 

 

これを努力という方も居るかもしれませんが、私個人的には努力したという感覚はありません。やらなきゃ通過できないからやった。という感じです。

そう言えば、昔から、「私が人並みにナニカが出来るようになるには、ヒト様も2倍~3倍、またはそれ以上の訓練、練習が必要だ。」という冷静な自覚がありまして、

ただ他人を羨ましがるということが少ないことも有り難いと思っています。

 

羨ましく思っても、それは私にはなんの後押しもしない。

私の後押しになるのは、訓練や練習の積み重ねだ。という、そこに感情をあまり持ち込まない癖があるようなのです。

これらは、今となっては非常に私自身に良い作用が起こっています。

 

他人様の才能をただ羨ましがらない。他人様のそれは才能かも知れないけど、私は積み重ね以外にないんだから。というような感じ。

そういう意味では、ちょっとしたことで嫉妬などが起きないようで心の平和に役立っています。

ある意味、他人様は他人様、私は私。というような意味合いもあるのかもしれません。

 

こりゃあまた いい事あるかもね~

Wi-Fiが繋がらなくて、それがルーターの初期化と再設定で復活したくらいでは、あまりにも普通のことなのでナンデスガ、まぁこういった不具合みたいなものも「吉事」の前触れかも知れません。ワクワク。(強欲かしら。(笑))

 

というのも、またまた夢見が良かったんですわ。

 

冒頭にも書いたような、トンネルを抜けた感、独特の身軽さを感じていますので、それと今回の不具合で代金の帳尻が合ったのかも知れないけど。

 

恐怖を避けることに集中する? 恐怖を受け入れる?

  • 凶事は吉事
  • 禍福は糾える縄の如し

というようなことを心底信じていたら、必要以上の恐怖から抜け出せるかも知れません。

 

なんてことをネットが繋がらなくなる前にブログに書こうと思っておりまして、ただボンヤリと復旧を待っている最中も(あぁ ブログ書きたいな~)って思っていて、そしてめでたく復旧したのでやりたこと(スマホのデータ通信中ではなくて、ネットに繋がったPCでブログを書く)が叶いました。

 

しかし、ネットに繋がっていない最中のあの静けさ、時間の豊かさを身体で感じるあの感覚も良かったので、(あのまま待ってて再接続できたとしたらそれも良かったなぁ)とも思いました。

 

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

皆様が素敵な年末を過ごしますように(^^)

祝 全治

ありがたや

順調に治ったよ

lisatenerによるPixabayからの画像

負傷

上にリンクをはったブログに書いたように、

ある夜、すっ転んで、

  • 手のひら
  • 肘あたり

の3か所を見事にアスファルトで肉が削られました。

 

痛かったです。

 

薬局のお姉さんに

「治るのに2〜3週間かかるねー」と言われた通りの日数で全治しました。

 

痛みはあっと言う間にひいていたし、

カサブタも取れ、その下の皮膚も再生済みです。

ただ、傷跡はあります。

 

傷跡がなくなるのは、まだ当分先になるでしょうが、怪我をしたところを守るためのグッズやテーピングなどは無くても大丈夫になりました。

 

結構傷だらけ?

私は子供時代に無茶をするような事があり、その時の怪我の跡が未だに数箇所あります。

当時の怪我も深かったんですよね。

 

今回はどの適度まで傷跡が消えるかわかりませんが、今の状態でも充分御の字です。

 

皆様も足元、頭上の安全確認をお願いいたします。

Jason GohによるPixabayからの画像

ある日のユンタク会

就職祝いだ!

ユンタクに花が咲く

こちらの記事に書いたご本人と、仲間たちでお祝いをしよう! ということで集まりました。

共通の話題に事欠かないので、お互い本音のユンタク会に私自身も救われました。

 

お祝いなんだけど、ユンタク会。

願いが叶っておめでとう!

 

年末には、みんな変化終了

大きな変化から、小さな変化まで、各々、新年は今とは変化させることも話題に登りました。

 

本当に彼、彼女にHappyが降り注ぐことを願い続けています。

ホントに。ホントに。

 

やっぱり、世の中はいろいろなことがあると知っているつもりでも、彼、彼女のような善良で真面目で、誠実な人たちが恵まれると、私が嬉しい。

「あぁ、そうだよ。世の中、良いこともあるもんね! 報われることってあるよね!」って思いたい。彼、彼女が報われて恵まれますように。

 

肝心の、「お祝いに何が良いか?」を本人に直接確認しました。

「お気遣いなく(^^)」という事でしたが、皆にお祝いしてきて彼だけお祝いしないのもなんなんで、「〇〇で良い?」とご本人にご了承いただきました。

次はこの時参加した彼女の番。彼女の就職も喜んでお祝いしたい。その時が楽しみです(^^)

 

お祝いだから、優雅な感じにしたくて

彼、彼女とユンタクできるなら、居酒屋でも何も問題ないんだけど、主人公の彼君がお酒を飲まないし、若いうちは若者同士では中々足を踏み入れない場所を体験して欲しくて

この辺りで一番ハイクラスのホテルのロビーラウンジでお茶しました。

ご飯を食べにいっても勿論良いんだけど、居心地よかったから、初回お祝い会は皆めいめいが好きな紅茶を飲んで喋って終わりました。

2回でも3回でも何度でもお祝いしよう!とこの日参加しなかった仲間とも決めてるので、また後日彼、彼女の顔を見るのが楽しみです。

 

待ってる間に

仲間たちの到着を待っている間に、1年以上?2年ぶり以上?だろうと感じる自撮りにチャレンジ。

年齢も年齢なんで、自撮りをアプリで加工したら、実物より20歳下?30歳下? まさか40歳下?ほど若くなりました。この写真しか見た事が無い人が、ホンモノの私に会うような事があったら

 

別人! (◎_◎) 

 

と腰を抜かすんじゃないかと心配です。そういう意味で、恐ろしい写真になりました。(笑)

 

いつもの眼鏡顔より目がでっかいのは、写真の加工もさるものの、これが伊達メガネで度が入っていないからです。

ド近眼なんで、いつもの度入り眼鏡の時は目がちっちゃくなっています。

 

精神の保養

このユンタク会で私は精神の保養をしました。

同じ釜の飯を食った仲間たち。という御縁ですが、この日会った彼、彼女みたく本当に性格の良い仲間に出会えて幸運でした。

同じ釜の飯を食ったからこそ途切れる縁もある中、有り難いことです。マジで。

 

とっても若い彼、彼女の人生が本人にとって素敵なものになりますように!

RalphによるPixabayからの画像

負傷

痛い(現在進行形)

スッ転んだよ

donteraseによるPixabayからの画像

夜、暗がりで、枯れた木か、木の根っこが見えておらず、それに足を引っ掛けて見事にすっ転びました。

転んだのは何年ぶりでしょうか?

コロナ騒動になる前、数年前の冬の内地で、足元が凍ってて、足が滑って尻餅をつきそうになったのを踏ん張って堪えた事がありましたが、今回は見事に足を引っかけて前のめりにすっ転びました。

咄嗟に手をついたので、手のお肉がアスファルトで削れてしまいました。
肘あたりと膝も負傷しましたが、まぁ手に平に比べたらまだ軽症です。
薬局のお姉さんには「手の傷は深いから2〜3週間かかるねぇ」と言われました。

そうでしょうね。

火傷した際に買った、化膿止め薬を持っておりまして、それは運良く怪我の化膿止めとしても使えると書いてありましたので、せっせと塗布しております。

そして、確かに患部は痛んでおりますが、白血球が猛然と働き、もうすでに回復に向かって皮膚の再生が始まっているのを、有り難く観察しております。

他にもここの所(うーむ (-_-) )と思う事が多かったのですが、今回すっ転んで怪我をして確信しました。

おそらく、この先、近々かどうかはわかりませんが、良い事があるな。ということを。

禍福は糾える縄の如し

○禍福は糾える縄の如し

と言うのは、私の場合は正にその通りなので、何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。と、再生しつつある患部に化膿止めを塗布したり、何かの拍子に患部になにかが触れて(イタッ)と思うたびに確信しております。

やはり

何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。と、思っていたら、物事の捉え方は合ってますよ!と言わんばかりに、負傷した晩の夢見がとても良かったのです。

 

患部をかばって眠っているので、例えば変な姿勢だった場合、夢見が悪そうなものだし、もしそうでも、(あぁ ケガしているし、ちゃんと眠れていないもんなー)と思うだけですが、逆に夢見が良いという面白現象がありました。

 

養生して、患部の再生に感謝しながら、2〜3週間先の完治を待つことにしました。

皆様も暗がりの足元にはお気をつけ下さいませね。(^^)

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”ゆし豆腐”をすすめられました

薬局のお姉さまに、「タンパク質を取ると良いよ」と言われました。

私は少し前から、それまであえて避けていたというか、あえて選択してこなかったプロテインを飲んでいます。

最初はグルテンフリーのプロテイン。次は同じくグルテンフリーのプロテインの最初とは違うフレーバー。そして今は超一般的なザバス。を順番に試しています。

 

薬局のお姉さまに

「タンパク質はプロテイン飲んでます」「今は卵も家にあるので、卵からも摂取出来ます」と答えましたら

「ゆし豆腐がミネラルも入っているのでお薦めよ」と言われました。

 

確か、プロテインにも、ビタミンやミネラルが入っているものがありますけれど、私はこんな時は非常に素直にアドバイスを聞くので、薬局の帰りにスーパーでゆし豆腐を買って帰りました。

 

そして、夕食は、ゆし豆腐に卵を落として食べました。明日の朝も、昼も、ゆし豆腐を食べる予定です。食べやすい食材なので、当分食べ続けてみます。(そのままでも良し、卵を落としても良し、出汁で味付けしても良し、味噌を溶かしても良し、色々な味のバリエーションがあります。)

 

後は私の身体の治癒力にお任せする以外無いのですが、回復を阻害するようなことに対しては対処するつもりで、いくつか患部保護が必要な時用のアイテムを購入しました。

 

余談ですが

現在までの比較では、ザバスが一番水に溶けやすいです。ダマにもなりません。製品によってこんなに違いがあるのね!?と勉強になっています。味は、最初のグルテンフリーのプロテインは〇。2番目の異なるフレーバーは×でした。ザバスは〇。

 

くだらない考え方かもしれませんが

何かのラッキーの前兆というか、対価の前払いなんだろうな。というような考え方をいつもする訳でもなく、ケースバイケースです。

 

後になった今、結構大変だった色んなことも、あれはラッキーの前兆というか、対価の前払いだったんだろうな。と思えることばかりでしたので、

  • 体験してわかることって多いな~
  • 体験したうえで判断していけばいいや

という現在のところの私個人のパターンを思い浮かべています。

 

それでは今回はこれにて終了です。

願いが叶っておめでとう!

めでたし!

私は社会人になってもうかなりの年月が経ちましたけれども

年の若い善き友人達には社会人年月がフレッシャーズも多く可愛らしいです。

私に息子や娘がいたら、この年代かな~って思う。

 

その中の善き友人の一人の願いが叶いました。

 

希望の仕事に就く

今回の善き友人は「彼」なのですが、彼の願いが叶って嬉しかった。

自分の事のように、いや、自分のこと以上に嬉しかった。

 

彼が就きたいと思っていた仕事に採用されました。

NickによるPixabayからの画像

 

お祝いの花火を上げたいよ。

 

彼も自分のことだから神様に願ったと思いますが、私もずっと、「受かるよ」「採用されるよ」「私も神様にお願いするね」と言い続けて、私も彼がその仕事に就いたイメージトレーニングしてました。(笑)

 

別人のその仕事に就いている男性を見るたびに、それが友人の彼だと思ってイメージトレーニングして見てました。その甲斐あって? ある日、本当に彼がそこに居るように見えた感じがしたもの。

(未来を見たってことにしておこう。ということは絶対合格だな)と、心の中で独りで呟いてた。

 

願いは変化する

私も、その時やってみたい仕事に就いたことがありますが、実際にその仕事に就いてみてわかることがあって、そして、転職が頭に浮かぶ時期がきて、またその時の願望に基づいて転職して。

というようなことを数回やりましたので、他者の転職を全力で止める価値観は持ち合わせておりません。

 

変化に伴うこと

ただ、(あぁ転職しなきゃよかったな)と思う方も中にはいらっしゃるので、こういったことは自己責任である。ということは念頭に置いておいて欲しいと思っています。

 

ただ、(あぁ転職しなきゃよかったな)も(〇〇しなきゃよかった)も、(私はどうして〇〇してしまったんだろう?)も、やったから分かったことなのですべては人生経験です。

 

「人生経験」という概念に「良否」というモノサシを持ち出すと少々厄介な時がありますが、それもひっくるめて人生経験。という禅問答のようなことを書いてみます。

 

よく言われますが、これ大きいね~

理想の職には就いたけれど、人間関係が苦しい時があります。

働く環境(仕事じゃなくても学校でも家庭でもそうでしょうが)の人間関係って大きい。

人間関係に問題が無い方が余程生産性も上がると思うけど、そこに参加している方達がどの位そういった意識があるか? そういったことを心がけようとしているか? っていう社風のような体質のようなものが影響する。

 

やってみたかったことを試せる幸運

今回、願いが叶って、就いてみたかった職に採用された彼が、実際働きだしたら何をどう感じて、居心地はどうなのか?は先にならないとわからない。

職場って構成メンバーや環境、状況の変化も伴うので、ちょっとしたことで感じ方も変わるし。

 

だけども、やってみたかったことを試せる幸運ってある。

「いつでもできる」と先延ばしにすることもヒトにはあるけれど、「いつでもできる」と思っていたら「もうできなくなった」なんて時も予想外に訪れたりする。

 

チャンスの扉みたいに感じる事象について「開けっぴろげだから、いつでも自分のタイミングでOK」と思っていたら、(数秒、隙間位しか開かないってこと(◎_◎)) なんて感じる出来事もあったりする。

 

先述の話にかぶせると、こういったことも人生という概念に良否を持ち込まなければ、ただの人生経験です。

 

 

善き友、彼のこの先の人生の幸せを願っています。

RalphによるPixabayからの画像

 

 

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