そもそも脳の仕組みって

キレのない思考もご愛敬

前回の記事を書いたあと、私の頭の中では何かを考え続けていました。

ヤツは薄っぺらくなりながらも、まだ居る?

 

私は以前、一時、頭の良い時期があったのですが、それはその時「ゾーン」に入ってるときの脳の状態だったのではないか? と自己分析済みで、それもブログに既に書いています。

その当時(頭が冴えていた時期)書いたコラムを今読み返しても、(わーーすごいなーー)と他人事のように感じます。キレッキレだったなーーーと過去を回想し遠い目になりました。

そして、その「ゾーン状態」(と、ただ推測しているだけですが)を経て、通常運転に戻ってしばらく経ちます。ですから、思考スピードは凡人中の凡人に戻っております。

 

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

感情に紐づいちゃうんだよね

感情のストレスケアが(も)大切だと考えていますが、自分の体験を改めて見直してみて、(やっぱりそうだよね)と考えました。

 

私の場合 直近には、 過去に (ムカッ (-“-) ) としたことが頭に浮かぶと、その(ムカッ (-“-) ) につられて【うつりたくなかった先輩の口癖】が出てきました。

私は敏感な性質なのかもしれませんし、ここに注目していることもあって、頭の中(思考や記憶)と感情がガッチリ繋がっている様を体感するんですよ。

 

感情が出る。感情が動く。感情に振り回される。というストレスや悩みが多いですが、意志のチカラでコントロールできる範囲と、意志が動く(作用する)前に既に感情が発動・炸裂する領域があると思う。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

ですから、脳にタトゥー級に奥底に入ったアレコレは瞬間的に連動するので、表面上は抑えられても、心の中、頭の中では薄まることなく、その出来事が起きた時と形を変える事なく保持しているようなイメージだと思う。

 

自分のメンタルなどが弱っている時などは、やっぱり影響の受け方が大きいんですよね。

そう考えると、生育環境の影響が「脳にタトゥー」級でもそりゃそうですよね。まだ、「自分」が確立する前だし、成長過程の自我の生育もそれによって遅くなる可能性も考えらえる。

幼少期の環境によっては、大人になっても自分で意識しないと、なんでもかんでも人の感情に左右され続けてしまいかねないし、どの程度自分がヒトに影響(左右される)を受けがちなのかもわからない。認識できない。

 

そうすると、後になって不満を抱いた時に、自分には原因も理由もない「相手だけが悪い」と思いがちになるみたい。恨んだり、怒ったり、憎んだり。

そうなってくると心の平和。平安とは遠ざかりがちになる。

自分の思考や感情に被害者意識を持ち込んで一層それらを感情で包むより、自分の思考や感情を観察して更に感情を持ち出すことなく冷静にというか、的確にお手当(ストレスケア)することを私は薦めたいです。

 

先程は幼少期という時代を例に挙げましたが、大人になってからでも私の場合はマネしたくない口癖が頭に入り込みました。

「チッ!」という舌打ちや、貧乏ゆすりは「絶対にうつりたくない!」とうつるのを防げたのに、この絶対にうつりたくない口癖は脳にタトゥー級にはいった。

 

あの時の先輩の不満、不安、怒りを伴った強い感情に私の脳がリンク・共鳴(影響を受けた)したんでしょう。

素直と無防備とはちょっと違うんだろうな~ とか、優しさのつもりでも、それはただの境界線の曖昧さってこともあるよな~ ってあの当時いろいろ考えました。そしてそれがその後の自分に役立った。

 

私のある分野での記憶力の良さが裏目に出ているのかもしれないが、未だにその時の影響(脳の反応)は「0(ゼロ)」にはなっていないけれど、今でも十分有り難い。少なくとも、あの会社を辞めているし、あの先輩とも付き合いが無いので、アレ(愚痴・不満・怒り)をもう聞かなくて良くなって随分経った。それだけでもありがたいし、あの時の影響の質量が雲泥の差ほど脳内では薄くなった。

 

時間が経つことが有難いってことがありますね。

 

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

歌や匂いと連動している記憶

特定の歌を聞いた時に動く(反応する)感情があったり、匂いを嗅いだ時に時間を超えてその当時の記憶に浸ったりすることがありますが、あれも「脳にタトゥー」級のものがありますでしょ?

 

普段忘れていてもあの歌を聴くとホッコリするとか、

特定の匂いを嗅ぐと思い出が蘇るとか、脳の中で連動する組み合わせは数限りなくあるのでしょうね。

 

思い出のヒトに「似た人」になにかしらの反応することもありますよね。

「好き」を投影したり、「嫌い」を投影したり。

投影していることに気がつかないことが多いし。

 

今回書いてきたように、私の場合の「この脳のタトゥー」は困ったな。という体験を書いていますが、それがイヤだなぁと思うからこそクローズアップしました(しています)が、良いように作用していることもそれこそ気がつけないほどあるんですよ。

 

楽しいエピソード記憶に助けられることもある。私が特にキツイと感じた2022年11月、12月は、度々ちびっ子達とのコミュニケーションで得た喜びや幸せを支えにしたし、私を救ってくれた大人たちの顔や言動を思い起こして支えにしていた。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

 

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

正直なのは良いように作用するのか?

怒り、怒ることも感情の1つだから大切なのに、怒りや怒る事を非難したり、人間として至らないような捉え方をする(される)と、素直に怒りを感じたり、発露することをを捻じ曲げて、

  • 怒っていないフリをしたり
  • 怒っている自分に気がつかないことにしたり
  • 他社に全ての責任を転嫁したり
  • 自分で選んでいることを忘れたり
  • 自分は周りの人とは違う(上だ)と思い込む
  • 他者を卑下する

というような現象が起こったりするみたい。

 

これらのように 1回? 2回? 複雑に? 捻じ曲がると、妙なパワーが出る(増す)のだろうか?

どんどんこじれてくることも珍しくない。

 

「自分に正直」って奥が深いもんだなぁって思ったりします。

 

追伸

昨日、ユニコーンのイラスが書いてるTシャツを着ている小さな女の子と会いました。

私がTシャツを指さして、「ユニコーンだね (^^) 」と言ったら、声に出して返事はしないんだけど、上に羽織っていたパーカーの前をガバッと開いてユニコーンを丸出しにしてくれました。

 

自慢のTシャツだったんだと思う。

 

隣のお母さんが「この娘は今日誕生日なの」と教えてくれました。

 

小さな彼女は一言も喋らなかったけど、もう超可愛くて、こんな幸せコミュニケーションがまた私の脳に深く刻まれました。

 

幸せだよね。

ありがとう!