- ついに時代が追い付いてきたか?
という勘違いも そりゃしそうになるわな(笑)
サイトに関するなにかAIだろうものが、私の目に見えるところに下記の動画を配置しました。
ひょっとして? いや、どうやら今アツイ方のようです。
書籍も出版したプロモーションもアレコレあるんでしょうね。
で、実は私、この記事を書いている今、リンクを貼った下記の動画しか見ておりませんので、この動画以外のこの先生の主張やお考えは一切知らないという段階でブログを書いています。
そこのところはしっかりご了承ください。
というのも、私がこの先生を特におススメしているわけじゃなくて(おススメするならもう少し情報を得たいです。今日現在は得ていないし、それらを率先して行う予定も今はありませんが)
この動画の中でお話されていることと、過去私がブログやホームページのコラムに書いたことが非常に非常に似ていたので動画のシェアをしています。
私がアレコレ書いても(何言ってんだか)と思うかもしれませんが、やはりハロー効果のある方の威力は強いだろうから。
この動画しか見ておりませんが、こちらの先生迫力ありますよね!
そうそう! それそれ! フラクタル!
動画も一度見たっきりなので細かくは書けないかもしれないけど、興味のある方は各自動画を見てください。
人間に宇宙がある云々は、昔からの東洋医学の考え方にもあるよね。というブログも過去に書いている。
ホームページのコラムもある。
どちらもこの周辺記事を読んで下さった方は(確かに書いてたよね)とお分かりいただけそうです。
この動画内ではフラクタルという言葉は使われていませんが、おそらく意味合いは「フラクタル」ということだと理解できます。
もっと砕けたタイトルの記事もありますが(このタイトル気に入ってます)、今確認したら過去に使っていたサイトを閉鎖したのでリンクが切れまくりでした。
読みづらいですが一応ご紹介しておきます。
視点
視点についても、
視点というのは、後天的に身に着けるものと、誰に習わずとも身に着けられるケースがあるんだろうけれど、誰に習わずとも、理解の際に言語を使っている時点で誰かには影響を受けていると思える節がある。もし私にメタ認知のブログを書ける程度の認知があるのなら、それは読書の習慣がそれを育てるのに一役買った気もするが、私より読書が好きな方がメタ認知風味が無いケースだってあるみたい。こういったことって感情も大きく影響しますしね。
性質というか、特性みたいなものもやっぱり関係しそうですよね。
経験値と視点ってリンクする部分もあるし。
なんてことを考えた。
受験勉強が得意、暗記が得意な方も居るし、習うことより考えることが好きな方も居る、受験勉強は苦手だけど興味のある1つの分野のことだけはするすると記憶できる方もいる。
ですから、自分の特性を知るって大切だなぁって思うようになりました。
日本人だから習うことは上手で、考えることが苦手なのか?
動画の中の先生が海外で「自分で考えないのは日本人だからか?」(正しくは動画でご確認ください)というようなことを言われて、カチンときた。人種差別か!? と思ったとおっしゃっていますが、国民性みたいなものってやっぱり関係する部分も多いと思うことがあります。
良い子が良い。
- 上のヒトにはYESというのが良い人。
- 自分の考えを持たない聞き分けの良い子が良い人。
- 肩書大切! 肩書によって話は鵜のみ!
みたいなことってありますもんね。
多分海外にもこんなことがある国ってあるんだろうと勝手に推測していますが、まぁそんなことよりも、
・俺、私の話をありがたく聞け
みたいなことや
・相手を値踏みして、自分より下と思ったら話を聞こうとしない
なんてことがありますもんね。
子供の話を聞こうとする人もいるし、子供と決めつけて話を聞かない人もいる。みたいなこととか。
・自分より下と思えば叩く、下と思っていたら足もと救われて驚く
みたいなこともありますよ。日本も、多分世界も。
上に書いたような傾向が多い方たちは「対等」って難しいんでしょうね。
(その背景を深読み・推測することは今日はしません。)
小さな紳士
余談ですが、以前、ちっちゃいちっちゃい外国人の男の子がお父さんと小学高学年に思えるお姉さんとファストフード店に来たんですよね。もちろん注文や注文したものの受け取りはお父さんやお姉さんが行いました。
しばらくしたらファストフード店のカウンターより背が小さいその男の子が一人でカウンターに来ました。店員さんはかわいい男の子がただ遊びに来たとおもって、可愛いね~と言ってカウンターから離れたんです。よくある風景ですよね。確かに。食べることに興味が薄れたちびっこが店内を歩いて探検するって。
でも、自分の背より高いカウンター前からなかなか離れないので、その小さな男の子の背の高さに顔を近づけたんですよ。そしたら英語で「水用のカップを下さい」って言ってました。小さな声で。
大人は皆耳を傾けてくれない、話を聞こうともしれくれない、自分を見て可愛いとは言うけれど、自分の言いたいことは聞いてくれない。けれども彼は諦めなかった。
私はあの時にしみじみ相手を値踏みするのって怖いな。って思いました。そして、その呪縛のようなものをあの瞬間は破れて良かったなって。お水のカップを渡したら、なんと彼は英語で「ありがとう」と言ったんです。顔は笑ってました。私は泣けそうでした。あのちっちゃいちっちゃい外国人の男の子の方が紳士でした。
私はあのちっちゃいちっちゃい外国人の男の子のちっちゃい子どもらしい小さな声が耳にこびりつきました。本当にありがたいものが耳にこびりついて幸せです。あの笑顔も目に焼き付きました。眼福ありがとう!
そして、自分が良いことをしたな~って思ったのは、多分小さな彼の記憶には残らないだろうけど、「自分の正当な要求を子供だからといって無視されず欲しいものを手に入れた。大切にされた」というかすかな良い体験のお役に立てたかもしれないから。もし可能ならば彼の人生の成功体験みたいなものが発芽する1つの土粒のようなことになったらマジ嬉しいです。一期一会でもう会えないだろうし、万が一会ってももう背も伸びて顔も違うから私にはわからない。けれど、できる限り長く覚えていたい出来事でした。
年齢って関係ないですよ。国籍も関係ない。ありがとうを言わない人は言わない。ありがとうを言う人は言う。誰に対しても。
ユニバースで生きているか? マルチバースで生きているか?
以前書いた ↑ このブログに似た風なことも動画のなかでおっしゃっていたような気がします。
これはもう一度見返さないとわかんないけど ↓
私の法則と言う言葉への反応も、まぁこれはこれで有りだなって思えました。
疑うっていうか、体験済みのものからチェック☑をつけていくというか、実感のあまりないものはまだチェック☑しないというか。
で、私がこの上↑のBlog内で「法則から漏れる」と表現したことについてもう少し整理できたので、また次回その辺りを書きます。
え~~~最後にもう一度。
わたくしこの先生の動画を1度しか見ておりませんので、先生の発言が正しいとか何も言っておりませんし、書籍も読んでおりませんので書籍もオススメしておりません。
が、勝手に、(時代が追い付いてきたか?)と本当に勝手に悦に入っただけです。
いや、なんなら、人体宇宙論は東洋論だし! ということなんですが、体験と言うか、実感やら日常生活に落とし込んだ文章を書いてきて、なんとなく追い風が吹いたような気がしただけです。
この先生の説の全体像を知らないくせに。
と言うところもポイントです。
おそまつ。