「共鳴」と「時間」

共鳴に時間なし?

身体が軽くなった瞬間

個人セッションの受付枠は減りましたが、これまでと同じようにずっと個人セッションは行っています。

実際にお会いすることもあるし、リモート・オンラインで行う事もあります。

 

相談業(施術業)を行っている方が、実際にセッションを行う前からなにかしらの反応が起きたり、感じるという話も時々聞いてきたし、私もそういった反応があったことがある。

がしかし、セッションを行う前のそれを、本当にそのセッションの前倒しの反応と紐づけて良いのか? 正解なんてわからない(と思っています)。

けれども、自分の特殊性のようなものをアピールしたくなると、そういった反応に対して、「自分はこんなに敏感なんだ」とどこかで自慢しているような気がするケースもある。何を自慢に思うのかは自由だ。

HSPという感覚でなんらかの生きづらさを感じている方は、こういった「反応」類で苦しんでいたりするわけですが、私もそれなりにとある面ではHSP気質であろうと自覚しておりますが、

なんで急にこんなふうに感情が動くの?

とか

急に体調の変化を感じてきた!(例、頭痛、首コリ、肩こり)

が起きると、それは私自身に「感情が動く時の熱量にちょっと疲れる」とか「頭が痛い。首が固まってきた。身体がみるみる重くなってくる。」という現象が起きるわけですわ。

 

今日この先に書くのは、こういったことがイヤだとか、辛いとか、実はその敏感さが自慢だという話では全くない。

もうこういったことは自分の特性なんだと諦めている部分が大きく占めているし、自分の(アレ? なにこれ?)みたいな現象も、原因が推測できそうとか、わけわからん、とか、単なる気のせいとか、気にしない。とかまぁザックリさせて終わらせている。

粛々と生きている。

 

細かいことを気にしだしたらキリがない。終わりもない。

ただ、現象を「分解」したり、その現象の「構成物」について、ふと(あ!こんなことかな?)と頭に浮かぶことがあるのでそれらを考えたり、「構成物の関わり方」「性質」を考えてこうやって文章にして自己理解を深めたりするのは好きだ。

 

今日書く内容について、私にこんなヒラメキを与えてくれたクライアントさんに非常に感謝しています。

 

HSP気質の「感じる」「敏感」な割と生きづらさに直結しやすい面が、私にはホームページのコラムや過去のブログに書いたり(こういった場所では発表しないが、実際にお会いした方とは話題にしたり)するような「自己研究」「検証」に非常なメリットとして働く。

これもミラーニューロンという概念の一部よね?

  • 時間は観念であって実際には無いとか
  • 時間だけが人間皆に平等に与えられているとか

色んな言葉や考え方がありますが、今日は身近な体感と時間について書きます。

身近な例(のつもり)

虫の知らせをイメージしてもらえれば良いんですが

先述した通り、私は個人セッションの前に、クライアントさんの感じている身体の痛みや違和感。心のざわめきや感情の重みを感じることもあるようだ。

 

アレ?自分のこの心体の急な反応・変化はなんだろう?と思うような事がある。その後、個人セッションの日を迎え、面談した時に

(あっ!コレって)と、クライアントさんの心体の状態を、実際にお会いする前に前倒しで共鳴していたようだと気がつく事があります。

 

ミラーニューロンって他者と自分の境界線を認識するのが難しいからこそ自分のこととして

”アレ?自分のこの心体の急な反応・変化はなんだろう?と思う”

わけなので、

その影響(他者・環境)に気がつくにも経験や訓練が必要な気もする。しかし、100%精度を上げることは無理だと思ってる。

筋肉や骨格のON、OFF反応で識別・判別するということで確認する方もいらっしゃるかもしれないが、私はこういった時に最初からON、OFF反応を確認するという方法はほとんどとらない。(理由はそれなりにありそうだけど、長くなるから今日は書かない。)

 

ですから、自分の反応と、共鳴した時の反応の「感じ方」の微妙~~~~~な違い気がつく時がある程度だと今は思ってる。

そう、最初はわからないんだけど、そのうちに、反応の「感じ方」の微妙~~~~~な違いに(アレ? これ私(自身の反応)か?)とうっすら気づいてくる時がある。

こんな風に仮定したらやけにしっくりきた

「ミラーニューロン」と「時間」の関係と可能性

だから、現実と「その背後」と書いて良いのかわからないけど、

現実(目に見えている現実と書くと良いのか?目に見えているものは現実か? いや、目の前のモノだってヒトによっては見え方が違うから、今はそこはサラッと流してください。一応このカッコ内の文章にもリンクを貼っていますが、文末にも過去記事をご紹介します。)には時間という作用が働いて

「その背後」には時間という観念を持ち込まなくても良さそうな領域があるんだろうとなんとなく感じてる。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像

 

「その背後」のイメージとしては、それはある種、私達の脳内での『「宇宙の地平」より先』という領域と言っても良いのかな? と思っています。

「宇宙の地平」と私達の認識の相似形について私風見解

 

人それぞれ、個々に内包している宇宙の性質によって、認識・認知できる範囲だって勿論違う。ミラーニューロンについての作用や反応、感知する範囲も「宇宙の地平」的な差異があってもおかしくないような気もするし。「人体には宇宙がある。」と東洋医学的な思想がありますが、こう聞くとその「宇宙」とは1つで、結局共通しているように思い込みますが、個々の宇宙はユニバース、この個々が集まってマルチバースが構成されているという世の中にあふれているフラクタル性(過去ブログにマトリョーシカ現象とも書いた)も考慮すると、実は単純なんだけど、理屈を説明しようとすると果てしない物語になりそうです。共通した宇宙もあれば、個々の領域の宇宙もあるというかなんというか。(書いていたら当たり前のことを書いている気がしてきた)

 

また話が横道にそれましたので、元に戻して続きを書きます。

 

以前、頭が一時的に良くなって、キレていた時に、「脳内に時間が無い」ということを事例を挙げて書いたのを覚えていて下さる方には伝わりやすいと思うのですが、今回 時間がないと仮定したのは「脳内」ではなくて「その背後」と書き記したい領域のことです。

多次元の理解。皆が元々それを体験しているという私風理解。

「私達の認識と脳内の特色」と「宇宙論」と「量子力学」

アダルトチルドレンや共依存、〇〇障害で起きている脳内ループ、スリップ

 

脳内に時間が無い=ミラーニューロンに時間の影響がない

 

というようなこと(というか、可能性というか、事例解説)を書きたいのである。

ミラーニューロンについては、会った事もない過去に生きていた方達の影響を受けるという説もあるが、それは一体どういう仕組みなのか?という意味でもある。「説」として結論だけを鵜呑みにするのではなくて、その仕組みを考えるのが好きだから。正解・不正解は知らないが、先ずは考えてみたいのだ。

 

そう、私は、事例解説が好きである。自分の半径数メートルくらい(ということは、皆様の半径数メートルと感覚は似ていると思うんですが)の現象で解説するのが好物である。

 

誰かが発表したまま文言を使ったりしたり、理解したつもりになることを好むわけでは無くて、自分で咀嚼して自分の言葉や体験を例題として事例解説するのが好き。

だから、興味の持てない内容の丸暗記が大切な学校の勉強は興味が持てなくてつまらなかった。

フラクタル理論は物理か? 化学か?

 

 

量子学や次元論など小難しく説明しても、分かったようでまるでわかってなかったりするし、

ただ「時間なんて無い」と聞かされると違和感を感じるけれど

こんなふうに「2つが共存してるよね〜」

それって、今目の前のことと、見えていないその背後の状態という2つの領域が共存してるという観念・イメージすると理解しやすくない?

なんて思った。

「脳内に時間が無い=ミラーニューロンに時間の影響がない」をもう少し書き進めてみよう

自分におきているように感じる現象を

コレってどんなこと?と感覚を辿っていったら、こんな風に捉えたら小難しい学問風なことも理解しやすいかも?と頭に浮かんだ。

 

ミラーニューロンという事象(というのか?)を1つ説明文に加えると、私にはヤケに「時間」という概念のカラクリが今まで以上にクッキリと見えてきたような気がした。

 

アレ?

私ってまた頭が良くなってきたか?笑

 

そう、そして、個人セッションの後ではなくて、

個人セッションの前に私はクライアントさんの相談前の状態に共鳴して

同じく個人セッションの前に、クライアントさんのセッション後の身体の軽さに共鳴する。

と、感じるような感覚を得て(そんな気がして)、並行世界があるという前提に立ったならば、今回のクライアントさんとのセッションについての2つの世界の時差は24時間位(1日〜2日)かな?なんてことにしてみるとしっくりきた。

 

なんと! ここまで書いて、既に同じことを書いていた自分の過去記事を見つけた。

_| ̄|○

 

 

本当に繰り返し同じことを書いている自分をこんな風に突きつけられると

ガックリ _| ̄|○

するんだけど、自分の脳内スリップのさまを再発見できてこれはこれで自分が過去に書いたことを立証しているようで面白い(ことにしておこう)

そう、「脳内スリップ」ってほんと上手く表現してるよね~と違うところに感心したわ(笑)

アダルトチルドレンや共依存、〇〇障害で起きている脳内ループ、スリップ

 

よくよく見つめたら同じじゃなかった

ただ、同じことを書いているんだけど、理解の深さが進んでる感覚がある。ということは、同じ場所をスリップではなくて、統合が進んでいるようにも思う。

体感の深さと言ったらよいだろうか?

 

これまでも、感じた事、気がついたことを書いてきたのですが、同じ現象について触れていても、書いている私自身の感じ方が深くなったり、書いている自分に対して理解が進んだりしているようです。

 

オモロイです。

 

以前はもっとはっきり、「並行時間」と感じたものを、今回は、「ミラーニューロン」側から時間を感じている。時間、ミラーニューロン、HSPの関わり方を以前とは異なる角度でその関係性、関わり方を見ているような気がした。

 

多分こういったことを自分では「立体的に理解する」と感じているようだが、本当は誰でもが行っている脳内処理なのかもしれない。自覚の有無の違いだけで。

 

そして、今回

あ!!!

と思ったのは、これらに「個々のユニバースと集合体のマルチバース」「地平のはて」みたいな概念が加わった(統合が進んだ?)瞬間に、スリップしているかのように同じような所を深堀していたら、陰極まれば陽となりみたいに、ポンっと明るい場所に出たような気がした(笑)

Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

 

オモロイっす。

 

的外れなのかもしれないけど、それはそれで可能性を検証するという意味では満足しています。

 

そう! 理論、観念を現実に起きていると感じる身近な事柄で理解できたような気がして満足しています。

 

そして、私はこういった話を他人様とするのは全く好んでおりません。というより、私(武田)と会うと武田は好んでこういった内容の話をするんじゃないか?と想定する方もいらっしゃるようですが、全く話題にしません。相手の方が何か興味を持ってくださって話を振ってくだされば話題にしますが、元々大した学術的な知識がないから大した対話のラリーも出来ません。

 

自己研究が好きなんですね。

そして、中には私の自己研究に理解を示してくださって、ヒントを下さる有り難い存在が居てくださったり、(こういう考え方があるよ)と教えて下さったり、(それは〇〇という言葉があるよ)と追い風を吹いてくださる有り難い方がいます。

だから、私はそういったヒントを下さった皆様に、その対話のあとに私が次に疑問に思った点をいろいろ質問したいんです。またはお礼を言いたいです。

 

RalphによるPixabayからの画像
今はこの写真の頃とは眼鏡も髪形も変わっています。

 

参考過去ブログ

先述した『「現実に見ている」というつもりのもの。』について書いています。

目と脳と身体と思考の調和・統合

余談

脳内スリップと「ミラーニューロン」が何かしら影響し合っている? と一瞬脳内をよぎった。

 

が、今はまだなんにも浮かんでいない。

 

そして、やっぱりなんだか、また頭が良くなってきたような気がする。脳内の独特のスッキリ感も戻ってきたような気がする。気のせいか? 思い込みか? 答えは無いけど。

 

念願の晴れ姿を見た

我が子じゃなくても我が子感

勝手に我が子感

以前ブログに書いた彼の晴れ姿を見ることができた。

願いが叶っておめでとう!

 

私はこれ(彼の晴れ姿)を楽しみに、非常にヤバかった2~3カ月を頑張った。

もうダメだ。本当の母ちゃんじゃないから弱弱メンタルでもう耐えられない。ダメだ。もう折れる!というか、もう折れかけていてあとちょっとで真っ二つになる。というような断崖絶壁感のときに神風が吹いて私の方の環境が変わった。

 

私が自分の環境が変わったことですっかり元気を取り戻し、意気揚々と無事息子ほど年下の友人の晴れ姿を見に行くことができた。

 

彼も嬉しそうだったし、制服姿が超かっこよかった。

 

他の仲間にも晴れ姿の写メを送ったら、彼女も「息子みたいに嬉しい」って言っていたし、二人共他人なのに共通した「自慢の息子感」で盛り上がりました。(笑)

 

彼の性格の良さが周りに引き起こす化学反応だなぁといつも思う。

彼のファンというか、彼を好きな方って男女問わず多いんだよね。

凄いよ。

 

自慢したくなる気持ち

自分が好きな人や好きなモノを自慢したくなる心理ってありますよね。

何度も書くけど、私には子供がいないので、「我が子を自慢」感ってやっぱり無くて、以前愛犬が居た時は「賢いのよ~」としみじみ思っていたので、ひょっとして一番近い感覚だったのかも知れない。

チビッ子たちや年の離れた知人、友人も、年齢は無関係に他人として認識していたし、凄い!と思えば一人の人間として凄い!と思ってきたし、それは今も同じ。

「年齢なんて関係ない」と信じるようになったのも、これまでのチビッ子~先輩までの多くの有り難い出会いがあったからです。

 

カワイイが最強

そうか、仲間の彼女がいつも「可愛い、可愛い」って言っていたのを思い出す。

 

可愛いって最強。っていう言葉をどこかで目にして以来、ホントだ!って思ってる。

 

私の故・溺愛犬もとにかく可愛い!だけだった。アホなことしても賢くても可愛くて、ただ可愛がっていたんだけど、やっぱり当時の私の支えになってくれていましたよ。

また会えるのなら、飼いたいですね。可愛かった、賢かった、アホだった。(何年も前に死んでいますが)

 

下とは ↓ 種類は違いますが、そもそもは引き取り手の居ない迷子犬をウチの子に迎えたんです。

スパニエル属でした。

John WrightによるPixabayからの画像

 

故・溺愛犬が名古屋で危篤の時は、私は沖縄で夜眠っていたのに、実際に抱っこした感覚があるような夢を見ましたし

他界したあとも夢に出てきましたが、非常に意味深な脳内映像でして、「天国行ったな。良かった。」と思えるような夢でした。

 

あなたには、「カワイイ」がいますか?

 

泣いた 映画「少年の君」

泣いた

泣けたよ

映画「少年の君」

https://klockworx-asia.com/betterdays/

 

全然知らなかった。

2021年の映画なのかな?

 

絶賛されたという表示があったので、何の気なしに見たんです。

吹替版ならきっと流し見していたから、今回みたいにはちゃんと見なかった気もする。

 

そして、泣きました。

 

Sex and the City

2人が坊主頭になったシーンでは、「Sex and the City」でサマンサと彼が坊主頭になったことを思い出しました。

この映画の俳優さん達も、サマンサと彼も、美男美女は丸刈りも似合うんだなって思った。

 

私は髪型でいろいろ誤魔化したりしているよ。

俳優でもないから全然構わないけどさ。

simple_tunchi0によるPixabayからの画像

思うところもあるんだけど

いろいろ思うところはあるんだけど、少しだけ書いてみる。

 

ストーカー的行為も本人は「愛」だと思っているんだろけど、やっぱりそこには相手不在のただの自己中心思考しかないよねぇ ってことだった。

 

  • 甘えたいだけ
  • 自分を愛して欲しいだけ

これらは、別にストーカーという名称がつかなくても、潜在的にそれがあるから、もうその状態に気がつけないほど当たり前のように生活している方は多そうだけど、これは親に貰いたい(貰いたかった)けれども叶わない(叶わなかった)ものをアカの他人に変わりに請求しているようなことになりはしないか?と考えたりする。

 

PexelsによるPixabayからの画像

 

こんなこともコラムに山ほど書いてきた。

コラム集

 

そのアカの他人もそれでOKなら両者了解の上のことだから、あなたの理想通りなのかどうかはさておいて関係性は成立するんでしょうね。

両者了解していないと、なにかしらの行為、それも繰り返しを伴う行為(電話をする、メールをする、SNSでの行為、つけ回す)はストーカー性と認識されますもんね。

 

される側もストーカー行為を「愛されている」と思っていれば、心の中では実は嬉しいでしょうから、それは成立しているんですよね。幸せはヒトそれぞれなので、両者で成立していてOKならそれはストーカー行為と認識されない。ただ、厄介なのは、そう言う行為を相手が「喜んでいる」と大勘違いすることだ。

 

好きな人にしつこくされたら嬉しいけど

好きでもないヒトにしつこくされたら嫌いになる。

(好きな人でもしつこくされたら、そのうち嫌いになることもあるよね。しつこいって感じるってことはそもそもがイヤな事だったりするのならば塵も積もれば山となるのがマッハだし。)

 

みたいな単純なことでしょうか?

 

 

 

いや、相手を守るためにやっているんだ。と主張するケースも想像に難くないけれど、相手が気持ち悪がればそれは勝手都合な勘違いなんでしょうし、

自分の行為を相手が喜んでいるという思い込みは冷静に考えると世の中に氾濫しているんでしょうね。私も過去を振り返ると散々こういった勘違いをしてきたように思うし、将来この先もやらかすんでしょう。

相手が嫌がっていても、その相手の反応を無視するということもありますよね。読むと珍しい感じがするかもしれませんが、多分これも世の中に溢れている行為だと思う。その方の世界には相手は居なくて自分だけ。その方の世界に居るのは、自分の理想を叶えてくれるはずの幻のヒトであって、現実の誰かではないみたいです。

 

コミュニケーションが成立していないと色々こじれますね。

こじれなくてもいいことまでこじれます。

それに、これは残念なお知らせになるかもしれませんが、コミュニケーションが成り立てば、自分の思い通りに行くわけではないんですよ。

両者の認識が近づく可能性があるだけで、その先の行動はまた別の話なんだろうと思っています。

 

故・水木しげる氏が、「努力が叶う(報われる)とは思うな。」みたいなことをおっしゃっています。なにかしたら、なんらかの利益としてリターンがあるとは限らないよ。という意味合いのようです。

そういう意味での、

コミュニケーションが成り立てば、自分の思い通りに行くわけではないんですよ。”

という文章です。

 

思い通りにいかなかった時の「感じ方」「捉え方」が、コミュニケーションの有無で変わってくるような気はしますが。

 

 

意志疎通って簡単に行おうと思えばできそうなのに、なんでこんなにハードルあがっていくんでしょうか?

 

  • 甘えたいだけな自分に無自覚だから?
  • 自分を愛して欲しいだけという願望を他の何かにすり替えてコミュニケーションしようとするから?
  • 嫌われたくないから?

こう思えば思う程こじれていく事って多いんだけどね。

結局、両者 安心感から離れていったりしますしね。

 

なかなかですね。

 

このブログを読んで下さっているあなたも、私も、お互い頑張りましょう!

 

・・・って、なにを頑張ればいいんでしょうね?

 

ロゴを新しくします

全くの余談ですが、ロゴを新しくします。

アチラコチラに使用している現行のロゴ(ひょっとして古いロゴを使用している場所もあるかも)を新しいものに更新していこうと思っています。

 

おいおいになりますが、宜しくお願いいたします。

 

 

睡眠時間中に起こっていること?

睡眠は大切だね

私は昔から良く寝る

眠っている最中に記憶の整理をしていると勉強した中にあった。

 

が、それを知るはるか前、生まれて初めて会社員になったときに、普通に帰宅して、なんかかんかして、風呂に入り、眠りについて寝ていた。それなのに、夜中に、「忘れた!」と飛び起きた。

そう、仕事にやり漏らしがあって、そのことに全然気がついていなかったのに、夜中で、もうどうしようもない時間にそれを思い出した。すやすやと眠っていたのに。

 

だから、眠っている時に記憶の整理をしていると学ぶより遥か昔にもう既に身をもって体験済みであった。

だけど、そういう記憶の整理ということと少々毛色の違う「思考を進める」「論理を展開していく」ということも眠っている時にやっていることも体験した。

この ↓ 時よりもっともっと前にも体験済みであるが、論理が展開されていく様を、自分でも寝ながら(ほほぉ)と感心したのは初めてだったような気がする。

教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

という自分でいろんな自覚もあるので、決してショートスリーパーではないし、昔からぐうたらと寝ることが好きだし、ショートスリーパーを凄いとは思うが、なりたいとは思わない。

楽しみが減るから。

寝てる時って、暑過ぎたり寒すぎたりしなかったら気持ちいいじゃん。

 

現実逃避も出来る。

実家暮らしをしていた頃は、現実逃避な意味合いは多分にありましたが、一人暮らしを始めて以降はその手の意味合いはガクンと減った。

良かった良かった(^^)

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

体の調整

以前、心体の深部へアプローチするボディケアを受けたときに、その晩ビックリするほど身体が自己調整(どうやら気功では自発動と呼んでいるようなことと仕組みは似ているみたいだけど)をしていたことで(なんだ?なんだ? 身体に何が起こってるんだ?)と意識が戻ったという経験をした。

PexelsによるPixabayからの画像

 

上 ↑ の経験ともまた違って、ある日の睡眠中、深海から少し浮上してきて、私が「意識と無意識の隙間」と呼んでいるような意識状態の際に、自分の身体の違和感を感じているところを、自分で意識してバランス調整していたことがあった。

骨格や筋肉を(こうなるとラクになるんだろうな)(ここが柔らかくなると良いんだな)と思って、そのように調整した(気がした)。本当に、自分が思ったように治ったというか、調整できているのかは不明。

 

また、この時に表情筋もセルフバランス調整したつもりになった。気のせいかもしれないけど、眠りながら?半分眠りながら、意識と無意識の隙間?での出来事でした。

 

オモロイです。

 

可能性を考えるとおもろいです。

 

オモロイの変化形

そして、この「オモロイ」が度を超えると、それらを操りたくなるようで、それが結果純粋さを忘れて、なんだか厄介な領域に一気に吸引されてしまったりする(事例が多いようだ)。

ということを 過去にコラムに書いています。

自分の不安をストレスケアする。視点が変わる。

 

「抜けた!」と思うんだろう。そして「抜けたい」と願うんでしょうね。

「ナニカ」になりたくなるんでしょう。

「ナニカ」を得たくなるんでしょうね。

それも人生です。目的は様々ですね。

 

車で仮眠していたら

沖縄は車社会なので、毎日その時間に移動していたらある程度わかってくるだろうけれど、たまに朝晩のラッシュ時に参加しても所要時間が読めない。

焦りたくないので、約束の時間より早く到着して駐車場で仮眠することにしたある朝。

仮眠している際中、闘魂注入のように、なにかわからないけど良さそうなもの(数年前にも見たよね?)で身体が満ちました。高電圧で一気にバッテリーがチャージされた様な感覚でした。

 

アレは一体なんだったのだろう?

単なる寝ぼけた勘違い?

 

そんなこんなを書いてきて、いたって単純な言葉で〆ますが、「睡眠は大切ね」。

 

ずっとずっと前、私がとっても弱っていた時に、

  • 眠っても眠った気がしない
  • 疲れが取れない
  • 休息した感じがしない
  • 布団には横たわっているけど、まんじりともせずいました

やはり回復には睡眠が必須でした。食欲がないから、栄養は採れないんだけど、とにかく身体は休めた。疲れて何もできないから休むしかないんですが、これはもう自己防衛機能が働いた強制終了ですよ。

 

こんなになってしまうのは一歩間違えれば一大事なので、やはり人間には限度があるし、自分を大切にすることを薦めたい。私の場合は強制終了がかかったあと、回復したから良かった。助かった。有り難かった。

 

そう、はるか昔のこんな時も、寝ている最中に脳内では活発に、活発過ぎるほど脳内は動いていて、自分のその先の選択肢を決定した瞬間があったことを思い出しました。

そう言えば、脳内で潜在意識の情報を整理して、顕在意識で決定するというように感じた一コマでしたね。

 

今でも覚えているオモロイ夢も見ました。

 

これを読んで下さっている方が、睡眠時間はともかく、個々に合った質の良い睡眠をとることを願っています。

経過観察

その後ってどこまで?

出来事と結果

ナニカを経験した際に、「これはいつから始まっているんだろう?」と思うような事って私には有ったし、「どこまでを『結果』として区切るんだろう?」と今よりどの位先まで考える必要があるのか?って思うこともあった。

「これはいつから始まっているんだろう?」というようなことは、Heavy級では「血の呪縛」みたいな発想もあったよ。

家系の呪縛というか、親子連鎖。その親子ってどこまで遡れば良いの?みたいなこと。

こんなことも実はセルフケアを過去にたっぷりした。

色んな面からストレスケアをした。

過去と認識される、世代間連鎖、カルマ、前世、遺伝子、輪廻のケア

 

紐づけは自分が勝手にしている

紐づけも理由付けも個々が自由にやっている

そう、紐づけも理由付けも、教訓もその出来事からのメッセージ云々も各自が自由に行っている。それが正しいとか間違ってるとか好きに解釈してる。

私の場合 1

私の場合は、転んだ。→ こりゃあ良いことあるぞ! → ホントに良い事あった

負傷

 

私の場合 2

こちらは現在進行形感の案件です。この先に 消えた!と感じる「結果」が訪れるのかどうかは不明。消えない!ということが結果になるのかもしれない。だとしたら既に「結果」は出ていることになるね。

確かによくあるバランス調整の後の感覚ではあるけど

バランス調整の後に、もう気になっていたストレスが思い出せないという変化がある。珍しくない。あんなに反応していたのに、憑き物が落ちたように無反応になるってことがありますよ。

心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアなども含めた「バランス調整」の良さだとつくづく思っています。

ヤツは薄っぺらくなりながらも、まだ居る?

↑ 上のブログに、脳にタトゥーが入ったかのように感じていたストレスの場所と質量が変わった感じがすると書いたけれど、今日現在までの後日談を書きたい。

 

あくまでも個人的な体感ですが、ストレス反射が起きている部位(多分脳内ですよね)が、変化したというこの感覚がこんなにもハッキリと感じた事は初めてかも知れないな~って観察中です。

質量が変わったというのは、「やけに薄っぺらくなったな~。ペラペラじゃん」と感じる。

 

これが(おもろいな~)と思うので、自分の為にも記録したい。

 

発生源が移動?

脳の奥深くの中心部にヤツが居座っているように感じていた時は、

それこそ原始反射? やめてよね。 大人になってそんな深くまで刻み込まれたくないんだけど。

というイヤ~~~な感じがしていた。

 

 

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

 

そして、バランス調整後の今は、新しい脳と言われている大脳新皮質にでも移動したのか?と思いたくなる様な「脳の隅っこの方で小さめにやらしてもらってます。」感。ふちっこ感がある。(今知った。ふちっこ。って名古屋弁なんだって (◎_◎) )

 

身体の各細胞の新陳代謝と共に、そのうちその隅っこから剥がれ落ちて体外に排出されそうな感覚があることがオモロイ。

実際になんの反応も反射も起きなくなるかどうかは今日現在はわかりませんが、「虫の息だな。もうほかっておいてもその内消えるわ」という気もするし、消える消える詐欺でしつこく脳内で反応し続けるのかもしれないが、何より以前のように私が「あぁ イヤだなぁ」という感情の反応をしなくなってるからストレス感が無い。

 

頭に瞬間的によぎった際に、その瞬間性にでも(あぁ イヤだなぁ)と反応していたのに、最近は(ヤツがまた頭の中をよぎったな)と感じても、見逃せるというか、反応しなくなってきた。

 

そうですね。脳内の反応・反射は感知していても、それに対して私の心の方が反応・反射しなくなってきた。どっちも脳内反応・反射なのにオモロイですね。

 

脳内の反応地点が移転・移動した(ように感じる)からなんでしょうか?

 

答えをご存知の方がいたら、教えて欲しいです。

私が個人でどんだけ頑張っても、こんな脳の仕組みは答えを出せないから。

 

個人の学びとしてはせいぜいが、脳内の反応地点が移転・移動したように感じる。そういうことってあるのかな? というようなところどまりだと思う。しかしこういったことは個人的に非常にオモロイ。(笑)

 

しまった、こうゆうことこそホームページのコラムに書けばいいのに! と今更気がつきました。

私の場合 3

とびっきりじゃなくても、幸せ

私は幸せになったな~って思うのは、幸せアピールとかじゃないんですよ。

海風を感じただけでも幸せ。

みたいなことなんです。

歳をとったんですね。幸せの感じ方が深くなった。

 

海風を感じただけでも幸せってことって、他人がどうとか、条件がどうとかって関係ないんですよ。過去も関係ない、未来も関係ない。お金があるとか、ないとか関係ない。

今、海風を感じたこの心地よさが幸せ。というようなことなんですよね。

 

そういった感性が今日現在活きているのが幸せだと感じたんです。

 

ストレスケアを続けてきて、

嫌な事や

ハァ?

と思う事を引きずらなくなってきて本当にラクになった。

 

私は当たりまえに聖人じゃないどころか、凡人中の凡人なので、そりゃ今でも、

ハァ? 

カチンとくる。ことも、

めんどくせー ってことも勿論ありますが、

嫌な気持ちが切り替えられないほどなら次なる選択を考えるということに抵抗を感じなくなったし、自分を大切にしたくなったし、変な修行思想を持ち込んだ理由付けもやめるようになった。

 

ストレスケアを、我慢がシンドクないようにするためのものとして行っている方も居るかもしれないし、その選択は個人がするんだけど、私個人は自分がシンドイほど我慢して維持したり、成り立つような環境やモノゴトって大したことがないって開き直ったんですよね。

 

私には大したチカラは無い。ネガティブな意味では無くて、あるがままに見た結果という「平」な心持での認識です。

己を知ったというか。自分以外を変えたいという欲求や執着が減ったというか。

 

だから、心体がヤバくなるような我慢は期限を切ることにした。せいぜい2~3か月にした。我慢で心の筋肉や精神力は確かに鍛えられることってあるけど、人間が鍛えられる我慢と、人間が壊れる我慢は違うってことを体験的に知った。

 

合わないけど合わせられることと、合わなくて、かつ、合わせることもできないことってあるんですよ。はなから合わせたくないことだって私にはある。

経験が少ない若い時にはこれらと自分との付き合い方や距離感が分からなかったし、わかっても実行できない時もあったけど、歳を重ねて、自分の傾向も理解が進んできて、判断するまでの時間が短くなったのもラクになった原因でもあると思う。

 

幸せの感じ方もそれぞれですよね。

童心

アドベントカレンダー

知らないことって本当に多い

アドベントカレンダーという存在を知ったのは、数年前です。

友人から頂きました。

超ウキウキした。「なにこれ!」って。

 

そして、2023年になって(だから2022年のクリスマスの時は再会していなかった)、これを目にした時は、あのウキウキを思い出した。

 

 

三日坊主じゃない

私は自分のことを3日坊主で全然ものごとが続かないと思っていたんだけど、ある日「あれ?全然続くじゃん!」と気がついた。

このようなアドベントカレンダーは毎日1つずつ穴をあけて中のチョコレートを食べるのが楽しみで、決まった日に決まった場所の窓を開けて中のチョコレートを食べました。

24日間続けました。(^^)

 

次回はまた別の話題です

そう、こうやって1日1つ、その日付の窓を開けている間に

ここのところのブログに書いてきたようなことをパタパタとキーボードを叩いて書いていましたし、次回書くようなことも脳内で整理していました。

 

しかし、朝、このアドベントカレンダーのその日の日付の窓をプチっと開ける時は童心。

こういうことでウキウキできたり、気分が盛り上がれるって幸せです。

 

See you!

信じているもの、信じていたものは変わる

第一人者だって変わるんだよ

いさぎいい(潔い)

スピリチュアルや、ニューエイジについてさして詳しくない私ですら

ニューエイジを牽引した人物というとこのお二人が直ぐに頭に浮かぶほど著名人。

奇しくも海外と国内1名ずつ。他にも著名な方は多いと思うが、私の脳内にはこのお二人が巨頭としてインプットされた以降情報更新されていません。

  • ドリーン・バーチュー氏 カウンセリング心理学博士
  • 船井幸雄氏 船井総合研究所(船井総研グループ)創業者

 

ニューエイジとは?というそもそもの正しい意味を知らないままに使っている言葉です。なので自分が感じているニュアンスで使ってしまっています。

 

そして、まさにこのお二人は「とある思想、ニューエイジ界を牽引してた」と個人的には思ってる。というか、この2人が発信したからこそ多くの人たちが疑わずに受け入れたし、信じた。

そして、こういった流れから派生した様々な思想や法則(と伝え聞いたモノゴト)は多岐に渡り、亜流、伏流、支流と元々の所(出所)がもうわからなくなってしまっている。それはニューエイジに限らず、歴史ってそういうことよね。と個人的には分類しています。

 

そして、このような「ニューエイジ界を牽引」されたようなイメージがあったお二人ですが、故船井幸雄氏は没する前には「スピリチュアルとかそういった事に現を抜かしていてはいけない。しっかりしなくてはいけない。」とおっしゃったというあくまでも伝聞を目にした。

そして、ドリーン・バーチュー氏も今まで薦めていた思想や観念を現在現役で「違う」とおっしゃっているそうだ。(こちらも伝聞というか、情報)

不思議なのは、ドリーン・バーチュー氏については、「信仰上の理由で」考え方を変えたとアチコチで紹介されているようだけど、その書かれ方に「思考が不安定になった。」「おかしくなった。」「自分を見失ったと言わずに信仰上の理由と書いてみよう」とでも思ってる?と勝手に受け止めそうなニュアンスを感じたりもしたけど、簡単に書けば

  • ヒトは変わる
  • 信じていることが変わることがある
  • 信じてきた事が変わることがある
  • 本当だ、正しいと思っていても、違っていたと変化した自分を認めることもある。

というだけなんだけれど、著名人がゆえ、影響力が大きかっただけにそう簡単にはいかないこともあるのかな?

 

yogesh moreによるPixabayからの画像

 

ドリーン・バーチュー氏が自分で生みだしたものを「嘘だった」と言っているのに、信じたい側は「嘘だと言うのが嘘だ」「嘘だと言いだしたのは精神が不安定だから」みたいに反応して、信じていたものを放棄するのを嫌がるという現象もなんだかシュールなような気もするが、これらに本当とかウソってあるんですかね?

どう思われてもいい。自分の信念を発信する。

しかし、理由や、本当のところは分からないが、

  • 船井幸雄氏
  • ドリーン・バーチュー氏

は、言葉を濁さずに、それを潔い(いさぎよい)と感じるほどに長年の前言を撤回したようです。

 

科学も用いていたけれど

私が、(あくまでも個人的に)「メッセージ云々を得て、なんになるんだろう?」と針が振り切ったことと似ているのだろうか? 今の私の答えは、「ナニになるのか?」という自問には「それはヒトによる」と当たり前のところに着地しています。

それで元気になるヒトもいるだろうし、依存するヒトもいるだろうし、心の安心を得るヒトもいれば、不安が増す方もいるだろうからヒトそれぞれですよね。

 

私のつたない理解では、船井幸雄氏はスピリチュアル的な現象や思想、ニューエイジに類するアレコレについて科学的根拠の証明などもおこなっていたように思う。

「だから本当なんだ」という主張であったろうと思いますが、船井幸雄氏も針が振り切ったんでしょうかね? 最後には「そういうことを大切にしていると、もっと大切な事を忘れる。見失う。」と言いたかったのかな?と思えてしまった。その本意が、終末時計的な意味なのか、はたまた他の理由なのかは私には不明です。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQ

ちょっとした人数でも牽引するって、IQやEQや様々な能力(SQ・AQ・CQなど)が高いかと思うんですよね。そういった「牽引する」ことに価値を置くケースって珍しくないというか、多いと思うんですが、そういった能力が高ければ、全てを最初から見通せて間違えない訳でもないんでしょうね。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQと「人間性」が連動するという思い込みは危険ですが、やっぱりバイアスがかかっちゃうことが多いみたい。

 

それに、自分が信じてきた事に違和感がわいてきたとしてもその変化に素直に従うのも難しいのかな。違和感が湧く事すら感じる事を拒否することもあるようだし、アレ?!と思ったらその不安を打ち消したくて信じていることが正しい!という理由が欲しくなりますしね。

なんでも最後まで貫くのが偉人。というわけでもないんでしょうね。 自分が価値を置いていたものを間違いだと認めたり、公表したりすることって勇気が必要? メンツが潰れると思うと恐怖を感じる方もいらっしゃるようですし。

 

お腹いっぱい

私は、ドリーン・バーチュー氏や船井幸雄氏と比較にならないほど早くこういった事にお腹いっぱいになる傾向のようで、針が振り切るのが早いみたい。

しかし、私はこういったことにお腹いっぱいになるのが早くても、

  • 目の前のこと、
  • 自分がいる環境で起きている事

についてデータ収集かのように脳に収めてしまうことに対しては全然お腹いっぱいになってない。

それは「人間について考えること」が好きだからだと気がつきました。

 

それがいったいナニになるの?

  • そんなこと考えてどうなるの? ナニになるの?
  • ストレスケアに意味なんてあるの?

と言われたこともあるし、「考えてどうなるのか?」は確かにそうなんですよ。

 

傍から見たら単なる「こじらせ」でしょうね。(笑)

 

好きだから、やらずにいられないからやってしまう。という事であれば、私が数回前に書いた記事「教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣」に書いたこれら

 

そして、古来より

  • 貝殻を投げてそこから吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 炎の変化から吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 天候
  • 水紋
  • カード
  • 花びら
  • 天体 などなど

ずっとこの手のことを行っているわけですよね。メッセージを得たいから。

も同じでしょ?

 

そう、結局のところ、意識していようが、してなかろうが、

  • どう生きていきたいか?
  • どんな価値観で生活するのか?

というだけなんですよね。

 

「考えたから幸せになるのか?」なんてことは私にはわかりません。

かえって、アレコレ考えない方が幸せかとも思うんですが、元々って本当に元々で、もう子どもの頃からの私の個人的な「研究」みたいなことですので、ただ単にそれが、メッセージ云々を得るとか、誰かついていくヒトを設定するというようなことじゃないだけなんですね。

もうすでにあると設定されている答え(例えばよく使われる「真実」とか)を知りたいんじゃなくて、自分の答えみたいなものを考えていくという感じなんです。だから、その私個人の体験や経過が「すでに答えがある」と言われたことと一致することもあったし、「すでに答えがある」という物事のその先もあるような気がする事も多い。

 

だから、まだお腹いっぱいになっていないのかもしれない。

真実を知りたいわけじゃないから、お腹いっぱいにならない限り終わりが無い。

 

勉強して何かを習ったり、学んだりということも私なりにしてきましたが、それはそれ。

自分なりの検証とは、目の前にあると感じるアレコレをMyデータ、自社データとして納めていくからできるような気がしてる。

ということを何度も既に書いています。

 

脳に収めたデータの発露方法として、「相似形」「フラクタル」という表現を用いました。

 

世界が「色」で見える方や「曲」や「数字」で見える方がいるという書籍などもあるが、私の場合は「図形(立体図形が一層好み)」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向もあるということを大人になって理解した。

フラクタル理論は物理か? 化学か?

 

野性性が発動しているのか?

David MarkによるPixabayからの画像

 

虫は苦手だが。

 

機械的な脳? 反応?

人間観察っていう言葉がありますよね。

私に

「図形」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向

があるというのがあながち間違っていないとしたら、そこには「観察してみよう」という意図、意識は邪魔な気がする。

体験データとして様々な「人間性」を脳内にストックしていっているのなら、そのストックしていく際に「先入観」って無くて良い。そして、自分の意識がしっかりしていないと目の前の出来事も見えない。見えてこない。聞こえない。入ってこない。場合によっては自分が何を基準に行動する(したい)のかもわからない。

 

ある面では、私は非常に機械的に脳を使っているような気がするときがあります。

 

私もとっても変化した

私もいろいろ変わりました。

好みもどんどん変わります。変わらないこともありますが、歳をとって楽になってきて助かっています。

今後も変わることもあるに違いない。

新発見も初体験もあるでしょう。

 

みんな一緒ですね。

続>教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

主旨を忘れちゃいけないよ

続>教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣 助走

久しぶりにブログの更新頻度が上がっております。

本日は この↓ 記事の続編です。

 

教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

時間が空いた間に主旨を忘れちゃう危険性を感じそうです。ただですね、この続編を書く間の時間にしみじみと感じたのは、私自身の変化です。ふと、昔の自分にはなかった感覚が今はそれがデフォルトになっているなぁ。根底が違うなぁ と有り難くて胸がいっぱいになりました。

伝わりやすい表現を探した時に、「報われた気がする」という言葉が浮かびますが、これも100%しっくりきていません。報われたって書くと「過去との対比」とか「過去の自分の苦労」みたいなことの上に成り立っている感じがしませんか? 今の私のこの感覚には、そういう過去の自分に対する意識は関係なくて、「ただただ今が有難い」という感じなんです。

過去はどうでもいい、未来もわからない。「ただただ今が有難い」。

という本日のブログの助走でした。

正しく生きたい。とか、修行とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたい

多くの場合の

”教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣”

の根底にあるものは、正しく生きたい。とか、修行(したい、しなきゃいけない)とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたいというような欲求や反応、反射がゆえとも言えないだろうか?

 

だから、

  • 間違いたくない。
  • 格好悪いことはイヤだ。
  • 失敗したくない。
  • 出来が良いと認めてもらいたい。

からこそ、

”教えてもらいたい!安心したい!”

 

そりゃそうですよね。私だってそうですよ。

 

でもね、”教えてもらいたい!安心したい!”ばかりですとこんなことになりかねない。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

これって、良さそうなものも、ヤバそうなものも、構造は一緒。

一見良さそうなら、フィーリングや無考えでついて行ってもOKってことでもないし、いかにも良さそうでも何も考えずにいてもOKってことでもないみたい(だと私が感じるだけですが)。

当たり前ですが、私達は見たいように見て、聞きたいように聞きますから、「安心したい!」と熱望すると、いろんなものを「安心させてくれるもの」として認知してそれらに「教えて教えて!」と手を伸ばすだろうし、信じたいから信じるし、酔っぱらいたければ酔っぱらう。心酔する。

 

良さそうなものも、ヤバそうなものも、構造は一緒なので、多分人間とはこのような反応や反射をして生きていく生物なのだろうと思っている。

 

「判断」という反射

なにかを見たり聞いたりしたら、瞬時に判断し始めてる。

この判断が、

  • 反射タイプの方と、
  • 反応タイプのケースと、
  • 意識してそれらを遅らせることができていると信じているタイプと、

いろいろなケースがあると思う。もっともっと他にも書けるのかもしれない。

ここに例えば先述した

  • 間違いたくない。
  • 格好悪いことはイヤだ。
  • 失敗したくない。
  • 出来が良いと認めてもらいたい。

という要素が掛け合わさると、脳内の反射も反応も無限大だ。無限大なんだけど

”正しく生きたい。とか、修行とか、尊敬されたい、好かれたい、認められたい”

みたいな欲求に グルン っと回って戻ってくる辺りは非常にシンプルなようにも感じるし、

それが

”教えて!安心したい!”

を叶えるために行っているつもりの習慣にも繋がるのですね?

 

そして、それらの行動がまた不安や依存や中毒という次なる思考、行動に繋がることも全然少なくないというまさにマッチポンプ。

 

これは困ったものだ。と思ってみたり、私達人間の基本習性だと思ってみたり、愚かさだと思ってみたり、愛おしさだと思ってみたり様々です。

わたくしもこのような中で滑ったり転んだり起き上がったり、笑ったり泣いたり喜んだりしております。(笑)

 

寄る辺なさ

基本自分を明け渡したい願望があるのか?

依存願望みたいなものがあるんでしょうね。

「寄る辺ない」という言葉があるように。

修行系って正しいナニカの教えに沿って「ナニカ」になりたいのかな?とも思うし、

メッセージ云々も、「ナニカ」に従うというか、従いたいというか、「ナニカ」に決めて欲しい、自分は楽なまま良き方向へ導いてもらいたいというか、そういう一面もありますか?どうですか? (モノや数字、カードなどからメッセージ云々を得ることはラクにできる?から欲しいもの(安心?)は手に入る。そのあとの行動となるとカロリー(熱量)が必要ですか? いや、チャネリングって体力使うのよとおっしゃる方も居そうだ。そういう意味での「ラク」や「熱量」ではないつもりなんだけど。)

 

または、そのメッセージを発していると想定している側の一員になりたいというか。(神か? 天使か? 龍か? 大いなるものか?) メッセージを発している側と繋がっているという安心感が得たいとか。(チャネリングってそういう要素ありますか?どんな感じですか?)

 

小項目のタイトルに、「基本自分を明け渡したい願望があるのか?」と書いたのはこれらを考えたからです。

 

善いとか悪いとかじゃなくて、人間の行動様式を検証してみると?というだけです。

 

セッションや体験講座(今は行っていませんが)では利用していません

こんなこともちょっと気になったりしたので、数年前から私はカード類やメッセージ云々というものを私のセッションや体験講座(今は行っていませんが)では利用していません。

ストレスケアをしよう!と言っているのに、自分を明け渡して安心を得るという要素って少なくともセッションや講座では要らないなって思った。

 

メッセージ云々を楽しいと感じるその感覚もわかるので、その辺りは個人で楽しまれるだろうから、あえて私が後押しする必要もないかなって考えました。

 

どこを「結果」とするのか?

終末時計という考え方があります。

最初にこの言葉を知ったのはいつだっただろう? 思い出せません。

終末時計の考え方や計算式が正確じゃないことを願いますけれど、未来のことは私にはわかりません。

 

ただ、私達人間の思考、行動様式の結果の1つの現れが「終末時計」でもある?

太古よりメッセージ云々を得てきた事と、その結果が「終末時計」で表現されている事柄ように書くのも先導、扇動、洗脳にもなりますから、私のブログも内容がどうであれ、このような意味を含んでいる。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

ということをちゃんと書いておきたいのですが、

「良くなるように」とメッセージ云々を得てきた結果というか、それらはナニを良くしているのか? 悪くしているのか? 「終末時計」的なことも「あるがまま」ではあるんだろうけれども。

 

こんな難しいことを書き始めたところで、結論を出せないので申し訳ないし、「モノは使いよう」と書くと差し障りがなさそうですが、我ながら全然しっくりこないです。

 

というこの辺りまでが、「今のところの結論?」と眠りながら考えていたことに文章で肉付けした内容です。

 

人生を満喫

いろんなことがありますよ。

ツラいこともある。

心が温まる瞬間もある。

 

人生を楽しもう!と聞くと、(こんなにシンドイのに楽しめないし、楽しくない)とイラッとするような時期があったりする。

酸いも甘いも体験するしかない。と思えればどんなにラクだろうか? そこまで開き直れたらラクだよね。こういうことを「胆力」と言いますか?

胆経をバランス調整したら胆力がつきますか? 鍛えられますか?

 

人生を満喫した結果が「胆力」になるんでしょうか?

 

「胆力」はメッセージ云々で鍛えられますか?

 

答えはないですが、わたし個人は、酸いも甘いも体験して(するしかなくて)、自分なりに一生懸命考えたつもりになって、それが栄養になって胆力になるような気がしています。

わかんないです。正解は知らないです。自分なりに答えを出していくというような感じかも知れない。

昔は、答えや正解を知りたい!ということが先だった。今は正解はともかく、自分なりに答えや傾向を考えていくというように変わった(ような気がする)。

 

それが、今を生きている。ということなのかな???? という感じです。(答えは知らない)

教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣

年中閉店セールのような内容です

立ち上がるんだ!ジョー

昨日、なかなかの量の文章を書いて、ここのところ、ブログアプリが優秀なせいかバックグラウンドで自動保存機能が働いており(消えた!(泣))とショックを受けても、あ!そうだ!ひょっとしてセーフティーネットが働いているかも!と確認すると、大抵残っていたものですから、昨日はセーフティーネットが無くて墜落したような感覚を久しぶりに味わいました。

 

こんなに綺麗サッパリ消えるかね?というほどな~~~んにも残ってなかった。

白紙でしたわ(苦笑)

lisatenerによるPixabayからの画像

 

そして、矢吹ジョーのように立ち上がりました。わたくし。

今日も出かけるので、書けるところまで書く!

年中閉店セールのような内容

私の書く内容は、いつも同じような事ばかりでして、ちょっとずつ例題が変化したり、ちょっとずつ私なりの理解がすすんでいるため、前よりは(ほんのちょっと歩がすすんだ。ほんのちょっとなんだけど)という体たらくです。

そして、今日はこちらのブログの続きです。

変化をどこで感じていたのか?

特に、この中で触れている「メッセージ云々」という内容だけをもう少し書き進めます。

 

もう書かない。もう書くのを終わる。詐欺

ですから、過去にホームページのコラムにも、過去の様々なブログでも

”「メッセージ云々」については散々書いてきたからもう書くのを終わる。”

としょっちゅう書いてる。これはもう年中閉店セールをやっているお店と同じです。

”もう書かない。もう書くのを終わる。詐欺”

と言われても言い返せません。なので急に開き直りましたので、

「今後も何度も何度も書くぜ!」と宣言しておくことにした。

 

そして本日書くのは、過去に考えた事と、最近書いたことの線が繋がったことについて。

ドリーン・バーチュー氏について触れた過去記事からスタートします。

外からのメッセージ? 自分の考え?

考えるチカラ。考え抜くチカラ。

考えるって、ヒトによっては難しいし、メンドウだし、考え抜くなんてシンドイし。

考えているつもりでも、ただ同じ思考が小さくグルグル回っているってこともある。「考え抜くってどんなこと?」という質問をされたら、それを質問している側にわかりやすく説明できる方っているんだろうか?

だから、正解とかそういったことは私には何も言えなくて、私が感じるニュアンスのことしか書けないし、感じられない。

 

ただ、以前(2019年)に上のコラム「外からのメッセージ? 自分の考え?」を書いた時に、ドリーン・バーチュー氏が、

”「今はあれらメッセージはサタンの声でした」”

と言ったとか言わないとかについて触れましたが、自分がブログ「変化をどこで感じていたのか?」の中の メッセージ依存 という項を書いた後(あぁ あれってこんなことかな?)と思ったことがありました。

寝ながら考えてる?

寝る時はしっかり寝たら良いと思うんだけど、寝てる最中に思考が進んでおり、寝ている最中にこのブログに書く事と今のところの結論まで決まった。睡眠障害か? 潜在意識に敏感なのか? 気のせいか?(笑)

 

寝ている時に、(あぁ そうか。)とその瞬間意識が浅く戻ってきた事は、

今はあれらメッセージはサタンの声でした=(イコール)考えるチカラを失う。

という意味だったのかな? でした。

 

この一瞬のあとはまた眠りましたが。

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

なんでも使いよう

なんでも使い方次第かとは思います。

自分の人生の構成物を好きに選んでいるんだから。

 

そして、古来より

  • 貝殻を投げてそこから吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 炎の変化から吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 天候
  • 水紋
  • カード
  • 花びら
  • 天体 などなど

ずっとこの手のことを行っているわけですよね。メッセージを得たいから。

 

で、また寝ている最中にふっと意識が覚めた時に頭に浮かんだのが

”当たっても、外れても、それが一体なにになるんだろう?”

でした。

 

これはブログ「変化をどこで感じていたのか?」の中の、「これがナニになるの?」「これを知ってどうなるの?」と書いた意味です。背景というか経緯と言うか。

時間軸は前後しておりますので、寝ながらもう一度最初から考えて居たんでしょうかね?

 

余談)

こんな現象も、脳内に時間が無いと考えるとめっちゃ面白いですけどね。今日はその面白さを表現しきれないので書きませんが。

 

それが一体なにになるんだろう?と考えた理由

私も自分で、『意識のチカラで「断ち切る」』と決めて実行する前は、占いの本を数冊覚えるくらいスラスラと頭に入っていましたし覚えていましたし(今でも頭の中の倉庫に入っているけどあえて出さないようにしている)、1年に1度か数度、その年の「感じ」を聞きに占いを利用したりしていたし、オラクルカードも持ってた。こんな性格だから、オラクルカードはあっと言う間に押し入れに入れっぱなしになったけど。

キネシオロジーの体験講座の際に「面白い」から使ったりしていた時期もありましたが、やっぱりそれもやめていった。

カードとかメッセージ類の一切を辞めた理由をしいて書くのなら、私の考えているキネシオロジーを利用したストレスケアと「カードのメッセージを得る、見る」ということが矛盾してると思うようになったから。既に書いたけど、「これがナニになるの?」「これを知ってどうなるの?」と頭に浮かんじゃったから。

あくまでも個人的にですが、メタファーとコレは違うよね。と考えたみたい。じっくり考えたわけじゃなくて、自分の違和感に素直に従っただけなんです。

だから、あくまでも「個人的」にそうしただけ。

”メタファーとコレは違うよね”

と考えたポイントは? と自問自答してみると・・・

 

そうですねぇ・・・質量でしょうか?

出所(でどころ)・由来みたいなものとか。

電気の質というか、構成している素粒子の質というか。

 

健康的かどうか?と書くとまたちょっと説明が難しくなるんですが。

 

やっぱり感覚的なものでしかないんですけれども。

 

オラクルカードなどは、絵柄や図柄も写真?も綺麗ですし、メッセージと称される言葉も優しいし受け止めやすい。他にも可愛いカードも多種あるし、有り難い系なども含めて沢山あるんですよね。見た目も言葉も一見申し分ない。

私はへそ曲がりなので、それらの底流になにか引っかかるものがあるようなんです。底流、構成エッセンス、それらを取り入れている人々のその後の変化とか。

 

そう、メッセージ類を得たその時の高揚感というか、安心感というか、一瞬はONにはなるけど。(一瞬のONで良いのなら何もメッセージじゃなくても良いし。というか、一瞬のONで良いのなら、意味づけのないシンプルなモノの方がかえってコジラセなくて済みそうってことはある?)

そのONは、OFFの中のONだとしたら、どうやって解決していこうか?

 

 

私は素直な時はバカほど素直なのに、こんな時にはヤケに頑張っちゃう。押しても引いても動かない馬、牛、犬みたいに。(笑)

だから、あくまでも武田個人の好みの話です。個人の感覚の話。

幸せの感じ方や、どう生きていきたいかは個人の好みだし、私の記事に影響力がなくて、メッセージ云々をお仕事にされている方のご迷惑にならないと良いな。(まぁ そんな影響力などありはしないが)

 

次回へ

すんません。

時間切れです。

 

一旦アップします。

文章や文字などが間違っているところは、追って訂正します。

初めて機内販売グッズを買いました

泣いた。

久しぶりに、なかなかの量を書き進めていた記事が消えた(T_T)

そろそろ下書き保存をしておこうと思い下書き保存ボタンを押したら・・・できなくて(号泣)、(いや、自動保存機能があるから!)と号泣したい気分から立ち直って記事一覧を見たら・・・・無かった(本格的な号泣 _| ̄|○ )

 

もう今は書く気が失せたので、下書き保存していた他の記事(この記事)を先にアップします。

生まれて初めてはまだまだある

コードシェア便

過日、名古屋と沖縄を往復した。

沖縄へ戻る時はソラシドエアとのコードシェア便だった。

 

ANAを予約して、コードシェア便になるとちょっと残念な気持ちになる。

だからピーチ航空とのコードシェア便は避けた。

しかし、過日のこの日は、時間的に都合が良くて予約した便が、ソラシドエアとのコードシェア便だったことを忘れていた。

 

ソラシドエアは過去の搭乗の際は良い体験記憶と結びついていたけれど、ANAが搭乗する便によっては映画が見られることを知った後は、(あーあ 映画は無理だな)と思っていた。

 

搭乗したら、その時を楽しむ

私の単純さが非常に善い方に作用すると、(あーあ 映画は無理だな)と思った瞬間に見事にあきらめて、映画のこと(無理な事)をさっさと忘れてしまえることです。

 

そう! 執着とかある出来事もあることはあるんでしょうが、ほぼ

あ! そう!

とこだわらずに次へ行ける。

今、目の前のことに意識を向けられるというか。

 

一種「今を生きる」系と言えばそうだけど、あくまでも「一種」だけどね。

 

で、実際にソラシドエアに乗ったら、CAさんも親切だし、機内で自己満足しながら過ごしていた。

 

機内販売

機内販売では何も買いません。

荷物も増えるし。

 

ただ、昔、ピーチ航空に乗った際、飲み物のクーポンがついていて、軽食セットをクーポンで買ったというか、貰ったというか、そんな経験はある。

 

そもそも、飛行機の中で財布を開くことがない。機内はお金は使わない場所として脳内セットされていました。

 

が、遂にカード払いで機内販売でモノを買いました。

 

コレ 馬油

サイズ感とかまったくわからないままに、すんなり買っちゃった。

小さかったらそれはそれで良いし。

香り付きの馬油を使った事がなかったので、一度使って見ようと思って。

 

冬だから、ハンドクリームとして使おっかな~って。

顔にも塗って良いし。

 

一人では使い終わらないので、実家の母にもあげました。

 

いや、加齢と共に乾燥するんですわ。クリーム類は必需品です。

 

使い心地

今、使っています。

 

いいよ。GOODです。

 

暑くなってきたら冷蔵庫で保管します。(^^)