真面目って悪いの?

こちらの過去ブログの続きを書きたかった。

じっくりPCに向かって文章を書く時間ができたので早速書きたい。

余計なお世話のエール

手を抜けば楽になる?

私は、手を抜けば楽になると知っていても、見てしまうともうなかなか知らないふりもしにくい。

嫌いな人でも、こと仕事となると困っていたら知らん顔も出来ない。

例えば、仕事場で意地悪されたり、虐めっぽいことをされても、仕返しをするということが難しい。

 

理由は、「こういった事は良くないことだ。」という自分のルールがあるから。

倫理観というものと似ているだろうか?

基本真面目なんだとは思うんですが、この真面目が自分を苦しめたりする。

 

勘違いされると困るのは、自分のルールがユルい方面のことだってある。それが以前は平気でも、歳を重ねるにつれ(経験も積んで)「やっぱり今後はやめる」と変化したことだってある。

 

きっと周りが迷惑するほどに過剰に手を抜くヒトや、自分さえよければ良いというヒトには、「真面目にやったら損だ」というルールがあるんだと思うから、結局両者とも自分の価値感によって人生を生きていることになる。

 

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

そして、気がついた

私も自分の真面目さに苦しんだり、厄介に感じることもあるが、相談者さん達も苦しんでいる。

 

そう、私がIQ・EQ・SQ・AQ・CQが生まれついて高い神童ならば、この辺りの自分の勝手なルールとの折り合いをつけるのも楽勝なんだろうけど、なにしろ「生き下手」を自覚していたので若い頃は結構シンドかった。そして、今でも「くっそーーーー」と思う事はあるけれど、自分のその真面目さに反する事をやってもHappyは感じないことも知っているし、自分なりの倫理感みたいなものを尊重するジレンマにも慣れてきた。

確かにラクな選択とは思わないんだけど、しかし、ラクを選択せずにグッと踏ん張る事が人生で後々大Luckyに繋がることがあった。だから結果は厄介な真面目さを尊重して良かったことになる。

 

それは、吉事は凶事。禍福は糾える縄の如しということを何度も体験したから。

目先のことじゃなくて、自分なりの面倒くさいルールを守った後日(月単位、年単位、十数年単位もあり)に非常に善い印象に繋がる出来事が多かった。

信じているもの、信じていたものは変わる

 

だからという訳でもないんだろうけど、真面目がゆえに苦しんでいる相談者さんをサポートする事が多い。

私も同じような体験をしたことがあったりすると、その苦しみやジレンマに共感出来る気がするときがある。

損な性分

「損な性分」という言葉もあるよね。本当にこういった性分を持て余すこともあった。

それは、多くの相談者さんも同じだと感じてきた。

 

自分のルールを愚直に守ることがだけが良策ではないと感じて初めて手を付けられる分野もあるし、その愚直さが報われることもあるし、報われないと感じることもあるかもしれない。

 

本当に人間界は色とりどりなんでしょうね。

 

真面目さが探求心を生んだりする

だから、真面目がゆえに信仰に没頭というか、そこに救いを求めたり、「真理」と呼ばれる曖昧なイメージを探求するケースもあるんだと思う。

(私はある程度真面目ではあるけれど「真理」の追及には今のところ傾倒してこなかったな~)

 

そして、真面目がゆえに途中でやめられない。いろんな方面やいろんな意味で。

だからきっと、性分という便利な言葉があるんだろう。

 

「真面目さ」が見事に裏切られると

真面目さが裏目に出る時がある。

いや、裏目に出たと自分で感じた時がツラい。

 

自分の慰め方がわからないし、救いがない様な気持ちになる。

 

そして、じゃあ 一体ナニが実を結ぶんだよ!と絶望的にもなる。

 

Raka C.によるPixabayからの画像

 

じゃあ どうしたら良いのか?

多分、答えを求めて探す類のことではなくて、人生を生きながら考えていく事のような気がする。

何を考えるのか?

う~~~ん、それは自分の特性、特徴、傾向を捉えて、それらとの付き合い方ではないだろうか?

 

一旦、自分の基準を知る、確認する、把握してみてはどうだろうか?

真面目≠不器用

真面目が =(イコール)不器用とは限らない

真面目 & 器用 というケースだってある。

 

いろいろ決めつけずに、自己観察してみると良いと思う。その時の自分は時間が経過したら変わっていくこともあるだろうから、自分のことも決めつけずに観察してみたり、感じてみて欲しい。

 

真面目=損 とは限らないけれども、真面目=損を選択していくのが真面目というものなんだ。と思い込んでいる場合もある。

自分が苦しむ妙なルールをわざわざ創り上げている場合だってある。

 

真面目=視野が狭い とも限らないはずなんだけどね。なんだか結果そうなっちゃう(そうなっちゃってる)ことって多いような気がしています。

 

自己認知はそれぞれ

遥か昔、私が見聞きした1つのケースですが、ご本人は「真面目だから損している」と自己認識されていたが、行動は、他人にタカっているというケースがあった。

相談業などを始める遥か昔の「見聞きした」という個人的体験のうちの1つです。

 

多分、自分の真面目は評価されるべきだから、取れる(タカれる)ところからは頂く。遠慮はしないし、取れるだけ(タカれるだけ)取った方が得だ。と思っておられるんだろうな~と感じるようなケースにお見受けした。

 

多分、ご本人なりに報われない感があったんだと思う。

 

しかし、この報われない感に負ける(勝ち負けではないし、人間だから負けることだってあるんだけど)と、益々人生の厄介さがこじれてくる時がある。

 

”報われないかもしれないけれども踏ん張る”ってキツイ。保証もないし。また違うシンドサがある。が、そうするかどうかが運命の分かれ道ってこともあると思う。

しかし、アレがそうだった!(自分ののちの人生に大きく影響する)とは後にならないとわからない。

 

似たような倫理観の変容や、価値観の変容や、投げやり感は珍しくないし、真面目がゆえにこれらの一種の誘惑というか、挫折などに傾いていくこともあるだろうし、真面目がゆえに踏ん張ってしまってシンドイということもある。

 

真面目も様々だと感じるんですよ。

 

多分いろんなことを経験して、価値観が出来上がっていったり、自分なりのルールが出来てくるんだろう。

 

バランス感覚

ここまで書いてきて、ふと「良い悪いの明確な線引きがないのにどうしたらいいの?」という点が悩みを生んでいるのなら、やはりバランス感覚を養うことが優先かなぁと思う。

それは、バランス調整をしていたらそれで良いのか?というわけでは無くて、やはり自分でちゃんと考えるということが必須な気がする。

潜在意識とか使い勝手のいい言葉に丸投げしちゃうんじゃなくて、自分の思考する脳を使う事を勧めたい。

 

もう一度書くと、

バランス調整=バランス感覚とは限らない。

真面目さを活かす

バランス感覚って自分で育てるんだと思う。経験をして、それらから学んだりする。

 

  • いかに脱力するか。自分に合った脱力方法を試したり。
  • 自分の真面目さがヒトを活かしているのか?ダメにしているのか?
  • 他人のことなど気にせず、自分の真面目さを貫くのか?
  • 自分の真面目さを認めて、まだまだダメだとか過剰に負荷をかけすぎないことも大切だし。

真面目な方をサポートしたい

あなたのその真面目さが、自分の生き易さに繋がりますように!

自分の真面目さとの付き合い方が理解できますよう!

損な性分だけれども、いつかは報われますように!(自分で、「これで良かった」と思えれば、それは報われたことになると思う)

バランス感覚を意識できるような余裕が生まれますように!

 

Jason GohによるPixabayからの画像