上のはフリー画像のラーメンです。
私が作ったラーメンは鶏肉と海苔を乗せました。
中華麺の乾麺を使いました。
麺類って微妙な生麺をつかうより、乾麺を使った方が美味しい時が多い。
結構前、沖縄そばを自宅で作っていたときも乾麺を使っていた。
美味しく出来て味を占めたので、また作ります。
今度は試しにパクチーを乗せてみようかな。
ワクワク
子どもの頃に1度だけ
マーブルシフォンケーキを母が作った。
オーブンレンジの機能を使ってみたかったんだと思う。
最初はオーブン機能も使っていたが、あっという間にレンジ機能だけしか使われなくなったのを覚えている。
焼き立てのマーブルシフォンケーキはとても美味しくて、
「また作って」とお願いしたが、2度と作られることは無かった。
という記憶が沸き起こってきた。
それは「金時豆とバナナのケーキ風」が想像以上にできあがり
出来上がりたての温かいケーキ風を食べた時だった。
↑ これのバナナ、金時豆バージョン。
焼き立ての温かいこれを食べた時に
「そうだ、私はずっと焼き立てケーキを食べたかったんだ」と気がついた。
焼き立てマフィンとか美味しいでしょ? って温め直したマフィンしか食べた事ないけど。
だから、もう大満足だった。
また作ろっと。
チョコレートを使ったタイプのチョコレートケーキ風のものに
「冷ましてもよりおいしい」とコメントがあったけど
バナナと金時豆ケーキ風も冷めてから食べ比べてみたけれど、温かいものが美味しかった。
そりゃそうだ。
ホットケーキなんだもの。
私が実家に居た頃、オーブン機能があったんだから
もう一度作って。というお願いが聞いてもらえないのなら自分で作ればよかったし、
そんなに食べたいなら自分で作れば良い。子供でも材料をそろえることや使い方を説明書を読んで理解することはできたはずだということも自分で気がついていたが
絶対にやらなかった。
その理由も最近読書していてわかった。
意地でも絶対にやらなかった事自体が、「甘えている」「甘えたい」という証拠だったんだねって。
小説の中のその文章を読んだときに
(そりゃ そうだよな~)とその当時の自分がより一層理解できた。
ひょんなことから、焼き立てケーキが我が食卓に登場したんだけど
何も思い出していないまま (お! 私にも作れそう♪ 作ってみよう!)とさっさとやったこと自体が思わぬ記憶を呼び起こした。
子どもの頃の欲求が、今はもう無いんだな~ということも理解したし
やっぱり大人になって良かったな~と思った。
最初に指笛に挑戦してから何年たっただろうか?
とっても上手に鳴る瞬間もあった。
いつでも鳴るようにと、練習していた短い期間もあった。
いざとなると全然鳴らなくてガッカリしたけど。
で、最近は 「息」を吹く スースーという音だけに戻っていた。
ところが
ラブコメになるかもしれない映画を見ていた中に
アメリカ人の男性が指笛を鳴らすシーンがあった。
見たらやりたいのが私だ。
やらずにはいられない。
私がある時に練習していたのは A。
これで ピッ―――っと鳴ったら気持ちいいのだけれど、音が鳴る確率は元々高く無かったし、練習をしていた時しか鳴ってない。
偶然に音が鳴ることなど無かった。
映画の中では B。
映画を見ながら Bの型で吹いてみた。
・・・鳴らない。
あぁやっぱり無理か。
そもそもこの指の型こそ 音が鳴ったことが一度もない。
2~3回チャレンジしたら
ピーーーーッ っと音が鳴った。
でっかい音で。
喜びましたよ。
調子に乗って何度もトライ。
すると何度でも鳴る。
今これを書いている手を休めて トライしてもやっぱり鳴る!
イエス!
ついに私の得意な型を掴んだぜ!
鳴る確率は今までとは比べ物にならないほど安定している。
ただ、涎? 唾? が出てくるのは今後の課題だ。
これからしばらくいつでも どんな時も鳴る様に練習してみよう。♪
こんなことも発達するんやね。
包丁を研いだ。
切れ味が復活した。
その切れ味が良い包丁で、気分良くキャベツの千切りをきっていた時に
ちょっとだけ包丁の刃に手が触れた。
チクッとした。
ご飯を食べ終わって、片づけて、いろいろした後、ふと見たら
見事に指が切れていた。
小さく。
見事な切れ味に包丁が研げて満足です。
上の記事のスープをつかってラーメンも作りましたが、
これとは別に、玉ねぎを入れて、玉ねぎスープも作りました。
那覇に住んでいる頃は都市ガスで、ガス料金もそれほど気になりませんでしたが、今の家はプロパンガス。
ちょっと え?! と思う程ガス料金が高く感じる時がある。(特に冬場)
だからガスのとろ火で煮込むというようなことはやりたくない。
で、ウチには保温調理鍋があり、料理をするのなら非常に役に立ってくれています。
↓ こんな鍋も欲しいな~と思っています。
が、置き場所がない。
今の炊飯器がとにかく大きくて場所をとっているので、
炊飯器がダメになったらこれを考えます。
日本製で似た機能の鍋は沢山ありますが
この形と色、なんかホッとしますね。
2020年4月28日(火) 沖縄カウンセリングラジオ
15:00ちょうどから、うちな~ぐちラジオ体操が放送されていました。
私も一緒に、久しぶりのラジオ体操をしました。
映像に含まれていないのがちょっと残念です。
録画機器の調子がちょっとイマイチだったようでした。
上の記事の中で、金時豆を準備していると書いた。
ぜんざいを作る? どうする? と思いながら
豆を洗ったり、下茹でしていると
アレも出来る コレも出来る と頭に浮かんでくる。
浮かんだものを一通り作ってみよう。と、ひとまず豆を茹でた。
最初は、金時豆ごはん。
豆ごはんと言えばグリーンピースが一般的だと思うが我が家にはグリーンピースは今無いし、金時豆ごはんが食べたくなってるわけだから。
食べたいものを作って食べられるという事は幸せ。
美味しかった。
次は、煮汁でご飯を炊いて(豆を甘く煮ていない)、金時豆をつかった赤飯もどき。
もち米でもないし、豆は金時豆。
これがまた、見事な赤飯の色をしたご飯が炊きあがり、美味しかったよ。
香りも赤飯風な香りがしていました。
赤飯にはゴマ塩をかけたりするけれど、塩だけパラパラッとふって食べた。
(ゴマがない)
何かのお祝いという事にしようか? 何を祝う?
お祝いできることは探せば幾らでもあるし、探さなくても頭にいつもあるものもある。
うまし。
本当に自分一人だけ食べるのなら、味が薄くても十分美味しい。
誰かのためにつくる時は、味の加減が非常に気になるものね。(^^)
お次は、ホットケーキミックスを使った豆ケーキ。
まだバナナを買いに行っていないのでバナナケーキの前に豆ケーキを作ってみた。小豆の方がいいんだろうけど、小豆より大きな金時豆で作った。
この豆ケーキを作る前だけ、豆を甘く煮た。
大納言ケーキみたいなものの、素人版。いや、素人版というラインにも達しない。なぜなら甘味というものが薄すぎるから。
ウチにはお菓子類をつくる材料も道具もない。
お菓子を作る用のお砂糖などもない。
しかし、これも 自分で作って自分で食べると非常に美味しい。
いや、誰か作ってくれるのなら大歓迎。
誰かが作ってくださる料理は格別美味しい。(笑)
ただ、自分で作ると味の薄さとか全然気にならないって不思議ね。
今はクックパットより、他の料理のサイトが人気だと何かで読んだ。
そのサイトがなんだったのか記憶に無いが、
インターネットが当たり前になって料理の本は確実に売れなくなったと思う。
ましてや、料理の動画(そうだ、今人気のサイトは、料理をつくる動画のサイトだったかもしれない)は、想像力が無くてもそれをカバーするに余りある。
料理は味を想像しながら作ると思うんだけど
料理本ではイメージができないという方は昔からいたもの。
そんな方が料理しやすい時代が来たんですね。
かくいう私も、お菓子作りやパン作りは料理本を読んだからといって挑戦しようという気持ちに全くならなかった。
しかし、料理番組は見たら見たで面白い。
得手不得手ってことですね。
後半ほど破壊力が強いような気がする。
兎に角 声に出して笑って、
「もう一回見よう」
「もう一回見よう」と2~3回見ているうちに涙を流してしまった。
笑えて笑えて。
見事にツボに入った。
※以前、大笑いしていたら「恵比寿さんみたいね」と言ってくださった方がいて、その言葉を(こんな感じかな?)と書いたイラストです。
実は、かくいう私も、人生初のバナナケーキに挑戦しようと思い
なかなか買い物にも行かないようにしているけれど、
次回買い物に行く時にはバナナを買おうとメモしたところだった。
あっ! ウチにはオーブン無し、電子レンジ無し、オーブントースター無し、
ということで本格的なバナナケーキなどできるわけがないので
ホットケーキミックスと炊飯器をつかった子供でもできるものの予定。
そんなの楽勝でしょ。と思っていたところに冒頭の記事が目に入った。
見事な名作ぞろいだ。
そして、この作品群を見ていたら
生きてる! という言葉が浮かんだ。
だからタイトルは「僕らはみんな生きている」という言葉が一度浮かんだらもう忘れられなくなってしまった。
私のバナナケーキも、この作品群のように生きていると炊飯器が壊れるので
是非落ち着いた息吹のケーキになってくれると良いな。
先ずはバナナを手に入れてからだけど。
そして、この冒頭の大笑いリンクをうわ回るページを見つけたので
Facebookでシェアした。
泣なながら笑った。
怖い~~~と独り言を言いながら、一人で ギャハハと笑った。
サムネイルに表示されているパンなど、
口からドロドロと何かが流れ出ていて ほんと怖い。(笑)
目も怖いが、口から流れ出ているものに目を奪われ過ぎる。(笑)
名作ぞろいなので是非見て欲しい。
本当は、私も1つ1つの作品にコメントを書きたいのだよ。
1日1記事じゃなくても良いじゃん。
せっかく時間があるからさ。
ということで、料理について書きます。
たまには肉を食べようよ。と他のものも合わせて肉を買いに行った。
冷凍のお肉でも良かったんだけど、スーパーによって冷凍のお肉が得意なお店と、冷凍にはチカラを入れていないお店があって、この時は冷凍のパックは見当たらなかったので生の肉を買った。
茹で豚か、茹で鶏を作ろっかな~と思っていた。
肉はご飯と炒めて、チキンライスやトンライスにしても良いかな~とか
温野菜と一緒にドレッシングで食べてもいいかな~とか
豚ならシャブシャブ(茹でるでしょ?)でも良いかな~っとも思ってた。
ちょっとウキウキしていたんだけど、想定以外のお肉が安く売っていたのでそれを買ってきた。
手羽元だ。
手羽元の煮込みは得意料理の1つで、レシピなんて見ない。
なんも考えずにできる。
手羽元の煮込みとはこういったものだ。
しかし、私はこんなに綺麗に仕上げない。↓
まっ 煮込みでも良いか。と買ってきたけれど、
お肉を茹でると、それをスープにしたくなる習慣があるので
そうだ! スープをとろう! と後にスープの味の元になる味として薄味で茹でた。
こりゃあ このスープでラーメンを作りたいわ。というスープがとれた。
WP ChunによるPixabayからの画像
昔はこういったスープで時々沖縄そばを作った。
最近はしないけれど。
もう少し手を加えて、早速スープとして少し飲んだけれどめっちゃおいしかった。
そして、今はまだ薄味の手羽元は、お箸で身がほぐれるほどにして
温サラダにしてもよし、
チキンライスにしても良し。
ただ単にスープの具材として食べても良し(もうやった)。
肉は薄味だから何とでもなる。
やはり今回は濃い味で煮込まなくて良かった。
いつでも料理をしようと思えばできるし、今だからといって特別な料理でもない。
勝手知ったるものを作ってはいるけれど、今回の自粛が始まってからまともな料理をするようになった。
それは、滅多に買い物に行かないと決めたため、材料を計画的に使うようになったからです。
いつでもなんでも手に入る生活をしている方が、得体のしれない、記憶に残らないというよっぽどろくでもない食生活をしていたし、大した手間でもないのに、自分の食生活に手間をかけていなかった。
元々家で仕事をしているので
起床、就寝、服装については以前となんも変わらないけど、食事だけは非常にまともさを取り戻している。
ご家族の多い方や、お子さんのいらっしゃるお母さんは、ずっと台所にいるという声もお聞きするし、お子さんが家にずっといる夏休みと同じかもしれず
それはそれで大変だと思いますが、
私なんかはまともさを取り戻して楽しい範囲でとどまっています。
で、結局、心体に良い影響が起こっているわけです。
生育環境がHeavyだった方は多い。
私もなかなかHeavyだった。
そして、外ではそれを見せまいとしていたおかげで、度々「あなたは能天気でいいわね」とか「アナタみたいな苦労を知らない人にはわからない」と言われてきた。
希望通りに見事な仮面をかぶれていたんだな。と当時の自分の努力を自画自賛である。(笑)
自分が希望通りにしていたのに、辛さや悲しさ、怒りを(理解してもらえない)(わかって貰えない)とジレンマも大いにあった。
そりゃあわかって貰えないよね。一生懸命隠しているんだからさ。(笑)
しかし、これらも成長にとっては必要なジレンマで、青年期くらいまではこんなことをやって大人になっていくんだけれど、自分で自分を育てる意識がないままだと、このまま大人になり、最後までいってしまうことが多い。
大人になったら、自分で自分を整えていくことができるのでお薦めしている。
40、50、60.70になっても、いや80歳になって、このジレンマが爆発する方もいる。爆発して周りに当たり散らすケースもある。
自分を大切にするという意味や、自分の人生の捉え方を考え始める年齢は人それぞれだ。
生育環境の話など、それは白亜紀ですか?という程昔の話だが
それでも、長年ウチの母は変わらなかった。
白亜紀でストップして、今回ウチの母はこれで人生を貫き通すんだな。と私も期待や理想などとっくに手放して「どうぞお好きに」と思っていた。
なんであれ、貫き通すつもりならばそうなんだろうし、貫き通せる環境ならばそれを満喫したら良いよ。と。
母が目立つのでその時はわからなかったが、後々父もなかなかなんだと気がついた。笑
夫婦は傍から見ているだけではわからないものです。
その姿勢を子供の頃は批判していたし、なぜウチはこうなんだと嘆き悲しんでいたが、
批判しても嘆いても、切々と話をしても、何も変わらないことを嫌という程体験したおかげで、私も期待や理想などとっくに手放して「どうぞお好きに」と思うようになり、
なんと、後年私が大人になって私自身のカチコチ頭、カチコチ価値観が緩んできたらば「それが幸せなのかどうかは父や母の決めることだから、私からどう見えようが、私の好みは関係ない。」と、その人生を送る事にした母(父)の意志も尊重するまでになった。
例えばそれが、被害者意識を絶対に手放さない!というものならば、それも尊重したら良いじゃないか。という意味あいだ。
しかし、私との出来事以外の感情をぶつけられたり、肩車を強要されるような依存、足にすがりついてきてまでと感じるコントロールはお断りしてきた。
お互い好みの人生スタイルが違うのだから、めいめいそれを生きていく。
家族の必要な事はするけれど、なにもかもが自分の当たり前じゃないということだけは覚えて欲しい。し、私も覚えるわ。と こんな感じ。
こんなlightではなく、葛藤とか実際の軋轢とかいろいろあったんだけど
とことんケアしたため、そのおかげでこういった記事を書こうとしてももうどうでもいいので一々思い出せなくなってる。
そんな母も見事に変わった。
奇跡か? というほど激変だ。
ウチの母は非常に不安定で、自分の感情をとにかく家族や他人に見事にぶつけることにかけては殿堂入りできそうな名投手であったが
それも無くなった。
消えた。
消え去った。
現在のこのコロナ騒ぎになる前から、母と娘として会話が普通になっていたんだけど
今回の騒ぎで 内心(また騒ぎ出すかな~?)と思っていたら、母は全く動じていない。
昔のあれは何だったんだ?と思う程動じず 安定しており、感情の揺れもない。
全く揺れもせず安定している。
落ち着いたもんだ。
私は何もしていない。
今、私は、心体カウンセリング™ ・セラピーということをしているが
母には一切何もしていない。
完全にあきらめて「変えたい」とも思っていなかったので、なにもしていない。
(今では、何があっても 「そうだった。コレが母なんだ」と先ずは思う。)
遠隔とか、本人にわからないようにコッソリ調整ということは私は一切誰にもしないため、母にも勿論しない。コッソリしたことが無いし、これからもしない。
しかし、ここ2年ほどで
母は勝手にどんどん変わっていって、普通の人になった。
白亜紀から続く巨大台風が世界中で暴れまくって、その後熱帯低気圧になって、ついに消失したような感じだ。
相変わらず、巨大台風だった長年の記憶は無いようだが
憑き物が落ちたような激変だ。
ウチの母にとって、何が憑き物だったかを多分私は理解しているが
だからこそ、執着ってすごいな~ 良い方にそれが働くことがあると「叶える」という事に繋がることがあるけれど、裏目にでると人生のほとんどを自分を無くして過ごしちゃうんだな~と思っていた。
いや裏目に出るというのは私が勝手に下した評価であって、それも「本人の希望が叶った」ということでもあるから、裏目などと思うのは失礼なんだよね。
ということを私も長年かけて理解してきた。
これは母に限らず、誰にでも言える。
もちろん私もご多分に漏れずだ。
何事もいろんな面がある。
執着ってまるでいけないことみたいに言う方もいるし
煩悩って 無いのがヒトとして優れているかのようなイメージを持つ方もいるが
なんでも使いようだと私個人的には思っている。
そして、すでに人間の機能としてあるものを「無くせ」「無くすように修行する」と言うようなことは往々にして、それっぽく聞こえるし、それが究極の答えのような表現に変えて使っていらっしゃるケースが多いように(私が勝手に)感じる事があるが
それこそ、その「無くせ」こそ「0 100(ゼロヒャク)思想」じゃないのかな?なんて一人で勝手に思ってる。
もしこれが「0 100(ゼロヒャク)思想」ならば、おそらくこの手の究極の答えではないような気がする。
今現在の私が感じている「シンプル」とはこういった事では無い。「シンプル」とは「無くす」こととイコールではないようなイメージでいる。
そう、以前の私は、「自分の感情を感じないようにしたら楽になる」とか「抑え込みがコントロールだ」「律するとは=抑え込みだ」と思っていたので、それっぽく思える事や聞こえることを実践していた。
今はそれらが(ちょっと違っていたな)と思うけれど、以前はやっぱりこういった事だった。
この辺りの自分の力量は割と把握できているつもりなので、人さまを導くつもりなど毛頭なかったが、良かれとおもう「型」はあった。
その「型」は自分がやりたければやればいいだけで、自分以外にその「自分の良かれと思う型」をはめようとした時点で厄介な事になることが多い。
もちろん全てとは言わない。ケースバイケース。
この記事の中でも、良かれという行動。価値観、型が見えないその先で引き起こしている第2、第3のコロナ禍という事例を書いた。
今はこの話題が伝わりやすいから書いているが、第2、第3の「禍」というようなことは遥か昔からあり、多くの場合は、自分がその追突事故にあったときだけ気がつく。イヤだなぁと思う。
追突する側になっている時はなかなかわからない。心理学では「投影」をしてそれによる反応をしあう様もこれに含まれる。
が、その私が思う「良かれと思う型」を手放した時に
すでに人間の機能としてあるものと「共に生きる」「あえて使わない」「自分の生きやすいように共存の仕方を覚える」ということの意味が一層腑に落ちた。
あぁ、やはり意識と無意識は両方使う方が良いな。とか
自分の脳のクセや傾向を知る事は、結果自分に良いな。とか。
執着ってまるでいけないことみたいに言う方もいるし
煩悩って 無いのがヒトとして優れているかのようなイメージを持つ方もいるが
この辺りを直結するかのように(例 煩悩が無い=幸せ)理解される方も多いとおもうけれど、
それらが無くなったからと言って、幸せと感じるかどうかは別問題だとも思っている。
幸せなら、そもそもそんなことはどうでもよく感じるだろうし
それらが原動力でやりたいことを体験していく。人生を整えていく。という一面もあるだろう。
島倉千代子さんも歌っていたよ。「人生いろいろ」だって。
思考の迷宮に入ることも経験の1つだけど
そんなこと一切関係ねぇ なんて感じで、あっけらかんとHappyを味わう事も経験ではないだろうか?
そう、ウチの母が変わった。
こんなに変わるなんて。
もっと早ければとは思ってない。だって、一生同じだろうと思っていたくらいだから、変わっただけで十分平和が訪れた。
しかし、こんなことを書くようになった私も変わったんだよね。
自分が変わったという自覚があるもん。
ひとえに、Heavyだった生育環境の賜物だと思えるし、恩寵だったんだろう。
精神力が育ったし、考える力が育ったのは自分のためになってる。
幸せになったもんだ。(笑)
ホントつくづく有り難いと思う。
そもそも、今の状況下でこんなことが書けること自体、有り難いことこの上ない。
Heavyも体験しておくもんである。
そして、その後はちゃんとケアしておくという選択肢があるので、ケアはしておいた方が良い。
だから、今、とてもシンドイ環境の方も、後になってケアするという選択肢があることを知っていて欲しいし、
今現在、それをスタートすることもできる。
命さえあれば、いかようにもなる。
それほど心体カウンセリング™ というものは揺らぎなく存在している。
だからこそ、心体のケアをお薦めしています。
今はオンラインで個人カウンセリング・セラピーを行っています。