www5f.biglobe.ne.jp
上は、まだお会いしたことが無いのですが
私が一方的に、勝手に尊敬している松原先生の治療院のサイトです。
キネシオロジー「も」利用されています。
「も」と書きましたが、かなり専門性の高いキネシオロジーだと、(これまた勝手に)理解しております。
私は現在門下生ではありませんが、松原先生は流派というか、ご自分の団体以外の方にも サラッと情報をシェアしてくださるので助かっています。
松原先生のFacebookの投稿でシェアされている情報の中身を全部拝見していないという有様ではございますが(栄養などの方面の専門的なシェアも多く、私が読まずに過ぎてしまうことがあるのです)
今回のそれは、サムネイルなどがなく、その内容がわからないけれど、松原先生がシェアされている情報について予感でもしたかのように久しぶりに ポチっと押したら、
非常に示唆に富んだ内容が現れてビックリでした。
それがこちらです。
↓
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj1968/34/2/34_2_11/_pdf?fbclid=IwAR3JspCQD9VfWs9HlAI8XeZmnCberDUuW7CE1_h3JLHNCezRYZUCfk2aFbY
進化心理学と書かれていました。
まさに!
という気持ちになりました。
こりゃスルーしてしまった、松原先生がシェアされている情報も拝見しようと思いました。
まさに!
と思ったのは、今ホームページのコラムのコラムの下書きに入れている記事に
「発達障害」というネーミングをするから、多くの方は「治す」と思われると思うのです。
というようなことを書いています。
方法、アプローチを変えたら、発達の障害が起きていると認識されている脳の部位?を、別の脳の領域で代替できたり、その代替領域を発達させて、
新しい脳の働かせ方を身につけていくという事の方が長いその先に暮らしやすくなると思うんですよね。
生活の仕組みをオーダーメイドで考えるという事は既に取り組まれていますが、
そこに、ストレスケアを組み入れたらもう少しご本人も慣れない変化へのネガティブをケアできるんじゃないか?ということです。
(と、ホームページのコラムに書くつもりのことを書いてしまった)
その際に、発達障害というそもそもの捉え方ではなくて、
人間の脳の「進化形」と考えた方が視野が広がり、新しい視点が得られるのではないだろうか?
ということなんです。
「治す」という認識を変えると言うのはこう言う事です。
こういった考え方はすでに取り組まれていますが、変化の時のストレスをケアする大切さを取り組みに関わっている皆様が「ご自分のストレスケアを実際に行って、いかに楽になるかを体感をされる」という事が大切なんだろうな。と思っています。
理論だけじゃなくて、実際に体感された方が、体感されたからこそ生まれる発想があると思うんですよね。
ということを丁度考えていた時に、松原先生の「進化心理学」という情報のシェアを拝見したものですから
やっぱり!
となったのでした。
また、私がファミリーサポートを通じてお子さん達と数時間ずつでもご一緒して思うのは、
やはり特徴も、その子に合った(大人でも同じです)対応方法って画一的じゃないので、丁寧に特徴を理解していく余裕が大切なのでしょうね。
そうなった時に、こちらの論文のジャンル?が「科学哲学」というところがまた う~む と思えました。
今は「脳」や「体の動き」ということが切り口になっていることが多いように見受けますが、「哲学」ということになると もう大宇宙が広がり、発達障害と表現される状態について、治療、施術、ケアする側の中心軸のようなものもとても大切ですね。というおことがなおざりにされない感じがします。
しかし、やはり多くの場合はそういった余裕が大人の側に無いんだと思います。
それは組織的なことや、社会の仕組み的なことが大きく影響しているとも思えています。
発達障害の場合、「強みを伸ばそう」ということが得に強調されやすいですが、
それも大切ですが、
- 日々の生活のしやすさ
- 自分流に生活をこなしていけるようになる
- やらない方が良いことがあるのなら、それも理解する
というような、誰しも通る道、「折り合い生活術」「高い壁迂回生活術」「困難の隙間すり抜け術」のようなことが進化心理学の中に一層反映されると良いなぁと思っています。
ですから、発達障害ということなど関係なく、誰しもが身につけていても良いのではないか?という「術」ですね。
非常に現実的な毎日の生活に則した工夫です。
確かに、状態によっては自制心や新しい行動習慣を身につけることは非常にハードルが高い時があります。年齢問わず。特性上難しい時が。
ということなどが簡単ではなくても、新しい視点と取り組みによって「生きやすさ」が共有できると良いなぁというのは理想ですが願いでもあります。
最後に、今日書いたようなことは私が個人的に考えたことで、
リンク先の論文の主旨は各自お読み頂いて理解して頂けるようにお願いいたします。
ということで、ホームページのコラムに書こうとしていたことを大かた書き終えました。