takedamiki-j.hatenablog.com
上の記事の続きになりますが
チャンスについて書いてみたいです。
1つの出来事に対するチャンスは1度 という法則を信じている方も居れば
1つの出来事に対するチャンスは運が良ければ2度ある という法則を信じている方も居る。
こういったお説を読んだことがあるし、聞いたこともある。
私の場合
チャンスは日々刻々と目の前にあるとは思うので
無尽蔵にチャンスはあるとは思うのですが
1つの出来事に対してはそう何度も無いのかもしれないと思っています。
「チャンス」をどういう意味で使うのか?という定義も関わってきますね。
1つの出来事に対するチャンスは1度だけというようなルールを信じても居ないですが
そう何度も何度も来ないような気もする。
分かりやすい例を考えたときに、オーディションがわかりやすいかな?と思えた。
オーディションというものはあちこちで行われていますが
一人の女の子(男の子でも良い)が瞬間最大風速のような何かしらの後押しを得られるかのような絶好のオーディションを受けられるチャンスが「1つの出来事」というような意味合いなつもりです。
幸運に感じた事を、
「また次の機会があるから良いや」と思って見送ったとして、
確かにまた別の機会はあることが多いです。
上の例で言えば、
「第3回 ◇◇オーディション」は1回しかないが
第4回 ◇◇オーディションがある(と考えている) というような意味です。
2回チャンスは無い。という例を挙げると
- 第4回 ◇◇オーディションが開催されない
- 社会の風潮、流行で採用基準が変わった
- 自分と同じような方が第3回で選ばれたので、目新しさを第4回の採用方針にされた際に対象から外れた
- 心体の状態が変わりオーディションに参加できなかった
- 生活が変わり、オーディションどころじゃなくなった
などなど
「次回で良いや」と思っていたことが、その「次回」が無いということが、1つの出来事に絞ると可能性が高くなる時がある。
しかし、「第4回 ◇◇オーディション」にこだわらないのなら
どこかに合格するまで、または、合格しなくても活動できるような場を得られるようなチャンスを得るまで、応募するというチャンスはある。
「諦めなければ夢は叶う」とか
「叶うまで続けたから叶う」というようなことはチャンスを掴めるまで続けたというか、そのチャンスを自分で形成したというか。
それでも、続けたらすべてが叶うのかは私にはわかりません。
文章を書き続けていたら「直木賞」に選ばれるとも限らない。
しかし、自費出版のバリエーションも増えた今、本を書いて世の中に出すことはできる。
しかし、「直木賞」に選ばれるのは、続ける才能以外にも、魅力ある文章を書くという才能も必要だろう。
それに、年齢や、期日など、もともと制限が有るものについては
「続けている」という年月が効力を発揮しないことだってあるでしょうし。
ですから、1つの何かに執着というか、こだわることも1つの生き方だし、
それ以外のチャンスを活かしていくのも1つの生き方ですよね。
私は自分の手元に来た選択肢をなにか選んだら
とりあえず最善というか、やれることはやる。という感じです。
その先は、自分の想像以上の展開をみせることもあるし、例えそれが上手くいかなくても「凶事は吉事」みたく非常に勉強になったりする。
損得はその選択肢が手元に来た時に想像したって、大したことは分かっていないことも多かったので、損得よりも、「やってみたいかどうか?」「興味があるかないか?」で選択した方が、結果はどうであれ私個人は自分が収まりやすいです。
損得でいろいろ選択して、年月が経った先の将来になにかと「こんなはずじゃなかった」とご苦労されている方も社会生活の中で拝見したことがありますので、
チャンスが何度くるのか?というような 有るか無いかはっきりしない法則について正解はしりませんが、
「自分が良ければそれで良いんだな」というシンプルな言葉を(深いな~)とも思うものの
「自分が良ければ」のその意味を自分でどう設定するのか?
がわからないケースが多いんだろうな、とも感じた。
自分がなにをどう感じて、どういう傾向なのかがわからないということが、捉えにくいのだろうと思っています。
学校でも会社でも、両親も友達も教えてくれないこれらについてちょっと考えてみる時間を人生に設けても良いと思っています。