これを書いている本日、まるまるOFF day。

なんにも考えず、ポケ――――っとしていましたが、そろそろ治療体験記 後日編を書こうかとをPCを立ち上げました。後日編として書くことはもう少なくなりましたので今日がシリーズラストかな。

入れるより抜く 足すより引く

禁止より、耐性アップ

実は、本間先生ともペチャクチャとお喋りしたことってないです。多分、治療を受けた際にマンツーマンになったことはあるけど、それでも大量には会話しないし、ましてやそれ以外に二人でお話したことって記憶にないです。

どう思う?というようなナニカについて質問をされた時には、私なりの答えをお伝えしたりしたこともありますが、それはお喋りではないんですよね。

あっても、すぐ思い出せないほどちょっとしたことだと思う。

そして、松原先生は初対面でしたし、松原先生はもともと沢山お喋りになる先生ではないとのことなので、いろいろ書いていますが、先生との会話自体は少量。

 

ですから、他人様の考えて居ることは分からないという意味もあり、先生方の本心や信念、嗜好については詳しく存じ上げません。が、その瞬間のご意見についてはその時の私の理解や推測はしているようなつもりにはなっています。ヒトは時が経つと変わることがありますから、あれこれと決めつけないようにもしたいと思っています。

 

で、松原先生とちょっと好みが似ているのかな?と感じた事を書いてみたい。

違っていたらすみません。

 

それは「禁止より、耐性アップ」ということなのです。

 

私の場合

他のサイトに書いた過去のブログや、ホーム―ページのコラムにも書いているのですが、私に基本「禁止」というような事は強く書いていないつもりです。というのも、私自身が「ダメ!」「禁止」と言える立場にいない。例えば、牛乳も砂糖も、お菓子も減ることはあっても止めてない。

疾患で禁止されていなくても、自ら栄養や食べるものに厳しく制限できる方っていらっしゃいますよね。行き過ぎると強迫症みたくなる時もあるようだけど、でも厳しく制限できるって凄い。私にはできない。

この辺りが非常に大雑把なので、気にしたらキリがない。と直ぐにラクな方に流れちゃう。

禁止を増やしていくことが非常にストレスなんですよね。ルールをどんどん増やしていって、それを守ることが「良し」とする傾向や、どんどん複雑にしていって、その複雑を守れる方・やりこなす方が優秀というような不思議な思い込みというか、意味合い変換習慣みたいなことって思いのほか多いような気がしています。

 

それが本当かどうかは今は脇に置いておいてください。

あくまでも私個人の意見なので。

 

そして、私はそれらが苦手なので、

噛む力!

何を食べても大丈夫な胃!

消化力!

排泄力!

こちらが活発でいて欲しいと思い続けてきた。

そのためには特に何もしていないのでDNAに感謝しています。

 

しかし、思い込みではカバーできないこともあって、噛む力が強いんだ!と勝手に思い込んで堅いものをじゃんじゃん食べてました。堅いものを食べて歯と顎を丈夫にするんだという勘違いもしていた。ところが、遺伝的に歯が薄くて、長年の勘違いによって摩耗してしまって、私の勘違いに耐えて頑張り続けてきた歯のダメージがついに表出してきました。

申し訳なかった。

今はまだ修正しながら自分の歯で生活していますが、その内「差し歯」というもののお世話になる日が来るかもしれない。思い込みが逆の結果を出しそうで、ホント頑張ってきてくれていた歯に感謝しています。

 

と、まぁ こんな勘違い(歯が強いからいくらでも堅いもの食べてOK)をしつつも、

身体元気! なら、心も元気!

みたいな感じで、あまり繊細に考えずにサッパリと生きていけたら良いなぁって思っています。

 

経年による身体の変化もそれなりにいろいろありますが、ストレスケアをして、いろんなことの耐性を持っていたいなと思っています。

我慢強くじゃなくて、免疫部門に丁度いい感じに活き活きと働いていて欲しい。

禁止を増やすんじゃなくて、免疫部門に丁度いい感じに活き活きと働いていて欲しい。

 

そして、どうやら松原先生も「禁止よりも、免疫アップ!」傾向をお好みだと認識しました。

 

余談

歯医者さんが、「コロナ」のストレスなのか、酸性のものを飲食(酸っぱいものや酸味でスッキリ感を味わいたい? ビタミンを取らなくちゃと酸性を急に摂取した?)する方が一気に増えて、歯が溶けている人が増えたっておっしゃっていた。

リンゴ酢を飲もう!とかフルーツ酢を飲んでクエン酸摂取!とか流行りましたよね。

歯医者さんもモロに世相を診るんだな~って思いました。

 

入れるより抜く 足すより引く

というような流れを基本として、書き進めます。

 

私が煩悩トラップと表現するようなことは多くて、

  • 占い
  • カード類
  • メッセージ云々
  • スピリチュアル系のあれこれ
  • パワー〇〇
  • 修行思想 他書ききれない

等があるんですね。私もこれらを体験済みだし、あくまでも私の感覚でしかありませんのでお好きな方は機嫌よく利用したりやったりして欲しいのですが、部屋の断捨離はしても、想念のルールがどんどん増えていることもある。

 

だから、という言葉もおかしいけど、個人的に気付ける範囲、出来ることから「煩悩トラップ」を一掃してみた。

なにかをしないと不安。何かを持っていないと不安。身に着けていないと不安。なにかを(例:スピリチュアル系のルール)守っていないと不安。不安だから「〇〇すると良いよ!」というものを増やしていく。

なにかをして、自分の疑似安心(これも煩悩トラップとカウントしています)を対価として得るというそのルールを一度やめる。

という無限ループから一旦抜けてみた。

(でもストレスケアはしていますから、この「ストレスケアをする」というループにはまだ居る。)

 

潜在意識に願い事を入れていくのではなくて、潜在意識が反応しているとされている「ストレス」をケアをして「抜いていく」。

musikingによるPixabayからの画像

 

ルールも増やすんじゃなくて、減らしていく。

脳に入れるよりも、脳から抜く。ストレスケアをする。

 

あくまでも私個人は、こちらのシンプル化方式にシフトチェンジしたら楽になった。軽くなったし、あぁ幸せ!と思う時間が増えた。個人的に非常に相性が良い行動変容だった。

 

生まれて、今に至る間に、いろんな雑念も思念も知識も情報も概念もアレヤコレヤと脳内・心に増やしてきた。

そして、もし今日現在の結果生きづらいならば、やり方を変えて、それらを減らしてみるのも一考でしょう。

狂気かぁ

私が、これは非常に的を得た言葉だな~と思うものの、この言葉の意味を各々が自分のこととして当てはめることは非常にハードルが高いと思うアインシュタインの言葉。(伝聞)

 

” 同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと。それを狂気という。 ”

 

囚われですよね。それがMyルールかも知れないし、概念かも知れないけど。

私は煩悩という言葉の正しい定義や意味を理解していませんが、私のニュアンス理解では、囚われとは「煩悩」でもあるんでしょうね。

 

私がシフトチェンジしたということが気のせいじゃないのなら、狂気から覚めて正気を得たともいえるのかなぁ。

しかし、狂気からまた別の狂気へと横スライドすることって多いんですよね。多分、その狂気と言われるような、煩悩と言われるような状態に何とも言えないお馴染み感があって心地よいと感じるんだろうと思う。

John HainによるPixabayからの画像

 

やり方が悪い? やり続けていることが悪い?

度々引き寄せの法則を持ち出して、引き寄せの法則業界の方には申し訳ないのですが、伝わりやすいので今日もご登壇頂く。

 

引き寄せられない。思い通りに行かないのは(引き寄せの法則を)ちゃんとできていないからだとか、上手く出来ていないからだと言われたら、「何が正解?」「どうすればいいの?」と身をグッと乗り出すのが人情。とこちら ↓ に書いた。

治療体験記 後日編-2 煩悩で煩悩を制す?

 

で、結果、引き寄せの法則沼に数年入る。

 

悪いと書いていないです。人生はお好みで、そんな「沼期」って誰にでもありませんか?

アインシュタインによると、(どうも上手くいかないな~)と思って、引き寄せの法則沼にどんどん入っていくことが狂気ということになるようだ。ビギナーズラックみたいにちょっと成功感を味わうともっとのめりこんだりしません? 全部は叶わないけど、ちょっと叶っても、次こそは!とのめりこんだりしません? 引き寄せの法則じゃなくても生きていたら普通に起こるラッキーでも引き寄せの法則を信じたいとそのせいにしたくなったり。

 

沼期も様々なので、あまりに上手くいかなかったら一度離れて、その行動をやめてみるということも一考かと思います。ヒトには様々なタイプと相性があるので、引き寄せの法則と相性が悪いってこともあるかもしれないから。

 

そして、引き寄せの法則にあまりに傾倒していって、いまいちならば、それは「ギャンプル」にちょっと似てきちゃう気もする。引き寄せの法則依存みたいな。

法則って名前がついちゃうと、それがギャンプルに似ているなんてこと気づきにくくなっちゃうけどね。

PeggychoucairによるPixabayからの画像

 

がしかし、「人生がギャンブル」って考え方もあるから、これもまた入れ子の箱みたくなっちゃうし、そう表現したい気持ちもわからないでもないから、この辺りは難しいんだけど。

 

ようするに 主体をどこに置くか? ってこと?

なにが書きたいのかわかりづらかったですか?

申し訳ありません。

 

書きたかったことは、主体をどこに置くかってことかな。

人間なのか。

ルールなのか。

 

人間を主軸において物事を組み立てるのか?

枠の中、ルールのなかの人間として、それらに人間を合わせていくのか?

 

ってことかな? と考えてきたつもりです。

確かにどっちもあって、バランス問題かと思うんだけど、大切に思うところが「主」というか「軸足の置き方」というか。

 

私はいろいろな変遷を経て、目の前の人間に意識を向けたいと思うようになりました。

好きな方もいる。

好きじゃない方もいるかもしれない。

キライかも知れない。

相手も同じく。

 

しかし、人間はさまざまなので、なにかに当てはめるのが「主」ではなくて。

 

よく言われている、病名に当てはめるのではなくて、状態を見るというような意味合いのつもりです。この病名のところが、「法則」でも良いし「教え」でもいいんだけど、こういった事も本人の隠れた信念と相似形を成しているとも言えるのかな? フラクタルって言ってOK?

 

そうするには、そもそも私自身も「主」とか「個」という感覚を大切にしていた方が良いみたい。理由は先ほども書いた、「こういった事も本人の隠れた信念と相似形を成しているとも言えるのかな?」とうっすら感じているから。

 

乱暴な表現かもしれないけど、どのみち頑張らなくても元々いろんな物事と融合しているし、共有しているんだから、人間として生まれたんなら「主」とか「個」という感覚とそれらのバランス感覚ということをレッスンしてみるのも良いかなって思ったりします。

 

教えに従う良い子。それが優秀だ。も価値観だし、「主」とか「個」という感覚とそれらのバランス感覚をレッスンしてみるのも価値観。

 

そのバランス感覚のなかに、「主」とか「個」の「免疫力、機能が健康的に働く」も含んでいるつもりなんです。

そういう意味での、「免疫力、機能が健康的に働く」ための「抜く」「引く」「シンプル」という感覚なんだけど、伝わるように書けているかな?

どうかな?

 

何度も書きますが、今は以前の自分よりシンプルなだけで、もう散々煩悩トラップに見事にハマって、抜けて、ハマって、ハマって、抜けて、またハマって・・・みたいなことをやったからこそ自分の内面が分かったことって多い。

ここも禍福は糾える縄の如しなんですよね。

 

生きている間はもうこれの繰り返しだろうと思うんですね。あの手この手でトラップ(失礼、出来事と訂正します)が現れるかもしれないし、もう現れないかもしれない。なにがどうであれ、生きていくってことです。

その時に、免疫力、機能が健康的に働いてくれると嬉しいです。

 

禁止。型に入る。に注意を向ける大切さも確かにあるけれど、活き活き! 活性!みたいな感覚や感性も大切にしたいなって思ってます。

 

そういう意味で、違う例を書くなら

陰謀説に傾倒するより、今生きてる素晴らしさを感じたい。気持ちのいい方とのコミュニケーションに感謝したい。

善意や朗らかさに注目したい。

 

こんな感じです。

 

引き寄せの法則が本当に機能しているのなら、これらが引き寄ってくるはずですしね(^^)

Alisa DysonによるPixabayからの画像

 

念押し

あれこれ書きましたが、私の得意な「話題の枝葉が大きく広がった」結果となりました。

誤解の無いように念押しに書きますが、松原先生との共通点のように感じたのは「禁止よりも、元気(東洋医学の「正気」)を大切に」ということじゃないかな?

というところです。

 

治療体験記 後日編も今回で一旦書き終えた気がします。

いろんな気づきがありました。自分なりにまたいろいろ考えました。文章にしました。

松原先生ありがとうございました。

また次回お目にかかれるのを楽しみにしています。

 

今後もまた日々の生活の中で書きたいことがあったら記事にしますね(^^)

お付き合いありがとうございます。