Facebookにこの投稿をしました。

 —–

 

夕方(さっき)、小学生低学年の彼が、凄く優しい目でこちらを見てる成人男性とアイコンタクトしてるのに気がついたので、
「知り合い(じゃないと思いつつ)」と小さな彼に訊ねたら
「オレ、イエス様を見たかと思った😳」と答えた。

 

エス様かと思った成人男性も、小さな彼もどちらも西洋の顔立ちなので、イエス様論も確かにそう見える。

 

優しい目のイエス様にみえた成人男性がボロい服を着てるように見えたらしく、益々イエス様に見えたそうです。

 

しかし、その成人男性はとても上等な真っ赤なピカピカの車を運転してたんですよね。
それもまた、彼の注意をひいていた。

 

とても上等な真っ赤なピカピカの車を運転していた、ボロい服を着たイエス様。

 

小さな彼の話を聞きながら、私はものすごく大きな声で笑ったんだけど、それは馬鹿にして笑ってるんじゃなくて、
とても良い話だなぁ、なんて素敵な「いまここ」なんだろうか❣️という喜びの笑い声のつもりでした。

 

平和と愛を感じた。

 

私の友人達も場所は違えども時々同じようなこと(イエス様を見たかと思った)を言うし、私も一度その場にいたこともあったが、確かに似てた(言いたいことがよく分かった)。

 

こんな話も小さな彼に伝えて、
「イエス様はあちこちに姿を現わすのかもしれないね」なんて世間話をした。

今日も幸せだ❤️

 

※これは宗教的な話のつもりはないのですが、不快に思う方がいたら申し訳ありません。

 

—– ここまで

 

そして、この話題と関連して、以前ホームページのコラムに掲載した下記の記事をご紹介したい。

 ↓

kinesiology.wp-x.jp

 

見たいように見ている。ということに

良いとか、悪いとか、

ファクトとか、オピニオンとか

そう言った事を大切に取り扱う時もあるが

Facebookに投稿した小さな彼をみて、バランスを崩していると思う方は少なくて。大抵微笑ましく感じるような気がするが

大人がこのケースとはちょっと違うものを「見た」「聴いた」というと

途端に

良いとか、悪いとか、

嘘とか、本当とか、

ファクトとか、オピニオンとか

観える人だとか、ヤバい人だとか

 という話に繋がってくる。

 

特に自分の何かしらの興味(好き。も、嫌い。も興味だ)に抵触してくると

私達は反応をしはじめる。

もちろん私自身も反応しやすいジャンルがある。

 

そうなると結局(なのかどうなのかと今一度考えてみても楽しそうだが)

「程度問題」であり

「自分の許容範囲、受容範囲」が判断材料であり

「センスの相性」なんていう全くもっておぼろげな着地点が向こうの方に見えてくる。

 

 

バカボンのパパの名台詞をお借りするならば「それでいいのだ」だし

ある種の脳のタイプの方は良い悪いがあるだろうし、0(ゼロ)か100(ヒャク)かのどちらかになるのでしょうね。

 

 先ずは、ご本人が生き易いか?、生き辛いか? と言うところから出発するのが大切だという捉え方を今の私はしています。

 

 

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