今日は神様が私の目に触れさせてくれた

絶好の書籍をご紹介します。

 

 

破婚: 18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間

破婚: 18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間

 

 

なにがどう連鎖しているのかというと

「与えちゃいかん」というようなケースとして

 

ホームページのこの(↓)コラムの

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この部分から文章を先に展開させていきます。

 

私が実際に見たケースでは、「たかり」ということが当たり前で、ヒトが自分に時間、お金、愛情、肉体を奉仕するのが当たり前だという認知を持った方が

「もっと与えてよ。無償の愛ってあたえるもんでしょ? あなたには無償の愛が無いの?」と発言したケースがあった。

愛という言葉を使って、あなたの愛はそれだけですか?と試しつつコントロールするわけだ。

 

別の例では、これと同様な思考がありながらも、口に出さないケースもある。

暗におねだりするような場合は、自分は求めてないが自分より下の相手が捧げたという形にこだわる不思議な勝ち負けゲーム愛好者も確認したことがある。自分が上なんだということを死守したいコントローラーだった。

自分は求めていないというスタイルで、相手に提供させるのが「勝ち」らしい。欲しかったくせにしぶしぶ受け取るというフリをする。

どちらのコントロール欲も常軌を逸していた。

愛(という名の物資、快楽)とは与えられるものであって、自分にはその価値があると思いたいのは分からないではないが、私はあまり個人的に親しくはなりたくない。ーコラム「救いを求める時。救われたいと切に願う時。」から抜粋

 

そう、この部分をもっと詳しく書きたいと思いつつ、

書くととっても長くなる。

私の体験記を書くと「それって被害妄想じゃないの?」ってなことにもなりかねない。

 

真実を書けば、それがニュアンス通りに受け取ってもらえるとも限りません。

 

ここである。

 

どこまで、どう書けばいいのかわからないけど、

やっぱり具体的な話を知って頂くと

「人間のふり幅」が理解して頂きやすい。

 

それを、職業が物書きの方が書いていらっしゃる。

 

是非この本は読んで欲しい。

 

 

ホームページのコラムに詳しく書きました。

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嵐から避難したあとの私の顔は当時こうなった。

 

自分の限界も知ったし、良いように(ポジティブ)に理解することと、真実(起きている出来事に勝手に意味をつけたり、認知バイアスを過剰にかけずに)をみることを混同しない大切さも学んだ。

 

 

 

 

 

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もう何も言う事はない・・・・。

 

 


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