プロセスを聞いている。私は話を聴いている時になにをしているのだろう。

 

タイプ分けを否定していない。その理由は根本的な目的の違い。

カラータイプ分け

マヤ暦

数秘術

これ以外にも世の中にはいろんなタイプ分けがある。

 

否定もしないし

それがストレスケアに繋がる方もいるだろう。

 

私はそれらを利用しないと度々書いていますが、

どこが大きく違うのかな?と改めて自分を振り返ってわかった事があった。

 

 

分類された結果はあまり私には役に立たない。

チャートに従って現れた反応をバランス調整する手法にも大きなチカラを注いでいない。

 

私がなぜ対話を重視するのかと言うと

ご本人の思考のプロセスという流れを確かめたい。

話をしているクライアントの、

思考の展開、どのようにシナプスが繋がっていくのか?を聞きたいからです。

 

 

それはタイプ分けではわからない。

 

自分以外の脳内展開は聞かないとわからない。

そうなんです。思考の展開をお聞きしています。

 

だから、

・占わなくても将来を予測することと(それが割合当たるので 予知能力があるの?見えるの?と驚かれる事もあるが、あくまで自社データによるパターン予測である)

・ストレスケアのために他者の思考の展開を聴くのは

私も使っている脳の部位が違うし、使い方も違う。

 

 

それこそクライアントの話を聞いて

その思考展開を聞いて私のシナプスを繋げていくのは

そのクライアント専用の立体的な脳内地図を創ることと似てる。

 

オーダーメードだから、既にあるタイプ属性を知るのとは目的が全く別なのです。

f:id:takedamiki-J:20190329165221j:plain

専用地図を創っていく

 

時間や空間も併せ持つので、

クライアント専用の脳内次元を作成してるとも言えるのかも知れない。

 

 そこに「立体」「多次元」という感覚が自然に伴っているのは想像力の領域だと思う。

f:id:takedamiki-J:20190329165213j:plain

3D以上の、4D、5Dのような気もする

 

質問はしますが、正しい答えは存在しない

だから、

間違いを探すという視点で聴いているわけじゃない。

 

正しい答えもない。

 

次に何を質問しようかと思いながら話を聞いてるわけでもない。

 

専用地図を創るために不足している、話の中に登場しない箇所を聴いているとも言える。

 

 

 感性は様々ですね

世の中が

音で感じられたり

色で感じられたり

数字で感じられたりするタイプの脳があるらしい。

 

私の場合は、

パターン、図形というもので世の中が見えているのかもしれないと最近思うようになったけど、そうだとしたら、それはおそらく後天性だとは思う。

その後天性の特徴であるパターンや図形へと繋がる、ヒトの社会の出来事を記憶して、分類するということに関しては先天性なのかも知れない。

 

 

ただ、私の自社データによると

ゆっくりでも、確実にストレスケアをして進んで行く方は

地に足がついてくる。

 

慌てる場合は

足踏み期間が長くなったり

フワフワしてくる。

やってもやっても地に足がつきにくい。

 

こんな傾向が感じられる気がする。

 

時間感覚もヒトそれぞれなのであるが

そういったことも何となく感じていたことが学習することで理解が一層深まった。

 

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正しい生き方の追及ではなくて

あなたのストレスケアをサポートして、

負担を減らすという事を最優先しています。

 

生き方の模索は、ストレスが減って、落ち着いてから考えた方が自分に合った選択ができるようです。

 

 

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間違ってない。大丈夫。

 

正解を求める生き方

正しい生き方をしようとする。

 

すると、当人にとっては

(当人の思う)正しいこと以外は間違いなのか?

 

 

すると、

善か悪か?

正しいか間違っているか?

ゼロか100か?

 

この辺りをことさら気にする習慣が生まれる。

 

一方、精神論ではなくて、元々こういった考え方をする脳のタイプがある。

認知バイアスと言ってもいい。

 

こういった脳のタイプ(認知のタイプ)は

思考の際に、脳内に(イラストにあるような)線が引いてあってどっちかに振り分けることを好むし、こういった説明の方が理解しやすい。

 

元々の傾向として、「様々なタイプ」「様々なケース」というグラデーションは

考え方として想像しにくいようだ。

 

 

f:id:takedamiki-J:20190330105849j:plain

二極思考

おそらく、当人の思考(脳、認知)タイプでは想像力ということの優先順位が低くて、「区別する線の右か左か」「決まり」「ルール」ということが優先されている場合もあるようだ。

「区別する線の右か左か」「決まり」「ルール」に当てはめるという方が理解しやすいようだ。

 

だから、「そう言う考え方じゃないんだよ」「それは二極思考だよ」と伝えても腑に落ちにくい。

 

「二極思考だと言われた」という記憶はあっても、

「だから?」「どうしたらいいの?」「どうにかする必要あるの?」と感じたとしても無理はないのだろうと思う。

 

それによって、目に入ってくること、耳に入ってくることに、「そうじゃない!」と反応している自分にストレスがあるのか無いのかもひょっとして感じにくいのかもしれない。

 

興味の対象、反応の対象が「自分の外」に絞られていたらなおのことそうだろう。自分のストレス反応に気づくのは遅くなる。

 

優先順位が「自分の目(耳)に飛び込んでくるものへの反応、反射」の優先度が高いからね。

 

二極化思考で生きやすいのならいいじゃないか

多くの場合は、

悩みつつ、迷いつつ、試しつつ 自分と他人との相違体験を積み重ねて

自分の価値観を作り上げていくんだろうけど

価値観を作り上げていくと言う長いスパン(これを人生というのかもしれませんが)で考えることを

正しさ、正解だけにこだわると

プロセスではなくて結果のみを気にするクセがつくのかもしれない。

 

すぐに結果が欲しい。

失敗が許せないから、正解を先に知りたい。(価値観を作り上げていくプロセスという視点がないと、ただ失敗として処理される)

体験するという時間をショートカットしたい。

 

 

こういった考え方もご本人が生きやすいのなら良いも悪いも元々ないのだけれど

二極化思考の場合の多くの場合は、自分の価値観にあわないものに苛立ちを感じているように見受けられる。

 

相手(社会)に苛立ちを感じているのを自覚していないケースもあるし

自分を罰する方向に矢印が向いていることもある。

 

結局のところ、自分の生きやすさの幅を狭める結果になっていることがあるんですよね。

 

 

これもひっくるめて、行ったり来たりしながら生きていくんだろうと理解しています。

 

 

逆に、自分とは違う正解に違和感を感じて苦しい方もいる

二極化思考の方に影響を受けすぎて

相手(家族、他人)との関係でなにかと「自分が悪い」と思い込んでしまうことがある。

 

どこかで

「私が本当に悪いの?」と小さな疑問の声が上がっていても

他者(家族、他人)からの影響の方が強いと、その小さな声など吹っ飛んでしまって

(なんだか生きづらい)と思いつつ、相手の「正解」に必死に合わせようとしてしまう。

 

そしてだんだん疲れてくる。

 

そんな疲れの中でも、

「やっぱりこれはおかしい! おかしいと思う私は間違っていない!」と

吹き飛ばされていた自分の小さな声を取り戻すことがある。

 

 

間違ってない。

私は大丈夫。と思えました!

 

 

ホームページのコラムを読んで下さった方が感じたことを教えて下さいました。

 

私は記事を書いていてよかった。と思えました。

教えて頂いてありがとうございました。

感謝しています。

 

  

自分に明らかな間違いがあったとしても、

その経験がそのあと自分の血となり肉となるのかも自分次第だと私も経験をしてきた。

 

 

世の中の悩みは大きく分けて◯個。

と、◯の中に数字がいくつか入れて紹介されていますが、

バリエーションはヒトの数ほどあります。

 

ですから、

「正解」と伝えられているようなものが

そのままあなたに有効とも限らないことがあります。

また別に、あなたの「正解」を負担に思う方もいるかもしれないということもほんの少し考えてみてください。

 

そんな時に想像力をつかってみるのも素晴らしい方法だと思います。

 

個人差について

 

統計データで安全だと理由をつけられて作られた薬も、合わない方もいますでしょ?

 

そんな事が、価値観や人生観にもあると思います。

 

自分以外の考え方や価値観を鵜呑みにして、アレ?おかしいな?と思ったら、吐き出したら良いんです。

鵜呑みにしたことを間違いだとするよりも、気がついて吐き出せたことを喜ぼうじゃありませんか。

 

それに、

吐き出してスッキリしたら

自然と、私は間違ってない。大丈夫って感じるような気がしますが

皆さんはこれまでどうでしたか?

 

私も含め、

色んなことが発信されていて

情報量は物凄いことになってます。

 

頭だけじゃ無くて、自分の感じ方にも少し注目してみて下さいね。

 

自分の本音が聞こえなかったり、

自分の声が小さすぎて吹き飛んでしまいがちな方はどうぞセルフケアも生活に取り入れてください。

 

kinesiology.wp-x.jp

 

 

自分ではなかなか気がつけないけれど、不調が続いてる方は個人セッションが適しています。

 

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人生の玉突き事故 巻き込まれていたら一旦抜けてみよう

 

慣性の法則からの脱出

悩みや苦しみは関係性から生じますでしょ?

 

生まれてから死ぬまで誰とも関係を持たずに、たった一人でいたら

比較地獄も起こらない。

ナニカの規範に反するとか、反しないとかなど迷いも葛藤もないし

正義感すら持たないと思う。

承認欲求も起こらない。

 

しかし、社会に存在するから関係性が発生し

そこからさまざまな体験が起こります。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

kinesiology.wp-x.jp

この「救いを求める時。救われたいと切に願う時」について記事を書いた後に、

血の呪縛のように感じることってまるで玉突き事故と一緒だな。と思った。

 

f:id:takedamiki-J:20190322152130j:plain

玉突き事故が起きていることに先ずは気がつくこと

世代間連鎖ってそういうことでしょ?

どこかから玉突きが生じたわけです。

 

0(ゼロ)が1(イチ)になった時があって、

その1(イチ)が形を変えたり、強さを変えたり、または同じ熱量のまま連鎖する。

 

もともと1(イチ)有った可能性もある。

 

いやいやまてよ、そういえばこんな運動の法則ってあったよね。と気がついた。

もはや、こういった世代間連鎖も、慣性の法則のようになってしまってはいまいか?

 

 

エネルギーの慣性の法則を変えるつもりでバランス調整を行う必要があるってことです。

簡単?

難しい?

 

なによりその前に、自分がどのエネルギーの慣性の法則に参加しているのか気がつかないとバランス調整も出来ないね。

 

 このような自然法則にも属していそうだ

別の物質を持ち出すならば、原子や分子ってことです。

こういった反応パターンが私達の心理や精神にも見て取れます。

 

benesse.jp

rdreview.jaea.go.jp

imasaracmosanalog.blog111.fc2.com

わかりやすいのは遺伝子

www.jba.or.jp

 接触、関係性をより一層体感したかったら遊園地にこれがある

遊園地にもある。

ぶつかってはいけなくなった遊園地でこれに乗ったら、人生の玉突き事故に巻き込まれていないケースが体験できる。

しかし、ぶつかった方がゲームに参加している「感じ」がしますね。

 

news.livedoor.com

そう言う事かもしれませんよ。

 

平和になったり、幸せになったり、抵抗をやめたり、平穏な毎日をおくることといったこれらを避けて

実は自分から問題を創っていくという現象を無意識でやってしまうってことは。

 

そうやって感じる痛みや悩みや、苦しむことで生きている実感を確認している。

天国みたいじゃ生きている感じがしないのかもしれません。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 その人生の玉突き事故、連鎖をどうしたいですか?

世代間もそうだけど

誰かが誰かの影響を受けて反応して、

その反応をまた誰かに影響して・・・・

 

おそらく人間が存在してからずっと続いている。

原子や分子ということになると、人間が存在するまえから起こっている。

 

これは確かに法則だ。

同じ事が私達の間でも行われている。

今現在の私たちの間もそうだし、世代間、過去からもそう。

そして、未来へも影響していきます。

 

視野が広がると、

このただの反応の連鎖のなかにいるだけなんだと気づく。

無意識で連鎖の中に属している。

 

いわゆる「良い」連鎖も「悪い」連鎖も

理由はそれぞれが頭の中でつけるだけで、反応はずっと起きていて、これからも起き続ける。

 

だから、心理作用も科学なんですね。

 

反応の連鎖から抜けるという変化にだって抵抗を感じるのが人間なので

抵抗したままだと、結果的に、もうずっと同じままなのを選ぶことになっちゃうんですね。

 

そんなことが映画の中のシーンにもありました。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

深く悩むと、

血の呪縛や血の連鎖と感じるものや、輪廻のバトンと感じるものに気がつくってことががあるようです。

ameblo.jp

kinesiology.wp-x.jp

 あなたが決められること、決められないこと

 もし、あなたが誰かから受け継いだけど次へバトンタッチしたくないナニカがあれば、あなたのところで連鎖をストップすることが出来ます。

簡単じゃないかもしれない。

挑戦してみる価値はあると思う。

 

もしあなたが是非受け継いでほしい影響があるのなら

それを押し付けるのではなくて、受け継ぐことを提案してみてはどうだろう?

選ぶのは貴方ではなくなりますが、それに魅力があれば押し付けなくても受け継がれていくかもしれない。

 

良いとか悪いと言ことは簡単には言えないことだけは知っておいて損は無いと思う。

 

 

ただ、「玉突き事故の中に自分はいるのかもしれない。」と気がつくことが先決だとは思います。

 

 

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打合せでした

カウンセラーのkazuyoさんと打合せでした。

 

kazuyoさんとお喋りしていると

心理についてもツーカーで話が展開するのと

感性が似ていたりするので話が早いですし、

深く話を聴こうとしてくださるのでとっても安心感を感じます。

 

kazuyoさんは沖縄県のあちこちで依頼されて心理講座をされています。

 

f:id:takedamiki-J:20190329163414j:plain

カウンセラーのkazuyoさんと私

そしてkazuyoさんと今企画していることがあります。

 

とっても良いものです。

自信があります。

 

また追って参加者を募集します。

とっても楽しみです!

 

 

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ラジオ動画です

ラジオ動画です

2019年3月26日(火)沖繩カウンセリングラジオ

 

4月9日はお休みですが、4月2日は放送します!

 

この日のオープニングは

スターウォーズのテーマをかけました。

 

この選曲に一番喜んだのは私。

曲を聴きながら、顔がニヤニヤしています。

 

スターウォーズテーマ曲フル.mp4

 

 

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FMよみたん 「沖縄カウンセリングラジオ」 毎週火曜日放送

 

天国を感じるには。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 この記事の続きを書きますが

そのまえにホームページのコラムを読んで頂くと、この先がわかりやすいのでご一読ください。

 

takedamiki.wpx.jp

 

 

このような体験をへて、ある日私が理解したことは、

「ただ生きていれば良いんだ」という事でした。

「ただ存在しているだけで良い」

「意味はない。存在だけで良い」と理解したんですよね。

 

実績や業績や善行、美徳、体験などについても考える時間をもって人生を過ごしていましたが、それは後付けなんだな。って。

 

能力を発揮するとか

自分を探すとかまったく関係ない。

 

本当の本当は何にもしなくて良いんだな。とまで思った。

絶対的存在価値なんて言葉がありますか?

あるとしたら、そんな風に感じました。

 

takedamiki.wpx.jp

 

 

そしたら、この本にも同じことが書いてありました。

 

存在そのもので良いと。

ナニカしなくちゃいけないと思う必要がない。と

 

beingness-「人間との対話1」より引用

 

Beingness と書いてありましたわ。

 

存在そのものという意。

 

 

 

で、こんなことも読みながら、自分の書いたことを思い出していくと、もっともっと思い出したわけですよ。

 

天国は平和で飽きちゃうから、また人間に生まれてみようか。とおもって生まれてくるっていう話を。

 

f:id:takedamiki-J:20190327224042j:plain

 

一体誰が言い始めたんだろう?

おとぎ話とか、そんなこと?

 

と思ったら、こんなやり取りがされていましたよ。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

どこで流通している話なのだろうか?

 

 

発祥はわからないながらも、どこかで聞いた話ではあるけれど、

どうやら、天国ということも定義はそれぞれであるようだ。

 

 

存在するだけでOK

生きてるだけでOKになるともうそこが天国です。という説明がされていて、そう言われたら確かにそれは成り立つかもな。と思えました。

 

 

私は人生でこんなことを考えたことは初めてでした。

そんな視点は無かった。

 

 

となると、今生きているうちに天国体験をするためには

  • 考え過ぎない。
  • 比べない。
  • 感情にもっていかれたり、共振しすぎて、自分がお留守(解離・トランス)にならないようにする。

 

こんなことをしたら良さそうです。

 

 

そして他にも、この本の中で書かれている「純粋で、正直な欲望」を大切にするということも鍵のようです。

 

私の体験で言うならば、

身体が時の声をあげたーホームページのコラム「「さとり」なの? この体感を解説してみました。深層リンパドレナージュ 家族コース開催」より抜粋

あの一瞬がこれにあたると思えました。

 

takedamiki.wpx.jp 

 

大転換、大改革が起きるのには、その大切な瞬間を逃さないのも大切そうだ。

 

その大切な瞬間というのは、純粋で自分のために働く無意識が、幸せを感じたいと正直に欲する瞬間ではないだろうか? 自分が浅い無意識で抑え込んで回避、逃避していたことを深い無意識の純粋さが突破したような瞬間。

 

幸せを感じてしまうと、そのあとそれが無くなった時が辛いから自分には最初から与えない方が楽だ。というような今をすっ飛ばして、未来に生きてしまうようなことをやめている瞬間。

 

 

だから、身体との対話、実際の対話を併用した心体カウンセリング™ 、セラピーが私は好きなのだ。

当事者の発露にも価値を感じるんだと再認識もした。

 

 

この本も含め、他にも大変な良書を薦めてくださっているクライエントには

とても感謝しています。

ありがとうございます。

 

 

数年前から読む本リストにあった  「人類との対話」

クライエントから  

「この本は読んだことがありますか?」と質問された本です。

 

人類との対話〈1〉静けさの前の嵐

人類との対話〈1〉静けさの前の嵐

 

 

 

何年前に質問されたかしら?

 

その時は、どこかでタイトルは聞いた気がするけど読んでないと答えました。

 

おそらく聞いたことがあったのはこちらの「神との対話」だったかもしれませんが、どちらも未読。

 

こちらも何巻かあるようです。

 

 しかし、この度

ようやく「人類との対話1」を手に取り、読みました。

 

これは系統はなんですかね?

信仰?

スピリチュアル?

 

 

著者が神と対話した内容を書いたのが「神との対話」というタイトルらしいです。

こっちはその「神との対話」の続編みたいなことらしい。

 

内容についての判断は各自でお願いします。

私はうなづける所も、これについてはよく分からないなぁと思う箇所もありました。

 

ただ、今回は私が既に書いている記事、コラムがよりわかりやすく書いてあるように思った箇所などをご紹介します。

 

 

前回のブログにも書きましたが

私は「教え」的なものとカウンセリングをあまり混同したくない。

だから、対話を大切にしたいのですが、この本にも改革をもたらすのは教えではなくて対話だよ。と書いてありました。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

 

また、教えを私はあえて推奨しないのは、この記事にも書いた

良い教えって山ほど昔からあるけど、幸せを量産しないもんだな、と思ったからです。

気づいたと書いていいのかまではわからない。

kinesiology.wp-x.jp

 

なんだか「からくり」があるんじゃないの?という視点もあった。

 

そういったこともこの本にも書かれていた。

 

対話

そして、深く対話した時に「あ! 気がついた! 思い込みの隙間がみえたぞ!」というような大きな気づきによって不安と恐怖が体から抜ける(ように感じる)暮らしやすさへの改革があるのですが、良い教えもそれが「情報」で終わってしまうと改革とは言っても「わかったつもり」という次なる厄介が起きたりするようです。

 

 

内的成長の1つの段階でしかないと思いますが

内的成長も人それぞれですからね。

 

 

こんなことを含めて、ふむふむと読んでいたら、

著者が「15年前に神に語りかけられた」というくだりが出てきて

「おや、まあ、これについては保留にしておこう」と思いましたし

率直な意見などはまた機会を改めて書きます。

 

 

そうなんです

この本の全部が受け入れやすいわけでもないのですが

「そうだよね~、確かに」と思う個所もやっぱりある。

 

特に、そうだよな~と思ったのは、

現代は対話が難しくなっているのではないか?という個所でした。

  • 相手の話を聞くという我慢が効かなくなっている。
  • 反対意見に耳を貸さない。話の一部の揚げ足をとる。
  • 自分と違う意見を持つ人は悪いと思う。叩く。非難する。

これらについて(私が補足した個所があります)理由として挙げられていました。

 

確かにそうだと思うような体験はあります。

 

 

脳のタイプが変わってきたということには

こんなことも含んでいるつもりなのですが

同じようなことは昔からありました。

 

 

kinesiology.wp-x.jp

 

高齢化したときに柔軟性を維持している方はどの位いるだろうか?

その主張はまるで子供に戻るかのようだといいますしね。

 

 

そもそも

 昔は無かったインターネットやアプリ、

時間短縮のための文明の利器

仕事の仕方や内容が変わりましたから

今の社会の大多数をしめる人々の脳やその機能が変わって当たり前ですわ。

 

昔が良くて、今が悪い。という視点だけじゃ

なにも始まらないですね。

 

こんなに便利になって、

情報が溢れていても

国民が感じる幸福度指数が下がっていくという事は?

 

なんてことを考えたりしました。

 

 

・・・・つづく

 

 

 

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仏教的な「自分など居ない」という事を別の側面から見たような気がした。前回の「私風ワンネス」の続きの記事です。

まえがき。ことわりがき。

この記事は、心理カウセリングとは別に考えて欲しいです。

心理カウセリングに「教え」的なものを混入するとかえって混乱することが多いので私はシンプルにストレスケアを行う事が心体カウンセリングだと思っています。

心体カウンセリングの際に、いろいろな事を感じて、「教え」的なものに興味を持つのは個々の自由ですが、私はそれを推奨しているわけではありません。(同じことが書いている書籍などがあればご紹介しますが)

 

いろいろな事を感じて、「教え」的なものに興味を持つのは、個人の趣味嗜好、研究心だと思っているので、それは心体カウンセリングの次の段階か、派生した視点だと捉えています。

 

自分などいない。全ては幻だという考え方の1つの理解方法

前回の記事を書いて、

時間が経過していったときに

ふと

 仏教的な「自分など居ない」という事を別の側面から見たような気持がした。

 

自分だと思っているものは、循環の中の一瞬と考えると

「私など居ない」って考えにもなるかもね~。と。

 

 

あぁ、なるほど。

こう考えると

 

比べたり、争ったり、否定したりということは煩悩という説明の背景が理解しやすいような気がする。

 

だって他人も自分もないじゃん。

構成されているものは一緒で、何度も循環しているその過程の一瞬でしかないのだから。

というような事だと仮定したら理解しやすくなりますね。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

上にリンクを貼った前回の記事では、科学的な意見。として小説に登場する言葉を引用しています。

 

体の原子のほとんどは長くて数年で入れ替わる。死んだら土や空気に還っていく。

今、私の中にある水素は、昔他の誰かが使っていた水素かもしれない。私が使っていた水素は、きっといつか他の生き物が使う。わたしが死んだあとも、繰り返し繰り返し、ずっと。」-小説「月まで三キロ」P207より

 

 

 

私であるという根拠はなんだ?

 

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もう少し視覚的なこういったものをご紹介したい。

 

ここでキチンと私の考え方を書いておくと、

DNA検査をとりたてて推奨していないし、私は未体験です。

 

「DNAの旅」 日本語字幕版

 

 

 

自分の無意識部分もよくわからない、

DNAも自分だと思ってる状態と違うし、わからないのなら

そんなに「私が、私が」と我をはる必要もないじゃん。という気持ちも分かるような気がする。

 

『あなたが「自分」といっているものは何ですか?』というような問いも生まれるのもちょっとわかる。

 

「私が、私が」と思うこれらの中には様々な心理的な抵抗も含まれているんだろうな。

 

このDNA検査の会社のキャッチコピーを引用するなら

「ひらかれた世界はひらかれた心からはじまる」

 

 

 

下も上もないものに、下も上もつくるのが観念。

とじられた心で創られる観念と、ひらかれた心で創られる観念の違いはあると思う。

 

空虚感や虚無感というものを感じ、

繋がり感がないのだったら

その一つが「自分が特別だ」という煩悩(エゴ)によるものだったら

ひょっとしたら心が閉じているのかもしれない。

 

心をひらいてみても良いかな?と思った時に感じる「抵抗」「恐怖」を感情を一度バランス調整をしてみてはどうだろう?

 

心をひらくということが怖いのは、

心を開くことと、全てを捧げてしまう事がイコールになっているということも考えられる。

心を開くと、自分以外の不純物が混入するような気がして、排除や浄化に執着するケースもあるようだ。

 

心を開いてしまう=全てを捧げてしまう。明け渡してしまう。ということは、

それこそ自分が「無い」ことになっているんだろう。

 しかし、比較はしている。

 

仏教的な「自分など居ない」という事と、

この場合の「自分が無い」ということは私には別の次元のことだと思えるけれど、あなたはどう思いますか?

 

興味のある方は考えてみてください。

 

 

 

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私風 ワンネス

私には以前から過去世だ輪廻だというものに対する考え方があり、

ホームページのコラムにも書いたけれど

もっともっと前に以前のブログ(アメブロ)にも書いた。(こちらは該当記事が検索できなかった)

 

takedamiki.wpx.jp

 

上の記事の中には

 

私は輪廻について話題に登る時があると、自分のとらえている世界観を述べます。

もし前世があっても、その前があっても、ずっと前からも、この先も生まれなおすという前提に立つのなら、自分の世界に登場する役者は同じだと考えていて、それで良いと思っている。

見えている世界の構成員はいつの時代も同じ。配役が違うだけ。

今生きている自分を取り巻いている人々は、前世は一瞬道ですれ違うだけの登場人物だったかもしれないし、今あなたが愛している人が、来世では駅のホームで数人の見知らぬ人を間にはさんだその後ろに立っているだけという「役」(登場の仕方)で終わるかもしれない。記憶にないバスの運転手さんかもしれないし、旅先で道を聞いた時に一度会って終わるだけのご縁かもしれない。

だから、増えもしない、減りもしない、役目を入れ替わり立ち代わりしながら、なんども人生を生きる体験をしている。ー過去や現在の体験とのリンク。読めない「無所有所」「非想非非想処」も含めて。から抜粋

 

 

 

と書きました。

 

 

似たようなことはこちらの本にも書いてあった。

 読み応えのある小説です。

教団X (集英社文庫)

教団X (集英社文庫)

 

 

 

そして、こういった考え方は科学的にもそうらしい。

 

こういった考え方というのは、構成されているものは循環しているということです。

 

 

月まで三キロ

月まで三キロ

 

 

体の原子のほとんどは長くて数年で入れ替わる。死んだら土や空気に還っていく。

今、私の中にある水素は、昔他の誰かが使っていた水素かもしれない。私が使っていた水素は、きっといつか他の生き物が使う。わたしが死んだあとも、繰り返し繰り返し、ずっと。」-小説「月まで三キロ」P207より

 

ですから、

ワンネスということを意識しようがしまいが、循環しているということで、

私もその中に入っていて、関わり合っているという私の認識でいいや。

と思っています。

 

輪廻というようなものや

輪廻のバトン、血のバトン、血の呪縛というようなものは

科学的にも「ある」ものなんだな。というようなことを考えました。

 

takedamiki.wpx.jp

 

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地球の中を汚したら、ぐるっと回って自分がその汚れを受ける。

綺麗にしたら、ぐるっと回って自分がその綺麗を受ける。

関係ないということは無くなりますね。

 

 

意識も無意識もこの循環に組み込まれているんだな。と改めて思いましたわ。

 

 

 ですから、

この記事を書いた時に階層意識というようなことに触れましたが

こういった太古の昔からの循環という視点に立つと

そんなことも幻だなって。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

何かしらの断絶感があるのかもしれないですね。と思うような心情に触れるときがある。

 

言葉を変えると、つながり感が薄い。

今書いているのは、聞こえの良さそうな立派なものとつながるという繋がり感ではないのですが

長くなるのでまた別の機会にします。

 

こういうケースは「空虚感」「虚無感」を感じやすいようです。

 

 

どうしてそれらを感じるようになったのかは人それぞれですし

心理や精神というものに興味があるかたは考えてみてください。

 

その際に、他人を分析したら自分はその分析した相手よりも「わかっている」「できている」というような考えになるのならバランス調整してみても良いと思います。

他人の分析だけをして自分を見ないのも逃避の一種だろうと思う時がありました。

 

「空虚感」「虚無感」を自分は特別だから、優れているから理解されないとか、浮き上がりを感じやすいのだ。と理由をつけていることもあるようですが、それは他責にしたい理由付けじゃないかな。と思ったりします。

おそらく「核」を見たくないのだと。

自分は特別だから見るべき「核」とかそういう当たり前のことじゃないと判断しているかも知れない。

それが悪いとも思いませんし、そういった事を解消したいのかも私にはわからない。

自己価値観として支えにしている場合もある。

 

良いとか悪いとか勝手にジャッジすることが無くなると

残るのは、それを自分がしたいか、したくないかだけになってきます。

 

選択と簡単に言うけれど

流されていたり、他人に自分を差し出してしまう癖のある方や

解離や回避が習性になっていると

選択もできないようなんですね。

 

簡単にはいかないことがありますが、

変わってみても良いかな?、回復するってどういうことかな?と思えた時に少しずつ取り組んでみてください。

 

 

いろんなケースがありますが、他人の分析を優先するのではなくて、

まずはご自分を分析してください。

バランス調整した方が良さそうならしてみてください。

 

他人をいくら分析しても、自分のことがわかったことにはならないです。

他人を見た時に、同じものを自分は内包している。または、表面化していると捉えた方がバランス調整の進み具合が良いようです。

 

これも私風ワンネスに含まれています。

 

良いとか悪いとかそういう「判断」ではなく

自分も同じなんだ。という事を認めるというだろうと思います。

 

 

周りを見下していた自分の幼さにようやく気づきー小説「まつらひ」より引用

 

 ようするにこう言えるのだろう。と思える素晴らしいセリフでした。

 

 

まつらひ

まつらひ

 

 

 

 

私自身はワンネス(ついでに過去世も含む)という言葉になにかウットリしたり

特別な意味をつけたり、美化することは無いために

これまでとりたてて研究しておりませんが

自分なりの、そして今回ご紹介した科学的のような楽しい解説も自分なりのワンネスに含まれているようだとわかりましたので

これで良いかな~と思っています。 

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