なんだかんだ手間かかる

腰も重くなろうってもんだよ

一息ついた

Windows11になり、今まで使い勝手が良いように手を加えてきたものがすぐには反映されなくて面倒でした。こーゆー面倒さがあるからPCの買い替えは頻繁にしたくない。

クラウドに上げておけば全てOKなことばかりじゃない。それでOKなのはデータでしょ?

私がやりたいのは使い勝手、設定の話だから。こっちのせいでPCを変えるのには腰が重くなるんですよね。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

ということで、バックアップからの復元をWindows11ですんなりやっていいのかどうか心配だったので時間がかかっても確認しながらやったりして面倒でした。

変なバグが起きて、にっちもさっちもいかなくなったらもっと面倒だから。

が、これまでもこういう面倒が後々のPC使いこなしに生きてきましたので背中を丸めてコツコツやってます。

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Copilot

Copilotとか本当に使い物になるの??? と完全になめておりましたが、PCのセットアップの際に的確に質問に答えてくれまして、ネットで調べるよりよほど早かったのには感動した。やはりAIは私より数千倍、数万倍賢かった。

で、使い勝手が良いもんだから、質問したいのに途中アプリが立ち上がらなくなったときは焦った。この時はedgeも一緒に立ち上がらなくなって、(ウソ!? ここまで来て しょ しょ 初期化???)と焦った。

新PC導入の際に、Windowsが早く動くように裏側をアレコレいじったんですよ。裏側というか、中身を。

あの仕様変更の何かがトリガーになっている場合「初期化」も眼中に入れなきゃいけないでしょ?

助かった

ほかのことをして再起動が要求された際に、ありがたいことについでに直った。

焦った~~~ もうやめてよね。

ユーザー辞書の引っ越し

Copilot先生に教えてもらったことは既に幾つかあるんですが、そのうち1つは「ユーザー辞書の引っ越し」についてでした。

PCデータ引っ越し!っつってパパパーと流し込んじゃえば早いんでしょうが、理屈と手順が分かれば自分でできるもんですわ。

 

メモ帳の引っ越しもしましたよ。その際には何十年振りがわからない「隠しファイル」なる言葉を目にしました。

懐かし~~~~

 

以前のその時は、隠しファイルを表示させてPCをクリーンアップしたような気がしますが、もう忘れた。

 

ちなみに今回は、バックアップ先のUSBのSSDや、元のPCのCドライブとか、見まくりましたよ。

疲れたわ。(笑)

Jan VašekによるPixabayからの画像

 

デュアルSIM化

PCの引っ越しの少し前にはデュアルSIMも無事稼働させてます。

 

そもそも何年か前にデュアルSIM化計画のもとiphoneをそれ用に購入したのに、ずーーーーっと手付かずでした。しかし、今回のPC購入を先延ばしにしている最中にシステムのバグが世界的に大問題になってあり、運良くそれを避けて機器を購入できたし、デュアルSIM化計画を先延ばしにしている間にeSIMがどんどん当たり前になったり、Q&Aも豊富になったり、回線使用料が後発各社特色が出てきて安くなったりして、結果良かったのかもしれない。

 

私が時代を先に行き過ぎていたことにする。と、自分をこれ以上ないほど持ち上げてみた。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

 

新PCの使い勝手は目鼻が付きました。

一山超えましたわ。ありがたいことに。

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ワイヤードマウスがなくてもできるもん

祝 新PC

楽しいったらありゃしない

ミニPCがセットアップ完了である。

なんだかんだで取り掛かるのが遅くて、本番は明日以降ですが

まずは祝設定完了記念としてブログを書いている。

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完璧に終わりかけの前のPC(まだ所定の位置にあり)は画面も見える部分が減ってきていたので、

画面が黒やら白やらグレーやらの帯状のもので隠れることなく大画面で全画面がみられる当たり前の幸せをかみしめています。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

神様、メーカー様、PC様ありがとう。

 

で、設定の時がアナログ頼りだという件について書いておきたい。

 

キャッシュレス、ワイヤレスのなにかとレス時代に

ミニPCをいろんな目的をもって購入すると思うが

ワイヤレスにできるものはそちらに移行してミニマムというか、配線などをなるべく無くしたいという好みをお持ちの方もいると思う。

ノートPCだって、タワー型だって、ワイヤレス全盛期ですよね?

 

ところが、ミニPCの最初のセットアップの時はワイヤードのキーボードとマウスが必要だとおっしゃるではないか。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

ワイヤードのキーボートは押し入れの奥で眠らせていた。もう使っていないし、変色もしているが使える。丈夫なのよ。古いタイプのものは。

が、マウスがない。

 

でもまぁとりあえずセットアップを始めてみた。

ウチにあったモニターはタッチ機能はない。

だから当然作業がとん挫した。

 

(あーあ ワイヤードのマウスを明日にでも買ってくるか)といったんPCの電源を落とした。

小1時間? 2時間? 違うことをしていたらふと気が付いた。

 

(TABキーでいけるんじゃね?)

 

天才だ。自分に酔いそうになったけど、果たしてできるかわからない からやってみた。

 

できた

マウスがなくてもTABキーと矢印キーで乗り切って、Bluetoothでマウスとキーボート、電卓も繋ぎ終わりました。

Jill WellingtonによるPixabayからの画像

 

今日中にセットアップが完了した。

 

また楽しい道具が手に入って、そして高性能。

部屋のレイアウトもすでに少し変わった。この先使い勝手を考えてレイアウトを決めていくのも楽しみの1つです。

 

ひょっとして、モニターではなくて、ipadがメインモニターになる可能性もあるかもしれない。

 

ワクワクする。

あれこれ試して楽しむつもりです。

 

という喜びのご報告でした。

コツか?努力か?興味か?才能か?

今回も近況報告です

外国語・・・わたしには難しい

外国語・語学の才能がある人はその言葉で歌われてる音楽を聞いたり、海外の映画やドラマを見ていて習得できる。
実際知人がそうだった。

学生の頃、英語のTOEICは満点近かったらしく、タイや近隣の国の言葉も大人になってネットでドラマを見てたら【自然に】覚わったって。

自然にねぇ・・・へぇー(-_-)

絶対にこの方は語学習得が特技だと思う。

 

会話ができるほどになるもんだから、アジアに長期滞在して現地の言葉でコミュニケーションしてた。

私も、私以外の多くの皆さんも、英語の歌や映画を山ほど見聞きしてるけどね。

それに外国語を習ってる人も多いじゃん。

 

日常会話がスムーズになるほど上達してます? 街中のネイティブスピーカー同士の外国語での会話は聞き取れます?

 

日本人同士の会話は聞き取れますが、外国語の会話を日本語の会話を聞いているように理解できる人って凄いよね。

高校の英語の先生が、「地下鉄に乗っていたら、英語で子供たちが日本人の悪口を言いまくっていて、バカにしまくっていて、(コイツら。怒)と思ったよ」と言っていたが、きっと私も他の多くの乗客と同じで何を話しているのかわからないだろう。

聞こえても無視するしかなかった

しかし、かれこれ7-8年前には親子の会話が聞き取れたことがあった。

私が真横に立っていたけれども、子どもが「I hate japanese.」と言ったし、そのお母さんが「Japanese  are stupid.」と答えたのがしっかり聞こえたことはあった。

お母さんの方は、私の英会話能力が低いことを知っていましたし、私の隣で我が子のその発言をたしなめもしないスタンスの方でしたけど。

他意はない

ネイティブ同士の会話を聞き取れたという事例を書きたかっただけです。この程度の英単語は聞き取れました。

 

反論できないけど。

英語を話すレベルが低すぎて。

 

でも、これが日本語での出来事だとしても反論することって無い。実際、私の周りにいた日本人が自分(武田)の悪口、影口を話しているのが聞こえちゃった経験も持ち合わせておりますが、聞こえないふりしてその場を去りましたから。

相手にしてもしょうがない。みたいなことです。

 

紳士、淑女もいらっしゃれば、そうじゃない方も勿論いらっしゃいます。日本人も同じです。

私はお陰様で日本語以外が母国語の多くの紳士、淑女にお会いするチャンスに恵まれたので良かったです。

 

今日ここまで書いてきて、

言葉ができてもできなくても、お付き合いしたい方、親睦を深めたい方と親しくしたら良いと思いましたわ。

 

なんて英語力関連の話を書きました。

 

好きこそものの上手なれ

英語ネイティブのお友達でもいたら、話がしたいから英語が上達するって言いますよね。

しかし、外国の方が日本語を習得するスピードって早いことが多いから、自分が英語が上達する前に相手が日本語を覚えてしまって日本語で会話すようになるという状態を非常によく見聞きします。

英語がペラペラだった方が、彼がみるみる日本語を覚えてしまって、ご本人は英語を忘れていくという体験談も聞いたことがあります。

 

これらも踏まえて、好きこそものの上手なれって感じなんでしょうかね。

 

好きと言えば

私、子供の頃もスイカを食べてはいましたけど、特にスイカが好きだったことなどなかったんです。ところが最近以前より好きになってきてる。沖縄にいるせいだろうか?

 

で、小玉よりちょっと大きい今帰仁スイカをスーパーで見かけて、一人で一玉マッハで完食しました。

食べたいときに思いっきり食べたので そりゃあ美味しかった。

NGUYỄN THỊ THYによるPixabayからの画像

 

年齢を重ねると、趣味嗜好や味の好みもどんどん変わることって新鮮です。

思い込みとか、変な頑固さが増すこともあれば、どんどんこだわりが消えていくこともある。

 

本当に、変化って面白いです。

あれ? いつの間に? みたいな変化ってあるんですよね。

そうそう変化と言えば

変化と言うか、気が付いたことがありまして、

以前も、陰謀論について、「そんなことあるわけ無いって一度も言ってない。かえって、ナニを聞いても(あるかもね。あっても不思議じゃない)と思うタイプだけども、それに執着したり、のめりこんだりするのが気が向かない」というような価値観を書いたことがありました。

 

で、なぜ私はこのような価値観をもったのだろうか?というところに気がつきました。

 

それは映画や本の影響です。SFやホラーやサスペンスというジャンルのこれらで既に学習ずみというか、(あぁ そういうことあるよね。)という背景には「映画や本で見たことあるよ。」という既知感によるものなのかもしれません。

 

そして、それはそもそも、それら陰謀論というものに含まれている「映画や書籍などによるプロバカンダ」という考え方があるようで、まさに私は映画や本を通じて、(あぁ そういうこともあるだろう)という印象を受けているんだということでした。ですから、陰謀論というものに揺さぶられないという感じでしょうか。

 

事実は小説より奇なりということを実感しているという感じです。

 

そういった既に(世の中なんでもあるなぁ)という前提で、個人的に予防や対策ができるものはして、もう個人ではなんともならないことは悩んでもしょうがない。みたいなことでしょうか?

遠くの陰謀より、身近なストレスケア

世の中がフラクタル、相似性である程度成り立っているのなら、自分が心地よい状態にすることも遠くの陰謀に影響する可能性もあるかもしれない。

 

陰謀に腹を立てたり、怒り、理不尽への反撃に没頭している方たちは、個人的にはお幸せなのだろうか? 自分の日々の生活の不満を陰謀論にのっけているというようなことはあるだろうか?

 

これらが悪いわけじゃない。生き方は様々だし、過去の活動家の皆様の情熱が今現在の私の幸せを支えてくださっていることだってあるだろうし、私も腹を立てることも理不尽に反撃したい気持ちもある。怒りを感じる体験もする。が、基本幸せであって、実感している。ありがたいと思っているし、自分の人生を愛している。自分も愛してる。

 

ただ、陰謀論に飲み込まれたり、ナニカに流されたり、責任転嫁したり、本当のところを見ずに自分の人生や不満への改善は無視で、全て外部へ原因をすり替えたりというようなことがもしもあるのなら、そういった思考や無私のスタイルをとっている自分について自覚をしていた方が良いような気がするだけです。

 

自分の大切な部分に向き合わずに、逃げて逃げて逃げて、一生の最後まで逃げるという選択もあるのも知っている。最後まで逃げ切れるのかどうかは知らないし、逃げることがご本人の思う幸せってこともあるだろう。ご本人はそれが幸せだと思っても、じゃあ日々幸せを感じたり、あぁこの人生で良いよね!と実感がわくのかどうかはまた別だし。

 

わかったうえでやっていることと、自分を失ったままやることは違うような気がしているだけなんですよね。正解とか良し悪しなどの話ではなくて。

 

きれいごとや理想論がベストとは限らない。

 

だから、陰謀論を、きれいごとや理想とは違うと糾弾するのがベストとは限らないかもしれないという見方もできると思うんですよ。

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愚民と呼んでいたけれど

一般の方をずっと「愚民」と表現されていた方が、選挙に立候補されたときには「愚民」と言わなかった。選挙が終わった今はどうだか知らないが、陰謀を暴く、世の中に知らせる方法もいろいろあるな~と思ったりしました。

この方が街頭演説することで、初めてこの方を知って、いろんな影響を受けた方もいらっしゃると思うんですよ。私も勿論知らないことが多くて、お話されていることを聞いて(こりゃ大変だ)と思ったし、その世界の利を得ようとする人たちって(なんでもありだな~)とも思った。(なんでもやっちゃうんだな~)って。

理不尽とか、常識って生きている世界が違うと同じ国に住んでいてもほんと違う。保身とか利得ってすごいパワーだなって。マジで事実は小説や映画より奇なりです。

 

私はあの街頭演説されている姿を動画で拝見して、(あの方は逃げるのをやめて、向き合うことにしたのかな?)って誠に失礼ですが勝手に感じたんですよね。

方法を変えたんだなって。

また元通りになるのも良くも悪くもないんだろうけれども、あの期間は「愚民」と思っていた群衆を斜め上から見るのをやめたんだなっていう姿勢はそのまま拝見した。

 

斜めから見ていて批判していた方が楽だと思うんですが、斜めから見ていたその世界に新しい立場で接することにしたんだな~って。

 

ヒトはいろんな思考や価値観があります。取り巻く環境も様々です。

私個人は、怒りや恐怖、不安を喚起することよりも、ストレスケアを推奨したい。私が選挙に出るのなら方針を変えるだろうけれど、立候補をすることはないのでストレスケアの推奨という今のスタイルを選ぶ。これが自分には合っている。

個々が幸せ、生きやすいというところを基盤と考えたいし、遠くのことは私の手には余るけれども、目の前の生活を快適に、「健康と笑い声のある生活をサポート」という姿勢でいたい。今の「ありがたいこと」に意識を向けるのを忘れたくない。

 

またまたこんなことを感じた今日でした。

 

皆様に幸せが降り積もりますように(^^)

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時代の流れ

時代が変わるね

古来よりこれの繰り返し「時代は変わる」

バイク

以前、原付やビッグスクーターのような手元だけでの操作性の2輪車は怖くて、両手両足で操作して、ニュートラルがある操作性のバイクが好きだと書きました。

しかし・・・・

ついに原付・ビッグスクーター以外でも手元だけの操作性のバイクが普通になる時代が来るんですね。

この調子では、私がこれを運転する日は来ないと思いますが、時代は変わります。

PC

発売される前からずっと欲しかった。

こんなのが。

今は家でしょうがないからノートPCを使っていますが、あまり好きじゃない。

B5サイズの小さめならまだしも、大きめのノートPCはキータッチやキーボードの距離感のしっくり感がない。場所とるし。

 

で、私がやりたいことはMacがとっくの昔から製品化していたんだけど、今更Macユーザーに戻るといろいろ面倒なんですよね。昔MacからWindowsに変わるときに(意味が分からん)(めんどくせー)と思ったのに、これだけ使い倒してしまうと慣れちゃう。慣れきっております。

そして、いろいろPCの中身を引っ越す際にストレスのないWindows。

 

で、結果ミニPCにしたら(もうすぐ届くよ)、ipadがモニターにできたり、今ある大画面モニターが使えたり(そもそもこれがしたかった)、別に予定はないけどiPhoneすらモニターにできる。

そんなこんなで、机の上が広く使えるようになったりするはずで、ニセMac mini風味ユーザーになります。

そう! タワー型なんてもう一生家に置きたくない! PCに関してはとにかく省スペースでサクサク動いて欲しい! タッチ感の好きなキーボードとマウスだけが有ればいい!

 

という時代の進化の恩恵を受けます。

楽しみです。

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親と子 盲目的に義務感を感じなくてもOKな選択肢

「良い子」が苦しむその理由に、

  • 社会的な教えや、「善き」という思想に従わなきゃとか、守らなきゃとか、
  • 自分はそれをするのが苦しいのは自分が悪いからだとか、
  • できない自分は強烈に何かが劣っているからだとか、
  • 自分のなにかしらの欠陥によるとか、
  • 修行が足りないとか

理想の家庭、理想の家族、理想の親子関係を築けないのは自分の責任だろうと思うことによる罪悪感、自信の欠如、苦しみ、寄る辺なさも多いと思っている。

 

子どもの方もそういうことが多いし、親の側も自分がこれらを子供時代から持ち続けて プラス 今度は親になっている という課題というか、未解決の葛藤があったりすることも多い。

 

で、そんな苦しみを抱えている方に下記でシェアしている動画は「救い」になるケースもあるんじゃないかな?と思ったんです。

 

親子の美談という思想をスッパリとあきらめるということが最善で、かつ、最短に自己の幸せにつながるということも世の中にはあるんですよね。

悲しいかもしれないし、無力感を感じるかもしれないし、寂しいかもしれないけれども、

他人は変えられなくて、親子でも自分以外は変えられない。自分ですら変えるのにえらく苦労することだってあるし、そう簡単にいかないこともあるのに、ましてや他人は無理だとあきらめる勇気というか、潔さも時として人生には必要なことがある。

 

親子の美談という思想にしがみついちゃうかもしれないけれども、経験や体験から学んで、ある種の本質を理解するということも大切な時もあると思います。お互いのために。自分のために。相手のために。

 

私もこれらの感情などに揺さぶられ、ストレスケアをし、また揺さぶられ、ストレスケアをして、というような繰り返しをしてきましたが、結果今は幸せです。

親子の美談とは程遠いけれども、それ以外の幸せってあるよね って実感してる。

 

きれいごと。みたいな評価であなたを悲しい気持ちにさせるヒトがいるかもしれないが、ありがたいことに時代は変わって 自分で幸せになっていくというある程度の自由が得られたり、選べたりする。

それを尊重してくれるヒトもはるか昔よりは余程多い。

 

時代は変わった。ありがたいことに。

 

いろいろと苦しいかたが、少しでも楽になりますように。

皆様の生活に健康と笑い声がありますように。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

ガンジーにも救われる

善きことはカタツムリの速度ですすむ

いい言葉だなぁ

何度もブログに登場するし、実際の会話にも登場しますが、私の支えになっている言葉に

「大きく育つ木はゆっくり育つ」

がありますが、ガンジーがおっしゃったらしいこの「善きことはカタツムリの速度ですすむ」も好きです。

 

ついついいろんなことを焦りますが、ゆっくりしか進まないってことは「善い」という判断もできる可能性があるんだな。と一呼吸つくことができそうです。

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ここからは近況報告 雑談とも言いますか?

PC

もうとっくに買い替えしていてもいいはずのPCを異常な粘り腰でまだ使っていますが、もうどんどん劣化が進んでおります。また増えた黒帯で画面がどんどん見えなくなってきています。

土俵際で粘ってもいないです。完全に土俵から落ちております。

 

買うつもりだったミニPCがどうやら不良品だったらしい(システムバグ????)という動画を見て、購入の先延ばしもたまには幸運を呼ぶな。などと思いましたが、もう買わないといけない。

確定申告の時期もあっという間にやってきますから、PCがないのはやばい。

心体カウンセリングについての諸作業はアホほど効率が悪くてもギリiPadやスマホで代替えできても経理作業は無理。というか、私がそれをしたくない。

 

買いますか。

そうなったらサッサと買わないとね。

今のは、とにかく動かないし、動いても遅すぎて効率なんて意味ないじゃんって感じですから。

 

帰省

体験1

他にも、東京経由で名古屋に帰省しました。

Facebookに投稿したんですが、なかなか新幹線に乗る機会がないし、もう切符を買うとかせずにSuicaでピッと新幹線改札も通れるらしいし、まぁ飛行機に乗る感じと同じみたいなんで練習がてら、いつもの指定席をグリーン席にして東京から名古屋に移動したんですわ。

慣れない、珍しいことを重ねてやってみよう!ということで。

 

で、 私が乗ったグリーン車の車両がほとんどが外国の方でして、数ヶ月前から頭の片隅にあり続ける、1年の多くを海外で過ごすYouTuberさんのおっしゃっていた「日本がアルゼンチン化する気がしてる」を連想してしまった。

 

海外の街中の両替所で日本円が両替可能通貨リストから外れてる。というYouTuberさんの言葉も思い出されました。

 

日本はすごく強くて、日本ヤバい説とかに踊らされるのはバカだ。日本は鉄壁で本当に安心していい。

というご意見も聞いたことがあるんですよね。

 

時間がたてば、何がどうなっていくのか? どうなっていかないのか? も分かります。こんなことを考えたりしました。

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体験2

実家といえば、私のストレスケアの宝庫でありまして、実家や親戚や環境のお陰で私は「ヒト」とか心理とか言葉とか行動とか、精神とかいろんなことを考えるに至ったんですよね。

ものすごく幸せだったら絶対に考えなかった数多くの事柄、事象。

 

で、まぁ今回も歴史を擦るようなことがありましたけれども、姪っ子と話をする機会があったり、まだ自分が理想や希望にこだわっていたんだと気が付かされたり、そしてそれらの引きずりをあっという間に手放したりと、

あぁ 今まで悩み、苦しみ、傷んだあれこれから逃げずにストレスケアしてきてマジで良かったとまたまた感謝の念が沸きました。

 

自分の人生なんだなって。

大人になって良かったなって。

 

何を選んで、どんな人生を送ろうが本当にご本人の自由なのですが、

  • 考えることを放棄したくなることや
  • 逃げたくなることや
  • 自分をこんな被害者にしたのは貴方だと相手を責めたくても

それも人の心理には実際にあることだし、

気が付かないうちにあんなに嫌っていた反面教師と同じ選択をしてしまっていることだってあるし。

 

軌道修正というのか、人生を創造していくっていうのは、多分しっかり、ある意味ちゃんと考えたり、試行錯誤していくことのその先にあるような気がします。

  • なぜその結果を過去、または今 得たのか?
  • 自分のパターンによるものなのか、1回限りの偶然なのか?
  • なぜ自分はそこから逃げたのか? (逃げたって良いんだけど、自分が納得してた方がいいような気がする。自分を誤魔化し続けると後々シンドクなったり同じ事を繰り返す傾向があるような気がします)

という事も考えたらなかなかシンドイ案件もあると思うんですよ。でもそこを避けずに、逃げずに考えてみることが大切な時もあるかなぁ と。

 

そういう意味では、強さのようなものが大切な事もありそうですね。

 

体験3

今回の東京、名古屋で先輩、知人、友人と何名の方とユンタクしました。それぞれ結構ちゃんとした時間でした。

 

で、またまた急なんですけど

前回でしたっけ? 運命の人とか、偽運命の人とか、スピ業界にはいろんなカテゴリーがあり、それも個々がラベルを貼って分類していたりしますでしょ? という類の話を書きました。

 

ビビッと感じるという表現の方もいるし、ロマンチックな感情とか、運命の人ストーリーに乗っかるとか、郷愁を感じたとか、出会い方とか始まり方は色々あるんでしょうけど、

バカみたいなことを書くと、仲良く続いた人がロマンチックな運命の人だったという結果論で良いんじゃね?と思ったりしてるんですよ。

いや別に短期間でもそれでご自身が満足、納得されていたら良いんでしょうから、そういう意味でも結果論だったということで良いかなって。

 

全然ピンと来ないけど、なんだか付き合い始めて、お互い老人になって、結果あぁこの人でよかったんだなって添い遂げちゃったんなら運命の人ですよね? 全然ピンときたことないけど! でも信頼してるっていうんなら素晴らしい相性だと思いますけど。

 

というこれはあくまで一例ですけど、始まりとかスタート時に浮かれたり熱病みたくなるのは、別に普通のことのような気がしますし、別に運命の人というタイトルやストーリーがなくても仲良くしたら良いじゃんって。

 

偽運命の人と思えるような人とどえらいシンドイ出来事があっても、その体験を自分の人生により良くなるような反映のさせ方をしたら、偽とかなんとかって冠がなくたって、「苦くてキツくて嫌な体験、経験の一つだったけれども、あの出来事で自分のことが良くわかったわ。」として忘れていけば良いじゃんって。

同じことを繰り返さなきゃ良いし、もし繰り返しちゃったら、その次にもう同じことをしない工夫をしたら良いじゃんって。

 

そんなことを書きたくなりました。

 

とりとめのない話でしたが、ちょっと書いておこうと思いました。

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疑わない

捉え方

疑うのか? 物事良いように捉えるのか?

疑うのか? 物事良いように捉えるのか? という小見出しを書いてすぐになんですが、2つに1つってわけじゃない。

 

「疑う」ということについて書いたBlogの続編というか、そもそも今日ご紹介する動画について書こうとしていたのが先だったんですけどね。

「神秘的」 疑い方の1つ

 

こちらの動画内のとある話題

前へならえ

個々の好みで視聴できるかどうか分かれそうですが、この動画の中の「前へならえ」についてが非常にわかりやすい。というか、ここ大事だよなぁって思ったし、何年も前に中国出身の方が「日本人は中国が社会主義で支配的って思ってるけど、日本の方が余程支配されていて社会主義よ」とおっしゃっているのを聞いたことがあります。

例えばどんなところか?といういい例が動画の中の「前へならえ」の話題にあって、日本人がそれを疑問に思わないというか、言うことを聞く良い子、支配される側に安心を感じるというか、良しとされる感性が刷り込まれていく1つの過程・環境に(そうねぇ そうなるねぇ)と思ったりしました。

 

疑うとか、違和感を感じるとか、(アレっておかしくない?)みたいなこととかを「良し」とされないというか、これらの物差しをクルンと回すと、今度は陰謀論に一気にいっちゃうというか。

これはこれで支配的だったりする一面もあるんですよね。

余談 常識と歴史

余談ですが、陰謀論って、自分が知らないってだけで、その道では常識だったりする一面があって、政治家の常識、製薬会社の常識、超超超セレブ層の常識、科学者の常識、多くの国民の常識がある。それぞれがはるか昔からあって、それぞれの常識も今に始まったことじゃないんですよね?

常識も変わることがあるし。

 

そして、それぞれ成り立とうとすると利害が一致しない。これまでも一致してこなかったことも多いようだし、この先も難しいかもしれない。

下手したら地球の得にも宇宙の得にもならない。(というか、地球の得になってることって何かあるのかな?)

 

私個人はこれらを良しと思ってるわけじゃない。良い方向へ変われるなら変えたいし変わってほしい。しかし、「他人は変えられない、自分が変わろう」方式でいうなら何ができるのか?

 

私は陰謀論と言われること全て嘘だと言ったことはない。たいていのことは(ありそうだ)と思うけれども、陰謀論を軽いスピを扱うみたいに無責任に流布する側に回るのは好きじゃない。(書き方は難しいけれど、陰謀論とされる側がやっていることとやり方が一緒になるケースもあると思うから。)

 

あんたは変わらない!と糾弾しても今まで変わらなかったんなら、同じことを繰り返してもそれはアインシュタイン的には狂気であるとしたら、じゃあどうする?

 

難しいです。簡単な答えに気が付くのが難しい。

 

「まずは自分が幸せになることで、その波動を広げましょう」という言葉を聞いたことがあるが、果たして本当なのかもわからない。なぜならそれがなかなか現実化しないみたいだし、他者を責める方が楽だし。

こういったことを波動論で語る方なら

そもそも糾弾することに幸せを感じるのなら、平和の波動が伝わるんじゃなくて、糾弾の波動が広がることになるんですよね? 言い換えて、争いの波動としてもいいですよ。

 

波動の話じゃなくてもですね、難しいですね。

本当はとっても簡単なのかな? わからない。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

余談 2

これまでの人生で時折目の前に現れる「カタカムナ」という単語。

私はこれについて全く知識を持っておらず、なにかちょっと聞いても頭に入ってこないし、当面特に研究する予定もないのですが、こんな100%素人の私的にビックリ情報を得たのでシェアします。

 

それはなんと、カタカムナって相似性を表しているというご意見。(◎_◎)

めっちゃ驚いた。

 

じゃあ、やたら「フラクタル」「相似性」「相似形」と書いてきた私はカタカムナ一派ですか?

 

久々のびっくり案件でした。

S KによるPixabayからの画像

もとい。動画シェアの意図

動画は、事象、出来事を「疑う」とするのか、「物事の良い面を見る」のかって意味でシェアしました。

もちろん他の考え方もあるだろうけれど。

 

余談 予定変更

今日、ヒトと合う予定でしたが予定変更になりまして、時間が空いたわけです。

ドタキャンで予定が変更になっても全然腹も立たなくて、じゃあ折角だからと暫く溜まっていた経理作業をしました。

溜めておいて確定申告の時に一気にやるのがストレスなんで今日処理できたのは非常によかった。

and ブログを書けました。

今日ご紹介した動画は、もう随分と下書きに眠っておりましたので今日ようやく仕上がりました。

 

こういった時は物事の良い面を見ると自分が楽ですね。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

素敵な人とは?

素敵なヒト

男とか女とか関係ない

とある女優さんが「素敵な人」はどんな人?

という質問に

「自分で自分を幸せにできる人」

と答えていました。

 

20歳を少し超えたおきれいな女優さんのこの答えに、

賢くて凄い!

と恐れ入りました。

 

そして、この回答は私の心にしっかり入った。

 

自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。

 

しかし、こういったことも双方の選択によって成り立つので、これらが成り立つということはある意味それを双方が自分のために選択していることになる。

自分の人生を好きに生きているとも言える時があるので、それを良いとか悪いとか決められない。

 

ただ、私個人が「自分で自分を幸せにできる人」という価値観が好きなだけです。

 

ElisaによるPixabayからの画像

MOMOさんもそんな価値観ではないだろうか?

こちらの ↓ ブログでご紹介したダンサーさんも似た感性をお持ちだと感じました。

運がよくなる。運を良くする。

 

賢さって?

いろんな賢さがあるなぁ と思う。

 

でも賢さってわかりやすい指標がないから、勉強とか知識とか情報とかの量みたいなもので判断したくなるんでしょうね。そうすると自分が安心する。

どこに属している?とか、ナニをやっているか?とか、ナニを知っているか?とか、ナニを支配しているのか?とか。

 

こういうことって、知識と知性って違うって類の話かもしれない。

そして、知性とお人柄って連動の仕方が似てるような気がしません?

随分前に他界した祖父はこういったことを「教養」と表現したのを思い出した。

 

あーでもない、こーでもないと考えたら賢くなるわけじゃなさそうで、以前私は「下手な考え休むに似たり」としみじみ己を振り返ったこともあるし、自分の「的外れの努力」に脱力したこともあるし、思想とか教えとかを無考えに取り入れてその後(なんか違和感が・・・・)とハタと気が付いたことがあるし、今は思い出せないけどいろいろあったと思う。

 

激流だ! 激流に飲み込まれた! と感じたこともあったが、あの感覚はもうありありとした体感として思い出せないです。ありがたいことに。

websiteproudによるPixabayからの画像

言葉はわかるけど、実はわかってない

20歳少し超えの頃に

「自分で自分を幸せにできる人」

という言葉はわかるし、想像もできるけど、「幸せってなんだ?」みたいなことってシンプル過ぎて体感としてわかってなかった。

 

ホント、いろんなものを探し求めて本を読み、映画もみた。

会話もした。

 

年月が経ち、「自分で自分を幸せにできる人」というところに今はいる。

 

先はわからない。

過去のアレコレは「自分で自分を幸せにできる人」への助走になった。

今日現在の結果として。

 

もちろんこの先はわからない。

 

じゃあ私が素敵なヒトか?と言えばどうか?

素敵かどうかはわからないけど、自分の人生を愛しているとはいえる。将来自分が「自分の人生を愛している」と感じるようになるとは想像できなかった。

 

今はこれで充分かなって思うし、多分自分の人生を愛せることを年月かかって手探りで求めていたのかもしれない。

 

 

「幸せってなんだ?」というのと同じで、「自分の人生を愛するってどんな感覚?」という未知の世界だったから。実はもともと自分の人生を愛していたけれどもそれすらわかっていなかっただけかもしれないんだけど。

そう、だから、先に書いた

”自分の幸せを他人に預けないとか、他人に背負わせないとか、そういったことは、言葉を変えれば自分の不幸を他人のせいにしないとか、自分のために他人を搾取しないとか、被害者(もちろん内容によります)に浸らないとか、他人の機嫌を取ることに神経を注がないとか、とも言えそうです。”

というのも、今はこれらがその方が感じる「自分の幸せだ!」という価値観だってことだな~って思ったりもする。社会生活していたら、自分の価値観よりも他者の価値観に全乗っかりで良し!と判断する方も居るかもしれないし。

人生で知りたいこと、体験したいことの好みの多様性

ただ、私は別にナニモノにもなってないけど、もう全然ナニモノかになりたいなんて思ってないし、あぁ自分でいるっていいなって思ってる。

 

ただただ、今のこの心境がありがたいです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

私がなにをしたか?

いろいろあったんですが、自分のストレスケアをしました。

 

  • 例えばヒーリンググッズを身に着けたり
  • パワースポットに行ったり
  • 占ったり
  • 霊的なナニカを気にしたり、
  • 思想とか信仰とかを気にしすぎたり etc

というこれらよりは私は自分のストレスケアが良かった。

 

この方法が万人に合うかはわかりません。私には良かったですが。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

ロゴにホームページへのリンクを貼りました。

 

 

運がよくなる。運を良くする。

シルクドソレイユで働いている方

狭き門を通る

  • 私はシルクドソレイユの公演を見たいです。
  • ラスベガスにも見に行きたい! まだ日本でしか見たことない。
  • 同じ演目でも何度も見たい。

というファンです。

 

Eikoちゃんとも東京で公演をみた。幸せでした。

 

シルクドソレイユで働いている方。MOMOさん。

日本人で、担当はダンサーさんです。

やはりシルクドソレイユで働くということは狭き狭き門らしく(それはそうでしょうね。私の想像を超えてるはずです)、その門に入って現役で演者をされています。

 

で、この方のお話を聞いていると、運は自分で創って掴むって聞くことあるけど、こういう方がそうなんだな~って思えた。

自分の保ち方、自分の維持、継続への意識の向け方。

そんなことを感じたんですよね。

 

そして、観念や言葉だけじゃなくて、運を大切にするということを体感として理解しているから慢心しないというか、胡坐をかかないというか、甘く見ないというような気もしました。

多分こういったことも含めて、運を育てていくんだと勝手に感じた。

 

自分の機嫌は自分でとる

自分の機嫌を自分でとる。という言葉が広く流通して数年経ちましたが、そういう言葉を知る前から、概念を教わる前からやる人はやっている。

当たり前だから。

 

ということを実践している方が運をつかむような気がする。運以外なら「幸せな暮らし」を送りやすいような気がする。実践しても運がなかなかつかめないと感じる方がいらっしゃるかもしれないが、心がけている方の方がそれをしていないかたよりも運を掴みやすくて、運との距離感が近いような気がする。

 

運って、掴むことも大切だけど、その状態を継続することも大切だと思うし。

 

ということを実践されている方の動画で、20分未満なのでどうぞ見てみてください。

地に足がついたお話です。

 

本当に、お人柄って年齢関係ないな~って思う。

知識量とか、学歴とか、資格とか、年収とか、知名度とか、そういうこと関係なしに、お人柄の良い方とお付き合いしたいです。

幸せを感じるから。私が。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

「神秘的」 疑い方の1つ

神秘的なら「善きもの」?

まえがき

ヒトにはいろんな価値観があって、そのいろんな価値観がご本人を支えている。

例えば、憑依体質な方が何かしらのメッセージ(天啓やヒラメキetc)を感じた時に

  • 神秘=善きもの
  • 神秘=善きメッセージ
  • 神秘=正しい道しるべ

と信じたり、思い込むのもわかる。

 

何度も登場したとあるケースをまた持ち出して申し訳ないけど、とある人物がたった今聞いた他人の話を「(私は)ヒラメイタ!」と言った現場にいたこともあるし、この例に限ったことじゃなく意識的にも無意識的にも両方あるが、他者の何かをそっくりそのまま真似をしていても、当人が「自分のヒラメキ」と感じることもある。

認知とか脳も、発想ということも境界線があやふやです。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

すぐに天啓だから「善きもの」と信じ込まないケース

他に例をあげるのならば、

瞑想中とか、何気ない時でも、「光」が見えたとしましょうか。「光=善きもの」というルールって別に法則級のルールじゃないよね? なんて思っちゃうんですよね。

すぐさま、メッセージらしく感じたものを「善きもの」とするその純粋さが私にはないのかもしれない。が、私の場合の脳内処理としては「光らしきものを感じた=答えはない。」「光らしきものを感じた=そう感じたという体験があった」ということです。

そういう意味では「一呼吸置く」みたいなことでしょうか?

時として、現象と感情が癒着していないというような傾向があるのかもしれませんが、どうでしょう。

 

これは私が、映画とか小説とかでこれでもかと情報を得た「悪いもの(映画の中などはこれが悪魔なんですけどね)は善きもののフリをする」というお決まりのパターンを用いているんですが、これらを通して何かしらを「学習」したような気がする。「結論を急ぐな」という学習だろうか?

 

という私と似たような「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というケースに遭遇したのでご紹介したい。聖テレジアさんでした。

 

あ!私はこの動画内と同じ体験をしたわけではなくて、「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というこの動画の序盤のほんの一部分だけを指しています。

悪魔ですか?神様ですか?と問う大切さ

なにかと勉強になるこちらの動画をシェアします。

 

価値観があなたの「眼」と「認知」

良いとか悪いとかいう話ではなくて、あなたはあなた、私は私の価値観で環境、周囲、情報を見ている。聞いている。

 

文頭の話に戻ると、「神秘」みたいに感じることをすぐさま善きものと思うケースもあるだろうし、(いや、ちょっと待てよ。これは何かな?)と思うケースもあるだろうし。

 

お姫様とか、王子様とか、ちやほやと面倒を見てもらう立場を「愛されている証拠・量・質」とするとか、そういう価値観を広めたディズニーのプリンセス思考を「良くない」とする方もいる。フェミニズムというものの定義を恥ずかしながら理解していませんが、女性が庇護されることに「価値」や「愛」という条件というか、決めつけみたいなものを生んだことが罪深いと感じる価値観も世の中にはある。

 

下のイラストを差し込むと、それが「悪い」と書いていると捉えられそうですが、良いとか悪いとかじゃなくて、もうこの世の中の他のいろんなこともこの挿絵みたいな現象で成り立っている。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

しかし、子供の頃のその価値観を三つ子の魂百まで的に人生の価値観として一生を生きていく方もいるだろうし、価値観の変化が起こる方もいるかもしれない。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

価値観があなたの眼のフィルターを形成し、認知となる

「高次」という言葉で表現されるナニカが尊重されたり、価値があると表現されているようですが、高いとか低いとかで価値を決めている時点で、すでに「高次」とは違うと思うんですよ。

相変わらず、生意気なこと言いますが。

 

ですが、私が書くのは観念論なのでわかりづらいですよね、きっと。

と思っておりましたら、医師の方が「高次のエネルギー」というそれ自体を高波動とした場合、高波動というのは破壊力がある。だから、スピリチュアル系の方の言う「高次元」というのはその思想を科学的?に置き換えると、破壊がおこるエリアではないか?というようなことをおっしゃっていました。(危険と表現していたのかどうかは記憶がアヤフヤです。)

 

たしかに、高周波数でガラスが割れるみたいな実験あったな~って思いました。

 

これも思想のトリックというか、高い=良い みたいな固定観念で、高ければ高いほど優れているというような「高」という漢字だけで出来上がる価値観・認知なんですかね?

 

でも、この価値観により「魔境」に吸い込まれていく方が多いように見受けられるので、疑問にも思わない単純な思い込みって結構実生活に影響力あると思う。ポジティブな面もあるし、ネガティブにも作用するようにも思うけれど、人生は経験だ!と捉えるとポジティブもネガティブもない。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

予告と全く違う内容ですんません

ちょっと! 運が良くなるって話を書くって前回予告したよね?

あれはどうなったんじゃい?

 

と私も思っていますが、こっちが先に仕上がったんで先にアップします。

運が良くなるについては、ちゃんと下書きがありますんで仕上げてアップしますね。

 

最後にこれも神秘に加えてみた

そうそう! 補足しますと

  • ビビッときた! とか
  • 感じたことがない感覚があった とか

そういった感覚で愛の炎的なものが湧いたり、強烈な吸引力でくっ付いたりするケースってありますでしょ? スピード婚とか。

始まりや出会いがそんな感じで、そして永遠にHappyな方も居るとは思う。しかし、そうじゃない方もいる。

運命の人論信仰の方にご存じの方も居るかと思うが、「ニセ運命の人」みたいな位置づけの存在があるという思想もあるんですよ。

 

「運命の人!」と盛り上がった後、数か月なのか数年後なのかわかりませんが、えらい苦労したり、修羅場があったりして、「違った! この人はニセ運命の人だった!」と認知・解釈が変わる方も少なくないらしい。(伝聞)

 

神秘体験もいろいろだなぁ~というお話でした。

 

グルテンフリー

グルテンフリー

無理だと思ってた

以前も書いたけど、数年前までパン食メインでした。米は特に食べなくてもこの先一生いけそうだと思うほど米食の欲求が低かった。

 

ところが、医師の方が動画の中で

「診察の際食生活を聞くと、病気の方のほとんどがパン食らしく、余りに多いので看護師さんがパンを食べなくなった」って話してたのを聞いて

それまでも散々似たようなことを見聞きしてても(それでもやめられないから)と食べてたのが ピタッととまった。という事もすでに書いている。

 

この話の医師自身もこの話は伝聞っぽくて、ご自身の体験談ではないかもしれないのに。

 

あの時に脳にスコンと入ってきた。

 

食べないことはないけど、滅多に食べなくなった。

 

パンのようなものを食べたい

で、グルテンフリーとか気にしてる人口割合もジリジリと増加してそうな感じで、おかげで米粉パンとか米粉シフォンケーキとかの作り方も見つけやすいこのご時世。

お菓子作りの道具もなにもないわたしができることは、炊飯器を使った調理。炊飯器を使って米粉パン(またはシフォンケーキ)にトライした。

オール目分量。

1時間後、膨らんではいないが一応それっぽいものができた。

 

この一瞬は、意識高い系民に慣れた気がした。

気をよくしたのでまた作る。が、こうすればパンに似たものが食べられるとわかったのでやっぱりパン熱は再燃しなかった。

 

その他の雑記

我が家のPCの最後の時がまた一歩進んだ。

それとはまた別に、電源が入る事なく眠り続けていたモニターの機種が古いのか?私のやり方が悪いのか、スマホのミラーリングでやりたいことが全てできていない。が、この作業の途中で得た本命ではない方法で案外各種コンテンツが楽しめているので良しとしています。

という経験のもと、あれこれ検討したけどMINI  PC導入に決めた。

 

色々あって、引越ししたい!と切に願っているんですが、引っ越しするその時まで今のPCが持てばいいと思い込んでたけど、そんなの関係なくさっさと切り替えたらストレスフリーになるのにね。

引っ越しの時も荷物が少ないし。セットアップも早いし。

OkaynowによるPixabayからの画像

 

と、思いつつiPadを持ち出してお気に入りのキーボードとマウスを繋いで今これを書いている。土俵際の粘りを無駄に見せています。

便利な世の中になりました。ありがたいですね。

 

読書より、書籍案内の方が良かった珍しい体験

世の中のあちらこちらで映画も書籍も紹介されていますでしょ。私もする。

こんな私は中村うさぎさんが紹介されていた本も数冊読んだ。

その中の1つに「霧笛」という小説がありましたが、中村うさぎさんが「霧笛」を語る方が実際に小説を読むより良かった。

 

「霧笛」

https://dic.pixiv.net/a/霧笛%28レイ・ブラッドベリ%29

 

また、紹介されたものをどんどん忘れてしまうため、読むものリスト、観るものリストを作っています。その中から

「ブルージャイアント」を選び観てみました。アニメだったんですね。コミックがアニメ映画になったのも知りませんでした。

凄かった。

評価が高くて当たり前。

「ブルージャイアント」

https://bluegiant-movie.jp/#modal

 

 

小説を読んで音が見えたような気がした名作を思い出しました。

「蜜蜂と遠雷」

 

 

ちなみに中村うさぎさんが名作とおっしゃったのはこちらもあります。

読みました。

 

ということで今回は雑記になりました。

次回はテーマのある話題を書きます。

次回は

「運の強い人の特徴」 いや、「運が良くなる習慣とは?」について書こうかと思っています。