こじか が好き。と教えてくれた。
え? 子鹿? バンビの事? と聞いたら
ちがーーーーーう(笑)
とのこと。
調べました。
こじかとはこちらだった。
授業もとっても楽しくて、好きだって。
「いいよね~ 学校の授業が好きって。」と素直に答えた。
リンク先に動画があったので、こちらを見てみた。
youtu.be
私はこういった授業を受けたことがないので、非常に新鮮に動画を拝聴しました。
TikTokで、炭酸ドリンク(コーラ?)を凍らせてジェラートのようになったものを飲む(食べる?)のを見たそうだ。
それを次回、サポートの際ウチに来たら、「やってみたい!」と教えてくれた。
自発的な実験(検証)をしたい事は子供それぞれだと思ってる。
勉強になるからと、気が向かないことを私の自己満足でやってもしょうがない。
だから、やってみたい!と聞けば
やってみようよ!と答えた。
が、私はそのTikTokを見ておらず
炭酸ジュースを冷凍庫で凍らすと爆発しないか?と心配だ。
だから、妥協案で折り合えるか訊ねた。
炭酸が入ってるのは爆発しそうで怖いから炭酸抜きのジュースでどう? と。
どうやら、その炭酸をわざと泡立てて、
泡立っていたところが凍ってジェラート感となるようですが
炭酸飲料以外で初回は実験してみよう!という事になった。
だから、
凍らす前にシェイクして泡泡にしてから冷凍庫に入れた。
TikTokでは3時間で出来上がったそうだ。
1時間おきに冷凍庫を覗いて固まり具合を確認。
薄っすら固まった時に
「シェイクしたら炭酸で作ったみたいになるかも」と提案して 入れ物をシェイクした。
形状の異なる入れ物3つで実験してて、それぞれの凍り具合の経過の違いも確認した。
なかなかな思い通りのジェラート状になり
いざ実食!
美味しい!(^^) と喜んでいた。
興味の高い時に、やりたいことをやるって良いと思う。感覚の吸収曲線が高い時は大切にしたい。
だから、興味の高い時期に、ナニカ理由をつけて先送りにするのは勿体ない。私もそんな先送りをした事があるが、どうせ後からやったので、それを思えば、素直にその最初の興味の高い時にやっておけば良かったという経験もしている。
私も楽しかった。
子どもの頃に戻った気がした(^^)
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CBSの松原先生がfacebookでシェアされていた動画です。
確認はとっておりませんが、おそらく、ホームページのこちらのコラムを読んで下さって、(ほら、メビウスの輪解説があるよ!)と教えてくださったのではないか?と勝手に感じて、非常に感謝しております。
私はFacebookで冒頭の動画のシェアをさせて頂いた際に、
————-
松原先生の投稿をシェアします。
私がホームページのコラムに「メビウスの輪のようになっているのかどうかはわからない」と書きましたが、なんと❗️😳メビウスの輪で解説されている方がいらっしゃった。
この人生の先輩も相当な「(独り)ぼっち研究者」とお見受けしました。多分このようなお話されてる時間はとても楽しいのだろうな〜と思いながら拝聴しました。
また、陰陽ハサミ✂️で補助線0(ゼロ)ラインをカットしたんだと思えました。
私のコラムはこちらです。
👇
https://takedamiki.wpx.jp/20210516/
動画はこちら
👇
https://ameblo.jp/fu-raku/entry-12392316742.html
———–
と書きました。
実はシェアしたときに、1回見ただけでしたので、
このブログを書くにあたってもう一度拝聴しましたら、
こちらの人生の先輩は歯医者さんでした。
自然医療研究所の所長さんとのこと。
そりゃあ 研究者ですよね。
そして、再視聴した際に気がついたのは、
非常に難しいというか、(先生! サラッとその前提を用いるんですね(◎_◎))という高等なお話をされていました。
ペラペラ人間と、メビウス人間という御説明は、
私も実際にあの参加者さん達に混ざってあのテーブルに座って聞いて
その時に質問が思いつけばナニカ質問させていただきたいものです。
(私は一回脳の中で回転しないと、いまいち理解できないので、本当の疑問などをパパっと質問できないことも多いです)
先生は動画の中で「陰陽ハサミ!」を取り出して、紙をカットされているお姿はとてもとても楽しそうでしたが、
私はそんなに深い意味もなく「補助線0(ゼロ)」を引きましたので、
その意味をこちらの先生の動画で(なるほど そう捉えたらそうなんだ。)と改めて認識しましたよ。
ですから、パパパッとコラムを書きますが、このように、後になって脳内でいろんな情報が練られていくのは非常に楽しいです。
ただ、私の場合は、筒井重行先生のおっしゃっているであろう「魂」ということ(意味)などを、コラムに何度も書いている「次元感覚」のようには体験したという実感がありません。
先生は動画の中で、魂について質問があった際にさらっと「命」とおっしゃった気がするが、先生のおっしゃる「命」とは何を指しているのか?ということも直接お聞きしないと理解できないような気がしているので保留中です。
私の「それを魂と表現するのなら理解できるようだ」というのは、今日現在は人智学的見解ならばということと
または、ダレながらも、なんとか、ようやく読み終えそうな非常にぶ厚い本の中に、私がコラムの中で「心の故郷感」と書いたことが「魂」と書かれていました。
このもうちょっとで完読する分厚い本がなかなかでして、
この本が発端で、私が(は?)と思っている風潮が起きたのかな? という1つの答えらしいものを手に入れたかと思うものの、(う~~~~む)と思う事も書いてあって
こりゃあこれについて書くと、またちょっと長くなるかも・・・とか頭によぎっている最中です。
まもなく完読なので前もってご紹介します。
えっ!!と思われたあなた。
わかります。
私もまさかこの年齢になって自分がこの本を手に取って、読むとは想像だにしておりませんでした。
なんとうか・・・・
あっさり書けば、UFOは私の研究対象外なんですよ。
ですから、私がダレてしまう記述も多かった。
以前も書きましたが、
UFOとか否定も肯定もしない。
サイト「こすも」に不思議な体験を書いたりしており、確かに(これはナニを見ているの?)というような体験も書いていますが
なんとまぁ、私が(これは書いても良いかな~)と思った事もこの本に似た事が書いてあり、
私が(これは流石に書けない)ということもこの本に似たことが書いてありました(笑)
内容と体験の共時性にビックリしておりますが、(なんと、『境界』という言葉も登場していたよ! 文末にリンクを貼っておきます)
しかし、だからと言って「ある」という断定もしておりませんので、
そのあたりを書きたいと思っている次第です。
(いや、あっても良いんですよ。私個人が『有る』という体験がないだけです)
この本のおわりかけ(16章)で、この書籍をかいたハーバード大学の精神医学教授も、
信じる部分と、人間の精神機能の反応の違いについて書かれていたところが
私にとっては非常にキモになりましたので、ノートにせっせと書き写しましたよ。
疑似知覚というか、まぁ憑依や解離の際の構造・反応のようなことは私の研究対象なので、そちらのとてもいいヒントになる文章がありました。
ですから、アブダクションだと感じる体験記も読みましたが、
16章以降の考察というか、そういった箇所が非常に勉強になりました。(民俗学などにも触れられていて、非常に良かった)
ですから、
結局のところ、UFOや異星人が主と言うよりも
心理や精神の話として記事を書きたいな~と思っています。
本の表紙に著者の氏名と役職と
1971年ピューリッツァー賞受賞者と書いてありますが
この書籍によって1971年ピューリッツァー賞受賞をしたわけではありませんので
こういった紛らわしい記載にどうぞ惑わされないでくださいね。
しかし、1971年ピューリッツァー賞受賞者ということは確かなのでしょうし
あとがきのようなところを読んでも、精神科医さんとして真摯に真偽などについて思考されているというのは伝わってきました。
私はそこの記載がとても勉強になりました。
境界についてのブログはこちら
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こちらの記事の続きを短く書きます。
検証と言うのは、自分でデータを解析することを指すような気がする。
または、分析。
ですから、
風評によって自説を変えることは「検証」に該当しない。
風評もそうだし、なんらかの伝聞(書籍、動画、教え、思想など)のよって自説を変えることも正誤や善悪やそういったジャッジは無関係であって「検証」では無いだろう。
しかし、ここにもスコトーマ(盲点)が有って
その風評にデータがくっ付いてきてそれらしく見えたり(真偽は問わない)
自分が実際にそのデータの裏付けを取ったような気持になると
まるで自分が検証してその結論に至ったような錯覚に陥る。
ですから、本当の本当の意味で検証をしているヒトと言うのはとっても少ないのだろうと思う。
ある意味、理想主義とは逆だろうし、そういったことは非常に泥臭く、自分の好みなど無関係に現実をみる(ガッカリも引き受ける勇気)みたいなものも必要になるのかもしれない。
そして、検証できるものは自分の目(耳?)で確認したものであるというのも
忘れがちである。
自分で検証できない類のことを他者のデータを流用して思考の元とすることが多いが、自分の目で見た事と、他者のデータ(論文データも含む)が溶け合って曖昧にならないことも大切なシーンも多いだろうと思う。
そういう意味では真実というのは、私たちが想像しているよりもとっても少ないという可能性があるのかもね。などと思った。
そして、コロナ関連に関して、その真偽がどうのこうのという事に関して今後も書くつもりも無いが、
1つ、世の中のデータや私の目に見える範囲を見て思う事は、
コロナ騒動が始まって、手洗いうがいという公衆衛生の基本が世の中に広まったら、コロナよりも致死率が高い(と言われている)「インフルエンザ」の罹患率が低くなった。
という事は言えるような気がしている。
また、この騒動の影響で生活に不安を感じる方もいらっしゃると思います。
せめて、ストレスケアを毎日の生活に取り入れて、少しでも落ち着きのある時間をお過ごしくださいませね。
あなたの生活が一日も早く明るくなりますように。
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人間は、自分の第一印象を訂正することが嫌いだそうだ。
だから、年月を経てのその後を検証するなどということを好む方が珍しいらしい。
第一印象が正しかったと信じたいので、
信じ続けられるように情報を補正したいそうだ。
そりゃあ、自分が信じていたものが違っていたとなるとガッカリする。勝手にそう思い込んだのは自分でもやはり最初はガッカリ感を感じる。
私もかなりガッカリしたことがそれなりに多いが、そのおかげで鵜呑みはイカンナ。などと学習したし、
あぁ私は信じたい物事を信じ続けたいという欲求よりも、
信じていたものがもしも変容していくのならその変容の様を知りたいという欲求や
自分が変わったのなら、どんな風に変化を遂げたのかを知りたいという欲求の方が優先することが多いのかもしれないな。と思うようになった。
以前も書いたことがあるけれど
「あんたには執念が足りない。諦めが早すぎる」と学校の先生に言われたことがあって
それがショックと言うより、(そうなんだよな~)とその指摘眼に同意したことがある。
当時こんな口調は存在していなかったが
(そうなんっすよ、先生。 自分も困ってるっす)と言いたいほど、その通りなご指摘に感じた。
諦めちゃう理由なども、私なりに大変なことがあって、日頃の我慢がプチっと弾けて、それもわかって欲しいというような気持も込めて返答もしたのだが
「甘い」と一刀両断だった。
「あんたより大変な子だっている。」という事だった。(その時は知らなかったが、確かに大変な子がいたことを後から知った)
いやぁ~あの先生は私には良かった。
私の不満・苦しみなんて他人は言い訳としかとらえない。あんたは甘いんだ。という一言で終わるんだな。というあのバッサリ感。
私にはあーゆー言い方が良かったんだと思う。(社会は厳しいもんだな。人生は自分持ちだなぁ。と思ったもんねー (笑))
私は可哀想なんだから、他人はそれを理解して私に優しくすべき。なんてのは軽~~~い風に飛ばされる程度のことなんだな。甘ちゃんだな。と思えたのは良かった。
興味のないことに執念が持てない。
当たり前なんだけど、自分が一体ナニに興味があるのかイマイチ ピンときていない時代など ピンとくるものが現れないと、(私はこのまま一生 執念がないままに過ごしていくのだろうか? なんだかそれも大きく欠落しているような気がするが)と思っていた。
そんなことを思っていた時代ですら、本は読んでいた。
難解なものも、なんだかよくわかっていないものの とりあえず投げ出さず最後まで読む。目を通す。という執念はあった。(笑)
いや、執念じゃなくて、我慢強さを培ったのかもしれない。
一旦読み始めた本を途中で投げ出すというのは嫌だったので、今となっては読んでも理解できているとは思えないような本もあきらめずに読み終えていたというのは、意地か。
が、学校の先生は私が読書が好きなどという事は知らなかったし、私もずっと同じ部活を続けたわけでもないし、(執念あります!) という意識もないものだから、執念が無いと言われたら(そうなんだよな~)と素直に受け止めていた。
ある意味、「執念が無い=続かない」というのが、何かを続けているヒトを見た時に(凄いよな~)(私にはできないんだよな~)という引け目にも繋がっていたように思う。
しかし、まぁ、生き抜いていく以外無いしな~ それは(その時、その時の)今は出来ているから良しとするか。とゆるく折り合いをつけてきたようだ。
しかし、ある日気がついたことがあった。
執念が無くても、続けることが苦にならないジャンルのことが自分にあることに。
というか、「執念」と「続ける」ということは私にとっては全然性質が異なっており、
続けていることの方が車のギアで言うと 軽い。
だから、自分にも負担がないので 続く。というサイクルのようだ。
ちょっとしたことなら続いてしまうので、
習慣になったのち、(これ必要?)と改めて検証して
あえて習慣化した行動をやめることもある。
例えば、3か月くらい続けて、3か月後に3か月前と比べてみて(今どうよ?)という自問自答をしたりする。
とか、いう感じて、検証と言うか、観測したりする。
天体観測のような、じぶん観測だ。
ですから「執念がないとダメ」という言葉や常識?の方が私には合わなかった。
しかし、「執念深く行動を続けて」夢や希望を叶えて、結果を出している方の方が多いんだと思う。
こんな風にじぶん観測をしてきて思う事は、
自分の生き易さって最初から答えを探すもんじゃなくて
いろいろやってみて、傾向がわかってくるような類のことだと思う。
そのいろいろやってみる際に、
他人様のやり方を真似しようとして上手くいく時もあれば、全然上手くいかない時もあるなんてことは当たり前で、
上手くいかないことにフォーカスするよりも
「自分」にフォーカスして、答えではなくて「傾向」をあぶりだしていく方が建設的だと思う。
そのやり方すら、「自分に合うやり方」をあぶりだしていくと思っていた方が楽だ。
答えが無い、答えが無い、
できない、自分にはできない。と考えていてモヤモヤしているより健康的だし、視野が広角だと思える。
そのモヤモヤこそストレスケアした方がいい。なぜモヤモヤするのか自分を見つめてもいいと思う。
合理的。
ですから、
検証に興味がないと、今日の御提案はお役に立ちにくいだろう。
そもそも、試してみないと向くか向かないかわからないことって多いけど
試すこともしないのならその先に何を期待できるのだろうか?
そんな場合は、たくさん本を読んだり、ヒト様と対話して
「ではどんな方法が自分に向いているのか?」のヒントを得ることをお薦めします。
なにか1つ、それらしい方法が向かないからと言って
落ち込む必要も、イライラする必要もないですよね。
他人(他人のやり方)をコピーできないことがストレスにお感じになるのかもしれないが、私もそれが執念のシーンでできないから同調とコピーを諦めたわけですよ。
その代りに
数打って 当てていく、という方法もあるなぁ という考えに現在は至っています。
急がない、焦らないことも大切ですね(^^)
焦った時にはストレスケア、イライラしてもストレスケアをそんな時こそどうぞ。
直ぐに答えが欲しい方は、
おそらく私のコラムもブログもあなたのお役には立てないと思う。
あなたに向いている書籍や動画などに出会えることを願っています。
また、私のご提供していることでイライラしたり、なんか腹立つ。と思われる方は無理して読んで頂かない方が良いと思っています。
私がもし作家だとしたら、書いたものを読んでいるとイライラするならお金出して書籍を買いませんでしょ?(買いますか?)
無料だから読んで下さっている方が殆どだと思いますが、無料だからと言ってイライラするものを読むのは時間の無駄です。
もし私が相談者さんに「あの人のブログやコラムを読むとイライラするんです。」とお聞きしたら、「読むことをしばらく、もしくは今後長期的にやめるという選択肢はありますか?」と質問しますよ。
もし、「武田さんならどうするんですか?」と質問されたら、「読みません」と答えるし。
私が世紀の大発見をすることはまずないだろうし、
多数派でもないし
権威でもないし
何度も書きますが、正解でも法則でもないです。
読まなくても何の脅威もありませんよ。
読まないことが損にならないですよ。
知らなければ、損も得もないんだから。
そして、私のコラムをめっちゃ周りの方に薦めてくださっている方も存じ上げませんし。
「読んでますよ!」と爽やかに教えてくださったのも、女性数名のみですし。
Facebookなどにコラムやブログのシェアをするのだが、それに いいね を押してくださる方も固定のありがた~~~い数名の方のみですし。
ですが、これらとは全く連動しないホームページの訪問者数と滞在時間。これも私のご提供している情報の特徴だとただそのままを鵜呑みにさせていただいています。
ホームページをご愛顧頂きありがとうございます(^^)
どうぞストレスケアをして過ごしやすい日々を送ってください。
そして、どうぞ何かありましたら書いた本人の私へお知らせください(笑)
ご予約承っております。
個人セッションでそのあたりをストレスケアするとともに、ご意見を拝聴します。
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私は社会福祉協議会のほんの一端のお仕事をしている。
ボランティアではないが、そういった意味合いが大きい。
で、関わる皆様に私もいつもお世話になっており
私のような微力ぶりでも、感謝してくださる。
月に一度、日常生活支援総合事業の生活支援員として足を運んでお会いする方が数名いらっしゃるのですが
その中に、施設へ訪問するケースもありまして、
その施設のスタッフの皆様にも非常に非常にお世話になっています。
コロナ騒動が始まって、余計に色んな注意点があってとっても大変だと思うので、
どの方にも頭が下がります。
新しいこんなスタイルになり、もう1年以上経ちましたよ。
こういった新しいスタイルになったからこそ
私が会話を交わすようになった施設のスタッフの方も多いわけです。
で、その対応してくださる姿勢を拝見していて
私の心が洗われた!と思うような事もあります。
なんという胆力の持ち主だろうか?と思う時もあるし
その精神力や、純粋さに感銘を受ける時もある。
社会に生きていたら情熱や優しさを維持するのが難しい時ってあると思うけど、初心を全然忘れるつもりのない方も拝見する。
そういった方と接して、私の心が洗われるのである。
上のようなことを私が受け取らせて頂いているわけですわ。
ありがたいですね。
実は、こういった役割の皆様って全然目立たないことが多い。
出世欲の有無はわからないし
自己顕示欲も低いようにお見受けする方も多い。
居ないと大変なのに、居ても軽んじられるという不思議な「損」をしているような気がする時がある。
こんなことを想った時にいつもこの映画を思い出す。
この中に、悪魔に幻想を見せられてコンビニで倒れたアルコール依存症の神父さん(か牧師さん)に駆け寄る男性を思い出す。
コンビニの店員さんだっただろうか。
そういえば、キアヌ・リーヴスも多くの寄付をしていても全然公にしないらしいし、ご本人は質素な暮らしをしているという噂(あくまで噂。私の目で確認していないので)だし。
だから、心が洗われた!と思うような方をお見受けすると(男性も女性もいらっしゃる)天使なんだな。と頭によぎる。
スピリチュアル系のイメージの天使については全然知らないが、
現実社会の中の天使には非常に心が洗われる。というか、救われる。
ありがたいです。
現実の天使達が見えなくなったら悲しすぎるので、
いつまでも見える(気がつける)自分で居られることを切に願う。
そして、損も覚悟で粛々と対応されている様に私には見える あの天使の大人達がとっても報われて幸せに暮らして欲しい。
神様からの祝福がありますように。
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現在ぶ厚い本を読んでいる。
まさか私がこの手の本を 大人になって随分経つのに読む日が来るとは!
というジャンルの本だ。
まさか読むとは!と思いつつ読み始めたら
こんなに共時性が有って良いの???
と思えるような内容だったりするんだけど、
正直ちょっとダレてる。
細かいことはホームページのコラムに書きたいが
それもちょっとどうだろう?と考えながら読んでいる。
ジャンルとしては
不思議系の記事を書いているサイト「こすも」なのだ。
ダレてきて読むスピードがグングン落ちているので
何かを書くにしても、どのみちもうしばらくしてからしか書けない。
いやぁ ちょっと悩むというか、迷うなぁ
やっぱ「こすも」に書こうかな~
上の記事を書いて
陰陽の「境界」が大切
という投稿を拝見して
私の体験にも特徴的な「境界」は確かにあった(脳内で視認した。の意味)。
その脳内視認したまさにその時に、(へぇ こうきたか)と感じたからこそ
(じゃあ もう帰ろうか)と戻ったわけですけれども
松原先生のお書きになっている「境界」とは果たしてどこを意味しているのか?は投稿でもお訊ねしていない(そうなんですよね。)し、もちろんメッセンジャーなどでもお訊ねしていない。(私はしばらく前からメッセンジャーを使用していない)
図だけ見ていても「境界」の該当箇所は沢山あるし
意味ならば、それこそ直接お尋ねしないことにはわからない。
で、(境界かぁ・・・)ということでようやく検索してみた(笑)
素敵な記事がヒットした。
この方の記事を拝読して、自分に気がついたことがある。
波動という言葉をイマイチ使いたくないその理由(の1つか?)だ。
この方の記事を拝読して、「波がある」というのは私も諸手を上げて賛同したい。
人生も大きな周期があるような気もするし、
私が使う事をこちらは余り抵抗感がない電気についても、波形がある。
そして、私がホームページのコラムに書いた
こんな図がS字を書いて動いている動画などは痺れた。(笑)
非常に嬉しくなった。
どうやら、波動と言う言葉を口から発したり、書いているのを拝見した時に私が反応しているのは、その多くの「波動」という言葉が使われている際に
「これには波動があるんだよ。だから良いものなんだよ。間違いないんだよ。」という感情が込められているのを、それこそ勝手に(わぁ 「信じなさい」って言われてるみたい(-_-))と感じるからだ。
そんな波動を感じてしまうからだろう(笑)
波動教か? と感じる場合と、フラットに見聞きする この差に自分で勝手に反応しているだけなんだよね。(笑)
皆さんもご存知の通り、わたくしヘソがグンニャリ曲がっておりますので、(波動の有無が無条件に良いわけじゃなくて、どう影響しているかの経過観察をしていく必要があるよな~)という余白を持っていたいだけなのです。
波動って目先のミニサイズばかりじゃないよね? そのミニサイズの波は、もっと大きな波にはどう影響しているの? どう関係していくの? と考えているので、「良いでしょ! 良いんだから yesって言えばいいのに!」と言われるかのような論調(言外に現れていると勝手に感じている)だと、(そ、そ、即答できません。したくありません。)と言いたくなるという臍の曲がり方です。(笑)
何も言われなくても、良ければ良かった物事として「こりゃ良いね!」と確認しますのでお時間くださいって感じ。(^^)
ですから、私の文章や発する言葉にも 私が信じていることが影響しているだろうから、私の発信するものに反応されて、「絶対に抵抗してやるぞ。言う事なんて聞くもんか」と心に誓っている方が居ても私は全然驚かない。
私個人の希望としては、日々の暮らしが過ごしやすくなったり、生きづらさが緩和されたりというようなストレスケアに繋がることはご提供したいが、
個人的に考えている「人間道」のことは、あくまでも個人の好みの話なので、体験のシェアをしているにすぎないつもりですから、その方面のことについて「絶対に抵抗してやるぞ。言う事なんて聞くもんか」と思われて、ご自分で人生設計して頂けたら幸いです。
なんと、ご紹介したステキ記事には
私のかつての「51%と49%の切望」についても触れてあったではないか!
私は 善51% 悪49%とそのイメージを表現していたのですが、
この素敵なブログでは 陽49% 陰51%と表現されていた。
似てるけど違うのもいとをかし。
下に詳しく書いています。
このステキなブログの方のお言葉をお借りするのなら、
私は陰陽論(を含め、色々な思想)を知らず知らずのウチに選択し、実行したかったようだ。
このあと、50:50になったのもいとをかし。
が、そのあと、西洋的な思想へも針が大きく触れて、幅ができた。
というような感じなのだろうか?
結局のところ、新しい発見などはあったものの、境界についてその真意は不明です。
境界については、やはりいつの日か松原先生のお会いする事ができましたら
そしてこちらが重要なのですが、私がこの話題・疑問について お会いできたときに覚えていられたら ぜひお訊ねしたいと思っています。
覚えていられるといいな~
忘れないようにメモしてても、メモを見るのを忘れちゃうんだよな~
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ファミリーサポートで子ども達と接する。
赤ちゃんもいる。
小学生も多い。
私達はマスクをして対応する。
検温もする。
我が家なら、窓はフルオープンだ。
ファミリーサポートセンターの方針を伝えてもらっているので、その方針を優先しています。
親御さんも、
サポートをお願いしたらノーマスクのサポーターが現れたら今どきは心配されると思う。
しかし、
大人の表情を見て顔の動かし方などを子供は学習するし、口調と顔つきを関連づけたりすると思うんだけど
それがなかなかする機会が無いのは大変だろうなぁと思っている。
親御さんと自宅に居る時は、マスクをしてないから、全く表情を見ないわけじゃないけど
保育園や学校の先生もそうだし、私のような余り接しない大人の表情も見えにくくするわけだから。
学習する際の母数が少ないだろう。
目しか見えないから、
見えている目から判断する能力が伸びるかな?とも思うが、どうなんだろう。
色々影響しますなぁ
皆が皆、顔の一部のようにマスクをしているというのも。
ひょっとしたら、コロナが拍車をかけているストレスの中に
という脳の特徴を持つ方がより一層シンドイという事も想像しやすい。
視覚情報に頼り切りというか
脳の性質上 視覚情報に影響を受ける度合いが高いというか。
誰でも視覚情報の影響は受けるけど
私が感じる以上の強いストレスを感じている例は有るだろうと考えています。
子ども達からはここしばらくの社会は
どのように見えているだろう?
ヒトとの距離の取り方も
どう学習していくのだろう。
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昨日のコラムの続きです。
怖かったですか?
もし怖くなった方がいらしたら、ごめんなさいね。
怖がらすつもりも、なにかの啓蒙活動でもなんでもなく
SF映画ならば。という空想話を書きましたが
昨日書いたような倫理感というのは
薄らいで薄らいで、
多分、そもそもそんなのを気にしていない方も世の中を動かしていたり、大切な事を決めたりすることも多いんだろうな~って思っています。
コラムにもいつも書きますが、善悪ってパッと見で判断できないことって多いですよ。
そして、善悪とかもう全然考えないのは、犯罪者ばかりじゃないような気がします。
映画とか、ドラマとか、小説とか、歴史とかの中でも度々取り上げられたりしてきた事を考慮するのならば。ですが。
私は自分ができることはしたいと思っていますし、
行動も心がけていますが、
私の手の届かない辺りのことは
確かに (あーあ ヤレヤレ)と思います。
が、それに影響をうけて
する気持ちもわかりますが、感情が際限なくザワザワする方が嫌なので、自分の出来ることに意識を向けるようにしています。
こういった事に、完全に囚われて ずーーーーーっと文句を言っている方も多いようですが、そのあなたの文句が周りに与える影響も、あなたが見聞きしてイライラさせる情報と結局一緒の役目をしている可能性もありますよね。
ということも、私も過去やらかしていることもあり、思考と行動修正に至ったわけです。
そう、前置きが長くなりました。
昨日のようなことを書いたのは私なりにヒントがありまして
それはネット内のまことしやかな噂話をヒントにしたわけじゃありません。
Apple TVで、
コロナで人間の活動が減り、大気汚染も、海洋汚染も、川の色も変わり
野生動物がヒトの居ない街を歩いているというドキュメンタリーを見たんですね。
「その年、地球が変わった」
ウミガメのふ化率が上がったり
人間が発信源となっている騒音が減り、クジラの同志の会話が聞こえやすくなったり、
サバンナの親子の居場所を確認する声がかき消されなくなって生育率があがったり
ずーーーーっと見える場所にあったはずのヒマラヤ山脈(だったかな)が生まれて初めて観たこと(30年間見えなかったという解説だったように思う)などをこの番組で見ている中に
ヒトがいないリゾート地に繰り出してきて、リラックスしている野生動物たちが居たんですよね。
ヒトが居なくなると、一気に活性化する野生動物。
または、野生を思い出す動物を見ていて
そして昨日のブログを書いていたら
(人間が電子機器を保持していなかったら? 人間が電子機器や社会生活からの磁場を帯電していなかったら? 丸のまま、過剰に帯電していない人間や電波を発していない人間が同じようにいたら野生動物の感じ方は違うんじゃないだろうか?)と思えてきたんですよ。
野生動物の眼、というか、野生の脳には、
今の人間や電力を発する文明の利器はどう映っているんだろう? と思えてなりませんでした。
また、食物循環に組み込まれて問題視されているマイクロプラスチックですが、もう問題視するのは遅すぎましたかね~
顕微鏡で見ないとわからない微生物の中にももうプラスチックの微小片 マイクロプラスチックが含まれているそうです。
こちらでご紹介した書籍に書いてありました。
私は非常に心を痛めており、数年前から、これについて何ができるだろう?と考えた時に、手っ取り早くペットボトルを買わないことにしたんですね。
自分用には買わないことができる。
基本、マイボトルを何年も持ち歩いています。ヒト様から頂いて飲んだ後の空きペットボトルがマイボトル代わりの時もあります。
ですが、食物連鎖の結果をわたくしも飲食物として頂いておりますので、止めることはできないが、せめて私の分だけでも減ると良いな~と思っています。
世界の量から見たら、なんの役にも立たないですし、マイクロプラスチックの元はペットボトル以外にも沢山ありますが。
なにが書きたかったかと言いますと
マイクロプラスチック(または、プラスチック、ビニール)は、その細かくなる過程で、もう帯電していなくて、
生物の多くが
(おや? 今コレを食べようと思ったんだけど、なんかコレから変な電気が出てるから食ーーーべない)という反応が起きないから生物の奥深くまで入り込んじゃったのかな? とも思ったりしたんですよね。
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