Facebookだったか、こちらのサイトだったかはっきりしないが
節分辺りに変化が出てくるような気がする
という予測を書いた。
予感は的中の兆し。
何がどこまで変化するのかはわかりませんが、チラホラと変化の兆しについて耳に入ってきています。
それらと私自身の生活との関係性などがわかるのはもう少し先になります。
壮大な宇宙や、壮大な法則などを難しく勉強したり、誰かの「説」を鵜呑みにするよりも、
私自身は自分の身の周りや、目に見えたり、耳で聴いたりしているつもりの「実際」の体験値、経験値から
- 法則はあるのか?
- 法則はどの程度の確立・割合で遂行されているのか?
- 因果関係は有るのか?無いのか?どの程度なのか?
を人生分蓄積して分類しているような傾向があります。
分類しているだけです。
結果や結論について、どこが結論なのか全部知ることなどできませんから、バタフライエフェクト的に終わりはないと思っています。
だから、観察(事象の観察という意味。科学的に。という意味です)と分類だけになります。
ですから、こういった個人科学データにはあまりバイアス、色眼鏡、決めつけ、思い込みは影響しない方が良いのです。
とはいっても、やはりバイアスはかかる。
そうすると、「あなたは思い込みで物事を観て、判断していましたね」ということを教えられるような出来事(データ、事象)が起きて ハッとさせられるようなことも起きます。
それも分類して集積していきますが。
そういう意味では、こういった仕組みは良く出来ているな~と感心する。
自分は特別だと思っていないつもりでも、高慢さに ハッと気がついたり、
気が滅入るようなことがあって、自分の価値の低い扱われようにガックリしそうになったときに、「とはいっても、生きてるだけで大感謝で大幸運。世界一幸せかも。」というようなことに気づいたり。
自分の強さにも、自分の弱さにも遭遇します。
自分の周囲の変化もスゥ―――――っとその原理?のようなものが見渡せるような気持になったりすると、
「目の前の事象は事実でもあるし、うわべでもあるなぁ」なんて感じたりします。