一線を超えない決意というものは
「一線」が何か見えていないと(捉えていないと)そもそも決意を持てない。
それを私はどう表現しようか?と迷い
これまではそれらを「厄介」と表現して書いてきた。
「一線を超えると厄介なことになるよ」という感じで使う。
それはこの記事にも書いたことがある。
kinesiology.wp-x.jp
こういうことは、習うことじゃない。
いや、教える人はいるだろうけれど
そもそも教わることでもない。という意識が生まれつき備わっているとしか思えない方とお会いする機会が増えている。
会社勤めもしていない今、日常的に私がお会いする人数はひどく少ない。
それなのに、分母と分子の開きがこんなに少ない時間を過ごしているのは初めてだ。
密集度が高まっている。
トンデモ発言と受け止められてもしょうがないが、
このような特徴をお持ちだとお見受けする皆様の共通点は
「生まれつき老成してる」という感じの属性の方達とでも言おうか、
倫理観や知性が子供の頃から発達していらっしゃるようで、これもまたいろんな発達の程度の方がいらっしゃるようだ。
そこでだ。
この属性の方(と、勝手にグループを創りましたが)は漏れなく
「超えない一線」が見えておられるようだ。という共通点がある。
超えない一線が見えているばかりに
余計に大人になる時に苦しい。と言うこともお察しする。
こんな属性に生きているようにお見受けする皆様の律儀さや真面目さは
相手もそのような感性が無いと伝わらないし、理解してもらえない。
こんな皆様の倫理観や真面目さ、律儀さはややもすると簡単に他人の踏み台にされちゃう。
そんなことで損をすることも多いだろうに、
グッとこらえて、知性的、理性的に行動しているその姿に気がつく人は少ない。
が、気がつく人は気がつくし
老成チームの皆さんも見ててくれる人、気がついてもらえる方と出会うと救われる気持ちがするんじゃ無いかとお察ししている。
そんな一線なんて無視してやっちゃったりする方が楽なように思える瞬間がこのような老成チームの皆さんも感じてはいるんだろうけど、それをやっぱりやらないのがカッコいいし、シビれる。
そう、かっこいいんです。
人間がカッコいい。
そんなの無視してやっちゃったりされるケースは多いし、
流される方が楽だよ。って言う価値観も多い。
それを自分だけがそれが実行できる「倫理観」によって律して生きていると
(超えない一線が見えてるということは、もっと他にもいろいろ見えているので)
これらと上手く付き合っていくコツが分かってくるまで、エネルギーの浪費がひどいとお察しする。おそらく生きづらさも散々感じてこられたのではないだろうか?
コツがわかるまでは、
これが(強いチカラ)が自分に向いてしまい、自分を苦しめる、痛めつけてしまう原因になっていることがある。
最近お会いするお若い方々は
この手の「チカラ」(と表現しておくが)飛び抜けている方が多くて
先述した通り、こんな頻度でお会いするのは、多分私の人生初のペースです。
女に二言はない方もいらっしゃるし
男に二言はない方もいらっしゃる。
お若い皆様にお会いすると、「年齢など関係なく、やはりこのような方々はいらっしゃるんだなぁ」と私が救われる。
頻繁にお会いするわけではないし
次に会う予定が決まっているわけでも無い皆さんなんだけど
こんな風に粛々と生きていっている方々のサポートとして何かお役に立てるのなら喜んでやりたい。
自分の決めた道でも、なかなかシンドク感じる時があると思う。
そんな時にストレスケアのお手伝いができるなら本望だ。
何も言わない人は、何かと後回しにされちゃう。
私はもし気がつけて、お役に立てることがあれば、後回しにせずやれる時にやりたい。
ご本人が後が良いなら、その方の望む時期を教えてもらいたい。
武士道とかナントカって言わない方のほうが
よっぽどその道を歩いていると思えたりするし、人間がカッコ良くて信頼できる。
そんなカッコいい背中に気がつける感性が自分に有りますように!と願っている。