いざPCを前にしたら、書きたい事は一通り書いたなぁ、さて、どうしようか?と思っています。

 

ですが、願望実現系と言われている儀式みたいなこととか、段取りみたいなことをやめたと書いた後にどうなったのか?について書いておこうと思いました。

あと、言霊などについて過去に書いたことも併せて。

 

そして、そのあとの「今」

そのあととは?

そのあとというのは、願望実現系と言われている儀式みたいなこととか、段取りみたいなことをやめたあとです。

 

実はいろいろ昔願ったり、思い描いたり、紙に書いたりした状態になっていることが多いです。

それらをやめた後、数年後に気が付いたら(あら、忘れていたけど 昔願った感じになってるんじゃない(◎_◎))と。

 

願望実現系に、「強く願ったらあとは忘れること。」というような解説もあった気がするし、私もそれが良いと思っています。そこには、「操作しようとしない」というニュアンスが含まれているんじゃないかな?と想像しています。

執着しない方が良い。みたいなニュアンスも。

 

願望実現系、引き寄せ系もいろんな流派があるのかもしれませんが、私は願ったら忘れて目の前のことをコツコツ、粛々と行っていくというような解説が自分の体感としても受け入れやすい。特殊なテクニックをつかって近道しようとしたり、願望実現系、引き寄せにハマって、いつも間にか本質からずれて全能感に浸ることにスイッチしちゃうことじゃなくて。

 

こういったことが「エリート気取り」という辛辣な和訳が的を得ていると感じる所以かなぁって。

ElisaによるPixabayからの画像

禅病

ヨガをしている方が全員そうなるわけじゃないけど、ある一定の割合で禅病風味になっていかれるように感じるのも、こういったあたりに影響を受ける方と、自分のやりたい事ややりたくない事、なりたくない自分を基から意識しているか否かの違いがあるような気もする。

 

優越感やプライドみたいなジャンルですかね。

人間だから、ややもすると、いや、いとも簡単にくすぐられる辺り。

 

今回のシリーズと結びつけるならば、それが松果体のアンバランスを引き起こすということなのかな? ということは「スピリチュアルエリート気取り」とわざわざスピリチュアルと書かなくても「エリート気取り」でもいいんですかね?

 

「純度」という面で考えると、「エリート気取り」でも「スピリチュアルエリート気取り」でも同じように曇りがでるような気もするけど。

 

そうなると、純度、松果体はIQ、情報量、知識だけではなんともならない。こうなってくると精神性のようなものの大切さが引き立ってくるのかもしれない。だから難しいんでしょうね。何かのレールに乗っているだけで構築されるものではなさそうだから。

 

松果体も、何段階もの状態の「質」があるんだろうと思えたりします。

何回登場すんねん。ドリーン・バーチュー氏

信じているもの、信じていたものは変わる

治療体験記 後日編-1 煩悩トラップ

 

治療体験記 後日編-2 煩悩で煩悩を制す?

 

上にリンクを貼った以外にも登場いただいているドリーン・バーチュー氏。

私はまだ何か気になっているようで、頭にチョイチョイ浮かぶんですよ。「サタンの声」と表現したその感覚はなんだろう?って。

 

そして今回のシリーズでまた1つ勝手にしっくり来た。

それは、何かしらのメッセージが聞こえる、得ているというその感覚がおそらく今回書いてきたような「全能感」みたいな感覚なのかもしれないなって。

 

自分の脳内に浮かんだそれを(メッセージ)を「善き」と即解釈し、信じ込むその感覚がすでに「平」ではない感じ? もう少し書くと、それを自分のこととして自分で活用するのではなくて「ありがたいメッセージですよ」と流布する、コンテンツとして流通させるという行為が「全能感」をくすぐるイメージなのかもしれない。

それをドリーン・バーチュー氏は「サタンの声」と表現したのかな?と。

これらを信じて、無考えに「ありがたいメッセージ」と NO thinkingで自分の中にスルっと入れちゃう無防備さを誘発するのも、まぁ見ようによっては悪魔的と言えばそうなのかもしれない。

 

重い軽いはあるものの、カルトってこんな感じで始まったりすることある気がする。

そういったメッセージ類でセッションする側も、される側も好き好きだし、OFFがONになることもあるし、救われると思う感覚もあるし、本当に人の好みと取捨選択は様々ですね。

 

悪いかどうかも知らないし、良いかどうかもわからない。

 

それらが精神性にどんな影響があったのか?なかったのか?は、凄く長い時間が経った後にしかわからないかもしれない。文中のヨガや瞑想の影響か?という話題から一周回って同じことを書くけれども、何をどう使っても良い影響も悪い影響も受けないほど自己がしっかりしている方も居るだろうし。

 

しかし、いつも通りになりますが、影響を受けたから悪いとか良いとかないしね。自分の人生の過ごし方の好みや、自分の人生を過ごす最中のアイテムだし、信念に沿っていたらそれは個々の選択ですし。

 

人間、人生って不思議です。

まとめ

いったい何が書きたいねん。みたいなことに相変わらずなってしまいましたが、自分勝手に脳内にあったことを書けてスッキリしています。

 

ElisaによるPixabayからの画像

 

言霊

あ!忘れてた!

言霊について書くと冒頭にありました。

 

以前にも書きましたが、「無理。」「一生無い。」と口に出して発言したことも私の場合は数年後にクリアしたことがあります。心理的には(そりゃあそれが叶ったら良いだろうけど、まぁ無いな。)とか、(今の生活にその選択を叶える可能性があると思えない)と言う感じでした。

これらは、それらが現実化・実現して暫く立った後、(あぁ そう言えば叶ってるじゃん (・・)  なんというか、忘れてたけど確かに叶ってる・・・ (・・)  人生こんなこともあるのね~)と。

こんなこともコントロールされたり、影響受けたりしませんか?

お願いするときにやたら「言い方に気をつけろ」とか「書き方に気をつけろ」とか言われていませんか? で、そういわれるとナーバスになりますでしょ?

自分が言い方、書き方を間違えて叶わなかったらどうしよう!とか、完璧にしないと叶わない!とか恐怖心をあおられるんですよね。 そして正解は何だろう?とどんどんハマっていくし、ヒトをコントロールしたい人に影響を受けすぎてしまう。

これらを伝えている側も良かれと思っている方も居れば、私はアッチ側(どこ?)なんで知っていますから教えてあげましょう、私が正しいのよ。みたいな方も居る。

 

私は(なんだかな~)と思って離れたというか、やめたというか。

そういう細かいこと以外にも大切なことってあるんじゃないかと得意のへそ曲がりを発動したんですよね。

 

ですから、ヒトそれぞれ、正解というか、生き方があるということにしています。

 

私は引き寄せの法則を伝える側の方が、引き寄せマスターという立ち位置のまま、「思い通りにならない」という出来事と格闘された事例を見聞きしたり、信頼できるアガスティアの葉を見て、「過去もあっていたし、自分の今の事業の成功も知っている。」とおっしゃった方がその事業が成功しなかった事例も見聞きしたことがあるんです。

私たちは確証や保証が欲しいし、安心したいですし、思い通りに物事運びたいし願います。ただただ安心が欲しいばかりにあおられ過ぎるのではなくて、自分は安心を得たがっているという自分の心理を知っていても良いと思う。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

なんにせよ、生きているとありがたいことが多いです。

自分でなんとかできる範疇を超えているありがたいことが多い。

こういうことを素直に思える2023年11月8日が来たことがありがたいです。

 

皆様の人生のHappyもお祈りしています。

 

 

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像