混同しがちなところ
本日時間があるので、どんどん書いていきます!
まずはこちら ↓ の記事の補足からスタートです。
精神性ではなくて、ただの脳の傾向
私の書き方が悪かった
”
自分でも、ふわっとしない感じが不思議だなぁと思ったのですが、きっと、1回目の通過儀礼は通過したのかな?程度に受け止めました。多分生涯こういった通過儀礼はやってくるでしょうからあと何回有るのか不明ですが、只今のところは根がはれているいるのかな? 第1チャクラが健康な状態なのかな?と受け止める事にしました。
一応、日頃セルフケアしてるんで(^^)
”
と書きました。
トラップ云々も書きました。
が、自分の書いた文章を読み返して、(違うな)と思ったところを補足したいです。
というのも、私のような表現をすると、ふわっとするのは精神性や「誘惑」みたいなことに弱いというようなニュアンスに受け取れる。
そういった一面も影響するケースもあるが、私の場合はこういった事への耐性として「強さ」があるということではないことに気がついた。
何かしらの鍛錬をした結果、強くなり耐性がついたということではない。
ただの脳の傾向
じゃあ、私の場合は、こういった方面について割とどっぷり浸かったとしても、スッと離れることができたりすることがあるその理由は? (とは言っても、お菓子も食べれば、物欲もある)
簡単です。単なる脳の傾向です。
ふわっとする感覚が分からない訳じゃないし、推察する共感性のようなものもあるのでしょうが、多分、私なりに、その事象や知識について脳内の整合性を問う。というような癖があるんだと思う。
正解とか不正解ではなくて、「納まり具合」というような感触を内観して確認するような脳の癖があるんだろうと仮定しています。
そして、自分なりに納まるまで、脳内で静かに反芻し続けるようだ。だから、この反芻中に(アレ?)というおかしな部分と感じるところが出てきて、アレ? ナンダカシックリコナイ。ナンダカフニオチナイ。と進行すると、脳内吸収のベルトコンベヤーから外されていくという感じ。
それらを信念みたいなところに組み入れるとか、組み入れないとかがその先にあるんだと思う。
全ての事象や知識の整合性を問うというようなことは当然私の場合はしていませんし、どだいそんなことは私には不可能だと思って居ますが、どこをどの程度組み入れているのかなどはそれこそ無意識下に行っているのでしょう。
”
トラップ?と思われる方も居るかもしれないですが、まぁ分かった風に書くと、煩悩ですかね。選民意識的な事も含んでいるし、虚栄心や承認欲求、優越感みたいなあたりでしょうか。そもそもの第1チャクラ辺りを試されるというような捉えかたもしようと思えばできるというようなジャンルのお話です。(あくまでも、わかった風に書くと)
”
特にこの部分、トラップとか書いたのは良くなかったな~と思って居たところに、ふと別のことに気がつきました。
煩悩トラップ
この煩悩トラップという言葉の語呂があまりに良すぎて、気に入ってしまいました。
私は宗教家ではないので、煩悩の正しい定義は存じ上げませんので違っていたら申し訳ありません。と最初に断ります。
もう1つ最初に断っておきたいのは、私は引き寄せの法則というものは好きでも嫌いでもありません。お好きな方はその法則が本当にあるのなら(私は正解を知りません)利用したらいいだろうし、研究されたら良いと思う。
私が興味があるのは、引き寄せの法則という定義?思想?に対する人間の心の動き、精神性、感情への影響ということに興味がある。
引き寄せって、まんま煩悩ってことよね?
今の私は、煩悩というものは有って当たり前だし、無くしたり抑えたりできるの?とそもそも懐疑的だし、煩悩との付き合い方次第というか、煩悩も使いよう(怒りという感情も目的達成の原動力に使ったりするように)という受け止め方をしています。または、別に煩悩を使わなくてもいいし。
人間ってそういうものよね。と。
だから、ストレスケアについては興味がありますが、とある反応や状態を仏教風味を加えて煩悩と表現するそれ自体については、先ほど引き寄せの法則に対する受け止め方と同じく熱量が湧かないというか、もう枯れたというか。
しかし、多種多様な信仰について信心がある方も、引き寄せの法則は使いたいというダブルバインド。
私はこんなところに非常に興味がある。
そして、こんな単純なことがスコトーマみたくなってて、自分の違和感は感じるけど、その理由がわからないという気持ち悪さから本日解放されました。違和感の正体がわかって、また1mm楽になった。
ダブルバインドなどは世の中にあふれているし、これについても良いも悪いもないんですが、小さいけど妙に気になる探し物が見つかった感じでちょっと嬉しい(笑)
私の引き寄せの法則の解釈に感情は関係ない
下の記事の中に「引き寄せの法則」って磁場のこと? みたいなことを書いた。
もちろん正解は知らない。
ただ、私が あっ! こーゆーこと?? となんとなく腑に落ちた感覚には、よく言われている「わくわく」とかは一切ない。感情関係ない。
仕組みというか、チカラの使い方(って拡大解釈しないでね)、働き方にしか意識を向けていない。
これは煩悩トラップを避けた方法なのだろうか? って、引き寄せが完成・完了していないのでただの思考のもて遊びにすぎませんが。
何回登場すんねん。ドリーン・バーチュー氏
サタンの声の意味
なんどもご登壇いただくドリーン・バーチュー氏。
ご自分が創られたオラクルカードのみならず、引き寄せの法則についても「サタンの声」というか、信じてはいけません!と現在おっしゃっていると伝聞で知りましたが、それを知った時に(自分で作ったオラクルカードについて意見が変わるのはそれとして、引き寄せの法則もか。思考展開もなんとなくしかわからないけどスピリチュアル系大否定なんだな)と受け止めていた。
しかし、本日私がスターバックスの駐車場で口にした「煩悩トラップ」という視点に立つと、
(なるほど、信仰心のスジを通すと、確かにサタンの声ってことになるんだな~)とドリーン・バーチュー氏の発言(したらしい)の展開が理解できた気がした。
キリスト教にも煩悩を意味する言葉か、考え方があって、「サタンの声」というのはその表現の1つなのかな?と。
これも(あ! そういうこと?!)とスッキリ感を増した理由だ。
〆の言葉はいつも同じ
今回は治療体験記を書くことで、ナンダカフニオチナイ。と思って居たことがクッキリしたことをご報告しました。
ちょっと書き方が悪かったな~ということに端を発しました。
煩悩も引き寄せの法則もそれぞれの人生のお好みです。
これだけはいつも書いておきたくなります。