第一人者だって変わるんだよ

いさぎいい(潔い)

スピリチュアルや、ニューエイジについてさして詳しくない私ですら

ニューエイジを牽引した人物というとこのお二人が直ぐに頭に浮かぶほど著名人。

奇しくも海外と国内1名ずつ。他にも著名な方は多いと思うが、私の脳内にはこのお二人が巨頭としてインプットされた以降情報更新されていません。

  • ドリーン・バーチュー氏 カウンセリング心理学博士
  • 船井幸雄氏 船井総合研究所(船井総研グループ)創業者

 

ニューエイジとは?というそもそもの正しい意味を知らないままに使っている言葉です。なので自分が感じているニュアンスで使ってしまっています。

 

そして、まさにこのお二人は「とある思想、ニューエイジ界を牽引してた」と個人的には思ってる。というか、この2人が発信したからこそ多くの人たちが疑わずに受け入れたし、信じた。

そして、こういった流れから派生した様々な思想や法則(と伝え聞いたモノゴト)は多岐に渡り、亜流、伏流、支流と元々の所(出所)がもうわからなくなってしまっている。それはニューエイジに限らず、歴史ってそういうことよね。と個人的には分類しています。

 

そして、このような「ニューエイジ界を牽引」されたようなイメージがあったお二人ですが、故船井幸雄氏は没する前には「スピリチュアルとかそういった事に現を抜かしていてはいけない。しっかりしなくてはいけない。」とおっしゃったというあくまでも伝聞を目にした。

そして、ドリーン・バーチュー氏も今まで薦めていた思想や観念を現在現役で「違う」とおっしゃっているそうだ。(こちらも伝聞というか、情報)

不思議なのは、ドリーン・バーチュー氏については、「信仰上の理由で」考え方を変えたとアチコチで紹介されているようだけど、その書かれ方に「思考が不安定になった。」「おかしくなった。」「自分を見失ったと言わずに信仰上の理由と書いてみよう」とでも思ってる?と勝手に受け止めそうなニュアンスを感じたりもしたけど、簡単に書けば

  • ヒトは変わる
  • 信じていることが変わることがある
  • 信じてきた事が変わることがある
  • 本当だ、正しいと思っていても、違っていたと変化した自分を認めることもある。

というだけなんだけれど、著名人がゆえ、影響力が大きかっただけにそう簡単にはいかないこともあるのかな?

 

yogesh moreによるPixabayからの画像

 

ドリーン・バーチュー氏が自分で生みだしたものを「嘘だった」と言っているのに、信じたい側は「嘘だと言うのが嘘だ」「嘘だと言いだしたのは精神が不安定だから」みたいに反応して、信じていたものを放棄するのを嫌がるという現象もなんだかシュールなような気もするが、これらに本当とかウソってあるんですかね?

どう思われてもいい。自分の信念を発信する。

しかし、理由や、本当のところは分からないが、

  • 船井幸雄氏
  • ドリーン・バーチュー氏

は、言葉を濁さずに、それを潔い(いさぎよい)と感じるほどに長年の前言を撤回したようです。

 

科学も用いていたけれど

私が、(あくまでも個人的に)「メッセージ云々を得て、なんになるんだろう?」と針が振り切ったことと似ているのだろうか? 今の私の答えは、「ナニになるのか?」という自問には「それはヒトによる」と当たり前のところに着地しています。

それで元気になるヒトもいるだろうし、依存するヒトもいるだろうし、心の安心を得るヒトもいれば、不安が増す方もいるだろうからヒトそれぞれですよね。

 

私のつたない理解では、船井幸雄氏はスピリチュアル的な現象や思想、ニューエイジに類するアレコレについて科学的根拠の証明などもおこなっていたように思う。

「だから本当なんだ」という主張であったろうと思いますが、船井幸雄氏も針が振り切ったんでしょうかね? 最後には「そういうことを大切にしていると、もっと大切な事を忘れる。見失う。」と言いたかったのかな?と思えてしまった。その本意が、終末時計的な意味なのか、はたまた他の理由なのかは私には不明です。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQ

ちょっとした人数でも牽引するって、IQやEQや様々な能力(SQ・AQ・CQなど)が高いかと思うんですよね。そういった「牽引する」ことに価値を置くケースって珍しくないというか、多いと思うんですが、そういった能力が高ければ、全てを最初から見通せて間違えない訳でもないんでしょうね。

 

IQ・EQ・SQ・AQ・CQと「人間性」が連動するという思い込みは危険ですが、やっぱりバイアスがかかっちゃうことが多いみたい。

 

それに、自分が信じてきた事に違和感がわいてきたとしてもその変化に素直に従うのも難しいのかな。違和感が湧く事すら感じる事を拒否することもあるようだし、アレ?!と思ったらその不安を打ち消したくて信じていることが正しい!という理由が欲しくなりますしね。

なんでも最後まで貫くのが偉人。というわけでもないんでしょうね。 自分が価値を置いていたものを間違いだと認めたり、公表したりすることって勇気が必要? メンツが潰れると思うと恐怖を感じる方もいらっしゃるようですし。

 

お腹いっぱい

私は、ドリーン・バーチュー氏や船井幸雄氏と比較にならないほど早くこういった事にお腹いっぱいになる傾向のようで、針が振り切るのが早いみたい。

しかし、私はこういったことにお腹いっぱいになるのが早くても、

  • 目の前のこと、
  • 自分がいる環境で起きている事

についてデータ収集かのように脳に収めてしまうことに対しては全然お腹いっぱいになってない。

それは「人間について考えること」が好きだからだと気がつきました。

 

それがいったいナニになるの?

  • そんなこと考えてどうなるの? ナニになるの?
  • ストレスケアに意味なんてあるの?

と言われたこともあるし、「考えてどうなるのか?」は確かにそうなんですよ。

 

傍から見たら単なる「こじらせ」でしょうね。(笑)

 

好きだから、やらずにいられないからやってしまう。という事であれば、私が数回前に書いた記事「教えてもらいたい!安心したい!という欲求と習慣」に書いたこれら

 

そして、古来より

  • 貝殻を投げてそこから吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 炎の変化から吉兆を決めたり(メッセージを得たり)
  • 天候
  • 水紋
  • カード
  • 花びら
  • 天体 などなど

ずっとこの手のことを行っているわけですよね。メッセージを得たいから。

も同じでしょ?

 

そう、結局のところ、意識していようが、してなかろうが、

  • どう生きていきたいか?
  • どんな価値観で生活するのか?

というだけなんですよね。

 

「考えたから幸せになるのか?」なんてことは私にはわかりません。

かえって、アレコレ考えない方が幸せかとも思うんですが、元々って本当に元々で、もう子どもの頃からの私の個人的な「研究」みたいなことですので、ただ単にそれが、メッセージ云々を得るとか、誰かついていくヒトを設定するというようなことじゃないだけなんですね。

もうすでにあると設定されている答え(例えばよく使われる「真実」とか)を知りたいんじゃなくて、自分の答えみたいなものを考えていくという感じなんです。だから、その私個人の体験や経過が「すでに答えがある」と言われたことと一致することもあったし、「すでに答えがある」という物事のその先もあるような気がする事も多い。

 

だから、まだお腹いっぱいになっていないのかもしれない。

真実を知りたいわけじゃないから、お腹いっぱいにならない限り終わりが無い。

 

勉強して何かを習ったり、学んだりということも私なりにしてきましたが、それはそれ。

自分なりの検証とは、目の前にあると感じるアレコレをMyデータ、自社データとして納めていくからできるような気がしてる。

ということを何度も既に書いています。

 

脳に収めたデータの発露方法として、「相似形」「フラクタル」という表現を用いました。

 

世界が「色」で見える方や「曲」や「数字」で見える方がいるという書籍などもあるが、私の場合は「図形(立体図形が一層好み)」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向もあるということを大人になって理解した。

フラクタル理論は物理か? 化学か?

 

野性性が発動しているのか?

David MarkによるPixabayからの画像

 

虫は苦手だが。

 

機械的な脳? 反応?

人間観察っていう言葉がありますよね。

私に

「図形」「質量(と感じる感覚)」とか「電気」(電気?電圧?電気の方向?わからない。無知だから(笑))として捉える傾向

があるというのがあながち間違っていないとしたら、そこには「観察してみよう」という意図、意識は邪魔な気がする。

体験データとして様々な「人間性」を脳内にストックしていっているのなら、そのストックしていく際に「先入観」って無くて良い。そして、自分の意識がしっかりしていないと目の前の出来事も見えない。見えてこない。聞こえない。入ってこない。場合によっては自分が何を基準に行動する(したい)のかもわからない。

 

ある面では、私は非常に機械的に脳を使っているような気がするときがあります。

 

私もとっても変化した

私もいろいろ変わりました。

好みもどんどん変わります。変わらないこともありますが、歳をとって楽になってきて助かっています。

今後も変わることもあるに違いない。

新発見も初体験もあるでしょう。

 

みんな一緒ですね。