恐怖の尻尾

 

恐怖の尻尾はなかなかつかまらない。

「恐怖の尻尾」という比喩に、意志でもあるかのように見事に意識からすり抜けていく。

 

 

 

 

この出だしを書いたのは、

以前使っていたアメブロ時代でした。

下書きに書いたら、

ちょうど同じタイミングで「恐怖の尻尾」と表現した方の投稿がFacebookにあったため

真似したみたいになるから、いったん記事をアップするのを延期して、下書きに置いて早数か月。

いや、丸っと一年くらい経つのかも知れない。

 

そろそろ陽の目を浴びても良い頃だ。

 

尻尾のイメージ

自分で自覚できる恐怖は、その恐怖の尻尾もわかりやすい。

 

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なかなか捕まえられないのは、

こんな ↓ チョロチョロっとすばしこくて

草むらや、岩の隙間に入られるともうみつけられなくなってしまうようなイメージだ。

 

 

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恐怖

未来の恐怖

自覚しやすい恐怖と

自覚しにくい恐怖がある。

 

その恐怖って、主に未来に対して抱いている。

 

 そして、その恐怖はまだ体験していないから、

あくまで想像上、予想上、妄想上の恐怖。

 

過去に体験した恐怖を投影している恐怖。

 

過去の恐怖

その恐怖体験が実際にあったのは過去。

 

今でもリアルに思い出して、身体がふるえることもある。

記憶の恐怖は中々パワフルだから。

 

他のものに擬態化している恐怖

これがなかなか気がつきにくい。

ほんとにうまく擬態している。

 

私達の心理で言えば、

  • 理由付け
  • すり替え
  • 回避
  • 解離
  • 抵抗
  • 投影に気がつかない状態

これらが恐怖の擬態とも言えそうだ。

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海生物は擬態上手がわんさかいます。

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これは分かりやすいけど、自分のこととなると見つけにくい

 

 

 どうして、今、この記事を下書きから引っ張り出してきたかというと

4月1日配信のメルマガの中に「身の丈」という言葉を使った。

 

この言葉は

一見、美徳らしき言葉のイメージがあるし

謙虚な感じも良さそうだ。

つつましやか。というイメージを持つ方もいるだろう。

 

もう少し飛躍して、

この「身の丈」という言葉に、「足るを知る」という意味まで含んで使っている方もいそうだ。

 

しかし、

ふと気がついた。

 

制限を一旦無くしてみよう。と言いながら

身の丈を知るだの、足るを知るだのという言葉をダブルバインドと思わず使っているケースがあるな。と。

 

「身の丈」という事だって制限の一種だという考えることもできるし、

なんと、実際、私は無意識で「制限」として使っていた。

 

私の「身の丈」には「ちょっとの我慢」が含まれていた。

不満として認識するほどじゃないけど、100%満足でもない。

 

これこそ無意識だった。

海の中で見るオニダルマオコゼも、慣れてきたらすぐに見つかるけど

そういった生物自体をしらなければ見つけにくい。

 

言葉のイメージと、その言葉を使う時の自分の本質みたいなことは無意識な領域な事が本当に多い。

 

一見、綺麗。

一見、美しい。

一見、正論。

一見、わかりやすい。

 

こんなのは、割と何か別のものが擬態していることがある。

 

擬態パターンを研究している

こちらの記事に、パターンや、図形について、私の感じ方として書いた。

takedamiki-j.hatenablog.com

 

今日の例えによれば、

私は仕事など何にも関係なくても、

こういった擬態を発見することが好きなんだろうと思う。

 

探している訳じゃない。

大抵、ボーっとしている。

段取りすることがある時は少しはシャキッとしているつもりだけど、

大抵ボーっとしている最中に

「ん? なにか違和感があるな」という無意識が反応する。

 

なんで反応したのかな?と後で

その自分の反応を研究しているようだ。

 

上の写真で言えば

分かりやすい緑のカエルのような恐怖の観え方もあるし

視点、観方のテクニックが必要なオニダルマオコゼのような恐怖もある。

 

 

余談ですが、

海の中の擬態をそれはそれは上手に見つける「目」の持ち主っているんです。

私は、心理的な擬態(比喩)は割合敏感だけど、海の生物の擬態を見つけるのは得意じゃありません。

 

自分の反応に気がついた

数年前?ある方に

「恐怖をブレイクスルーしようと思います」と伝えたことがある。

具体的な案件があったわけじゃなくて、

どうやら不必要な恐怖を内包しているようだな。と自覚したからです。

 

そして、月日は流れ。

 

「恐怖をブレイクスルーしようと思います」と伝えた時よりも

本当に不必要な恐怖に反応しなくなっている。

宣言してみるもんである。(笑)

宣言した方に何かを求めていたわけじゃなくて、勝手に宣言を押し付けたような感じでしたので、申し訳なかったなと今は思っています。

 

しかし、お陰様で内包している恐怖の感覚は変わりました。

が、しかし、習慣に残っていたんですね。

 

 

経緯は端折りますが、

私の「身の丈」という意識の中、その習慣には

必要のない恐怖が残っていることに気がつきました。

 

その恐怖は別になくても良いものです。

なのに、習慣として同じ事をなぞっていた。

 

擬態上手で、かつ、すばしこくて見つけにくい恐怖の尻尾を掴んだような気持ちがしました。

 

 

このように

私は2019年4月1日配信のメルマガを書くことで、

私が己の擬態を発見することが出来ました。

 

それを読者の方にシェアしました。

 

そもそもこれには、メルマガの読者が一人もいなかったら気がつけなかった。

今回、内容はナニにしようかな~~~と珍しく中々決まらなくて

それならば。と書きはじめた内容でしたが、結果的に自分に有り難いことになりました。

 

メルマガ登録をしてくださっている皆様の存在のおかげです。

皆様には感謝しかありません。

ありがとうございます。

 

mail.os7.biz

 

 

 

 

 

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