運がよくなる。運を良くする。

シルクドソレイユで働いている方

狭き門を通る

  • 私はシルクドソレイユの公演を見たいです。
  • ラスベガスにも見に行きたい! まだ日本でしか見たことない。
  • 同じ演目でも何度も見たい。

というファンです。

 

Eikoちゃんとも東京で公演をみた。幸せでした。

 

シルクドソレイユで働いている方。MOMOさん。

日本人で、担当はダンサーさんです。

やはりシルクドソレイユで働くということは狭き狭き門らしく(それはそうでしょうね。私の想像を超えてるはずです)、その門に入って現役で演者をされています。

 

で、この方のお話を聞いていると、運は自分で創って掴むって聞くことあるけど、こういう方がそうなんだな~って思えた。

自分の保ち方、自分の維持、継続への意識の向け方。

そんなことを感じたんですよね。

 

そして、観念や言葉だけじゃなくて、運を大切にするということを体感として理解しているから慢心しないというか、胡坐をかかないというか、甘く見ないというような気もしました。

多分こういったことも含めて、運を育てていくんだと勝手に感じた。

 

自分の機嫌は自分でとる

自分の機嫌を自分でとる。という言葉が広く流通して数年経ちましたが、そういう言葉を知る前から、概念を教わる前からやる人はやっている。

当たり前だから。

 

ということを実践している方が運をつかむような気がする。運以外なら「幸せな暮らし」を送りやすいような気がする。実践しても運がなかなかつかめないと感じる方がいらっしゃるかもしれないが、心がけている方の方がそれをしていないかたよりも運を掴みやすくて、運との距離感が近いような気がする。

 

運って、掴むことも大切だけど、その状態を継続することも大切だと思うし。

 

ということを実践されている方の動画で、20分未満なのでどうぞ見てみてください。

地に足がついたお話です。

 

本当に、お人柄って年齢関係ないな~って思う。

知識量とか、学歴とか、資格とか、年収とか、知名度とか、そういうこと関係なしに、お人柄の良い方とお付き合いしたいです。

幸せを感じるから。私が。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

「神秘的」 疑い方の1つ

神秘的なら「善きもの」?

まえがき

ヒトにはいろんな価値観があって、そのいろんな価値観がご本人を支えている。

例えば、憑依体質な方が何かしらのメッセージ(天啓やヒラメキetc)を感じた時に

  • 神秘=善きもの
  • 神秘=善きメッセージ
  • 神秘=正しい道しるべ

と信じたり、思い込むのもわかる。

 

何度も登場したとあるケースをまた持ち出して申し訳ないけど、とある人物がたった今聞いた他人の話を「(私は)ヒラメイタ!」と言った現場にいたこともあるし、この例に限ったことじゃなく意識的にも無意識的にも両方あるが、他者の何かをそっくりそのまま真似をしていても、当人が「自分のヒラメキ」と感じることもある。

認知とか脳も、発想ということも境界線があやふやです。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

すぐに天啓だから「善きもの」と信じ込まないケース

他に例をあげるのならば、

瞑想中とか、何気ない時でも、「光」が見えたとしましょうか。「光=善きもの」というルールって別に法則級のルールじゃないよね? なんて思っちゃうんですよね。

すぐさま、メッセージらしく感じたものを「善きもの」とするその純粋さが私にはないのかもしれない。が、私の場合の脳内処理としては「光らしきものを感じた=答えはない。」「光らしきものを感じた=そう感じたという体験があった」ということです。

そういう意味では「一呼吸置く」みたいなことでしょうか?

時として、現象と感情が癒着していないというような傾向があるのかもしれませんが、どうでしょう。

 

これは私が、映画とか小説とかでこれでもかと情報を得た「悪いもの(映画の中などはこれが悪魔なんですけどね)は善きもののフリをする」というお決まりのパターンを用いているんですが、これらを通して何かしらを「学習」したような気がする。「結論を急ぐな」という学習だろうか?

 

という私と似たような「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というケースに遭遇したのでご紹介したい。聖テレジアさんでした。

 

あ!私はこの動画内と同じ体験をしたわけではなくて、「神秘体験の結論を急がず、疑ってみた」というこの動画の序盤のほんの一部分だけを指しています。

悪魔ですか?神様ですか?と問う大切さ

なにかと勉強になるこちらの動画をシェアします。

 

価値観があなたの「眼」と「認知」

良いとか悪いとかいう話ではなくて、あなたはあなた、私は私の価値観で環境、周囲、情報を見ている。聞いている。

 

文頭の話に戻ると、「神秘」みたいに感じることをすぐさま善きものと思うケースもあるだろうし、(いや、ちょっと待てよ。これは何かな?)と思うケースもあるだろうし。

 

お姫様とか、王子様とか、ちやほやと面倒を見てもらう立場を「愛されている証拠・量・質」とするとか、そういう価値観を広めたディズニーのプリンセス思考を「良くない」とする方もいる。フェミニズムというものの定義を恥ずかしながら理解していませんが、女性が庇護されることに「価値」や「愛」という条件というか、決めつけみたいなものを生んだことが罪深いと感じる価値観も世の中にはある。

 

下のイラストを差し込むと、それが「悪い」と書いていると捉えられそうですが、良いとか悪いとかじゃなくて、もうこの世の中の他のいろんなこともこの挿絵みたいな現象で成り立っている。

WikiImagesによるPixabayからの画像

 

しかし、子供の頃のその価値観を三つ子の魂百まで的に人生の価値観として一生を生きていく方もいるだろうし、価値観の変化が起こる方もいるかもしれない。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

 

価値観があなたの眼のフィルターを形成し、認知となる

「高次」という言葉で表現されるナニカが尊重されたり、価値があると表現されているようですが、高いとか低いとかで価値を決めている時点で、すでに「高次」とは違うと思うんですよ。

相変わらず、生意気なこと言いますが。

 

ですが、私が書くのは観念論なのでわかりづらいですよね、きっと。

と思っておりましたら、医師の方が「高次のエネルギー」というそれ自体を高波動とした場合、高波動というのは破壊力がある。だから、スピリチュアル系の方の言う「高次元」というのはその思想を科学的?に置き換えると、破壊がおこるエリアではないか?というようなことをおっしゃっていました。(危険と表現していたのかどうかは記憶がアヤフヤです。)

 

たしかに、高周波数でガラスが割れるみたいな実験あったな~って思いました。

 

これも思想のトリックというか、高い=良い みたいな固定観念で、高ければ高いほど優れているというような「高」という漢字だけで出来上がる価値観・認知なんですかね?

 

でも、この価値観により「魔境」に吸い込まれていく方が多いように見受けられるので、疑問にも思わない単純な思い込みって結構実生活に影響力あると思う。ポジティブな面もあるし、ネガティブにも作用するようにも思うけれど、人生は経験だ!と捉えるとポジティブもネガティブもない。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

予告と全く違う内容ですんません

ちょっと! 運が良くなるって話を書くって前回予告したよね?

あれはどうなったんじゃい?

 

と私も思っていますが、こっちが先に仕上がったんで先にアップします。

運が良くなるについては、ちゃんと下書きがありますんで仕上げてアップしますね。

 

最後にこれも神秘に加えてみた

そうそう! 補足しますと

  • ビビッときた! とか
  • 感じたことがない感覚があった とか

そういった感覚で愛の炎的なものが湧いたり、強烈な吸引力でくっ付いたりするケースってありますでしょ? スピード婚とか。

始まりや出会いがそんな感じで、そして永遠にHappyな方も居るとは思う。しかし、そうじゃない方もいる。

運命の人論信仰の方にご存じの方も居るかと思うが、「ニセ運命の人」みたいな位置づけの存在があるという思想もあるんですよ。

 

「運命の人!」と盛り上がった後、数か月なのか数年後なのかわかりませんが、えらい苦労したり、修羅場があったりして、「違った! この人はニセ運命の人だった!」と認知・解釈が変わる方も少なくないらしい。(伝聞)

 

神秘体験もいろいろだなぁ~というお話でした。

 

グルテンフリー

グルテンフリー

無理だと思ってた

以前も書いたけど、数年前までパン食メインでした。米は特に食べなくてもこの先一生いけそうだと思うほど米食の欲求が低かった。

 

ところが、医師の方が動画の中で

「診察の際食生活を聞くと、病気の方のほとんどがパン食らしく、余りに多いので看護師さんがパンを食べなくなった」って話してたのを聞いて

それまでも散々似たようなことを見聞きしてても(それでもやめられないから)と食べてたのが ピタッととまった。という事もすでに書いている。

 

この話の医師自身もこの話は伝聞っぽくて、ご自身の体験談ではないかもしれないのに。

 

あの時に脳にスコンと入ってきた。

 

食べないことはないけど、滅多に食べなくなった。

 

パンのようなものを食べたい

で、グルテンフリーとか気にしてる人口割合もジリジリと増加してそうな感じで、おかげで米粉パンとか米粉シフォンケーキとかの作り方も見つけやすいこのご時世。

お菓子作りの道具もなにもないわたしができることは、炊飯器を使った調理。炊飯器を使って米粉パン(またはシフォンケーキ)にトライした。

オール目分量。

1時間後、膨らんではいないが一応それっぽいものができた。

 

この一瞬は、意識高い系民に慣れた気がした。

気をよくしたのでまた作る。が、こうすればパンに似たものが食べられるとわかったのでやっぱりパン熱は再燃しなかった。

 

その他の雑記

我が家のPCの最後の時がまた一歩進んだ。

それとはまた別に、電源が入る事なく眠り続けていたモニターの機種が古いのか?私のやり方が悪いのか、スマホのミラーリングでやりたいことが全てできていない。が、この作業の途中で得た本命ではない方法で案外各種コンテンツが楽しめているので良しとしています。

という経験のもと、あれこれ検討したけどMINI  PC導入に決めた。

 

色々あって、引越ししたい!と切に願っているんですが、引っ越しするその時まで今のPCが持てばいいと思い込んでたけど、そんなの関係なくさっさと切り替えたらストレスフリーになるのにね。

引っ越しの時も荷物が少ないし。セットアップも早いし。

OkaynowによるPixabayからの画像

 

と、思いつつiPadを持ち出してお気に入りのキーボードとマウスを繋いで今これを書いている。土俵際の粘りを無駄に見せています。

便利な世の中になりました。ありがたいですね。

 

読書より、書籍案内の方が良かった珍しい体験

世の中のあちらこちらで映画も書籍も紹介されていますでしょ。私もする。

こんな私は中村うさぎさんが紹介されていた本も数冊読んだ。

その中の1つに「霧笛」という小説がありましたが、中村うさぎさんが「霧笛」を語る方が実際に小説を読むより良かった。

 

「霧笛」

https://dic.pixiv.net/a/霧笛%28レイ・ブラッドベリ%29

 

また、紹介されたものをどんどん忘れてしまうため、読むものリスト、観るものリストを作っています。その中から

「ブルージャイアント」を選び観てみました。アニメだったんですね。コミックがアニメ映画になったのも知りませんでした。

凄かった。

評価が高くて当たり前。

「ブルージャイアント」

https://bluegiant-movie.jp/#modal

 

 

小説を読んで音が見えたような気がした名作を思い出しました。

「蜜蜂と遠雷」

 

 

ちなみに中村うさぎさんが名作とおっしゃったのはこちらもあります。

読みました。

 

ということで今回は雑記になりました。

次回はテーマのある話題を書きます。

次回は

「運の強い人の特徴」 いや、「運が良くなる習慣とは?」について書こうかと思っています。

法則の使い方が悪い? どーゆーこと?

しつこい

皆さんもご存じの通り、私にはしつこい案件がある

そう! 私はこだわり脳やしつこさがめきめきと出てくる案件がある。

(あんたもしつこいな。もうええわ)と思うだろう。それもわかる。

しかし書く。

理由は、私がスッキリするから。脳内のアウトプットをすると自分がスッキリするから。

(こいつ しつこいな)という他者評価よりも、自分のスッキリを優先して書きます。今日も。

Oladapo OlusolaによるPixabayからの画像

法則なのに、「引き寄せられん。」とは?

手引書や広報マンの言う通りにしても引き寄せられん。

こりゃ法則の使い方が間違ってるんだな。

 

ってよく聞いた。

昔。

 

私も今ほど性格がねじ曲がっていない頃に、

  • 上手に引き寄せるコツは? とか
  • 瞬時に現実化する引き寄せマスターになりたい。 とか
  • 超早現実化の秘密のルールとかあるの? とか思ったよ。

 

だから、一応私も経験者の端くれではある。

だって楽できるならラクしたいじゃん。

瞬時にそうなってほしいじゃん。

強欲でもなんでも、そういう(どういう?)日本人が心の奥底で気にしてしまうことが案外多い修行的・修行思想的なことに抵触しないっていうルールっぽいからそりゃあ叶うんなら叶いたいじゃん。

 

というところが「引き寄せの法則」ループほいほいの扉に吸い込まれるヒトが後を絶たないことと関係してそうだけども。

 

さて、そろそろTakeda号がアクセルを踏みますよ。(笑)

PexelsによるPixabayからの画像

私のアクセルってこんな感じでしょうかね。(笑)

今日も今日とて、せっせと何やら考えてブログを書いておりますが、その後ろ姿ってこんな感じかも。

 

リンゴの落とし方が悪くてリンゴが落ちない?!

万有引力の法則が上手く使えないから、きっと法則の使い方が悪いんだ。

なんて言います?

そして出来ます? 逆に。万有引力の法則を使えないって(使わないって)。

 

トリック? 洗脳?

法則というネーミングのトリックのようなものがあるんですよね。(正しくは、「あるような気がします」です。)

 

できるはず! できるのがこの世の中のデフォルトだから。とその思想に執着させるトリックのような働きが。(この世の中のデフォルトだったらすんません。それなら私の書くことなど全部ピントがずれてる)

それを別名、洗脳って言います?

 

洗脳自体に良いも悪いもないのかはそれぞれの価値観によりますが、信仰だって洗脳ですよね?

救われもするし、嫌いにもなるし。

喜びも生むし、もめ事を生むこともある。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

法則って思想とか紐づかないのかもね

ただある。

理由は科学的というか物理的な「反応」「反射」で成り立っていて、そこと思想的なものを紐づけしすぎなのかもしれない。無意識のうちに。

 

リンゴが上から下に落ちるのに、「あなたの行いが云々」とか「因果応報」とか「鏡の法則」とか「波動がどう」とか「引き寄せ」とか関係ないよね? ある?

 

だから、引き寄せの法則を別の表現すると

「人間の思想・思考は意味・理由を作り出す」法則の一部だと言えるような気がした。これなら結構な状態を網羅できていると思う。

 

引き寄せの法則 < 「人間の思想・思考は意味・理由を作り出す」法則

 

こんな感じ。

 

法則の使い方が悪い云々 という思想や理由付けも含めて。

 

 

で、人間って、それらに(または ナニカに)「従いたい」という欲求もあるんですよね。

この辺りのパズルのピースの合致の仕方が非常に相性が良いのだろうと思います。

 

わたしだって意識的にも無意識のうちにも「従っている」し。

 

古今東西いろんな作品がこういった考え方を啓蒙しておりますが、古い映画でいえば「マトリックス」とか。

 

というところで、そろそろ法則云々の話も書き納めしたい。

今日は、

”リンゴの落とし方が悪くてリンゴが落ちない?!”

というセリフが思いついてしまったゆえに文章にしたくなったわけです。

 

よっぽどトンチの効いた表現を思いつくまではこの手の話はしばらくお休みしたいもんです。

が、先のことはわかりませんね。

S KによるPixabayからの画像

プチ旅 

離島にて

サイコー

いったいいつの話を書いとるんじゃい。という感じがするちょっと前の話。

 

沖縄本島から久しぶりのフェリーに乗って離島へ行きました。

薦めていただいた島へ。

 

行きかえりのフェリーはクーラーなどなくてももちろん室外の席が一番しっくりきた。

私の好きな乗り物は、1番は船、列車と飛行機は同列2位。と長年思っていたんだけど、買い替えたMy CAR が非常に快適で、My CARに乗ると今までの車の不快適さがあった分ものすごく幸せを感じてます。

 

苦しさの後に幸せが数倍に感じるという例の効果で。

Melk HagelslagによるPixabayからの画像

 

My CARは ↑ コレではないけどね。

 

知ってはいたが行く気はなかった

かつて、キネシオロジーの先輩のトーマさんがご存命中に多くの情報発信をされてらっしゃった中にもこの離島のことや歴史のことなどがありましたが、歴史音痴、スピ系なのかナニ系なのか、不思議系の話ももうほぼ興味がないので、これらの情報を見聞きすることはあっても、わざわざ足を向けない感じになっていたこともあり、故・トーマさんの情報類も目に入れば(へぇ~)という上澄みだけを眺めておりました。

トーマさんのファンの皆さんは歴史や地理やいろんなことにお詳しい方が多くて、もう全然話についていけないし、話に入りたいからと勉強する気も起きない私との距離がどんどん開いていくのを実感していました。

 

が、どころがどっこい

そんな私が1泊2日で離島へ行ってきました。事前情報ほぼ皆無。

フェリーの往復と宿だけ予約して、あとは全部現地で! と。

しかし、海に入れたら入りたいとだけ思いましたので、押し入れの奥からラッシュガードを引っ張り出し、これも海の仕事をしていた時に履いていた(何年前だよ! まだ押し入れに入れてるって凄くないですか?)ウエットスーツ生地のハーフパンツ、もっと年季の入っている水着だけはいそいそとリュックにいれて行きました。水着もハーフパンツも加水分解していないのが奇跡に感じるほど歳月が流れておりましたわ。

 

この離島で「〇〇へ行くと良いよ」と勧められた場所よりも、この海に入ることを超楽しみにしていた。

xxolaxxによるPixabayからの画像

 

バカほど楽しい

バカほど楽しいってこんなこと。

とにかく楽しかった。

薦めていただいて、行かないのもなんだし・・・という気持ちもあったんだけど、薦めてくださったリアルマスターヨーダに非常に感謝しましたし、

トーマさんが生前盛り上がっていたよな~

まさか私がこの離島にお邪魔するとはな~

なんていう他人事のような感覚でいたせいか喜び倍増。1000倍増。

Jill WellingtonによるPixabayからの画像

 

まさか今回の人生でまだこれがあるとは!

日頃の私なら離島内は歩いた。

もしくは1時間に1本の島内バスを併用したと思う。

しかし、島についてビックリ! 暑すぎた。

沖縄本島より暑いとは予測していなかった。

 

一緒に島についた他の旅行客は事前情報収集もおこたらないのでレンタカー屋さんにどっと集まっていたけれども、私はその風景もまだ意味が分かっていなかった。

徒歩圏内の宿にまずは荷物を預かってもらおうと歩いたのだけど暑すぎる。

ヤバイ。

 

で、なんだかんだとのんびりしちゃったんだけど、レンタカー屋さんが閉まるギリギリに間に合って(ということも後からわかった)レンタサイクルを借りようとした結果、レンタ原付バイクを借りたんです!

私は普通の自動二輪車はツーリングもしたくらいなんで乗れるんですが、原付バイクは1度乗って怖かったので人生で怖い思いをしたあの時1度しか乗ったことが無い。クラッチが切れないバイクは心の底から怖いから嫌い。

なのに

100年の時を超えて原付バイク。

レンタカーより風を感じることができる。そして、離島あるあるなんだけど、ほぼ車は走っていない。

 

借りたよ。

 

100年の時を超えて原付バイクに乗ったよ。

 

バカほど楽しかった。運転しながら顔がずっと笑ってた。一人なのに。

対向車の方は一人で笑って運転している私を見て怖かったかもしれない。

 

自動二輪車もましてや原付バイクも一生運転することはないだろうと思っていましたよ。

(もうないな~)って。

 

あったね。

 

私は今の人生の中で、(生きているうちは無いだろうな)と思っていたことが度々実現してきましたけれども、まさかまさかの現実化でした。

 

二輪車独特の風の感じ方や、空気の層の温度の違いとか、いろいろあるんですよ。楽しみが。

それを再び体験出来て幸せでした。

 

早朝いそいそと原付にまたがり、誰もいない海にも入りましたよ。

宿の朝ごはんに間に合うように、びしょ濡れでまた原付で宿に帰ってきてシャワーを浴びてクーラーの効いた部屋で朝ごはんをいただきました。

 

こんなこともバカほど楽しかった。

xxolaxxによるPixabayからの画像

写真はない

これらの写真はありません。

充電器とか念入りに準備したわりにはコードを忘れまして、帰りのフェリーがQRコード認識でバッテリー切れが何より怖いのでバッテリー温存のためスマホの電源切ってました。

 

薦められた場所は

で、オススメしたいただいた場所はですね・・・

サイコーでした。

 

リアルマスターヨーダに私が感じたことをまたご報告しに行きます。

私の感覚も変化してきたので

勝手な想像ですが、10年前に同じ場所にいても今回のようなことは感じなかったと思う。

5年前はう~~んどうだろう?

・・・・2024年の今が一番良かったように感じます。

 

七夕のお願い

七夕

短冊

自分が日本人だなぁと思うのは、七夕とか、短冊という言葉にロマンを感じるこの反応です。

星空とか、織姫と彦星とか、笹の葉さらさらという歌がありましたよね。

こういった季節事ってやっぱり好きです。たとえ自分は何もしなくても、参加しなくても。

そして本日は丁度ラジオの放送日に当たりましたので、そんなことも少しお話しました。

 

旅行で来沖中のご夫妻(12泊13日で来沖とのことでした)が放送中にお顔を見せてくださったので、良ければご出演ください!と放送でお話頂きました。まだ那覇も楽しんで、そして離島の阿嘉島でもスノーケルの予定とのことで羨ましい!

海で泳ぐのが好き、でもダイビングはなぁ・・・と思う方はぜひ離島でスノーケルしてみてください。素晴らしい世界が待っています。ただ、水中に潜るダイビングよりも、水面にいるスノーケルの方が事故が多いのでくれぐれも安全にお願いしますね。(元ダイビングインストラクターとしては海は必ず安全最優先でお願いしたいです。)

冒険、enjoy、チャレンジ安全ですからね。旅行なんで。安全に家に帰って旅行終了ですからね。

Jan VašekによるPixabayからの画像

 

難しい話

季節のお話などではなくて、私が過去に書いてきた「統計」「My統計」「自社調べ」ということについて、非常に賢い方が私の代わりに私が言葉にできなかったことを既に解説してくださっていました。

私が、なにかを見たり、感じたりしても、必ずそれが実現化するとか、未来が正しくみえるとか、思い込めない、言い切れないことについてです。メタ推理的といっても、これも統計ですよね。その統計の母数や、どういった事象を見て、どういったことをデータとして脳内に蓄積していくのかもあくまでも個人的なことですし。

ただ、結構な割合で当たるというか、当たるというよりも確率が高い結果を推測できるときがある場合も多いのかもしれないと感じたりしますが、でもやっぱり「そうならない」というケースもあるので変に予見力とか透視?とか予知のようなものができると思い込まずに済んでます。結果も確率的なものとして、(今回は違う。)と淡々とデータ集積している感じ。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

すると、私個人のメタ推理の当たる確率のようなものも把握できるような気がしますでしょ?

あくまでも、個人的に世の中にある相似形の図形やパターンが浮き上がってきたものを「ただ見る」という物言わぬ静かな世界の話ではあるんですが。フラクタル。物凄い数の入れ子の箱、マトリョーシカ人形が、エッシャーの隠し絵のようになって無限に繰り広げられて世の中は構成されているような気持になっております。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

 

予言

有名どころではノストラダムス、その前もその後も、スピ界も陰謀論界も予言がいつの時代も盛り上がっておりますね。で、こういった将来予知とか、特殊能力についてスティーブンキング先生の書籍があるんですわ。

私はスティーブンキングの小説に出てくる人物の背負っている悲しみとか、我慢、喜びや愛が好きでして、SFを書いているんですがとっても等身大、日常なんですよね。

そして、古い作品には私の心に刻まれたセリフが多く登場してきましたし、今回は私が感じる「実現しない、しなかった確率」について大きな回答を得ることができました。

Egonetix_xyzによるPixabayからの画像

ベルヌーイ分布

それは「ベルヌーイ分布」です。

小説「異能機関」下巻 P342(ハードカバー)

 

エビデンスを例にあげますと、何かと言うとエビデンスの有無だけを論理の根拠にするケースもあるんですが、多くのエビデンスとは統計であって、確率論ということになります。(1つの事例をエビデンスと表現する場合も「あった」という確率になるのかな?)

よく医療などで使われる際のエビデンスは優位性を示した多くの値を切り取るわけですが、エビデンスとして用いたい値から外れる確率というものがあるんですよね。(どうやら私のこの記述の仕方は、ベルヌーイ分布と二項分布がこちゃまぜになっているみたいなので正しい概念は各自お調べ下さい。)

 

ですから、私は自分のメタ推理や予見が外れる確率も念頭に置いているというこの癖は確率論的には良い線いってるというか、(こんなん社会に出たら必要ないし!)と思っていた数学が案外脳内の思考癖には根を張っているようで驚いた次第です。

 

そう、そしてこの確率の変動(当たるか?外れるか?)に関わり合っているのが「時間」だということでした。

 

そうですよね。

 

原因と結果とか簡単に言うけど、いつのどこを結果として切り取るかで解釈が変わってきますしね。

yogesh moreによるPixabayからの画像

変数

これについてはますます数学的視点からはズレているのかもしれませんが、

先述した

”ただ、結構な割合で当たるというか、当たるというよりも確率が高い結果を推測できるときがある場合も多いのかもしれないと感じたりしますが、でもやっぱり「そうならない」というケースもあるので変に予見力とか透視?とか予知のようなものができると思い込まずに済んでます。結果も確率的なものとして、(今回は違う。)と淡々とデータ集積している感じ。”

という時にも、経過や結果という段階には「時間」が関係しています。

淡々とデータ集積している。ということにも「時間」が関係しています。

StockSnapによるPixabayからの画像

 

今日の結論

小説の中に、「変数を無視したり、考慮していないのは科学じゃない、ただの迷信だ」というようなセリフがあったはずですが、これらも含めて、ヒトは見たいように見て、聞きたいように聞くということだなぁと思いました。

 

というか、ヒトは見たいように見て、聞きたいように聞くという確率はかなり高いということになりそうですが、〆方としては大丈夫でしょうか?

 

皆様の生活と、私の生活がHAPPYでありますように(^^)

 

というか、そもそも私は書きたいことを読んでくださった方に伝わるように書けているんだろうか?心配です。心配ですが今日現在のベストは尽くしました。

ミラーリングというか、共鳴というか

ミラーリングっぽいことについて

本日は、リアルマスターヨーダとのやりとりや、前回の英語のコミュニケーションのおまけについて書きます。

第一期

頭に巨大な電波塔が建ったとでも言いたくなるような体験をしましたが、それを非常に客観的に分析というか、データ分析というか、データ採取のようなことをしている時期がありました。

 

体感🟰事実と思ってそれを信じ込むというようなことと距離を置いて

体感🟰そう感じる体験、脳内変換、感受性の1つのパターン

という「そう感じたけれど、とりあえず保留」方法を選択したんじゃないかと今は思います。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像

第二期

相談者さんに触れる時間が長い施術を始めた頃は、まぁーー脳内映像も賑やかでしたが、それらをあるがままにしておいたら(能力開発もしなければ、感じ無くなるのにも抵抗しない。あるがまま)、以前のようにあんなに活発に脳内映像は感じなくなりました。

 

脳内映像が活発で、一応見えたというか感じた映像などはお伝えしたりしていましたが、今は特になんも見えないからお伝えしてない。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

第三期

時系列は無視してしまいますが、第一期の体験をする以前、子供の頃も含めて、以前も書いたメタ推理なのか直感なのか、まぁそんな感じの能力というか特性なのかを保持しつつ生活しておりましたが、そう言ったものは他者に伝えても「被害妄想」「邪推」「嫉妬」「悪口」というような捉え方をされることがほとんどなので口に出すことは無かった。それらも含めてデータ蓄積していった感じです。

 

何も言わないぶん、「出来事」と「その後の経過、変化」みたいなものを黙々と見ていたかも知れない。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

価値観とか、世界とか

「ヒトは見たいように見て、聴きたいように聞く。」ということは骨身に沁みて体感していますが、そこにも本人の感情(思考、嗜癖)が様々な作用をしているし、それこそが個々の世界なんですよね。私にも私の世界観があるように。

第一期の体感の話になって

マスターヨーダに施術を受けている最中に私が疑問、質問、体感を喋りまくっていたことはすでに書いていますが、その話の流れで、第一期の時の体感についてお伝えしたら

「生命の危機(臨死体験風味の意味)のような体験はあったんですか?」と質問されたので

「あったんですよ〜」と当時の体験を久しぶりにおもいだしました。

生と死は隣り合わせ

そう、生命とは死と隣合わせだ。ということを体感として理解した若き日の出来事を。

いやほんとに、マジで真隣にいるんだと理解しましたよ、あの日に。

本人が望むとか、望まないとか、考える、考えない もう何も関係なく、全人類の隣にあるということですが。

 

だから、私が話した第一期の体験があったということは、それは臨死体験みたいなこととセットになってるんじゃないか?というリアルマスターヨーダの推測であり、質問なのだと思いましたが、ビンゴでございました。

 

正確には臨死体験とは異なりそうですが、

生命とは死と隣合わせ。だということを体感として理解した若き日の出来事ではありました。

 

もうね、今は幸せでよかったです。

これに尽きる。

生きていることや笑っていることや、いろんなご縁に感謝しております。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

で、また言語の話になるんですが

そう思うと、やりたい事でやれそうなら、やってみたら良いじゃん。って思うんですよね。

 

東京で英語で生きたコミュニケーションしようと思ったら、コンビニでも、ホテルの配膳でも、アルバイトしたらいくらでも機会はある。

 

わたしゃ、英語のコミュニケーション能力はからきしですが、その代わりと言ってはなんですがとりあえず表情とスマホのアプリと単語でコミュニケーションすることに、まずはトライしてまして、海外旅行に行ってる最中などは誰も代わりに交渉とかもやってくれないからやりますし、

先日「ミラーリング」をみて、ほほーーー! やってみたいじゃん! とキャッキャッと1人で盛り上がったホテルでも

フランス語らしき言語で話しているカップルとエレベーターが同じになりまして、エレベーターの中のミラーごし(またミラー!)にお二人がそれぞれピカチュウとポケモンとカタカナとイラストが描かれたTシャツを着てるのに気がついちゃったもんだから、

エレベーターを降りる時に

「Have a good night! ピカチュウ!ポケモン! (^^) 」と笑顔で声をかけたら通じまして、

「Oh! Good night (^^) 」と笑って返事をしてくれました。

 

なんというか、英語をペラペラ話せないし、聞き取りもなかなかな難物なんですが、私はこんな体験が楽しい。

だから、話せないし聞き取れないけれども苦手感は少ないというか、【能力は不足している】という現状認識はバッチリしていますが、コミュニケーション自体は楽しいです。

 

通じてませんけど。笑

 

難しい話しはできませんし。

ネイティブの方に「発音が上手ね。上手過ぎて聞き取れないわ」と私が日本語で話してるのを聞いた日本語がわかる方に笑われたり。

VictoriaによるPixabayからの画像

 

それでも1人で海外旅行行って、ネイティブだけしかいない所で目的を果たして無事安全に過ごして、楽しい思い出になってますし。

 

言葉が出来たらもっと楽しいでしょうけどね(^^)

聞きたい

私は現在英語については、自分が話したい!というより、何を話しているのか聞けるようになりたい!方が優先順位はダントツ高いという自己理解をしています。

10年前より今の方が少しだけわかるようになった気がしますが、元から洋画を好きで見ていて、耳にはしていたので、音を聞くという能力にどの程度変化があったのかよくわかりませんが、音に加えて、意味が10年前より分かるようになっていたら良いな。という希望があります。笑

 

言語習得能力って長けてる方がやっぱりいて、少なくとも私はそうじゃない。他のことを習得する能力はそこそこあったとしても、英語や韓国語習得については人並み以下じゃないかと睨んでおります。

スマホの翻訳ツールのありがたいことったらない。

ありがたい時代になりました。

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まとめ

あまりに散らかり過ぎたままなのでまとめます。

 

安全と健康を優先していただけましたら、少々のことは先ずは飛び込んでみたらどうでしょうか?

合わなきゃやめたらいいし。

ただ、先ずはやってみて、その感触を感じてみるって良いなぁって思うんですよね。思ったより簡単とか、思ったより難しいとか。

信じている物事が変わることもあるし。

 

怖がること🟰安全 とは限りませんので。

 

怖がること🟰慣れないこと というケースも少ないないんじゃないかな。

 

焦らず、ちょっとずつ自分のペースでトライしていかれたら良いような気がしています。

沖縄と同じくらい国際色豊か、割合も多い

いつもの風景だった

英語は外国に行かなくても触れられる

東京話がまだまだありまして、前回も今回も外国の方の多さに驚きました。

いや、私が住んでいる北谷も多いです。生活の風景が多国籍です。が、それと同じくらい新宿あたりは多いです。もう東京全般が多いのかも知れません。

留学しなくても外国の方と接する機会は山盛りありそうです。

京都にお墓参りに行ったりしても、もう周囲はすべて英語で話しているなんてこともありましたし。

ですからその面では、新宿も京都も、私の沖縄の居住区と似てるように感じました。

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ただ、そう言った環境があっても選択は人それぞれ

そういった環境の中でも、いろんな国の方と接する方もいるだろうし、接しない方もいるだろうし。

私は今は参加できていませんが、ファミリーサポートでご家庭のサポートに入っている時も多国籍な感じで、ちびっ子たちももちろん日本人の方も外国籍の方もいましたが、可愛さは同じでした。

 

別に英語の勉強のためにファミリーサポートをしていたわけじゃないですが、英語を勉強している方なら習った英語を活かして生きた英語に触れる機会はあったかと思います。

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英語を話す方の数!

ですから、今回東京滞在中に、英語もそうだし、他の国の言語もそうだし、その多さにちょっと驚きました。沖縄がダントツ多いかと思いかけてましたが、先ほども書いたように、そういえば京都もめっちゃ多かったなーって思い出した。

接客業のアルバイトでもしたら、イヤでも苦手でも英語など多言語に触れられるチャンスに恵まれるだろうと思えましたし。沖縄でも英語のレベルを上げたいから飲食店のアルバイトをしている方もいらっしゃいますよ。

アメリカやイギリス出身ではなくても英語が達者な方は多い

私に、日本語も英語も非常に達者な韓国の方と挨拶をする機会があったので、アニョハセヨーと挨拶したらコミュニケーションが盛り上がりました。

私が旅先も含めて接したことのある韓国出身の皆さんは優秀でいらして、英語が達者で発音もメッチャいいんですよね。韓国の方と意思疎通する際に、英語でコミュニケーションすることも海外旅行した時などの旅先などでもあったんですが、私の英語レベルが全くお恥ずかしいほど皆さん達者でした。

ネイティブの方となんの遜色もなくお話ししているのを見ていましたので、マジ羨ましい!と思いましたよ。

 

という日本語以外の言語について長々と書きましたが本題はリアルマスターヨーダとのやりとりについて書きたくて下書きしていたんです。

その前書きとして感じたことを書き始めたらまた長くなっちゃった。

 

長くなりすぎるので、今回はここまで。

続きは次回にします。

個人セッションは行っています。

個人セッションについて

行っています

現在(土)(日)のみとなっておりますが、個人セッションはずーーーーーっと継続して行っております。

セッションの内容は書きません。

数年前、体験談やお顔を公開させていただくける方にモニター料金でセッションをさせていただいたことがありますが、モニターセッションなどは現在おこなっておりませんので、セッションの内容もシェアしておりません。

 

サイトからご評価頂ける時がありますので、それらはご相談内容に触れていなければシェアさせていただくことがあります。評価してコメントを書いてくださるというひと手間をありがとうございました。

ご多幸をお祈り申し上げております。(^^)

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

頂いた評価

Happy Face (← こちらのマークも表示されていました。)

満足できた

「—————————(ここは伏字にします)」、心が軽く明るくのを実感しました。お茶も美味しかったです。

 

良かったです。心が軽くなる感覚って人それぞれですが、ホッとしますでしょ? なによりでした。

そして、お茶については、ライチのお茶、白桃のお茶、マスカットのお茶、煎茶、ほうじ茶、ルイボスティーなどなど他にも我が家には何種類もありまして、コーヒーはセッションの際にはほぼお出しすることは無いのですが、煎茶、紅茶などはその日の気分でお出ししています。

本当に香りも良いし、美味しくて気に入っています。

 

私が水分好きというか、飲み物好きなのでついついいろいろ買ってしまいます。

 

やっぱり「手技」って良い

手技が好きです。これはある日のFacebookファンページの投稿です。

やはりフェイシャル経絡トリートメントは良いなぁって施術しながら感じる。

私の場合、上からメッセージをおろすとかどうのこうのという訳ではなくて(ウエとは? というすんなり思い込みそうな辺りも説も感じ方も信じ方も様々ですよね。ウエもシタもないなら ウエとは?)、相談者さんの磁場(脳波?感情磁場?思考磁場?)のミラーリングのような事をしているようなんで、決して「上の(どこの?)お告げ」とかじゃないんだろうという事に今のところなってます。
宇宙を感じたら、その方の宇宙でもあり、私の宇宙でもあるでしょうし。

しかしこういったことは感じやすくて、それをストレスに感じてお困りのみなさんもとどのつまり同じことでしょう。

私はそれをスピリチュアルに一気に行かずに、検証しようとする点に少々特徴があるみたい。
だから散々検証している事をコラムやブログを書く訳です。

で、フェイシャル経絡トリートメントを施術していると、ご本人が思考で日頃感じにくい深部の安らぎとか、安心とか、その方の豊かさみたいなナニカを感じて私も施術していて心地よいわけで、ご本人の心地良さとか、癒しのような感覚をミラーリングという事になって私も幸せを感じます😄♡

リンパドレナージュも良いですし、心体カウンセリングの対話中もこんな感覚が起きますが、フェイシャル経絡トリートメントもまた一味良いなぁってしみじみしました。

 

どうした! 急にミラーリングとか言い出して(笑)

今回東京に滞在した時の宿泊ホテルがですね、部屋のテレビモニターに自分のスマホがミラーリングできるという仕様だったんですよ。

いやもう、時代の変化をまた感じましたよ。

 

スマホで映画を見るのなら、それをホテルの部屋のモニターにミラーリングしたくなるのが人情。

 

やりましたよ。

やってみたいじゃん。

自分のスマホがミラーリングされる様子が見たいじゃん。

Juanita de PaolaによるPixabayからの画像

これは私が古いノートPCをミニPCと大きなモニターに変えてやりたい事の1つの形だな~と思いつつも、ミラーリングをしてモニターに映った画面を見た時に(コレじゃん!)と気づきました。

かなり前から、「私はウエがどうとかってことじゃなくて、相談者さんの脳内映像をキャッチしているように感じる」と私の脳内情報(映像)の出元について発言していたのですが、(それはこんな仕組みでしょ?)と現実に見せてもらった感じでした。

 

私が施術中に脳内で見ている映像は、相談者さんの脳内のミラーリングじゃん!って。

 

そりゃあ 私が全く知らない情報をひろうよね。

当てるということも起こりそうよね。

 

私は常々、ウエから降ろすだの、ウエと繋がるだのというセリフに反応しがちだったのですが、その反応する原因の中に、それはウエじゃなくて目の前にいるその人の電磁波とか生体電気とかの反射をそれらしく、ありがたい風味マシマシで理解したいが故ではないか?と私個人の根性曲がりな性質丸出しで検討していたりするということがあるんですが、

人体宇宙説ならば、その反射は宇宙を「ウエ」と呼ぶたい方には確かに「ウエ」と言えるという受容もしています。

ただ、その宇宙というものに、(それを感じる私って人と比べて凄いのよ)という本題とはまた違う意味が練りこまれているように、根性曲がりな性質をもった私が勝手に感じてしまうためにいろいろ反応しておりました。

残念ながら、きっとこれからも反応するでしょう。(予告)

 

しかし、こんな根性曲がりな私も、滞在したホテルの「ミラーリング」には思考と感性のまとまりを援助して頂きまして非常に感謝しております。言葉って素敵ですね。

「ミラーリング」

ramazan balayevによるPixabayからの画像
Carroll MacDonaldによるPixabayからの画像
Gerd AltmannによるPixabayからの画像

ミラーとは言え、「鏡の法則」はあんまりですが

過去も「法則」ということについて同じことを書いていますが、「鏡の法則」と感じるようなことがあることは私も同感ですが、法則と言うからには、万有引力の法則級にくっきり、はっきり、誰しもが検証できるものが好ましいという個人的な好みがありまして・・・(面倒臭くて申し訳ございません)

 

「法則」というフィルターにかけて、説明とか解説とか、その方の都合よく「法則」という概念をつかわれるケースはあまり好きじゃないんですよね。ただの個人的な好みです。

 

なんというか、こういう考え方を主軸にすると、目の前の情報をそのまま脳に入れられなくなる習慣が付きそうで。常に1変換、2変換無意識に付け加えてしまう癖がつくようなイメージをもってしまったんですよ。

それは何でも「お知らせ」みたく受け止めることとも似ているのですが。

 

いや、お知らせもあると思うんですよね。ただ、もう毎分毎秒お知らせかといって、意味づけばかりしていてもシンプルじゃないような気がするだけです。

 

だがここで、いつものセリフを書きますが、趣味も思考も嗜癖も好みももうひとそれぞれなんですよね。ご本人が良ければいい。私は個人的な好みをBlogに書きますが、何億もいる地球上の人間のただの一人の好みなんで。

John HainによるPixabayからの画像

 

書き出しと、文章の後半の展開がまったく連動しておりませんね。

いつも通りと言えばそうですが。

 

どうぞTAKEDA-Blog号にご乗車の際は、シートベルトをしっかりと締めてくださいますよう、宜しくお願いいたします。遊園地のクレイジー・マウスみたいにもうこまめに曲がって振り回されますんで。

dlohnerによるPixabayからの画像

宇宙図書館

宇宙図書館

いや、比喩ですよ

いや、比喩ではあるんですが、宇宙図書館と呼びたくなるような知識の泉をお持ちの方っていらっしゃるんですよ。

人体が宇宙なら、誰しもの脳に宇宙図書館があることになるんですが、まぁそれでもいいです。

お好きなように捉えてください。

Arek SochaによるPixabayからの画像

 

かねてより私が勝手にリアルマスタヨーダとお呼びしている大竹先生にコロナ騒動を挟んで何年かぶりにお会いしました。リアルマスターヨーダも、奥様も全くお変わりなくお元気で凄かったです。

私は風貌は加齢しておりますが、お喋りする口はマッハで動きましたよ。(笑)

 

数年分の疑問、質問がありまして、施術を受けながら「しゃべっても良いですか?」と確認し、OKでしたらしゃべっていました。

「〇〇ということがあった(体験したんですが)アレはどーゆーことでしょうか?」と色々質問しました。リアルマスターヨーダのお考えが全て正解かどうかなど、そんなことは質問している側の私にはわかりませんけれど、「なるほど!」「へぇ~そんなことがあるんですね」とすんなり受け止められるご返答の数々。

非常にスッキリしました。

 

いや、これはもう誰にでも言える話じゃないわ。というような個人的な体感というか、感覚についてもお尋ねしたりしました。私の脳内にはリアルマスターヨーダほどの図書館はありませんし、私の体感というか、感覚について話を聞いて、リアルマスターヨーダの脳内にどんな風景が広がっているのかも想像すらできませんけれど、回答、返答について「思い付きとか、こじつけとか、勘とか、勝手な想像じゃないんだな」という感じはしたんですよね。

 

なんというか、全てにおいて出典元がはっきりしているというような感じです。図書名とか、人物名とか全て整理されて分類されている感じ。あるときは時系列(歴史的な流れ)、ある時はジャンル別という感じで、私などは地理、歴史という科目「社会」に分類されることについては特にバカ丸出しなので、教えていただいた返答や回答について何パーセント理解できているのか怪しいです。

Tide HeによるPixabayからの画像

 

セルフケアについて教えていただく

私も、かつては講座受講生さんにも、過去も今も面談した相談者さんにも、帰宅後一人でもササっとできるセルフケアの方法をお伝えしています。これらを「お土産」と呼んでいます。

それと同じ感じで、この場所から帰宅したのち自分でできることをリアルマスターヨーダこと大竹先生は教えてくださいまして(これは過去にお会いした時も同じでした)、沖縄に戻ってもやっております。自分に良い影響がありそうなことはやっておこうと思って。

 

自分自身のセッションもそうなんですが、「〇〇が無いとできない」というような制限があまり好きじゃないので、アイテムを使わない心体カウンセリング™ を好んでおりますが、大竹先生の「お土産」も身一つでできることなので私にとっては相性が良い。

 

背が高くなった気がする

以前、もう10年近く前になるんでしょうか?そんなにならないのかな?

当時のお友達が気功の先生をしていて、体験教室に参加したんですよね。

その時に、(こういったことは相性が良いんだろうな)という体感というか、そういったものがあったんですが、その体験教室でワークをやった際に(あれ!? 背が伸びた!)と思ったんですね。

ワークの前と後では目の高さが全然違うような。視界が広いような。

 

(気が整うと、こういった感覚がするんだろうな~)という経験は多いのですが、リアルマスターヨーダに教えていただいたストレスケア方法というか、バランス調整法を大竹先生の治療院で教えてもらってやった時も背が高くなりました。

 

で、家でやっているんですが、ふと、私が他で目にした別の知識を、リアルマスターヨーダに教えていただいたバランス調整方法に勝手にアレンジしたら超背が伸びた感じがして、天井に頭が付くわけないのに、そのくらい背が伸びた感覚になりまして (おお! これは結構伸びたね)と思ったので次回大竹先生にお会いした時にこのアレンジと体感のシェアをしたいと思っています。(なんでも忘れちゃうんで、忘れないうちにもうメモしました)

 

なんというか、治療や相談業に携わっていると、結局のところやっていることは同じでも、流派というか、系統というか、手法というか、論理体系というか、ルール、表現などがいろいろ違ったりすることがあるんですが、大竹先生と私もそういう外郭のようなものはそれぞれなのですよね。

ですから、私が大竹先生の治療法とか、流派というか、そういったことについてお知らせしたり、書いたりすることはできず、代わりに?書けるのは体験談だけなのですが、大竹先生の流派というかなんというかが好き! とか、分かりやすい! とか、性に合う! という方は大竹先生の流派の門を叩かれると良いですよね。

こちらが大竹先生の治療院です

三千堂治療院

https://8779107700.theblog.me/posts/7980188/

お写真が載っているサイトを今回初めて拝見しました。

お二人とも、実物の方がお若いです。

 

東洋医学を学べる講座を今も開催されていらっしゃるのかどうかはお聞きしませんでしたが、過去のBlogにこんな記事がありましたのでシェアします。

三千堂治療院のこれで納得、東洋医学 VOL.1

https://ameblo.jp/sanzendo3/entry-12211543533.html

 

東洋医学の受講生さんではなく、気功系の練習のようでしたが

私が大竹先生の治療院にお邪魔して、バランス調整・ストレスケアの施術を受けたのち、奥様とめちゃユンタクしている最中も、大竹先生と練習会?をされに他の方がいらしていました。

実際何をされていたのかは、扉の向こうでの出来事なので拝見しておりません。

 

この方たちに私は帰り道、駅まで一緒に移動して頂いたり、乗り換え駅の案内をしていただいたりと非常にお世話になりました。おかげでホテルに戻るのに非常にスムーズかつスピーディでして助かりまくりで感謝しています。

初対面の方とおしゃべりする楽しい機会にも恵まれました。

VictoriaによるPixabayからの画像

 

生きていると楽しい経験が多いです。

大変なことも多いかもしれませんが、楽しいことも多いです。

 

次回また上京するのが楽しみです。

Jan VašekによるPixabayからの画像