脳汁? 副鼻腔汁?

最初に余談

ロジクール pop keys

いきなり余談!

いつも通りで申し訳ありません。

人生初の10,000円超えのキーボードを買ったとご報告済みですが、購入する際に(これ絶対に気になる(ストレスになるの意)よな)と思いつつ買った。 そしてまんまその通りだった。

エンターキーの横にテンキーがあるのが嫌なのは、キーボード全体とセンター・中心で向きあいたい、そのセンター感が肌感と合うということもあるんです。シンメトリーみたいな感じ。 ましてやEnterlキーの右側のキーなどがあった場合はうっかり触って誤入力するのが本当に時間の無駄に思えて嫌なのです。が、今回購入したキーボードには絵文字が入るという私には一切無関係なキーがある。が全体が可愛いかったし、キーの打ち心地も非常に良かった。キーが丸い製品もそんなには無いのでこれも非常に気に入った。

 

が、しかし、enterキーやbackspaceキー、deleteキーを押す際に絵文字キーを触ってしまうという想定通りのミスタイプが頻発しておりました。 チェッ とか チッ という口癖はありませんが、気分はそんな感じになりそう。

 

しかし、商品名は「pop keys」であって、この絵文字キーがウリなんである。私がいくら邪魔でも。

神様は私に味方してくれました。いや、ロジクールが味方してくれた。

絵文字キーに好きな指示を割り当てられるという神設定があることを買った後に気が付いた。神様、ロジクールさまありがとう!

うっかり触ってしまって絵文字入力されちゃうのを防げるのである!

で、神なのは割り当てられる指示に「何もしない」という選択肢がデフォルトで設定されていること。

「何もしない」を割り当てたら、ミスタイプというか、絵文字が入力されてしまうストレスがゼロになった。祝

そして、数時間後ヒラメイタ。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

 

deleteキーの横の絵文字にdeleteを割り当て、

backspaceキーの横の絵文字にbackspaceを割り当て、

enterキーの横の絵文字にenterを割り当てたら

ストレスゼロどころか、災い転じてもっと使いやすくなることを!

 

あまりに嬉しかったのでスクショまで撮って解説してしまった。

以上余談終了です。

お付き合いありがとうございました。

 

本題 メンテナンスを受けました

自分も受けるよ

セルフケアもやりますが、もう最近はセルフケアもササっと秒で終わるものだから、それ以上のことは他人様のお力を借りるというパターンを只今継続中です。

丸ごとチェックしていただいて、横になっている間に必要なバランス調整まで完了。

メンテナンスに関して、「話をじっくり聞いて欲しい」という欲求が今は無いので、目を開いて横になっていても良いし、目を閉じて横になっていても良い。

直近のメンテナンスを受けていた際は、そのまま寝るかもしれないし、寝ても良いし。と思っていたが眠りはしなかった。が、脳内映像を見ていた時はレム睡眠状態で眼球運動が起こっていたかもしれないが眼球運動の自覚はなかった。が、今回も不思議映像は脳内に浮かんだ。

私が、「アッチとコッチの隙間」と呼んでいる状態にいた時もあったと思う。

 

が、今回は不思議映像の話ではなくて、最初に(脳汁でも流れているのか?)と小学生のようなことが頭に浮かんだ感覚について書きたい。

 

身体に触れるセラピストが「脳汁」とか書くこと自体ダメダメなのですが、体感を表現しようとすると非常に使い勝手がいい。「脳汁」(笑)

副鼻腔汁か?

脳は膜で包まれているため、メンテナンスを受けた程度ではそのような膜は破れないし、もちろん液体も出てこない。そんなことはわかっているんだけど、鼻も詰まってないし、鼻炎でもない、鼻水はたれておらずかえって乾いてる。なのに、施術を受け始めてしばらくしたら液体が喉へと流れ続けた感じがした。

割と長い時間。

馬鹿みたいに最初(脳汁)などというキーワードが頭に浮かんだんだけど、(んなわけないし 半笑)という脳内対話をし、次は(これは副鼻腔汁だろうか?)などと頭によぎった。

 

詰まってたの???

そんな感覚は無かったけれども、何かしらの液体は喉へと流れ込んでいる感触がある。

 

今これを書いていたら ふと 思いついたは、やはり脳内(松果体がなにか反応したとお聞きしたんですが)からナニカが排出されたのかもしれない。それは具体的な「液体」「汁」ではなくて「気」だったのかもしれない。

 

脳汁ではなくて、脳から排出された「気」。

こんな可能性ってあるのかな? という可能性も残しておきます。

 

アレ? ここが明るくなっちゃって大丈夫?

ここは?

そう、松果体がなにか反応していたようなのですが。いつも通り松原先生に全然詳しく尋ねないのでどういった反応だったのか知らないままです。が、過活動というようなニュアンスを受け取りました。

 

が、そのあと?かなぁ

 

目を閉じて仰向けに寝ている最中に、眉間に丸く明るい映像が見えたんですよ。外じゃなくて頭蓋骨内か頭蓋骨沿い辺り。

(第3の目とか開いちゃったわけじゃないよね?)と頭によぎるようなまん丸く明るくなった。

ただそれだけです。

 

松果体のバランスが崩れていたんだとしたら、バランス調整後「第3の目が開いちゃっていたのが閉じた。」というのが健康的なイメージですが、バランス調整したら「第3の目が開いたの?」というようなことは・・・・ どうなんですかね? わかんないです。 施術を受けた後、別に特別なものが見えてませんしね。そもそも正しい「第3の目」作用を知らないんですが。

 

こんな感覚があったので、あの「脳汁?」と感じたのが「気」のようなものだと、勝手な推測の辻褄があうようなこじつけも想像しちゃった。(副鼻腔に炎症などはなかったと思うだけど)

あの「喉の奥に流れ込んでいった感覚」のものは眉間に溜まっていた「気」なんていうのは、想像力を働かせすぎですかね。

 

over?

松果体あたりがoverだったとしたら、overしている物質が眉間当たりの透明感を阻害していたということも考えられそうです。

overで曇っていた状態がバランス調整されることによって明るさを感じるようになったという可能性もあるな~って先程お風呂に入っている時に頭に浮かびました。

 

 

あれこれ想像力を膨らましているよりも、松原先生に尋ねたら1秒で済むんですけどね。

さんざん文章を書いておいてなんですが、松原先生に尋ねたら「それは鼻水だよ」と言われる可能性もあるんですけどね。(-_-)

セルフケア講座に入れていないセルフケア方法があって

セルフケア講座の際に、講座のレジュメには載せていないことも結構講座の中でお伝えしたりします。基本のことは当然お伝えして、コンテンツの応用の仕方とか、ちょっと別バージョンなどが現れた時には口頭でお伝えしたりするセルフケア方法もあったりするんです。

イメージワークも得意不得意などあるので、レジュメに載せていないアレコレはご本人にフィットしたらご活用くださいというタイプのものもあります。

で、ここ最近、まずは自分から試しにやっているセルフケア方法があるんですが、ひょっとしたらこのセルフケア方法が松果体に負担をかけているとか、松果体を使いすぎるとかあるのかもしれない。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

ですから、こういった類のことはまずは自分で試してみて、健康的に末永く使えるのならお伝えしますが、ちょっと変な方向へ行く可能性があるかも?と思えばお伝えしない。

 

それらも程度問題なので、「〇〇がイメージしきれないのなら採用せず、基本のケア方法でセルフケアをお願いします。」というようなこともある。こういったお話ができる方は無理をしない方が健康的だと理解されている方なので「全然大丈夫。OK」という受講生もいらっしゃったし、「私はこの方法は当面やめておきます。基本のやり方の方がしっくりくる」という方もいらっしゃった。

で、なにがどうであれバランス調整をしていただいておりますのでそれでOK

人体の不思議というか、絶妙なバランスというか、日々刻々と変化するというようなこともあるのでいったん施術、治療を受けてバランス調整したということで私はOKです。

完璧というものはない。(だろうと捉えています)

完璧にしても、また変化していくから。

その日受けられるバランス調整を受けて、また粛々と日々を過ごしていく。それでOK。そしてまた次回、その時の私の状態のバランス調整をお願いします。

 

松原先生ありがとうございました。

 

急にまた話題を変えますが

プロセス重視

先程、ポーラの社長さんの信条のなかに「プロセス重視」という言葉を聞いた。

他にも信条があり、その中の1つとして「結果を重視するよりも、プロセスを大切にする方が幸福度が高いというデータが出ています。」というような説明をされていたように思うが、それを聞きながら

(そうだなぁ 私もプロセスタイプかもな~ 結果はついてきたものを結果とするというような感じかもね~)と思った。どの時点で区切った状態を「結果」とするのか?という視点もあるから。

脳のタイプ的に「結果主義」というものがフィットしにくくてかえってストレスに感じやすいという傾向があるので、自分が機嫌よくしているためにも「プロセス重視」というような選択になっていると思う。

 

先日施術を受けた後も、その翌日も全然予定を決め込まず、ふわっとさせていた。私には別に珍しくなくて、よくあるというか、当たり前な感じなのです。

で、結局は駅ビルを非常に楽しんで、一人静かに盛り上がった。

 

1つ、施術を受けるという予定は完了したので、あとのことはその場を楽しむ。

予定や目標を決め込まず、その時のその環境を楽しむということをよくやる。多分こういったことも私の生き方にはフィットしやすいみたい。

 

ヒトにはそれぞれタイプがあるので、結果主義だとチカラが沸いてくる方もいる。

目標を提示されて(して)、それに応えて結果を出す!ということが励みになるし、やる気が出ると自覚されている方も何名も知っている。結果主義は嫌いだと良いながら結果を出していく方もいた。

ご本人は認めたがらなかったけど、かなり適職だったんだと思う。

好きが適職とは限らず、嫌いでもできるって適職じゃないでしょうか?なんて思ってる。上手にできるなら天職かもね。

 

ただ、スポーツ選手が適職や天職としても、一生スポーツ選手でいられる方ってなかなかいない?という意味では、適職や天職も「年数」「適する年数」という分類の仕方があるような気がする。

 

私はダイビングの仕事をしていましたが、一生はできないということは始める前からわかっていたけど、あの仕事を数年できたということは適職だった期間があったんだと思っています。腕力や体力、精神力の資質によってダイビングを仕事にできなかった方も知っているので、好きならできるとも限らない。嫌いでもできることもあれば、好きでもできないこともあるじゃないかと思う時がある。

 

と最後は全然別の話をして終わりました。

 

おそまつ