稀ではないのかも
迷いながら生きていく
生きていると、迷いもあるでしょう。
迷う→選択する
人生は選択の連続だとよく聞きますね。
迷う→選択する と書きましたが、迷いなどなくても選択しています。
迷う→選択する→受け入れる
迷う→選択する→後悔する
迷う→選択する→結果、納得する
という場合もあるでしょうし
迷うという揺れがない
そもそも迷わなければ、
選択する→受け入れる
選択する→後悔する
選択する→結果、納得する
ただただこちらの積み重ねかもしれない。
とある方の語り
こちらの動画以外については各自ご興味がありましたらどうぞ。
ただ、こちらの動画を拝見して、(逡巡という言葉は当てはまらないかもしれないですが、躊躇いというのも違うのか、ご本人は後悔という表現されていますか?)こういった心境になるケースも稀じゃないような感があります。
人生の後半で感じるのか、人生の中盤で感じるのか、若い若い時に感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
わたしの場合
どこからその概念を手に入れたのか?
私が成人するまでの環境で、「いろいろ後悔している」という内容の話を耳にしました。結構な頻度で結構な量を聞きました。聞かされました。その後悔談を聞いていて、私は「人生の後半、いや晩年で後悔ばかりするのはつらいかもしれない。だからそうならないように生きよう、過ごしたい」と思うようになりました。
避けられるのなら避けたい。
それは自分自身で決められそう、選択できそうだ。
と考えるに至りました。
それは自分自身で決められそう、選択できそうだ
それは自分自身で決められそう、選択できそうだ。というのが本当かどうかもわかりませんし、実現するかも保証はありませんでしたが、確率と言うか、可能性は高めたいと思ったんですよね。
望めば叶うの?
過去のBlogにも書きましたが、その昔昔にこの本のような考え方が好きだというのはこういった「後悔しないために」というような意味合いもあったし、じゃあ私はどう生きたいのか? どう生きたくないのか? ということを考えたわけです。
叶うなら叶えて!という感じ。
成功法則と書いてあるのなんて、のちのち気が付きました。私は一縷の望みのように「望めば叶う」しか見てなかったもんね。(笑)
今日現在も、過去も、ヒトを導こうとか望んでないし。
いろいろな思考を経て
多分、
- 何を選ぶのか?
- どう行動するのか?
- どう考えるのか?
というようなことも頭において生活していたんだと思います。
その際に、読書から学んだことや、実際に見聞きしていることや、ヒトの行動パターン、思考パターンをデータとして取り入れて「メタ推理」と呼ばれているらしい手法を人生の中で取り入れた模様です。
自社データとか、当社データによる。などと書いてきたあーゆーものを統計としてつかって推理の基に使っているというようなことです。
この私の思考方法に「メタ推理」という名称があることもつい最近知りました。
私の友人は、「それが直観というものですよね?」という意見を聞かせてくれましたが、直観の源とも言えそうですが、若干違うと言えなくもないようなはっきりしないことです。
今はまだ歯切れよく書けません。
ですから、心理学は統計を基にしているのが正しい?とか、それが心理学としてあるべき姿というような苫米地氏(先生と書くべき方ですが)のお話を耳にした時に、(なるほど~)と思いましたし、一応私のやり方は遠くないかもしれないな~って思いました。
今日現在は
確率論なのか、信念なのか、の影響で?
今日現在は幸せにやれています。シンドイ時期は去り、非常に快適に過ごしています。
一応、考えて、行動変容の練習をしたり、せっせとストレスケアをしてきましたので、多少なりとも役に立ったような気もします。全部が全部、自分の計画通りというような捉え方はしていなくて、人生は偶発的なことやいろんな関わり合いや、天文学的な確率で起きることなどでてんこ盛りだと思っていますから、引き寄せとか、因果関係とか、そういった「法則」的な決めつけはしません。
これらは【ありがたいこと】という受け取り方が多いです。
最近のBlogに書いたような「ブーメラン」も毎分毎秒飛んでいるのを見るわけじゃなくて(あ!これはブーメラン現象のように感じられるな)というケースがあるね、ということですから。
正解は知りませんので、私の個人的な好みです。
イケイケの時期は、自分のチカラで人生構成している!と思う時もあるし、何かあった時に人生に畏怖の念を抱く時もあるし、自分のチカラなどチッポケだと思うような時期もあるし。
できるかどうかは知りませんが、「〇〇の法則」を逆引きして利用するというような意図がどこまで実現するのか疑うことなく熱中する時期もあったりしますしね。
人生はいろいろだな。と動画を拝見して感じたという内容でした。