これはそうだと思う

そうだと思うっていうのは、「孤独解消のための結婚は必ず失敗する」という部分

 

いや、「寂しいから結婚したら幸せになりました~」という運が良い人もいるとは思う。

なんでもゼロってことは無いかもしれないから。

でも、私が見えたり、聞いたりできる範囲では「孤独解消のための結婚で、結婚後悩んでいる方が多い」という事例が多い。

 

だから、、「寂しいから結婚したら幸せになりました~」と言う方はその幸せは大切にしてほしいし、ご自分のご縁の強運を喜んで欲しい。その強運は結構な強運だと私は思いますよ。

 

運命の出会いに取りつかれてしまうこともある。お気をつけて。

運命の出会いだと思ったら、「孤独解消のための勘違いだった」ということも多そうだな~

 

いやこれ、名言じゃない?

「運命の出会いだと思ったら、孤独解消のための勘違いだった」

って。

これは良い。気に入った。

しかし、もうすでに誰か言ってそうだね。

 

もう少し書くと、「私の結婚には『運命の出会い』という条件がプラスされている」と無意識に決めていたり。

相性もさまざま

運命の出会いっていろいろあると思っていて、運命論的には今回の人生で1秒でも接点のあった方は「運命の出会い」になるんじゃない?という論説に基づくと、離婚する人も、相性の合わない人も、喧嘩の絶えない人も、好きな人もイヤな人も、全員「運命の出会い」になるわけで、こう考えるともう少し冷静になれませんかね?

 

なんというか、こんな私も「へぇ~、それは凄いね」というドラマチックな出会いをされた方で、長年添い遂げられていらっしゃるケースを情報として知ることがあるのですが、それを「運命の人と出会ったんだね」という風には感じなくて、自分が幸せと感じる生活を送れる相性の方と一緒になった。相性の合う(良い)方と出会って幸運だったね。と思うんです。

運命と一緒やないか。何が違うんだ。と思われるかもしれませんが、運命よりも相性に注目度が高いとでも書いたらわかりやすいでしょうか?

ドラマチックに出会っても、上手くいかないケースもてんこ盛りあるわけなんで。

 

別れる相性、別れない相性、愛し合う相性、憎しみ合う相性、平和な相性、バイオレンスな相性、本当に世の中は色々です。

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

一人の孤独と、二人の孤独

話が脱線しましたので、もとに戻します。

 

コラムやブログに書いてないか、せいぜい1、2回程度サラッと書いた程度かもしれませんが、対話、会話、セッション内では私もよく、「一人の孤独と、二人の孤独の違い」という話をしてきました。

私が書いたり話したりするものあったけど、ご紹介した動画はその辺りが分かりやすい。

(ほんとそうよね~)と思ったからこそ、これはぜひシェアしたい!と思ったもの。

 

そして、コメント欄もご興味があったら目を通してみてください。いろんな方がいます。いろんな意見があります。

中村うさぎさん

中村うさぎさん、以前は今よりもっと全然別世界の方感が強かったのですが、最近?うさぎさんが変わっていなければ私が変わったんだと思いますが、うさぎさんの個性に魅力を感じて他の動画もみてしまった。

おむつ姿や、坊主頭姿や、なんかアレコレ笑ってしまった。格好つけのはずよね? アレ?ここは格好つけないんだ!?みたいな感じで。 ご本人のことはまるきり存じ上げませんが、お話の内容はシャープだな~と思って他の動画も拝見しました。

 

必ずか?

「孤独解消のための結婚は必ず失敗する」という表現について、必ず失敗するかどうかも証明できないからアレなんだけど、高確率で悩みだすということは経験値としては言いたい。

 

結婚する前は「自分は大丈夫」みたいに甘く見積もりがち派もいると思う。

「こなしていける」みたいな。

条件として「結婚している自分」であろうとする。というような感じ。

 

これが思いっきり足元救われるんですわ。そして「自分は大丈夫」「こなしていける」と思っていた割に(思っていたからこそ?)足元救われて転んだ時にかなり痛い。激痛。

lisatenerによるPixabayからの画像

わたしは大丈夫

「二人の孤独はつらいよ」などといくら言っても、体験したことのない方には伝わらないんですよね。そりゃそうなんですよ。頭でわかるのと、体験するのって違うから。だから、何を聞いても「自分は大丈夫」「こなしていける」という感じがあるし、やってみないとわからない、深く考えてもしょうがない、嫌なら離婚したら良いしっていうことも含めて甘く見積もりがちだったりするんよね。

誰しも悩むわけじゃない

でもですね、結婚が「孤独解消のための結婚で、結婚生活がうまくいかなくなり離婚した」方でも悩まない方がいるのも知っています。将来自分が相談業をやるとは微塵も予兆のなかったはるか昔に目にした例です。その方は全然足元を救われなかった。ダメージを受けなかった方。理由は次?の他の方への恋が始まっていたから。

自分とは?というような悩みを持たなかった方。結婚したからには努力しないと!みたいな悩み方をしなかった方。

離婚云々の時に、悩んだりして激ヤセする方も多いのですが、その方は激ヤセとか悩みとかは無くて、次の恋、好きな方に好かれようとしてダイエットを始めていました。超ポジティブと言っていいのか、人間味が少ないと言っていいのか、次の恋、好きな方に心を奪われ過ぎたのか?

 

その方を見て、悩む自分ってどこかが真面目なんだなって当時思ったのを思い出しました。真面目過ぎるのかな?と思えました。いい経験です。そういう意味では私にかなりの時間が経った今この文章を書かせてくれているその方との出会いは良い出会いでしたね。(笑)

 

ほんと世の中いろんな方がいます。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

親が悪いのか?

離婚する夫婦を見て、悩んでウツになって激ヤセしている方を見て、「親が悪いんだよ」と馬鹿にした方が居ました。昔です。

「その点、ウチは幸せだな」と優越感に浸っていたのも見ました。その同じ昔に。

 

月日が流れ、「その点、ウチは幸せだな」のお嬢さんが離婚されました。

 

私は時折、(比喩にはなりますが)飛距離の短いブーメランのようなものが飛んでいるのを見たような気がする時があるのですが(もちろん錯覚かもしれないし、ただ思いたいように事象をみているとも言えますし、自分の都合の良いように因果関係を創っているとも言えます)、この件のように結構な長い飛距離、10年、20年単位のブーメランも見たような気がする時があります。

 

ですから、他者を大切にはできなくても、馬鹿にしたりイジメたりはしない方が自分の安全というか、幸せがまだ確保?保証?される確率が上がるんじゃないかな?と思えるときもあります。

馬鹿にしない。イジメない。=幸せになれる

ということはわかりません。そうだと良いなぁとは思うけど保証はない。

ですから、

馬鹿にしない。イジメない。≒幸せになれる確率が上がるかも

という感じ。

 

それも、時間がある程度かかって人生の舵がゆっくり切られていくように感じる時もあるから、途中、(良い人ってバカを見るだけだ)と腐る時もあると思うんですよね。

腐ってしまうのをグッとこらえた先にひょっとしたら良いことがあるかも。という非常におぼろげな話ではあるんですが。

 

それよりも

他者を大切にする=幸せになる

の方がなにかが早いのかもしれません、確率が高いのかもしれませんが、私一個人ではなんの証明もできないし、約束もできないし、保証もできません。

 

この辺りは人生信条みたいなことで、各々が考えたりしていくことなのでしょうかね?

 

結婚の話から、最後は目に見えないブーメランの話になりました。

いつも通り内容が急カーブを描きましたが皆さんはまだTAKEDA-Blog号に乗車されておられますでしょうか? 遠心力で吹き飛ばされておりませんでしょうか?

 

それではまた。

See you!