手を出すな!というよりは

手を出すな! というより、「私は手を出しません」という独り言

書くものを独り言と書いてしまうと、all独り言。ホームページもこのブログもラジオで話していることも全部が全部独り言になりますね。突き詰めてしまうとそうなりませんか?

ですから、私が書いたものを読んで傷つくことなど無しでお願いしたい。だって、世界中の何億という人間のうちの一人が小さな脳みそで考えたことを呟いているに過ぎないから。

という前置きとともに、恒例になった近況報告もさせていただきますが、かねてより買い替えが決定しているけれどもまだ使えるから使っているPCの画面に1か月以上前から数本の「線」が縦横に入りました。最初は1本、今では数本。ぼんやりしている私に「買い替え時期が来てるからね!」とわかるように強くお知らせされています。ですから、時間をたっぷりとれる日にパソコン工房、ドスパラもパトロール先に加えて下見に出かけてこようとワクワクしています。

 

今日は前回の記事の続き、補足を書きます。

あぶねえ

 

わかったようなことを書くと、そもそも満ちていたら「術」はいらない

違う意味で怖い。わかったような書きぶりが怖い。www

私は”天上天下唯我独尊”の言葉の本来のニュアンスも知らず、頭に浮かんだ瞬間に「強烈なエゴ肥大!!?? ヤバイ!」と思ったほどでしたが、そもそもは私がお会いしたことのない、実在の人物かどうかすら存じ上げないお釈迦様がおっしゃったとのこと。

シンプルに想像しますが、お釈迦様が「思い通りの現実を創ってやるぞ」とちょこちょこっと脳内で操作しますかね? その時代に量子力学という概念が無いとしても、陰陽論に「細胞は宇宙」みたく概念があったということは、名詞として言葉は使わなくてもこういった「イメージ」「想像力」「イメージの使い方」「イメージの感じ方」とかの理解はあったと思うんですよ。

そのちょこちょこっと脳内で操作して「現実を創ってやるぞ」ということが人生じゃないんだよ。ということの方を推奨されていたんじゃないかな?と勝手に想像しておいて、驚くほどわかったような口ぶりで文章を書いてしまいました。

 

” 私は”天上天下唯我独尊”の言葉の本来のニュアンスも知らずにいた” くせに。(笑)

 

操作しようとしなくていい

そう、

自分の環境や人生を操作しようとしなくていい。もう完全なんだから。

という感じなのかな?

Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

神の領域?

私が今回も知識、情報、エビデンス、研究発表・論文があるからと言って、なんでもOKってわけじゃないんだろうな。と考えたりしたんですよね。それらがあればなんでも自分の人生に深く考えず落としこめばいいってもんじゃないって。純粋な研究も使い方によっては破滅的な兵器になるし、便利も追及したら自分が住んでいる環境を汚染して、ひいては自分たちの健康被害を起こしたり、人間以外の生き物がいなくなったり。

 

以前のブログに ” 信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」というのでしょうか。” と書きましたが、これらはある視点、ある価値観からすると人間の大切なナニカ、ドコカにあまりよろしくない影響があるという意味かと考えたんです。この「人間に大切なナニカ、ドコカ」って何だと思います?

 

あっ わかったようなことを散々書いていますが、これの答えは書きません。

答えはヒトそれぞれかな~って思ってみました。

それに、私が書いていることが正解とは限らないし。

John HainによるPixabayからの画像

幸せになるために術を使う?

「操作しようとしなくていい。」の意味は他にもあって、

幸せになるために術をつかう? 努力や行動ではなくて? というような意味合いもありました。

 

私個人は考えようによってはどこを原因とするのか?どこを区切って結果とするのか?の答えがどんどん変わる(幾通りもある)と思っていることを理由として「原因と結果の法則」みたいなものを強く推奨していませんが、こういった法則の際に登場するワードに「行動」ってありますよね。

脳内でちょこちょこっとナニカ(量子?粒子?電子?)を操作して云々ですと、脳内でちょこちょこっと操作という行動には、信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」という結果を得たように感じるケーススタディを散見しておりまして・・・。

 

私個人は「原因と結果の法則」みたいなものを強く推奨していませんけれども、その私ですらこれこそ原因と結果のような似たケースを散見するという何とも皮肉のような、シュールに感じるような体験というか、経験があるんですよね。あくまでも自社データ(当社調べ)によりますが。

磁場が狂う?

これまで書いてきたようなことを脳内で推敲しておりましたらば、これは私が受け入れやすい「磁場」という考え方が寄り添ってきました。以前ホームページで磁場云々をやたら書いている時期がありましたが、もうすっかり身に沁みついていますので当然脳内にも浮上してきます。

脳コチョコチョのヒントはアニメ「かぐや姫の物語」の解説にあった

 

 

で、” 信仰によってはこういう案件を「悪魔」とか「魔」とか「魔境」という ” この状態を個体の磁場異常、アンバランスが起きていることによるのでは?勝手に仮定しました。

Carroll MacDonaldによるPixabayからの画像

神になったつもり?

ちょっとまた視点、話題が変わりますが、私が成功哲学的なものであまり好きじゃないジャンルのものに「とある引き寄せの法則系」があるんですが、引き寄せのその考え方の線引きがどこまでも終わりがなくて、もうそれは神の領域では?という違和感を持つときがあるんです。

そもそも「神の領域」という概念、価値観も絶対的なものでもないし、個々の信念も様々だと理解していますので、個々が信じる神が居る居ないという話ではなくてイメージとしての「神の領域」だとして書いています。

 

どのような点に違和感を感じるのか?についても考えてみた。

 

  • 同列で存在しているものを思い通りにしようとする。作ろうとする。
  • 上位概念。
  • エゴ。
  • 全能感
  • 全能感なのに?だから?狭い視野

 

これらが ↑ が浮かびました。

 

でも、他人様に伝える際になんと書こうか? どう表現したら伝わるだろう?? と思った途端に非常にわかりやすいものが目の前に現れた。

映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス(吹替版)」

映画です。私が好んで見ている映画紹介YouTube(チャンネル?は沢山あるようですが、私は現在このYouTuberさん一択です。あなたの知らない映画の世界【映画紹介ちゃんねる】 https://www.youtube.com/@eigatube )で紹介されなければ観ようと思わない映画を見た時にそのシーンが現れました。

 

Amazonプライムで、「ライダーズ・オブ・ジャスティス(吹替版)」 を観ていたら、1時間25分あたり。

それは因果関係(引き寄せの法則の別名とも言える時がありますよね)を追求しようとしても、関わり合いは膨大でまともな結論は出ない。というようなセリフでした。それはもう私たち人間がなんとかできる範疇ではなくて関わり合いは果てしないんだからという、私が考えていたようなことが映画の中でやり取りされているようなセリフもあったように思います。

有名な他の映画は「バタフライエフェクト」。日本人の馴染みのある言葉だと「風が吹けば桶屋が儲かる」。

映画を観る前に今回冒頭から書いてきたようなことを考えていたので、それを見た時にまた1つ仮説を立てました。

なぜ脳内でちょこちょこっとナニカ(量子?粒子?電子?)を操作して思う通りの現実を創れそうだから創ろうとすると、私が勝手に、なんだか厄介、弊害があるように感じる現象が起きるのか? 起きているように見える気がするのか?

どうしてこれらが磁場にアンバランスを引き起こすのか?とつい考えたくなるのか?

ramazan balayevによるPixabayからの画像

一旦まとめ

ここで今日のところの話を非常に簡単にまとめますが、私たちは生きていると様々な影響を受けていて、生体磁場は日々刻々と変化している。生体磁場と書かなくても「健康状態」でもいいです。

その生体磁場(身体、心、精神、脳、他にも大切なナニカやドコカ?)が大きく傾く事象・影響は様々あるようですが、自分が環境や条件を操作(変化じゃなくて操作という感じ)しようとするその程度によって人生が続くことは変わらないけど、その質というか、純度というか、なにかが大きく損なわれたように感じる磁場を形成するというような。

ElisaによるPixabayからの画像

 

ホームページのコラムにも「純度」という言葉を何度も登場させていますが、こちらにも使っています。今書いているようなことを既に書いていて、やっぱり私の書くものは、同じことを手を変え品を変えているということが今回もはっきりしました。w

波動よりも、私がしっくり来る感覚「電子・電気・磁場・重力場」

 

もう1回続編を書けそうですが、今日はここまで。

 

おそまつ