1年は瞬き1回ほどか?

何はともあれ

嬉しい。

ブログを書く時間と、ブログを書く心の余裕がある。

 

しかし、振り返れば1年は瞬き1回ほどか?と感じるわ。

 

それなりにいろいろあったんですよ。いろいろあったんですけどね。振り返ったら一瞬ですわ。

それは2022年に限らず、これまでの人生も同じくですが。

 

まぁ、大晦日にこの位機嫌よくいられているのなら、終わり良ければ総て良しとします。

ありがたいです。

 

前回のブログの続きを少し書く

ネットに繋がらなくなりました。→祝 復旧

 

私たち人間の多くは、不安や恐怖と共に生きているという事を書きましたが、

これらに少し加筆してみたい。

 

禍福は糾える縄の如し

 

という諺が果たして正しい法則なのかは知らない。

しかし、そうだろうな。とすんなり信じてしまうほどのフィット感。

 

そう、真実かどうかもわからないのに、やけに語呂が良かったり、上手く表現されているのを見聞きすると、真実だと思い込んでしまう。こういったことはホームページでも過去のブログでも散々書いてきた。こういった事もスコトーマ(心理的盲点)だろうということもしつこいほどに書いてきた。

 

私の場合は、これらが真実でも全く構わない。というのも、私自身の過去がまさに

  • 凶事は吉事
  • 禍福は糾える縄の如し

を疑う必要などなかったという体験をしたからです。

 

過去はそうでも、未来は福ばかりとなって、法則じゃないということが証明されても全く構わない。どうでもいい。

どうでもいい。と書くと生意気なようですが、こんなことは私が決められやしない類のことだと天にお任せするしかないという意味です。私がなにをこだわっても、信じても、「今」は刻々と変化していく。

 

その「今」に対して、意味づけをして、反応していくだけだろうから。

 

と、こんなことを考えたのち、ただの思い付きの「例」を書いてみたくなりました。

 

自分におこる不幸や不運を避けたいばかりに

哲学的?に書くと、不幸も不運も本人の感じ方次第なのか?

いや、理屈はそうでも、不幸も不運も嘆きたくなる時って誰でもあると思う。

本人の感じ方次第だけかもしれないけど、でもそういった考え方に囚われずにはいられないような環境や状況や心境ってあるよね。

 

で、祓おうとしたり、浄化しようとしたり、云々ということを前回書いたわけですが、

ただの「例」として、

その不幸、不運というようなことを通過せず避けているばかりだと、次に来るはずの幸福や幸運が迎え入れられない。

なんてことが嘘か本当かわからないこの「法則的」には仮説として成り立つのだろうか?となんてことを。

 

ただの机上の空論ですよ。

私の脳内の空論。

 

グルグル回ってる? 輪廻転生?

物事は循環している。という考え方をすると(いや、これも真偽は不明ですので仮説として書き進めます)、不運、不幸を恐れるあまりにそれらを阻止しようとするその考え方や行為は循環を妨げている。というような論説は成り立つのだろうか?

 

となると、

遥か昔に私が一体どうしたら良いのかわからないけれども「恐怖のブレイクスルーを試す。目指した。」

というようなことをホームページのコラムに既に書いていますが

感情と成熟(精神的に大人になる)

私たちの精神・心理と宇宙感ー1

 

「恐怖のブレイクスルー」の極端な言い換えは、

  • 「幸運、幸福を迎え入れる覚悟をした」とも言えるのかもしれない。
  • 循環を円滑にさせる心持というか、自分のチカラの及ばないことについてもうお任せする。というような手放し方

というようなことと表裏一体とも、机上の空論的には考えられるような気がしたんですね。

 

あっ! 相変わらず、真実は知りませんよ。

私はこういった事を考えるのが好きなだけなんで、説の証明については、数式や化学式を証明するには母数が少なすぎる ただの自社データ、Myデータのみなので。

 

表裏一体

でもまぁ、表裏一体みたいなことって多いから(長所が短所、短所が長所的なこととかもそうですかねぇ)幸運と不運もその「表裏」に加えてもいいかもね。

 

ということは、どっちも引き受ける心がけがあるというのは理に叶ってるような気もする。

不運と避けたら、幸運も避けてる。というようなことも、この論調を持ち出すのならあながち外れていないのかなぁ。

 

となると、この「表裏」にもっとも寄り添うとしたら、「何が起きても大丈夫」というような心持なのかもしれない。どうであれフラットでいるというような意味で。

 

そして、これらをまたまた言い換えるのなら、「いまここ」なのかもしれないし、「今を生きる」ということとも言えるのだろうか?

 

表裏一体のものに「幸運」「不運」という判断を下しているのは人間の思考?

「出来事」に意味づけしているのは人間の思考。感性。

私が、転んで負傷して「こりゃあ この先良いことあるぞー」と意味づけしたのは私。

 

外側ではなくて

ブレイクスルー。なんて書いたり、聞いたりすると、まるで何かしら外側のなにかをぶち破るというようなイメージを知らず知らずのうちにしているケースが多いような気がする。

しかし、ブレイクスルーの向かう先は自分の内側。

 

と書いた今、(そうか、外と内ということも表裏一体なのか?)と思った。

 

そう、こういうことは空間や時空をゆがめて考えた方がよく分かる。いや、空間や時空に囚われていないほうがよく分かると書いた方が良いのか?

John HainによるPixabayからの画像

 

しかしまぁ色んなものに囚われて生きていくのが人間だから。などと、わかったようなことを嘯いていきなり終わります。

 

 

皆様に2022年お世話になりましたことを感謝申し上げます。

皆様が2023年、素敵な一年になりますようにお祈りしております。

Markéta (Machová) KlimešováによるPixabayからの画像