後悔しない人生ってなんだ?
度々目にするタイプの内容と思いますが、改めてシェア
Facebookでシェアされていたこの記事を読んで、
次の文章を自分のFacebookのウォールに投稿しました。
— ここから —
その昔、「もうトシだから」と思って見送った事を、その5〜6年後にやっぱりやった。
その時思ったことは、
🟡どうせやるならあの時やればもっと早く出来たのに。
🟡あの時は踏み出せなかったが、その数年後には踏み出せた事でAll OK👌
という事でした。
またまた懲りもせず、約15年前に、
「もうトシだから」と言ったら、年上のお姉様から
「まだそんな歳なら、まだまだよ。これからなんでもできるよ」と言われた。
なんでも。かどうかはわからないけど、その時予測もしなかった色々な事をその後手がけて人生の色合いが大きく❓全く❓変わった㊗️
あらかた落ち着いて、これでもう大きな変化など無いだろうとタカを括っていたら、またビックリ変化が起きて、その後にまた新しい扉が開いた🚪😳
🟢今まで通りの相談業、ケア、サポートと並行して
🟢只今その新しい環境の中で一生懸命新しい事を覚えてる。
もう変化しなくても良いや。と思うのが老化なのかどうかは知らないが、現状に満足していても変化ってあるね(当たり前か。実は毎日新しい扉が開いているわけだから)
まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。
自己選択というのか、天命と言うのか。
遅いと感じようがなんだろうが、一度トライしてみて、またその後決めたら良いような気がする。
やりたきゃ勝手に続くことってある。
続けたくても続けられない事もある。
— ここまで —
感じ方は変わるんだなぁ
冒頭の、「その昔」と書いたその時は20代だった。
今現在の私からみれば、20代の若者が「もうトシだから」と言っていたら「は?なに言ってんの?大丈夫よ!」と思う。そう感じる感性は分かる。私も通った道だから。しかし、実際にはそう感じるゾーンを遥か昔に通過した者として「は?なに言ってんの?大丈夫よ!」と言ってる。
また、15年ほど前の私が当時何歳だったのかは書かないが、これはもう何歳でも同じ事。
シェアした記事の中では90歳の女性の例が紹介されていたから。
年齢ごとに「もう〇歳だから」と感じる事や、立場や環境について「もう〇〇だから」とその時は感じるかもしれない。しかし、私たちには「時間」が作用するために、時間によって「感じ方」「感性」が変化することもある。
おそらく「後悔」とはそういった作用の一部分だろうと、この文章を書きながら改めて再認識しました。
以前ホームページのコラムで、複利について度々言われている「時間を味方につける」というようなことは私たちの人生を考える時に頭に入れておいても良い感性なのかもしれません。
過去のコラムをご紹介
次回予告
次回は
冒頭にご紹介したFacebookの投稿の中の
まぁなんというか、行動と結果の法則とでも言うのか。
自己選択というのか、天命と言うのか。
について書いてみたいと思います。