つい最近、Facebookにこちらを投稿しました。
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今日もあちこちでコミュニケーションをしたのですが、皆さん優しい❣️ ありがたい❣️
生まれてきて良かったなぁ〜、嬉しいなぁ〜って今日も何度も思ったよ❤️
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世の中に「感謝をしなさい」という教えがある。
異論はないが、
- 心から湧いてきたときに、もう感謝していた
- その有り難さに ハッと気がついた時にすぐさま感謝した
というような自然発露的な感謝が湧くという体験はあなたにはあるだろうか?
どうやら感謝した方が良いらしい。
とか、
あなたは感謝が足りないから〇〇(というネガティブに感じる出来事類)が起こるのだ。
と言うのは簡単だ。
そういう情報は古今東西山ほどある。
しかし、そう言っている側、言ってるご本人が
- もう心から感謝が湧いてきて、感謝するしかないというような気持ち
- その有り難さに ハッと気がついて、身体から感謝が湧いてくる
というような自然発露的な感謝が湧くという体験はあるのだろうか?
おそらく、こういった体験がないのなら
- ライフハック(と今時は言うそうだ)
- 〇〇という法則系の知識
- 人生を良くするためのスキルという捉え方
- 良いらしい。という教え
を知識によって語っているだけに過ぎない。
別にそれはそれなんだけども、体験や体感を語っている訳じゃない。
(体験や体感じゃなければダメだと言いたいわけじゃないことは念を押しておきたい。)
それらしい事は、今どき本を読まなくてもネット・SNSを数秒見たら書いてあるし、動画もある。それを見るや否や「自分が考えた事として信じる、信じ込む」「自分の考えだと発表する」事など誰にでもできる。
そして、これらも、世の常だし、私にもある。
また、広まっている考え方に、「心が伴わなくても、ありがとうと唱えるだけでも良い」という思想もある。
私はこれらすべて「そうだろう」と思っていて、別に異論はない。そうだろうと言うのは、全肯定という意味ではありません。「そのような一面も含んでいるだろう」という意味です。(そのやり方にヤケに複雑なルールを添加しているものは個人的には好まないが)
それは、楽しいと思っていなくても顔は笑顔をつくっていようよ。という事とも似ていて、私も全然楽しく無くても、笑っているふりをしたことだってある。
しかし、目は全然笑ってないが、「笑顔でいたら脳は騙される」とか「感情がだまされる」というような事も一理言えるんだと思う。
そう、ひょっとして違っている可能性があっても、一理ある。と感じることも社会にはそれなりに多いものだ。
ですから、
正誤とか、真偽を問う!
ということではなくて、
- 一度やってみたら良いし、
- 実際にやってみて自分を検証したら良いじゃん。
と今は思っています。
どこかの誰かの考えや思想を机上の空論で正誤や真偽にこだわらなくても、鵜呑みしなくても、自分で検証したら良い。
そして、検証できないことの有無を発見したら良いと思う。(有名な説について、嘘とも言えないが、本当とも言えない という事を知ることも良いと思う)
じゃあ検証してみようかと思った時に、検証の仕方がわからない。わかっていない。という事に気がつくのも非常に大切だと思う。
おそらく、ナニか疑問に思った時に、すぐさまネットで調べて答えらしきものを得ている方は、本当に本当におそらく検証の仕方がわからないのではないだろうか?
検証と言うのは、ネットで調べることを含まない。とまではもちろん言わないが。
話を戻すと、
こういった、
それが自分の得なのか? 損なのか? という視点ではなくて、もっと自分の日々の過ごし方を丁寧にする方法について思った事がある。
それもFacebookのファンページの方には書いた。
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映画の中で、キリスト教の家族が食事の前に
「今日の恵みに感謝します」と祈ってる(唱えてる)。
良い習慣だなぁって思う。
1日に最低一度は「恵まれてる」って認識できる瞬間があるから。
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世知辛い世の中だと感じる出来事も環境もあるだろう。
私もあった。
他人と上手くいかないと凹むこともあるだろう。
私もあった。
私の人生なんでこうなの? と悲観的になることもあるだろう。
私もあった。
でも、夕食(朝食でも、昼食でも良いが)の時に
食事を食べることができることを恵まれていると認識したり
眠れる場所があることが恵まれていると認識したりする習慣があるって良いなぁと思う。
外国の家族が食卓について「恵みに感謝します」というシーンは映画やドラマでは散々見ていたくせに、私の食事の際の習慣になっていないので
私も早速やってみようと思う。
私の場合、食事の時にはこういった「恵みに感謝」というような習慣はないが、日本人は「いただきます」という言葉を使いますね。この「いただきます」=「恵みに感謝します」ということだろうけれど、私個人の場合は、「恵みに感謝します」という言葉の方が具体的に一層認知できる。こういった具体的な感謝を感じるという行為はすでに他の行動様式(毎日の散歩)とセットにして習慣化している。だが、食事の際の習慣にも一度加えてみようとこれを書きながら思った。
悩んでいる時には「自分に無いものばかり」「自分にある辛い事ばかりを感じる」けれども、こういった小さいが偉大な「恵まれていることを認識する習慣」を身につけると人生は変化を起こす気がする。
控えめに書くと、「人生を変化させるきっかけを創る可能性がある」と個人的には考えています。
もし良ければ、お菓子でも、飲み物でも、食事でも、
なにかを口にするときに「恵みだ」と感じてみてください。1日に一度からスタートするのはどうですか?
しばらく続けたときに、自分がなにか変わったかどうか?検証してみてください。
検証して、「もう少しこの習慣を続けても良いかな」と思えたら続けてみてください。
そんな新しい習慣化(習慣を創る)についてコラムにも書いています。
大人になると、忘れてしまう事って多いみたいです。
そして、勘違いされないように補足しますが
私は信仰心について書いているわけではありませんし、信仰を勧めているわけでもありません。
「現在を認識する習慣」について書いたに過ぎません。
また、心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの中の「習慣の御提案」に
- ありがとうを唱えよう とか
- 感謝をしよう とか
- 宗教用語的な言葉を唱えるというような
概念的なことを御提案することはありません。(相談者さんがご自分でこれらを採用されるのは自由です)
その方の生活様式に沿った、
- 脳の使い方というか、
- イメージの使い方と言うか、
抽象論とは異なる、非常に具体的な現実社会で使えるスキルを対話して決めていきます。
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