子どもの頃に1度だけ
マーブルシフォンケーキを母が作った。
オーブンレンジの機能を使ってみたかったんだと思う。
最初はオーブン機能も使っていたが、あっという間にレンジ機能だけしか使われなくなったのを覚えている。
焼き立てのマーブルシフォンケーキはとても美味しくて、
「また作って」とお願いしたが、2度と作られることは無かった。
という記憶が沸き起こってきた。
それは「金時豆とバナナのケーキ風」が想像以上にできあがり
出来上がりたての温かいケーキ風を食べた時だった。
↑ これのバナナ、金時豆バージョン。
焼き立ての温かいこれを食べた時に
「そうだ、私はずっと焼き立てケーキを食べたかったんだ」と気がついた。
焼き立てマフィンとか美味しいでしょ? って温め直したマフィンしか食べた事ないけど。
だから、もう大満足だった。
また作ろっと。
チョコレートを使ったタイプのチョコレートケーキ風のものに
「冷ましてもよりおいしい」とコメントがあったけど
バナナと金時豆ケーキ風も冷めてから食べ比べてみたけれど、温かいものが美味しかった。
そりゃそうだ。
ホットケーキなんだもの。
私が実家に居た頃、オーブン機能があったんだから
もう一度作って。というお願いが聞いてもらえないのなら自分で作ればよかったし、
そんなに食べたいなら自分で作れば良い。子供でも材料をそろえることや使い方を説明書を読んで理解することはできたはずだということも自分で気がついていたが
絶対にやらなかった。
その理由も最近読書していてわかった。
意地でも絶対にやらなかった事自体が、「甘えている」「甘えたい」という証拠だったんだねって。
小説の中のその文章を読んだときに
(そりゃ そうだよな~)とその当時の自分がより一層理解できた。
ひょんなことから、焼き立てケーキが我が食卓に登場したんだけど
何も思い出していないまま (お! 私にも作れそう♪ 作ってみよう!)とさっさとやったこと自体が思わぬ記憶を呼び起こした。
子どもの頃の欲求が、今はもう無いんだな~ということも理解したし
やっぱり大人になって良かったな~と思った。