上の記事の彼女は、いまでもジー――っと私の目を覗き込む。
彼女と会う時は大抵私は眼鏡をしているので、
眼鏡越しにジー―――っと覗き込んでいる。
彼女が言葉を大人位話せたら、
(目の奥の何を見ているのか質問したいもんだなぁ)と思っていた。
目は心の窓だと言われているし
目の奥は脳があるので、脳の状態が感じられたりするが
そう言ったことなどは、ジー――っと見るという長い時間はあまり必要ない。
小さな彼女が観ているものは、こういった類のことじゃないような気がしていた。
もちろん私の勝手な想像なんだけど。
だからこそ、
何を見ているのだろう?と感じていた。
そんな私に、
なるほど!
と思えた時が訪れた。
脳の状態でも、心の状態でもないナニカが観えそうな一瞬が訪れた。
私が子どもだったら、リンクを貼った記事か
今現在の彼女のように、
気が済むまで思う存分覗き込みたいところだけど、それはやめた。
理由は無遠慮過ぎるから。(笑)
そう、私はもういい年齢の大人で、
マナーとして、ある一定のラインは守りたいと思っている。
ちびっ子はこの手のラインは無くて良いが、私はもう良い年の大人だ。
なんとなくなにかを感じるということと
無遠慮に覗き込んで読み取るということは行為の種類としては全然異なる。
心体カウンセリング™ の最中
特にオステオパシー類を行っているときは身体の状態を読み取るということはしている。
緩んでいくとか、いろんな情報を脳で確認していることは確かだけれど
これは手技を行う過程で必要な事なのでOKなんですが
無遠慮に目を覗き込んで読み取るということはセーフとは言い難い。
で、時間が経って、
私に気づきの時が訪れた。
(そうか、小さな彼女はこれを見ていたかもしれないな)と。
読んで下さっている方に
「で、それは一体なんなのよ?」と思わせぶりになってしまって申し訳ないのですが
まだ言葉にできない。
今よりはっきり分かる時がくるのかどうかも今はわかりません。
ですから今日のこの記事の趣旨は
「ちびっ子から学ぶことはとっても多い」ということです。
小さな彼女はこの件に関しては、何か月も前に私に教えてくれていたことになるのか?と思うと、やはりある意味 先生 だ。
私の心の範囲は、ちびっ子達と触れ合うようになってからとっても広がった。
関係者の皆さんとの会話も私には貴重だし
お母さんたちとの出会いや会話もとても貴重。
ほんと、小さな彼女の行動の意味がわかるような気がした出来事でした。
BessiによるPixabayからの画像
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