takedamiki-j.hatenablog.com

 この記事の続きで ↓こちらを書き

 

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 今日はこの記事の続きを書く。

 

 

ところが、今、全然違う別件の、

大変な失態・失礼に気がついて、そちらを先に書きたくなっている。

 

が、失態と失礼についてはこの次の回で記事に書きます。

 

今回は続きを書きます。

 

 

 

最近会話を通じて考えたことは、

見守りと見殺しの境界線は目に見えないし、正解が無い。

という事だった。

 

これは、昔から何度も何度も考えることで

やっぱり私自身が変化しているので、

これについて書くことも変わってきていると思う。

 

 

見守りと見殺しは行為は同じ「見ている」ということだけど

やっぱり漢字が違っているように、内包して意味もまるで違うような気もしている。

 

それは見守りじゃなくて見殺しでしょ。なんて反応を私がしたこともあったし

冷たく見えるかもしれないけど、これは見守りだな。って思えた事例もあった。

 

しつけなのか、虐待なのか。

放任主義なのかネグレストなのか。

 世の中の多くのことは、境界線はあいまいで、人の数だけ価値観がある。

 

 

 

前回の例で言えば

本人の危機回避のために。と思わず言ってしまったことが

「悪口」

「やきもち」

「告げ口」

と思われたある程度の数の体験が私にはありますが

過去のその当時、私がそれを聞いてどう思ったのかと言うと

(そんなぬるい話を話をしてるんじゃなくて、あなたの(又は「大切な」)話をしているんだよ)なんて思ってたし、

マジめも真面目、こっちは大真面目な話をしているんだよ。

なんて思ってた。

 

どうしてそんな取り方、考え方しかしないの?と悲しくもあった。

 

お陰様なのかなんなのか

後から(数か月、数年、数十年後)

「あのとき(武田が)言いたかったことがわかった」と結果的に本人から言われたことも何度かあり、タイムラグも含め、結果伝わったこともそれなりの数あったけれど、

結局(私が勝手に考えた)危機回避にはならなかったということは1つの事実。

 

当人は「生きたいように生きた」「やりたいようにやった」という選択の結果を得たという事で、それが事実であり、またある一面ではそれが本人にとって正解と言える。

 

自己選択と結果。

 

以前にも書いたけれど、

私も人さまから聞いた意見、忠告の意味に数年後に気がついたってことがあったので

一緒なんですよね。

 

 

 

「軽い気持ちかも知れないけど、それ以上進むと簡単に帰ってこられなくなるよ。」「多分、シンドイよ」と思った時に考え直すことを薦めたりしたくなったときに

意見を採用される確率も低く、返ってそれを言った事で自分の人格を否定されるようなことがあることも覚悟の上で言うのか?

意見を採用される確率も低く、返ってそれを言った事で自分の人格を否定されるようなことがあるだろうと思って言わないのか。

 

言うことを愛や思いやりだと思うのか

言わないことを愛や思いやりだと思うのか

 

こういったことは、答えは自分で出すしかなくて

その答えも経験値によって また変わったりする。

 

タイトル通り、結論は出ないだろうと思っている。

 

 

私の場合は、

「意見を聞かせて」とか「どう思っているのか聞きたい」と当人から質問された時は、割と率直に伝えるようにしている。(以前のA君について質問を受けたときも率直にお伝えして、それが良かったんだけど)

そこは誤魔化さないように心がけている。

それが

相手の聞きたい内容じゃないとしても、(相手はこういう心地よい話を好むだろう。)ということを優先することは控えることが多い。

それって結局、相手を大切にしてないような気がする時があるからね。

 

もちろんケースバイケース。

内容にもよる。

 

率直に言えば良いってもんじゃない時だって有る。

 

 

見守りと見殺しの境界線は目に見えないし、正解が無い。

 

こう思うことは度々あるけれど

こんな時は、結構前から、「友達ならどうする?」って考えてる。

 

 

友達の定義も、友達との付き合いかたも千差万別だろうから

あくまでも私の「友達ならどうする?」という価値観なんだけど

 

 

これはヤバい!

友達なら止めるでしょ!と思えば、

聞いてくれるくれないとか考える前に「やめた方か良い」って言うよね。みたいなこと。

「本人の選択だ」なんてことは知った上で、「やめた方が良い」と伝える。

 

 

人と人のつきあいってこんな一面あるでしょ?

 

 

あぁ、だからと言って、耳を貸してくれるとは限りませんよ。

それは私の方の「これは言う」と決めたってだけの話だから。

 

 

見守りと見殺しの境界線は目に見えないし、正解が無い。

 

 

相変わらず正解はないし、求めようとも、決めようとも思っていないのですが

「軽い気持ちかも知れないけど、それ以上進むと簡単に帰ってこられなくなるよ。」「多分、シンドイよ」と思うと反応をしていた私自身も

なんだかんだと変化して

今日現在は「見守り優位」ということになっております。

 

(それを選ぶんだね。ガンバレ!)

(一度やってみたいんだよね。わかった!)

こんな感じで尊重するようになれてきた。

 

 

おそらく以前より「信じる気持ち」が育ったんだと思う。

 

——-

 

いつもはここまでの調子で書いてきたけれど

今日はその先に進んでみたい。

 

そもそも

「軽い気持ちかも知れないけど、それ以上進むと簡単に帰ってこられなくなるよ。」「多分、シンドイよ」

という考え方も変えてみた。

 

帰ってこなくていい。

シンドクて良い。

 

というものだ。

 

それによって、トランスフォームすることってある。

 

ちょっとした強制恩寵もおこるかもしれない。

 

トランスフォーム自体それが良いとか悪いとかないし、結果がどうなるかも人それぞれだけれど、それもひっくるめての「人生」なんだろうと思えている。

 

 

バンブルビーと思えばいいってことかもね。

 

 

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