前回のこの記事に
「彼が見ている世界」を感じたような気になった。
と書いた。
これ以前(天使君の話の前)にも
直接会ったことの無いAさん(高校生君かな?)について
Aさんには世界はどのように見えているだろうか?と
(本人の代わりなのか、本人の視点なのか? どんな理屈なのかはっきりしないけど)
私はなんらかのスキルを使って「感じて」みたことがあった。
そして、見えたもの? 感じたもの? が核心に近かった。
私自身は、その時使ったスキルは「想像力」のつもりだし
「想像力」「推理力」だろうと思っている。
こういったことは昔から案外当たるけれど
後日それが当たっていたとしても
「その時」にはそれを言っても、ほぼ聞く耳を持つ人はいなかったので、
もう言わなくなった。
後から
「言ったとおりになったね」と言われたこともあったけれど
多分、そうならないように注意してほしくて伝えたんだと思うんですよ。私はそんなつもりだったはずなんだけど、
結果は、何かを言っても言わなくても同じだったという事になったわけです。
A君の場合は、すぐに当たっていたというか、核心に近かったと答えが出たけれど
先述したように
それを求めていない人には、
当たっていようが、どうだろうが
あんまり意味が無い。
(このA君のケースは喜ばれたというか、結果は◯(マル)だという反応をいただいた)
意味が無いってことは
その方の生きやすさということについてある一面では無関係という事でもあって
そうなると、私のただの自己満足みたいなことになっちゃうし
この手の自己満足って、私自身はそれほど楽しい訳でもない。
しかし、ヒト様のお話を伺う心体カウンセリング™ の際にはこのスキルはとても有意義なので、そんな時は自分が喜ばしい。
何かを言っても、言わなくても、
起きること(出来事)はおき、
起きないことはおきない。
ただそれだけ。
自分が思う、「良かれ」を押し付けることにも意味はないし
注意喚起すら意味が無いような気もしてきた。
なぜなら、ヒトは生きたいように生きたい。という欲求があるから。
(こう考える時に、頭によぎることがあるのですがそれは次回書きます。)
聞きたい人はすでに聞く耳があるだろうし、
そういう方ほど、聞いたことを丸のみにせず、自分自身でその後吟味して判断するように思う。
こんなのが今日現在の私の考え方です。
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