子供たちと大人の1人として接して
改めて気がついたことがあった。
感性は様々だと知ってはいるが、
その様々な様子は幼少期から育っているし、持って生まれた才能なんだなって思う。
正しい言葉、正確な名称を覚えたがる傾向や
表現がアバウトでも気にならない傾向
スキンシップの好みなどあるんだけど、
その中に「真実を知りたい」という傾向もあると思えている。
それに気がついたのはちびっ子兄弟の会話からだった。
弟君が、人の会話をよく聞いている。
そして、よく記憶している。
だから、話の辻褄が合わないことが、多分気になるのだろう。
本人が意識するのはもっと大きくなってからだと思うが
「辻褄が合わない話が、気持ち悪い」という様な感覚ではないかと察している。
理解力も注意力も、聴く力も
大人よりよほど発達している。
姿形はちびっ子だが、中身は(脳内)は年齢より成熟しているとお見受けしている。
だから、
兄弟の会話でも
話がどんどん広がっていって、結果の無い展開をしているお兄ちゃんに
「で、◯◯はしたの? しなかったの? どっち?」と真実を確認していた。
この子だから。という特別扱いはしていないが
私もちびっ子達とした会話をなるべく覚えている様にしているし
わからないことはまた聴く様にしているし、
わからないことはわからない。と伝えている。
小さな声でも、
その日あった事を少しだけ話してくれる時は、相槌をうって話を聞いている。
小さな声だけど、楽しかったんだと伝わってくるし、
人生初の出来事を体験したんだね。と私も感じるからだ。
子供だから。という配慮が大切なこともあるが
1人の特徴を持った人格だという配慮も大切だからね。
文章にはなんの関係もないが
私の好きな運河の写真です。