専門的な内容なのにわかりやすい。
エビデンスも盲信は禁物
エビデンス至上主義という考え方もどうかと思う。
そのエビデンスの根拠の論文にも意図や意志が反映されているんだから。ということを度々書きます。
データをどう取り扱うかということでもエビデンスの根拠も結果も変化してくるというようなこともこれまでも何度も書いてきましたが、
小説の中の専門分野の方が、データの取り扱いの際に起こりうる人的作為に、既に名称があるという事をわかりやすく伝えてくれています。
論文をまとめるのが感情のある人間である限り、良きにつけ悪しきにつけいろいろな出来事が起きます。
エビデンスに影響する作為とは
トリミング
クッキング
データ以外の、証拠映像の創作、改ざん
(P108辺りに記載があります)
そして、これを再検証することを「追試」というそうです。
伝える時って
専門用語で伝えた方が良いこともありますね。
専門用語を使わない方が良い時もある。
心理、精神分野について
そして、
ホームページのコラムで
あなたが救われたと思った時には、具体的な関係性によるものでは無かったですか?と問うたことがある。
私が素晴らしい教えではなく、そういったことで救いを感じたという自分の体験から書いていることですが、そういった関係性からの、傍から気がつけないような大したことが無いように思える小さな段差でも、立派な救いになると書いた。
kinesiology.wp-x.jp
この小説の中の人物も、相手は救おうとも何とも思っていない、何の気なしの一言に救われています。
「どうってことない言葉だと思うでしょう。でも、私はその言葉に救われたんです」-ルカの方舟 P286より引用
ちなみに、この小説のなかでは「もったいない」という言葉に救われたとつづられています。
誠実ってなんだろう?
私はとりたてて
良いこと、善いこと、佳いことなどを言おうとしなくて良いんだと思っている。
理由付けが必要な婉曲的ななにかも要らないような気がしている。
感情的な反応ではなく、コントロールしようとするのでもなく、すり替えでもなく、率直に思った事を伝えることも誠実なんじゃないかと考えている。
私が救われたのは、こんな事と関係していたから。
余談。今後書きたい事。
また、「耳石」という存在を知って、
また別の記事が書きたくなりましたので、機会を改めます。
丁度前回、UFOの記事をアップしましたが、
この小説の中にもちょっと登場していたかな????
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