私には素敵なセリフだと思えた

小説家さんが、

その作品の中でスンバラシイ台詞を書いているのを読むと

それが私の人生訓に吸収されたりする。

 

お前には不幸の比べっこをしても仕方がないでしょって言ってくれる人がいなかったんだな。ー小説「キャロリング」より引用

 

というこのセリフは良かった。

 

わたしが書いたコラムに

不貞腐れたり、ヤケになったり、性格がねじれたりする出来事が人生には起こるときがあるけれど

やはり損だとは思う。と書いた。

 

takedamiki.wpx.jp

 

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もうそのひねくれを辞めた時には良い経験にもなるんだけど、不貞腐れやねじ曲がりが新しい習慣として根付き個性になると厄介になってきたり、結局自分が損することになる出来事も起きる。

 

その辺こそ自己責任で、

丸っと自分に還ってくる。

 

この丸っと自分に還ってくる。というのも

 

あんまり腐ってると糸引いちゃうよ。ー小説「キャロリング」より引用

 

というセリフであらわされていた。

 

 

キャロリング (幻冬舎文庫)

キャロリング (幻冬舎文庫)

 

 

 比較でしか感じられない「自己価値」

  • わたしの方が重い。
  • わたしの方がシンドイ。
  • わたしの方が大変だ。

 

と、重い方が価値があると思っちゃってるのが、ついつい言葉になってるケースってある。

 

これが自己価値だから

「私は不要になった価値観を手放します」といくら調整しても

そりゃあ 変わりづらいわけである。

 

不要になっていないもの。

 

口の辺りの筋肉は

「私は不要になった価値観を手放します」と動くけれど

無意識では(そんなの やーだね)と拒否してるんだから。

 

重くて、大変で、シンドイ自分であることが大切な価値だし

その重くて、大変で、シンドイ事や状態に意味があるわけだから。

 

 私はいろいろあって、ちょっとやそっとで回復しません。と

 

変わらないことに、意味や正当な理由が欲しいということは、割と深くに隠していることがある。

 

 

と、ブログやコラムに遥か昔から同じようなことを書き続けているが

 

ここにいつもと違う視点も加えてみた。

これは、また別の本の中の言葉だったのだけど

 

比較する習慣。

他人と自分を比較する習慣。

について書かれていた。

 

 どこまでいっても比較だが、自分の存在の支え方の1つだということか

比較して、自分が良ければ(上ならば)優越感。

自分が上に立てなければ負(と思っている)の量を今度は優越感に使う。

 

どこまでいっても、あるのは

人と比べた時の自分。

という事になるわけですな。

 

 

私などは

自分でコレを書いておいて

その手があったか!

その視点や価値観があったか!と妙に納得した。笑

 

いっそのこと

「ヒトより下でも幸せ。」

と、バランス調整してみたらどうだろう?

 

 

あと、もう少し考えていくと

無理にでも優越感を感じようとするって事は、

やっぱり自己価値観に行き着くんだと思う。

 

いろんな自己価値観の支え方があるものなのだ。

 

もう少しだけ、別の視点もプラス

負の量の優越感では無くて

そこから回復してきた自分に対して、自分で価値を感じたら良いんだよね。

 

負の量でもなんでも、優越感にして

ヒトに認められたいのはわかるけど、

いつの日かそれとおさらばして、習慣を変えていくのも良いと思う。

 

 

するもしないもあなたにしか決められない。

 

 ふりをしている自分がいたら?

変わらない事が価値観だ。ということもあるわけだから

カウンセリングやセラピーの風潮は変わる事が良いらしいから、一見それに沿っているようなふりや理由探しなどやめて

いっそのこと開き直ってみるのも良いんじゃないかと思うようにもなった。

 

これが私の人生だ。

文句あるか。

変わってたまるか。

 

このくらい開き直ってみたことがあるだろうか?

 

ありのままという言葉は

解釈の仕方により

多くのヒトを楽にしただろうし

頭打ちも生んだと思う。

 

例えその開き直りが

その先の人生に伸びを生まないとしても、

伸びを生んだとしても自己責任だ。

それこそ、

私の人生だ。文句あるか。だ。

 

 

理由をつけて抵抗する時間をいたずらに長引かせていても

人生に伸びは生まないだろうと思う。

 

しかし、今日の記事でコレを責めたいわけじゃない。

 

  • わたしの方が重い。
  • わたしの方がシンドイ。
  • わたしの方が大変だ。

こういった価値観が大切な時期もあるんだと思う。

私にもあった。

 

自己憐憫は下品だからやめなさい」

こんなセリフが昔読んだ本の中にあった。

私の人生訓に吸収された言葉の一つだ。

 

 

それがわかるようになったら、

自然にやらなくなるんだとおもう。

 

だから

思う存分自分のあり方を悲しんだり、自分を哀れんだりする事も大切なんだと思うようになった。

 

内的成長の大切なステップとして。

 

 

その時期の長短は自分で決められる。

 

 

そう、理由が要らなくなる日を迎えるのも自分次第だ。

 

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朗らか。私が好きな言葉。

 

 

お前には不幸の比べっこをしても仕方がないでしょって言ってくれる人がいなかったんだな。ー小説「キャロリング」より引用

 

自分に耳が痛い言葉でも言ってくれるヒトや本の中のセリフに出会うことができて私は良かった。
言葉の優しさなんかは表面的なもので、言葉がキツくても私の大切な気づきになった事は多い。

 

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