明るくないミュージカル?

 あらすじも薄っすら覚えているし

途中のシーンも思い出せるけど

あまりもう一度見ようという気持ちにはならない。

 

その理由を内容云々かと思っていたけど

そう言えば、私はミュージカル映画を繰り返し見たことがそもそもない。

今のところ、まだハマらないようだ。

 

これは上映された当時、

話題になっていたので映画館で見た。

 

私の好みの映画の傾向からは外れていたせいか

「新しい映画だ」と感じた覚えがある。

 

そう思った理由は、ビョークの声。

 

この映画を見るまでは、この映画の中の女性が

あの前衛的なジャケットの歌手と同じだと知らなかったし

この前衛的なジャケット写真は見たことがあるだけで曲は知らなかったし。

 

 

Jóga

Jóga

 

 

この映画とセットになっている思い出

この映画が当時凄く話題になっていて

日本人の多くが「泣いた!」「良かった!」と言っているかのように伝えられるなか、

作家の林真理子氏が

「お金を払って、なんであんな暗い映画を見なくちゃいけないのか」と(確か)週刊誌だったかな?コラムに書いていた。

腹が立つ。とまでは書いていなかったかな?

不愉快だ。位は書いていた。

 

怒る必要もないんじゃないかな?と思いつつ、私には気づきをもたらした。

 

なんとなく日本全体が「良い作品」と一気に乗っかっていく中で

不愉快だという自分の意見を書いていた。

自分はどう思うのか?というのをかなりの多数派にその逆を発信した。

 

世間一般の風潮に対して、

わたしのような個人がその逆を発信しても特に影響力など無いけれど

林真理子氏が発信するとまぁまぁ影響力があったんじゃないかな。

 

少なくとも私にはあった。

 

映画館で見た後に

「映画見たな~」という独特の感じがするのですが

この映画を見た後は、微妙だったからだ。

 

自分がどうして微妙と感じたのだろうか?とぼんやりしていたところに

林真理子氏の感想がハマった。

そうか、感動しない私もありだもんね。と。

 

多分、今までの価値観に無かったんだと思う。

どう捉えていいのかよくわからなかったのかもしれない。

ミュージカル映画を見ないから特にそうだったのかもしれないな。

 

ビョークのあの声と歌声は強烈に脳内に入ってきて

後から、「あれはビョークのPVか?」と思える位刷り込まれた。

声が。

 

印象に残ったという意味ではこの映画は成功している。

そして、世間の賛辞の風潮に「のっかる」「のっからない」についても考えるきっかけになったし

「のっかっている訳じゃなくて、とても好き」という事もあるはずだということも。

 

そして、この話題へつながる

下のブログでのやり取りがあった時に、私はこの林真理子氏のエピソードを思いだしていた。

規模の大小を問わず、同じような事があちこちで起きているんだよね。

これが「パターン」というものだな。って。

 

takedamiki-j.hatenablog.com

 

世の中のパターン=人間の感情とその現れ方

こんな1つの定義はあると思う。

 

これを法則というなら賛成だ。

 

私が相似形と書くのは、こういった事です。

 

 

 

kinesiology.wp-x.jp

 

kinesiology.wp-x.jp

 

kinesiology.wp-x.jp

 

kinesiology.wp-x.jp

 

kinesiology.wp-x.jp

 

実証的と実証主義

有名な誰か、身近な誰かの言っている「法則」を信じる・鵜呑みをするのも素直さと言えると思います。

 

私にもそんな素直さはある。

 

それを聞いた時に

  • 誰が言いだしたのかな?
  • 発祥の誰かさんの言った本来の言葉はなにかな?
  • 解釈の仕方で変化したことはあるのかな?
  • それを推奨している誰かは、どんな行動をしている・いたのかな?
  • それは本当かな?

 

とチラッとよぎったことは、一旦鵜呑みをする前に冷蔵庫・冷凍庫行きです。

寝かしてみます。

 

 

これはある程度、実証的ではあると思う。

 

しかし実証主義では無いようです。

 

Wikipediaでは↓

 

ja.wikipedia.org

 

実証主義(じっしょうしゅぎ、positivismpositivismePositivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論仮説命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。

Wikipediaより

 この中の、「超越的なものの存在を否定しようとする立場である。」というのが違うからです。

 

なんでもかんでも直ぐに超越的なものの結果だと結論付けないだけです。

超越的なものファースト(1st)じゃない。というだけです。

 

その前に、世の中のパターン=人間の感情とその現れ方 に注目しているだけなんだとわかった。

 

自分を棚上げしているとこれは見えにくい。

これも1つのパターンだと思っています。

 

 

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」からこのような展開をするとは予想していなかった。

 

やはりこの映画の影響力は強かったんだね。

おそれいりました。

 

 

f:id:takedamiki-J:20190303111626j:plain

ダンサー

 

友だち追加

心体カウンセリング™ 個人セッションのご予約カレンダー
https://kinesiology.wp-x.jp/flow/reservation/

心体カウンセリング™ 個人セッションの詳細・お申込
https://kinesiology.wp-x.jp/menu-top/

講座詳細、お申込
https://kinesiology.wp-x.jp/seminar-top/

Skypeを利用したスマホタブレット、パソコンでのカウンセリング申込スマホ
https://cafetalk.com/tutors/profile/?id=34893&lang=ja