「おみおくりの作法」
社会が変わり、大勢の人に見守られて命を終える、大勢の方が見送ってくれる。という事がどんどん減っていくかもしれないですね。
少子化ってこういったその確率が上がることを含むような気もします。
しかし、それを仕事として見送る時に、
そこにどの位の愛が込められているのか?ということや
見返りがない、報われないということについても、
目で見えること以上の可能性についても、
私は救いを感じることが出来た。
それは、可哀想。ということを乗り越えて。
ヒトによっては、全然救われてないじゃん!と思う方もいると思いますが、
私はとっても小さな段差であっても、それを救いと感じた。
ちなみに、話題になった日本映画「おくりびと」は私はまだ見ておりません。
目で見えないし、確証もないけれど
そう、偶然にも私は「救われない」ことについて記事を書くつもりで下書きをしている。
そんな、「救われない」ことについて記事を書こうとしていたところに、(このタイトルは読んでおくか)という本と出会い、
そして、この映画である。
(この映画を見たのは数回目)
この映画のラストをどう感じるのかは人それぞれですが、
目では見えないし、確証もないけれど、こういったことを期待もせずにやり続けられるか?
・・・・いやいや、違う
なにかをするというんじゃなくて、目では見えないし、確証もないけれど、期待もせずに信念に基づいて生き続けられるか? 自分の中での満足だけを火種として生きていけるか?
これが難しいから世の中色々忙しかったり、もめたり、厄介な事もおきる。
だって、人間には承認欲求がありますでしょ?
霞を食べて生きているとも言えるような心境にそうそうなれるか?
こういった事が出来る土台として考えられるのは、それはそれは強い信念とか信仰という部類になるんじゃないかしら。
ここが苦しくなるから、悩むし、凹むし、嫉妬するし、意地悪にもなる。
綺麗ごとで出来ることじゃない。
量産され、流れて消えていく、その場の盛り上がりだけの美しい言葉とは
一線を画している。
一線というか、巨大海溝ほどかもしれない。
そして、私の心はこの映画に反応をした。
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