ラジオでしたが、録画ボタンを押すのを失敗しています。
だから ↓ このようなリンクを貼っても
何も話していないから意味が無いのですが、
自分の反省の意味を込めました。
来週からまた気をつけます(-_-)
www.youtube.com
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何も話していないから意味が無いのですが、
自分の反省の意味を込めました。
来週からまた気をつけます(-_-)
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も~いやんなっちゃった。怒ってばかりなんだもの。
怒り蔓延映画でした。
救われるシーンも入っているんだけど、
余りのやるせなさに、その救いのシーンで救われず
結果疲れた。
設定はLA。
この映画の中身がどの位現実的なのかは住んだことがないのでわからないけれど、短期間滞在した時にこのような体験をしなくて良かったと思った。
手元のメモに映画を見ながら書いたことは、
深い欲から、
目の前の浅い欲まで、
人間は憑りつかれるんだな。
自分の怒りと不満を、他のナニカ・ヒト・制度のせいにしたらキリがない。
その怒りと不満が
をおこすんだな。
と、こんなことを書いた。
これの連続技のようなシーンの映画は疲れたわ。
怒りのケアにも、疲れのケアにも
セルフケアが良い仕事します。
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映像が綺麗なのかな?
それらしく見える映画のように思えた。
うん、やっぱり映像は綺麗だった。
謎がありそうで、つかめなくて。と劇は進みます。
で、だんだんわかってきたときに
へ?
と何か抜けた。
この程度で、尻子玉は抜かれないが
何とも言えない落差が登場した。
それ?
という感じ。
ネタバレは書きたくないので、それが何かは書かないが
映像が綺麗な分、見栄えが良すぎるという事が逆効果のギャップを生むんだね。と大変勉強になった映画であった。
そうか、こういう時に お薦め度を設けると良いんだろうね。
しかし、お金もかかって、スタッフも一生懸命作っている映画を
なんにも詳しい情報を書かない私が評価するのもなんなんで、
お薦め度は各自、セルフキネシオロジーテストで確認して欲しい。
セルフキネシオロジーのやり方を知りたい方は、ウチに習いに来てください。
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以前より気になっておりました。
そうか、イラスト書いたらわかりやすいな。とこれを書いた。
登場人物を整理します。
Aさん:イラストの左がAさん。AさんはBさんについて悩んでいる(困っている)ので、それについて話している。
Bさん:Aさんの話の登場人物。今、目の前にいるAさんの話を聴いているCさんはBさんを直接知らない(知っていてもいい)
Cさん:今、目の前にいるAさんの話を聴いているという設定
AさんがBさんについて困っている。とCさんに話したら
それを聞いたCさんは、Bさんについて推量して
「Bさんは〇〇だと思っているのよ」
「Bさんは勘違いしている(知らない)だけよ」
「Bさんは悪気はないのよ。きっと」
「あなたに甘えたいのよ」
というように、話題はBさんのことばかり。
話を聴いてほしいAさんからしたら「私の話を聴いてよ」となる。
しかし、Cさんは聞いているつもりで、「Bさんのことを気にしすぎ」などとアドバイスまでする。
主役は誰?ということになる。
友達同士なら別に珍しく無いし、
私も個人セッション以外ではこんな会話になることだってある。
また、
ある種のスピリチュアル信仰があり、かつ、ポジティブが最善と思っている場合は、「ぼやくと言霊が自分に返ってくるよ」などと脅す気はないつもりでも脅していることになるし
「ありがとうを言え」「感謝が足らない」などと本題とは違う返事が返ってくる。
「それはあなたの修行よ」という人もいる。
言霊云々と言われたら、ひょっとして口封じしちゃってることってないのかな?
感謝が足りないというアナタは感謝は足りているのか?
あなたの修行よと言い放つあなたはどの立場から発言しているのか?
要するにこれらは評価しているだけなのかもしれない。
悪いのはAさんだと無意識にジャッジしていたりする。
悩みを話すのは弱いからだ。と。
人間ができていないからだと。
これをカウンセリングという認識の元、行われているケースもあるだろう。
それも否定しない。
需要があるから成立する。
ただ1つの正解は無いだろうし、話を聞いてもらった側が良いと思えば良いのかもしれない。
いろんな関係性があるから。
友達同士の会話にまでこういうルールを適応する提案でも無いし
カウンセリングの良し悪しを書きたいわけでもない。
あくまでも、こんなケースって多いね。という体験談を書いたまでで、
今日の本題は「話を聞いていますか?」という事だけに絞りたい。
Aさんの話を聴いているか?ということになるとどうだろう?
もちろんケースバイケースだが、
さっきも書いたような目の前のヒトではなく、登場人物Bさんについて深彫りしていくようなケースや、原因特定アドバイスケースが非常に多いな。と思っている。
私は個人セッションで、〇〇術や、占い、特定のタイプ分けをしないけれど
それで悩まなくなるのならそれで良いと思う。
しかし、私は、スピリチュアルやポジティブ、占いもありつつ
それはそれ、これはこれ。としてやっていきたい。
ごちゃまぜにしない。
結果不思議なことがある事も多いが、あくまでも、意図せず起きたことで、
それはそれ、これはこれ。そのように意識していきたいし、実際ごちゃまぜにはしたくないと思っている。
Aさんが、Cさんに話すことで、
益々「理解してもらえない」「なんだか報われない」と思えてしまうような機会が減っていくと良いなとは思っている。
あまり理解されない、話を聴いてもらえないという体験を積み重ね過ぎると
もう話すのを諦めてしまう。
話したら、また「理解してもらえない」「なんだか報われない」という想いがこすられてしまう。またこすられるくらいなら話さない方がまし。と学習してしまう。
理解はしてもらえなくても、聞こうとしてくれた人がいた。という体験でも良いと思う。
そんなことで救われるってことがある。
どんな出来事に「救われた」と感じるのかはケースバイケースだし
周りが全力を尽くしても「救われる」とは限らない。
正解ってない。
万能な方法も無いだろう。
救われずに、底打ちすることが結果良かったという事もある。
虐待を受けている子供という事を見抜けないのはしょうがない時がある。
見てみぬふりをする落ち度もあるだろう。
だから、せめて
「親に感謝しろ」「育ててもらったんだから」「恩返ししなさい」というような事を絶対正義のように言うのは控えて欲しい。
「親に感謝しろ」「育ててもらったんだから」「恩返ししなさい」というのは、正論を言う気持ち良さに言う側が酔いたいだけの時も多い。
自分に酔っている時は、それを聞いた時の子ども(かつての子供の大人)の伏せた目に気がつけない。
食事もろくに食べていなかったけれど、なんとか無事大人になれたケースだってある。
「大人になって生活できるのも親のおかげだ」と言うのは、何も見てない人に限って言うセリフ。
たとえどんなに身近な距離に居ても、自分の近く(例:身内、親戚、家族)の不幸を絶対に認めないという「見ない人」「認めない人」っているもんである。
認めたくないから弱いもの(例:子供)を助けるどころか、弱いものに責任を押し付ける人っている。
だから、親に恩返しというのも、当人が人生を通して考えていく事だと思う。
いかにも良さそうな「信仰」や「教え」が沢山あろうとも、
それを選択することを強制したくない。
弱いものに、またまた責任を押し付けることにもなりかねない。
スピリチュアル的か宗教的?かは分からないが
「親を受け入れること」「憎しみを手放すこと」というのはたやすい。
そのアドバイスの前に
もっともっと当人の話を聞くことが先決じゃないかと思う。
とても良い「教え」「法則」」でも
それを言われると益々救われない気持ちが増すことだってあるだろう。
そういった、親と折り合いをつけていくのかどうかは当人が選ぶことであって
性善説にのっとった他人や身内がしたり顔で言う事ではないし
それを聴いている目の前の子供の顔を見ていない証拠だと思う。
心の傷を想像できていないからだと思う。
アドバイスする自分に酔っているだけだってこと。
話を聞けない脳のタイプがあると今は理解している。
人によっては、どうやって話を聞いたら良いのかわからないから
「私はもっと大変だった」「その位で甘えんな」ということも言う人がいる。
「人間に悪い人は居ない。私は性善説を信じている。悪く言うもんじゃない」と自分の信念を話す人もいる。
話の主役を自分にする方法しか知らないケースだ。
だからと言って、人の話を訊けるかどうかだけで人間の価値を決めることもおかしいでしょ?
ただ、適材適所では無いだけだ。
虐待について書いて、話が横道にそれたかもしれないが
Aさんの話がどのくらい深刻か?ということも目から鼻へ抜けるように理解できないことも多い。
Aさんがメンタル不全を起こしている時って
「そんなの大したことじゃないじゃん」「また?」と聞いている方が思う事を
繰り返し、繰り返し、繰り返し訴えることがある。
本人は「メンタル不全じゃない」と思っている事が多いが
その繰り返しの様が注意報の症状だったりする。
その逆に、なにも発しない(言わない)ことが警報だったということもある。
本人がメンタル不全かも?と思えばカウンセリングなどを利用するけれど
私は違う!と思っている間は嫌がる。足を向けない。
でも、独特の繰り返しはある。
自分は鬱じゃないけど、ちょっとここいらでガス抜きした方が良いな。と自分の体の声(状態)を捉えやすい方の方が回復しやすいというのも当たり前かもしれない。
なんというか、それは回復に意識が向いているからだと思う。
独特の繰り返しをしている最中は、渦中の自分に意識が集中しているとも言えます。
Aさんが回復の段階のどこにいるのか?も大切ですね。
そんなこんなも含めて
内容だけじゃなくて、全体性を聞くことで理解するということも大切だと思っています。
なかなか話をじっくり聞いて貰えない。
そんな気持ちを抱えているなら、どうぞウチに話をしに来てください。
責任の追及ではなくて
言葉を飲み込んでしまうあなたが、なにをどう感じて、何が辛いのかを聞かせてください。
そのシンドイ心体の状態が、どのようなケアをしたら楽になるのかをサポートします。
お子さんの場合は、
親御さん抜きで、お1人で話したい方はもちろん1対1でお聴きします。
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この本を読んでいた最中に、頭に浮かんだ映画があった。
それはこちら。
続編はこちら。
この映画について書いた過去記事はこちら
大抵は、前知識なしで本を読む。
本のカバーなどにあらすじが書いてあれば読むけれど
本を読む前にいちいちネットで調べることはほぼない。
いちいち調べないのは、
その程度のことで少々なにかがあったところで「失敗」にも「損」にもカウントしないという心理のようだ。
やらないとわからない。
やりながら軌道修正する。
終わりを決めつけない。
おおまかに書くとこんな捉え方だろうと思う。
ましてや、読書の1冊や、映画の一本、どうってことない。
自分で見たらわかることだもの。
この本を読み始めて
そうか~こういう内容だったんだ。と読み進めていたら
ある個所から急に
先ほどの映画が脳内に出てきた。
本に書いてある仕組みを理解できたような気分になった。
あぁ! それってこんなこと???と
大発見な気持ちになって顔がほころんだ。
正確に理解できていないと思うが、私なりに
繋がった! 見えた!と思えた。
繋がったのはシナプスで、見えたのは「形」
見えた「形」も様々で
と幾つかあった。
私はこの記事でアセンションについて書いた。
この記事を書く以前、もっと流行っていた時
とある方に、「アセンションという(人が操られる)とんでもない種が(世の中に)ばらまかれた」と胸の内を伝えたことがある。
真実は知らないが、私はそう感じた。
この書籍を読んで思ったのは
情報に限らず、物質ももう相当にばらまかれているんだな。ということだった。
ずっと前からこの手の危機発信をしている方は多い。
それも知っていたが、改めて、これらは地球何周するくらいの量だろうか? 蔓延に待ったをかけて、終息にむかうことができるのだろうか?
書籍の内容が具体的だったために、地球規模でそれがおこっているというエリアマップが脳内に浮かんだからだ。
情報もこういった物質も目に見えないから無頓着で居られる。
知識や情報、発達が繁栄や命を守ることと、それに反することとはどっちが多いだろうか?と考えた。
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前回の記事はこちら
これを書いたら、数珠つなぎなことになった。
好意、気遣い、配慮をしてもらって当たり前だと思っている・いたかどうかは
こんなところで分かります。
それが無い・無くなった時に
凹んだり、イラっとする、不満があるような反応が出る。
それが無い・無くなった時にすぐに
それがある間、有り難かったな。とはならないようだ。
それをしていた方は、
どんなに好意、気遣い、配慮をしていても吸い取られる一方のように感じ、報われなさを感じる一瞬ではないだろうか?
でも、それを相手が当然と思っている場合にはそれが無くなった時に
怒ったり、
ムカッとしたり
イラッとしたり
焦ったり
凹まれることもある。
されるばっかりではなく
同じように、自分がその反応をすることだってある。
良い悪いは難しくてわからないけど
そんな時は違う方法を試してみても良いんじゃないかと思うケースだって多い。
境界線を認識することが難しい方には
与え続けずに、与えることをやめたり、やめることを伝えることが親切なケースだってある。
※与えるというのは、上から目線の与えるという意味ではありません。
前回の記事の動物園出身のApeが、人間の女の子に寒いでしょ?と防寒具をあげたり、友達だからとクッキーをあげたというような意味合いです。
そのパターンを一度やめてみて、
自分の心の反応を見てみるというのも良い。
あって当たり前だと思っていたことや
居て当たり前だと思っていた人が
無くなった時、居なくなった時にどう思うのかも
自分の認知バイアスを確認できるいいチャンスだと思う。
私は以前、転職した後に
元居た会社の先輩に
「たけちゃんが居なくなったら、飲み会がつまらなくなった」と言われたことがある。(笑)
特に盛り上げ役でもなかったし
下戸だから度々こっそり吐いていたし
酔っぱらわずに素面な時間が多いものだから、(あ~~早く帰りてぇ。明日も仕事があるんだよ)と思っていたけれど、振り切って帰ることもできない感じだったからこその飲み会要員だったんだけど。(いやいや、自分も楽しんでいた時のことを忘れているだけだという事にも気がついた)
どうやらそこに居るということを楽しんでもらっていたらしい。
有り難いことですわ。
それが、飲み会要員なだけだとしても。(-_-)
存在を楽しんでもらっていた事を素直に喜ぼうじゃないか。
自分の存在の余りの軽さを心底嘆いたことのある私にとっては、人生の中の有り難いセリフTOP10に入りそうです(笑)
後になってわかることってある。
当たり前じゃなくなったときにわかること。
自分が何を当たり前だと思っていたのかということ。
それが尽きる日がくることなどある訳ないと思っていたことを。
好意、気遣い、配慮を享受する時に、その相手を忘れていたという事なども。
自分に「無いもの」に意識の多くが向くこともある。
そんな時期は誰にでもあると思う。
自分に「ある」ものに感謝の気持ちがわくこともある。
そんな時期がくるのは、なかなかいい体験だと思える。
こんなことも愛という漢字には含まれているような気がするし、
一種の大人脳になると気がつけることなのかもしれない。
いつも書くけれど、良い悪いという単純な話ではない。
ただ1つの「良いと思っている」「誰かが良いと言った」やり方を貫くのは、
目の前の相手を見ていないという事もあるのではないか?ということも含めて
それなりに難しさはあると思っている。
良い悪いという単純な話ではない。
ただ1つの「良いと思っている」「誰かが良いと言った」やり方を貫くのは、
目の前の相手を見ていないという事もあるのではないか?ということも含めて
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Apeってなんだ?
久しぶりだからわからんのである。
子供の頃に観て以来かもしれない。
途中作品が作られているのは薄っすら知っていたが
昔のゆっくりとした猿の惑星とは大違い。
私が見ていなかった途中に
一体どんな変遷があったのだろうか。
以前、「最後の猿の惑星」という作品があったようだが
再スタートしたのね。きっと。
知力はおあいこにしても、
身体能力面では完全に人間は劣性だと改めて認識したよ。
あぁ、対象はApeね。
そして、
劇中のオランウータンが
イメージ通りのオランウータンが描かれていて
あれ?! オランウータンってよく見るとこういう顔の創りをしてるんだ!を超えての安心感を与えてくれた。
劇中で、動物園出身のApeが出てくる。
最初は、人間の女の子に自分のものを触られたくなくて「ダメ、触らないで」と言うのだが
その内、皆と仲良くしたくなってきて
「友達だから」とクッキーをふるまう。
そのあと、女の子にも「触らないで」といっていたプレートをあげる。そして「あげたよ。友だち」というくだりがあるのですが、
仲良くしようとおもうから「あげる」ってあるよな。と気がついた。
モノをあげなくても
配慮や、心づかい、気配りだって この「あげる」という感覚に含まれている。
一方、欲しいだけのヒトは、相手が配慮や、心づかい、気配りを自分にするのは当たり前だと思う傾向にあるんじゃないかな。
一種の利己主義な発想と反応だろう。
モノやお金は目に見えやすいから「減る」「無くなる」という反応に直結するのは理解しやすいけれど、気持ちや心にもこれを適応しているのだろう。
念のために書くと、あげれば良いってもんじゃない。
依存の時は、自分やモノ、お金を捧げるような言動をして「愛」と双方が勘違いする時がある。
勘違いだから蜜月は長く続かない。
多くはその後に苦しみが待っている。
コントロール、主導権を巡って 戦いが始まることがほとんどだし、どっちか(両方か)が心体不調を起こすし
不調を起こしつつ、ずっと続く関係もある。
自分から仲良くする方法がわからないということもある。
あげたい気持ちはあっても「どうしたら良いのかわからない」
そんな時は、聞く機会があったら、
「なにが嬉しいか?」と質問してみたらどうだろう?
あなたにとって、とんでもないモノが欲しいと言ったら
関係を進めるのを立ち止まれば良いだけだもの。
聞く勇気はほんの一瞬だけれども、
単純に「尋ねる」ってことが難しい時は難しい。難しい時がある事を知った上でのあえてのご提案です。
これについては、また機会を改めて書いてみたい。
この作品の中で争っています。
何と何が戦っても、根底は一緒のようだが、
巻き込まれていく者たちを思って泣けた。
自分の意思ではなくて、巻き込まれているだけだということや、
当たり前に「選択」と言うが、選択というのは、なにかに流されていて、自分の意思ではないということに気がつけなかったらその選択すらできないということについても改めて考えた。
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実に良い映画だった。
笑えた。
ながら見をしていたら
余りに呑気な感じだったんで
本腰を入れて観ました。
笑った。
念には念が入っているところが笑えた。
私はこの中の、
「芝刈り機」のダンスシーン?が好きだ。
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前回書いた映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とは打って変わった本を紹介したい。
折角落ち込んで暗い気分に浸っていても
やっぱり笑ってしまう。
自己憐憫もぶっ飛ばす。
私は1人でいる時に、
何かを見てニヤリ。とすることや、クスクスっと笑う事はあるし
愛らしいものをモノを見て、ニッコリすることはあるが
ギャハハ と涙を流しながら笑ったのは 多分この本だけな気がする。
早速ご紹介したい。
こちらです。
説明は書かない。
実際に手に取って欲しい。
文章を読むのが苦手な方でも大丈夫。
メインは「スケッチ」であり文章ではない。
がしかし、泣けるほど笑えるのはナンシー関氏の文章でもあるんだけど
とっても短いから 広告文程度の長さの文章が読めれば、この本は十分楽しめる。
私はこの本を、あまり読み返さなくなっているが
それでも一生所蔵していたいと思っている。
これを書いたから、また読んでみるよ。
何度でも笑える。
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あらすじも薄っすら覚えているし
途中のシーンも思い出せるけど
あまりもう一度見ようという気持ちにはならない。
その理由を内容云々かと思っていたけど
そう言えば、私はミュージカル映画を繰り返し見たことがそもそもない。
今のところ、まだハマらないようだ。
これは上映された当時、
話題になっていたので映画館で見た。
私の好みの映画の傾向からは外れていたせいか
「新しい映画だ」と感じた覚えがある。
そう思った理由は、ビョークの声。
この映画を見るまでは、この映画の中の女性が
あの前衛的なジャケットの歌手と同じだと知らなかったし
この前衛的なジャケット写真は見たことがあるだけで曲は知らなかったし。
この映画が当時凄く話題になっていて
日本人の多くが「泣いた!」「良かった!」と言っているかのように伝えられるなか、
作家の林真理子氏が
「お金を払って、なんであんな暗い映画を見なくちゃいけないのか」と(確か)週刊誌だったかな?コラムに書いていた。
腹が立つ。とまでは書いていなかったかな?
不愉快だ。位は書いていた。
怒る必要もないんじゃないかな?と思いつつ、私には気づきをもたらした。
なんとなく日本全体が「良い作品」と一気に乗っかっていく中で
不愉快だという自分の意見を書いていた。
自分はどう思うのか?というのをかなりの多数派にその逆を発信した。
世間一般の風潮に対して、
わたしのような個人がその逆を発信しても特に影響力など無いけれど
林真理子氏が発信するとまぁまぁ影響力があったんじゃないかな。
少なくとも私にはあった。
映画館で見た後に
「映画見たな~」という独特の感じがするのですが
この映画を見た後は、微妙だったからだ。
自分がどうして微妙と感じたのだろうか?とぼんやりしていたところに
林真理子氏の感想がハマった。
そうか、感動しない私もありだもんね。と。
多分、今までの価値観に無かったんだと思う。
どう捉えていいのかよくわからなかったのかもしれない。
ミュージカル映画を見ないから特にそうだったのかもしれないな。
ビョークのあの声と歌声は強烈に脳内に入ってきて
後から、「あれはビョークのPVか?」と思える位刷り込まれた。
声が。
印象に残ったという意味ではこの映画は成功している。
そして、世間の賛辞の風潮に「のっかる」「のっからない」についても考えるきっかけになったし
「のっかっている訳じゃなくて、とても好き」という事もあるはずだということも。
下のブログでのやり取りがあった時に、私はこの林真理子氏のエピソードを思いだしていた。
規模の大小を問わず、同じような事があちこちで起きているんだよね。
これが「パターン」というものだな。って。
世の中のパターン=人間の感情とその現れ方
こんな1つの定義はあると思う。
これを法則というなら賛成だ。
私が相似形と書くのは、こういった事です。
kinesiology.wp-x.jp
kinesiology.wp-x.jp
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kinesiology.wp-x.jp
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有名な誰か、身近な誰かの言っている「法則」を信じる・鵜呑みをするのも素直さと言えると思います。
私にもそんな素直さはある。
それを聞いた時に
とチラッとよぎったことは、一旦鵜呑みをする前に冷蔵庫・冷凍庫行きです。
寝かしてみます。
これはある程度、実証的ではあると思う。
しかし実証主義では無いようです。
Wikipediaでは↓
実証主義(じっしょうしゅぎ、英: positivism、仏: positivisme、独: Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。
ーWikipediaより
この中の、「超越的なものの存在を否定しようとする立場である。」というのが違うからです。
なんでもかんでも直ぐに超越的なものの結果だと結論付けないだけです。
超越的なものファースト(1st)じゃない。というだけです。
その前に、世の中のパターン=人間の感情とその現れ方 に注目しているだけなんだとわかった。
自分を棚上げしているとこれは見えにくい。
これも1つのパターンだと思っています。
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」からこのような展開をするとは予想していなかった。
やはりこの映画の影響力は強かったんだね。
おそれいりました。
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