この記事の続きを書きますが
そのまえにホームページのコラムを読んで頂くと、この先がわかりやすいのでご一読ください。
このような体験をへて、ある日私が理解したことは、
「ただ生きていれば良いんだ」という事でした。
「ただ存在しているだけで良い」
「意味はない。存在だけで良い」と理解したんですよね。
実績や業績や善行、美徳、体験などについても考える時間をもって人生を過ごしていましたが、それは後付けなんだな。って。
能力を発揮するとか
自分を探すとかまったく関係ない。
本当の本当は何にもしなくて良いんだな。とまで思った。
絶対的存在価値なんて言葉がありますか?
あるとしたら、そんな風に感じました。
そしたら、この本にも同じことが書いてありました。
存在そのもので良いと。
ナニカしなくちゃいけないと思う必要がない。と
beingness-「人間との対話1」より引用
Beingness と書いてありましたわ。
存在そのものという意。
で、こんなことも読みながら、自分の書いたことを思い出していくと、もっともっと思い出したわけですよ。
天国は平和で飽きちゃうから、また人間に生まれてみようか。とおもって生まれてくるっていう話を。
一体誰が言い始めたんだろう?
おとぎ話とか、そんなこと?
と思ったら、こんなやり取りがされていましたよ。
どこで流通している話なのだろうか?
発祥はわからないながらも、どこかで聞いた話ではあるけれど、
どうやら、天国ということも定義はそれぞれであるようだ。
存在するだけでOK
生きてるだけでOKになるともうそこが天国です。という説明がされていて、そう言われたら確かにそれは成り立つかもな。と思えました。
私は人生でこんなことを考えたことは初めてでした。
そんな視点は無かった。
となると、今生きているうちに天国体験をするためには
- 考え過ぎない。
- 比べない。
- 感情にもっていかれたり、共振しすぎて、自分がお留守(解離・トランス)にならないようにする。
こんなことをしたら良さそうです。
そして他にも、この本の中で書かれている「純粋で、正直な欲望」を大切にするということも鍵のようです。
私の体験で言うならば、
身体が時の声をあげたーホームページのコラム「「さとり」なの? この体感を解説してみました。深層リンパドレナージュ 家族コース開催」より抜粋
あの一瞬がこれにあたると思えました。
大転換、大改革が起きるのには、その大切な瞬間を逃さないのも大切そうだ。
その大切な瞬間というのは、純粋で自分のために働く無意識が、幸せを感じたいと正直に欲する瞬間ではないだろうか? 自分が浅い無意識で抑え込んで回避、逃避していたことを深い無意識の純粋さが突破したような瞬間。
幸せを感じてしまうと、そのあとそれが無くなった時が辛いから自分には最初から与えない方が楽だ。というような今をすっ飛ばして、未来に生きてしまうようなことをやめている瞬間。
だから、身体との対話、実際の対話を併用した心体カウンセリング™ 、セラピーが私は好きなのだ。
当事者の発露にも価値を感じるんだと再認識もした。
この本も含め、他にも大変な良書を薦めてくださっているクライエントには
とても感謝しています。
ありがとうございます。