知らないものは探せない。

 

私が今、体の一部になっているキネシオロジー

知らないから探さなかった。探せなかった。

しかし、時が来たら知人の口(言葉)を介して目の前に現れた。

 

この「目の前に現れる」ということはただ時がきたら自然にそうなるのだろうか?

そうとも言えるけれど、と思う気持ちもある。

でもそれ以外にも、ひょっとしたら目の前のことをその時その時やれることをやっていた。という行動が「目の前に現れる」という状態の追い風になるんじゃないかな?なんてこともちょっと思う。

 

う~~~ん、これとは違うんだけど・・・と思ったり

ど真ん中感はないんだけど、消去法でいくとこれなのかな?と感じつつ

今はこれしかないから、先ずはこれを一生懸命やる。というようなこと。

 

現れた時に気がつける土台があると良いみたい。それが無い時には現れてもスルーしちゃうことも有るんだろうと今は思う。

 

私の場合は

コーチングを真面目にやっていたときに

(この先になにか現れる)というそんなはっきりした感覚は無かったけれど

(う~~~ん、これとはちょっと違うんだけど・・・)と思ったり

(ど真ん中感はないんだけど、消去法でいくと当面はこれなのかな?)と感じたりはしていた。

 

今となれば、コーチングはとても役立っているが

今の心体カウンセリング™ は私が無意識に求めていた 「コーチングのその先のモノ」「コーチングを踏まえたモノ」であったということが理解できている。

そう、コレだろうと感じてドンドン動いて、とにかくバランス調整して回った天職とも言えるキネシオロジーのその先にもっと一層の潜在能力が活かせる「心体カウンセリング™ ・セラピー」があったわけです。

 

これは出会った人たちも同じ。

例え今 彼女や彼と付き合いがなくても、

今に至るまでの道標になってくれた。

 

彼や彼女とのアレコレは私を強くしてくれたし、そのあと、その出会いから何を学んだのかが今は明確になっている。

 

知らないと探せない。

しかし現れたらわかる。

 

知らなかったという事がわかる。

 

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それはDNAが記憶していたことかもしれない。

 

私が今以外の人生でも(キネシオロジーのその先の心体カウンセリングで行なっている)施術をしていたような記憶らしきものを思い出したように。

 

キネシオロジーだけで止まっていたら思い出すようなチャンスは来なかっただろう。

心体カウンセリングへと発展して初めてそれが「現れる」チャンスに恵まれるという土台が出来た。

そして、続けていなかったら気がつくチャンスは来なかったと思う。

 

 最近もより一層思う。人生にはまだまだ知らないことが多い。(^^)

誰にも聞いたことがない不思議なことも世の中にはまだまだあって、自分の人生にもそんなこんなが登場する。

 

 

今はコレが何か知らなくてもそのうちわかるのかも知れない。

今までも多くのことがそうだったみたいに。

 

 

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